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 波島陽子の2019年

本年も1年お世話になりました。
挨拶-1

平成から令和に移行した記念すべき2019年でしたね。

残念ながら今年も多くの災害が日本を襲いました。  自然災害だけは誰をも恨むことができず、被災された皆様にはお見舞い申し上げるしかないのが歯がゆいくらいです。「頑張って欲しい・・・」としか言いようがないのも辛い年でした。

それでも、頑張れる人は前向いて・・・。そうなんです。前向くことが何よりの「勇気」なんですね。
そしたら、明日に希望がいっぱいになりました。  波島陽子日本舞踊教室は前述のように、コツコツと歩いてとうとう日本舞踊教室のランキングで1位にまで登りつめました。

家元波島陽子に言わせると「お陰様で・・・」となりますが、この謙虚な姿こそ日本の文化なんだと改めて確信が持てた年でした。

お陰様で今年も本当にいろんな人との出会いに恵まれ、まもなく2019年の幕が降りようとしています。
こうして振り返ることは大切ですね! やはりありがとうの1年でしたもの。

生徒さんが多いと、楽しいことだけじゃなく辛く苦しいことも少なくありません。 ご存知のように日本もすっかり様変わりしてしまいました。 正直言葉(会話)など涙が出て来るほど乱れてしまっています。それを若者用語というなら更に悲しくなってしまいますね。テレビや映画で時代劇を観ても、そこに美しさを求めることは本当に困難になって来たことは事実です。

「時代劇は初めてです・・・・」と女優さんが波島に指導を仰ぎにやって来ます。 その動けないといったら目を覆いたくなるほどです。勿論、波島教室にも役者さんになりたい・・・・と頑張っている人は少なくありません。基本からしっかり学びみなその日を待っています。
私が嬉しいのは習いに来る生徒さんの心根です。   さすがに、礼儀正しい人が多いですね。それだけに責任もありますよ。
ところが、今年も1人とても残念なことがありました。可能性があるとみて大舞台に新人を大抜擢したまでは良かったのですが、襦袢他様々なものを貸してあげての出演でその舞台が終わったらまったく音沙汰が無くなってしまいました。勿論お稽古にも来ません!!連絡しても全て通じません。普通事件か事故が起きたのでは・・・・と思いますがその気配なし。 不思議な出来事も5年に1人くらい出てきます。
勿論事情があったんだと思いますが連絡がとれないのはアウトですね(涙)

絶対数がまともな生徒さんが多いだけに不思議を感じています。 いろんな経験をしてハッキリ言えるのは、人生なんでも「覚悟」のない者は大成しないということです。
他人の庭は綺麗に見えると言います。 私は波島の側にいてつくづく感じています。誰一人隔てがなくみな平等に、そして思いやりいっぱいに受け入れ指導する姿は観音像にさえ見えることがありますよ。    だから、この教室の門を叩いた生徒さんには「良かったね・・・」と声を大きく言いたいくらいです。
ご年配の中には足が痛いここが痛いと年齢とともに襲い来る病魔と闘いながら頑張っている人も少なくありません。そんなときの波島の対応はまるでドラマの中を覗いているようです。

こうして今年も無事に終え今年を振り返ってみました。
ディナーショーを含め、2月にはGINZASIX観世能楽堂での舞台で平成の幕を降ろし、令和とともに来年の波島陽子芸能生活35周年特別公演が故郷湯沢市に決定との朗報。
長年都内の中学校の生徒を指導(日本舞踊)して来た功績を称え・・・と教育委員会に特別表彰されたこと。
「頑張ってきて良かったね」・・・でした。

生徒さんやお弟子さんも成長し来年はその舞台で頑張ってもらえる・・・・。 故郷での公演にどれほど心強いでしょう。


艶-1

その相手に地元湯沢市の「湯沢湯乃華芸妓」の皆さんに白羽の矢を充てました。 嬉しかったですね。  ここでも(湯沢)こんなに頑張っているチームが居たんだ・・・と。
このチームについては「湯沢湯乃華芸妓物語」で何度かご紹介済みですが、まだ目を通してない方は是非このブログをさかのぼると閲覧できますのでゆっくりご覧ください。

