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 歴史が自分を育てる 3

日本舞踊の中に「新舞踊」というジャンルもあります。演歌や歌謡曲、ポップス等を着物で踊るのがそれです。ある日波島先生にこんな振付けの依頼が飛び込んで来ました。
その方は年令が60歳くらいでしょうか?昔からイギリスのアーティスト・エルトンジョンが大好きだということで、何とか彼の作品を踊れるように振付けてくださいという依頼でした。1ケ月後に完成した「サークル・オブ・ライフ」はみごとな作品に仕上がり現在その女性は毎日先生のお稽古ビデオで練習中とか。
自分だけしか持っていないということも満足感を増したのでしょう。扇子を使って好きなアーティストの楽曲を踊る。そしてまた1ケ月後に再度制作依頼が舞い込んで来たそうです。
この作品に限らず、日本舞踊もそうですが特に新舞踊の作品で踊りに用いられるのは、それが近松門左衛門であったり多くの歴史上人物背景が描かれた作品が多いのです。日本舞踊はこうして日本の文学にも触れることが出来ますが、意外と若い人はそれを知りません。文化や伝統を伝えたいと願っている波島先生には最高のお稽古場になっているようです。それより嬉しいのはそれを学びたいとする若者がこんなにもいるということですね。
歴史を知ってもなんの感動も興味もない人がいない訳ではありません。日本舞踊だけでなく、人のために命を落としてまで世の中を良くしようとした人物や、偉大な母の愛で大成した話。主君を思って命をかけて公儀にもの申した話。間違った政策で国を戦争という最悪な世界に導いた者。何故桜田門の変があったのか等々興味深く意義深い史実がたくさんあります。
日本特有の技術で家庭が社会が大きく動いた発明神話。決して他人事でなくその歴史や背景、そしてそれらの影響等を知ることで今の自分を再検討できるかも知れません。
特に若い人は是非様々な歴史に触れて欲しいと思います。便利になったネット社会を悪用するのではなく、今一番求められている心の問題であれば積極的に学ぶことで道は開けるように思います。
普天間基地の記事の隣りに、その記事よりも大きな扱いで紹介されている「沢尻えりか離婚か!」はあまりにも平和ボケしているか将来を危惧するほどの不安が過ぎります。
自分の考えに参考になるようなそんな勉強を楽しみながらやって欲しいと祈るばかりです。

 人名、会社名等(著名人は除く)は仮名ですが内容は全てノンフィクションです。
 【俊介の部屋】は平成21年6月4日にスタートしました。(毎日掲載しています)

 歴史が自分を育てる 2

なかなか映像では目に出来ませんが、万博会場の上海で極普通に男女に関係なく外へ「パジャマ姿」で買い物等まだまだ平然とその状況が続いています。国や万博関係者の指導は一生懸命行われているようですが元々の心つまり考え方が変わっていない訳だからそれが正しいか否かすら判断できないでいる国民が多いようです。
大きく言えばそれも中国の文化です。
「マナー向上」、特に万博のような国際的イベントでは中国当局も頭を抱えていることでしょう。北京五輪のときもそうでした。こうした大イベントを機に変わろうとしていることも良く理解できます。
そう考えて見ると日本の文化はマナーそのもののような気もします。マナーとはと言われてみなさんがどう答えるかは分かりませんが、基本的には「美しさ」を指すことだと思って良いと思います。つまり、この美しさが心の持ち方にあることを日本は歴史が証明しています。日本人としての国民性と言っても良い素晴らしい文化に歴史があるということです。
「相手を思いやる心」「おもてなしの心」「謙虚さを秘めた心」「感謝する心」「そっと添える笑顔」それらが美しく表現されてこそマナーだと思うのです。
そう考えるとこれだけ発展途上にある中国をどう見ますか?日本人は基本的にもっともっと自信を持つべきです。こうして自信を持てる日本人でありながら日本の歴史に無関心で知らない人(若者)が多いのではないでしょうか?
現在浅草で日本舞踊を教えている波島陽子先生の生徒さんに触れると心から嬉しくもあり感激します。生徒さんの平均年齢は約24歳位ですがここに習いに来ている生徒さんがまさに共通した目的を持っています。
「日本人なのに日本の素晴らしい文化を知らなすぎる」
「着物が着れるようになりたい」
「日本舞踊を習うことでしぐさやふるまいを学びたい」
「着物で美しさを表現できるようになりたい」
生徒さんは1回も休むことなく会場周辺は勿論ですが横浜・八王子・大宮・松戸等遠方からも通って一生懸命だそうです。先生のところだけで40人近くのこうした生徒さんがいるんですからやはり日本も捨てたものじゃないと思います。(つづく)

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 歴史が自分を育てる 1

時代が変わることで小林一茶なんか知らなくても! 静御前を「せいぎょまえ」と読む若者がいたりで歴史って大切だと思うんだけどもう古い人間なんだろうか?
地域振興事業にその企画の提案等で多くの市町村と関わりを持ったことがありますが、その殆どが地元の歴史上人物や名所旧跡を前面に推し出そうとする案が多くあります。
トロピカルな世界を求めて美しい海に出かける。東京ディズニーランドで童心に帰る。大自然との触れ合いを楽しみたい。これも大切な心の旅です。新婚旅行でヨーロッパやアジア諸外国も人気スポットのようですがこれとて歴史を知らないと楽しみ方も半減してしまいます。
私が初めてイギリスを訪れたのはやはり地域振興事業の提案のための視察でした。イギリスというと非常に浅い知識だけでしたが、当時は「妖精(フェアリー)」を学ぶことが目的でしたので、当時明星大学教授の井村君江先生がご一緒でした。NHKエンタープライズのスタッフ、学研の編集長等との訪英でしたが、歴史の先生が一緒だったためこれぞ生きた授業の毎日でした。実際にワイト島に行ってもマラザイアンに行っても歴史に裏打ちされた旅は充実感でいっぱいでした。
大英博物館の案内は先生直接ですからそれはもう大変な体験となりました。博物館の関係者とも知り合いのため普段見れない作品まで見ることも出来たのです。ここで痛感したのがやはり歴史の大切さでした。歴史を知ることで時代背景とともに観るもの聞くものがなるほどとなる訳です。
勿論風土気候が違うため日本の美しさとは違った景色等に遭遇します。日本との親交が深かったために桜や菊の花に出会うこともあるそうです。ハワイやグアム、シンガポールや台湾、モンゴル他訪れたそれぞれの歴史に触れ更に日本の素晴らしさが分かるような気がしました。やはり日本人は日本をまずしっかり学ぶべきだとも改めて思うのです。食べるもの着るものそして何より言語に至ってはそこに日本の血が流れているが如く自然なのです。
現在上海万博が開催されるに当たって、何度となくリハーサルが行われていますが、その光景を我々は日本人として見ているはずです。だからそこに違和感が生じたりもするのです。日本では考えられないマナーの悪さは長い歴史が築き上げてきたものだからそう簡単には良くならないでしょう。(つづく)

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 誰にだって人生を変える出会いがある 5

孫悟空が大暴れして自由気ままな姿に三蔵法師の戒めがあった話はあまりにも有名。どんなにあがいても結局お釈迦様の手のひらで泳いでいたというのも仏の教えのひとつでした。
孫悟空が出会った三蔵法師こそ彼にとって大きな出会いでしたね。最近は時代小説から歴史的人物を描いた作品が多く登場しています。近年で言えば「篤姫」「直江兼続」「坂本竜馬」等々その時代に多大な影響を与えた人物です。それぞれにこうした人物がどれほど大きな影響を受けることになったか全て出会いの中で読みとることができます。
ここでそれぞれに共通しているところがあることに気づきます。それは殆どと言って良いほどその人物たちにはしっかりとした「志」があったということです。
つまり類は類を呼ぶと言ったら良いでしょうか?志のない者に素晴らしい出会いはないと言っても良いかもしれません。この者を育ててみたいと師が思えるということは何かを感じることが出来るからだと思います。
今から150~160年ほど前にウィリアム・スミス・クラークが札幌農学校に赴任当時「少年よ、大志をいだけ(Boys Be Ambitious’)」と言った言葉はあまりにも有名です。
当時そうした師に巡り合えた学生たちも幸せだったことでしょう。人が人生を歩くときの大切な何かをしっかりと指導してくれた師がいたわけだから。こうした教えに応えられた者そうでなかった者、これこそ人それぞれでしょう。ここで学べることは「志」に金はかからないと言うことです。描いた夢に向かって力強く歩く姿こそ大きな魅力となって人を惹きつけるのです。
志を持つことでそれを育てようとする者が現れます。それが師なのです。志のない者には決してこのような機会は訪れません。志こそ人を動かす大きな力だということも知っておいて欲しいですね。
成功した者にまるで寄生虫のように寄っていく者がいますがこの者たちに共通しているのが「要領の良さ」です。師は金のたまごを本当に良く知っています。人生を変えるほどの出会いはそうした中で生まれるような気がします。
自分は出来る!他の者とは違うんだ・・・とする謙虚さのない人にときどき遭遇しますが、よく見るとその人の出会いは「要領の良さ」で生きてきた人たちに影響されて来たんだと言うことが良く分かります。類は類を呼ぶって本当です。

