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 素晴らしい童謡にふれて

成人式のお祝いに頂いたのが立原えりかさんの童話集「人魚のくつ」でした。それまではサトウハチロー先生の「おかあさん」三部作を好んで読んでいました。子供の頃に見たテレビに毎回その詩が登場します。
サトウハチローと言えば誰もが知っている「うれしいひなまつり」の作者です。

◆ うれしいひな祭り            ◆ おかあさんの愛
 あかりをつけましょ ぼんぼりに       この世でこよなく美しいもの
 お花をあげましょ  桃の花         そは花なり そは花なり
 五人ばやしの 笛太鼓            この世でこよなく美しき心
 今日はたのしい ひな祭り          そは母なり そは母なり
                        花も母も 種となる実を愛す
  お内裏様と おひな様            こよなく愛す
  二人ならんで すまし顔            かなしくも 愉しきかな
  お嫁にいらした 姉様に        
  よく似た官女の 白い顔         ◆ おかあさんの匂い
                       おかあさんの匂いはどんなどんな匂い
 金のびょうぶに うつる灯を          朝はかまどのけむりの匂い
 かすかにゆする 春の風            昼はおべんとの おかずの匂い
 少し白酒 めされたか             晩にはかすかな おふろの匂い
 赤いお顔の 右大臣
                       おかあさんの匂いはどんなどんな匂い
  着物をきかえて 帯しめて          春はうれしい ちょうじの匂い
  今日はわたしも はれ姿           秋はやさしい もくせいの匂い
  春のやよいの このよき日          冬はひなたの ふとんの匂い
  なによりうれしい ひな祭り                 (以下 略)

思い出しましたか? 私は童謡の中で一番好きな作品です。勿論立原えりかさんよりもずっとずっと前にこの詩は知っていました。お釈迦様の教えに、『ひとを愛するという「愛」は、迷いのもとになるものだと言われているのですが、母の子に対する「愛」だけは認められていたのです。なぜならば、恋人や、好きな人を愛することは、好ましいと思う自分の欲望を満足させるため。つまり、自分を第一の立場に置いているから迷いの原因になるのです。これに対し、母が乳飲み子に乳を与えたり、接する態度には子供の側が中心であり、自分のことなど投げうって惜しみなく優しさを施している。自分を超越した母の愛こそ慈しみとされています』と。(つづく)

 人名、会社名等(著名人は除く)は仮名ですが内容は全てノンフィクションです。
 【俊介の部屋】は平成21年6月4日にスタートしました。(毎日掲載しています)

 山椒大夫 2

「誰か読んでもらおうかな!」。中学生になり、さっそく国語の時間にその時がやって来ました。心臓がドキドキするのは感じていましたが「はい!」とはっきり進んで手を上げました。上野先生と言います。新一年生はその優しそうな女先生にとっても褒められました。母の真似をして感情たっぷりに読んだ私はみんなから一目おかれたのです。
勿論、読むこと、書くことが大好きになり国語が一番の得意科目になりました。褒められたら嬉しい。またみんなの前で読みたい。その後、私が結婚式の司会を仕事ととはいえ150回以上も経験でき、ラジオのパーソナリティーに抜擢されたり講演に招かれるようになったのも、そのキッカケが母の「山椒大夫」であったことはまぎれもない事実でした。
高校へ行くと友人のラブレターの代筆を頼まれたり、各種式典、番組の台本等を多く手掛けたのも最初のキッカケが全てそうさせたのだと思っています。
私はここで改めて思うのです。どんなに素晴らしい出会い(キッカケ)に遭遇したとしても、そこに素直な心が存在しないとそのキッカケは掴めません。興味を示し、好奇心があって、感動できる心が自分を育ててくれるように思います。
俳句が好きになり、漢文に興味が持て、平家物語や源氏物語に目を通しました。前に母の趣味や特技の話をしましたが、歌舞伎や日本文学の本は母のそばにいつも沢山ありました。歴史小説から時代の英雄に触れその生き方も学べました。この度NHKの大河ドラマがスタートするに当たり、主人公が私の故郷に実在した人物であったことから天地人の歌を作るキッカケにもなりました。直江兼続とその妻お船についての2曲ですがどちらも心にしみる歌ですねと評価を頂き喜んでいます。
私がいつか多くの皆さんの役に立ちたいと念願であったこうしたブログも、考えてみたら「山椒大夫」に出会ったからだと感慨を深くしています。
好きなこと、好きなものを伸ばしなさいとはこういうことなんですね。人間に深みが出てくると言いますが大切なことです!
東北地方に今でも数人の「語りべ」がいます。私も福島で囲炉裏を囲んで「語りべ」の民話を聞いたことがあります。故郷なまりがいっぱいでそれはそれは不思議な世界です。語りべの話から、目をつむるとその情景が浮かんで来ます。日本人だからこそ多くの子供たちにも聞かせてあげたいと何度も思ったものです。
自分では気づかないうちに自分磨きが出来ている。人間だからこそ大切なんだとつくづく思います。あなたが親になったときにそんな影響を与えられるような母であり父親になってください。
あの時の母の涙が「山椒大夫」という作品を通し私の人生を作り上げたようにも思います。その後、童話作家立原えりかの「花かんざし」に出会えたのもそのお陰だと思っています。(つづく)

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 山椒大夫 1

男女それぞれに言えることですが、彼女が欲しい!彼氏が欲しい!と慌ててほしくない理由を述べて来ました。少しはご理解いただけましたか?
世の中に完璧な人などおりません。トレーニングを積んで自分を磨くということは完璧な姿を勧めているのではありません。育った環境によって、また本人の性格によっても経験も違うし感じ方もみな違って来ているのです。
私はまだ中学の入学式を迎える何日か前に、将来に大きく影響した出会いがありました。手に入れた真新しい教科書を母と見ていたときのことです。「どれ見せてごらん!」と母は各教科書に目を通していると一冊の国語の教科書のあるページで目を止めました。それは森鴎外の有名な「山椒大夫」です。
先にこの作品がどんな物語かを簡単に説明しておきましょう。
『岩代の国(今の福島県)から筑紫の国(九州北部)へ行ったままの父を訪ねて、越後の春日から今津までの道中を4人連れの旅人が歩いていました。まだ30歳くらいの「母」と13~4歳の姉「安寿」、12歳の弟「厨子王」、それに女中の4人。
夕暮れ時に一行は野宿の場所を探していました。そこに現れたのが「山椒大夫」という船乗りでした。親切に自分の家に泊めてやろうと言うのです。しかし、実は、山椒大夫は人買いだったのです。
母と女中は佐渡へ、子供たちは丹後の由良へと母子は引き離され女中は入水してしまいました。子供たちが買われたのが「山椒大夫」という金持ちの家で安寿はお茶くみを、厨子王は柴刈りをさせられていました。姉と弟は両親に会いに行こうと話し合い、お互いを励まし慰めあっていたのですが、それを山椒大夫の息子三郎に聞かれてしまいます。その夜、二人は三郎に引き出され、額に十文字の焼き印を押されてしまいます。小屋に帰って母から渡されていた守り本尊の地蔵を拝むと焼き印の痛みが消えたものの翌朝目覚めてその仏像を見ると、十文字の傷が出来ていました。年がいくつか過ぎて安寿は厨子王と一緒に柴刈りに出させて欲しいと申し出ます。厨子王は事前の相談がなかったのでとても驚きますが、山椒大夫は安寿が髪を切ることを条件に許可。翌日、厨子王とともに山に出かけた安寿は、守り本尊の地蔵を厨子王に渡して厨子王を逃がしました。その後、安寿は入水しますが厨子王は守り本尊の導きで山椒大夫の手を逃れ、果てには丹後の守に命ぜられたのです。父はすでに他界していました。厨子王は母を探すために佐渡に渡り、再会を果たすのです。』
この物語を、こたつで母が読んでくれました。「安寿恋しやホーヤレホ、厨子王恋しや・・・」と、母は一生懸命声に出して読んでいました。朗読に引き込まれすっかり物語に夢中になっていると、新しい教科書の上にぽたっと涙がこぼれ落ちるのを見ました。声も振るえがちですが言葉に出せない感動を覚えました。(つづく)

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 事件簿 2

以前、私の会社にアルバイトに来ていた女子高校生諸君の会話に驚いたことを覚えています。
祭りの夜に1人の彼女は3人でホテルに行って来たという話です。その内容は、男子高校生2人と女子が1名です。私が古いのでしょうか?自信を持って違うと言い切りましょう。会社の休憩室ですらこんな話が飛び交うんですから学校内では先生が知らないことだらけでしょうね!何年も学生アルバイトを頼んでいましたが勿論初めて耳にした出来ごとでした。
性に関する考え方が間違っている場面ですね! 今みんなそうですよ!と言ってましたが決してそんなことはありません。本当に好きになってしまった場合ではないんですよ!もう遊びの域を超しています。話していた女子生徒は自慢にも似た会話でした。聞こえてしまった会話とは言え腰が抜ける思いでした。世の中がどんどん進んでこのくらいは当たり前なんでしょうか?決してそんなことは無いはずです。しかし、このような若者が増えたら、出会い系の使い方も変わって当然かも知れません。全国で見る若者の事件、それも殺人にまで至る悲惨な事件は安易な若者の側にも原因があると言わざるを得ません。
昔の人が言いました。良い人には良い人が、悪い人には悪い人が寄ってくるものだと。その通りです。自ら心に入り込む隙を作ってしまっている。ここだけは避けたいですね。
【誰でも良かった】、世の中を震撼させる無差別殺人事件。おそらく淋しがり屋で友達もいない輩なんでしょうね!だからと言って被害に遭った人はたまったものではありません。心のどこかにこのような不安定さが潜んでいる人と付き合う場合もある訳です。心の持ち方の原点がまったくなっていない訳ですから後で気付いたときは遅かった。それ等が事件につながるんでしょう。
「そんなこと分からないから知らないで付き合うわけじゃないですか・・・」と反論される方もおられるでしょう。「分かっていたら付き合いませんよ!」。その通りです。でも、そういう人に巡り合い、多少でも心を許すということはあなたにも原因があるということです。何度も申し上げますが、自分磨きが終わってもいないのに焦らないということが大切なんです。
相手のご家族にも会い、兄弟にも会って祝福された付き合いをしてください。相手の両親や家族を愛せずにどうして正しいお付き合いが出来るでしょうか?よく考えてみてください。浮気している彼が両親に面と向かって会ってくれますか?
難しいのは真面目に真剣に「会う」人もいるということです。現在の奥さんと比べ断然今の彼女と一緒になりたいと付き合い始め、最初の浮気が本気に変わり時間をかけて離婚をし再婚して幸せになった例もあります。
この場合、事件にまで向かわなかったのは幸せになりたい一心で円満解決に力を注いだからに違いありません。難しい話で難しいケースで判断に苦しみます。しかし、このような話は実際にありますね!

