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 婚活に品質 3

合コンを少し考えてみましょうか?友だちに誘われて、少しドキドキしたけど出会いを求めて出席しました。初めはこんな感じでスタートすることが多いようです。仕切り屋にも近い活発な友が次々にその機会を紹介してくれる。
テレビなんかでよく女性が言っていますね。年収何千万円以上とか、医師が良いとか等、思うことは自由でしょう。友だちのアドバイスも参考にしながらおめかしをして出かけるのです。
友だち2人であろうと3人であろうと、大事なことを忘れてはいけません。いくらあなたのお友だちであっても、性格や考え方趣味や生れた環境が全て違うんだと言うことを。
選ぶ方も話し合う中でそこを重視しながら観察して来ます。男性でも女性でも共通して怖いのが、相手が美人であったり美男子ならまず合格とするところです。いや美男子(美人)でなければNOなんです。
確かに最初は外見で選ぶしかないのかも知れませんね。だからと言ってアドレス交換したら即恋人ではありません。何が言いたいかと言うと、デートしてすぐにホテルに誘うといったケースも少なくないからです。
何度も言いますが、体が先ではなく何と言っても心が先ですよ。私が説いてきた感性や思いやり、優しさ等、先ず知らなければならないことが沢山あります。
どうも最近の若者は簡単にセックスに走ってしまいがちですとあるTVのコメンテーターが言っていました。こうした行為は初めてであればあるほど深みにはまってしまい最終的には取り返しがつかなくなるケースが非常に多い。
本当の優しさを知る前に、危険な優しさに気づかず、一時的に優しいと錯覚してしまう。可愛い子。美人であればあるほど男は心で牙をむいて来る。落とすまでの強引さを優しさと勘違いするのです。
自分(人間)を知ってもらおうとする相手は必ずいます。結果、美女と野獣なんて言われるカップルの誕生があるのはそこなんです。
付き合っている中で、経済的なものの考え方や家庭の在り方、そして両親等の家族に対する考え方を知ることも幸せ探しの大切な調査のひとつです。自分を大事にしてくれているから、多少両親や兄弟と上手くいかなくてもと言うのも間違いです。あなたの両親を大切に出来ない相手が、結果的にあなたを大切にするなどあり得ないからです。
だから、そうしたことが判る前に深い関係になることは危険だと言っているのです。

 人名、会社名等(著名人は除く)は仮名ですが内容は全てノンフィクションです。
 【俊介の部屋】は平成21年6月4日にスタートしました。(毎日掲載しています)

 婚活に品質 2

今から始める「恋愛・結婚」お相手探し!!!
全国対応!24時間今すぐ会える!! 若い女性タレント等の写真のそばに「アナタの理想の相手がきっと見つかる」と広告にある。これが毎日のように掲載されているから不思議にすら思います。
TVのバラエティー番組では、1人の男性を20人くらいの女性が選ぶという番組もある。前にも話したように
世の中なんとなくバラエティー調になり、少し「簡単」になったように思いますね。
出会いは人それぞれで、どの出会いが良い悪いとは言えません。たまたま出張で出会った彼女は鹿児島の女性で、その彼は北海道出身。この二人が結婚にまで進み、結局別れてしまった話を聞いたことがあります。
生活習慣や風土気候、あらゆるものが極端に言えば外国ほど違うのです。これは昭和50年頃に聞いた話ですが、結婚式に親戚友だちが集まるのも大変だったらしいですね。
食卓に並べる物や全てにおいての違いから、彼女が耐えられなくなってしまったということです。ただ、ここで問題なのは彼がどれだけ彼女を守れたかでした。
結局、心が結ばれていたら大丈夫だったんでしょうが、気持ちは若いが故の「簡単」に選んだ弊害でした。
こうした遠距離だけではありません。いかにも素敵な出会いがあるとの触れ込みに酔ってしまい、大切なことを忘れてしまっているのです。
北海道と九州どころか、最近は国際結婚も非常に増えています。従って、どんな相手との出会いがあるかなど全く分からないに等しいですね。
こんな人だったらいいな~と同じように、あなたも「こんな人」であって欲しいということです。恋愛はある種ゲームと思っている若者も少なくありません。
愛し合えるということは肉体からくるゲームであってはいけません。結婚すれば家庭を築いていかなければなりません。その中に家族も増えていきます。家族を守る責任も生れてきます。
嫌なら別れれば良いのでなく、責任も養いながら成長すべきでしょう。本人がその気になればどうにか相手に辿りつくのかも知れません。婚活に品質はそうした皆さんに重要となります。
あなたにしかない素晴らしいところを磨きあげ、相手を大切に思える心、周りに感謝できる心をもってそうした機会に挑戦してみてください。

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 婚活に品質 1

これほど合コンが流行るとは思ってもみませんでした。紹介されたり、案内を見たり、新聞広告で一番元気な出会い系サイトに至ってはカラーでジャンボサイズ。有名タレントを採用してのこうした広告は一般企業には羨ましい限りでしょう!
でも、考え方もありますよ!これだけ高額な広告を掲載できるということはそれだけ需要があるからなんでしょう。真剣に考えて参加する人、遊び半分で利用する人。大体これらのケースは男性側が出費することが多いようです。友人のお子さん(息子)が申し込んでひどい目に遭った話をご紹介しましょう。
話は簡単です。つまり、金目当ての女性にひっかかってしまったのです。少しくらい容姿に恵まれていた女性は甘い汁を吸い続け、その息子さんも策略にはまってしまった訳ですが、男性がその気になってしまう、つまりはっきり言えばペテンですね。お茶を飲むことからのスタートにすっかり信じ込んでしまい、相手の思う壺にはまってしまう。
被害届けを出せない巧みな行動に男性は完敗!実際にあるんですね。何も急いで結婚結婚と慌てる必要はないのではないでしょうか?気が合ったとしても十分なお付き合いは当然相手を知る意味でも必要です。
さんまの「恋のから騒ぎ」等は特例中の特例で、少し人生をなめていると言っても過言でないくらい凄まじい合コンシーンを語っています。
確かに鼻の下を伸ばして若い女性に貢いでいる男性も馬鹿と言えば大馬鹿と思える情けない人間が、あの話が本当だとすれば存在するのかと残念に思う。そんな接し方をして若い女性が立派な奥さんになれるとは到底思えない。2分に一組の離婚と言われているそうですが、そうでない人たちもたくさん居ることを知るべきでしょう。
嫌なら別れれば良い。分からない訳ではありません。一緒になった以上生涯添い遂げるなんて話は古いかも知れませんが、考えてみたら未熟な自分は棚に上げて相手に要求する方が多い。
そんなはずではなかった・・・とか、他に素敵な人が現れたからと簡単に選択を変えてしまう。不幸に思いますね。心で繋がっている人たちはこうはなりません。
絆という意味も知らずに離婚を選んでしまう。もう結婚はこりごりと言ったときは子供が片親になることさえ忘れている。つまり未熟な親の不幸の始まりです。自分は良くても、子供は大いに迷惑だということを感情の高ぶりだけで解決できずにいるのですから!(つづく)

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 花嫁衣装 3

昨日日本舞踊の生徒さんからメールを頂きました。「私は日本が大好きです。戦争経験者であるおじいちゃん子だったせいか、心から平和主義者でいつも穏やかでありたいと思っています」等々。
和の文化に心を奪われ、日本舞踊を通して自分を磨きたいと言うのがお稽古を始めた理由です。
こんな女性が白無垢をまとったら本当に理想的ですね。 私が求めている「心の持ち方」そのもので、メールに目を通し若い彼女についつい拍手を送ってしまいました。
このような女性が幸せになるんでしょうね。そして生れてくる子供たちに、その心を伝えていって欲しいと心から願うばかりです。
スカートの下にジーパンを履く。ゆかた姿にスニーカー。ほんの一部ですが、それもファッションとして罷り通っています。しかし、ご存知のように公式の場では一切通用しません。
それが今回のバンクーバー五輪での國母ファッション事件に繋がる訳です。こうした常識が分かる人間として、その常識くらいは身についた相手を選ばないとその内日本は崩壊してしまいます。
芸能人は、プライバシーが無いと言われるほど世間に叩かれがちですが、叩かれるには理由があると言えますね。きちっとした生活をしている芸能人だってたくさん存在しています。
表面だけを真似るのではなく、地に足を着けて穏やかな気持ちで相手を思いやることです。
花嫁衣装を着ればみな綺麗かと言えば、それも違います。本当の美しさは内面から滲み出てくる心がそのように見せるはずです。
プロはユニフォームが似合うと言いますが、偽物をどんなに着こなそうとしても偽物は偽物です。特別高価な物を着なくても美しさは心次第で輝けるものだと言うことを知って欲しい。昔、こんな歌が流行しました。「ボロは着てても心は錦・・・」、詞の使い方によっても多少の解釈は異なりますが、心の持ち方の大切さには違いありません。
これから結婚を考える若者にあえて伝えたい。花嫁衣装が似合うためにも自分磨きを怠ることのないように。そして、その隣りに立とうとする未来の花婿さん!花嫁のご両親が心から喜んでくれる素晴らしい目を育てていってください。
楽しく過ごす中にも、心の豊かさは更に人生を楽しいものにしてくれますよ!