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 誰にだって人生を変える出会いがある 4

世の中には本当に心から人に優しい人がいます。そうかと思うと常に陰口をたたいたり誹謗中傷ばかりしている人も勿論います。
前にも触れましたが、心の底から感謝の気持ちを持ちながらものごとや多くの人に触れているんですね。人間というのは決して表面だけで判断は出来ないことを私もどのくらい経験して来たか知れません。
お腹が空くことで怒りっぽくなる人間は周りにもいっぱいいます。先日もお話しましたが、自分の思うようにいかないからと怒る人間と様々です。
いろんな経験や体験の中から悟りにも似た心境でいられる人も当然います。昔は先生と言われる人、つまり学校の先生であったり医師であったり僧侶であったり、自然と尊敬の対象にいた人が沢山いました。
ところが最近の先生も援助交際や麻薬、最悪時は殺人にまで発展してしまうケースもよく報道されています。素晴らしい先生像を抱けていた私たちには考えられない出来ごとですが、世の中の変遷はそこまでになったかですね。
立派なことを言っている政治家でも最近の無様な様子にがっかりです。前回の追悼試合の亡き木村拓也コーチの方がどれだけ尊敬できるか知れません。命がけで生きてきた。つまり命がけで家族を守ってきた。見習うべきです。
誰にもある出会いではありますが、ここでしっかり整理して受け止めて欲しいことは、いい加減な人間にはいい加減な人間としか出会わない。一生懸命頑張っている人には不思議と素晴らしい出会いの機会が本当に沢山あります。
どんな出会いがあってもそのチャンスを生かせなければ何にもなりませんが、儲けようとか、自分だけ出世しよう等の心がけはこれもまず駄目です。一生懸命な中にも相手に対する思いやりや労わる心等が備わり、心から感謝できる気持があって相手も心の扉を開いてくれます。
金目当ては金の切れ目で縁が切れます。一銭もかからない心こそ本当の人間関係が築けて素晴らしい出会いに恵まれます。人間は人生に三度のチャンスがやって来ると言われます。大切なのはそのチャンスをものに出来る体制(心)が整っているかどうかの違いだけです。

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 誰にだって人生を変える出会いがある 3

追悼試合
くも膜下出血のため亡くなった巨人・木村拓也内野守備コーチ(亨年37歳)の「追悼試合」が東京ドーム球場で行われた。結果は同級生の谷が劇的な惜別アーチそれも代打満塁ホームランという感動的なドラマで勝利した。
この試合で始球式を行ったのが木村コーチの愛息長男の恒希君(10歳)だ。お父さん譲りだろうか、父の現役時代の背番号「0」のユニフォームでマウンドに登場。小笠原・坂本ら4人の内野手がすぐ後ろで見守る中、力強いフォームで投げ込むとなんと阿部捕手のミットにノーバウンドでしかもストライクが収まった。
もの心ついて何度となく父の雄姿は見ていたと思う。でも今日の試合はまさにお父さんのためのゲームだ。投球を終えて阿部選手にそして原監督に愛情いっぱいの言葉を掛けられた恒希くん。そしてクライマックスは谷選手が打ったホームランボールを渡され抱きしめられて言葉を掛けられた。
その様子は聞こえないが全て見ている我々にも伝わってきた。精悍な顔だちといいお父さんにそっくりだ。傍らで優しく見守ったお母さんの眼差しもとても印象的だった。深い愛情で育てられたんだな~というのが良く分かる。
広島も巨人もなくスタンドは拓也一色だった光景を見て息子恒希くんはこの試合を生涯忘れないことだろう。お父さんからの最高級の贈り物のようにも思うこの機会。つまり彼にとってはまさに人生を変える出会いになったはずだ。
本当に37歳のパパを思うとついつい貰い泣きしてしまう。一生懸命という言葉が大好きだった木村拓也コーチ。まさに最後の最後まで全選手が一生懸命であった素晴らし試合にテレビの前の誰もが感動したことでしょう。一緒に苦楽を友にした選手から抱きしめられてかけてもらった言葉は恒希くんにとって何にも代えられない大きな出会い(財産)だったに違いない。
人それぞれにどこでどんな出会いが待ち受けているか分からないが、一生懸命なお父さんだっただけに大きく成長して欲しいと祈らずにいられなかった。野球は筋書きのないドラマと言うがこれがCMのないNHKで放送されたのも何かの因縁かもしれない。あの感動をライブで味わえたのだから・・・

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 誰にだって人生を変える出会いがある 2

人間というものは決して一人でなど何も出来ないようになっています。専門職を夢見て頑張っている人も様々な関わりがあって物事が進むことを知ります。
経験を積んだ、資格を取った。さあ!これからだと頑張ろうとした時に一番大切で影響が大きいのが出会いです。どんな人に出会うかで人生に大きな影響を与えるか与えないかが決まります。
よく二代目が会社を駄目にしてしまった話はよく聞きますが、それは親子であったとしても人間の魅力や信用、また性格や実力がまったく違います。
今までに本当に多くの二代目を見て来ましたがどこが先代の社長と違うかはみな一目瞭然でした。社員(ひと)に優しくないというのが殆どでしたね。何故そうなってしまうかです。一から始めた先代には必ずと言って良いほど素晴らしい人間関係があったようですね。がむしゃらに進むだけでなく一生懸命やろうとする信念や理念が多くの人に受け入れられた結果が多いようでした。
良き理解者(妻)に出会ったから、素晴らしい参謀が一緒だったから、嫌なことでも進んで忠告してくれるブレーンがいたから。
心を許せる良き友がいて心がぶれることが無かった等々成功者の要因は様々でしょう!
出来あがった土俵の上で勘違いした二代目がどんどん会社を衰退の途に導いてしまうこともしっかり見て来ました。
素晴らしい人に出会いたいと言ってもここが一番肝心で、すなわち本人にそれだけの心の持ち方が備わっていないと人生を変えるほどの素晴らしい出会いになど巡り合えません。
心の持ち方が曲がっていたりすると世の中は本当によくしたもので、間違った考えのスペシャリストの餌食になってしまうのも残念ながら事実です。つまり悪い方へ悪い方へと引きこまれてしまうのです。
人を騙したり、社員に過酷な労働を強いる等も考え方で変わります。
カラオケや食事に出かけて体験したことないですか?受付けで本当に失礼な応対をする社員。カラオケって楽しむために出かけるんじゃないのかと思う場面を見ることがあります。私がそう思っている訳だから少なくとも私との接点は無くなりますね。とても感じの良い応対であれば私も多くの友に「あそこのカラオケ店は素晴らしいよ」と間接的にも宣伝をしてしまいます。(つづく)

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 誰にだって人生を変える出会いがある 1

出会いのひとつに名古屋の老舗の専務を挙げることがしばしばですが、当時この会社にいるときに出張で出かけた倉敷である女性に再会しました。
まだ社会人駆け出しの当時倉敷の水島コンビナートに2ケ月滞在していたときに出会った女性です。朝の体操でバーベルを鎖骨に強く当ててしまい骨折したのです。当時寮にいた私は誰も知らない地でしたが、たまたまセールスに来た化粧品のセールスの女性でした。私より7~8歳年上だったと思います。彼女は急いで病院を紹介してくださりそのまま別れました。
私が名古屋に勤めたのはそれから半年後くらいでしたが、5年ほどして倉敷に出張に出かけたときの再会だったのです。たった5分ほどの骨折事件の現場の対面でしたが、その後お礼状から暑中見舞い年賀に変わりずっと出し続けたのが縁だったのです。
2年に1度くらいの近況報告が今では懐かしく思いますが、当時から彼女は私を励まし続けてくれました。彼女は、「私も岡山県を代表できるよなセールスウーマンになるからあなたも頑張ってね!」等々の文面が思い出され懐かしいですね。
私が独立した頃に初めて彼女にお中元商品を30人分お願いしました。注文票を送るとまもなくして電話が来ました。「この様なお客様とお取引するようになったのね!」と自分のことのように喜んでくれました。
彼女は当時岡山支店の支店長に登りつめていました。ふしぎな喜びと興奮を覚えています。ポーラーの製品は高いのでなかなかと思ったのですが、取引先の本人に送る物よりその奥様に贈った方がと考えての注文でした。人が見ていないところでこそと言いますが、そうした心の張り合いみたいなものが若い自分に勇気とぶれない行動力を与えてくれたように思います。
一通の感謝のはがきからこうして何年も何年も年に2回のはがきを送るようになりましたが私には本当に不思議な縁でした。
どこにいてもどんな仕事をしていても、名古屋の専務(今は会長)や岡山のその女性を忘れたことはありません。出会いのひとつではありますが独身のときに良い出会いであったことは確かです。