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 事件簿 1

千葉連れ去り男が那覇で逮捕と報道されました。お母さんが亡くなったのはとても残念ですが次女智美さんが無事保護されたことにほっと胸をなで下ろしました。
半年ほど前に「出会い系サイト」で知り合ったそうですが一番危険な出会いを選んだとしか言いようがありません。「恋人が欲しい」、「結婚をしたい」、このような願望を持った人たちがまさにネットという危険なサイトにはまり、夢を見た結果が最悪な事態に遭遇してしまったケースが氾濫していることをご存知でしょうか?
学校の教師が女子中学生と、警察官が若い女性と、残念ですがもう職業や人格も何もかもネットと言う秘密裏に行動できる環境にはまりこんで多くの事件を起こしています。
誰だって恋人が欲しい、素敵な彼女と付き合いたい。それ以上にこうしたサイトを利用し性欲のはけ口にしたいと思っている輩が多いのも現実です。「少しドキドキするけど会ってみて嫌なら断ればいいんだ」。
密室を支援するかのように今は携帯電話を誰もが当たり前に持っています。誰にも知られずに行動出来る怖い社会なのです。千葉連れ去り事件などその典型でしょう。容疑者は勿論妻子の存在など隠したままの行動だったに違いありません。多くの甘い言葉に彼女は同棲を始め一時的にでも離れられなかったはずです。結ばれている間は何も見えなくなってしまうからです。
新聞広告を見ただけでもその出会い系サイトの広告は凄いものです。あの大きさのサイズを広告で掲載するとどのくらいの経費がかかるかご存知ですか?アクセスする期待過多のみなさんがいかに多いかということです。勿論サイトで出会い、幸せにやっているなんて話も聞くことはあります。しかし、努力もせずに簡単に素晴らしい夢を見ようとしている人の方が多いはずです。書き込みは自由で頭の中は若い子とセックスしたいの妄想でいっぱいの男の道具でもあることを忘れてほしくない。
千葉連れ去り事件は、飛行機の中でも、携帯ショップでも誰も彼女が脅えていたとは感じなかったと言っていますが、極度の恐怖と長い間の深い関係が大いに影響していると言わざるを得ません。付き合っている間の彼の想像を超える恐怖もあって恋人気どりに振る舞う以外なかったのかも知れませんが・・・。
この世の中、浮気の数は想像を超えるでしょう!事件や事故にならないのはお互いに相手に対する心の優しさがあるからです。勿論浮気は良いことではありません。浮気相手の結婚式に出席なんて話もあります。結婚後も1年くらい浮気が続いたというケースも耳にしたことがあります。関係が終わったのはさすがに赤ちゃんが出来たときからだったそうです。
下半身に人格無しと言いましたがそれは当たっています。それがこのネット社会です。分からないだろうとパソコンに向かったり、陰でサイトを楽しんでいる人がいるかと思うと虚しいですね。
努力しないで幸せになれるなんてことはまずあり得ません。自分磨きをし、トレーニングを積んで、やるべき目的にしっかり向かっているようなあなたに声を掛けてくれる人を待ってください。

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 意思を強く持て 2

「子供の頃、お祖父ちゃんが畑で美味しい西瓜を作ったりトマト等の野菜でいつも美味しい物を食べて育ちました。子供ながらに一生懸命お手伝いをして楽しかった。でも特別それをやりたいとも思わず平凡なサラリーマンに就きました。何の特徴もない人間です。平凡なんです僕は!」なんて人もいます。
「中学生時代は野球部に入ったもののすぐに辞めてしまい高校は結局帰宅部でした。だから特別な出会いなんか無いんです」。
それは違いますね!確かに子供の頃か中学生の頃の出会いの影響は大きいです。でも悲観してはいけません。それは全てを拒否してしまうからです。これからでもいくらでも出会いはあります。無いはずがありません。自暴自棄が一番いけません。あなたには他の人にない素晴らしいところが必ずあるはずです。自分の素晴らしさに気付かないほど控え目なんでしょうか?口数が少ない人より多い人の方が行動力があるように見えるのも事実です。でも口数が少ない人の方が誠実だって人の方が多かった例をたくさん知っています。
もし、人生を変えるほどの出会いに気付かなかったとしても、これからその出会いを掴み取れば良いのです。その場合、今までよりは少し好奇心や興味を示す気持ちの持ち方を覚えてください。でないとものごとは全てあなたの前を通り過ぎて行ってしまいます。
コンビニに買い物に行きました。商品を渡されたらさりげなく「ありがとう」と言ってみましょう。宅急便屋のお兄さんが荷物を届けに来たら明るい声で「ご苦労さまでした」と声をかけてみましょう。時には進んで映画の話題作を見にでかけ、感動を覚え素直に泣いてみましょう。
何か一歩踏み出さないと変わらないって言うでしょう!一番分かりやすい例ですが、営業マンが電話一本せずにいてお客様と会えますか?本数が多ければ多いだけやや比例して返答は返って来るものです。太り気味だと悩んでいる女性が今までと同じにお菓子を食べたり等々多少は痩せようとする努力の無い人に光は見えません。それでも口だけ「痩せたい痩せたい」は無理難題です。一般的に仕事の出来る人は無謀な太り方はしていません。痩せない原因は意思が弱い人と思っても外れではありません。
煙草を吸う人は平均してだらしない者が多いと言われています。「誰が何と言おうと価格がいくらになっても俺は煙草を辞めない」と言ったからとこれを意思が強いとは言いません。私の家の新築祝いにやって来た叔父が真新しい日本間の畳をくっきりこがしてしまいました。周りに与える迷惑の方が多いですよ。
今から一歩踏み出しましょう。その方法は「心の持ち方」「挨拶の重要性」「ものの考え方」等の項目で説明させていただきます。そしてこれからの新たな出会い、新たな決意をする機会が巡って来たら、是非自分自身のために新たな出発をしようとする自分を信じ、やり続けてください。決して諦めずに意思をしっかり持って。でなければ何時からスタートするんですか? 
実践しようとすることに胸を張って!自身の魅力づくりに励んでください。

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   内容は全て実体験であり本当にあったお話です。

 意思を強く持て 1

何かやらなきゃ・・・と思い立ち行動を始めた経験は誰にもあるはずです。しかし、やらなきゃいけないと分かっていながら続かないなんて経験も多いですね!三日坊主の典型なんて罵られても続かない人がいますが、こればかりはそれが正しい間違っているとは一概に言い切れません。それはあくまでも本人自身の問題であってやっても一日やらなくても一日なんです。
もうお分かりですね。どうでしょう!、やってもやらなくても同じに1日が過ぎるのであればやった方が良いに決まっています。そこで問題になるのが何をやるかです。ただ闇雲にあの人がやったから自分も、この人がこんな素晴らしいことを経験したから自分も等、そのキッカケは多々あるでしょうが、あなたはあなたです。一番良い方法は自分が一番好きなことを選ぶことでしょう。まずはそこからです。何故なら、好きなことは比較的長続きするからです。好きなことは一定の知識があるはずです。こうして自身が夢中になれることを見つけることが大切でしょう。
酒が好きならせめて銘柄のプロになってください。ただの飲んだくれでは駄目です。子供の頃に親の影響で昆虫が大好きになった人がいます。大人になって昆虫博士と言われたそうです。宇宙飛行士の毛利さんは子供の頃「皆既日食」を見て感動し宇宙や天体に興味を持ったそうです。美空ひばりに憧れ、歌手になった人はすごく多いそうです。ご存知の野口英世が自分の負傷した手を治療した医師に感動し医学を志した話はあまりにも有名です。高倉健の映画を見て間違ってその世界に憧れた若者もいます。
こんな光景を目にしたことがあります。映画「恍惚の人」を見たときのことです。何組かの親子連れが急いで映画館に入ります。年老いた両親は息子や娘さんのようにキビキビとは行動できません。「何してるの・・、急ぎなさいよ・・まったくもう!」、こんな調子です。ところが映画が終わり出てくる親子連れは最初のそれとは全く違っていました。「大丈夫!気をつけてね!」と親に優しい声をかけて階段を下りているのです。形こそ違ってもこれらはすべて出会いです。
美味しいケーキに出会い「ケーキ屋」を始めた等々数えきれないエピソードでいっぱいです。このように折角出会ったチャンスを生かせる人そうでない人様々です。しかし、生かせなかった人でもその時は感動し「よしやってみよう」と思ったのは事実なんですね。
少し太り気味だから甘い物は控えよう。健康に悪いから煙草はやめよう。本当に危険だから飲酒運転はやめよう。明日からジョギング始めるぞ!みなさんもこのように決意表明したことありませんか?
みんなみんな素晴らしい決意ですね!でも続かない。何故でしょう??
キッカケがあって、出会いがあって、それが行動の源になっていることがどれほど多いか知れません。ですから、悪い出会いは絶対に避けなければなりませんね。
あなたの心に強い意志さえあればあなたの人生に素晴らしい道が開けます。ですからやろうと決心したことは続けることです。本当に何よりも継続は力なりです!(つづく)

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 適齢期 9

適齢期は男性が何歳で女性が何歳などと商売上煽っていますが、出産を考えたらある年齢くらいまでにはと考える必要があってもその他はトレーニング次第で適齢期は人それぞれ違います。
ですから周りに惑わされずしっかりと自分を持って歩いて頂いて結構。あなたに相応しい相手は必ず現れます。
【新婚さんいらっしゃい】で、どう見ても80kgか90kgはあるであろう女性が登場したことがありました。相手の男性はスマートで容姿も良い方の部類に入る好青年。カップル登場と同時に司会役の桂三枝はひっくり返って見せました。会場はそれだけで大爆笑。失礼じゃないですかと言っているアシスタントも笑っている。結論から言うと新郎はその彼女の心に打たれたようです。一番大切なことです。彼ならもっと素敵な彼女を見つけられただろうに・・・と思った人は少なくないはずですが。
話を聞くとやっぱり彼は優しい心の持ち主でした。彼女は彼を放すまいと必死だったエピソードを語ってくれました。それがまたほのぼのとしてつい拍手を送りました。彼女の母親は「絶対に放すんじゃないよいいね!」と言っていたと笑わせます。十人十色。あなたが良いと言ってくれる相手は居るものです。その為にもそれを信じトレーニングに励んでください。心の持ち方ほど大事なものはないのですから!
出会いがあって人生は不思議に思えるんですが、どんな出会いがあってもその出会いを正しく活かさなければ自分の道を切り開くことはできません。真面目に哲学を論じたり社会情勢を話そうとする必要もありません。引き出しに無いものを見せようとすることには無理があるからです。
中には同じ社会情勢を話すんでもそれを本当に面白おかしく話せる人もいます。それはその人の経験であって特技のひとつかも知れません。
こんな話を聞いたことがあります。43歳くらいのバツイチ男性は「俺は近々マンションを買うつもりなんだけど一緒になろうよ!」と幼稚園の先生25歳女性を口説いたそうです。勿論嘘の話です。彼は自己破産をし、勤めていた会社の横領等で追われている身でした。住むところが無く彼女のアパートに転がり込み、ある種強引な同棲だったとのこと。勿論彼女は惨たんたる思いをさせられたことは言うまでもありません。
若い女性は甘い言葉と強引さには弱いのでしょうか?ここでも一番困ったことは深い関係の中で離れられなくなってしまったことです。俺と結婚しよう!マンション等と旨い話をチラつかせ彼女を食い物にしてしまった彼。その後多くの悪行が発覚し裁判沙汰になりました。
相手(ひと)を見る目を養うのもトレーニングですが、彼女にも無知という「甘さに弱いところ」は大いに反省すべきだったのです。

