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 おわら風の盆 浅草編

おわら1

2013年7月26日 午後7時 

待ちに待ったこの日、境内には一体どれだけの人が集まったんだろうか!?
本場越中富山のおわら風の盆を観れるとあって凄い人が集まった。

おわら2

仲見世通りの灯りが一斉に落とされ地方の唄が不思議な雰囲気を運んでくる!
さすが本場だけあって神秘的でありどこか引き込まれそうな・・・・

おわら3

これは照明が当てられた明るさではない。
宝蔵門の前が最後の踊り
多くたかれたカメラのフラッシュの灯りがこんな感じで一瞬光を投げかける

カメラを持つ私の後も横も想像を超えた人の波!
最高の場所を確保しただシャッター押すことに専念
知っているのか周りはとても静かだ! マナーを心得た観客もみな酔っている。

おわら4

夕方から少し風が吹いてきたのは踊り子のせいだろうか!?
聞けば八王子から、横浜・埼玉とわざわざ風の盆を観るために・・・・!

いつか本場の流しを観に行ってみたい。
佐渡にも立波会というグループが相川音頭を踊るがこれもまたおわらと同じように人の心を押さえて放さない。
日本には素晴らしい伝統芸能があって嬉しい!

若者が多く並んだ雷門前で「これ何ですか?」と尋ね、人力車のお兄さんが「盆おどりみたいですよ!」と言ったら、「なんだ盆おどりか・・・」と言って5時ころ帰って行った。
知らないと損することが多いね!



 隅田川の花火大会

花火2

これは工事中ではない!
27日(土)の隅田川花火大会に備えての防護ネットなのだ。
浅草寺から隅田川一帯は全てがこのように防護ネットが張られているものものしさだ!

川沿いはもう場所を確保するための各会社・グループの担当が寝袋持参で待機している。

花火1

これは吾妻橋ですがもう美観などはまったく味わえない。
花火当日はこの橋に立ち止まることは勿論できない。
隅田川の花火は歴史ある花火大会だけに是非盛況であって欲しい!

花火3

区営の野球場もこの通り! 当日は花火の桟敷席になる。

今年の夏は梅雨明けが早かっただけにこれからが盛夏!いや猛暑! 夏だから暑くっていい!
燃えて燃えて賑やかで楽しい花火大会であって欲しいとさすがに準備も万端!

さあ! みんなで燃えましょう! ビール片手に!

 笑顔の力に感動

「喜怒哀楽」、人間はこの四文字の中で生きている。そう考えたことはないだろうか?

昨日英国のロイヤルベビーの話題で世界中が頬笑みに包まれた。 平和だと思える瞬間でもある。
イギリス連邦は地球上に大きな影響を与えていることは間違いのない事実。
伝統と歴史は数多くの伝説を生んでいる。
私がケルト民族の歴史に触れ4度ほど妖精伝説を研究に渡英したことがあった。
親日家でもある英国だが伝統からかおごそかにさえ見えるお国柄は日本の比ではないと思えたほどだ。
ケルトが歩いたとされる地方はワイト島であったりコンウオォール地方等々全てイングランド島の郊外であった。
しかし、ウエストミンスター寺院やバッキンガムを訪れるとやはりそこには英国の象徴が見える。
時代が歴史を塗り替えるように庶民の中に飛び込んだ今回のロイヤルベビーの誕生。
エリザベスも時代を超えその笑顔は象徴的だった。

王子誕生の病院前、ウエストミンスター寺院、バッキンガム宮殿に集まった群衆の明るい顔!
報道の話しでは多くのアメリカ人等諸外国の観光客も多かったとか! 国を超え、これだけの笑顔が重なると地球上に平和が聞こえ喜びに包まれる。

三匹の仔豚やシンデレラ姫等に見る建物が今でも多いイギリスの郊外。不思議なことにそこには諸外国からの観光客は少ない。
渡英した当時は観光客が行かなければいいがと思ったほどの素晴らしい妖精天国。

お披露目した王子を温かく見守る国民を見て、笑顔ってなんて素晴らしいんだろうと今更ながらに感じた。
笑顔と笑顔が重なったら、決して争いごとなんか起きないのに!