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 人はなぜ怒るのか 4

私が20代のときに出会った老舗の経営者は今でも恩人として感謝の気持ちを忘れたことがありません。同族会社ではありましたが、当時の専務の厳しさは今でも身震いをするほどです。当時40歳になるかならないかの頃だったと思いますが本当によく勉強をされていた専務でした。
若輩者の私でしたが、人一倍好奇心が旺盛で行動力のある私に様々に学ぶ機会を与えてくれた専務です。よくいろんな企業でセミナーと称する勉強会に社員を送り出しますが、当時の専務の送り出し方は実に巧妙でした。というより乗せるのが上手だったと言った方が正しいでしょう!。
私はその期待に報いるために真剣に取り組みました。その当時出会ったのが「長崎屋の崩壊」のコーナーで述べた面々です。今こうして頑張っていられるのも当時の専務のお陰以外のなにものでもないと言っても過言ではありません。社長は病弱で覇気がなく事実上の専務がトップだったのも私には良い出会いだったと思っています。
専務は当時「日本青年会議所」に所属しており、全国大会で個人優勝をし日本代表で世界大会にアフリカに行かれました。心から私の励みでしたね。
親の背中を見て育つと言いますが良い親分に巡り合えたことに心から感謝の気持ちでいっぱいでした。いかに経営者として、いかに上司として、勿論親として、従業員や子供に見せる姿勢が大切かということです。
実体験やすぐそばで観察してきて思えることは、指導力のない者ほど吠える(怒る)ということです。
指導力のある人は心で相手を動かすことができます。従って褒めることの方が断然多くなります。褒められた者はまるで子供のように内心では大きな喜びの中に「やる気」が充満し効果を生んでいくのです。
「日本一の販売員になろう!?」と頑張った姿をきっと温かく見守っていてくれたに違いありません。そんな上司(経営者)になんとか力になろうと頑張る勇気が湧いてくることこそ必然です。
指導力がないから怒る。会社や家庭に限らず、結構そうした人物はわがままで自分勝手ですから結婚してもなかなか難しいのは直りづらいと思って正しいでしょう。なぜなら、人としての優しさがあってこそ指導力とも言います。
尊敬されついて行きたいと思われる人物は基本的に人としての優しさがあることも併せて知っておいてください。
勿論幸せになる秘訣は、自分がそうした人を求めるのではなく、自らがそうした人間になれるよう心がけことが一番大切だということも知っておく必要があります。

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 人はなぜ怒るのか 3

よく渋谷や原宿でスカウトされましたという人気タレントがいますが、このスカウトの感性と見る目は凄いものがありますね。当然素人の頃と人気者になってからの写真を見比べると大きな変化に気づきます。
それは間違いなく原石を見つけたということに他ならないのです。
新入社員の殆どは、真摯でフレッシュな気持ちで「よしやるぞ!」と入社したはずです。そのあらゆる原石を生かすどころか殺してしまっている上司や経営者の多いこと。
私は人生で4回ほど会社を立て直したいとする社長に声を掛けられ各々の会社で本当に様々な体験をしました。1つの会社は今でも素晴らしい光を放ちながら輝いています。しかし、その他の3社は同じ理由で躓き足踏みはおろか非常に伸び悩んでいます。
他の空気を入れることで社員に刺激を与えることと一歩踏み出す勇気(方法)を欲していたはずです。実話として前にも紹介しましたが、途中まではそこの経営者も社員の変わり様等でこれはいいぞと拍手喝采でした。私は改革や改善を使命として参加した訳ですから遠慮をせずにどんどんと手を加えていきます。
嬉しいことは、いずれも社員は将来に期待が見えて頑張ろうと奮い立ってくれたことです。
ところがです、ここで一番厄介なことが待っています。それは経営者の心の持ち方でした。根気良く指導していても横から良いとこ取りと言うのでしょうか?いかにも自分の考えのように経営者風を吹かせながら口を挟んできます。会社の経営者だから悪いとは言いません。今まで出来なかったのはその方法を知らなかったのと実践する勇気が無かったからなのに、いかにも自分もそうやって来たんだといった心になってしまうから本当に厄介でした。
経営者(社長)以上の企業には成長しないとよく言われますが、その意味をまったく理解していない経営者がいるということです。最後にはきっと「ここは俺の会社だ!」となるんでしょうね!
つまり、どのようにでも成長し化ける原石であってもそのような経営者の元では宝の持ち腐れに等しいのです。野球で例えたように、この者はどのポジションが適しているのかの見極めと、見極めて配属してからの専門指導をしっかり見習うべきでしょう。先日37歳で惜しくも亡くなったジャイアンツの木村拓也コーチ。彼は自分を知りその努力で投手以外を務められる名選手になりました。記憶に新しい場面でしたが、2009年9月の最後の砦(捕手)を見事に守ったその姿は野球フアンなら誰もが大きな感動として生涯忘れないはずです!そしてその労をねぎらった原監督が子供の様に顔をくしゃくしゃにして木村捕手を出迎えたあのシーンこそ最高の選手と監督の絆(すがた)でした(つづく)。

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 人はなぜ怒るのか 2

多くの企業でも同じことが言えますね。一生懸命営業して来た社員に向かって「今までどこで何してたんだ?」は本当によく見かける光景です。
もしかするとどのように営業したら良いか?どこに行ったら良いか等不安ばかりで結構無駄な時間を費やし、しかも成績は上がらずに会社に帰るなんて日常茶飯事だったはず。
中には先輩や上司よりも営業力に富んでいて素晴らしい成績を上げる者もいない訳ではありません。成績を上げた社員が良い社員でそうでない社員はどうしようもない会社のお荷物だと最初からは決められないでしょう。
これが1年も2年も経ってまでもうだつが上がらないようなら問題ですが、人間は不思議なもので誰にでもその人にしかないような素晴らしい面が必ずあるはずなんです。つまり、そこを見抜いて指導できなかった方にこそ問題があると考えた方が正しいでしょう。
そこに、間違って幹部(上司)になったような先輩がいたらそれこそそれを野球用語でアウトと言います。指導や教育ほど難しいものはないはずです。冷静に考えれば指導すると言っても上司は自分の技量以上のことを指導することはできません。ところが、そこが人間の不思議なところで、選手当時はそれほど活躍出来なかったのに指導者として大成したという例は少なくありません。そう言うことです。それが人間力の素晴らしさであって一人一人必ず素晴らしい面を持ち合わせている証拠なんです。
前に私の従弟のお話をしました。彼は野球バカで勉強が苦手でしたが持ち前の明るさで野球を続けることで自分の道が開けた典型と言って良いでしょう。どんなに努力してもレギュラーになれなかった彼に高校時代の監督は左で打つことを薦めました。それが功を奏して甲子園出場をかけた県大会準決勝決勝で大活躍。優勝は出来ませんでしたがそのお陰で大学から推薦入学という道が開けたのです。
大学でも野球が出来ると張り切ったに違いありません。しかしレギュラーになれないまま3年生の春コーチになることを監督に命じられました。(詳しくは前に述べてありますが)
本心は彼の涙でその抵抗の度合いが分かります。現在大学の教員として活躍出来ている原因は当時の監督の子供たちを見る目にあったと言っても過言ではありません。私はここに真の指導者の姿を見た思いでいました(つづく)。