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 適齢期 8

人を好きになることは自由です。少ない例でしたが「周りの助け」がなくて幸せになれるということも難しいことです。感謝の気持ちがあって、相手を想いやることができればまた違った結果があったと思われるケースは少なくありません。
何でもかんでも自分でできるなどと思うことは思いあがりなんです。仕事をキャンセルする。生涯に一度、死ぬか生きるかの瀬戸際ならいざ知らず相手に迷惑をかけるなど言語道断でしょう。それすら分からない盲目同士が決して幸せになどなれません。深い関係になり、別れることは辛かったことでしょう。相手の男性もそうした状況が判断できずに放送本番時彼女(歌手)に会ったということは軽率以上に多くを指摘されても仕方のないことです。
歌のうまい新人でしたから事務所としては大きなショックと大損失に頭を抱えていたに違いありません。その後再起の機会を与えられ、曲にも恵まれ多くの歌謡番組に顔を出すようになりました。それは彼女の力ではありません。事務所の社長やスタッフ関係者のおかげなんです。ですから歌手を続けていくのであれば、迷惑をかけた多くの皆さんの気持ちをしっかり汲んで新たに自分の人生を切り開いて欲しいと祈りました。特殊な例かもしれませんが、彼女の場合の適齢期はず~っと後だったように思います。遊びたい、お金が欲しい、彼女(彼氏)が欲しい、車が欲しい、習い事もしたい。しかし、今一番先にやらなければならないことを知るべきです。
例えば甲子園に出場しベスト8くらいに入ろうと思えば犠牲にすること犠牲になることも計り知れないでしょう。オリンピックを目指すようなアスリートが記録に挑戦するために励んでいるときは一体どうしているんだと思いますか?恋は封印?
歌でもお芝居でも、科学者でも銀行員でも、運転手でも営業マンでも、何でもいいです。何かに打ち込むことを見つけてください。自分には誰にも負けないこれがある、と言える励める対象をつくることです。それは大地を耕す農家でもいいです。どれもこれも素晴らしい職業であり趣味です。
また、素晴らしい人生を「歌」という花舞台で築きあげてきた歌手生活をメチャクチャにしてしまったマネージャー(元夫)。世の中にはそういう輩もいるんですよ。入りこまれた本人にも隙が無かった訳ではありません。インスピレーションというと聞こえが良いですが、その出会いでうまくいった例もあります。しかしこれもごくわずかです。
臆病になる必要はありませんが、決して簡単にことを進めないでください。世の中があまりの変わり様ですが、人の心の持ち方はどんな時代になってもある法則があります。
いろんな事例をたくさん話したのちにそれ等もまとめてみたいと思います。【挨拶の仕方】、【感謝の気持ちの抱き方】、【ものの考え方】等々を後でまとめますが、その法則を見る前に様々なケースを知って欲しいと思っています。結果だけ見て良いとこ取りをするようではそもそもそこが間違っています。
「目の中に入れても痛くないほどの育て方をしたお嬢さんを何も出来ないお前が持って行くな!」と何度思ったことか?もっと相手(ひと)を大切にして欲しい。

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 適齢期 7

適齢期って年齢ではありません。それなら16歳17歳でも適齢期なのかと聞いてくる人がいると思います。ごくわずかですがそういう人もいるかも知れませんね。若いというだけで駄目だと決めつけることも出来ないのは事実ですがでもそれは本当に稀な例です。
その人の生まれた環境や育った経緯等がすべて合致し結婚に向いていた状況だったのだと思います。
子供を愛することができ、相手を思いやることにも優れておりその優しさで夫婦力を合わせ幸せに暮らしているカップルも知っています。ですから娘さんが20歳のときに母は36歳だなんてまるで姉妹のような母娘。だから自分もなんて思ってはいけません。社会に出ても働く環境と闘わなくてはいけません。両親の育児協力も時には必要だったでしょう。知らないことが多すぎて頑張り通した若い夫婦。
二人力を合わせると言いますが、まだ遊びたい盛りの年代です。自分には自分の歩き方があって決して真似をする必要はありません。憧れの人と一緒になりたい願望があるのなら、それにふさわしい人間になることが一番先にやらなければならないことです。

私の知っている芸能プロダクションのマネージャーが念願の女性歌手と結婚しました。彼は言っていました。「彼女と結婚したいと思ったら、まずその会社に入らなければ彼女との出会いはない。どうしても彼女は憧れでしたので・・・」と。すごい実行力のある人と驚いたことを覚えています。そして7年後二人は結婚しました。それはそれは誠実なマネージャーぶりでしたよ。こんなケースもあるんだな~・・・。彼らにはその時が適齢期だったのです。
そうかと思うと有名な人気歌手のマネージャーが同じように念願叶って結婚しました。最初は本当に優しかったんでしょうね!良いマネージャーに見えたんでしょうね!気の毒なことに結婚の結末は悲惨な出来事ばかりでした。彼は大きな勘違いをしていました。彼の行動で彼女は歌手生命を断たれるほどの苦境に立ったのです。結局離婚しましたが、こういう例は珍しくありません。
相手を選ぶということはそれほど難しいのです。ときどき同じ表現を繰り返しますが、大物歌手とて所詮人間です。甘い言葉と深い関係は全てを破壊してしまうことをその時は気づかなかったわけですから。
もう一つの芸能界の事例ですが、プロダクションが社を上げて期待していた新人歌手についてです。NHKの音楽番組で優勝し、デビュー曲にも恵まれ素晴らしいスタートを切った女性歌手は私もフアンの一人として応援していました。全国へのキャンペーンは事務所の力もあってとても順調で少しずつその知名度を高めていきました。
ところがここでも大きな落とし穴が待っていたのです。男です。約束の放送局の仕事をすっぽかし彼女は付き合っていた男性の元へ走りました。この騒ぎは大変な事態へと発展、彼女は自宅謹慎で故郷へ帰され、芸能界では完全に干された状態に陥ったのです。死ぬほど好きな「唄う仕事」は剥奪され信用も失うことに。
それから2年ほどして会社の社長の力で彼女は再びステージに立つことが出来ました。                                                        (つづく)

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   内容は全て実体験であり本当にあったお話です。

 適齢期 6

あんなに綺麗な女性が彼女でいいな!どうしたらこんな可愛い女の子を彼女にできるんだろう?とバイト学生の質問を受けたことがあります。
そうなんですよね!男は一般的に可愛い女の子(女性)に弱い傾向があります。若い頃の私もそうした人に心が躍ったものです。しかし、モテる彼女たち!可愛いとチヤホヤされて来た彼女たちには大きな落とし穴があることを知ってください。それらの彼女たちには厳しい意見になりますが、つまりモテた彼女たちは「わがまま」な女性が多いという事実です。本人の責任ばかりではありませんが、周りの男性がそうさせてしまったという責任もあります。多くの男性はそうした彼女たちに採り入れてもらおうと何でも言うことを聞こうとします。何かを買ってあげたり豪華な食事に連れて行ったり、誘う方は自己満足でいっぱいですからまったくの盲目です。可愛いければ男はみんな言うことを聞いてくれると錯覚しそれが普通になっていく。
洋服を買ってくれないような男は駄目!マンションを買ってもらった?お小遣いを100万円もらった。土曜日に放送中の「恋のから騒ぎ」に見るように、歴代の出演者を見ると嘘でしょうと思える話ばかりです。番組の趣旨は若者相手で今どきのエピソードを面白おかしく扱っていますが娯楽番組としては人気番組のようです。また芸能人がくっついた離れたを芸能レポーターを使ってまでも毎日毎日放送していますが、例外を参考にしてはいけません。
最近のニュースに西川史子(女医:タレント)が婚約会見を行っていましたが、世の中が自由になり過ぎていくらネタだとは言え「金の無い男は問題外、それも年収4000万以上でないと」などと言っていた高飛車キャラでしたが、今回の会見で「お金じゃない。愛ですね!本当につまらない女になってしまいました。お金よりも大事なものがあると気付いてしまった。弱いところを見せることができた人は初めて」と言っていました。ここは正解です。
愛情を金でなど決して買うことは出来ません。選り好みをしている内に結構年齢が行っちゃったなんて話もよく聞きます。前にも話ましたように、あなたの理想としている人はこうした高飛車な人間は敬遠します。本当はそれが普通です。トレーニングの済まない人間がいくら何を豪語しても駄目なんです。
以前から西川史子の高飛車キャラを見るたびに不快感を感じていました。いくら家庭で一生懸命親が教育してもこうした演出なのか番組が良い影響を与えている訳がないと怒りにさえ思ったことがあります。テレビ局なら何でも許されるなんて思っている制作者もいるのではと疑問に思うこともしばしばでした。38歳で掴んだ縁。心から大切にして欲しいと思います。それがあなたの適齢期なんだろうから!
冒頭で述べた「綺麗で可愛い人」、大きなケガをしないように心の持ち方を学んで下さい。たまたま外見が綺麗に見えただけで周りまで不幸にするケースの事例は数えきれないほどあります。外見が良く見えるに越したことはありません。人間は心です。心を磨けば素晴らしい適齢期を迎えられますよ。

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   内容は全て実体験であり本当にあったお話です。

 適齢期 5

私の母は素晴らしい人でした。決して我が家は裕福であった訳ではありません。成人になってそうしたことがはっきり分かるわけですが、母はとても手に多くの技術を持っていました。
和裁、洋裁、レース編み、編み物、組み紐、日本舞踊、三味線、琴、書道、ペン習字、極めつけは料理です。この殆どがプロ級の腕前でした。そんな母に父は相当助けられたはずです。厳格な家に育ちはしましたが、母は歌手の橋幸夫が大好きでとても柔らかな人間でした。私もその影響を受けました。
学校へはいつも素敵なセーターや長袖半袖のシャツなど新しいものを来て行けたのも母の余り毛糸等の作品のお陰でした。母から手紙が欲しいと知人の声。字の綺麗なのも自慢でしたね。晩年は病気で苦しみ(パーキンソン病)ながらも、ベットで俳句や川柳を嗜んでいました。私が物心ついた頃は自宅がいろんな教室になりました。今考えてみると皆さんお嫁に行くための準備をしていたようです。お茶の入れ方や着物を着たときの挨拶の仕方など本当にたくさんの先生でした。
芸者さんが着物を仕立てに頼みにくるんだから本当に上手だったんでしょう。突然にお客様がやって来てもありものでちゃんと美味しい酒の肴が出るんですから昔の人は素晴らしかったんだとつくづく思います。生徒さんが結婚するときは必ず招かれていたようですが、今で言うところの結婚相談所みたいな役割もしていたようです。習っているときに女性の生徒さんの性格等も掴めるわけですから良き紹介者だったでしょう。
勿論今みたいな斡旋料を取ったりしている商売とは違いますが、本当にお世話の好きな明るい母でした。私が知っているだけでも皆さん楽しい家庭を築かれたようです。申し上げたようにそれぞれがトレーニングを積まれた皆さんだったのです。授業の中でも世間話が先輩(母)としての教えだったのでしょう!
そんな母や女性を多く見て育ちましたから、私の家内がアイロンを掛けたり座ってきちんと洗濯ものをたたむ姿などは嬉しいほどの心の安らぎを得ています。
女性も男性同様毎日同じように働く時代になって、そうした家庭的な面を求めることは可愛そうな気もします。ですから出来ることは男性も同じようにやれば良いのです。
私は以前、奈良薬師寺の高田好胤管長から「母の愛情」ということで「親の姿・子の姿」の中でこんなまごころ説法を聞いたことがあります。今の母親と昔の母親の違いのひとつに「洗濯板」があると話されました。つまり、洗濯機の無かった頃はみな洗濯板で汗を拭き拭き子供の汚れた下着等を洗ったものです・・・と。その姿を見て育った子供たちだからこそ良い子が育つのだと言うのです。知らず知らずの内に母への感謝の気持ちが芽生えるんでしょうね!と。昔は「なるほど」と素直に聞く耳を持てていましたからこうした話はとても役立ちました。
家庭、学校、会社・・・とそれぞれ大切な人間修業の場がありますが、父親を立てる母親がいてこそ父親の威厳もあったようです。人によって経験の度合いはそれぞれですが、それも結婚するためには大きな影響を与えるトレーニングのひとつなんだと思います。

