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 心の詩 (童謡) 21

汽車ポッポ     作詞 富原 薫 作曲 草川 信

汽車 汽車 ポッポ ポッポ
シュッポ シュッポ シュポッポ
僕らを乗せて
シュッポ シュッポ シュポッポ
スピード スーピード 窓の外
畑もとぶ とぶ 家もとぶ
走れ 走れ 走れ
鉄橋だ 鉄橋だ たのしいな

汽車 汽車 ポッポ ポッポ
シュッポ シュッポ シュポッポ
汽笛(きてき)をならし
シュッポ シュッポ シュポッポ
ゆかいだ ゆかいだ いいながめ
野原だ 林だ ほら 山だ
走れ 走れ 走れ
トンネルだ トンネルだ うれしいな

汽車 汽車 ポッポ ポッポ
シュッポ シュッポ シュポッポ
けむりをはいて
シュッポ シュッポ シュポッポ
ゆこうよ ゆこうよ どこまでも
明るい 希望が 待っている
走れ 走れ 走れ
がんばって がんばって 走れよ

「汽車ポッポ」はふたつの作品があることをご存知ですか? 一般的にはこの作品が多く歌われていましたが、
もう一作は次の作品です。

汽車ぽっぽ    作詞:曲 本居長世

お山の中ゆく
汽車ポッポ
ポッポ ポッポ
黒いけむりを出し
シュシュシュシュ
白いゆげ吹いて
気関車と気関車が
前引き 後押し

何だ坂 こんな坂
何だ坂 こんな坂
トンネル 鉄橋
ポッポ ポッポ
トンエル 鉄橋
シュシュシュシュ

トンエル 鉄橋
トンエル 鉄橋
トンネル トンネル
トントントンと
のぼりゆく

どちらも懐かしいですね! 遊びました遊びました。 本当に当時の故郷には汽車が走っていました。
たんぼの向こうを走る汽車に手を振って大声あげて・・・
線路沿いでは競争もしました。小さな川にかかった鉄橋は歌の通りでしたが今思えば小さな川にかかった橋でも当時(子供の頃)はとっても大きく見えたものです。
荒縄がいつも自分たちの電車でした。近所の子が一緒に遊び一緒に歌った汽車ポッポは心と心をつなぐ夢の特急列車でした。

 人名、会社名等(著名人は除く)は仮名ですが内容は全てノンフィクションです。
 【俊介の部屋】は平成21年6月4日にスタートしました。(毎日掲載しています)

 心の詩 (童謡) 20-2

童謡に魅せられて

『自称岡山の桃太郎です。我が家に3歳になるやんちゃ坊主がいます。先日は鯉のぼりに手を振って話しかけていました。我が子ながら可愛いですよ。
なんとか息子に素晴らしい子供の歌をと検索していたところ「俊介の部屋」というブログに出会いました。正直私の知らない歌が多く戸惑いました。しかし葉山さんの思い出や感想とともに紹介される童謡が楽しみで一昨日由紀さおり・安田祥子の「童謡を歌おう」を買ってきました。まだまだ他にもたくさんあるようなので1枚ずつ集めたいと思います。
妻は今秋出産予定で息子はいよいよお兄ちゃんです。CDを聴いているとその素晴らしさは本当に手に取るよに分かります。テレビの影響等で最近の歌は歌で子供たちには人気なんでしょうが、私はこれを機会に子供たちには是非この素晴らしい童謡を聴かせその状況を話してあげようと思います。
お陰さまで私の祖父母もまだまだ健在で家族で同じ話題を共有できる良い機会と思っています。私が知っている童謡はきっと祖母が歌って聴かせてくれたのかも知れません。もっと歌っておけば良かった。子供を持って初めて知る心情です。
これからも素晴らしい作品をたくさん紹介してください。夫婦、いや家族で楽しみにしています。』

桃太郎さんからは逆に最近の子供たちが歌う作品を少しだけ紹介して頂きました。勿論まったく分かりません。時代が変わったことに驚くばかりです。
考えてみたら私が綴っている童謡は学校で習ったんだろうか?いくつかは別として私の知っている大部分はどうして覚えたのかの記憶がありません。母が、お手伝いのおばさんが、あるいは神社の境内等の遊びの中で自然と覚えたんでしょうか?
それにしても本当によく歌いました。2番も3番もここまで歌えるのは童謡以外にありません。子供の頃覚えた作品で良かった。素晴らしい作品(童謡)をたくさん歌えて良かった。
桃太郎さん!いっぱい歌ってあげてくださいね!

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 心の詩 (童謡) 20

         作詞 北原白秋 作曲 成田為三

雨がふります 雨がふる
遊びに行きたし 傘はなし
紅緒のお下駄も緒が切れた

雨がふります 雨がふる
いやでもお家で遊びましょう
千代紙折りましょう 畳みましょう

雨がふります 雨がふる
けんけんこきじが今ないた
こきじも寒かろ 寂しかろ

雨がふります 雨がふる
お人形寝かせどまだ止まぬ
お線香花火もみなたいた

雨がふります 雨がふる
昼もふるふる 夜もふる
雨がふります 雨がふる

しとしと降る雨の日のなんとも所在のなさを切なく語りかけていませんか?「昼も夜も雨が降り続ける」という最終句に至ったところで、この歌が人の心の「雨」へのテーマを切り変えていることに気づかされますと評されているのです。縁側で見上げた雨降りが昨日のように思い出されます。