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 人はなぜ怒るのか 1

ここでは怒る対象を職場の上司、経営者、教師、そして親と考えてお話してみましょう!
よほどのことが無い限りこの人たちは部外者の前では怒ったりの態度は見せないものです。これも全て経験や実際身近で見てきた事柄を総括して考えてみました。
以前、あれこれと経営者の実態をお話しましたが容易に解釈できるのはそうして怒る者たちは人間だからです。怒ってしまった後に「あれほど怒鳴らなければ良かった」と後味の悪さを感じているはず(そうであって欲しい)。まだそう感じてくれるなら救われます。
つまり、一様にこの人達は決して良い指導者や親に恵まれなかったと言って良いでしょう。子供は親を見て育つ典型ですが、特に悪いことは良く似るものです。
怒る理由は至って簡単です。まず自分が思っているように動いてくれないと爆発しますね。特に親子でない社員などは育った環境や性格、ものの考え方が本当にそれぞれです。またそれで良いのです。個性があってこそ人間らしくもなりますがそれを自分に合わせようとする上司がいます。ここから間違いは始まりますね。
そして自分の考えと教育の名の元で一生懸命教えたつもりになるのです。従って何かの指示命令を下したときにそれが出来ないと「どうしてできないか?」となります。
「野球は人生の縮図」と言った人がいますが、良く考え整理し理解してみてください。本当にその通りです。全員が投手をやったらゲームになりません。誰がどのポジションに適しているかを見極めようとコーチ監督フロントは必至です。投手が良いと思って獲得しても一塁手等に転向したなんて事例は沢山あります。有名な話ですがあの世界一になったホームラン王の王貞治選手。学生時代は早稲田のエースとして活躍し注目され読売巨人軍に入団しました。彼がもし最後まで投手だったら一体どんな野球人生を送ることになったでしょうか?
当時王選手のコーチだった荒川氏がその打力を見抜き徹底して打撃の指導を施しました。
そこで生まれたのがあの一本足打法です。フラミンゴと言われ歌にまで歌われました。期待を裏切らずとうとう世界の王になった話はあまりにも有名です。
王選手の性格や特徴、何よりも彼の一番素晴らしいところを見出してそこを指導したコーチ監督の功績です。そして彼は不動の4番となり1977年国民栄誉賞第一号となります。
こんなに素晴らしいお手本がありながらその夢に憧れ怒りまくっている指導者が少なくありません(つづく)。

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 なんとかなる 2

懲りない面々という言葉がありますが、今度は子供たちになんとかならなかった事件の結果が出ました。
プロボクシングで話題の亀田一家の大黒柱三人の息子たちの父亀田史郎氏に事実上のボクシング界追放の断が下ったのです。
格闘技の世界は他の競技と違い、その肉体をダウンするまでつまり殴り続ける訳だからその気構えたるや想像を超えたところにあるという感じは理解できます。ただ、これがスポーツというところにあるはずなのにこれこそ感情が優先し我が心を失ってしまうほどの興奮がルール違反となりまた醜さまでをも生んでしまった行動に最悪の裁定が下ったのです。
これは自業自得と言われても仕方の無い現実ですが、もっと周りに冷静で指導力ある関係者がいなかったのかと残念で仕方ありません。子供たちは父を信じここまでの成長を見ました。
それも今回の事件で全て子供たちは振り出しに戻ってしまったのです。「強いことの驕りですよ」と語った人がいましたが本当にそう思います。若者を育てる時に「素直」「謙虚」「笑顔」と原監督は言いました。私はそこに「感謝」を加えましたが、そういうことだったのです。
結婚の相手が決まって良かったと幸せ気分の若者たち。本当に相手を幸せにしてあげないと必ず天罰がありますよと声を大にして言いたい。幸せだと思って結婚した新妻に待っていたのが不幸の始まりだったということの多いこと。
人を愛するということ。相手を思いやるという心。これは本当に「素直」「謙虚」「笑顔」「感謝」の何ものでもないことを改めて心に刻んでください。上向きになった人の驕りたくなる気持ちは人間だからです。今回の亀田事件を見て学ぶことが出来たら、あなたはきっと幸せになれます。
亀田三兄弟もここまで練習して来たんです。あと必要なのが「素直」「謙虚」「笑顔」「感謝」です。三兄弟それぞれに熱狂的な応援団がいるのです。決して諦めず頑張ってもらいたい。父親と違い若いのだからやれば必ず出来ます。今度磨くのは心です。そうすればなんとかなるから!
これは決して亀田家の父親の話ではありません。あなたにもそうした危機が潜んでいるかも知れません。心から人を愛する優しさを磨いてください。

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 なんとかなる 1

若者の中には「好きな言葉」に「なんとかなる」を掲げている者も少なくありません。好きな言葉というよりも行き当たりばったりと言った方が正しいようです。それが定職に就かない若者を育てた要因でもあります。確かに「自由」や「好景気」がなんとかなるにしたのかも知れません。
結婚相手を選ぶときに「理想」を掲げるのも滑稽に思うことがあります。特に若い女性が玉の輿にと考えているのを見ると危機感を覚えますね。良縁に恵まれることは素晴らしいことです。しかし、自分が何も返せないのでは悲しいだけです。
やることを全てやり尽くし、準備万端で後は「何とかなる」が大切なんですね。そうした若者にはやはり自信が漲っており輝きすら放っています。
それでも自分ではどうすることも出来ないことがあるとすれば、それが政治の役割になってくるのです。前に中国人の富裕層の若者の話をしましたが、一人っ子政策の犠牲者とは言うもののその犠牲は現在甘えにしか見えません。こうした若者が主導権を握ったら国は一体どうなってしまうのでしょうか?それでなくても国民性なのでしょうか、勉強して努力して資格を取るとその多くは高い方条件の良い方(企業)にどんどん職場を変えていってしまう。どうもこれが現実のようですが、人間だから出来る人間だからやらなければならないことを外して世の中って良くなるんだろうか?
人間は心を持っているということです。情というものがあり、それが家族愛であったり職場の人間関係であったり。
先日亡くなったジャイアンツの木村拓也コーチの意を汲んで全員心をひとつに頑張ろう。それを形に表した光景がありました。試合前、彼のポジションでもあった二塁ベースを囲んで選手監督コーチ陣が輪を作り、最初に原監督が「たくや~・・・・」と天に向かって叫んだのです。そしてチームの一人一人がそれに続きそれぞれの想いを込めてその叫びが続きました。
これこそ「愛」の何ものでもないのです。身震いとともにもらい泣きした人が多かったはずです。新聞には木村コーチの奥様と3人の悲しみをこらえた子供たちの写真が載っていました。コーチになったとき、友人が言ったそうです。家のローンを返すメドが立って良かったなと。球団も選手仲間たちも遺族の心配はいらないからと誓ったそうです。「拓也!なんとかなるぞ!」(つづく)

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 難しいことは優しく

前にある方(ひと)からこんな言葉を贈られました。

難しいことは やさしく
やさしいことは 深く
深いことは愉快に  (井上ひさし)

本当にその通りだと思いましたね。そして同時にとても大切なことでもあるのです。ところがこれがどうして下記のようになってしまうか・・・

難しいことは さらに難しく
やさしいことは 敢えて難しく
深いことは 触れずに

若者に多い現象ですが、「わからないこと」や「深いこと」をごまかしたり、あえて易しいことを難しくいうことで「自分の権威を守ろうとすること」の多いことか。

難しいことは やさしく
やさしいことは 深く
深いことは愉快に

考えてみれば、このことこそが最も「難しい」

理屈で生きるのではなく豊かな感性の中で楽しく行動することこそ大切だと思います。

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 青春とは 

何が出来るか分からない! どこまでできるか分からない! 私は毎日少しずつこのブログを通じて若者に訴えています。一人でも多くのみなさんに幸せになって欲しいと自身の経験や体験を通して心の持ち方の大切さを話しています。
特にこれから結婚しようとしている若者たちに「幸せになれる秘訣」を説いています。楽しい話、悲しい話、辛かった話。そんな中でやっぱり嬉しかった話が沢山あったことも伝えたいのです。
私は50歳になって思いました。父が亡くなったのが52歳だったから特にそう思ったのかも知れませんが、青春時代は無我夢中で多くの皆さんに可愛がられながら過ごさせて頂きました。面白い、楽しい人間であったお陰だと思います。
52歳の父はすっごく大人に見えました。私が同じ年令に達したときに感じたことは、いかに自分は子供だったかということです。でもそれは違いましたね。確かに気持ちは人一倍若いのは否定しませんが、いくつになっても夢を持ち続けて楽しんで日々を過ごす自分自身をみて、「そうだよ!自分はとうの昔に青春時代は終わったかもしれないけど、今も青春しているんだよ」と。
その後、米国の詩人「サミュエル・ウルマン」のこんな作品に出会ったのです。
『青春とは人生のある期間をいうのではなく、心のあり方をいう。人間は年令を重ねたときに老いるのではなく、理想をなくしたときに老いるのだ』と。
その通りだと思うし、この作品に出会う前からまったく同じ気持ちで生きてきた自分がそこにいました。信じていたこと、思っていたことがこうして人生の大先輩が作品にしていたことに更に自信を深めました。
私にできることは何か?そのひとつにこうしてブログを綴っていることも実行力をもって歩けていることに感謝しています。
私の息子も人一倍明るく楽しい性格に成長してくれました。ここに素直や謙虚さが加わったら鬼に金棒です。
でもそれも心配ないようで安心しています。
長崎屋の崩壊と題した理由は決して長崎屋を批判しているのではありません。長崎屋やそうした企業にも当然素晴らしい人材はたくさんいたはずです。しかし、好景気という油断の種を摘むこともできず錯覚した若者(それも役職者)がもし心の持ち方を間違えていなかったらと訴えたいのです。今からでも遅くありません。人間がどんな形で生きていくにしても、一番大切なことが心の持ち方だとを改めて知って欲しいのです。