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 花嫁衣装 2

どんなに時代が変わっても、基本的な人間(ひと)としての心の持ち方を大切にしなければならないのは当然です。
最近の事件に、我が子をゴミ箱に入れて殺してしまったニュースがありました。洗濯機の中に入れてスイッチを入れる。オーブンの中に入れる?ベットに縛りつける?? 何と被害に遭ったのは実の息子2歳でした。
実行したのは父親だそうですが、母親も全く同調していたと言うから分かりません。洗濯機に入れてスイッチを入れたらどうなるんでしょう?考えただけでも恐ろしい話です。
父親は懲役11年が決まりましたが、母親もそれに近い判決が出そうです。他に残された子供が二人いるようですが、突然両親を失った子はどうなるんでしょうね。こうした事件は勿論極端な例であって欲しいのですが、最近の事件はこのような内容が非常に多く発生していて怖いです。
おそらく花嫁衣装など元々似合わなかった最悪のケースではないでしょうか?言い訳など聞きたくもありませんし、今後のことも考えて重要判例とし、もっともっと大きな問題として扱わなければならないのではないでしょうか?
結婚をすることへの基本姿勢がまったく成っていない人間の悲劇と言っても良いでしょう。つまり、子供を産む資格がないのではなく、結婚をする資格がないと言った方が正しいでしょう。
男と女の欲望だけが先走りをしてしまうケースです。押尾学容疑者が現在取り調べ中ですが、そうした欲望だけで多くを悲劇に招いてしまったこともある種同じです。いっぱしの大人のようでいて、人間としてはまったく未熟であった良い例です。
ここまでではないにしても、貴方が選んだ人間が本当にどんな人間かなど、上辺の可愛らしさなんかを追いかけている程度では決して知りようがありません。それはあなたを選ぶ相手にも同じことが言えます。従って、せめてあなた自身も、人(相手)を思いやれる人間修業が先だと言うことです。
春は結婚シーズン。これからでも遅くはありません。もう一度、人が幸せになるってどういうことか原点に帰って考える必要があります。一流と言われるスポーツ選手が、これでもか、これでもかとトレーニングを積み重ねている姿をどう思いますか?これで良いということがない証拠です。また油断すれば技術が低下してしまうということを身をもって知っているのです。
新しい家族(家庭)に染まります・・・と、素直な心で嫁ぐことを意味した白無垢の意味をもう一度考えて心を整えてください。幸せになれるひとつの方法です。

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 花嫁衣装 1

純白のウエディングドレス。和装ではご存知の白無垢。そして角隠し。
当然それぞれに意味があっての装束です。昔の人々の智恵や祈りにも似たしきたりは本当に素晴らしいものばかりですね。それをファッションとか流行等の名を借りて、まったく心無いものにしてしまっている人(企業)もいます。原点に戻るべきですね。
結婚に限らず人の心を重んずれば、先ず争いごとなど起きません。そして新しく誕生した命も、そうした二親を見て育つ訳です。この基本を忘れてしまうからこそ世の中全体も年々変わってしまっているのではないでしょうか?
他人が結婚することを説いている訳ではありません。読んで下さっているあなた自身が幸せになって欲しいと祈りを込めて綴っています。
不細工な男性に告白された女性は当然のようにお付き合いの申し出を断りました。ところが、会社の上司にその話をすると、「もったいない・・・」と彼の環境を話してくれたそうです。
「彼は素晴らしい外車に乗っていて、結構なお金持ちなんだよ」と聞かされた彼女は、今度は自分の方からプロポーズ。勿論めでたくゴールイン。ところが、結婚生活といったら想像を超える女性のわがまま放題。
「ご飯!」と茶碗を出したら「自分でつけなさいよ・・・」と言われているそうです。男性は彼女が美人だから我慢しているようでしたが、今後が他人事(ひとごと)ながら心配ですね。
同じ食卓でも、我が家では同じ料理を並べるのですが、そっと知らない内に綺麗に盛り付けられたもの、量が微妙ではあっても少し多めの方が私の目の前に並びます。何気なく食べていましたが、ある時私も気が付いて同じことを彼女にしました。すると「綺麗に盛り付けたのはあなたの分です」と笑顔で返って来ます。
ほんのちょっとしたことなのに、家内の優しさが伝わって来て更に食事が美味しく頂けるのです。
そして、一日あったことをいっぱい話そうとしています。慣れてくると少し煩わしさを覚えない訳ではありません。違いますね!そこが違います。家内の愛情の方が一枚も二枚も上であることが改めて分かります。
「ああ!家内は私と居て幸せなんだ!私と一緒で楽しいんだ!」そう思うのです。逆に、私がそう思ってあげずにどうするんだ!最近は強く自分に言い聞かせています。上辺ではないのです。心の底から相手を尊敬し労わり、思いやることはこんなところが原点かも知れないって!感謝せずにはいられません。(つづく)

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 結婚記念日

やっと春の兆しを感じるようになりました。まもなく今年も結婚シーズンがやって来ます。世の中が一番不安定な時期のゴールインです。
実は私も今日が結婚記念日です。6年が過ぎました。家内には内緒でありがとうの感謝を込めて食卓を飾ろうと思っています。「そうか!今日から7年目に突入か?!」、そう思うと感慨深いものがありますが、私は幸せな結婚(相手)に巡り会えたことを心のそこから感謝しています。家内が好きな赤ワインを準備して、ピザやオードブルで祝いたいと思っています。贈り物は「ありがとう」の心にしましょう!
考えて見たら、喧嘩もせず本当に労わり合いながらやってこれたのも、穏やかで思いやりのある家内であったからこそ豊かな心で過ごせたのだと思っています。
毎日毎日このコーナーを綴りながら本当に考えさせられ、そして改めて学んで来ました。結婚の在り方の定義と言われても、これと言ってしっかり言えないのは、結婚は一人一人違った人格で、一人一人違った性格、そしてそれぞれの生い立ち(環境)であるために、同じケースはひとつもないと言うことです。
そこに、時代の変化という一個の人間ではどうすることもできない背景の中で生活する訳ですから考えたら考えるほど難しさは増すばかり。隣りの芝生が綺麗に見える例えがありますが、思うほどでないことも学ばなければなりません。
良さそうに見える家庭でも、想像を超える夫婦間の諸問題と闘っている家庭が多いこと。プロゴルファーのタイガーウッズのスキャンダルが報じられて殆どの人がある関心を持ちながらそのニュースを耳にしていたと思いますが、金と名誉があれば幸せかと言えば大きな間違いだったことも良き事例として判明。
いくら国が違っても、一人の心ある人間としてやはり人の道があることも改めて判ったはずです。理想と現実は確かに違って当然と言った方が正しいでしょう。
しかし、理想を現実に近づけることは出来ると言うことを私は説いているのです。私も、現在の家内に対し、ムッとしたことが無かった訳ではありません。彼女も同じようにそう思ったことはきっと多くあったはずです。それでも笑って過ごせたのにはコツがあるのです。人間だけが持ち得ている「心」に尽きる、これが一番大切だと言うことです。
相手が金持ちだから結婚に踏み切った。とても美人だから結婚を決めた。多いこと多いこと!そうした結婚で幸せになれる人もいて欲しいとは願うばかりですが・・・。(つづく)