日に日に評判を上げるこの湯乃華芸妓のみなさん。 主宰者の心根なんでしょうね。 出来れば来年の舞台(タイトル)は「粋と艶の花舞台」としたい・・・・と考えているところです。

長い伝統が消えつつある中、なんとか甦らせたいと立ち上がった主宰者阿部さんこそ「ふるさと再生の旗頭」と言って良いでしょう。

何で!!?、絶えたものを復活させるまるでコンダクターのようなものですね。それがなんと来年5周年になるそうです。

普段、一般には観ることのない「お座敷」の再現は画期的な舞台になることでしょう。
「艶」を担当する湯乃華にはまたとない絶好のチャンスですね。 「この舞台を観ないと損をする」、まさにそんな舞台になること請け合いです。


粋-1

片や波島陽子の代名詞と言われる「粋な世界」。

先日私はたまたま歌舞伎の「瞼の母」を観ました。 長谷川伸先生の作品ですね。映画も舞台もいろんな人が忠太郎を演じて来られました。
しかし、忠太郎をやらせたら淺香光代先生の忠太郎の右に出る者はいない・・・と断言できます。 もしかするとたかが女剣劇くらいにしか見ていない人もいるかも知れない・・・・。 とんでもありません。カッコ良くて粋でいなせで艶があってね!これが芸術だと言って良いでしょう。
その淺香先生にしごかれしごかれ磨きをかけた波島陽子。 全国の新舞踊愛好者のみなさんが、波島陽子が振付けた作品以外踊れない・・・・と豪語するほどです。勿論、本人波島は「とんでもありません、私よりはるかに素晴らしい先生は沢山いらっしゃいます・・・」と本当にどこまでも謙虚です。
そこに、作品に品のようなものが備わるんでしょうね。

来年はその波島陽子が芸能生活35周年、湯乃華芸妓が創立5周年。波島は外に飛び出し東京(えど)は浅草という芸どころでとうとう花をさかせました。そうした外で頑張っている波島と内に居る阿部チーム(湯乃華)が芸で結ばれてふるさと創生の為立ち上がったのです。

これほど素晴らしいお話しは近年耳にしたことがありません。

お互いの世界を観る上でもその相乗効果は計り知れないものがありそうです。

その準備をしながら令和2年の幕を開けようとしています。

今年も本当に多くのみなさんに目を通して頂いた「幸せ探しの部屋」、少しは楽しんで頂けましたでしょうか!?

まもなく2019年から東京オリンピック開催の2020年。
波島陽子も、この記念の年に最高の舞台をお見せしたいと準備に余念がありません。 是非双方の集大成としての「粋と艶の花舞台」にご注目ください。

嬉しいことに、全国から多くの波島作品愛好者の皆さんが駆けつけてくださるとご連絡を頂き、ますます身の引き締まるおもいです。

湯沢湯乃華芸妓のみなさんの踊(ぶたい)も是非楽しみにして頂き旅行のご計画をお立てくださいね。

今年も1年、本当にありがとうございました。  

それではみなさん、どうぞ良い年をお迎えください。 




 風情や人情あってこそ日本

令和最初の羽子板市

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昨日波島陽子日本舞踊教室へ湯沢市の市長がひょっこり顔を覗かせました。
なんでも、台東区の盆踊りに湯沢市のあの素晴らしい「絵灯ろう」が寄付されたことから今度は湯沢市へ台東区から「羽子板」が贈呈されるとのことで上京されたようです。
写真のように今年の世相はそのまま反映されやはりラグビーが羽子板に登場でしたね。「ワンチーム」、なんとも素晴らしいフレーズです。「アメリカンファースト」などと中身が違いますね。
何でもかんでも「・・・・ファースト」と総理大臣までが口にする。私は重みを全然感じませんでした。でも「ワンチーム」はラグビーなのに素晴らしい。それはあの礼儀正しいラグビーというスポーツの精神そのものでした。