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 長崎屋の崩壊 5

私はここに「長崎屋の崩壊」としましたが、それはいくつか述べた集大成のようなもので崩壊すべくして崩壊していったと言って良いでしょう。
私と付き合っていたフロア長や一部担当者は途中で退社し自ら事業を興した者もいました。中には夫婦で頑張ってペンションを経営し今では人気のスポットになっています。
分かりやすい言い方をすれば、当時そうした担当者はみな一様に威張っていました。裏で接待や招待は当たり前だったでしょう。
いつだったか、私は群馬県のあるショッピングセンターの本部の担当者と意思の疎通を図ろうとやっと昼食を一緒にできる機会を得ました。世間話も大切な営業だから当時は嬉しかったですね。スパゲッティー程度でしたから二人でも2,000円以内です。当然私のお客様なので私が支払おうとしました。すると若い担当者は「それは駄目なんだな!どんな小さなことでも取引先に接待やこうしてご馳走になっていけないのが当社の決まりだから」と、各自で支払うことになりました。
きっちりしていて清々しい!こういう会社と仕事をしたい。正直そう思いました。ところがそれは表面上のことであってとんでもないことでした。休日を利用してゴルフの接待や都内に出かけての豪遊の事実がまもなく判明したのです。従って接待した側に仕事が流れます。これは別に決して珍しい光景ではありませんが、正直者は救われる前に騙されるってやつでしょうか?
ここまでは販売促進を通しての実態を語ってきましたが、仕入担当者に至っては目を覆いたくなるエピソードでいっぱいだったようです。セミナーで、「松坂屋はつぶれる」と聞かされて後、どんどん衰退の道を辿ったのはこうしてセミナーに参加した企業でした。何のために学んだのかさっぱり分からない。勿論私の友に立派な店長職もいました。その者はイトーヨーカドーに引き抜かれ頑張っています。
会社の体質は社長ではどうすることも出来なくなるのがこうして大きくなった企業です。私がここで述べたいことは、これらは決して職場での心の持ち方ばかりではありません。立場が変わると錯覚してしまう者の悲劇と、その為に会社に傷をつけられた経営者の悲劇です。
「お客様」と謙虚に呼べる心で、そのお客様にどうしたら喜んで頂けるだろうかと考えたらやらなければならないことはいっぱいあった筈です。崩壊したことを世の中の景気とか経営者のせいにする者がいますが大きな間違いです。あなたの心の持ち方が全てに影響を与えているという自覚と責任感をもって人生を歩いて欲しいと願うばかりです。

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 長崎屋の崩壊 4

勿論実際の話ですが、岡山の百貨店でのキャンペーンが決まり当日新幹線で会場入りの予定を立てていた彼に一本の電話が鳴ったのです。それは彼女を連れて前日に入ってくれという内容でした。
彼の心に嫌な予感が過ぎったそうです。一旦はお断りしたものの半ば脅されるように呼び寄せられ、タレントを連れて前日岡山に向かったそうです。彼は内緒で女性タレントを別のホテルに宿泊させ、自分だけが用意されたホテルにチェックインすると指定された時間に食事と称して待機していた百貨店側の招きに応じたのです。一人だけで出席した彼に百貨店の担当者は激怒、タレントを連れて来いと相当の剣幕。その様子にやっぱりと察した彼は決して口を割りませんでした。
すると百貨店の担当者は知人に電話をして彼を人気のない場所に連れだすとボコボコにしてしまいました。
彼は翌日の仕事を拒否し東京へと戻るとその月で会社を辞めてしまったのです。
何も知らない私は、久し振りに彼に会ってその事実を聞かされたのです。当時のイベント担当者はどこもが湯水のようにこうした経費を自由に使っていたと言っていいでしょう。それだけに錯覚する担当者が続出したのです。
阪神淡路大地震が発生したときもこんな噂話が流れました。
地震区域にあったダイエーの店も少しだけ打撃を受けたようでした。そのときの仕入れ責任者が誰であったかは知りませんが、各取引先に見舞金と称して想像をはるかに超える金額を割り当てたのだそうです。
その金額が半端でなかったことから辞退するもの、取引を諦める会社がいくつとなく現れました。結果、災害時前よりも大きな収入になったと語られています。
私はこの話を聞いたとき、おそらくこうした大手のスーパーや百貨店は近い内に必ず崩壊するに違いないと確信していました。残念ながら一部の企業を覗いてバタバタと崩壊していったのはご覧の通りでした。
つまり、本当に経営すると言う姿勢からは遠く離れていましたね。自分がやらなければ食っていけないと頑張っていた自分からすれば無責任な集団だったように思う。経営陣は上辺だけしか見えず一番大切な部分に気づけなっかったようでした。
タレントを必死で守った彼の顔は本当に腫れあがってそれはすごいものでした。なんとしてでもタレントを一人前にするんだと必死だった彼に比べたら人間のくずのようなものです。もっとやりようがあったとしても時代に流された各担当者はまた別の意味で被害者だったかも知れません。(つづく)

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 長崎屋の崩壊 3

何を根拠に言っているのか分かりませんでしたが、セミナーで講義を受けているとき講師はこのように説いていました。「このままだと一番先に倒産するのは松坂屋だ」と。私の会社から50mほどのところに松坂屋本店(名古屋)があり、当時東京の三越に負けないほどの知名度と人気(名古屋で)のあった百貨店でしたのでまったく信用はできませんでした。
つまり、これからの流通業界はここに来ている(セミナーに参加)君たちの双肩にかかっているからしっかり学べと言いたかったのでしょう。それはその通りでしたね。その後優秀な人間はハワイセミナーへと出かけ、その中から各店の最高責任者が誕生し日本中に大型ショッピングセンターが次々とオープンしました。
当時こんなこともありました。それぞれの会社の求人活動で私も沖縄を訪れていました。水光園という小さな旅館(ビジネスホテル)には大阪からダイエーの求人担当者と一緒になりました。
大きな相手に燃えましたね!当時はまだまだそれほどダイエーの知名度もなく私は互角以上の戦いをしていたのを覚えています。
何年かして私が独立した頃はショッピングセンターの黄金時代と言ってもいいでしょう。地域振興のお手伝いと共に百貨店やショッピングセンター、農協等はこぞって販売促進費を使いました。
多くの長崎屋各店に仕事を頂いた関係で私はそこで働く若者たちの姿を本当によく知りました。今考えれば、社長等トップクラスに進言してあげるべき事柄でいっぱいでした。
企業は人なりと言いますがまさにその通りで、心から会社を愛する人間がそこにいたらまだ違った展開になっていただろう思います。前述のように、売上げを達成すれば良いということでいっぱいだった各担当者は本当に大切なことをすっかり忘れていたように思います。
ブロック長の心の持ち方人間性を見てもこれ以上の会社にはならないと思えたのですから当たっていました。私どもは企画を提供運営する側ですからその内容に効果がなければ二度と使ってもらえません。日本中がまるでイベント合戦のようでそれを束ねる専門誌まで出たのですから凄い時代でした。
結局サラリーマン集団のこうした会社は本社が考えている以上の無駄を生んでいたのです。タレントを呼んでのイベントなどまるで担当者の自己満足の一環に過ぎなかった。
私が友として付き合っていたタレント事務所には日本中を騒がす人気歌手が所属していました。事務所では二番手に若い可愛い女性歌手を売り出そうとその友を制作担当とし各地でキャンペーンを張っていたころでした。(つづく)