メデアの発達した今にあって一斉に発信された王子誕生のニュースが世界中に笑顔を誘ったことだけは確かだ。

もう一度笑顔の重要性と素晴らしさを見直しながら改めて今回の誕生に感謝したい。
笑顔ほど素晴らしいものはないのだ。

 絶滅危惧種に・・・ ?

うな重

土用の丑の日だってよ! ・・・・と言いながらのれんをくぐった。

最近のニュースでは日本うなぎが絶滅危惧種になるかもと騒がれていた。
そうだ! 今度の土用の丑の日には最後のうなぎを食べに行こう(笑)と話し合っていたのだ。

この日はいつも以上に猛暑で中学生の指導が終わると急いでうなぎ屋に飛び込んだ。
今回は少し奮発して最高級にトライ! この舌でしっかり噛みしめておきたいなどと言いながら!
さすがに高い。 それだけで汗が出てくる(笑)
それにしても日本発信の美味しい食べ物が次々に姿を消しそうな気配。特にうなぎはその消費が日本人だけでも70%にもなるという消費量。 日本人は本当に美味いものを知ってるね!
そんな話にも花を咲かせながら・・・

確かに美味しい! とびっきりの顔が重なって午前中の暑さや疲れも吹っ飛んでしまった。
余計なことだが、本当に絶滅危惧種にでもなったらうなぎ屋さんはどうなっちゃうんだろうね!

日本人が本当にうなぎを食べられなくなる日が来るんだろうか!
ニュースでは土用の丑の日の話題でいっぱいだったが、あるお店のインタビューに会社員が「この日のために貯金をして今日は奮発です」・・・と。
時代劇などに庶民にも馴染みのうなぎ屋のシーン! 高値の花がまたひとつ・・・

口の中に入れるととろけるようなこの味! ああ!たまんね~
どうか姿を消すようなことのないようにとしっかり噛みしめました。


 村上幸子こそ演歌の女王

あれは暑い夏の日の出来ごとでした。
今から23年ほど前、31歳の若さでこの世を去った演歌の若きエース村上幸子。
今月23日はその命日です。

名前は村上幸子。
私は彼女の歌にほれ込み、新潟・群馬他いろんなイベントでスポンサーに彼女を勧めました。
今でも祭り屋台を見るたびに思い出します。
松本明子や高田みずえ他中堅クラスの司会を何度もやらせて頂きましたが、中でも「村上幸子」の歌唱力は抜群でした。
舞台に上がって司会進行する私に送る優しい眼差し。その可愛らしさと天使のような美しさは忘れようにも決して忘れられるものでありません。
ふとパソコンを開き検索したのも命日が近かったからでしょうか!?本当に偶然というか不思議ですね!
同じ新潟県出身ということもありましたが、その味わいは他の比べものになりませんでした。

1988年に勝負曲としてリリースされた「不如帰(ほととぎす)」は歌詞の一部に­「泣いて血を吐く...」という1節があり、当時昭和天皇は下血・吐血を繰り返し、危篤と小康状態を往復していたため「時期的にも適切な表現とは言えない」という理由から放送中止(自粛)になったというエピソードを持っています。
2年後の1990年7月23日、村上幸子は急性リンパ腫の病状が悪化し31歳で夭折しました。

丁度波島陽子の来年の舞台(波扇会)の選曲にあたりいろんな楽曲を探していたところ、そうだ村上幸子がいた。
久しぶりに聴いた「酒場のすずめ」に改めて自身の人生を重ね合わせ涙が止まりませんでした。
それは、よく二人で地方遠征をした楽屋等々の思い出が多く甦ってくるからです。
「にごりえ」・「花ぬすびと」・「縄のれん」・「花契り」・・・・、どれをとっても素晴らしい名曲揃い。
今からだと今度の舞台までには間に合わないかもしれませんが、是非振り付けをお願いしてどなたかに踊ってもらいたいと思っています。