 人名、会社名等(著名人は除く)は全て仮名にさせて頂いておりますが
   内容は全て実体験であり本当にあったお話です。

 適齢期 4

私は今でも相手を思いやる気持ちや心の持ち方を家内からたくさん学んでいます。私にはもったいないほどの女房だと今でも素直に思っています。ありがたい出会いでした。
どんな形のカップルが誕生するかなどこればかりは神のみぞ知るですが、結婚とはとても神聖なもので、人として生きていく上ですごく大切なものです。
最近は信じられない悲しくも恐ろしいニュースが氾濫しています。夫を殺す?、妻を殺す?、親を、子供を?、まして他人など簡単に手に掛けてしまうそんな時代になってしまいました。一体どうしてしまったんでしょう!おそらく私の見解ですが自分勝手な人間が増えたことが大きな理由ではないかと思っています。金が無いから盗む!怒られたから殺す!これはあまりにも極端な例ですが現にこれらの被害に遭れた人が沢山いるわけですから困ったものです。
いいですか!他人同士が一緒になるのです。可愛いや綺麗だけで、カッコいいやお金だけですぐに行動を起こすなどもってのほかです。出会ってから付き合える期間を設けられるのであればまだ救われます。しかし、直接結婚を斡旋しているところで相手を選ぶということはかなりのリスクがあるはずです。
ですからそんな状態での出会いは決して正しい適齢期とは言わないのです。自分磨きの済んでいる人には自分磨きの済んだ人が現れるます。
誰だって、その時は良いと思って結婚するのです。何度も言うようですが、最近は出会ってすぐに深い関係を求めます。本能として悪い訳ではありません。しかし残念なことに関係を持つと離れられなくなってしまう者が多いということです。そこが面倒ですね。
露骨な話ですがどんな人格者でも、それが裁判官であっても、教師であっても、警察官であってもです、下半身に人格無しと言われる出来事が多いのは人間だからです。俺は倫理を学んでいるんだなどと自慢気に言う人ほど頭の中は女性でいっぱいでした。そうなると家庭を顧みるなどできなくなって当然です。
どんな人が理想ですか?と質問すると「優しい人」、「思いやりのある人」、「包容力のある人」と答えます。「金持ち」などと答えるのは論外です。どうでしょう。自分がその立場に立って、その要望を満たしていると思いますか?男性は「料理なんて出来なくたって」と言う人がいます。でも結局結婚後そのことでもめるのは何故でしょう。結婚したいばかりに放った無責任な発言にすぎません。
「結婚したいときが適齢期」。その通りです。しかし、トレーニングを終えた人間に当てはまることがお分かり頂けたと思います。トレーニングが済めば結婚で焦る必要など無くなります。トレーニングを積んで、思いやりや労わる心、感謝の気持ちの大切さ、夫婦の在り方が理解できていたら引っ張りだこです。女性も男性もみなそうした心根を求めているのですから。さあ!あなたの適齢期は?

 人名、会社名等(著名人は除く)は全て仮名にさせて頂きましたが
   内容は全て実体験であり本当にあったお話です。


 適 齢 期 3

あなたは決して他人(ひと)の人生と同じにしたいと思ってもそれは無理です。あなたの真似も他人が真似ることはできません。前にも話ましたように、それは生まれ育った環境もあなたの性格やものの考え方がみな違うからです。周りを見るから焦ったり慌てたりするんです。あとで挨拶の重要性や挨拶の仕方、ものの考え方等を説明しますが、まず完璧でない自分、十分でない自分を知ることから始め、自分磨きに励んで欲しいと思います。
そのトレーニングを終え、相手に出会えたときが適齢期だと思って間違いありません。適齢期でないのに出会ったからと急いだ者がみな失敗していることを知ってください。幸せになりたいと思ったら、幸せにしてあげられる心を持つことです。若さだけで燃え上がり好きになったと勘違いし何とか自分のものにしようなどと行動に移ったら悲劇です。
一緒になってから努力すればいいじゃないかと言った人もいます。理屈ですね。悪いとは言いません。私はいつもそんなときに聞き返します。「あなたは本当に幸せになりたいですか?」と。お金があることで幸せと感ずる人は多いそうです。ま!無いより有るに越したことはありません。でも幸せはお金では買えないということもあります。それはどんな時を言うのでしょう。それを説いていきたいのです。若くして結婚し頑張っている人もたくさん知っています。結婚してしまった人には改めて初心に帰り相手を思いやる心を学んで欲しいと願っています。
つまり、トレーニングが済んで巡り合えたそのときが適齢期ですから勇気をもって、将来の家族の為に頼もしい人間を目指してください。女性に至っては結婚の在り方をしっかり掌握しそれにふさわしい努力を重ね妻の資格を会得してください。料理や洗濯、掃除をするために結婚したんじゃないという女性もいます。共働きでの家庭内の役割、女性の能力や技能によっては夫婦が逆転する場合もあるかも知れません。
私は毎日部屋の掃除、花壇の水やり、ごみの片付け、ときには洗濯もします。ベットメーキングも殆ど私が行っています。勿論家内がやることもあります。つまり役割が決まっている訳ではありません。家内も仕事をしていますから自分の出来ることはやろうとし家内の負担を軽減しているだけです。
掃除をすることが重要なんではありません。相手を思いやる心が大切だということです。以前会社勤めをしている時に飲み会がありました。場所はお客様によってそれぞれ違いますが結構遠方(1時間以上)まで行くことがありましたがその殆どに車で出かけます。となるとその日は泊りでしょうか?私の家内はその都度電車で迎えに来てくれました。仲間やお客様は驚かれますがこんなことも言われました。「専務の奥さんは可愛そうに・・・」と。私はただの一度も迎えに来て欲しいと言ったことはありません。「私が帰りに運転したら明日が楽だし第一安心だものね!」、その心にはいつも感謝でした。(つづく)


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 適 齢 期  2

ここで正しい適齢期を迎えるためのトレーニングの意味をご理解頂くためにいくつかの事例に触れてみましょう。?まず「野球ばか」がプロになったエピソードをご紹介します。野球に限らずひとつのことに秀でていたらそれは素晴らしいことです。小学校の頃から両親の期待の中でその素質が開花し甲子園で大活躍。活躍のアベレージが高ければ高いほどプロの注目を浴び、念願のプロ野球界に飛び込んで行く。
文武両道と言って厳しい学校も当然ありますがやはり「野球ばか」は野球には秀でていても他は疎かなんて話はよくあります。しかし、その野球ばかがなんと一流大学を出てアナウンサーとして一線で活躍するそれも素晴らしい美人と結婚。野球に興味のない人でも何人かのそうしたカップルはご存知でしょう。女性も両親の愛情と期待の中で一流になった。この女性、どんな人と結婚するんだろう・・・と気にしたことありませんか?また、素敵なタレントさんと結婚もそうです。
愛情もさることながらそこには生活力の大きさ(頼もしさ)が影響していることは否めません。特に最近は20代前半で結婚も多く見られます。特異な例ではありますがこれがその人の適齢期です。

いつだったか、題名は忘れましたがこんなテレビドラマを見た記憶があります。医学部で大学院だったか将来医師を目指し研究に没頭している一人の青年がおりました。世界でも成功していない医学の研究でしたが、なかなか思うように進みません。
そんな彼を傍らで一生懸命支える一人の女性研究助手がその青年に恋をしたのです。しかし、手助けをする彼女が自分には一生懸命に補助をする相棒にしか見えないのです。3年半も過ぎたでしょうか、まもなく手掛けている研究が完成し学会に発表する日が近づいてきた頃の話です。その青年はさほど裕福な家に生まれたわけではありませんが、当時別の学校でその道にいたそれこそ裕福な学生が学会での発表にその研究資料を盗み出し先に新聞発表をしてしまうのです。
周りには全て裏金を動かし報道関係から学会に至るまで結局盗み出した学生の成果として発表されたのです。
来る日も来る日も研究に没頭していたせいで、気付くとそこには助手の女性だけが残っていたことを知るのですが、彼は女性の名前も出身地も趣味も何も知らなかった。疲れ切った青年に一杯のコーヒーを入れながら、ここで彼女が初めて研究以外の言葉を発しました。「あなたは私のことを何も知らないでしょう・・・!私の履歴書を見たいですか?」と。うなずく彼にエンドロールとして彼女の履歴書の詳細が流れるのです。研究生ではありますが二人は30歳を過ぎていました。
ドラマですからその後は想像するしかありませんが二人が一緒になったであろう終わり方です。個人的な話など何ひとつありませんでしたが、研究する彼の背中を見ながらいつまでも待っていたんですね。(つづく)

