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 波島陽子チームの快挙 !

日本橋から2

昨日(20日)、私は波島チーム(団体)が参加した全国芸能大会予選会を観に行ってきました。
ずっと1年間お稽古を見守って来ただけに様々な苦労等々自分のことのように見てきました。

それが予選会では圧巻の演技(おどり)を披露したのです。

全国大会

昨日予選を通過し、本日が決勝戦。
そして堂々3位という輝かしい成績を収めたのです。 心からおめでとうと言いたいですね。
9人の仲良しチームは素晴らしいリーダーの下本当に良く頑張りました。

「どうしても予選を通過したいんです・・・」と波島教室の門をたたいたのが一昨年の丁度今頃でした。
今までは他の先生から指導を受けていたのですがこの入賞したいという気持が浅草まで足を運ばせたんですね!
しかし、当時は「どうしましょう・・・?」というくらい日本舞踊の基礎が出来ておらず、正直頭を抱えたのは私だけではなかったはず。
ところがそれから1年間の努力が実って昨年は予選通過どころか入賞を果たしたのでした(拍手)。

勿論昨年も私は会場に足を運びましたが、予選を通過しまだ明日決勝があるというのに、「チーフ!来年の振付を先生にお願いします・・・」と言われたのを本当に昨日のように覚えています。よほど嬉しかったのですね。

それから今回の作品に選んだのが「日本橋から」でした。
この作品をどう振付けるのか非常に興味を持っていましたがまずそのキャスティングに驚きました。
女将さんがいて若旦那、そして芸者さんに丁稚さん、魚屋に女中さんたちというまるでお芝居仕立ての構成でした。
この振付に正直波島は相当苦労したんだと思う。 それは全体像が見えてきたときそう思いました。

しかし、さすが舞台女優でした。
昨日の予選会で私が関係者だということを差し引いてもあまりある出来栄えだったのです。
本当に和製ミュージカルと言って良いでしょう!司会者もそう絶賛していました。
「まるでお芝居を観ているようで素晴らしい・・・・」と絶賛の声が会場いっぱいでした。
私は予選会の成績(発表)も知らず仕事の関係で先に戻りましたが、この作品は優勝に匹敵する、そう確信を得ていました。
もし、3位以内に入らなかったら絶対に審査員がおかしいからね・・・・と言い残し帰ったのです。

そして先ほど(11/21 18:56)「3位です」・・・・のメールに出会ったのです。
良かった良かった・・・・本当に良かった!  喜びの団体さんたちに今すぐにでも会いたい!そんな気持です。

改めて波島陽子の振付と指導には敬意を表したいとともにその素晴らしさに本当に頭が下がりました。
勿論、どんなに素晴らしい作品でも踊り手にその表現力が無ければ良い作品には成りえません。
リーダーを先頭に、このチームワークの良さに心から拍手を贈りたいと思う。これは実力です!皆さんが自身の力で勝ち取ったんですよ!本当におめでとう。

豪華な衣装で勝負して来たチームには会場の観客の皆さんもどうしても目を奪われがちになります。「この勝負、心で舞うんだよ・・・・」それを実践した我がチームの心が判定に結びついたのでしょう!
感動とはそういうものです。

良かったですね。1年の締めくくりに素晴らしい出来栄えです。素晴らしいニュースをありがとう!

この作品「日本橋から」を観たい人は来年2月9日の波島陽子日本舞踊教室の「光春譜」の舞台で観ることができます。(詳しくはhttp://www.namishima.jpでご案内しています)

 雷門の赤ちょうちんが新調されました

雷門

18日に浅草寺の雷門赤ちょうちんが新しくなりました。
高さ3.9m、直径3.3mで重さはなんと700kgのご存知東京のシンボルが奉納されたのです。

このちょうちんは江戸時代末期に焼失した雷門が1960年に再建されてからほぼ10年に1度張り替えているんだそうです。
9月に取り外され、写真の赤ちょうちんを見ていたわけですがそのときに来られた観光客のみなさんには気の毒でした。
10年に1度って初めて知りましたが、さすがに新品は眩しいほどぴっかぴかですね!

私は地元だけにこうしていつも今回のような行事も常に見せて頂いています。幸せを感じます。
ちょうちんの下に「松下電器」とありますが、これは経営の神様「松下幸之助」さんが寄贈されたものなんですね! こうして新しくなっても、パナソニックではなく「松下電器」とあるのは嬉しい限りです。

提灯

今朝(20日8時)も朝陽を浴びてお客様を待つ赤いちょうちんが1日の始まりを告げていました。






 ニューフェース登場 !

お稽古

最近5歳の天才少女(笑)がお稽古場にやって来ました!