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 心の詩 (童謡) 19-2

「波浮の港」の制作にあたり、実際には作者は現地へは行ったことがなかったそうです。
依頼をうけた野口雨情は、1枚の写真をネタにこの曲を創ったと言われていますが、後で地図を確認して「しまった!波浮の港からは夕焼けは見えないじゃないか」って焦ったようですよ。
それにしてもなんて想像性豊かな作者なんでしょうね。素晴らしい感性とともにコンビの中山晋平氏は同じように想像を膨らませてこのような作品が誕生したようです。
この作品を歌謡曲の走りと表現しましたが考えてみると人々の心に伝わるっていう原点はやはり童謡の旋律だったのかも知れません。
どこかゆったりして何故かマイナーで、共通して郷愁に富んでいて人の心を掴んで離さない。戦後どんどん流行歌が親しまれた裏側にはこのような童謡の影響があったからに他ならないと思います。
母を歌い、故郷を歌う、涙があって月や星が必ずと言って良いほど登場する。それらはすべて童謡なんでしょうね。
「波浮の港にゃ・・・」となるメロディーなどはまさしく童謡です。そして「夕焼け小焼け」はその集大成でしょう。だから中学1年の当時の私の心にも強烈に入り込んで来たんだと思います。
時代も一番良い時代だったかも知れません。今みたいにカラオケがある訳ではなく特にふるさとは詩そのままの田舎でしたから自然には事欠くことがありませんでした。
つまり、感傷に耽って何か自分が主人公のようで、口ずさむ舞台としては申し分なかったですね。
現在波島日本舞踊教室に通っている生徒さんの中に1輪の花を思わせる素敵な女性がいますが、現代っ子と思いきや、「私はいつか荒城の月を踊ってみたい」と言うのです。
荒城の月、なんとなく波浮の港にもその漂いは似ていませんか?現代っ子の心にも入り込んでくる詞とメロディー。
彼女の感性がオリジナルの舞踊とあいまって素晴らしい世界を表現してくれる日を楽しみにしているところです。
良い空気を吸い、素晴らしい歴史に裏打ちされた伝統や文化、童謡もまたしかりでもう一度見直す時期なのかもと思っています。

どんな作品でもいいです。知らなかったら両親やおじいちゃんおばあちゃんにたずねてみたら如何でしょう!それだけでも心が温かくなるそんな出会いがあるはずだから!

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 心の詩 (童謡) 19

波浮の港   作詞 野口雨情 作曲 中山晋平

磯の鵜の鳥ゃ 日暮れにゃ帰る
波浮の港にゃ 夕焼け小焼け
明日の日和はヤレホンニサ なぎるやら

船もせかれりゃ 出船の仕度
島の娘たちゃ 御神火暮らし
なじょな心で ヤレホンニサいるのやら

島で暮らすにゃ 乏しゅうてならぬ
伊豆の伊東とは 郵便だより
下田港とは ヤレホンニサ風だより

風は潮風 御神火おろし
島の娘たあちゃ 出船の時にゃ
船のもと網 ヤレホンニサ泣いて解く

磯の鵜の鳥ゃ 沖から磯へ
泣いて送らにゃ 出船もにぶる
明日も日和で ヤレホンニサなぎるやら

勿論これは童謡ではない。おそらく新民謡とでも言うのでしょうか流行歌の始まりだったかも知れません。
中学1年の学園祭で先輩が歌った「波浮の港」。当時はすぐに歌えるようになったことを覚えています。
作者を見て分かるようにどこか童謡の劇中劇にも似た作品ですね。歌謡曲の変遷に欠かすことのできない名作でしょう。(つづく)

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 心の詩 (童謡) 18

赤い靴      作詞 野口雨情 作曲 本居長世

赤い靴 はいてた 女の子
異人さんに つれられて 行っちゃった

横浜の埠頭から 船に乗って
異人さんに つれられて 行っちゃった

今では 青い目に なっちゃって
異人さんの お国に いるんだろう

赤い靴 見るたび 考える
異人さんに 逢うたびに 考える

詞といいメロディーといいどうしてこうも哀しく寂しいんだろう。勿論何度口ずさんだか知れないこの作品のエピソードを追ってみました。

明治38年 岩崎かよは私生児を連れて故郷(今の静岡県清水)を追われるようにさすらいの旅を続け北海道の地を踏んだそうです。このときかよが連れていた娘きみが「赤い靴」の主人公だそうです。
かよは開拓者の鈴木志郎のひたむきな情熱に惹かれ志郎に人生を託すようになりましたが厳しい開拓村に幼子を連れて行くことにしのびず、やむなくアメリカ人宣教師夫妻の養女として当時3歳のきみを残し後ろ髪を引かれる思いで開拓村に向かいますが、それからずっと幼いきみのことを1日として忘れたことがない。
偶然札幌の新聞社で知り合ったのが野口雨情だったそうです。
人の人生を人の心をどうしてこんなにも見事に表現できるんでしょうか! 短いメロディーの中に両親の愛情がいっぱいです。

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 心の詩 (童謡) 17

待ちぼうけ      作詞 北原白秋 作曲 山田耕作

待ちぼうけ 待ちぼうけ
ある日せっせこ 野良稼ぎ
そこに兎が飛んで出て
ころりころげた 木のねっこ

待ちぼうけ 待ちぼうけ
しめた これから寝て待とうか
待てば獲物が駆けてくる
兎ぶつかれ 木のねっこ

待ちぼうけ 待ちぼうけ
昨日鍬取り 畑仕事
今日は頬づえ 日向ぼこ
うまい切り株 木のねっこ

待ちぼうけ 待ちぼうけ
今日は今日はで待ちぼうけ
明日は明日はで 森のそと
兎待ち待ち 木のねっこ

待ちぼうけ 待ちぼうけ
もとは涼しい黍(きび)畑
いまは荒野の箒草(ほうきぐさ)
寒い北風 木のねっこ

この作品が中国の説話からきていることを知っていましたか? 稲作をする農民が田んぼの隅の切り株にぶつかって死んだ兎を持ち帰って食べたことから始まっていたんだそうです。
農民は味をしめ次の日から鍬を捨てまた兎が来ないかと待っていたのに二度と来なかった。そのために稲は実らず農民は国の笑い者になったという話です。
偶然の幸運をあてにして時間を無為に過ごすな。また楽して金儲けしようと思うなと諭したかったようです。