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 適 齢 期 1

いろんなところで「結婚」を焦っている人を見かけたり、その人たちを煽るように様々な広告を目にします。「無料でみつかる!素敵な出会い!」「当会には200名の女性が待機!」??、また結婚を売り文句にした出会い系サイト。
焦る必要は一切ありません。あなたが結婚したいという気持ちを持っていたら必ず出会いはやって来ます。私が言いたいのはここです。出会いがやって来たからすぐにそれがあなたの結婚相手ではないのです。今のあなた以上(理想)の人との結婚は原則として無いと思ってください。つまりあなたの心が軽ければその通りの人が待っているでしょうし、暗い性格なのに明るい性格の相手は現れません。挨拶のできない人が明るい人を求めるのも無理です。
理想の相手を得たいと思うのなら、自らがその理想に近づく努力が必要ということです。完璧な人間などどこにも居ませんから安心してください。あなたにしかない素晴らしい面もあるでしょう。良いところを伸ばし、極力悪いところを無くする努力が必要だということです。
間違ってそうでない者同士が結婚したとしましょう!間違いなく二人の仲は壊れます。仮に壊れないとしましょう。別れることばかりが壊れるというのではなく、冷たい夫婦関係になってしまうということも壊れることのひとつです。それは本当です。無理なのです。それでも一緒にいるとすればそれは我慢のなにものでもありません。諦めですね!こんな夫婦に良い子が育つと思いますか?
一番怖いのは、結ばれてしまった後の男性の強引さです。男は勝手な者が多く、可愛い相手や気に入った相手と結ばれでもしようものならもう絶対に離れないですよ。これも本当です。難しい問題ですが、ですから簡単に深い関係になどなってはいけないのです。恋愛を楽しんでくれる相手とのひとこまでその縁が出来る場合も多いですね!今の女性は簡単に体を許してしまう。私たちの年齢には信じられないことですが、昨日のセックスの出来ごとを簡単にしかもゲーム感覚で友達に語っている若者も少なくない時代です。こうした二人は余程のことがない限り結婚にまでは発展しません。困ったことに、このような女性がこんな話をするのです。「結婚したら旦那に料理して子供産んで専業主婦で楽したい」と。勿論結婚相手は今の彼ではありません。この場合でも結婚したいことだけは伝わってきますね!
平均すると男性の適齢期は・・・、女性の適齢期は・・・と言いますが、果たしてどうでしょうか?40歳代で結婚して幸せになった人、50歳代で結婚した人。中には10代で結婚する人様々です。確かに子供が欲しい場合であれば高年齢になってからでは厳しいことも多いでしょう。しかし、慌てないでください。結婚を紹介等は商売だからやっていることです。そういう場所での出会いで幸せになった人もいるでしょう。しかし、そうでなくともあなたに訪れた相手と結婚するときが適齢期だということを忘れないでください。
結婚したい気持ちがあるのなら、まずトレーニングをしましょう。あなたに相応しいトレーニング方法は沢山あります。その方法はみなさん違って当然です。(つづく)

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   内容は全て実体験であり本当にあったお話です。


 友だち以上 恋人未満 11

悪いとは思いましたが、友達に内緒で二人のデートは続きました。しかし二人は名古屋市内ではやっぱり会えずに、基本的には犬山や伊勢神宮方面、岐阜市内と大変でした。勿論立場上そう時間がある訳ではないので会える日はやっぱり嬉しかったです。
友達には私に彼女がいるっていうことにしていたので難しい問題にはならず、私も今まで以上に店で会うときは明るく振る舞うことができました。半年もしない内に彼女は卒業と同時に静岡県の中学教師として赴任して行き遠距離は続きませんでした。
川崎のときを思い出しても、きっと名古屋のベレー帽の大学生のときもそうでしたが、もし二人にキスの機会や深い関係が生じていたらこういう結末はおそらく無かったのではないかと思います。
私も健全な男子ですから心のどこかにそういうチャンスは待っていたのかも知れません。しかし、一緒にいるときの状況を考えると当時は無知に近いほど初心っだったように思います。私の性格ならもし結ばれてしまったらおそらく離れられなくなっていたことでしょう。そして当時を思い浮かべ本当にそれで良かったと思っています。
まだまだ心が未熟で生活力もなく、ガールフレンド的な付き合いが相当だったんでしょう。23歳くらいでまだ未経験でしたから相当遅かったですね(周りの話を聞く限り)。学生時代体操をやっており、どちらかと言えばスポーツ万能で明るく健康的な私はモテた方だと思います。当時専務もまだまだ若く勉強家で努力家でその影響が将来の自分への糧となったほどですから私には素晴らしい青春時代の一ページでした。
人を好きになることは大切なことです。しかし、自分を大切にする以上に相手を大切にすることはもっと大切なことです。相手を思いやる心の持ち方があってこそ幸せになれることもこの当時から学ぶことができました。
若いのだから失敗は付きものです。失敗を恐れず突き進むことも青春時代です。しかし、責任の持てない失敗だけは頂けません。若い者同士がすぐに結ばれる。将来のことなど頭にないのに子供が出来てしまう。出来ちゃった結婚などと今流の言葉で片付けている人が多い昨今ですが本当は間違いです。たまたま子供が生まれても、意外と子供に恵まれたことで自覚を持って良きお父さんに良きお母さんに変身していく若者もいます。
そんな男性が相手であれば女性は泣かずに済みますね。でもそういう例は本当に稀だと思ってください。
友達以上恋人未満でも辛く悲しいこともあります。しかし、青春時代にそういう経験ならたくさんあっても良いのではないでしょうか?人間が大きくなる過程で「財産」のような気がします。相手を思いやる心があって初めて告白する資格があるように思います。

 友だち以上恋人未満 10

こんなことがあるんだ! 彼女から今までの私に対する想いを代弁しながら話が続きました。まったく聞く耳持たずというかショックで言葉が出ない。 私が想いを寄せている人に言われているわけですから顔面を殴られたほどの思いでした。 「どう思います?」と何度か聞かれ「・・・・?」。
自分の中ではだいぶ時間が経ったように思いました。「話は全然変わるんですけど、貴女は現在付き合っている男性(ひと)いるんですか?」と聞き返しました。「いませんよ~!!」と笑いながら明るい返事。心の中でヤッター・・・と思ったもののどうして良いか分からない。彼女は私に返事を求めている。
彼女にそう言われたからと言ってもう一人の友達(女性)にはそういった感情が全くないわけだから、ここははっきり言っておかないと・・・と思っても気まずいことになりそうな予感があってなかなか言葉にできずにいました。彼女は友達の性格の良さやそのアピールに一生懸命でした。
「聞きたいんだけど、これって友達に頼まれたんですか?」というと、「私たちの中では店長さんはもう私の友達のものなんですよ」。「そうなんですか・・・・?」。ここで黙っていないで言うしかないぞ!そう決心しやっと口を開きました。「ごめんなさい!私はね、・・・」とずっと片想いでいたことを本人に告げました。「まさかこんな話になるって知らないからこのままずっと片想いでいるんだと思ってたけど、貴女がそう言うので・・・・」と。「それは困ります。だって私と彼女は親友だし、さっきも言ったけど二人の間で店さんは彼女の・・・・」。「その気持ちってとっても嬉しいことだけど自分の中では貴女が・・・・」その繰り返し。「それじゃひとつ聞いていいですか?今の状況は分かったけど貴女自身は私のことをどう思いますか?」、よく言えました。恥ずかしそうに笑いながら、「ですから初めから二人の中では店長さんのフアンで二人とも店長さんは好きでした。でも知らず知らずの内に暗黙の了解って言うかそうなって・・・・」、「だったら私が貴女に付き合ってくださいと言ったらどうします?」しばらく彼女は口を開かず困っていました。「あの~!困っているのは私なんだけど」。「私はそんなこと出来ません。だって彼女は私の親友で・・・・それに私が付き合ったら彼女を裏切ってしまうことになっちゃうし!」。「ごめんなさい、私は彼女とは付き合えないな!」そんなやりとりが続きました。
「こんなこと聞いておかしいかも知れないけどもう一度聞きたいんだけど貴女は私をどう思いますか?」、「それは・・・・」「本当は付き合ってもいいのかなって思いはありますか?」「それはないわけではないんだけど・・・やっぱり!」「だったらはっきり言います。付き合ってください」
言った!言ってしまった。一緒にいるところを見られたらどうするんですか?とか、今日の返事はどうしたら良いのですか?といっぱい困っていました。
来年卒業なんだから暫くは分からないように遊びに行ったらどうだろう等々少し強引に話を続け彼女は言い含められるように電話番号を交換して別れたのです。(つづく)


 友だち以上 恋人未満 9

店のシフトは午前9時から午後9時が通し勤務といって6時からが残業になります。また午前9時から午後6時が通常勤務(早番)。また午後1時から午後9時までの遅番勤務もあります。アルバイトの午後4時過ぎの出勤と併せローテーションが組まれている訳ですが店長は現金を閉める関係があって早番で終わるシフトはまずありません。
閉店後、レジを閉めて売上金を本社へ持って行くのも店長の大切な役割でした。いつしか向かいの店のバイト生が出勤してくるのが自分の中では密かな楽しみになっていましたが、自分の店の社員の手前彼女と話すなどといったことはまずありません。普通に遠い挨拶程度でした。
1年もした頃でしょうか?いつものように現金を持って名古屋駅の地上に出ようと駅正面の階段を上りきったところで突然「お疲れさまでした・・・」と彼女が声をかけてきたのです。私が密かに想いを寄せている彼女にびっくり!いつも一緒にいるはずの友だちはいません。こんなに近くでベレー帽姿を見るのは初めてですが、偶然そこで会ったのではなく彼女は私を待っていたようでした。
「これから帰るんですか?・・・」「そうですよ!」、話が固い固い。「少し時間頂けますか?」「これからですか?」「ハイ!出来ればこれからお茶でも飲みながらお話がしたいんですけど!」「・・・・?」エッ!まさかまさかこの坂何の坂だ・・・・!心の中で叫びました。
「これから本社へ届け物をすれば時間はとれますけど・・・?」、了解して彼女は毎日ビルの喫茶店で待ってくれるというのでタクシーで往復しました。もう天にも昇ったようでした。こんな時間に何の用なんだろう・・・。20分ほどして喫茶店に到着。彼女の手が上がり席に向かうとドギマギしながら席に着きました。どちらももじもじしています。他愛もない話が続いた後、彼女の方から口が開かれ「店長さんは現在(いま)お付き合いしている女性(ひと)はいるんですか?」と切り出されたのです。
正直に「いませんよ」と告げると「良かった・・・!」と笑顔が返ってくるではないですか?なんだか私まで嬉しい気分でした。こんな笑顔見たことない・・・とか、今までの片想いの人が目の前で何とも言いようのない気持ちが飛び出してきそうで・・・。
すると彼女は、「店長さんは私といつも一緒にいる私の友だち知ってるでしょう!」「ああ!知ってますよ」。「実はね!私たち最近毎日店長さんの噂話が日課なの!私たちの中では人気なんですよ!それがね今の彼女は店長さんが好きで好きで大変なんです。もう2ケ月くらいになるんだけど店長さんの顔を見ただけでキャーキャー・・・と。それでね!彼女は店長さんに自分の気持ちを伝えたいとずっと悩んでいて、どうしようどうしようの毎日。でもきっと付き合っている女性(ひと)いるよとか。それで私が店長さんに聞いてあげるって言うことになったんです」。ガ~ン!(つづく)