まず、覚えの早いのに舌を巻きます。 
子供は覚え(記憶力)が早いと言いますが、今目の当たりに見せてもらっているところです。
今日はほっぺにシールを貼っての登場でしたが、いざお稽古が始まると控えているお姉さん(生徒)たちが一斉に「癒される・・・・!」と釘付け状態です。
「このくらいなうちから私もやりたかった」は本音でしょうね!
特に日舞のようなお稽古ごとは5歳くらいから始めたら素晴らしいことは分かっています。
現在8歳になった女の子(先輩)も丁度このくらいな年齢でのスタートでしたが、現在は他の生徒さん(大人たち)がすっかり「恐れ入りました・・・・」状態(笑)

このくらいな年齢から始めるということは全てご両親の願いでしょうが、そう言えば偶然二人とも日本舞踊にぴったりなお名前です。名は体を表すと言いますがきっと素晴らしい和の大輪が花開くことでしょう。

見ていて先生の根気良さにも感心してしまいます。
50分があっという間に過ぎてしまう指導方法! 心がないと出来ませんね!

この子たちが立派に踊れるようになり、大和撫子となったとき、ご苦労が報われるのかななんて思いながら見ていました。
寒くなって来た昨今にほっと温かい空気がいっぱいでした。

  人生あまりにもいろいろ Ⅱ

以下はある記事から抜粋したものですが、こんな卑怯で卑劣な人ってこの世にいるんですね!

「東京だよおっ母さん」や「この世の花」のヒットで戦後の歌謡史を飾り、「人生いろいろ」で庶民を励ました島倉千代子さんが、肝臓がんのため死去、享年75歳だった。

 島倉さんといえば、決して忘れられないのは、細木数子女史が絡んだ愛人の借金問題だ。ヒット曲を次々に飛ばして大スターだった島倉さんは、1961年にファンが投げたテープが目に当たって失明寸前に陥った。島倉さんの目を救ったのは当時、五反田で眼科医を開業していたM医師だった。失明の危機を救ってくれたM医師は島倉さんにとっては“命の恩人”。ところが、その感情がいつの日にか愛情に変わっていた。

 しかし当時、島倉さんは元阪神タイガースの藤本勝巳内野手と結婚していたために、M医師とは不倫関係に陥った。その後、離婚が成立。島倉さんは、晴れてM医師との関係を深めた。

 だが、金のなる木をつかんだM医師は眼科以外の事業に手を出して、失敗。振り出した手形が不渡りになって、2億4,000万円という莫大な負債を抱え、蒸発した。すると、手形の裏書をした島倉さんの元には、連日のように暴力団関係の債権者が押しかけ、激しい取り立てをしたという。ショーが終わって新宿コマ劇場の楽屋を出て車に乗ると、暴力団関係者が車のボンネットの上に乗って嫌がらせをするなど、地獄の日々を送った。

 そんな時に島倉さんの前に現れたのが、占い師になる前の細木数子女史だった。2人は「ミュージック・オフィス」という事務所を設立。一緒になって、借金を返済してくれるという細木女史は、島倉さんにとって救世主だった。細木女史と組んだのち、大スターだったため、電車の切符の買い方も知らなかった島倉さんは、借金返済のために電車にも乗って働き続けたという。しかし、働けど働けど、借金は減らず。逆に2億4,000万円が12億円の負債に膨らんだという。

 いくら世間知らずの島倉さんでも、おかしいと思ったようだ。一説には、細木女史は愛人だった暴力団組長とグルになって、島倉さんを騙していたともいわれた。騙されたことに気がついた島倉さんは当時のコロムビアレコードの会長に泣きついて、借金を肩代わりしてもらい、細木女史と袂を分かったというのだ。

 筆者は、この一件について島倉さんに直接取材したが、島倉さんは「細木さんは、一度はお世話になった方。死んでも真相は話しません」と固く口を閉ざした。

 それからしばらくたってから、細木女史が占い師としてデビュー。取材に行った筆者は、細木女史の暴力団組長の愛人について質問したところ、「昔だったら、人別帳に載っていない人」と答えたので、それをそのまま掲載したところ、細木女史から「こんな品性下劣な記者に初めて会った」とお叱りをいただいた。その後、占いなどで暴利をむさぼり続けている細木女史には、その言葉をソックリ返したいと思ったものだ。

 細木女史に見なくてもいい地獄を見せられながらも、再起して歌い続けた島倉さんに、あらためて合掌!
(文=本多圭)

人生、決して人を騙してはいけませんね。 島倉千代子さん!本当にお疲れ様でした。
これからはゆっくりお休みください。 


  権八(西麻布)でのディナーショー

権八にて

この日は西麻布の権八(ごんぱち)でのディナーショーでした。
波島陽子日本舞踊教室の生徒さんがお姫様役での出演。

前日になっていきなり「踊って欲しい!」との依頼。 お殿様と一緒に外国のお客様をお迎えするという打ち合わせが一転「踊ることに」
本人も現場に行くまではそのことを知らず・・・・というハプニング。

「さくらさくら」の日本古謡に合わせ1コーラスで舞台に! 2コーラス目を踊り 音が絞られ(フィードアウト)そこに忍者が登場し姫を襲うというシナリオ。
美しいお姫様、美しい舞、そしてチャンバラ・・・・ それは素晴らしかったですよ。

外国のお客様には贅沢なアトラクションでしたね。
権八の客席をいっぱいにつかってのショーはその雰囲気も手伝ってやんやの喝采でした。

いきなり内容が変更になってもすぐに対応できるって凄い評価を受けました。
さすが・・・・ でした!