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 高橋大輔 銅は金と同じと書く

オリンピックを通して学ぶことが本当にたくさんありますね!何よりも日本人選手のメダルは勇気を与え、日本中が元気になります。不思議な魔力のような気がします。勿論、メダルが全てではありませんが、それでもメダルの効果は抜群です。一流に習えと言う意味でそのマイナスやプラスの中でスノーボード日本代表國母選手の話も引き合いに出しました。
昨日のテレビに、元横綱朝青龍のマネージャーが出演をし、今回の騒動についてこんな話をしていました。元マネージャーは平成15年・16年頃の2年間だけだったそうですが、こうした批判内容は自分も含め彼に接していた大人達が悪いと言っていたのが印象的でした。
あまりの早い出世に、指導がついていかなかったとか。もっと日本のしきたりや文化・伝統なるもの、そして何よりも相撲道とは何かをはっきり知らせる(教育)べきであったと。
確かに、部屋の親方、協会、支持者等々、その役割と責任、そして影響は大きかったと思います。これは家庭生活においても同じでしょう。國母選手にしても両親の責任は大きいと思う。しかし、「教育はした。指導や注意はしました」と皆さんは必ず言います。
本人が脚光を浴びているときは、みな錯覚の中でそうした責任がいつの間にか消え隠れしてしまうのです。それが証拠には、きちっとした若者だって現実にはたくさんいます。今回フィギャースケートで日本人男子史上初の銅メダルを獲得した高橋大輔選手は、両親ともう6年も食事を一緒にしていないそうです。
子供の頃は祖父や祖母に育てられたそうですが、前にお話をした愛情についてとまったく同じでしたね。もしかすると両親に育てられるよりも祖父や祖母に育てられた方が心の優しい思いやりのある子に育つと。
そうした下地がきっとあったからこそ人間としてもひと回りもふた回りも大きくなれたのではないかと。大手術をし、想像では考えられない期間に甦った今回のドラマの主人公を演じた訳ですが、それさえ日本中に感動と勇気を与えた素晴らしいものでした。決してひいき目ではなく、全体の演技を見て思うに今回の中で、高橋選手が一番素晴らしかったと思いました。いろんな人と話しましたが皆さん同じ意見でしたね。そしてみんなが言ってました。銅は金と同じと書くんだよ・・・と。
国民の全員がオリンピックに出れる訳ではありません。あなたは、あなたにしかない素晴らしい何かを持っているはずです。自分を信じ、素晴らしいドラマを参考にしながら自分磨きの参考にしてください。競技終了後のインタビュー等も本人でしか話せない、まるで講演を聴いているような素晴らしい感想に巡り会えました。
江戸時代中期の大名だったと思いますが、上杉鷹山(うえすぎようざん)の名言があります。
「なせばなる、なさねばならぬ何事も、なさぬは人のなさぬなりけり・・・」と。言い訳をする前に、まずやってみて欲しいのです。出来ないのは殆ど自分の責任(せい)だと分かるから!

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 菊池雄星 若干18歳

宮崎・南郷の西武キャンプ地で雄星は尊敬する桑田真澄氏と対談した。その内容を抜粋してお届けします。
桑田:「毎日大変だね。疲れているのにこうやって取材を受けて。僕も高校生から注目されてプロに入って正直、連日の取材にうっとうしいと思ったこともあるんだけどね(笑い)
雄星:疲れているときもありますけどね。でも、全員が全員、こんな貴重な体験をできないですよね。もし、今年活躍できなかったら、来年はこんなに取材を受けることはないと思いますし。今しか経験できないことなので」
桑田:「しっかりしているね。(笑い)今は、投球フォームに悩んでいるみたいだけど?」
雄星:「いろいろ試行錯誤しながらやっています。自分の頭で考えていることと、体の差が結構大きかったですね。それを狭めようとして、今やっているところです。いいときはだいたいあそこにいくって分かるけど、悪いときは投げてみないと分からない。今がそんな感じですね。高校(3年のセンバツ)のフォームがベストだと思っているんですけど、戻すことは良くない。今のフォームとはだいぶ違うとは感じているんですけど」
桑田:「フォームは悩むべき。僕たちは技術者だから、悩んだ方がいい。投球フォームは、やめるまで試行錯誤するものだからね。いろいろな方法があるし、たくさんの成功がある。すぐに変える必要はないし、(悩むことは)必ずプラスになる。高校野球は1勝すればいいけど、プロは違う。1シーズンの戦いだし、5年、10年、20年と続けていかないといけない。だから、1試合でも、1球でも負担を少なくしていくフォームが重要なんだよ。ほかに悩みはあるの?」
雄星:「聞きたいことはたくさんあるんですけど(笑い)」
中略
桑田:「高校ではトイレ掃除をやっていたんだってね?」
雄星:「桑田さんもやっていたと聞いています。最初は高校(岩手・花巻東)の監督に言われたんですけど、理由が分からなかった」
桑田:「なるほど」
雄星:「3年生になって聞いたら『エースは一番目立ってチヤホヤされる中で、人が嫌がることをしないとダメ』だと。ピッチャーはピンチになっても、やめてもやめられないポジションなので(トイレ掃除を続けていけば)不動心が身につくというか」
桑田:「掃除、あいさつ、先輩を敬ったり後輩を思いやる。こういうことは、野球がうまくならなくても関係ないからね。運とかツキを貯金できる。僕は高校1年のときに結果が出なくて、トイレ掃除を始めたんだ。
雄星:「そうなんですか」(中略)
18歳の野球少年はキラキラと目を輝かせ、身ぶり手ぶりを交えて桑田氏に質問をぶつけた。「本当に感動しました!こんなに勉強になったのは初めてです!」と。

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 國母和宏 反省してま~す

こんなに反響があるとは思わなかった。スノーボード・ハーフパイプ男子代表國母和宏(21)=東海大=が思わぬ反響の中でバンクーバー五輪本番を迎えた。私の知っている人の多くは、今回の大会について、間違ってもメダルを獲ってはならないと言っていた。
結論は、いくら日本選手団・橋本聖子団長の「大岡裁き」で出場が決まったとは言え、18日の競技でメダルを獲ることは本人のためにならないと言うことだった。
若いときは想像もしない失敗があるものだ。しかし、今回の事件は起こるべくして起きたのだ。少しくらい上手になり、回数を重ねるごとに記録を伸ばしたからと言って大切な忘れものをしていることに気づいていなかった。だから、指摘されても何が問題なのか本人はおそらく今だ納得していないだろう。
自由奔放であることはときに素晴らしいことだと思う。若いのだから冒険も大切だ。個人参加でしかも実費にての費用で行動するのに何の問題も無い。だが、今回の場合は何故国会でまで問題になったかを深く考える必要がある。
全世界が注目しているオリンピックに国を代表して参加しているという事実だ。スポーツも教育の一環であることは言うまでもない。それすら認識していないことに国民の多くは驚きとともに抗議となったのだ。
抗議されたから謝罪をする。つまり、仕方なく口で謝った形をとっているにすぎないのだ。
指導者は、毅然とした態度で教育指導できないとしたら、半分はそうした関係者の責任と言って良い。コーチが、監督が指導をせずとも、このくらいの常識は知っている若者の方が多くあって欲しい。
こうした問題がクローズアップされている最中に、改めてこんな記事もあった。それは、西武球団で今季から活躍するであろう甲子園の星「菊池雄星」と元巨人軍のエース「桑田真澄」氏の対談である。
菊池雄星はまだ18歳だ。決して優等生として行動しているとは思わない。つまり、野球に取り組もうとする姿勢だ。詳しくは次回にその内容を抜粋して紹介したいと思うが、雄星じしんから「フォーム・球種・心構え」を尊敬する甲子園の星大先輩にぶつけたのだ。
ここだけでも学ぼうとする姿が明確である。逆に、出来るだけ遊びなさいとまで桑田氏に助言されている。
心の持ち方はそのまま人間を成長させる。一般的にいう「常識」ってやつです。これは決して他人事ではありません。國母選手にも素晴らしいところは沢山あるはず。もっと大人が責任に対して自信をもって正面からぶつかるべきではないだろうか?(つづく)

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 國母和宏 恥かしい日本代表

新聞にこんな記事が載っていた。
2月9日、日本からバンクーバーに移動する際、サングラスを掛け、公式服装のネクタイをゆるめ、シャツを出し、腰までズボンを下げている「腰パン」姿で登場。日本オリンピック委員会や全日本スキー連盟(SAJ)に「だらしない」など國母の態度を疑問視する抗議があり、SAJは現地で行った日本選手団の入村式出席を自粛させた。現地の会見で、服装について質問されると「反省してまーす」と語尾を伸ばして回答。舌打ちする場面も見られた。とあった。
写真を見ると無精ひげに鼻ピアス。所属する東海大には100件もの抗議電話。その他関係各所に700件もの苦情が届いたとか。
彼は21歳だそうだ。これを「かっこいい」と思っているんだろうか?若い女性はこうした姿にキャーキャー言ってしまうんだろうか? 何か先日の朝青龍事件を思い出しましたね。
偏見でも何でもありません。スポーツマンとしても失格であり、まして日本代表などとんでもないことです。
メダルを獲れば一躍ヒーローになります。これからの報道関係がどう扱うか分かりませんが、仮にメダルを獲ったとしても厳しい対応をすることが必要です。
強ければ何をしても良い? 心の未熟な青年に心のビンタでもくらわせるくらいの信念を指導者も持つべき。
履き違えた「自由」に我が見えないでいる若者。このような人間が多くなって日本を任せるなどとんでもないことだ。
バンクーバー五輪の開会式を見ても分かったように、国の威信をかけて想いを表現しようとしている。東京五輪も北京五輪も、歴史を作る第一歩くらいの重みのあるイベントだった。
この一大イベントをキッカケに国は大きく躍動を始めた。出場した選手は国を背負って一生懸命でそれが更なる感動を呼んだ。
背負うことから楽しむ方へ変わったことは悪いことではない。しかし、五輪選手は一流の領域のはず。私は一流に学ぼうと訴え続けている。
心の伴わない人間を一流と認めてはならない。こんな人間にこれからの子供たちが憧れてしまったら世も末だ。
恥ずかしさを知らない若者が増えることに危機感すら覚える。