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 心の詩 (童謡) 16-3

静岡県の次男坊さんより
『近くに桂林寺・龍雲寺・江月寺そして多比神社と遊ぶ場所には事欠かない環境でした。のどかでしたね。
探偵ごっこをして泣いて帰って・・・!我々の子供の頃は一日中外で遊ぶのが当たり前。
今でも比較的その思い出に浸れるのがこうした神社仏閣です。当時は相当大きく感じた建物も大人になるに従ってそうでもなくなって見える。ただこんな素晴らしい環境でも遊ぶ子供が少なくなったことは寂しいですね。
たくさんある童謡はこうした環境から生まれたんだと思えた頃もありました。
いくつか懐かしい童謡に触れ思い出すことばかりです。大学時代から10年ほど東京にいましたがやっぱり故郷です。こんなに素晴らしいところは無いと思う。それだけ年令を重ねたんでしょうかね。
このブログに出会って暫くいろんな思い出を振り返ってみました。人も町も昔の方が優しく感じられます。
改めて叱られてを声に出して歌ってみました。良い歌ですね』

ありがとうございます。 それぞれに素晴らしい心の故郷があるんですね!とってもよく分かります。
身軽だった小学生の頃、大木(当時は)に登ってターザンのように木を揺さぶっていたらなんと途中に開いていた木の穴は蜂の巣で病院に運ばれるほど刺されたことがありました。
猫かリスかが分からずに追いかけて追い詰めた木の上はスリル満点の捕り物帳。そ~と捕まえようとした瞬間、まるで風呂敷を広げたように飛んでった動物。それがムササビだってこともその当時知りました。真っ赤な夕焼け空が消えても遊んでいたわんぱく時代。
そこにはいっぱいの詩があったのです。あぜ道を歩きながら必ずと言って良いほど大きな声で歌ったのがやっぱり全て童謡でした。選ばせて頂いたお便りにもきっと一緒であっただろうと思える懐かしさばかりです。
童謡ってたくさんありますがそれぞれに心を捉えて離さない作品ばかりだったように思います。
大人になって当時の遊び仲間と話すとき私はとっても遊び上手であったと言われます。墓石と墓石の間にもの干し棹をかけてシーツ(幕)を張りお芝居の真似ごともしょっちゅうでした。
てづくりの遊びが子供同士の心をつなぎ合わせていたのも事実です。夢中で遊んでいたこのような光景を両親は知っていたんでしょうか?

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 心の詩 (童謡) 16-2

「叱られて」への思い入れや当時の感想を4通も頂きました。
いわき市東田町にお住まいのねんねこさんから


『私は子供のころ近くの渋川でよく遊んだものです。葉山さんの「心の詩」をひょんなことで見つけてからは毎日楽しみにブログを拝見しています。40歳になった倅にパソコンを教えてもらいながらの出会いでした。パソコンってほんとに便利だね。
このたびの童謡は私もよく歌ったものです。昔に比べたら周りはすっかり変わってしまったけどこの渋川は当時絶好の遊び場でした。整備されていない川沿いでびしょびしょになって遊んでいましたね。
中にはガキ大将に従って出羽神社も最高の遊び場でした。棒きれをそれぞれが1本持ってチャンバラでした。
しかし、どうした訳か「夕焼け小焼け」や「叱られて」の歌は定番だったようです。最近は歌わなくなりましたね!葉山さんが「どうして叱られたんだろう・・・?」とありましたが自分も何故か分からず歌ってました。ほんとに親に怒られたときなどはまるで自分がその主人公でしたね。
言われてみれば確かに今の人たちはこんなにも素晴らしい歌を知らないのかと思うと残念でなりません。歌詞をかみしめながら歌って聞かせたいです。どうしてこれほど童謡には郷愁がいっぱいなのか!?
いくつになっても当時歌った童謡には懐かしい時代の思い出がぎっしり詰まっています。かと言っていきなり倅にこんな話をしても「どうしたの?」と言われるのがオチのようです。
素直な気持ちで、童心にかえってこのような童謡を題材に語り合ってみたいと思いました。まず。このブログを誰かに紹介してみようと思います。
どこまで童謡を綴ってくれるのか分かりませんが頑張ってください。間違いなく私は大のフアンとして見続けていきたいと思います。』

嬉しいですね! インターネットを通してのブログにこんな出会いがあることも最高です。ねんねこさん!本当にありがとうございました。当分は私の歌える童謡のみ思い出等と一緒に紹介させて頂いています。
作詞家や作曲家のみなさんの感性の素晴らしさを感じながら私なりに綴らせて頂いています。(つづく)

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 心の詩 (童謡) 16

叱られて    作詞 清水かつら 作曲 弘田龍太郎

叱られて 叱られて
あの子は町まで お使いに
この子はぼうやを ねんねしな
ゆうべさみしい 村はずれ
こんときつねが なきゃせぬか

叱られて 叱られて
口にはださねど めになみだ
ふたりのお里は あの山を
越えてあなたの 花の村
ほんに花見は いつのこと

「叱られて・・・あの子は町までお使いに・・・」どうして叱られたのだろう?どうして泣きながらお使いに行かなければならなかったのだろうか?ずっと思っていました。
この作品は大正時代に作られたそうですからそれがどこであっても山を越え川を渡りは想像つきます。
こんときつねが泣きゃせぬか・・・と周りの風景も思い浮かべることができますね!子供ながらに不安であったり怖かったりまで伝わってきます。
個人的には何故か私の一番好きな作品です。素朴な自然や生活、人情、子供たちの姿をこんな風に捉えた作者の名作ではないでしょうか。本当に日本人の心の原風景が見えてくるようですね。
この唄を歌うとどうしても優しく歌ってみよう静かに歌ってみようと思います。つまり何か自分で想像した世界に入り込んでドラマの主人公になったように歌いたくなるのです。