ところで、「えっ、なんで寅さん・・・・」と思われる方もいると思います。 寅さんが亡くなって確かもう22~3年になるんじゃないでしょうか!?どんな作品に仕上がったか知りませんが、山田洋二監督渾身の50作目の完成だからでしょう。

人情が死語になるほどの世の中にこの羽子板がしっかり日本を守ってくれていました。

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湯沢市の市長にはどんな羽子板が贈られたのかとっても興味がありますね。 やはり「小野小町」でしょうか!?
出店の前で「あれがいい!これがいい・・・・」と多くの人が眺めます。 「買ってくださいね・・・・」と中からお姉さんの声。
このやりとりだけ聞いていても結構楽しいものです。

湯沢市から「絵灯ろう」ですって!? 絵灯ろうって何ですか!?の人にもう一度素敵な絵灯ろうをお見せしましょう。

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これが絵灯ろうです。
風情があり情緒があるでしょう・・・・。 さしずめ山田監督の寅さんに出ても決して不足のない素晴らしい行事(まつり)です。
私もずっとずっと地域振興事業に関わる仕事をして来ましたから「日本のまつり」は本当に沢山観てきました。
来年は10月に湯沢(秋田県)で波島陽子の舞台もあるので是非その前の絵灯ろうまつりは観てみたいですね。
羽子板はやはり日本髪や歌舞伎に題材される作品が多いですが絵灯ろうの女性の美しさ(絵)は半端ではありません。

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屋台は境内いっぱいに広がっていますが、如何ですか!? 行ってみたいと思いませんか!? 眺めていても感動は味わえません。みなさんも知っての通り最近「忘年会スルー」などという言葉が非常に流行っているそうですね(涙)。正直嫌な世の中になりました。理屈なんてなんとでも付けられます。人間関係が希薄になっていく上にまるでそれに輪をかけるように「忘年会スルー」があたかもかっこいいような解釈で巷に流行しているとか!
年賀状などもっと悲しい統計が出ているようです。「スマホであけおめだよ・・・・」!!!???別に私は郵政局の回し者でもなんでもありません。もうこうなったら礼儀などあったものではありませんね。今年も私は800枚近く16日に投函して来ました。
確かに枚数が多くとても手書きでは準備できませんが、それでも年賀は欠かせなく毎年宛名の人の顔を思い出しながら作成しています。
中には忘れかけているご無沙汰続きの人を思い出すこともあります。11月の後半を過ぎると「年賀欠礼」のハガキが何枚か届きます。そのとき、改めてその人とのお付き合いを思い出します。

会社を興してつくづく自分が嫌になったことがありました。20歳代の終わりころです。人って怖いもので良いときは人が寄ってきますが、悪いと離れていきますね。
悪い時こそ付き合えるのが人間の妙味であることも苦しい時に学びました。本当の友人は苦しいときこそ離れず励まし続けてくれました。不思議なのはこうして羽子板を見ていても、そこから郷愁のようなもの、人の心の温もりみたいなものに会えるということです。人の優しさも存分に感じます。
ゆっくりと家族で見に来る。恋人と見て回る。美しい作品に出会うとほっとするゾーンを味わえるから不思議です。

この羽子板を、また絵灯ろうをどんな気持ちで創っているんでしょう。

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平成最後のお正月、つまり平成31年1月に各テレビに登場した一流企業のコマーシャルが3人のお姫様のお正月シーン。羽子板で羽根つきに興じるというあのシーンです。あのCMの指導を私が担当し私には大変なお年玉(笑)でしたね・・・と完成作品を観たものです。
今の若者は羽根つき自体知らないのでは・・・・。頼まれて指導できる私は昭和を代表する人間です(笑)