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 青春の文学 3

どんなに時代が変っても、一流の作品には無理してでも触れて欲しいと思う。それは小説等の書物に限らず、絵画であったり、映画であり音楽もです。まして著名人に直接会えるとしたらそれもまた大変な収穫に巡り合えるはずです。
現代の作品だって良い書物は沢山登場しています。坂本竜馬は実在していた人物ですが、そうした人物を描いた作品を見ることも大切です。それこそ、本当に沢山の偉人がいます。よく考えると、魅力あるそうした人物が、20代や30代で亡くなった人も本当に多いことも分かります。
若者の生き方のようなものね感動し影響を受ける場合もあります。中学生の頃、自宅にあった書物に親鸞聖人の詠ったものがありました。「明日ありと思う心の仇桜 夜半に嵐の吹かぬものかは」、この歌は不思議とずっと頭から離れないでいます。
桜の花が明日もまだ咲き誇っているだろうと思っていると、夜中に嵐が吹いて花が散ってしまうかもしれないという意味で、世の中や人生、いつどんなことが起こってどうなるか分からないと、人生の無常を歌ったもの。
「今やってしまわなければいけないことは、すぐにやってしまいなさい」と、少しずつですが自分なりに生活スタイルを築けていたようです。
人の心の醜さや、哀れ、美しさも沢山覗けました。ときには自分が主人公になったりして。
私がよく、「心を大切に」等の願いを話しますが、一人でも多くの人が幸せになれるといいな~と思ってのこと。だからと言って私が誰に何をして上げられるかなど皆無に近いかも知れない。
しかし、人生の所々に感銘を受けてくれながら一生懸命自分磨きをしてくれる若者に出会って来ました。仕事を通じ、また様々な出会いの中から少しでもそうしたことの大切さを分かってもらえたらと様々な手法で毎日を送っています。
同じものに出会っても、感じ方ひとつで人みなそれぞれです。文字を知らないことくらい何とも思わない時代です。無理に勧めてもそれが正しいとは限らないかも知れない。ただ、はっきりと言えることは、やはり人間である以上、学んだことが感性に繋がり、相手の心を思える気持ちや感謝できる気持は、その人の感動の中で身につけてもらうしかないのです。
「ああ!素直な気持ちで良かった」と思えたり、素晴らしい友を得、素晴らしい結婚相手に出会えるのも、人としての想いやれる優しさみたいなものが身についたからだと思えるよう、自分のために自分磨きをして欲しいですね。

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 青春の文学 2

名作と呼ばれる作品はいずれも、誰もが感動できる親しみやすい物語で私たちの胸を躍らせ、心を癒してくれました。読みふけっていくうちに好きな作者の傾向も分かってきますが、作者によってそれぞれの良さはまた別のものとして想像をかき立てたり夢を膨らませてもくれました。
島崎藤村が好きで中山道の藤村堂を訪ねました。そこではどこか懐かしい心の故郷のような妻籠宿や馬籠宿を知り、何度も何度も通いました。ある夏、小学校の1年生くらいの女の子の笑顔に出会ったのも妻籠の朝でした。「おはようございます」の挨拶はまるで天使に出会ったほどの感動を覚え、あれから6年になりますが今でも暑中見舞いや年賀状を届けています。ふと考えると伊豆の踊子を錯覚させるようでしたね。
勿論踊り子の舞台も訪ねたことがあります。そこで知ったのが修善寺温泉です。
同じ旅をするのでも、そうした舞台を訪ねながらほんのひとときでも主人公の気持ちを味わったりで結構楽しいものです。
森鴎外、夏目漱石、幸田露伴、与謝野晶子、志賀直哉、芥川龍之介、井伏鱒二、まだまだ影響を受けた作者は沢山います。面白くなってくると、樋口一葉や泉鏡花、尾崎紅葉の作品へと手を出しました。
後年になってのめりこんだのが山崎豊子の作品です。子供が生れ、即興で物語を語る楽しさに自分の方が酔ってしまったのもしばしば。人に会う楽しさはそうしたことが影響していたのかも知れません。知らず知らずの内に想い出が増えました。それは、人の心に触れることを覚えたからのように思います。
どんなに時代が変わろうと、心を磨ける時間(時期)というのは同じようにあるはずです。便利が感性を奪うようにも思います。
温かい会話が出来るのは、人の心の大切さを知ることが出来たからでしょうか?母親も川柳や歌舞伎等々が好きで、そんな関係書物が周りに沢山ありました。そうした物を夢中になって読んだ訳ではなく、面白そうな内容だけを選んで特に作品の名シーンなどは暗記して真似ました。
それが赤穂浪士の勧進帳であったり、森の石松であったり、国定忠治であったのです。少しずつでしたが、そうしてかじっている内に段々と興味が湧き、好きになっていったのでしょうね。
社会に出てから、それがどれだけ役に立ったか知れません。テレビが普及し、どんどんと流行にも変化が現れましたが、ピンクレディーも知り、モーニング娘も知って幅広く知識を雑学のように吸収しました。
しかし、不思議なのは、今日の騒がしすぎるお笑いの世界やテンポの合わない楽曲に肌が合わずにいます。バラエティー番組などの余りにも知識のないアイドル達に不安を感じながら。

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 青春の文学

いま若者たちはどんな本に心惹かれてるんでしょうね!感性を磨くということだけでなく、青春時代の輝きみたいなもの、恋のせつなさや生きる希望、私が中学生くらいから影響を受けた数々の作者を思い出しただけでも、それらの文豪(作品)に出会えた喜びを感じています。
良い作品は時代を超えて訴える力を持ち、映画や舞台で何度も何度も演じられて来ました。中学生に入りたての頃はサトウハチローの「おかあさん」でしたね。どうしてもその詩集が欲しくて家の手伝いをしました。私にとっては最初の宝物がその三部作でした。
「たはむれに母を背負ひてそのあまり軽きに泣きて三歩あゆまず」(石川啄木:一握の砂)、「ぼくの前に道はない僕の後ろに道は出来る」(高村光太郎:道程)、「東ニ病気ノモノアレバ行ッテ看病シテヤリ・・・」等々、改めて思い出すと名作が次々と甦ってきます。
現代でも、多くの文学を楽しんでいる若者もいるかと思われますが、あまりにもテレビや流行のそれらが違ってきて、どんなことに夢中になっているんだろうとさえ考えさせられます。
活字に命さえ感じた青春時代。主人公たちの想いや葛藤が胸を熱くしてくれた頃は今では懐かしく思います。
時間の過ごし方、それが明治であろうが大正であろうが昭和であっても時間は一緒です。
平成になって成人式を迎える若者が登場しました。直木賞や芥川賞等々今までの作品とは少し描写が違って当然ですが、揃って多くの若者が感動を覚えるといった傾向ではなくなっています。
その良い例が、音楽ではないでしょうか? 歌が時代を作り、想い出を残してくれた昭和の歌謡曲時代。今でも心に残り歌い継がれているのが昭和の歌謡曲です。
その後、様々なジャンルの音楽が台頭し、今では各賞の殆どに歌謡曲が選ばれることも少なくなりました。
それなのに、世の中に登場する最近の作品(楽曲)はせいぜい1年ほどですぐに次の新しい曲を歌っています。あの歌手がカッコ良いから!フアンクラブの力等で発売とともにとんでもない数字を弾き出しています。
とても歌謡曲など足元にも及ばなくなってしまっています。これは文学の世界でも同じです。良い作品に触れ、作者の想いを心で感じ、胸の高鳴りやせつなさを味わって心を磨けないものだろうか?
感性豊かな石原東京都知事が様々な想いを発言することがあります。そうした観点でものごとを考え、人の生き方を考えられる人が少なくなることへの心配が心を過ぎります。 良い作品は時代を超えて心に飛び込んでくるはずです。あなたも、何かひとつ名作と言われる作品に目を通してみませんか?きっとあなたを育ててくれると思うから。