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 心の詩 (童謡) 15

証城寺の狸囃子   作詞 野口雨情 作曲 中山晋平

証 証 証城寺 証城寺の庭は
ツ ツ 月夜だ
みんな出て 来い来い来い
おい等の友達ア
ぽんぽこ ぽんの ぽん

負けるな 負けるな 
和尚さんに 負けるな
来い 来い 来い
来い 来い 来い
みんな出て 来い来い来い

証 証 証城寺 証城寺の萩は
ツ ツ 月夜に花盛り
おい等は 浮かれて
ぽんぽこ ぽんの ぽん

小学二年生の頃だったか学芸会で踊った記憶があります。私も寺で育ったせいかなんとなく情景があっていて懐かしい思い出がいっぱいの作品です。これは作詞家の野口雨情が千葉県木更津市のお寺にある狸の伝説から作られたそうですが作者の感性に驚かされますね。
全国各地で多くの替え唄として使われたのもこの作品だそうです。歌った覚えありませんか?

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 心の詩 (童謡) 14

  アメフリ      作詞 北原白秋 作曲 中山晋平

雨 雨 降れ降れ
母様が 蛇の目でお迎ひ嬉しいな
ピッチピッチ チャップチャップ
ランランラン

かけましょ鞄を
母様の 後からゆこゆこ鐘がなる
ピッチピッチ チャップチャップ
ランランラン

あらあらあおの子はづぶ濡れだ
柳の根かたで 泣いてゐる
ピッチピッチ チャップチャップ
ランランラン

母様僕のを貸しましょか
きみきみこの傘さし給ひ
ピッチピッチ チャップチャップ
ランランラン

僕ならいいんだ
母様の大きな蛇の目に入ってく
ピッチピッチ チャップチャップ
ランランラン

文字の表記は原文そのままなので今の若者には迷っちゃうかも知れませんね。どうして覚えた分からないけど全部歌えるから相当口ずさんだのは間違いないように思う。
どうですか?時代は変わっても光景は浮かんで来ませんか?ただただ素晴らしい!(つづく)

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 心の詩 (童謡) 13

鳩笛ならそか  作詞 吉岡 治 作曲 越部信義

謹んで吉岡治先生のご冥福をお祈り申し上げます
この作品を知っていたら教えてください。

吉岡先生がサトウハチロー先生のお弟子さんだったことも、童謡を手掛けたことも知りませでした。
私はサトウハチロー先生の作品が大好きで先生の「おかあさん」3部作をはじめ多くを所持していました。

お茶漬けね サクサクね
お弁当つけ どこゆくの
尾張名古屋の 大和屋へ
や や やっぱりね
や や 大和屋へ

これはお笑いタレントの楠トシエさんが歌ったサトウハチロー先生の作品でCMソングです。
この曲をライブで聴いたことはありませんが楽しい曲で今でも歌えます。
この時期に聴いたのが吉岡治氏の「真夜中のギター」でした。歌が大好きで歌うことに燃えていた頃だったことを覚えています。真似をして私も作詞や作曲に挑戦したのもこの頃で青春時代真っただ中でしたね。

今日から君を ジュリアンと
呼んでも いいね
街の花屋で 見つけた名前
赤と黄色の その花びらは
ぼくの好きな サクラ草にとってもよく似てる
だからジュリアン 好きだよジュリアン
今日から君は ぼくの大事なジュリアン


私の一作目でジュリアンという作品でした。

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 心の詩 (童謡) 12

   肩たたき     作詞 西條八十  作曲 中山晋平

かあさんお肩を たたきましょ
タントンタントン タントントン
かあさんしらがが ありますね
タントンタントン タントントン

お縁側には 日がいっぱい
タントンタントン タントントン
真赤なけしが 笑ってる
タントンタントン タントントン

かあさんそんなに いい気持
タントンタントン タントントン

西條ハ十(さいじょうやそ)はなんと言っても流行歌・歌謡曲で数えきれないヒットを飛ばしましたが、こどもの心をのびのびと表現した作詞でも活躍したんですね。単調なんですが歌いながら縁側で肩たたきをした思い出が甦ってきます。
可愛らしいと言った方が的を得ていると思いますが、私も肩たたき券やお掃除券を息子からもらった記憶があり表現できない絆を感じた頃がありました。この当時の童謡の歌詞には人間がもっとも大切にしたい優しさや思いやりが郷愁とともにぎっしり詰まっているように思います。
ただ残念なことは表現され歌われている対象物が影形を変えてしまっていることで今の子供たちと共有できないことがあります。心で語り歌えるような優しい人間の想い、取り返したいですね(つづく)

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 心の詩 (童謡) 11

   背くらべ      作詞 海野 厚  作曲 中山晋平

柱のきずは おととしの
五月五日の 背くらべ
ちまきたべたべ 兄さんが
計ってくれた 背のたけ
きのふくらべりゃ なんのこと
やっと羽織の 紐のたけ

柱にもたれりゃ すぐ見える
てんでに背伸(せのび)していても
雪の帽子を ぬいでさへ
一はやっぱり 富士の山

端午の節句に背丈を計った光景はよく分かりますが、これは親が子供の背丈を計ったのではなく作者の弟さんの成長を作者本人が描いたようです。そうだとすれば仲の良い兄弟だったんですね。
この詩に曲をつけたのが中山晋平です。素晴らしい感性に裏打ちされたのは事実ですが人というのはいかに出会いでものごとが変わるかの典型でもあったようです。
島村抱月や松井須磨子、野口雨情等々の出会いの中で画期的な作品に偶然であったわけでないことがよく分かります。
中でも「カチューシャの唄」や「船頭小唄」「波浮の港」等その後歌謡曲の進む道を決定づけたとも言える素晴らしい作品が次々に誕生するのです。