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 長崎屋の崩壊 2

他の会社でもそうだったと思いますが、当然お店は全国で各ブロックに分かれています。ここに今度はブロック長が存在している訳です。今考えると当時のブロック長はまるで天皇のような存在でしたね。
ブロック長におべんちゃらを言いながら仕事を進める各店の販売促進責任者。当然今度はその責任者が業者に無理難題を押し付けるといった具合です。
仕事でお世話になっていますから、販促担当者が抱えているノルマには出来ることなら協力してあげようと考えます。電気製品の新製品のキャンペーン、羽毛の布団の割り当て、それはそれは次から次へといろんなキャンペーンに付き合いました。
仲間内で商売しているようなもので、これでは本当の成績になどならないと思いましたね。あるときグアム島旅行のキャンペーンでA店の責任者は1人で7人のノルマを抱えていたのです。たまたま当社の社員旅行を計画しなければと考えていたときだったので、10人分、つまりノルマよりも3人多く旅行の申し込みをしたのです。それは喜びましたね。その後シャープから10万円もするようなカセットデッキが対象となりました。たまたま仕事で使える便利な器材であったので知人にも紹介したりで全部で15台を購入しました。
ある年ブロック全体での企画で水上温泉有名ホテルでの招待セールが企画されました。私はその中のステージショーのタレントの仕込みで参加していました。会場では宝石貴金属、毛皮・呉服の展示即売会。
400名もの宿泊ご招待セールも佳境に入った頃、私はB店の担当者からそれほど購入していなかったことに気づき、家内のネックレスをと自宅に連絡をとり、好みの作品を購入する手続きをしていました。
するとそこにA店の担当者の登場です。A店からは暫く購入しなくても良いほど様々に協力していたので今回はと断っていたところでした。購入の手続きを見るなりそのときから彼の態度は変わってしまいました。
私は後日彼にはっきりと言いました。「私は出来る限りのご協力はさせて頂いて来ました。しかし、無理をしてまで購入することは出来ません。そのことが原因で取引できないというのであればお取引頂かなくとも止むを得ません。」
それをきっかけにA店の仕事は激減したのです。そこの店長はたまたまセミナーで一緒に学んだ人だったのでそのこともはっきり言いました。「こんなことでは会社はつぶれてしまいますね」と。
本社は勿論、各店の担当者も自分が使ってやっているというような傲慢な態度は皆同じでした。(つづく)

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 長崎屋の崩壊 1

下の写真をどこかで見た覚えはないだろうか?これは千葉県本八幡駅前のドンキホーテだ。
そうです。今はドンキホーテに変わりましたが以前は大型ショッピングセンター「長崎屋」でした。今では全国のサンバードの看板どころか建物すら見ることはありません。
一時期たいへんな勢いで出店を重ね、幹部候補生は教育の一環としてダイエーやジャスコ、イトーヨカドー、そして長崎屋の精鋭と一緒に私も多くのセミナーで学んだことを懐かしく思い出します。当時私は名古屋の老舗に勤めており、このような小売業の担当者との関わりがその後に起きるとは思ってもいませんでした。
その接点は私が企画制作会社を興して一番先にその扉を開いたのが長崎屋だったのです。私の手元にこれと言った企画が揃っておらず、知人に「セサミストリート」の人形劇の担当者がいたことからトントン拍子に長崎屋の販売促進との関係を持つことができました。
5年10年と経過する中で一緒に学んだ仲間が店長となり一人また一人と各店に赴任して来たのです。
膨大な販促費を使ってくれることで私の会社も大きく潤って行ったのは確かです。ただここで非常に難しい状況に置かれたのもこの頃でした。
つまり、販促費を握っている本社の人間です。全国の企画イベント会社を東京の一流ホテルに集め、長崎屋の今後の方向性(販促)を発表と称し懇親会を兼ねての盛大なパーティーが開催されたのです。各店で1ケ月に1回は最低300万円ほどの歌手をイベントの目玉とする等、その総額の発表に度肝を抜かれたものです。

       ドンキ
           ここは長崎屋でした

これは後で判ることですが、本社の販促責任者の傲慢なやり方が全国の販促責任者にも大きな錯覚を与え、費用対効果を無視したゴージャスな企画が次々へと展開されて行きました。(つづき)

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 残念な花まつり  浅草寺

好天に恵まれて浅草寺恒例の「はなまつり」も最高の盛り上がりを見せていました。仕事の関係で春の風物詩を収めようとカメラ片手に雷門へ。
まるで子すずめたちがはしゃいでいるような光景がまず目に入り、周りはインスタントカメラマンでいっぱい!お釈迦様を乗せた白い象を多くの園児たちが引きながら本堂へ向かいます。素晴らしい天候に一段と賑やかな仲見世通り。

ところがです。ここで残念な光景が目に入って来ました。パレードを囲む大勢の観光客。園児の傍には父兄のみなさんでいっぱい。すると、若い園児の父親が凄い剣幕であるカメラマンに文句を言い出したのです。
彼は我が子をビデオに収めようと一生懸命のようでしたが、自分が撮影するのを妨げられたわけでもないのに一人の一般カメラマンに食ってかかっているのです。その言い方が凄いのなんのって!
「どけよ!ほら・・・! そこをどけよ!」、何回も何回も一般男性にそこをどけ・・・と言っていました。
どうしたんだろうと目をやるとつまり邪魔だとでも言いいたかったようです。自分は関係者なんだ。彼の言い方で喧嘩にならなかったのが不思議です。
写真の好きな人なら分かると思いますが、やはり良いポジションで撮りたいのは誰もが同じです。よく見ると一般男性は決して邪魔でも迷惑をかけている訳でもありません。

   パレード
             パレードする園児たち

あまりにもしつこい彼の文句に一般男性も少し切れかかっていました。しかし、楽しいはずの行事に水をさしてはまずいと我慢したようですがこれは大きな問題ですね。 まして仏様の境内で学ぶ園児の父親です。どう見ても「俺はこのパレードに参加している関係者だ」と言わんばかりです。
こういう言わばまだまだ若輩者が勘違いする光景に周りのおおくが不快感を覚えました。
多くの人が楽しみ、穏やかに過ごしたい日に本当に残念なひとコマでした。私は一般のカメラマンに近寄り、肩を叩いて言いました。「よく我慢しましたね!」と。
広い心とか、譲り合うとか、思いやる等の心のカケラも見当たらなかった若いパパ。自分が中心なんだというような振る舞いに怖さすら感じました。子供の前で喧嘩にならなくて良かった。しかし、幼稚園側でも考えなければならない問題のようです。これでは浅草寺幼稚園は特別なんだという感じがしてとても不愉快でした。周りの数人も若いお父さんに呆れていましたが本人だけが気づいていないようでとても残念でなりませんでした。

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 ゲゲゲの女房 おばあちゃん

若いおじいちゃん!もっと若いおばあちゃん! 昔の感覚からすればそのイメージは大きく変わりましたね。始まったばかりの朝ドラ「ゲゲゲの女房」に出演している女優野際陽子さんが昔々のおばあちゃんを見事に演じていました。
野際さん演じる登志ばあちゃんは、新たな店舗を出すことを計画し商売の手を広げすぎることによって稼業が不安定になることを望まず主人公の父・源兵衛(大杉漣)と鋭く対立していました。その登志が脳こうそくで倒れ、予断を許さない床についたまま見舞う布美枝(松下奈緒)に励ましの言葉をかけるシーンがあります。
家族の温かさが素晴らしく描写されたひとコマでしたが、亡くなってから源兵衛が母(登志)の思い出の品を川に流す下りは更に泣かされました。どこかで味わったことのある温かく懐かしい展開に見入ってしまいます。
今回のタイトルが「ご縁の糸」でしたが、「絆」と言ってもいいでしょうね!一生懸命ではあるのですが息子(源兵衛)は何をやってもうまくいかない。家を手放すことになるようなことは断じて許さないと息子と口論になりながらもやはり母子、温かい雰囲気が漂っていました。
孫(布美枝)はおとなしく女の子が余りにも背が高いことへの劣等感を抱いていましたが、なんとも優しく見守っていたのがおばあちゃん(登志)だったのです。
現代に欠けている何かを思い起こさせるドラマの始まりに最近になく期待してしまいました。
話している内容、話している口調、話しているときの相手に対する眼差し。大切なものを思い出させてくれています。
考えてみれば最近の大人(老人)に、なかなかこうした姿を見ませんね。やはり大切なのは家族の在り方のように思います。一緒にテーブルを囲むそうした家族の団らん。小さなお子さんや中高校生のいる家庭などは、子供たちのために今からでも頑張って絆を築きあげる努力をして欲しいと思いました。
昔が良いばかりではありません。今が悪いばっかりでもありません。しかし、心がギスギスしているような生活がそこにあるとしたら、それを他人のせいにするのではなく、あなたの心で温かさを取り戻してください。さすがNHK,素晴らしい番組に挑戦しているなって思いました。
相手を思いやることは時代がどんなに変わっても出来ないことはない筈です。心の問題は金は一切かからない訳だからやってみませんか?おじいちゃん、おばあちゃんの役割って本当にあるんですよ。