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 幸せくれた引換券

手作りのチョコレートを渡すことが出来ましたか?おめでとう!
あえて手作りと言ったのは、この時期になるとバレンタイン商戦としてチョコレートどころか、高級カバンやネクタイ、ネックレス等々、聖人バレンタインの伝説とはかけ離れたところにその形が顔を覗かせます。
私が「婚活のススメ」の中でこうして紹介するのは大きな理由があります。つまり「手作り」、心です。
相手を思い、自らのこころを添えて決して他の人と同じ真似でないところに評価を求めたいのです。
私は自分の誕生日に子供から素晴らしいプレゼントに涙したことを覚えています。やっと覚えた文字で、何枚かのチケットが作られ、そこにはいろいろな引換券があったのです。「肩たたき1回券」「玄関の靴そろえ券」「お買いものお手伝い券」と。当時見たことのないチケットに感動のあまり興奮し涙がこぼれたことが思い出されます。
これが原点ではないでしょうか!? これほど心を打った贈りものを他には知りません。
私は雪国育ちですから痛いほど分かるのですが、1980年頃からだったでしょうか?年末大売り出しの景品に「雪下ろし券」が登場しました。これはある商店街のみなさんが、その券と引き換えに屋根の雪下ろしをしてあげるというものです。
今年も一晩に2mも積雪があったと報じられていましたが、私が子供の頃はそれが普通だったように思います。雪は音もなく積ります。前夜、家の前に駐車していた車が朝になるとすっぽり雪の中に埋ってしまうなんてことは決して珍しい光景ではなかったのです。雪下ろしをしないと、家は雪の重さで押しつぶされてしまいます。経験がないと分かりませんが、この作業はお年寄りには大変な苦しみであり生命すら危ういものなのです。
若手のいる家庭の人がその券を当てると若者の居ない家庭に譲りました。「老人夫婦の家に暖かいプレゼント」、暖かいニュースは県内にも届いたのです。寒い雪国にほのぼのと暖かい話題でした。
相手に贈るものを考えるときに、何か考えさせられるものがありますね。とっても地味な感がありますが、どんなに高価な贈り物よりも価値があると思いませんか?
子供が親の喜びを自分の喜びとする。味気ない世の中と言われている小さな社会にも、心が通うアイデアがあるんですね。どうでしょう!大好きな人に贈る内容は、やっぱり貴方自身が考えた心を贈ることが一番ではないでしょうか?便乗することも楽しいかも知れません。それはただ真似にしか過ぎないのです。
きっとその贈りもので、「ああ!この人を選んで良かった」と言ってもらえるような、あなただけの心が必ずあるはずだから・・・!

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 雑学 バレンタインデーとは 

バレンタインデーの「バレンタイン」は、3世紀にローマで殉教したキリスト教徒の英語の名で、イタリア語では「ヴァレンティーノ」と言うのだそうです。3世紀当時のローマ皇帝「クラウディウス2世」は、兵士たちの戦意に支障をきたすとして若者の結婚を禁じていたのです。
バレンタインは若者たちを哀れに思い、密かに結婚させていましたが、皇帝がそれに気づき、バレンタインにローマ国教への改宗を迫りましたが、承諾しなかった為バレンタインは投獄され処刑されたのです。
そのバレンタインが処刑されたのが2月14日です。
殉教したバレンタインは、後に勢力を増したキリスト教により、聖人として認定されました。同じくローマでは、毎年2月14日に未婚の女性たちの名前が書かれた紙を集め、翌日になって未婚の男性がその紙を引き、紙に書かれた名前の女性と付き合うといった伝統的な祭りがあったそうです
しかし、この祭りは風紀が乱れるとされキリスト教の聖人を奉る行事となり、数百年前に殉教した聖人バレンタインを行事の守護聖人としたのです。
その後、キリスト教ではカードや花束などを互いに贈り合う行事になり、現在も行われています。
バレンタインデーにチョコレートを贈る習慣は日本固有のものではなく、イギリスのチョコレート会社「カドバリー社」が、ギフト用チョコレートボックスを製造したことによって広まったのです。
日本では、1936年に神戸のモロゾフ洋菓子店が、英字雑誌に「バレンタインチョコ」の広告を出し、1958年には、新宿の伊勢丹で「バレンタイン・セール」と称したイベントがスタートしました。
当時はそれほど広まりませんでしたが、チョコレートの消費量増加に伴い、1970年(昭和45年)頃より急激に、バレンタインデーにチョコレートを贈る習慣が広まったのです。まさにテレビ等の普及等も見逃せないものもあるようですが!
商売人の中から義理チョコなるものも姿を現し、売上に大きく貢献したようですが、それも段々と様相が変わってきているようです。今年は14日が日曜に当たり、「ああ!良かった」と思っている女性社員が多くいるようですね。
どんな形であれ、気持ちを打ち明けたり等に大きな貢献があったのも事実。真似の上手な日本人にはあっと言う間の普及でしたが、次はどんなアイデアが登場するんでしょうか?
従って、ホワイトデーなどは典型的なイベントと言えるでしょう。

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 雑学 雷の子と和尚さん

みなさんは怖いことが起きたときに、「おお!くわばらくわばら」という話を聞いたことありませんか?
桑原とは勿論地名で実在しています。大阪から福知山線で三田(さんだ)駅で降りるとそこが桑原の地です。徒歩12分くらいで曹洞宗「欣勝寺(きんしょうじ)」に到着。前回お話をした道元禅師が名付けた寺だそうですが、ここに素晴らしい民話があったのです。ほのぼのとした話ですから紹介しましょう!

むかしむかし、天の上で雷(かみなり)の親子が雨をふらせようと、太鼓(たいこ)をたたいておりました。子供の雷は大張り切りです。どんどこどんどこと太鼓をたたいては、いなづまをぴかぴかと光らせておりました。
「こらこら、そんなにめちゃくちゃにたたいたら、危ないぞ」、雷の親はたしなめましたが、子供の雷は言うことを聞きません。 「それ、それっ」どんどこどんどこ。調子にのって太鼓をたたいては、あちらにざあざあ、こちらにざんざかと雨をふらせるありさまです。そうしているうち、張り切りすぎた雷の子は、雲の切れ目で足をすべらせて、人間の世界へまっ逆さまに落ちてしまいました。

欣勝寺の古井戸

雷の子は、桑原(くわばら)にある欣勝寺(きんしょうじ)の古井戸(ふるいど)に落っこちました。ちょうどお勤めをしていた和尚(おしょう)さんは、ものすごい音をたてて落ちてきた雷にびっくりして、本堂から飛び出してきました。すると、井戸の底から「助けてー」という声が聞こえてきます。
和尚さんがのぞきこんでみると、井戸の底で雷の子が泣いています。あちこちに落ちては火事をおこしたり、人間のおへそを取ろうとしたり、悪さばかりする雷です。少しこらしめてやれ。そう思った和尚さんは、大きな木の板で、井戸にふたをしてしまいました。井戸の中は真っ暗です
雷の子は泣きながら「助けてー。もう二度と悪さはしませんから」とさけんでいます。和尚さんは、しばらくの間知らんふりをしていましたが、だんだんとかわいそうになってきました。それに、よく考えてみると、雷が雨をたっぷり降らせてくれるおかげで、お米もよく実るのです。
「こら、雷よ。これからはもう悪さはしないか」、「はい、もう二度と桑原村へは落ちませんから、助けて下さい」、「それなら、そこから出してやろう」、和尚さんはそう言うと、長いじゅずを使って、雷の子を井戸からひっぱり出してやりました。雷の子は大喜びで、何度も何度も和尚さんにおじぎをしてから、雲の上へ帰ってゆきました。この話を聞いた雷の親は、ほかの雷たちを集めて言いました。
「これからは、三田(さんだ)の桑原村にだけは絶対に落ちてはならんぞ」、それからというもの、桑原村には二度と雷が落ちないようになったそうです。それを聞いたよその村の人たちは、雷が鳴り始めるとかやの中に入って、「ここは桑原、欣勝寺。くわばら、くわばら欣勝寺」と唱えるようになったということです。
今でも雷が鳴るとお年寄りは「おお!くわばらくわばら」と安全な処へ避難しようとします。

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 波島陽子という女性

最近、女優で舞踊家の波島陽子さんのホームページを見て思いました。彼女は日本の文化を伝えたい、日本の心を日本舞踊を通してお伝えしたいと現在の活動に想いを寄せています。
街のあちらこちらで、着物を着た「女性らしい姿」を見ると心が和むとでも言いましょうか、安らぐから不思議です。勿論、着こなしている人、また若い女性にあっては着せられているように見える人と様々です。
何年前だったでしょうか?花火を観るために横浜の桜木町の駅を降りようとしたときの光景です。ホームに降りれないほどの人混みの中、中学生や高校生らしき娘さんが殆どと言って良いくらい可愛らしい「ゆかた」を着ていました。一緒に来たのか彼氏らしき男性は洋服(カジュアル)でしたが、連れて来た彼女の可愛らしさに少し自慢気でもありました。
ところが、次の瞬間びっくりしたのが、なんと可愛らしいゆかた姿の彼女たちの何人かは「スニーカー」を履いていたのです。私が古いのか私には少し違和感が大きすぎました。
そんな話を波島さんにしたところ、「いいんじゃない!ゆかたを着てくれるだけでも嬉しい!」、勿論波島先生にそうした指導方針はありませんが、とにかく受け止め方が優しい人です。
ホームページの随所に、先生の心を表現された文面を見ることができますが、波島先生のそれはそれらの文面以上の優しさや思いやりを持った先生と言えます。最近、ホームページに掲載されたお便りを目にしました。先生の指導を受けた生徒さんや、全国の波島先生の作品愛好者から寄せられたお便りやメールの抜粋ですが、「ああ!誰にでもそう思われるんだな~」と感服する内容ばかり。
踊り(作品)に心が入っているから全てに感動を呼ぶ。先生の踊りは、私が目にして来た新舞踊とはどこかが違う!それが波島先生の想いとして見事に表現されているのです。
やぼったくなく、新鮮で、ときに日本舞踊の真髄を、歌舞伎のひとコマが合わさったような画期的な作品になっていることに驚きさえ感じます。そして驚くことが生徒さんの年令です。実に若い!高校生から30歳代前半が殆どではないでしょうか?若者に普及したいとする先生の思いが見事に実現しています。
稽古場の様子をたまに目にすることがありますが、生徒さんより腰が低く逆に感謝の気持ちが前面に出ての、これが指導なんだろうか?と。授業料ひとつ取っても商売になんか決してならない驚きの安さです。
心の底から「普及したい」思いがそうさせているのでしょうか?中には、そうしたことに気づかず、自分だけのことを考え行動している人もいるようですが、和の心を伝えるためにと根気よく対応していることが見事です。
いつか先生の元を離れるときに、日本舞踊を通して会得した心を大切にしていって欲しいと願うばかりです。