本当は不如帰でNHKの紅白に初出場できたはずなのに・・・・
歌詞が合わないという理由で選ばれることのなかった彼女の人生もまた演歌そのものでした。

歌謡界には続々と新人が出てきます。
しかし、村上幸子のような歌い手はもう現れないでしょうね!それほど素晴らしい歌い手でした。 唄の好きな私が言うのだから間違いありません。

まもなく彼女の命日がやって来ますが、しばらくは村上幸子の歌に酔いしれたいと思っています。
これほど惜しい人はいなかったと今更ながら残念で仕方ありません。   合掌



 花より団子 !

花より団子

さすがに4日連続の猛暑日(都内)にバテ気味と思いきや

若者はほおずき市の合間に涼を求めてさっそく乾杯!
この笑顔が涼しさや満足感を物語っていますね

今日は浅草寺境内でのほおずき市
例年になく暑かったような気がしましたが大盛況でした

仲見世にある食事処でかんぱ~い!
明日も暑いらしいよ・・・・と言いながら
のど越しに語りかける二人

「あ~ …・! 美味しい!!」

 梅雨明け宣言が出ました

東京の今年は梅雨が無かったんじゃないかと思うほどでした。
全国の各地にもたらした災害を思うと申し訳ないなって思う気持が本音です。
そうか!梅雨が明けたんだ!!

日本国中がこの暑さに増して今月は参議院選挙が行われるとあって街頭演説も大変ですね!
いろんな期待も背負っての世の中の動き。
明日から始まる大相撲名古屋場所も久しぶりの日本人横綱が誕生するかの話題で初日を迎えます。
不思議なことに日本人横綱が誕生すれば、世の中もまた元気になるでしょう!?

スター不在の政治家の世界
七夕に祈りたいくらいですね どうか素晴らしい政治家が現れますようにって!
国民のためにと演説を繰り返す政治家諸君! 誰も見ていないところでこそ本当の勇気をふるって、是非力を発揮して欲しい!
先生!先生と言われて勘違いしているようでは世の中を変えることは出来ないでしょう!
梅雨明けのように、スカッとした活動をして欲しいものです。

真夏(8月)に生まれた私にとって改めて夏を大切にしたいと思う今日この頃です。

 おもてなしの心 14

多くのみなさんからの「おもてなしの心」に対するご意見ご感想本当にありがとうございました。
お一人お一人すべてにお返事できないことをどうぞお許しください。 私のブログをもってそのご意見やご質問にお答えさせていただけたらと今回のVol14をもってこのシリーズを閉めさせて頂きたいと思います。

一番多いご意見ご感想は「なかなか現在では難しいのでは」というご意見でした。
次に、「まるでドラマのようなエピソードいっぱいの体験で感動しました」というご感想でした。
見たり聞いたり読んだり等の出来ごとも当然多くあります。 当時は私も若かったですね!今でもあのほとばしるような情熱に我ながら驚いています。
しかし、実際に行動した者にしか分からない感動や喜びが私を育ててくれたんだと痛感しています。
大切なことは、経営者がそれをしっかりと後押ししてくださったということです。

直接の師(じょうし)が鈴木勝義専務(当時)だったことも素晴らしい巡り合わせでした。鈴木専務は当時名古屋の青年会議所(JC)でも活躍され全国大会で個人優勝。日本を代表してアフリカで行われた世界大会でも優勝するという素晴らしい人でした。
常に英語の単語を覚えるためにポケットには単語集が潜んでおり当時は頼もしい兄貴に思えたものです。
いろいろとエピソードをご紹介しましたが、何ひとつ言われてやったことはひとつもありませんでした。
女子店員(しゃいん)と一緒に考え、泣き、笑いしながらとった行動は、ただただお客様にどうあるべきかだったのです。
ドラマのようと言われますが、それは全員の心がひとつであった証だと思います。