 友だち以上 恋人未満 8

いつだったか何かのキッカケで会社の社員数人と恋愛話をしたときのことでした。いろんな恋愛の在り方が飛び出した中で、私は昔々のあの川崎の彼女の話を切り出したのです。
自分にもこんな経験があってね・・・。でも本当にどうしてか私はその当時はそのことが恋愛には進展しなかった等の話をしました。するとその中の2人の女性が涙ぐんで「課長なんか嫌いです!彼女が可愛そうじゃないですか・・・!」(当時課長に就任していました)。相当な顰蹙を買ったようです。どんなに説明しても駄目なんです。女心なんでしょうか!
私はこの会社に入って店長に就任した頃、母からこんな手紙をもらっていました。都会で頑張る息子にいつも心配やら応援の手紙でしたが、その中の一通に「女の子は難しいんだよ!特に若い女の子の多い職場なんだから、周りの女性は全てお人形さんだと思いなさい!特別扱いや自分がそうでなくても一定の人に想いを寄せたり特別扱いをしようものなら絶対にいうことを聞いてくれなくなるからね!それほど女の子ってやっかいなんだよ!」とありました。
元々自分の将来を決めるであろう職場と張り切っていましたから会社の仕事内容を把握しようと相当な張り切りようだったのです。思わせぶりっこをしていた訳ではないのに、事実このように相手の心も大きく影響したんだということは痛いほど分かった経験でした。
母の助言は大きく役立ち、仕事に打ち込むことができたのは若い自分にとってはありがたいことでした。
名古屋駅の地下街には有名店がずらり。私は毎月店長として名駅地下鉄振興会の会合に出席をしていた関係で各店長との交流は盛んでした。各お店には当然販売員として何人もの女性がいます。自分の店では明るく楽しくではあっても女子社員には毅然としていましたから結構人気はあった方です。しかし、私も男ですから、「可愛い子だな~」と少し意識があって心の中で見つめていた女性はいました。心を抑えていたせいか自分の店にではなく、地下街の通路を挟んで反対側のアジアの靴というお店にです。
彼女は大学生らしく授業の後に駆けつけていましたから毎日午後4時を過ぎたころの出勤でした。仲良しの友だちと一緒で二人が出勤すると店内が一段と明るくなるようでした。
出勤するときはいつもベレー帽がとっても似合っていました。いつしか4時頃が楽しみに、また待ち遠しくなっていましたからまた片想いの始まりです。そこの店長は仲良しでしたから店長の特権でたまに暇な時間になるとその店に行って立ち話です。そばにその女性がいるだけでドキドキしてました。当然彼女は私が店長と知っていて出勤すると道路の向こう側のお店から目の合うときは軽く会釈してくれるようになりました。勿論もう一人の女性(大学生)も挨拶は同じように!
自分のお店の女性群に分からない会釈のキャッチボールはそれはスリルがありました。数か月が過ぎるころになると相手の二人はどうも私を見ながら何かおしゃべりをしているような気がして来ました。女の子特有な楽しそうにペラペラと・・・!何日かするとそれははっきりと私のことでいたずらっぽく何かを話している様子が分かります。(つづく)

 友だち以上 恋人未満 7

20分、30分と時間は過ぎます。馬鹿だな~・・・、そんなことある訳ないじゃない・・・!と自分の心に何度も言い聞かせるんですが彼女も喫茶店で動きません。誰か他の人と待ち合わせてるんだよきっと。そう思うことにしても私はそこから動けずにいました。本当に2年間待って彼女はここに来たんだろうか・・・?。私は一体ここで何をしているんだろう・・・。
時計は5時を過ぎましたが彼女は動こうとしません。何度も時計を見る様子は伺えるんですが誰も来ないということは本当に私に会うために来たんだろうか?
夕方近くになっても暑さで汗びっしょりです。
さすがに5時を過ぎた頃、「まさか!」とは思いましたが彼女の友だちの佐藤さんの電話(酒屋)を調べ、そっと電話機を手にしました。まるで待っていたかのように「お兄ちゃん!今どこ?」と叫ぶように彼女の声。「んんん?川崎の駅だよ!」。それからはもう彼女の泣き声で話ができません。「良かったねお兄ちゃん!美っこはずっとずっと待ってたんだよ!、もう2ケ月だねとか、あと3日だねって・・・、」
「美っこ綺麗になったでしょう・・・?」、返事のしようがなくなっている自分がもう何が何だか分からない状態でそこにいました。待っていたのか・・・・!何も言わない私を変に思ったのか「今日はどうするの?」とたたみかけます。
「佐藤さん!実は・・・」と本当の経緯を話しました。それでここにいる訳だから会えないんだ・・・と。「卑怯かもしれないけど、たまたま昨日そんな話を思い出してまさかとは思ったけど・・・」、それでも自分が彼女のようにこの2年間を過ごしていたわけではないので会うことはできない。勿論名古屋に現在付き合っている女性などいない。更に、ここまで私を想ってくれた彼女に申し訳ない気持ちがいっぱいすぎてどうすることもできない。そんな話をすると佐藤さんは「私が今駅まで行くから待っていて!」となんとか私を食い止めようと必死でした。彼女の気持ちを聞いてから私も涙でいっぱいでした。
「私と今日電話で話したことは絶対に彼女には言わないでください」が精一杯でした。今みたいに携帯電話があったならいろんなことで様子も変わっていたのかもしれませんが、私が勤務先を言わなければまったく連絡はとれません。
こんな素敵な彼女を連れて帰ったらみんなびっくりするだろうな!社会人になって更に美しく綺麗な彼女に少し動揺したことは事実です。
ごめんなさい!ごめんなさい!と電話を切ってからの私はもぬけの殻のようにぐったりしてしまいました。まだ喫茶店にいる彼女を確認するとコンクリートの柱に頭をぶつけ心から詫びました。私は付き合ってねと言って付き合ったわけではない。楽しい友だちとして、大切な友だちとして接していた若者の一人にすぎなかった。思わせぶりも一切なく子供みたいにじゃれあってきた相手だった。
私は彼女の住所を知っているのだから時期が来て自分にその気があるのなら連絡をしようかなどと考えながら名古屋行きの新幹線に乗りました。なぜ彼女に会わなかったかと言えば、まだ結婚とか恋人と一緒にいたいとする自覚がなかったのが本当の心でしたから。
結局友だち以上恋人未満だったのです。

 友だち以上 恋人未満 6

名古屋へ行ってからの話は、別のエピソードで沢山登場しますが今回は川崎の織田さんとのその後を最後までまとめておきましょう。
演劇は趣味の中で夢中になっていましたが、百貨店勤務にもうひとつ物足りなさを感じ、縁あって名古屋の老舗にお世話になることで全て一からのスタートとしたのです。店は呉服屋と間違えるほどの老舗の構え、この会社で何でもやってやろうの精神で張り切っていました。
製造工場の下積み修行は6ケ月弱で卒業し、入社の翌年1月11日に名古屋支店の店長として一番の繁盛店に就任することになりました。覚えることの多さは相当のものですが、一流の会社で一流の仕事が出来ることに魅力とやり甲斐を感じ私は無我夢中で頑張っていました。
就任して1年少しした夏のことです。お中元商戦も一段落し私は出張で東京支店に2日ほど出掛けました。東京店の愚痴オンパレード店長と夜一杯飲みに出かけたときのことです。「どうだい!名古屋で可愛い子でも見つけたかい!」いろんな話の中で出たひと言でした。「出来ませんよそんなの・・・」と本当のことですから間髪置かず答えました。「そうそう・・・・」と私は東京を発つ前に劇団の友だちとの話を切り出したのです。「そうかそんなことがあったのか・・・・!」。私もすっかり懐かしい話に酔いも手伝って少しずつしっかり話しました。「ということは入社少し前だから丁度今頃なんだ???、ちょっと待って待って?8月2日って明日じゃない?」。
そうなんです。偶然も偶然、翌日が丁度2年目の8月2日でした。「まさか・・・?もう僕のことなんか忘れてますよ!、第一あれだけ可愛いんだもん周りも放っておかないだろうし・・・」。話しているうちに急に不思議な興奮と動揺にかられその当時のことがまるで昨日のことのように浮かんできたのです。
ホテルに帰って何故か気になって眠れずにいました。翌日、そんなことないと思うけど・・・、そう思いながら約束の4時頃私は川崎に向かっていたのです。 「あれからだから彼女は今年が社会人1年生なんだ」。ぶつぶつつぶやきながら懐かしい喫茶店の見えるところまで到着すると、駅の大きな柱に身を寄せました。会いに来たわけじゃないからです。時刻は3時40分を少し過ぎていましたが、会社に勤めたんなら来れないか・・・?、自分勝手にいろんな想像をはじめます。懐かしいな~・・・、それほど周りに変化は見られません。4時を少し過ぎました。「そうか!来るわけないよな!」、なのに時間が過ぎても帰ろうとしない自分がそこにいました。万が一、来たらどうするんだ。自分にその気があってここに来たわけじゃにのに。
4時10分ころでした。?????、もしかして・・・・?、社会人になった彼女です。間違いなく美ちゃんです。薄化粧でしたがすっかり綺麗になった彼女が約束の場所に現れたのです。(つづく)

 友だち以上 恋人未満 5

就職先が決まってからが長かった。彼女が私に対する思いを知れば知るほど辛く重い日々が続きます。私が古かったのかも知れませんが私には彼女の存在は劇団の仲の良い友だちの域を脱していなかったのです。彼女の中では私がはっきりとした恋人だったようです。それは態度で感じていました。それだけに怖い気持ちもありました。私もまもなく名古屋へ行くわけですからそんな話をしたら彼女はどうするんだろう・・・・と。どこの会社とは告げませんでしたがまもなく名古屋へ行くという話を切り出しました。驚いたことに卒業したら私も一緒に行くというのです。同棲してでもの構えでした。私は自分で生活するのでさえやっとなのに、それと自分のやるべき何かをやっと探せたと思えたのが名古屋だっただけに本気で打ち込みたかった。彼女のこころを想うと本当に辛い気持でした。でも、彼女は若いし社会人になればまた心も変わるでしょう。来年就職活動をする彼女に私は精一杯の話をしました。8月2日、川崎駅前のパーラ(喫茶店)での話、夏休みということもあって一段と可愛い姿に「ああ!今日告げなければならないんだ・・・」と正直複雑でした。
思い切って神に任せての発言です。「いろいろ話していて美(みい)ちゃんの気持ち分かったよ!でも僕はまだ若いし頑張らなければならないことだらけ。だから名古屋で頑張りたい!」会社の名前はとうとう最後まで告げませんでした。あんなに手紙くれたのに・・・とか、連絡はどうするの・・・とか言われましたが、今の彼女の気持ちが怖いくらいで連絡をとったりしていると何か打ち込めないような気がしたんです。一番の原因はまだ私が若かったんでしょうね。神に任せた言葉とは、「僕が頑張って、美ちゃんも就職をしてそれでも二人の気持ちが変わらなかったら今度は大人として付き合っていきたいと思うんだけど・・・」。「僕は夏男だし、美ちゃんが社会人になった1年目、つまり2年目の今日8月2日のこの時間(夕方4時)に二人がそれぞれそれまで気持ちが変わらずにいたらここでまた会おう・・・!」と告げました。勿論反論や反対が続きましたが、3時間ほどして泣く泣く了解がとれたのです。その後のことなど分かりません。きっとこの2年の月日で彼女は私なんか忘れるに違いない。私も自分を見つめ直すに丁度良い期間だと思ったからです。こんな発言が出来たのも当時の私には結婚とか女性の存在というのが自分の進路を変えるほど大きなものではなかったからだと思います。人生ですから彼女との結婚もありだったのかも知れません。その人その人の歩き方でみな違うんですね。さすがに涙を抑えることの出来ない別れでした。当時は携帯があるわけではないので会社名を告げなければまったく音信不通です。私がその後一通の手紙も出さなかったのは返って思わせぶりになってしまうと思ったからです。まさに友だち以上恋人未満を体験したエピソードです。それと名古屋の新しい職場はまさに私が探していた会社でしたからその後その職場での打ち込みようはとても他人(ひと)が真似の出来るものではありませんでした。そしてこの会社で私が大きく成長していきました。それは面接をしてくれた専務との出会いの素晴らしさがあってのことでした。     (つづく)