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 やさしい春に癒されて

久し振りにポカポカと暖かい陽ざしに誘われて隅田川へ足を運んでみました。
「春の海ひねもすのたりのたりかな」と詠われたように、そんな気分を味わえるような川辺でした。近頃は学校での教科書の内容も大きく変わって、私が学生時代とは違うみたいですね。
例えば「春眠(しゅんみん)暁(あかつき)を覚えず」という句もありますが、実際この頃の夜は本当に眠り心地が良いので、朝が来たことも気づかずつい寝過ごしてしまうことなどまさにこの句そのまま。
風情とでも言うのでしょうか?やはり日本人なわけで、日本人としての感性みたいなものを素晴らしい作品とともに思い返したいですね。

春
           電車までも春を運んでいるようです

子供   犬
             花びらに大はしゃぎの子供たち?

上の写真は電車ですが、これが蒸気機関車だともっと絵になった。勿論電車の方が良いに決まっていますが、本当はそうばっかりではありません。
私は今日隅田川の桜のアーチを歩きながらゆるやかな風で飛んできた桜の花びらを手のひらに収めようと一瞬真剣に両手で採ろうとする自分がそこにいました。結局5枚くらいの花びらを手にし、ポッケに入れた気分は幸せになれるから不思議ですね。
いろんな春の楽しみ方があるでしょうが、冒頭の句といい、花びらといい、自分なりに春で遊べました。
同時に、今まで出会った素敵な桜を思い出しますが、やはりふるさとの春の思い出が一番のようですね。子供の頃の思い出は成人になってからの思い出とは違って、なんとも懐かしく優しい思い出が甦ってきます。
作品の句のように実感として日本の良さみたいなものを感じながら生活できたことはやはり嬉しく思います。

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 はなまつり

春を少し語ってみましたが、私も寺の子として育ったので今回は「はなまつり」にふれてもましょう。
4月8日は各地で「はなまつり」という行事が行われます。ご存知と思いますがこのお祭り、お釈迦様の誕生をお祝いするもので、お寺が中心となって開かれます。
詳しくは、灌仏会(かんぶつえ)、仏性会(ぶっしょうえ)、降誕会(ごうたんえ)、浴仏会(よくぶつえ)、龍華会(りゅうげえ)などとも言われ、お誕生日である旧暦4月8日前後に開催されるのが通例です。
はなまつりには、華で飾った花御堂(はなみどう)という小さなお堂が作られ、お堂の中には甘茶で満たされた桶が置かれ、その中心には右手を上に、左手を下にした誕生仏という仏像が安置されています。
柄杓(ひしゃく)を使って誕生仏の頭に甘酒をかけてお祝いしたことありませんか?きっとどこかで聞いたことがあると思いますが「天上天下唯我独尊(てんじょうてんげゆいがどくそん)」と耳にしたことありませんか?
お釈迦様が誕生したとき、天から甘い露が降り注いで身体を清めたと言われています。そのときなんですね、お釈迦様はすぐに立ち上がり、7歩進んで右手で天を指し左手で大地を指して「天上天下唯我独尊」と言ったのだそうです。
これは、「この世に自分より尊いものはない。つまり人間ひとりひとりが一つしかない命をいただいている尊い存在である。」ということを意味しているのだそうです。このときの立ち姿が後に誕生仏といわれるようになりました。
ちなみに、花御堂はお釈迦様が生まれたルンビニ園の花園を、甘い露は神々の祝福をあらわし、7歩進んだことは、六道、つまり「地獄道」「餓鬼道」「畜生道」「修羅道」「人間道」「天道」という輪廻(りんね)の世界を超えたことをあらわします。
はなまつりの行事は、法要はもちろんですが、さまざまなイベントが催されます。その代表的なイベントが稚児行列。
その先頭を歩くのは白い象。これは、お釈迦様のお母さんであるマーヤ夫人の夢の中に、六本の牙をもつ白い象が現れ、お釈迦様の誕生を予言したという逸話にもとづいたものです。
稚児行列ははなまつりだけでなく、お寺の他の行事でも行われることがあますし、神社のお祭りでも見かけることがあります。意味は「無病息災を願う」「子供の成長に感謝する」「小さな子供は大人よりも心が清らかで祭礼奉仕をするのに適している」など諸説ありますが、子供達がキレイな衣装を身につけて、平安貴族風お化粧をしている姿は、あまりの可愛さ&可笑しさに自然と顔がニコニコしてしまうもの。
私も稚児行列には3回ほど参加しました。貴重な体験はやっぱり宝物ですね。

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 北国の春

春という響きは大好きです。4月や5月に生れた人たちは世の中が明るくなるような季節に生れて来たわけですね。私は雪国生れであの豪雪地帯で育ちましたから春の喜びはまた格別でした。
今と違って、子供の頃の冬は全ての道路が雪で車はまったく通れなくなります。今でこそ除雪車や様々な対策で真冬でも車両が通れるようになっていますが、雪国育ちでないと想像もつかないでしょうね。
学校へ行くのも、今まで近道していた道路も全て通行できません。降雪量だけでなくそれぞれの家から降ろされた雪で更に高くなった道路。平均すると道路と2階の屋根が殆ど一緒。町中で家が密集しているような道路は電線をまたいで通るなんてことも普通でした。
そうした環境に育った子供たちは遊びが上手でしたね。本当に遊びの天才でした。整備されていなかった川辺などは、自然な土手の姿にこんもり積もった雪と川のコントラストは今では中々見ることができません。
4~5ケ月振りに見る土に感動した当時を春先になると思い出します。春の芽は格別な色を見せ心を躍らせてくれました。
知らず知らずのうちに感性が磨かれていたようにも思います。そんな田舎ですから助け合うことも素晴らしい人情とともに覚えたのでしょうか。
窓を開けるとまだ外は真っ白でも春の風ははっきりと区別がつきました。勿論陽ざしも違います。閉ざされた冬の陽ざしよりはっきりと強い光を感動しながら浴びたものです。
時代がどんどん変わっていき、なかなか出会えない人情ひとつとっても最近の世の中は不安材料が多すぎます。
同じ春のはずなのに、今の時期が一番自殺者が多いことについつい考えさせられてしまいます。
希望や出発が似合う春だからこそ、心を強く持ってスタートラインとして欲しいですね。近くで苦しんでいる人がいたら、励まし応援するくらいな世の中であって欲しい。
想像もつかない豪雪地帯で育った者は辛抱強いと重宝がられた時代は長く続きました。口数は少なくともコツコツとよく働き信用された先輩方は多かったのです。
素晴らしい四季を味わえる日本人です。冬から春への移り変わりをもう一度何かの感動と出会えるような工夫をしてみてください。決して金のかかることではないので嬉しいことに出会えますよ。