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 心の詩 (童謡) 10

雨降りお月さん   作詞 野口雨情 作曲 中山晋平

雨降りお月さん 雲のかげ
お嫁にゆくときゃ だれとゆく
ひとりでからかさ さしてゆく
からかさないときゃ だれとゆく
シャンシャラ シャンシャン 鈴つけた
お馬にゆられて ぬれてゆく

いそぎにゃお馬よ 夜が明けよう
たずなの下から ちょいとみたりゃ
おそででおかおを かくしてる
おそではぬれても ほしゃかわく
雨降りお月さん 雲のかげ
お馬にゆられて ぬれてゆく

雨降りお月さん 雲のかげ
お嫁にいくときゃ だれとゆく
ひとりでからか ささしてゆく
からかさないときゃ だれとゆく
シャンシャラ シャンシャン 鈴つけた
お馬にゆられて ぬれてゆく

ピアノを弾けない人が右手の指1本で鍵盤をたたくだけで素晴らしい曲が完成する。この作品の音色は郷愁とともに良き時代を再現してくれています。(つづく)

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 心の詩 (童謡) 9

  黄 金 虫    作詞 野口雨情  作曲 中山晋平

黄金虫は金持ちだ
金蔵建てた蔵建てた
飴屋で水飴買って来た

黄金虫は金持ちだ
金蔵建てた蔵建てた
子供に水飴 なめさせた

昔から各地に迷信や伝説が多く語られていますが、この作品も雨情のふるさと茨城県に多くいたチャバネゴキブリだったとの説があるそうです。つまりこの虫が住みつく家は裕福になるという伝説があったようです。
日本の民俗に関心の深かった雨情だからこそ書きあげた作品なのかも知れません。
私はマイナー調のメロディーが好きだったせいか得意になって歌った記憶があります。
最近こうした作品を聞けるのは年に1~2度NHKかなにかで少年少女合唱団かなにかのコーラスで耳にすることが多いはずです。
童謡を歌わせると素晴らしい由紀さおり・安田祥子姉妹が有名ですが、中学生か高校生のソロを聴いてみたい気がします。たしかに手をつないで家路に向かうイメージは3~4人ですから歌もそのくらいな人数も面白いかも知れません。あまりきれいに歌いすぎず心のままに歌って欲しいですね。
私の知っているグループに童謡を中心に集う年配諸氏がいますが懐かしいんでしょうね!童謡を大切にしたいとそうした集まりは全国にもそれぞれあるはずです。懐かしんでいる人たちには大切な時間でしょうが、なんとか一人でも多くの若者にも伝えていきたいですね。
音楽の教科書に沢山盛り込まれていた童謡。その中に「バラが咲いた」が加わるようになってから少しずつ作品の内容が変わっていきました。日本の文化伝統と言われるように童謡は日本を語るときになくてはならないものだと思うのですが!(つづく)

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 心の詩 (童謡) 8

 あの町この町     作詞 野口雨情  作曲 中山晋平

あの町この町
日が暮れる 日が暮れる
今きたこの道
帰りゃんせ 帰りゃんせ

お家がだんだん
遠くなる 遠くなる
今きたこの道
帰りゃんせ 帰りゃんせ

お空にゆふべの
星が出る 星が出る
今きたこの道
帰りゃんせ 帰りゃんせ

ある資料にこんな内容で説明されています。
『「境界」に対して強い意識を持ち続けた雨情らしい「恐い歌」だと。
「逢魔が刻(おーまがとき)」という言葉がある。日中から夜へと変わる。その境界にあたる時刻がそれで、オニがさらっていくやも知れず子供を外に出しておいてはいけないと言われた。こういった民俗の記憶を、とても大事にした詩人が雨情であり、「あの町この町」は、その傑作と言っても良いだろうと。2番目の、帰ろうとしているはずなのに、家が遠くなっていくという部分が秀逸。そして主人公の周りを夜が取り囲む。』
なんとも深い情景であり時代すら味わえる作品でしょう。当時のこうした人物に会ってみたかったと思うのは私だけでしょうか!(つづく)

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 夕焼け小焼けにお便りでした

おはようございます!「夕焼け小焼け」の童謡にこんな由縁があったんですね(*0*)
しかも八王子の神社なのですね!さきほどネットで調べてみたら宮尾神社の最寄バス停が「夕焼け小焼け」と言う名前だそうです!なんだか素敵ですよねぇ。それから、神社のまわりも「夕焼け小焼けふれあいの里」という大きな施設になっているそうですよ。
電車ではJR八王子駅ではなく高尾駅のほうが近いようですね。今度時間が取れたら行ってみようと思います☆

夕焼け小焼けの童謡は私も知っています。歌詞ももちろんですが、そのメロディからもなんとなく夕暮れ時の切なさとか、一日が終わる寂しさ、もしくは安堵感のようなものが伝わってきますよね。
童謡も今となっては聴く機会がめっきり減ってしまいましたが、改めて見直してみるとやはり長年に渡って人々に歌い続けられてきた理由がなんとなくわかるような気がします。
なんていうか、キレイな印象なんですよね。「心を汚さない」って言う意味でのキレイさが童謡にはあるように感じます。

私も含めて今の若者は、学校であまり童謡自体を習っていなかったり、おじいちゃんおばあちゃんとの接触が少なかったりと、童謡に触れる機会が本当に少ないせいか知らない歌がたくさんあります。
でも童謡の歌詞に込められているような「心」が、今の日本には求められているのかもしれませんよね。
私も葉山さんのブログを見て勉強したいと思います(笑)!


