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 和の心 柔に観る

いつだったか東京オリンピックの柔道競技でオランダのヘーシンクについてその美談を語ったことがある。
昨日の世界柔道ではあれから46年近くなる日本の国技とも言える柔道もまだまだ世界に伝えるのは難しいのかなと感じざるを得なかった。
礼に始まり礼に終わる。まさに畳の上は日本そのものなのだ。勝負は勝負、どんな厳しい戦いであったとしてもあのヘーシンクを思い出して欲しいのだ。
ところが男子無差別級決勝で世界選手権100kg超級3連覇のテディ・リネール(フランス21歳)が日本人無印グリコのおまけとまで言われた新人上川大樹(20)に敗れた時だった。 審判に勝敗を告げら「礼」と言われてもまったく無視、上川が握手を求めても無視、それどころか「どうして俺の負けなんだ」と言わんばかりの往生際の悪さだった。
対象的に上川は堂々と相手に頭を下げ畳から去るときも戦った場所に向かって深々と頭を下げた。
練習のときにどんなに修行をしても本番で出来なければ何にもならない。素晴らしい決勝戦に多くの観衆が贈った惜しみない拍手も後味の悪いものになってしまった。
宮本武蔵の巌流島の戦いを思い出した。果たし合いで先に待つ佐々木小次郎が武蔵に待たされじれるのだ。待っても待っても武蔵はやって来ない。小次郎は物干し棹と言われるほどの真剣で武蔵を待つ。武蔵は小舟で慌てずゆっくりと巌流島に向かうが何と舟で武蔵は木のカイを刀として削っていたのだ。
真剣に木のカイで立ち向かおうと言うのか!小説や映画ではその場面あたりからクライマックスに入る。
焦る小次郎に武蔵の舟が見えたと知らされる。そして武蔵は舟から飛び降りた。適当な距離をとって小次郎が刀を抜きサヤを砂浜に投げ捨てた時だ。「小次郎破れたり!」と武蔵は叫ぶのだった。
最初映画を見たときは瞬間分からなかったが武蔵の言いたいことはこうだ。大切な真剣を収めるサヤを捨ててしまうなどもはや負けたも同然というのだ。 後に彼が記したとされる五輪書をみたいと思うようになったのはその後だった。悟りの境地にまで修行を続けた武蔵ならではの剣法は今の日本人の大切な生き方を説いていた。もっとも日本人らしく人間らしいと言ったら良いだろうか。
人は戦う前に学ぶことのあることを教えてくれる。日本の礼法は茶の世界であろうが書道であっても実に美しい。和楽器の演奏を思い浮かべてもそうだ。昨日の試合でのあの瞬間そう思えた自分に拍手を贈りたくなった。口で礼を語ることは簡単。実践の出来ない者がいくら勝利を収めてもそれは真実の勝者ではないということだ。
勝った者が敗者の肩に手をやりお互いの健闘を称えられるのはまさに和の心が備わったと言えるだろう。
まだまだ柔道は大丈夫のような気がしてならなかった。

 人名、会社名等(著名人は除く)は仮名ですが内容は全てノンフィクションです。
 【俊介の部屋】は平成21年6月4日にスタートしました。(毎日掲載しています)
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