 友だち以上 恋人未満 4

それがきっかけだったと思います。二人はその後いつも一緒でした。いつも一緒と言っても千葉と川崎です。会うことは週1回の劇団の稽古日にお茶の水でです。初めてのデート?1度遊園地へ行きました。勿論手もつなげません。しかし私には大変な出来ごとです。彼女を連れて歩いていると凄い優越感に浸れます。それほど可愛い女子高生でした。一年後の7月初旬に彼女の同級生で佐藤さんという友だちも誘い、私は親友を誘って4人で海水浴に行きました。私にはその年に樹立した記録があります。それは1ケ月に彼女に書いた手紙が102通を超えたからです。ラブレターではありません。何故か彼女と話していると楽しいのです。1ケ月に1人の女性に102通は凄い。1日3通も4通も書かないとこういう枚数にはなりませんね。もし現在彼女がその手紙を保存していたらきっとギネスですね。好きだとか会いたいという内容ではありません。楽しいことが大好きで、人を笑わせることが大好きで、文面はそんな会話口調で続きました。その他ときには電話して、週に1度は劇団の稽古で会っている訳ですから・・・。でも抱き合ったりキスをしたりなんてまったく夢のまた夢。見ている周りの人は二人を可愛い奴らと子供扱いだったんでしょうね!彼女が高校生と知っていたからその辺の自制があったのではありません。ただ一緒にいたり、手紙で何かを表現したりすることが楽しかったんですね!今の若者には信じられないかも知れませんが本当にそうだったんです。叔母や伯父にも言われました。と言うよりあきれられていたのかも知れないです。家の前にポストがあって便利も手伝ったのでしょう。仕事が手につかないほどかと言えばそれは全く違います。然し彼女の気持ちはそれとは全く違っていました。その頃はお兄ちゃんと言われていましたが日増しに彼女は私に対する愛情が増したのか将来も一緒にいたい程の気持ちを時々口にするようになりました。その頃私は百貨店に勤めていましたが、もっと自分らしい何かできる職場はないかとも考えていたのが同時進行でした。百貨店に入っていた名店街に栄太郎本舗という会社の面接を受けることになったときでした。ある日そこの店長とお茶を飲みながら話しましょうということで会社の話を聞いているときのことでしたが、同席していた名古屋名産の食品の老舗の店長の話が気になったのです。「栄太郎はとっても綺麗な仕事だからいいよな~!うちなんか酒粕臭くて年寄りばっかり・・・」等々愚痴のオンパレードです。栄太郎さんの仮面接的な話の後、帰宅はしたもののどうしても愚痴オンパレードの店長の会社の話がひっかかったのです。店長は愚痴ばっかりでも店は有名店として出店している訳だから、若者が嫌がる会社なら働き甲斐があるかも。そう思い翌日愚痴店長に会いました。もう一度詳しく話を聞きたいと話すと「おいおい駄目駄目、栄太郎が良いって・・・?」です。
何とか詳しい話を聞くことが出来ました。名古屋ではトップクラスの土産品製造販売店、宮内庁御用達の看板を持つ漬物店です。あまりにも熱心に店長の話を聞く私に打たれたのか、「それでは名古屋の本社を見てくるといいよ」と勧めてくれたのです。往復の切符まで頂いて翌日新幹線で名古屋に向かいました。店を案内して頂き工場を見て、配送センターを見たところで心は決まりました。ここが私の職場だ。そう思いました。青年専務も気に入ってくださり採用決定です。東京の店長は勤めるなら東京勤務と考えていたようですが本社採用が決まり1ケ月後の8月初旬に就任することとなりました。(つづく)

 友だち以上 恋人未満 3

帰りかけた私を追いかけて織田さんは私にこう告げました。「ごめんなさい!これから帰り道で断るから後からついて来て・・・!」と。別に彼女は私のものでもないのに何故かドラマチックな雰囲気が漂って、どうなるのか知らないけどとりあえず二人から10メートルほど後ろを歩き始めました。
新橋の駅に到着するまでに話をするつもりらしい。でもこんな経験初めてで全くどうして良いか分からない状態。しかし不思議なもので岡田さんが彼女にアタックしていたと聞いてなんだか複雑な気持ちでいっぱいでした。今までに恋人は勿論、彼女すらいなかった訳ですからどうしたら良いのかがその時の私では分かりませんでした。ゆっくり歩いたせいか時間が相当かかった気がします。ようやく新橋の駅に着きました。時計はまもなく10時になろうとしています。少し離れた場所で待っていましたがもう食事をするなんて時刻ではありません。私は千葉の親戚に居候している身。彼女は川崎まで帰らなければならない。しかも高校生です。
さすがに決断を迫られ彼女のところに向かいました。「どうしたの一体?もう時間ないから僕帰るよ!」と告げると私は改札に向かいました。すると「待って!今行くから・・・」。来るって言うので少し足が止まりました。やっぱり彼女は動きませんでした。本当に時間がないので私は少し大きな声で「帰る!」と告げました。どうしたのか彼女は少し涙声で「お兄ちゃんの馬鹿~」って叫んだのです。まるでドラマみたいでした。周りの人が一斉に振り向いたほどですから。
お兄ちゃん?僕のこと?・・・、もういいやと思った私は改札を通りホームに向かいどんどん歩き出したのです。本当にどうでも良かった。何が何だか分からなくなっていたのです。終わったら食事でもしようかと言ってからその日は来ましたが、この状況で彼女の行動を見てどうしたら良いのか分からない自分。すると1分もしない内に息を切らせながら彼女は私を追いかけて来ました。何故か彼女は涙目です。何だか泣きたいのはこっちの方なのに。
どうしても付き合って欲しいと言われ彼女は迷ったんだそうです。そして私と会わないでいる間は二人でなんだか楽しい時間を過ごしていたとのこと。???発表会の作品に打ち込みたいからそれぞれ集中しようということだったはず。新橋駅ではとうとう彼が涙を流したらしいんです。それで彼が気の毒になって「お兄ちゃんの馬鹿・・・!」に。どちらにしてももう食事どころか直ぐにでも帰らないとと思い今日は食事を取りやめて帰るように促しました。すると彼女は私の腕にしがみつくなり「今夜これから海へ行こう・・・!」と言い出したのです。「これからって・・・家はどうするの?」「今日は帰りたくない!これから海へ行こう・・・!?」でした。このときほど子供と大人ほどの違いに驚きました。つまり私の方がまったく子供だということです。彼女はまだ高校生なのに。都会の女性は凄いな~・・・と正直に思いました。勿論彼女は夜遊びをするような子ではありません。だから余計驚いたのです。いくら夏休みだからと言って。反面、僕は本当に田舎者だとつくづく思いました。大森近くまで彼女を送り私は帰路につきました。結局食事もせずにお腹はペコペコ。長い一日が終わりました。(つづく)

 友だち以上 恋人未満 2

初めて与えられた役に燃えましたね!練習して練習して・・・。何度稽古を重ねてもダメを出されて緊張と興奮の毎日でした。8月に入るとさすがに彼女のことはもう頭にありません。それほどお芝居の難しさと演ずることの喜びを肌で味わっていました。発表会場は都内イイノホール。
スポットライトを浴び、効果音やセットが出現すると興奮も最高潮でした。喫茶店で新聞に目を通しているところから幕が開きます。練習には無かった足組みをしてしまい最初のひと言が遅れてしまいました。「あの~奥さん!もしもこの世界がなくなってしまうとしたらどうします?」忘れもしない私の最初の台詞です。足を組んだ分参ったな~・・・と思っていたのですが、終わってから先生に「落ち着いていて今までで一番良い間だった」。そう誉められたのです。芝居がこれほど楽しいものだとは思いませんでしたが、まだ素人ですから本当の怖さは知らなかったんでしょうね!
客席は確か700席くらいだったと思いますが毎日満席で生の舞台の醍醐味を味わっていました。そして千秋楽の幕が下りました。千秋楽には親戚の伯父叔母たちも駆けつけてくれ舞台が終わってから楽屋まで来てくださってお祝いに食事にでも行こうと誘ってくれました。そのとき「そうだ!今夜は食事の約束をしていたんだ・・・」と思い出し、その経緯を説明し伯父たちにはとりあえず帰って頂きました。
「そうだそうだ!今夜だ今夜だ!」そう思うと不思議な喜びが湧いてきて急いでお化粧を落として彼女を待つことにしました。
隣りの楽屋は「若者たち」の楽屋です。私の芝居が後だったのでもう彼女はメイクも落とし待っていてくれるに違いない。なぜかしらソワソワしながら鏡に向かっている自分が不思議でした。30分くらいした午後9時少し前ころ、廊下に出て隣りの楽屋を覗きました。彼女は同じ作品の出演者と話しているようなので少し待ちました。メンバーが一人二人と帰っていきます。15分くらいして呼びに行くと彼女はいません。あれ~・・・どこへ行ったんだろうと廊下の奥の方を見ると彼女と同じ作品の出演者の男性が何やら話し込んでいるようでした。すぐに終わるだろうととりあえず私が待っていることを告げて自分の楽屋に戻りました。待つときの時間は5分でも長いように感じました。しばらく経って、もう時間が無くなるので再び呼びに行きました。「織田さん!どうするの?時間だよ!」「・・・・・」、何か様子が変です。「どうするの帰ろう?」私は約束をしていたのでそう声をかけました。すると彼女は私のところに来て「実は岡田さんが私と付き合って欲しいって言うの」???。彼は私より2歳年上でした。
「だって今夜二人で食事っていう・・・」「そうだけど!実は別々にお稽古している間に2度ほどお茶飲みに行って・・・・」???「それで!」、「それで7月頃から付き合って付き合ってって言われるから・・・・」。さすがの私も何が何だか分からないのと楽しみにしていたことの複雑さからついつい興奮気味に「で、付き合うの?・・・分かった僕帰るよ!」そう言うなり会場を出ようと歩き始めました。(つづく)