 八王子にお住まいのバンビさんからでした (ありがとう!)

 心の詩 (童謡) 7

  シャボン玉     作詞 野口雨情  作曲 中山晋平

 しゃぼん玉   シャボン玉飛んだ 屋根まで飛んだ   
            屋根まで飛んで こわれて消えた
            風 風 吹くな シャボン玉飛ばそ

            シャボン玉消えた 飛ばずに消えた
            生れてすぐに こわれて消えた
            風 風 吹くな シャボン玉飛ばそ

この作品がとても悲しく切ない心情を歌ったものだと言うことを知らない人が多いように思います。知らない子供たち(先生も)は明るく元気にシャボン玉を夢に例えて歌っているからです。童謡と言えば可愛らしい子供の歌と思いがちですが、この歌の作者野口雨情は生まれてすぐに長女みとりを亡くしているのです。
それ故この「シャボン玉」には、はかなく散った娘への切ない想いが込められていたのです。
前にもご紹介した「七つの子」、その他代表作には「赤い靴」「黄金虫」「証城寺の狸囃子」がありますがこれらの作品で野口雨情を感じることが出来ますね。
私は「シャボン玉」の作曲家中山晋平の故郷を何度か訪ねたことがあります。記念館にも行きました。縁があって、中山晋平生誕100年祭の企画を依頼され長野県中野市で記念コンサートを行ったことがありました。
作曲家の山本直純先生に構成演出監修して頂いたのです。
そのステージで地元の学生たちによる演奏や合唱に野口雨情作品を採り入れました。唱歌(童謡)の素晴らしさを改めて満喫しました。どちらかというと私自身マイナーな曲調が合うようで学生の頃から小川の傍らを散歩するときなど感情いっぱいに歌ったものです。
「あの町この町」「雨降りお月さん」「兎のダンス」それにあの「船頭小唄」も二人のコンビなんですよ。
中山晋平は長野県、野口雨情は茨城県、二人の出会いは素晴らしい作品で結ばれていたのです。(つづく)

 人名、会社名等(著名人は除く)は仮名ですが内容は全てノンフィクションです。
 【俊介の部屋】は平成21年6月4日にスタートしました。(毎日掲載しています)

 心の詩 (童謡) 6

 夕焼け小焼け   作詞 中村雨紅  作曲 草川 信

夕焼け小焼けで 日が暮れて
山のお寺の 鐘がなる
おててつないで みなかえろ
からすといっしょに かえりましょ

子供がかえった あとからは
まあるい大きな お月さま
小鳥が夢を 見るころは
空には きらきら 金の星

教職にあった詩人・童謡作家の中村雨紅(なかむらうこう)の代表作。中村氏の「雨紅」という名は、彼が師事していた野口雨情の「雨」の一字をもらったとされています。
心の詩と題したこのシリーズにふさわしい作品ですね。世の中が乱れ切った中で当時は本当に心の優しい教師がいたんですね。 前に聖職という話をしましたがまさにこうした教師に当てはまる言葉でしょう。
平和だった!のどかだった!ふるさとが美しかった! 手をつないで近くの山から川から帰るときに何度歌ったことか!
とくに田舎は空気もきれいで今ではなかなか巡り合うことのできない景色がそこにあった。喧嘩しても真っ赤なほっぺに青鼻たらして大きな声で歌う姿はすっかり仲直りした友だち同士の光景でもあった。
からすといっしょに・・・、そのあとの「かえりましょ」の響きは今もそのまま心に残っている。私たちが鎌倉などに行って自然いっぱいの中にあるお寺などを目にすると懐かしさにも似た優しい気持ちになれるのは幸せだと思わざるを得ませんね。(つづく)

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 心の詩 (童謡) 5

  七つの子      作詞 野口雨情  作曲 本居長世

カラスなぜなくの カラスは山に
可愛い七つの子があるからよ
可愛 可愛とカラスはなくの
可愛 可愛となくんだよ

山の古巣に 行って見てごらん
丸い目をした いい子だよ

この歌は日本の童謡の中でも最も知られた名曲ではないでしょうか?
作詞した野口雨情は7歳のときに母親と別れてその心情を綴ったとされていますが、最も日本人に適した作品のひとつでしょう!
私が小さい頃から耳にしていたこの童謡ですが、子供ながらにもなにか寂しく切ない感じは伝わっていました。童謡が好きになったキッカケの歌だったかも知れません。
都会のカラスを見ていても想像が出来ない最近の若者たち。でも私が子供だった当時は確かにカアカアと鳴くカラスを嫌だと思ったことはありません。 当時のカラスはどこかしら可愛がられていたのかも知れません。
童謡「叱られて」と並んで情景が浮かんでくる作品ですね。
こうしてみると当時山に囲まれた雪国で育ったことは今になってみると素晴らしい財産ですね。母が歌ってくれた七つの子を何度も何度も歌いました。
商業ベース制作するCMや多くの流行歌。若い人気歌手が悪いとは言いませんが心に残る作品が少ないのはやっぱり儲け優先の制作が影響していることは間違いありません。
山田洋次監督のように人間の原点を追求するような作品が少なくなって残念です。目に飛び込んでくるテレビ等の内容を見ているとそれがよく分かります。(つづく)