ひとつ言えるのは「心の大切さ」でしょう。
来年の舞台を一緒にやりましょう・・・・と実は私から持ち掛けました。 初めて興行する怖さは素人では出来るものではありません。
素晴らしい伝統をしっかり守り、故郷の為に財産を投げうってでも継承したいとする主宰者はまさに日本人の中の日本人でした。
こうした素晴らしい人に会えたのも出会いの妙味です。

羽子板にも、絵灯ろうにもしっかり心が描かれています。
主宰者は言いました。「私は岡部さんを信じています・・・・」と。
こんな人が令和の時代に居るんですね。 人の心の分からない人が人を楽しませることなど出来る訳がありません。

私が昔勤めていた会社の事務室にこんな額が掲げられていました。「仕事には智恵を出せ、知恵の出ない者は汗を出せ、知恵も汗も出せない者は静かに去れ」・・・と!!
本気になれということでしょう! 今なら大問題になりかねないですね。しかし、心あればその意味が分かるはずです。表面だけでは羽子板を観ても、絵灯ろうを見てもおそらく感動はないでしょう。

「自分だけは幸せになりたい」、無理です。 周りが幸せになってこそ自分にも幸せは巡ってくるのだから。

日本の風物詩って心が豊かになりますね。 自分が、自分がではなく、一緒に優しさや喜び、悲しさや苦しみを味わえてこそ日本の風物詩は生きてきますよ。

これが古き良きものでしょうか!違いますね。 風情や人情を失くしたら人間でいる意味がないもの。






 令和の忠臣蔵

泉岳寺1-0

最高のお天気に恵まれ、昨日12月14日に泉岳寺にお参りに行ってきました。

泉岳寺駅から外に出ると道路上の多くの人が歓声を上げている場面に遭遇しました。花火です!!
駅から左にそれは綺麗な大輪の花が・・・!! お台場方面です。土曜日ということもあって何かイベントがあったんでしょうか!?
花火を背に泉岳寺に向かうと周りはもう真っ暗ですが、すぐ先に屋台の明かりで泉岳寺はすぐに分かりました。

ここまで暖かな義士祭も珍しいそうです。
浅草はまもなく羽子板市ですが、ここでの行事はあまりにも有名な赤穂の義士祭です。私がここを訪れるのは今回で3回目。
説明するまでもなく吉良邸に討ち入った47人の墓があるお寺さんですね。 暖かかったせいか子供連れ、恋人同士、歴史に興味のある人たち、そして映画や舞台関係者。

今でも歌舞伎などは恒例の忠臣蔵を演じていますが、昔は年末になると決まって「忠臣蔵」でしたね。 主君の仇を討つための壮絶なエピソードは日本人の最も好きなところだからでしょう。こうして15分も電車に乗れば泉岳寺に来れるんだから本当に浅草は便利です。

私も来年の公演が成功しますようにの想いを胸に今回は特別な泉岳寺詣でとなりました。
忠臣蔵は間違いなく当たる・・・と毎年映画や舞台関係者が多く訪れることで有名ですからね。

それぞれの義士の墓に手を合わせながらふと湯沢の芸妓連の主宰者を思い浮かべました。ひとつのことをやり遂げる「覚悟」がとてもダブったからです。勿論秋田のそれは討ち入りではりません。どうしても故郷湯沢を元気にしたい・・・とする心根と実行力で故郷を元気にしたいと立ち上がった人物。
湯沢湯乃華芸妓物語に何度か触れましたが、安定した勤め先をも変えて立ちあげたその決断。誰もが理解できなかったところではないでしょうか!?ご本人曰く周りからいろんな声があったそうです。私はどちらかというとこの主宰者阿部派ですから気持ちは本当によく理解できますね。

偶然私の仕事が波島陽子のプロデュースが本来の仕事でしたから湯沢湯乃華芸妓の舞を観た時はまったく躊躇なく腰を上げました。従って最初のお座敷で踊ってくれた芸妓さんの力は大きかった訳です。
しかし、ここで問題なのが「本物を育てる」というところです。芸の素晴しさが無かったら来年舞台をやりましょう・・・など声掛けはしなかったことを思うとそれは嬉しいです。