私はたまたま昨日の夕方頃近所のスーパーに買い物に行ってきました。 レジではパートと思われる40歳代の女性が相手をしてくれましたが、もうあのような応対にはお目にかかれないのかな・・・・と寂しくなる瞬間が訪れるのです。
「ふれあい」とか「おもてなし」などとははるかに遠い現実。 経営者ももうそこまで求められないのでしょうかね!?
確かに従業員は一生懸命働いているのでしょうが伝わるものは何もありません。

店長(せきにんしゃ)はきっと開店前に何かしら訓示のようなことを言っているのではと思います。
私がお話しさせていただいた内容との違いは、そこで働く従業員が「お客さまにどうしたら喜んでいただけるか」、「何を提供することでお客様は笑顔を下さるのか」、そのことが心から理解できたら全て簡単なのですね。「お客様がこの店に来て良かった。また来たい」と思ってくださることは本当は簡単だったんです。
それはお相手をするのがみな心ある人間だからです。
一人一人が、良いものの考え方でお客様にどうしたら喜んでいただけるかを考えただけで決して他人(ひと)の真似ではなく、自分たちのカラーを出せる店づくりが出来るということなんです。
私が働いていた当時の店を中心にお話しさせて頂きましたが、それが旅館やホテルでも、あるいは全国にある鉄道の駅でもバス会社でも全て理屈は一緒です。

つまり、実践する者にその気持があるかないかの違いだけなんです。
得てして儲けを優先することで経営者は間違った行動をとってしまいます。
私が経験した名古屋の会社はまさに同族会社でした。素晴らしい同族会社の見本でしたね。
ところが、後に経験するいくつかの同族会社はその殆どが真逆でした。つまり自分たちだけは良い思いをする典型が多く垣間見えていたのです。そういう会社のトップに限って素晴らしい訓示を述べます。
従業員が感銘を受けるなどということとはほど遠い訳ですからお客様が見たら一目瞭然なんですね。

いかに「おもてなし」のできる環境を作るか! その環境に守られて従業員は真の心を発揮できるのです。

実際、若い我々(当時)が実践できた様々な事例は心のどこかに「お客様に喜んで頂こう」とする純粋さがきっとそうさせたんだと思います。
お客様の笑顔が実際私たちを育ててくれました。
素直な心で「感謝」できる。これが大切なんですね。 人間は得てして褒められたいとか、給料を上げて欲しいという気持が頭をもたげることがありますが、権利を主張するのでなく、真心でその義務を果たす心を持てたとき、自ずと「おもてなし」が出来ていることに気づきます。

売上が上がることこそそのご褒美なのです。

※ 長い間お読み頂きありがとうございました。   

 おもてなしの心 13

「見て来たような嘘を言い」などという言葉がありますが、今回綴ったエピソードは全て実話です。
というよりまだまだ話し足りませんね!

そうした結果が、名古屋駅地下鉄振興会(商店街)のモデル店になったことは言うまでもありません。
私たちが東京へ商店見学に行ったように、今度は我々が見られる日が訪れたのです。これほど店員(しゃいん)を勇気づけた出来ごとはなかったですね。青春ドラマそのものでした。
人は不思議なもので、見られる立場になると変わります。自信がつき働く意欲が増しそれがまた勇気ある行動力となったことはいうまでもありませんでした。
朝礼でシャッターを開ける前に全員で「歌謡曲」を歌ったこと!シャッターを開けた途端であっても素晴らしい挨拶(おうたい)が出来るためがその目的でしたが、当時女性歌手の歌を私が音頭をとって歌うということはペースに乗るまでは本当に大変でした。 馴れてくると彼女たちは自分で歌集を作ってくるまでになりました。
週に1度朝礼に出席する専務がその光景を見て全店にやらせようと店長会議に命が下ったことがありましたが、結果はできませんでしたね。
考えてみると簡単なようで実に難しいことをやっていたようです。