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 クイズ番組

最近の各局のテレビ番組はこぞってと言っても良いほど「クイズ番組」のオンパレード。出演対象は勿論芸能人ですが、特に若いタレントは知識に乏しいようです。少し残念にも思いますね。これは一般の若者にも言えるかも知れません。
人気タレント、特に有名な若い女性タレントが答えられずに四苦八苦している姿。そうした常識問題まで分からない姿にはイメージが狂ってしまいます。分かりやすく言えば勉強していなかっただけと言って良いでしょう。
それでも可愛いから、綺麗だからと持て囃されてチヤホヤされているんだから始末が悪い。それでもフアンはキャーキャーと追いかけ回したり等々世の中も変わりますね。
司会者も得意満面として進行していますが、司会者は元々原稿があって面白おかしくしゃべっていますから、それとていかにも自分が知っているかのように進行しているのが滑稽に見えます。
常識がある、知識があるタレントさんはやはり勉強して来た感が伝わってきますが、人生で何が大切かってやはり日本の歴史や日本文化の大切さが身についているかいないかの違いも大きいです。
知らなくても生きていく上で支障はないと思っているんでしょうね。それは大きな間違いでしょう。何もクイズ番組に出演するために生きているわけではありませんが、親子で姉妹で、友だちと、会社の同僚と、そして取引先のお客様との話題にやっぱり必要なんじゃないだろうか?
飲みに行った時の会話を聞いていてもその人の努力の成果(知識等)がはっきり分かります。そして、話題がないからこそ誹謗中傷に走り喧嘩や言い争いになってしまう。
旅で味わえること、経験できることも、事前に多少知っているいないでも大きくその楽しみ方や効果も違ってきます。人それぞれですから、好きなこと趣味や考え方が違って当然ですが、どんな趣味でも好きなことでもその人に合った事柄があるはずです。どんなことにでも好きなことに対し更に興味や好奇心を持つことで学べることは本当に多いものですよ。
感性の豊かさなんかもこうしたものが蓄積されてこそ何気ないあなたなりの顔(感性)が表に出てくるのではないだろうか。
心が豊かになるってそういうことではないでしょうか?そんな姿勢に相手を想いやれる心が備わったら本当に素晴らしいですね。今からでも決して遅くない若者たち!誰かの真似でない自分を形成するためにも本気でクイズに挑戦してみたら?何を勉強しなければならないかに気がつくから!

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「素直」「謙虚」「笑顔」

「笑顔」「謙虚」「素直」、理解して頂けただろうか? 企業でもスポーツ界でも若者に最も必要とされている3項目。躍動感などがこの笑顔の中に含まれていると解釈してください。
若い内での失敗は決して失敗とは言えません。失敗は成功の元と言いますが、まさに若いときの失敗こそ財産です。よく家庭内での両親のどちらかが、或いは会社での上司が失敗を責めることがあります。
そうした上司の下では決して伸びません。またそうした上司は決まって指導力に欠けています。確かに大事になる失敗もあるでしょう。その殆どは指導者の失敗です。勿論失敗しないに越したことはありません。びくびくと失敗を恐れながら行動していては成るものも成らなくなってしまうことの方が多いでしょう。
失敗を積み重ねることで成長があるのだから決して恐れず堂々と一生懸命行動することです。だからと言ってなんでもかんでも失敗が許される訳ではありません。
分かりやすく言えば、前向きな失敗が許されるのであって、後ろ向きな姿勢での失敗は決して許してはいけないのです。
昨年の春、プロ野球が開幕すると同時に、期待されていた巨人軍の坂本選手が突如ベンチに下げられ、その後3試合ほどスタメンから外れたことがありました。理由はたったひとつ!覇気のない姿勢つまり緩慢な態度が原監督の逆鱗に触れたのです。私はあの采配を見て、今年は間違いなく巨人の優勝だと確信しました。と同時に坂本選手の活躍も大いに期待されたのです。結果はご存知のようにその通りになりました。
原監督のような人物が今の企業に最も必要とされるのはそこです。誰しも自分のやっていることが正しいと思いがちですが、ここでこそ「謙虚」や「素直」が求められるのです。
経営者だから偉いと錯覚して采配を振るわれたらたまったものではありません。そうした素晴らしい指導者に出会えるのもあなた(若者)自身なのです。若い時代に悩み苦しむことも全て成功への糧となることを知らなければなりません。私は昨日ある若者のブログを見てとても清々しい気持ちになりました。日頃一生懸命職場で頑張って、春休みにと有給休暇を採り子供たちに楽しい一日を提供していた内容でした。
仕事仕事ではなく、子供との大切な時間も絆のひとつにできる実践派のようでした。載っていた子供たちの笑顔と本人の笑顔、嬉しい春をプレゼントされたようで幸せな気分に浸ることができました。

 人名、会社名等(著名人は除く)は仮名ですが内容は全てノンフィクションです。
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 誕生! 怪物大関 把瑠都

朝青にはなかった「憎まれ役」を演じたおかみさん
4月1日のスポーツ報知の記事にこんな内容が載っていました。

大けがを乗り越えた大関昇進。挫折は土俵の中だけではなかった。07年と昨年に週刊誌で繁華街を洋服で歩く姿を報じられ協会から注意を受けた。
特に昨年は師匠の尾上親方から1週間の自宅謹慎を言い渡された。当時のことを親方夫人でおかみさんのいづみさん(42)は「私が相当きついことを言いました」と振り返る。06年8月に部屋を創設してから弟子は実の息子だと思って生活している。だからこそ、本気で叱った。真正面から向き合い、外国では当たり前のことも日本、特に角界では許されないことを徹底的に指導したという。
根底には問題を連続して起こし、協会の看板を傷つけてきた朝青龍の存在があった。「地位が上がると本人が舞い上がって分からなくなるところがある。だからこそ、だれかが言わないといけない。心を鬼にして憎まれ役を買って出た」
伝達式後の会見。「応援してくれたフアン、後援会、師匠、そしておかみさんに感謝しています」と話す把瑠都を傍らで見守ったいづみさんの両目から涙があふれた。場所中に「妻のエレナのために勝ちなさい」と声をかけると「違います。部屋のために勝ちたい」と返された。
憎まれ役を演じたおかみさんの信念が新大関に通じていた証明だった。
周囲の忠告を聞かず「裸の王様」となってしまった朝青龍。把瑠都は違う。厳しさこそが温かさだと教えてくれたおかみさんがいる。古き良き大相撲の伝統を学んで、次は横綱を目指す。

この記事を目にしたとき、これぞ日本の文化(こころ)だと思った。人はそれぞれです。国も違えば考え方や習慣も違って当然です。よく言う「立派な関取り」とはを考えさせられる。
前述の「素直」「謙虚」「笑顔」、まさにこの3つを兼ね備えた把瑠都はきっと立派な横綱になることでしょう。全て心の持ち方ひとつだと思いますが、良き先輩、良き師匠、温かい母親のようなおかみさんに巡り合えたのも把瑠都関の人間性があってのこと。強いて言えば、母国の素晴らしい母親が居てこそ誕生した大関だったと思う。満開になった桜のように、把瑠都の大関昇進は春にふさわしい快挙と言えるでしょう。

 人名、会社名等(著名人は除く)は仮名ですが内容は全てノンフィクションです。
 【俊介の部屋】は平成21年6月4日にスタートしました。(毎日掲載しています)

 さあスタートです

さあ!新年度のスタートです。 心に期した思いを達成させるように意思をしっかり持って歩いてください。特にこの春社会に飛び出した若者に伝えたいことは、人間にはその行動力にある程度限りがある訳だから、体を壊してまでの行動はすべきではありません。
ただ、友だちと遊びにも行きたい、映画も見たい、旅行もしたい、英会話も習いたい等々これからやりたいことに沢山出くわしていきます。しかし、なんでもかんでも出来る訳ではありません。ものごとに優先順位をつければ尚更です。
会社に就職をしたのであれば、まずやらなければならないのが仕事を覚えて会社(チーム)の戦力になると言うことです。それにはいくつかのやりたい項目を我慢することも重要となります。
昨日大関に昇進した把瑠都関の話をしたばかりです。彼はお母さんを幸せにしてあげたい思いで来日しました。言葉も話せない。当然食文化の違いで食べるものにも相当苦労したはずです。ただ体が大きいから強くなれるのであれば、日本人にも体格に恵まれた若者は沢山います。
稽古をして稽古をして、稽古をやり抜いてとうとう横綱の地位が目の前にまでやって来ました。これこそ把瑠都関自身がたぐり寄せた努力の証です。やらなければいけない目標を明確にしたら、最低でも三年はこれでもかと努力をするべきでしょう。
そして、また3年というように勿論中には軌道修正も必要かも知れませんが、自分のやることに自信と実績をつけながら歩いていかなければなりません。
現在、中国の富裕層の若者が月30万以上もの豪遊をしていると報じられ始めました。聞いたら仕事はしていないそうです。その金はカードで使いたい放題とか。全て親からの金です。
日本と違い、中国は一人っ子政策ですからやはり基本的には子供に甘いようです。もしかすると、バブルの時代に日本でも少し似た状況があったかも知れません。そんなことが長続きする訳もありません。
他人(ひと)の振り見て・・・と言う言葉がありますが、中国もいずれ近い将来とんでもない事態が襲ってくるでしょう!そんなことが続く訳がありません。
しっかり地に足を着けて、自分の意思と勇気を持って掲げた目標(夢)を実現させる為に、しばらくは犠牲にすべきことも心得て将来に向かって頑張ってください。

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