波島の郷土愛を日頃から耳にしていたこともあって二人の先生の力は数百倍にもなると信じた訳です。

若いみなさんは別としてご年配のみなさんはこの忠臣蔵の内容を知っていますよね!?
何度観ても、何度聞いても義士は人の鏡としてその忠義を称賛されました。何が何でも大事を成し遂げるということは、そこに添う想像もつかない「覚悟」が無ければ成し得ることはないわけです。

人を大切にする共通点までも阿部さんや波島は一緒です。 秋田の人は凄いんだな~・・・ではなく、特に波島陽子と阿部一人は秋田を代表する人情味豊かな人間であることが分かりました。

それだけに、来年開催される「粋と艶の花舞台」は楽しめて尚観衆の心を掴んで離さない舞台にしたいと思っています。


泉岳寺2-0

この写真にどこか義士の心が見えるような気がしませんか!?

心の故郷と言っていい秋田県湯沢市。 これを機会に是非お一人でも多くのみなさんにその素晴らしさを知って頂きたいですね。
すでに、私のところへ、福岡から、高知から、そして兵庫・大阪・岐阜・金沢、まだまだ新潟・埼玉・千葉・山形、近場の宮城・岩手からも、来年10月24日は湯沢文化会館に陽子先生の踊りを観に行きたい・・・と予約を頂きました。
その皆さんに、「湯沢は波島のふるさとです。ここに立ちあげた地元の芸妓連、私のブログに紹介させて頂いたので見てください」とお願いしたところ、とっても楽しみにしているとのお返事。 ・・・泣きそうです。

思う心の力がどれほど大きいか?!湯乃華芸妓の皆さんの舞にはそれが表現できているからたまりません。

前回、波島の芸能生活30周年は浅草の公会堂での開催でしたが、全篇7時間の公演でした。数えきれないお客様の感想文を整理するのが大変だったことが懐かしく思い出されます。
この感想文は今でも波島陽子のオフィシャルホームページに掲載されていますが、その反響なんでしょうね!これだけ波島教室でお稽古したいと入ってくる人が多いのは。

それがいつの間にか日本舞踊教室のランキングで波島教室が1位にまで上り詰めていたことが何よりの証拠となりました。

「陽子先生の踊りは日本一です」、とお手紙が添えられて振付作品(DVD)の注文にまでつながっているんです。
表現の美しさが心の美しさというのであれば、まさに小野小町の故郷にふさわしい自慢話です。なのに、波島のひとつも自慢することのない謙虚な性格は更に湯乃華芸妓主宰の阿部一人を通じ的確に分かりました。まさに小野小町の故郷は心の故郷なんだ・・・・と。

人を褒めるとき、「よいしょ」・・・・という表現がありますが、そんなことではありません。
日本の伝統を、日本の文化を、日本舞踊という伝統芸を通して故郷湯沢の活性化につなげたいと立ち上がった二人は素晴らしい!!

阿部さん、よかったね・・・・。決して一人じゃなかったね!?名前は一人でも心を寄せて一緒に故郷を元気にしよう・・・とする人が一人、また一人増えていますね~一人さん。

山鹿流の陣太鼓を合図に討ち入った赤穂の義士たち。

大勢が押し寄せた泉岳寺で、線香を持ちずっと並ぶこと40分。 今でもこれだけの人が足を運ぶんだ!!!

来年の舞台、「粋と艶の花舞台」はそうした二人の心意気を中心に素晴らしい舞台に仕上げようと今から腕まくりをしているところです。




 令和の小野小町

学ぶ-1

湯沢湯乃華芸妓物語の中で、私は湯乃華芸妓の主宰者を「いい女製造機」と記載しました。 これは私が言ったのではなく、芸妓衆の暗黙の想いのようです。

波島陽子を通して湯沢は「小野小町」の故郷であることを知っていました。 楊貴妃もクレオパトラもよその国の女性たちなので「ああ!そうか・・・」くらいでしたが、波島の故郷が小野小町の・・・と聞いて何か余計思い入れが強くなったのかも知れません。

ふるさと(湯沢)を想う波島に絆されて令和と同時に湯沢湯乃華芸妓の主宰者に会いに行きました。「決断」の速さには裏付けがあったんですね。人を動かすのは「人だ!」・・・の典型的な見本のような出来事が次から次へと起きる現実に何故か令和が輝いて見えました。

湯沢出身の波島陽子はご紹介させて頂いたように東京浅草で34年もの間夢を追い続けて頑張って来ました。まさに芸一筋ですね!!