しかし、今考えるとそうじゃなかったんですね。
店長の心を理解出来た店員(しゃいん)の行動はすでに職場で何をすべきかを会得していたんです。
それらは全てお客様に対する心遣いから行動していた訳です。
つまり、全てが「おもてなしの心」に徹していたということですね。
決められたことだから、規則だから、上に言われたからで成るものでは決してなかったのです。
私は当時の女子社員、そしてアルバイトとの思い出が後の財産(じっせき)になったことは言うまでもありません。
そのお陰で実践(たいけん)を多くの企業に招かれ講演するまでになっていました。
私の話は全てドラマでした。 泣いて・笑って・怒って等々、この話が面白くない訳がありませんでした。

時代がどんなに変わろうと、人の心を打つおもてなしは同じなんです。
お客様が来たらお菓子やお茶を出す。またご馳走を出すことがおもてなしではありません。かゆいところに手の届かないと言いますが相手の人(お客様)を思う気持が全て解決してくれ理想の心をそこに添えることが出来たという訳です。

細かなことを言えば、それが「感謝の心」であったり、「お客様が喜んでくれること」、「親切にしよう・・・」等々いくらでも箇条書きにできました。
しかし、「おもてなしの心」とはひとつしかないということでした。
自分自身がしっかりとどうすべきかが理解できた中で、決して損得勘定でない真の奉仕の心みたいなものが相手を幸せな心にしてくれたのです。

私が知る限りでは、現在ここまでしているところは殆どありません。
マニュアルに沿って、接客のイロハをこなしている内は真のおもてなしは難しいでしょうね。
お互いが妥協せずやり抜いたこうした経験の中で過ごせた青春時代は私にとって最高の宝物であり財産です。

人間ですからそれでも多くの失敗を繰り返し磨かれていったんです。
私は現在、縁あって日本舞踊教室の多くの若者と接する機会を与えられています。
彼女たちは、まだまだご年配の生徒さん(人生の先輩)には敵いません。私もそうした諸先輩を見て学ぶことばかりです。

どんなに着飾って晴れの舞台をと頑張ってみても、大切なおもてなしの心無くしては人としての形にはならないですね。
まったく関係のない世界での経験でしたが、これからも自信をもって若者に素晴らしい「おもてなしの心」を伝えていきたいと思っています。
まもなく今年もデンマークへ行く都内の中学生(17名の親善大使)たちに日本の文化や伝統(日舞)芸を教えるスケジュールが迫っています。
本当の日本の文化が、この「おもてなしの心」と言って決して過言ではないことをしっかりと伝えたいと思います。

(とりあえずEND)

※ このテーマでは本当に多くのご意見ご感想を頂きました。
  心から感謝申し上げます。
  そんな漫画(ドラマ)みたいなことが本当にあったんですか?のご意見が多かったですね。
  体験(けいけん)ほど強いものはありません。  
  指を銜えていないで是非行動に移してみてください。

  私の話を直接聞いて、綺麗な涙を見せてくれた人が何人もいます。 
   そうした心根がまず大切だと知ってください。 
  経験できて幸せな気分を味わえるのは、やった人、やれた人だけですから!