 人生あまりにもいろいろ(島倉千代子さん逝去)

「東京だョおっ母さん」「人生いろいろ」などのヒット曲で知られ、戦後の歌謡界に大きな足跡を残した歌手の島倉千代子(しまくら・ちよこ)さんが肝臓がんのため死去したことが先ほど(8日)ニュースで流れました。75歳だったそうです。

 ネットで調べたら、昭和13年生まれ。日本音楽高等学校に入学後、29年、第5回コロムビア歌謡コンクールに出場し、「涙のグラス」を歌って優勝。翌30年、「この世の花」でとありました。
32年には「東京だョおっ母さん」がヒットし、自ら主演して映画化。この年にNHK紅白歌合戦に初出場を果たし、以後、62年に辞退するまで30回連続で出場。
その後、同年発表した「人生いろいろ」が翌63年にかけて大ヒット。バラエティー番組でものまねされるなど若者にもファン層を広げ、紅白に再び出場。平成16年までに出場回数を35回まで出場。

私生活では波乱が多く、一時は億単位の借金を背負い込み、平成5年に乳がんの手術を受け、その後も歌手活動を続けていたんですね。11年、紫綬褒章受章。

どちらかと言うと私は子供の頃から島倉さんの歌は多く歌っていたようです(歌謡曲は母の影響で)。
素敵なお姉ちゃんがとっても可愛い声で歌っていたような思い出があります。

「東京だョおっ母さん」の歌詞に「・・・・ ここがここが浅草よ お祭りみたいに賑やかね・・・」とありますが、大好きだったこの歌詞に出てくる町に私が今住んでいようとは・・・・
仲見世を通るとき、つい口づさんでしまうほど心に温かい気持が伝わる歌でした。

いつも温かい気持ちを本当にありがとう。

ご冥福をお祈りいたします。



 紅葉の地は平家の落人の住い

秋吉郷  寂光院
   秋山郷(新潟)                   寂光院(京都大原)

私は新潟で生まれましたが、学生時代によく訪れたのがこの秋吉郷でした。

秋山郷(あきやまごう)は、新潟県中魚沼郡津南町と長野県下水内郡栄村とにまたがる中津川沿いの地域の名称。東を苗場山、西を鳥甲山に挟まれた山間地域で、日本の秘境100選の1つです。新潟県側に8つ、長野県側に5つの集落がありますが、ここが平家の落人伝説が残る集落なんです(平家一門である平勝秀が落ち延びたとされる)。
昔は交通・通信が不便で、豪雪地帯でもあったことから、独特の生活習慣が残されてきました。
交通の便が悪く、冬季には隔絶されるケースが多く何度も飢饉、飢餓が発生し、時に村全体が全滅したそうです。 現在は国道405号線が津南町大割野から切明まで通っていて、長野県側からは奥志賀林道から雑魚川林道に分岐し、切明まで繋がる林道が整備されており、飢饉、飢餓の危険はなくなりましたが、依然秘境の面影を止めていて紅葉の時期は神秘の世界を味わうことができます。

続いて京都の寂光院(じゃこういん)
私が名古屋時代に15回ほど通いました。 そうか健礼門院はこんな山奥に隠れ潜んでいたんだ!歴史を知れば知るほど興味を持ち大好きになった場所です。
山向こうには大原の三千院があり、春と秋は言葉では言い表せない美しさを目にすることができます。

最後に行ったのが平成6年でしたが、なんとその後(2000年)放火によって全焼してしまったことはあまりにも有名ですね。残念という言葉以外に見当たりません。
何が、どこが美しいってこの大原に見る紅葉ほど美しいところはないのではないかとさえ今でも思っています。
寂光院は『平家物語』に登場する建礼門院隠棲のゆかりの地として知られていますね。
建礼門院徳子は平清盛の娘、高倉天皇の中宮で、安徳天皇の生母であり寿永4年(1185年)、壇ノ浦で平家一族が滅亡した後も生き残り、侍女の阿波内侍とともに尼となって寂光院で余生を送ったところとされています。
寂光院や三千院のある大原の里は、念仏行者の修行の地であり「諸行無常」が分かるような気のするところでした。

戦に敗れし平家と言いますが、まだまだ鹿児島・広島他私が行ったことのない落人の地は全国に多いのだそうです。

秋になるとまず思い出すのがこうした山奥です。
今だから車等で簡単に行けますが、当時はまさかここに潜んでいたとは誰も分からなかったんでしょうね。

静かに、そしてこの美しさに癒されながら生活していたことを思うと感慨無量ですがこれこそが日本人の感性だったのかもしれないように思います。

お稽古場にいっぱいの紅葉を飾りましたが、思い出でいっぱいです。
ああ!ゆっくり出かけてみたいな~ 


プロフィール

岡部俊雄

管理人 : 岡部俊雄
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