本物(日本の心)を追求し続けた結果、現在の波島陽子日本舞踊教室は日本舞踊教室のランキングでしっかり1位をキープし続けています。

あまりにも偶然でしたが、実は昨日の夕方九州のとある中学校の生徒(2年生)から会社に1本の電話が鳴りました。
「私は佐賀県の***中学校の**と言います・・・」 子供たちとの交流は多いのでその女子生徒の純粋さは心を洗われるほどでした。
「学校の自由研究で日本舞踊のことで調べているのですが3つばかり質問いいですか!?」
ネットで調べたら波島教室が良いだろうと電話したようです。その質問は「1.何歳くらの生徒さんが通っているのか?」「2.外国の人も習いに来ているのか?」「3.これからどうやって生徒を増やそうとしているのか・・・・?」の3つでした。

何気ないようで大切な質問でしたね!! 問題は3つ目のこれからどうやって生徒を増やすか・・・です。
正直、ドキッとした質問でした。 勿論本人にその気はないのでしょうが、私は改めて説明することで整理が着きました。

おそらく、一般の人が聞いたら、或いは商売をやっている人が聞いたら答えはみなさん一緒だと思います。
今、日本の文化は恐ろしいことに上辺だけのものになりつつあります。商売は利益の追求が成されなければ成り立たないからです。従って大切な伝統文化でさえひとつ、またひとつと消えて行ってしまいます。
京都の例に見るように、例えば伝統品の機織りの職人さんが居ない。また、あの素晴らしい住宅等々今や中国人に買い漁られている話は京都だけではありませんね。

このまま行ったら日本が無くなってしまいます。
昨日の質問はまさにそれで、波島は「日本の心を日本舞踊を通して一人でも多くの若者に伝えたい・・・と頑張っているんですよ!だからとても商売にはなりません」。すると「へえ~・・・・! そうなんですか!?」の返答。

教室には80余名の若い生徒さんでいっぱいです。 波島はその他、写真のように多くの若者たち(学生)にも指導を施しています。

団体


昭和が遠くなったというより、日本が消えて行くと言った方が分かりやすいんですよ。

この灯を消すまい・・・と頑張っているのが波島であり、湯沢市に居た阿部一人師匠です。

阿部師匠の心根がそのまま踊子の表現につながるって凄いことですね。
長く綴った「湯沢湯乃華芸妓物語」を紹介させて頂いたのはそこだったんです。 湯乃華芸妓の舞は半端ではありません。

ここにも伝統の灯を消すまいと頑張っている人がいたんです。
湯沢で有名な絵灯ろうの作品をみても、その素晴らしさを訴える波島に同感です。
遺すのではなく、これから更に伝え続けていきたい素晴らしい伝統芸であり伝統芸能です。

世の中には、金にならない方が大切だってものの方が多いかもしれません。
そこに人情があるのだから鬼に金棒でしょう。

絵ー6

私もたくさんの絵灯ろうを見せて頂きました。 どれを観ても実に美しい。 小野小町に全て繋がっています。

来年は、その湯沢湯乃華芸妓さんも創設5周年。 浅草で頑張っている波島陽子は芸能生活35周年。
ふるさとを愛するこの二人が、来年湯沢文化会館で晴れの合同公演を開催することになったのはもう必然なんでしょうね。

人は人で動く。 その集大成が来年の舞台なんですね。
私も沢山の舞台を観て来ました。 今度のこの舞台はどんなにか素晴らしい舞台になるだろうと今から楽しみで仕方ありません。