 おもてなしの心 12

上から言われるのではなく、自分たちが何をどう行動することが正しいことなのか!?これほど分かりやすい方法はなかったですね。
「お客さまに来て頂ける、喜んで頂ける」、また「何をすることがお客様のお役に立てることなのか?」。今考えても凄いことだと思えることは、決して言われて行動したことが無いということです。

大和屋

名駅店は名古屋駅の地下街にありますから当然観光客のお客様が多かったです。つまり、承った商品をいかに速く包装しお客様にお渡しするかが重要でした。
おそらく、包装コンクールがあったらみんな優勝していたでしょうね!そう言っても実感として湧かないかも知れませんが、私たちはそれを楽しみました。
当然お土産ですから1個というのは非常に少ないんです。3~5個、多くて10個となるとその包装はまるでショーを見ているようでした。
バタバタバタ・・・・といった音。その感じがつかめるでしょうか?
勿論、ただ速くても雑な包装はマイナスだって知っています。正確で美しい包装を瞬時に行うその様子は本当に拍手が飛んでくるほどです。
当然手の空いている人はさりげなくキチンと手伝うのです。しかしどんなに多くの人(てんいん)が手伝ったとしても勿論最後にお客様にお渡しするのは承った人間です。
お客様には、この店の店員全員が一生懸命私の商品を作ってくれたんだと分かる一瞬でもありました。
無駄口をたたく者など誰一人おりません。 お客様の手荷物が多いと感じた瞬間、「新幹線ですか?」、「近鉄線ですか?」と尋ね、それが分かると改札口まで一緒にお持ちしてあげました。
そういうことは、日頃の問題点の中からどうすればお客様が喜んで下さるだろうかとか、さまざまな出来ごとに対し、その場合はどうすれば良いか常日頃のミーティングで話し合っていた事柄でした。
そうした行動は不思議なことに必ずお客様に伝わっていたということです。

そんな中に「ありがとう」に関する感謝の気持ちの抱き方も身近な問題を例に勉強しました。

お店(商品)を預かる店員(しゃいん)が何をすべきか!そこに潜む「感謝の持てる心」を身につけるということ。
何度考えてもまるで青春ドラマのような毎日でしたね。
お客様の喜びが自身への喜びと感じられるようになるともうしめたものです。

得てしてお店では「仕事だから」と受け止めるかも知れません。 当時名古屋駅から名鉄線で30分ほど行ったところに女子寮のある西春駅がありました。
午後8時を過ぎて帰宅する場合は寮生全員にタクシーで帰るようにとその最寄駅からの分をチケットとして渡してありました。
寮生はもしかしたら無愛想に「***寮まで」と言って乗り込むかも知れない。つまり今度は自分たちがタクシーに乗る毎日の良いお得意さんな訳です。
ここでも、タクシーの運転手に「こんばんは!ご苦労さまです。***寮までお願いします」と言って乗りましょう・・・等々。 寮の前で降りるときは笑顔で「ありがとうございました」と感謝を述べて降りましょう。
全てにそんな毎日でした。
つまり、お客様にどう言われたら、どうして頂いたら我々店員は職場で嬉しいのか、その喜びや感謝を今度は私たちも実践しましょう・・・でした。
これも言われたからするんでは全く意味がありません。

「みんなは美人で可愛いんだからひょっとしたらタクシーの運転手に見染められて結婚なんてあるかもよ!」ある種の楽しい冗談のようなそんな話も冗談でない日が訪れたんです。
「えっ!みゆきちゃんが名鉄タクシーの人と結婚!!!!!!!!!」これほど驚いたことはなかったですね。
実際にこうした現実に遭うともう説明は要らなくなります。

(つづく)

 おもてなしの心 11

語りつくせないほど多いエピソードをもっている私は今考えるととっても幸せでしたね。
ほぼ同年代に近い女性(はんばいいん)たちに囲まれ、一見華やかに見えるその職場は実は恐怖でもありました。
つまり、女性(おんな)は面倒くさい・・・、難しいと感じた最初でした(笑)
しかし、言われて行動するのでなく、若い責任者(てんちょう)によく協力してくれたと今になって分かるほど当時はただただ夢中でした。