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 心の詩 (童謡) 4

  早春賦       作詞 吉丸一晶 作曲 中田 章

春は名のみの 風の寒さや
谷の鶯 歌は思えど
時にあらずと 声も立てず
時にあらずと 声も立てず

  春の唄       作詞 喜志邦三 作曲 内田 元

ラララ 空はうららか そよそよ風に
春が来た来た 丘から町へ
すみれ買いましょ あの花売りの
可愛い瞳に 春の夢

ラララ 空はうららか そよそよ風に
春が来た来た 町から町へ
ビルの窓々 みな開かれて
若い心に 春が来た

いくつか春の歌を口ずさんでみました。 こんな歌があったんですかとメールを頂きましたが、ご年配の皆さんがこのブログを見て頂く機会が少ないので思い出にも似たお話は私からお伝えするしかありません。
皆さんのお爺ちゃんやお婆ちゃんに聞いてみてください。きっと素敵な思い出話が聞けますよ。

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 心の詩 (童謡) 3

  ウグイ        作詞 林 柳波  作曲 井上武士

うめの小枝で うぐいすは
春が来たよと うたいます
ほう ほう ほけきょ ほう ほけきょ

雪のお山を きのう出て
里へ来たよと うたいます
ほう ほう ほけきょ ほう ほけきょ

朧月夜(おぼろ月夜) 作詞 高野辰之 作詞 岡野貞一

菜の花畠に 入日薄れ
見渡す山の端 霞ふかし
春風そよふく 空を見れば
夕月かかりて におい淡し

やっぱりどの歌も懐かしいですね。 ふるさとの歌こころの歌、本当は誰もが抱いていたふるさとの想いもこうした歌を耳にすると思い出でいっぱいになります。
今では決して表現しない言葉の言い回しですが、ふるさとの言葉こそ美しい日本の言葉なんではないでしょうか?
季節季節に是非多くの人が声に出して歌えるような世の中だといいですね。昔は日本も本当に美しかったのだから(つづく)

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 心の詩 (童謡) 2

どこかで春が 作詞 百田宗治  作曲 草川 信

どこかで春が うまれてる
どこかで水が 流れ出す
どこかでひばりが ないている
どこかで芽の出る 音がする

山の三月 東風(こち)吹いて
どこかで春が うまれてる

        作詞 武島羽衣 作曲 瀧廉太郎

春のうららの 隅田川
のぼりくだりの 船人が
櫂のしづくも 花と散る
ながめをなにに たとふべき

錦おりなす 長堤に
くるればのぼる おぼろ月
げに一刻も 千金の
ながめをなにに たとふべき

春の歌を思い出して分かるだけ綴っています。 最近の小学校ではどこまでの作品を教えているかは分かりませんが結構こうした素晴らしい曲を知らないことに驚かされます。(つづく)

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 心の詩 (童謡)1

春が来た 作詞:高野辰之 作曲:岡野貞一

春が来た 春が来た どこに来た
山に来た 里に来た 野にも来た

花が咲く 花が咲く どこに咲く
山に咲く 里に咲く 野にも咲く

春の小川 作詞:高野辰之 作曲:岡野貞一

春の小川は さらさらいくよ
岸のすみれや れんげの花に
姿やさしく 色うつくしく
咲けよ 咲けよと ささやきながら
咲けよ 咲けよと ささやきながら

綴っているうちに涙がこぼれそうになった。 まさに郷愁そのものですが、子供の頃に大きな声で一生懸命歌った記憶が甦ってきます。
山も、里も、そして野も・・・、雪が解けてやってくる春は格別でした。あちらこちらにたき火の煙が上がります。それは落ち葉ではなく雪囲いを外すと出てくるごみを燃やす煙です。
大人は一生懸命!子供は嬉しくてただ遊ぶだけの平和なひとときでした。 少しずつ陽が伸びていて遊び足りない子供たちが歌う歌でもあったようです。 すみれもれんげもみんな知っていました。美しい故郷の美しいメロディーはかあさんの歌のようでもありました。(つづく)

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 自然の美しさ 6

こいのぼり

やねよりたかい こいのぼり
おおきいまごいは おとうさん
ちいさいひごいは こどもたち
おもしろそうに およいでる

みどりのかぜに さそわれて
ひらひらはためく ふきながし
くるくるまわる かざぐるま
おもしろそうに およいでる

子供のころ、父が一本の長い竹竿に風車を着けて家の前に立てた光景は今でも鮮明に覚えている。そして大きな声で一生懸命歌ったものです。「やねより高い・・・・」、屋根より高く泳いだこいのぼりって本当だったのです。見上げて歌ったことも覚えています。その頃の風は雪が解けてやっと春を迎えた雪国独特の優しい風に感じました。
周囲の山の緑はそれは目に鮮やかでそれが人間の住む環境なんですね。目にも心にも優しい環境って本当に何処へ行ってしまったんだろうと思う昨今です。
今は歌われていない多くの童謡の中にそうした心の歌が沢山あります。しかし、屋根の無い家が増え多くはビル化してしまったコンクリートジャングルが恨めしくも思うのは私だけでしょうか?
日本にあった素晴らしい童謡をしばらくは紹介していってみたいと思います。どんなに時代が変わっても心に響くものは同じはずだと思うから。
紹介がてら当時の思い出を語ることができたら良いのですが・・・(つづく)

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 自然の美しさ 5 

あじさいの季節や紅葉はまた格別ですが、新緑は心を躍らせる別の魅力に吸い込まれます。東慶寺は丁度牡丹の花が観賞できラッキーでした。「立てば芍薬座れば牡丹、歩く姿は百合の花」・・・なんて言いながら?ところがこうした言葉すら知らない若者と一緒ですから教えがい(迷惑だっただろうか?)があります。田中絹代さんの墓を見つけても「知らない」わけだから鎌倉で良かっただろうかと少し不安!
ただ、鶴岡八幡宮での説明は興味を示してくれましたね!源義経と静御前の悲恋物語や公卿が実朝を暗殺したとされる倒れた大銀杏の前に立つと頷きは大きく変わっていました。
頼朝の意に反し恋慕う義経を思って舞った舞台などエピソードや歴史、また物語を知っているだけで日本舞踊の感情移入に役立つのではと・・・
八幡宮から銭洗い弁天まで、ゆっくりゆっくり歩いて約30分。いつもの車移動と違って発見も多いのは事実ですが、何よりいっぱいいっぱいおしゃべりをしながら過ごせるのも魅力でした。
それぞれにどんなことを感じながら歩いているんだろうな・・・?そう思うだけで連れて来て良かったと感じる鎌倉散歩でした。
ほど良い汗をかきながらの散歩の途中に食べた「みのわのくずきり」。歩いたから余計美味しかったかも知れない。