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 朝青龍に学ぶ 【自業自得】

ここで、東京都知事の朝青龍問題について、定例会見でのコメントを紹介しましょう。
これはスポーツ報知(2010年2月6日)20面に掲載された文面そのままです。
石原都知事が朝青龍関と日本相撲協会を痛烈批判した。「横綱の問題は、日本相撲協会の体質にありますよ。ドル箱に手をつけられなかった(協会の)商業主義、拝金主義というかね。文化は文化としての様式があります」。終始、強い口調で今回の騒動を「自業自得だ」とまで吐き捨てた。
大相撲のフアンだったという石原氏には、苦い思い出がある。1963年の秋場所で、4場所休場していた横綱の柏戸が千秋楽で横綱の大鵬を破り、全勝優勝。当時、売れっ子作家だった石原氏はこの取り組みを、新聞のコラムで「協会によるハ百長」などと書き、相撲協会との間で大問題に発展したことがある。
騒動の渦中にいた石原氏は「相当怖い思いもした」と苦笑するが、同じ作家で横綱審議委員会の委員長も務めた舟橋聖一さん(亨年72歳)からはこんなアドバイスを受けたという。「石原君、自重してくれ、と。大男ってのは、体が大きくて変に自信を見せるけど、こっけいなところがある。しかし、そういう連中にも、一種の『ものの哀れ』というのがある」。その後は、横綱審議委員会への就任を2階も受けるも「もうこりごりだ」と拒否。
しかし一連の騒動を前に国技への想いは隠し切れなかった。「ただ強いというだけで、文化の様式を壊すならさっさと辞めてもらったほうがいい。日本の様式を否定する人間が強いというだけでまかり通って、日本から一目おかれるのは、やりきれないし、かなわない」。
日本人としてさみしさを感じたという石原氏は、様式美を守り、相撲協会を改革する必要性を訴えた。

どうでしょうか?思いはまったく私も同じであり、私が綴ってきた通りを語っています。
今回の朝青龍問題を今の若者がどう考えているか聞いてみたいと言いましたが、プロレスやK1に魅かれている若者を見ると、土俵で相手を倒しガッツポーズする朝青龍に一喜一憂し拍手を送っているんでしょうか?
そうだとしたら、日本の文化や伝統を誰が守り育ててゆくんでしょうか? 怖くもあり寂しいですね。
日本人として、誇りと自信をもって歩んでいくとしたら、やはり素晴らしい心も持ち方をもう一度学び直すことも大切に思います。
若者が、結婚をし家庭に入ったら分かります。新しいことに勿論素晴らしいことは沢山あります。しかし、もともと日本人なのです。

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 朝青龍 VS ヘーシンクに学ぶ

日本中を騒がした朝青龍問題。「あの態度は何だ!」「横綱としての品格は?」と緊急特番を組み、街角では号外まで出る始末。今回の問題を若者はどう感じているかが一番興味のあるところでした。
こればかりは非常に難しい問題であったと共に、改めて日本の文化や習わしを考えざるを得ませんでした。
国も違う、文化も違うのです。まして人間は個々にものの考え方も違って当然です。
私自身はどちらかと言うと、文化や伝統は大切にしたい方ですし、出来る事なら多くの若者も将来の日本をそうした方面からも大切にして欲しいと願います。ある横綱審議委員が「朝青龍はアスリートとしては一流だが横綱としては失格であり評価するところがない」と言い切っていました。
彼は、引退会見で精一杯の言葉で抵抗してみせましたね。「品格品格というけど、一端土俵に上がれば鬼にもなる。こんな横綱今までにいなかったからね」と述べていたのが印象的です。
私も相撲は大好きで、出来ることなら幕内の後半の取り組みくらいは全て見たい方です。実際には時間があれば土俵入りからテレビを点けます。大相撲に関する知識も多く持っている方だと思っています。
しかし、土俵外で起こした問題(サッカー事件and暴行事件)以外でも、決して褒められる力士ではなかったと断言します。土俵を割っているにもかかわらず、ダメを押す醜さは、美しい伝統を誇る大相撲にはあって欲しくない言動です。あれでは、勝つためには何をしても良いとしか思えません。

40年前、東京オリンピックに於いてお家芸と言われた種目「柔道競技」で、当然の如く各階級で日本は金メダルに輝きました。そして事件は次に起きたのです。

東京五輪柔道

無差別級で登場した日本のエース神永昭夫選手が当然決勝に勝ち上がって来ました。相手は日本で修行を積んできたオランダのヘーシンクです。日本中の期待に反しヘーシンクに負けたのです。
その瞬間でした。オランダの監督コーチはじめ、興奮した関係者が喜びとともに競技場の畳の上に上がろうとしたのです。それを察したヘーシンクは瞬時に「来ては駄目だ」と言わんばかりに手で制しました。
ショック最中の日本陣営をよそに、大観衆から大きな拍手が起きたのは言うまでもありません。これこそ和の心、日本の精神、武術の教えと称賛されたことは言うまでもありません。最高に美しい瞬間でした。
どうでしょうか?同じ武道家と違いますか?日本人より日本人らしいその光景は柔道のフアンならずともみな感銘を受けたはずです。ヘーシンクはオランダ人です。朝青龍が出来ないはずがないのです。もう一人のモンゴル出身横綱白鵬は「名横綱双葉山に近づきたい」と一生懸命です。その姿は立派に土俵上に表れています。
つまり、指導者に問題があると言っても過言ではないのです。(つづく)

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 妙心寺の座禅

私が経験した坐禅は、社員教育の一環として参加したものですが、それでも一月中旬に行ったのは価値がありました(それが狙いであったことは当時の自分には分かりませんでしたが)。
雪国育ちの私が悲鳴を上げたくなるほど京都の真冬は厳しいものです。朝4時半に起床。全国から参加した若者は約80名。いきなり寺の周囲を2周です。約20分くらいかかったと思う。
吐く息はそのまま凍りつくほど冷たく、起きがけの参加者は愚痴るものばかり。私は三泊四日の日程でしたが、毎朝本気で走り、トップでゴールしていました。真面目と言うのではなく、今回何をしにやって来たのかの目的を考えれば極当たり前なことなのですが、参加者の一部からは「なんでそんなに本気で走る必要があるんだよ」と。
戻って「洗顔」、その後が大変です。つまり坐禅の時間です。これが結構慣れないと同じ姿勢が保てないのです。「半眼の眼」と称し、焦点を合わせてもいけない心の目と言われても難しいのですが、朝も5時を迎えようとする頃、まだ扉を開けていない外からお参りに来ている人たちが私たちのいるお堂の中に賽銭を投げ込むのです。
やってはいけないのですが、横目で見る仲間の姿はまるで三十三間堂の仏像のように並んで見えるから不思議でした。
それから広い堂内各所の雑巾がけです。このときの水の冷たさは今でも忘れません。
心の底では、子供の頃から毎朝雑巾がけを徹底してやっていたので親父に感謝でしたね。それが終わってやっと朝食です。勿論精進料理ですから肉や魚などとんでもない話です。そのときです。麦ご飯にそうした粗食を口にしながら涙を流す27歳くらいの男性がいたのです。彼は2日目に黙って寺を出て行ってしまいました。???????分かりません??
昼は当然セミナー漬けです。考えてみればすべてが「心の持ち方」でしたね。テレビで見る有名な講師、オリンピックメダリスト。有意義でした。中でも花園大学の学長の話が一番心に残っています。
私たちは修行僧ではないので相当手加減された工程だったはずですが、それでも耐えられない参加者もいるのには驚きました。
この経験が全てではありませんが、その後知識人と言われる多くの講演会に出席し自分磨きに挑戦しました。転んでも、倒れても、こころを強く起き上がれるのは、そうしたものの考え方を理解し実践できたからじゃないかなと思えるのです。私が、「頑張って幸せになりましょう!」と説きたいのは、実践すれば必ず出来ると信じれるようになったからです。