 友だち以上 恋人未満

少し話題を変えてみましょう。みなさんは片想いはどのくらい経験がありますか?
江戸時代であろうが、明治・大正・昭和であろうがその時代を生きてきた先輩たちの様々な小説やドラマを見ても恋する気持ちや生き方はその時代が背景にあってもやはり恋する人や愛する人を想うその様には感動させられます。
川端康成や島崎藤村、他にも多くの作品に目を通しました。また「愛と死をみつめて」が大ヒットし日本中が涙した時期もありました。ドキドキしてなかなか打ち明けられない状況を素晴らしい文学の中でみごとに表現した作品も目白押しでした。
考えてみると、こうしたドラマには現在では失われている家庭環境や社会情勢が大きくその影響を与えていると言っても過言ではないようです。それは、若者を取り巻く環境に温かさがあったように思うのです。温かさは勿論思いやりであり優しさです。ですから仮にお見合いで結婚したとしても相手を労わるというように人としての最低限の安心があったのではないでしょうか?
だからと言って今は今で生きていかなければなりません。ですから、せめて自分が選ぶ相手にくらいはその安心を与える必要があるということです。
私は素直に女性に片想いできる性格であったようです。中にはびっくりするような美人であったり、ひまわりのように明るい性格の女性、奥ゆかしく日本女性の代表ではないか等々たくさん居りました。片想いですから抱く気持ちは自由です。しかし、それはすべて片想いでずっとずっと実らないものでした。今の時代なら告白すれば良いじゃない!と言われるかも知れません。その頃は出来ませんでした。先ずは私のそんな片想いの話を聞いてください。
二十代前半のことです。私は東京でデパート勤務をしていた頃小さな劇団に入っていたことがありました。十一期生は私とまだ十六歳の女子高生の二人でしたが、同期ということもあっていつも席は隣り同士。多くの応募者の中から選ばれた彼女は当時お人形さんのように可愛かったです。二か月もするともうすっかり片想いです。同期ということもあってお稽古が終るとたまに喫茶店でお茶をするくらいにはなっていました。だからと言って劇団の仲間的な感覚でしたから話は盛り上がりますがそのほとんどが稽古や先生等の話ばかりです。一年もした頃でしょうか。劇団の発表会に二人はそれぞれ別の作品に選ばれて出演がきまったのです。私は「終わりの日」、彼女は「若者たち」。役柄が決定したのは6月中旬で発表会は8月の16日~18日の3日間。私は準主役に抜擢され化粧品のセールスマンを演ずることになりました。つまり二人は別々の会場で稽古をすることになったのです。
私は演劇が大好きで頑張りたかった。でも彼女といると楽しい。できれば時にはお茶でもできたらなと思っていたのは事実です。でも、この作品に集中したいとする気持ちから彼女にこんな話をしました。
「お稽古の期間はお互い会わずにそれぞれの作品がんばろうね!」そして、「その代わり千秋楽の幕が下りたら二人で食事でも行こうよ!」と約束をしたのです。彼女も大賛成で「私も頑張りたいから・・・」と。
そしてそれぞれの稽古が本格的に始まりました。(つづく)

 心の持ち方 Ⅹ-2

幸せになれるなら何の問題もありません。先日のテレビの特番で出会い系や婚活を勧める会社での結婚で結局別れたカップルの方が多かったのに驚きました。「俊介の部屋」を覗いて、それでは何で「婚活のススメ」なのかと思われるかも知れません。テーマをもう一度見て欲しいと思います。
具体的に、それではどうすれば「素晴らしい出会い」と「素敵な結婚」ができるのかの答えを先に知りたいと思われるでしょうが、しばらくは実際の経験や実話、事例を紹介しそれにはこうしたら良い結果に繋がる等の秘訣をお伝えしようと思っています。
理想の相手は当然いるでしょう!しかし理想通りの人に出会えるカップルはそう多くはありません。原因ははっきりしています。簡単に言えば、理想を求める前にあなたがその理想の人にふさわしいかが問題です。特に男は勝手なところがあります。夢中になっているときはその勝手は表面に出てきません。仮に表面に出たとしましょう!しかし、残念なことに二人はすでに深い関係を持ってしまっている。従って心では少しは分かっていても若さゆえ離れられなくなって一緒になるケースも少なくないのです。人間だからでしょうね。
私は、ある程度将来に良き家庭を築ける人間としての「心の持ち方」を説いてあげたいと思っています。私も人間ですから失敗したこともあります。それらの失敗から学んだことで今の幸せがあるとも思います。私に素晴らしい女性が現れました。勿論今の家内です。私には理想の人で更に私にはもったいないくらいな妻(じょせい)です。こんなにも感謝の気持ちを持てる自分が幸せでなりません。私の恩師は言いました。「それは貴方が理想の男性だからですよ」と。お世辞でも嬉しかったですね。
あなたが幸せになりたいのなら、あなたが相手にそれ以上の施しをしてあげなければならないと言うことです。誰だってそのくらいな理屈は分かります。人間というものは分かっていても実践できない方が多いのです。ですから初めに「分かるの定義」に触れたのです。
2~3枚くらいのページに目を通したら婚活がうまくいくなどと期待していたら大きな間違いです。プロ野球選手がレギュラーになるのと同じくらいな努力が必要と思ってください。天才ならいざ知らず、一般的にはやはり自分磨きが必要です。「俊介の部屋」は連載で何ケ月も続くでしょう!最後のまとめは最初から目を通した人に分かるようになっています。つまり、簡単になど幸せになれません。レギュラーを掴むために努力している選手のように素晴らしい相手に巡り合えるための自分磨きをするべきなんです。結婚相談所や出会い系は何故か費用が必要です。「素敵な人との出会いの場を提供」などと簡単に彼女が出来る彼氏が出来るに乗るのは不幸の始まりかも知れません。努力した貴方に自然と人が集まってくるように責任をもって執筆して参りたいと思っています。焦らずに学んでください。私の経験談に目を通すと、少し辛辣な内容だなと思う節もあるやも知れません。しかし、私は相手を責めたり憎んだりしているのではありません。「人間だから」に触れて頂きながら自分磨きに役立てて欲しいからです。

 心の持ち方 Ⅹ-1

静かに横たわった姿はとっても安らかに見えました。「消毒をしたら箱に入れておきますので後ほど引き取りに来てください」と医師に言われ一端外に出たものの車の中で涙が溢れ出てしばらく動けません。柵を開けた瞬間、大好きな公園に駆けていった彼を探しまわったこと、シャンプーで体を洗ってあげると嬉しそうにうっとりした顔を見せるその瞬間、ビスケットを持って犬小屋に近づくと待ってましたと背伸びをする姿。数え上げたらキリがないほどの思い出が甦ってきました。埋葬が済んで彼の小屋を綺麗にした後しばらくその柵は開けず小屋の前に小さな花小鉢を飾ってあげました。やっぱりしばらくは私の心も沈みがちでした。その後社員が「この花誰が飾ったの?」と聞いたとき、「そんなの専務くらいしかいないじゃん!」と息子が吐き捨てたそうです。あとでそれを耳にして愕然としました。こういうときこそ本音って出るんだと思うと淋しさだけでした。その後、子犬が7匹も生まれ、飛びまわれるくらいになるまでその可愛さも手伝って仕事もはかどりました。子犬って本当に可愛いものです。ところがある時期になると1匹また1匹と子犬の姿が見えなくなりました。最初は「社長が誰かにあげたんだと思うよ!」との声に「そうなんかな・・・?」。ところがとうとう最後の1匹がいなくなるまで社長からその経緯を知らされることは一度もなかったのです。全て欲しい人に上げたようです。勿論悪気がある訳ではありません。つまり人の心が分からないということです。商売での顔とこうした顔、どこにでもある光景でしょう!その会社の従業員ですから心の持ち方を先に説くのは正解だと思っていました。
まだ私がこの会社にお世話になる前にその息子に彼女を紹介してあげようと気立ての良い可愛いお嬢さんとのセッティングを4回ほど試みました。サファリーパークやボーリング、カラオケや食事と。社長の息子で生活もきっと楽でしょう・・・と素直そうに見えた彼に良い結果を期待しましたが結局彼女は何か物足りなさを感じたのでしょう。彼の条件なら文句はないと思えたのですが彼女の相手を見る目は確かでした。「すみません!彼に魅力を感じなくって・・・!」、それは私が入社して初めて彼の本性が分かったのですが彼女の方が一枚上手だったのかも知れません。自分の将来のこと、本気で考えることは当然です。社長の息子という看板に酔わなかった訳ですから正解でした。家内も本当に一生懸命でしたが、一度としてありがとうがなかったのもなるほどと思ったわけですから残念としか言いようがありません。
つまり、相手を紹介するということは非常に責任があります。勿論紹介後は本人同士の問題かもしれません。しかし、人間性とか価値観や育った環境というものも決して無視はできません。婚活という名の元で商売をしている企業もあります。私がこうして「心の持ち方」等、婚活の前に知っておいて欲しいことや学んで欲しいと願うのはその相手次第で幸せにも不幸にもなるからです。 (つづく)

 心の持ち方 Ⅹ

私は以前専務として経営者の息子(二代目)の教育を任されたことがありました。目標を達成するには分析が必要です。就任して早々は勿論まず会社を知ることから着手です。然しながらここでもすごく矛盾を感じてしまうのですが、私が就けばすぐにでも変化が現れると経営者の心は期待過多になってしまうことでした。分析の結果はすぐに出ました。従業員はみな金の卵でした。しかしながらそれが殆ど機能していない。活かされていないのです。原因はやっぱり経営者です。私は社員の心の教育を手掛けることを先としました。勿論そう生易しいものでなどありません。堂々と心をぶつけ、話し合うことで仕事の張り合いや人生の楽しさを植え付けるべく行動しました。出勤の仕方、休憩の採り方、休暇の過ごし方、酒の飲み方、会議の目的や重要性、報告や連絡の大切さ、つまり仕事以前の常識ですが数え上げたらきりがありませんがひとつひとつ計画的に面白おかしく進めました。社員旅行ひとつとってもその楽しい過ごし方に矛先を持って行きます。旅行はバスに乗ったら連れて行ってもらえる?今まではみなそう考えていたようです。初めて私が組んだ旅行は今までに味わったことのない楽しい旅行だったと大好評でした。「旅行でもこんなに準備がされていたんだ!」と分かったそうです。本当は私が今まで企画制作を生業としていた訳ですから楽しくなって当たり前なんです。社内では従業員が一生懸命私に言われた内容を実行しようとしますがただ一人動かないのがその息子でした。彼は性格の優しい若者だと思っていました。しかし、朝礼に遅れて来るのも挨拶が出来ないのも残念ながら彼でした。私は入社前に彼と何年か接していましたから彼のイメージは出来ていました。挨拶が出来て腰の低い好青年というイメージでさすが二代目と見ていたのです。つまり外面が良かった訳です。毎朝掃除をし水まきをする私を見ても手伝うことのなかった彼には驚きました。率先垂範が大切と教えても長続きはしないのです。
決定的な彼の心を見たエピソードがあります。父親である社長は犬を3匹飼っていました。飼った経験のある人なら理解できると思いますが、犬小屋は毎日掃除をしないととんでもない匂いがしてきます。そこである日をきっかけに雨の日も雪の日も365日1日と欠かさず犬小屋に飛込み徹底的に掃除をし餌をやり始めたのです。動物は接すれば接するほど可愛いものです。私も20年ほど前までは大型犬3匹、ヤギにうさぎ、日本猿を飼っていましたがこればかりは愛情がなければ決して世話などはできるものではありません。当然会社の3匹はまるで子供のように私になついてそれは可愛いものでした。私が出勤すると車を見つけてすごい喜びよう・・・!大切にすれば犬でも分かる、ですね。
1年くらいしてからでしょうか?その中の1匹の様子がある日突然おかしいのです。毎日持って行く好物のビスケットも口にしなくなりました。何度も声をかけ励ますのですが様子がおかしい?ずーっと横になったきり動こうともしない。私は昔可愛がっていた猿を日射病で死なせてしまった経験があって動物の体調管理にも十分気を配りそれだけに犬小屋の清掃は磨きあげるように綺麗にしてきたのですが。
社長がゴルフで不在の日、あまりの急変に動物病院へ急いで連れて行きました。医師は懸命に手術を施してくれましたが末期がんということで二度と可愛い目を開けることはありませんでした。(つづく)


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岡部俊雄

管理人 : 岡部俊雄
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