小野小町の故郷らしい美しく華やかな舞台。 温かい心が飛び交うプログラムでしょう。

日本の心を伝える2人の師匠。 まさにふるさとの伝道師です。




 波島陽子ふるさと錦秋(ゆざわ)に舞う

湯沢湯乃華芸妓物語も11まで綴らせていただきました。

その間に、まさに夢の実現が果たせたのです。湯乃華芸妓と波島の競演!!夢のような企画が現実となったのでお知らせ致します。

粋と艶との花舞台

日時:令和 2年10月24日(土)
会場:湯沢文化会館(秋田県湯沢市)

波島陽子1

波島2

 待ちに待った波島陽子の故郷公演が決定しました。 時代劇が好きで上京、淺香光代師に師事し演劇を学び、独立して13年を迎えようとしています。
 故郷湯沢を愛してやまない心が多くの人の心を動かし、来年オリンピック年に特別公演を開催する運びとなりました。 湯沢では、故郷を元気にしたいと芸舞妓を育て「湯沢湯乃華芸妓」を立ち上げ活躍している阿部師匠の姿に打たれ「是非湯沢を盛り上げましょう」と意気投合。今回の企画となりました。

「ふるさとは遠きにありて思うもの」と室生犀星の詩にあります。湯沢市出身で舞台女優として活躍するかたわら、旧来の日本舞踊各派で精進したうえで新舞踊「波島流」を旗揚げし、東京・浅草に稽古場を構えた波島陽子もまた、「ふるさと」を常に思う一人です。今では東京都内の日本舞踊教室入門者ランキング第一位(http://my-best.com/5807)を獲得していますが、その「愛郷心」はプロフィールに「特技は秋田弁」と好評するほどです。
 一門の弟子たちに「わがふるさと」を知ってもらうと共に、「江戸で花開いた粋の文化」をふるさとの舞台で存分に披露したいと「里帰り公演」を企画しました。一方、「ふるさとを離れずに、ふるさとを愛し続ける」生き方もあります。
「湯沢湯乃華芸妓」の皆さんは、数十年前まで存続した湯沢芸者の伝統を復活して4年、「お座敷での芸事」を積んでいます。普段はお座敷に限られた舞いや踊りですから、一般市民からは近くて遠い存在かもしれません。そこで、ふるさとから離れて精進を続ける波島陽子と、ふるさとの内にあって精進の様子を垣間見ることが稀な湯乃華芸妓の皆さんとが、一堂に会して
の花舞台を繰り広げ、市民の皆さんに「粋」と「艶」の文化を堪能していただこうというのが今回の舞台です。

 故郷湯沢を出て34年、波島陽子は「ふるさとで育まれた気概」を基に東京の地盤をかためつつあります。それは、新時代への橋掛かりとなる平成最後の本年2月には銀座にある観世能楽堂での公演を果し、舞踊界にいおける「波島流」の評価と共に大きな自信を得たことで本人も自覚しつつあります。
 一方、ふるさとで伝統復活5周年の「湯沢湯乃華芸妓」さんに感動と共感を得たことから、それぞれの節目を記念して、「外から応援するふるさと」と「内にあって守るふるさと」の合同公演によって、波島のふるさとへの恩返しがささやかなりとも実現できるのではないかとこの舞台が決定いたしました。
どうぞ温かな眼差しで応援していただけたらこの上無い喜びです。

湯乃華芸妓さんと波島陽子(波島社中)は既にその準備に入りました。粋と艶のみごとなまでの競演はきっと多くの日本舞踊フアンを魅了してくれることでしょう。
人情味豊かで日本の心を表現できる画期的な夢の舞台を是非お楽しみください。

公演詳細は 株式会社ポラリス(03-6231-7064)又は湯乃華芸妓(0183-56-5182)
プロフィール

岡部俊雄

管理人 : 岡部俊雄
チーフ・プロデューサー
演出家

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