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 修行僧 雲水

卒業を目前に、新しく巣立つ若者への想いを語っています。
実際に、細部にまで渡って調べた訳ではないので詳細までは把握できませんが、報道で知る限り社会全体がおかしくなっているのも事実です。政治家になんとか頑張って欲しいと痛切な思いをぶつけている姿も目にします。
しかし、どんな時代であれ立ち向かって行動を起こすのは本来政治家ではありません。個人個人ひとりひとりの強い行動力にかかっているのです。他力本願にするなと言っているのはそこです。
毎年、春が近づくと曹洞宗の大本山「永平寺」の門をたたく若者がいます。
ここで少し曹洞宗の宗祖「道元」について触れてみたいと思う。父は村上源氏の流れをくむ名門「久我(こが)家の久我通親であると言われていますが異説もあるようです。
幼少時に父母を亡くし道元は仏教への志が深く、14歳で当時の仏教の最高学府である、比叡山延暦寺に上がり、仏門に入りました。 道元には「天台の教えでは、人はみな生れながらにして、本来悟っているはずなのに、なぜ厳しい修行をしなければ悟りが得られないのか」という強い疑問がありました。
道元は日本臨済宗の宗祖である建仁寺の栄西に教えを請いたいと思うのですが、栄西は道元が出家した2年後に、すでに世を去ってしまっていたのです。
比叡山を下りた道元は、建保5年(1217年)、建仁寺に入り、栄西の直弟子である明全に師事します。しかし、ここでも道元の疑問に対する答えは得られず、真の仏法を学ぶには中国(宋)で学ぶしかないと考えるようになりました。師の明全も同じ考えであり、二人は師弟ともども貞応2年(1223年)に渡宋したのです。
道元は天童山景徳寺の如浄禅師に入門し、修行を重ねます。如浄の禅風はひたすら坐禅に打ち込む「只管打坐(しかんたざ)を強調したものであり、道元の思想もその影響を受けているのです。
坐禅に見るその姿はまさに仏そのものであると教え続けています。私は浄土真宗ですが、京都の妙心寺で寒い一月坐禅の修行に挑んだことがあります。
修行僧を雲水と言いますが、今ではその修行期間を決めるのも各自自由だそうです。先日のドキュメント放送で、二年間の修行を終えて永平寺を後にする雲水が「しっかりと修行を済ませたので・・・」と語っていましたが、修行に終わりがないことを会得できなかったのかなと現代の若者像を見た気がしました。
いつの時代でも、自分を磨く、自分をみつめることの大切さが求められますね。

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 自分に負けるな

「前向きに、どんなに良いことを言っても仕事に就けないときはどうするんだ?」との問合せがありました。現実の問題として、一生懸命やって来たのに就職できなかったと言う人はここ数年の不景気の中で本当に多かったと思います。
私もその昔、ある日突然会社を閉じるという経験をしたことがあります。他人の責任(せい)にしたいほど今まで築いて来た会社をズタズタにされた事実もありました。しかし、迷惑を被った社員を雇ったのも自分です。相手がペテン師であろうとなんであろうと監督が出来ずにいた訳です。
そして、再び一人になり一から全てにスタートしたのです。何か特別な資格を持っている訳でなく、道路工事やトラックの運転でもしながら今後の人生に立ち向かおうかとも考えました。今まで頑張って来た企画制作の仕事をするのが一番近道で、当時取引していた人たちからも誘われましたが、暫くは一人で自分を見つめ直しながら生活するのも大切だろうと、今まで経験もしたことのない世界にも飛込みました。
しかし、どこに行っても役に立ち、どこの経営者からも重宝がられたのは自身に確固たる会社での必要な知識を持っていたことと、実行力に富んでいたようです。
スピード出世を果たし、会社の役員に任ぜられ、会社の発展にのみ努めたのです。明るい性格も功を奏し、数年前に会社を閉めて将来に不安を抱いていたのが嘘のようでした。
つまり、言いたいことは、自分に何かの力(能力)を身につけておれば怖いもの無しということです。
悲観していても何も始まりません。努力や修行もせずに社会を恨んでも仕方ありません。政治が悪いということも事実でしょう!だからと言ってあなたは何をしているのですか?ということです。
心のどこかに、フリーターなどといかにも時代の波の中で行動していたとしても現実はどうだったのでしょうか?地に足を着けて、とにかく自分が何でなら世の中の役に立つのか考え、決めたらただひたすらに努力をすることではないのでしょうか? 簡単に金を得ようなどと思うからこれだけの犯罪が横行しているんです。
就職が出来ない?! 自分を棚卸ししたことありますか? 本気で立ち向かうあなたに手を貸さない人はいません。あなたに努力の成果があるのなら自信をもって人生に立ち向かうことです。私が説いているのは、心で負けるなということです。まして、これから結婚をしたいと考えているのであれば、決して諦めずに力強く一歩踏み出して欲しいと思います。
「よし!やるぞ」「絶対できる!」の暗示が必ず道を開いてくれます。またそうした人を社会は待っているのです。そんな人たちが不幸に遭うのであれば、それこそそこが政治家の仕事なんですから!

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 得意分野

今年もまた、多くの若者が希望を抱いて新しい社会に飛び込んで来ます。 昨今の就職難もあって、職が決まったからと安心ばかりはしていられないのが現状です。
社会情勢の波によって景気の動向がまるでしゃぼん玉のように消えたり舞ったりと、楽しみにして良いのか、それとも儚く消え去るそのままなのか? 政治家が、国民の暮らしを支えるためにと奮闘しているようですが、それもままならず。
でも、そこは考え方ではないでしょうか? 一人一人がそれぞれの能力を発揮し、また発揮するために修行をし学んでいく。つまり、他力本願ではなく自己の確立に向け、他人(ひと)任せではなく自分のためにどれだけ努力するか?そこが大切だと思う。
一流のアスリートやアーティストにただ憧れて眺めるだけではなく、あなたにしか出来ないあなたにしかない能力を磨くことで道は見えてくるのではないでしょうか。
あなたを必要とする企業は必ずあるはずです。その出会いに遭遇しない人が多すぎます。
例えば、多くの人は自らの手で田畑を耕して農作物を育てようとはしません。人気を博している職業への憧ればかりが大きく、自己分析の出来ないまま上辺に流されている姿も多く見ます。
そうかと言って、優良企業も明日をも知れない時代に入ってしまいました。人の心は、安ければ良い。安いものに飛びつくといった傾向が最近銀座のマリオンでもその姿を見ました。
まさか、マリオンの西武が撤退するなんて?本当に予測のつかない時代になってしまったと言って良いでしょうね。
時代に流されない自分を作り上げることも今後は更に重要になって来たのかも知れません。新しい時代を作り上げて来た坂本竜馬や福沢諭吉等々。そうしたある種の反骨心みたいなものが今一番求められているのかも。
からと言って、全員が全員そうした行動をとれるとは限りません。それぞれに器があっていつも末端でついていくような人間だって多くいるわけです。
陶芸家でも良いでしょう。果実の栽培でも良いでしょう。近所の子供たちを得意分野で指導することも良いでしょう。一攫千金を狙うのではなくそのために自分が何をしたら良いのか考えて行動するべきです。
やろうとすることが本物なら、世の中は受け入れてくれます。そんなに捨てたもんじゃないですよ。今日も「ピーピー!とーふー・・・」と聞こえてきます。昔懐かしいリヤカーを引いて、荷台には本当に美味しい豆腐が積んであります。ピーピーは「美味しいですよ~」と聞こえてきます。引いているのは30前後の若者です。