鶴岡八幡宮
                鶴岡八幡宮 (倒れた大銀杏の跡)

浅草やお台場も観光客でいっぱい。でもこうして自然を散策する人に口では言えない共通点があるように感じました。歩いて来て良かったな。自然を相手にやっぱり車は不要かも!
癒されることでいっぱいの鎌倉散歩。大きなビルを見ることのない自然の中の名所旧跡。晴れていただけに最高の休日を過ごすことが出来ました。これだけ廻って東京駅に着いたのが午後6時。約17,000歩の散歩は最高でした。

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 自然の美しさ 4

円覚寺 東慶寺
今まではどこに出かけるにも殆ど車でした。
今年のゴールデンウィークは大好きな鎌倉に行ってみたいと前から考えていましたが勿論車での計画です。正どちらかと言うと地理には強い方で、車だと意外な立ち寄りも楽しめてその都度新しい発見が出来ました。
今回は特に歴史に触れて欲しい生徒さんを連れてなので少しコースを欲張りたかったのですが、鎌倉のタクシー会社に確認をとったら「絶対電車が良いですよ!車は動きません!」との返答で交通手段は電車に変更。
日本舞踊や新舞踊は歴史上の人物や物語を作品にしたものが多いので少しでも役立てばとは思うのですが、最近の若い人たちは結構歴史に触れる機会が少ないらしく知らないことが多いのに驚きます。機会が少ないんでしょうね!
電車で出かけるのは本当に久し振りでしたが、話に夢中になっていたら東京から北鎌倉はあっと言う間でした。降りたホームは鎌倉散策を楽しむ人たちでホームはいっぱいの旅人たち!
まず驚いたのがのどかだ!静かだ!・・・ 降り立った場所は「円覚寺」の正面。なんとも眩いばかりの新緑に「鎌倉はやっぱり素晴らしい」となります。まるで私たちを歓迎するかのような五月晴れ!風も一番気持ちの良い風力2といったところ!降り注ぐ太陽は若草色に染まった紅葉がほどよくさえぎり、木漏れ日が心を癒してくれました。

円覚寺
             臨済宗 円覚寺総本山

案内人兼カメラマンは大忙しですが、この素晴らしい自然と名所旧跡の力を借りて歩を進めました。
日本の四季は特に美しく何度見ても心を癒してくれますが、ここに来ている全ての人が感じているであろう言葉には出せない感動を共有していることに改めて喜びを感じました。
道路を挟んで反対側は「東慶寺」です。縁切り寺または駆け込み寺の説明をすると大きく頷きながら目を見開いていました。「ホーホケキョ!」素晴らしい効果音に少し興奮気味!まるで私たちを歓迎してくれているかのように自然を演出してくれていました。(つづく)

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 自然の美しさ 3

少し自然界の話をして来ましたが、今回は人の体について触れてみましょう。
整形手術、化粧、ファッション等々についてです。神に授かった命、或いは要姿。こればかりは両親の影響が大きく人それぞれですからそのこと自体はどうすることも出来ません。
私が小学生時代に、生れて間もなく大やけどをしたらしくいつも毛糸の帽子をまとった男子がいました。こればっかりは周りがみな子供ですから罪が無いかもしれませんが当然中に心ない同級生もいてその帽子を取っていじめるのです。子供ながらにとっても嫌な思いをしたことを覚えています。こうしたことは特例ですが、段々と成人し働きに出るようになると目を大きくしたい、鼻を高くしたい等々つまり改造手術を好む人が多く現れます。
私は基本的にその人の生まれたままの姿が一番美しいと思っています。女性がお化粧することで美しさを求めることは全く問題はないのですが個性まで破壊してまるでクローン人間みたいでは何の魅力もありません。
特に若い頃の女性の美しさは日本人であれば黒髪でしょう。生涯に二度とない青春時代の髪をピンクにしたり金髪にしたり等やりきれないですね。
両親がくれた大切な黒髪に対する想いは何なのか聞いてみたい気がします。ファッションと言われればそれまでですが、基本的な美しさが何なのかも学ぶ必要があると思っています。
まして身体に消すことの出来ない入れ墨を入れるなどもっての他でしょう。ファッションという名の元で高額な費用を支払ってまでそうした行為に及ぶということは儲け主義のそうした企業に煽られているんだと考えることも大切です。勿論人それぞれで自由ですし勝手かも知れません。
あなたの目が正しければ自然の美しさが一番であることは分かっていると思う。不思議なもので現在日本舞踊を習いに来ている波島教室の生徒さんで黒髪以外は一人もいないのです。これって偶然でしょうか?
本当の美しさを日本人の心をもって学びたいとする気持ちが一緒だからでしょうか?お化粧も薄化粧ですがとっても綺麗で美人揃いの生徒さんだということも嬉しい限りです。
私のこうした意見は偏見だという人だってきっと沢山いると思います。ではここでそうした人に質問をしてみたいですね。
あなたは優良企業に就職したいと面接をするとき、どうして素晴らしい身なりと美しい黒髪なんでしょうか?そうでないと就職できない、面接で落ちてしまうと思っているからです。
つまりあなたは何が理想かを実はきちんと知っているのです。

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