面倒な女性(はんばいいん)のこんなエピソードもありました。
毎日のことですから、ひょんなことで口喧嘩やそうでなくとも相手をにらみつけんばかりに心を露わにすることもときにはあるんですね(良いときばかりではないということです)。
私はその解決方法(たいさく)に一番頭を病みました。 お互い口をきかずに過ごす店内(しょくば)の冷え込みは凄いものです。当然他の店員(じょせい)たちには何の関係も無いのですが、店の雰囲気は絵に描いたように悪くなります。一番困るのは何も関係ないお客様に申し訳ないということです。
勿論、当事者同士は「お客様には迷惑をかけません」と言います。とんでもありません。腹の中が煮えくりかえるような気持で親切で優しい応対など出来るはずがありません。そのときの作り笑顔は冷え切って滑稽でさえあります。
そこで私はある対策を講じました。喧嘩両成敗と言いますが喧嘩している(いがみあっている)二人を呼び出し(当時店内には話し合う部屋はなく)喫茶店でこう告げました。
「あなたたちがいがみあっていることは、我々にもお客様にもなにも関係ないこと。確かに何か原因があって喧嘩しているんでしょう!?しかし、そんなあなたたちが店に居てはお客様に失礼だ。どんな理由があるにせよここはお客様に私たちの心(おみやげ)を持ち帰って頂こうと決めたんだからあなたたちが店に居ては迷惑です。もっと言えば会社の信用にも関わり会社に損害を与えることは明白。あんまたたちが店に居ることで会社(みせ)はマイナスです。貴方たちが職場にいなければ会社は助かります。従って、心が晴れ晴れとし仲良くやれるまで今すぐ帰宅しなさい。もし、私のいうことが理解できずそれでも店に居るというのであれば即座に欠勤扱いとします。しかし、帰宅してくれるんであれば出勤扱いにしておきますよ。」と。
帰宅し、自宅や寮であるいは映画やボーリングに行こうが出勤にしますよとしたのです。勿論帰宅して遊びに行くなんてと思うかもしれない。しかし、映画にでも行って楽しい思いを心で整え笑顔で職場復帰できるようになったらいつでも復帰(かえって)しなさいとしたのです。
それでも帰らない場合は欠勤扱いですが、実際にはなかなか帰れるものではありません。そこで私は明るい声で、「はい!青木さんお疲れ様でした。青木さんのお帰りです・・・」と声をかけるのです。苦労して何とか帰って頂きました。しかし、その理由を周りの仲間(しゃいん)が分からないのではサポートのしようがありません。
当然朝礼でその意味を説明し、その後それを名駅店の規則として採用しました。嬉しいことはそんな規則を使うことはその後1回くらいで終わってしまったことです。
意味が分かれば職場は本当の明るさが戻ってきます。

なんのために私はそこ(職場)にいるのか、その意味が分かるからこそ即座の解決となったのです。
お客さまの知らないところ、見えないところで、どうしたらお客様が喜んで楽しくお買いものが出来るかの方法はきっと職場職場でいろんな問題と闘っているんでしょう!
しかし、その必要性(じゅうようせい)が理解出来れば全て簡単なことなんですね。
当然私は勝手に帰宅者を出勤扱いにした訳ではありません。考えられない手法ですがその理由を専務にはしっかりと説明をし許可を得ていました。
みんな働きに来ているのです。帰って映画を見て楽しいはずはありません。あとで聞いた話しですが、そうして職場を離れることは実に悲しくも空しくなるものだそうです。だから、店に残った仲間には、その人が戻って(翌日)来たら、何も無かったように笑顔で明るく迎えてあげようとその対策も怠りませんでした。

どうでしょうか!?こんな気持でお客様をお迎えしようとしているお店があったら!
お客様にはその空気はすぐに伝染しその素晴らしさ(ふんいき)を瞬時に察知して頂けない訳がありません。
20代の女性の笑顔は特に素晴らしい! それがアルバイトにも伝染し活気は売上と正比例していきました。

(つづく)
プロフィール

岡部俊雄

管理人 : 岡部俊雄
チーフ・プロデューサー
演出家

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