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 福沢諭吉に学ぶ

考えてみると、本当に家庭のあったかさを味わえたか、そうでないかは大きいですね。他人(ひと)の心を平気で踏みにじる者、他人の心に土足で入り込んで来る者。 一番困るのは、それを本人が気づいてないところにあります。自分が正しいとの思い込みほど怖いものもありません。結婚するまでは、結構相手のそうしたことに気づかないこともありますから怖くもありますね。
結婚するときに相手を見るのではなく、日頃から人の心に触れたり見たり聞いたりすることも必要なのです。世の中には、口下手でも素晴らしい人間はたくさんいます。素晴らしく素敵な容姿であれば彼氏に彼女にしたいとするのも問題です。
前に、体を重ねる前に心を重ねてみてはどうかという話をしました。 本当にそうなんです。まずこころを知ることが大切でしょう。
一般的に言えば、結婚するその殆どはほぼ若い世代が大半を占めているはずです。ですから、自分は出来ないとか、駄目だではなく、相手を思いやれる人間等、心磨きをするにはまだまだ十分間に合うのです。
つまり、鉄は熱いうちに打ての如く、目標を決めて実践に移せば大丈夫ということ。
決して諦めず挑戦し、幸せな人生を送れるこころを築いていってください。「感謝の気持ちが大切ですよ!相手の立場に立ってものを考え行動することが大切ですよ」等々。実行するのは自分だということですね。
家族の影響を受けてその名を轟かせた人物、「福沢諭吉」はあまりにも有名です。幼くして父親を失い、母の手ひとつで育った諭吉は、最後の武士社会にあって、人間はみな平等でなければならないことを母から学んだそうです。
有名な「学問のすすめ」の「天は人の上に人を造らず、人の下に人を造らず」の始まりが母の影響であったことは言うまでもありません。貧しい人に平等に食事を与え、雨をしのがせた精神こそが本当の母の愛であったようです。一般的には「天は人の・・・」、この部分だけがクローズアップされていますが、一番大切なことを「学問のすすめ」の最後で教えているはずです。
そうした立派な人間になるには、まず学ばなければならない。教養を身につけ大きな人間となるために学問が必要なんだと。外国に学び、レディーファーストを日本に持ち込みました。功績は語りきれないほどあります。その精神があって慶応義塾大学を創設するにあたったのですから、心の影響の大きさの重要さが分かりますね。
母も立派だったでしょう!しかしその環境を正しく生き抜いた彼はもっと立派だったと言って良いのではないでしょうか。

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 温かい家庭の行事  節分

「鬼は外、福は内」
幼稚園や保育所では楽しいイベントとしてどこでもやっているでしょうが、実際の家庭ではどれだけの家族がこうした行事を受け継いで実行しているでしょうか?
私が子供の頃は、隣りからも、そのまた隣りからもそれぞれが負けないくらいの声で「鬼はそと~・・・、福はうち~・・・」と聞こえてきたものです。
何か今でも団欒が目に浮かんで来ますね。ここで「節分についての由来」に触れてみましょうか。豆辞典にこんな風に書かれています。
節分は、季節の分かれ目の意味で、元々は「立春」「立夏」「立秋」「立冬」それぞれの前日をさしていました。節分が特に立春の前日をさすようになった由来は、冬から春になる時期を一年の境とし、現在の大晦日と同じように考えられていたためのようです。
立春の節分に豆をまく『豆まき』の行事は「追儺(ついな)」と呼び、中国から伝わった風習なのです。「追儺」の行事は、俗に「鬼やらい」「なやらい」「鬼走り」「厄払い」「厄神送り」と呼ばれ、疫病などをもたらす悪い鬼を追い払う儀式で、文武天皇の慶雲3年(706)に宮中で初めて行われた。
一般的に豆まきに使う豆は炒った大豆であるが、豆まき後の掃除が簡単なことや、まいた豆も食べられることから、地方によっては落花生などが使われています。最近は少しだけ、みかんやキャラメルなんかも含まれて拾う子供たちの楽しみにしています。
また、節分に巻き寿司を食べる風習は、福を巻きこむという意味と、縁を切らないという意味が込められ、恵方(えほう)に向かって巻き寿司を食べるようになったと言われています。
これも大阪方面から伝わって来たようですが、地方それぞれの特徴があるのも面白いものです。
「さあ!みんなが幸せになれるように!」「健康に過ごせるように」「悪い鬼が家に入り込まないように」等々、様々な言い伝えと願いを子供たちに語りながらその時を過ごしたものです。
勿論、真似ごとにしろ、隣りに迷惑にならない程度の小さな声で「鬼は外」「福は内」とやっている光景。これこそ大きな声で叫びたいですね!家族だけでなく、隣りも、近所もみな心が伝わるような、こんな素晴らしいことがあるのですから、スーパーや小売店の企画でその日があるのではなくこの行事を語り継ぎ行っていきたいですね。さあ!あなたも大声で、今夜やってみてください!「鬼は~そと~」「福は~うち~」と。

 人名、会社名等(著名人は除く)は仮名ですが内容は全てノンフィクションです。
 【俊介の部屋】は平成21年6月4日にスタートしました。(毎日掲載しています)

 親に育まれて 10

一番良いのは、やはり最低限のことは結婚前に仕上げてしまうことでしょう! それでなくとも未熟なことは沢山あるはずです。 出来なかったことを相手(家族)のためにと努力しながら不足を補っていけば大丈夫です。国会での予算委員会や様々な答弁で聞くに堪えない「ヤジ」を耳にしたことがあると思います。
どうでしょう!いつかそうしたヤジを飛ばしている相手をズームアップして放送してみたら?
まるで子供以下ですね。審議中は当然多額の経費を、それこそ国の税金で賄ってやっているはずです。もし、あなたが真剣に選んだ議員がそうした行動をとっていたらどうでしょうか?
相手の欠点や弱点だけ突いているその姿に何の進展も歩み寄りも期待はできません。自分の姿を客観的に見ることの出来ない可愛そうな人物です。それが、国会議員ですよ!
家庭でも同じことです。どうしたら助け合って幸せな家庭を築いていけるか。理屈はひとつも要りません。
きっと親だって本当にいろんな性格やものの考え方の人間がいて当然です。
親がそうだったからではなく、どうしたら正しく建設的に温かい家庭家族を作れるのか?自分の心で考え実践するのです。確かに親の影響は大です。
例外はあってはいけませんが、それでも例外は別として、子供を一番思いやって愛してくれるのが両親であることを決して忘れてはなりません。
日本中を、いや世界中を震撼させた極悪な事件が発生しました。千葉県の事件にしろ秋葉原の事件にしろ、どちらも子を持つ両親がいましたね。そちら側(両親)の気持ちでものを考えたことありますか?
どんなに辛く、どんなに苦しく、出来る事なら首をくくりたいと苦しんだに違いありません。そうした親だって、まさか自分の息子がそんな大事件を起こすなど到底夢にも思わなかったことでしょう。
家のなかでも、自室に閉じこもりパソコン相手に時間を過ごせる時代です。どんなに世の中が便利になっても、心の持ち方だけはきちんと指導しなければならないということです。
前に、挨拶が出来なくなった若者の話をしたと思います。若者だけではないのです。挨拶の出来ない大人も増えて来た現実も見逃してはいけないのです。朝青龍事件も良い例です。指導出来なかった自分を守ることで必死では、どうすることもできないんです。
息子に愛情を注いできたと思いこんでいるのかも知れないですよ。もっと腹を割って心と心でぶつかり合うのでなければ親の愛が届かない時代になってしまったのかも知れないですから。

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 親の愛に育まれ 9

親元を離れて立派に成長する子供も沢山いますし沢山知っています。それは少なからず子供時代に基本を教え込まれているか、親の素晴らしい背中を見て育ったに違いありません(例外は別として)。
それほど親の愛、親の指導(教育)は大切なのです。結婚するときに、「いいんだ料理なんか出来なくっても!」と話す男性もいます。好きだから?当然料理が苦手な人だっていない訳ではありません。
「そうだよ!苦手なんだから仕方ないじゃないか?」とかばう男性もいるでしょう。どうでしょうか?365日出前で生活が出来るでしょうか?一時的には下手で苦手で良いかも知れない。
しかし、私が欲しいのは、少しでも上手になりたいなと思う気持ちと努力です。苦手は苦手なりに、下手は下手なりにその努力の成果は必ず表れるはずです。
私の家内は実に料理が上手です。本人は謙遜していますが、どれを食べても美味しいと感じます。どちらかと言えば、食にうるさい私ですから評価は辛口の方ですが毎食満足ですね。
これはお世辞でもおのろけでもありません。私のためにと料理してくれる心、それが最大の調味料となっているのかも知れませんが幸せ気分に浸れるひとときでもあります。
別に特別豪華な食卓を整えているわけではありませんが、私は心から感謝の気持ちを添えながら頂くことが出来ています。嬉しいことですね。
料理が下手でも良いと言ったからと何の努力もしないとしたら大きな問題ですが、実際にはそういう人もいるらしいですね。でもどうでしょうか?食卓に出された料理に首をかしげることがあっても、どこか良いところを褒めてあげるとか、ときには美味しい料理を一緒に食べに行きながら、楽しく料理について少しだけ語り合ってみるとか?
ほんの少しだけの興味や好奇心の入り口に誘ってあげる努力も必要なんだと思います。しばらくして子供が誕生する。何が何でも料理をしなければならない時も来るんです。
この子のためにとそれなりに注ぐ愛情が不可欠となりますね。ですから、子供が生まれる前から、多少苦手であっても旦那のためにと愛情を注ぎながら台所に立って欲しいと願います。
自分はそういう風に育って来なかったと諦めずに、気付いた時点からでも決して遅くはありません。
困ることは、気づいても実行しないことです。私のために、自分のために、家内のためにとその心が伝わるだけでも大成功です。
他人(ひと)のふり見てわが身を直すと言いますが、謙虚さと感謝も添えながら自分づくりに励んでください。

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