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 がんばろう日本

ST 2011.12.30

クリスマスに撮影したスカイツリーは、なにか私たちを優しいまなざしで見守っているようですとお伝えしたかと思うんですが、今朝の隅田川は身を斬るような寒さでした。
私たち国民に、あの大震災を忘れてはいけませんよ!とでも言っているような、そんなふうに感じながら日の出を待ちました。
元旦は高さが634mまで達していないときの撮影だったので今日に期待を込めて出かけたのですが風のいたずらも手伝って思うように撮れませんでした。
一体、私はここに何をしにやって来たのだろうか?いろんなことがあっても、なんとか無事に一年が過ごせた感謝を何かの形に表したかったのが本音かもしれない。
川べりに着いてしばらくは真っ暗な隅田川周辺。するとそこに甲府から来ました・・・と同じくカメラマンの男性が到着。趣味が合うのは一目瞭然。即会話が弾みいろんな情報交換が出来ました。
これが出逢いなんですね!美しい瞬間は一緒でした。その瞬間のためにここにいることがなにか嬉しくなって来ました。
当時、嬉しいお知らせを報じられていたはずの東京スカイツリーの世界一に到達した瞬間。あの大震災ですっかり話題は消えてしまいました。
それでも1日1日と、まるで応援団長のようにスカイツリーの話題は嬉しいニュースへと移行して行きました。まるで復興を祈り見守っているように見えたのは私だけではなかったはずです。
甲府のカメラマンは言っていました。ここの人は観音様のおひざ元で、しかもタワーに直接こうして四季の顏を見ることが出来るんだから幸せですよ・・・・と。
素直にそう思います。被災し、なお多くの人が犠牲になってしまったあまりにも悲しい出来ごと。
彼は、「ここに来て、ときどきいい顏を皆さんに届けてあげてください・・・」と。

がんばろう! 頑張りましょう! きっと良いことが必ずやってきます。スカイツリーはそう言いたそうにしていましたよ! 
本当にいろんなことがあったでしょう。今年一年御苦労さまでした。
それぞれ、自分が何のために、誰のために頑張らなければいけないのかをしっかり整理して強く歩きましょう。
忙しすぎて、大掃除は明日まで続きます。でも、その合間を縫ってこうした光景に会いたいと来れる自分は「幸せなんだな~」と思います。最高の贅沢かも知れません。

今年ふれ合えた多くの皆さんに心から感謝するとともに、どうぞみなさん、良いお年をお迎えくださいと申し上げたいです。今年一年、本当にありがとうございました。
太陽の出ない明日はない! 来年はきっと良い年にしましょうね。ありがとうございました。

 満天の星空に誘われて

モンゴル
モンゴル(ウランバートル)からカラコルムへ行く途中で・・・

仕事で訪れたモンゴルの地は私の想像をはるかに超えたものだった!
この写真は、ウランバートルから1時間ほど走ったところで見た光景だが実に寒い!いや、寒いというより痛いといった方が正しい表現だろう。
私は雪国それも豪雪地帯で育ったから雪にはそう驚かない。しかし、モンゴルのそれは少し様子が違うのだ。
この雪景色はもう2週間も前に降ったものだがなかなか解けない。夏場に来たときはここを馬にまたがって駆け巡ったものだが今の冷え込みは実に強烈!
しかし、見てください!この日は素晴らしい天候で雲ひとつない快晴なんです。ここで観た星空は日本に持って帰りたいと思ったほど。なにか星に手が届くような錯覚に胸躍らせたものだ。
今年1月元旦に撮影した写真に酔い、新年もと思ったが、この年明けの早朝は曇り空だという。
今年は明日(29日)の朝が最後の晴天(都内)らしいので今夜は早くに休んで早朝3時すぎにカメラを担いで完成したスカイツリーを撮影したいと思っている。なにか今から子供のように楽しみだ (^_-)-☆

モンゴルの星空ほどではないが、さすがに冬空は都内でも美しい星空に出会える!
完成したスカイツリーと夜明けの瞬間!今からぞくぞくしている。
ああ!たのしみだ~・・・・・!




 ホワイトクリスマスに

クルマスの輝き

いろんな出来ごとの多かった今年でしたが、見てくださいこの素晴らしいツリーを!
隅田川沿いには本当に多くの観光客のみなさんや周辺住民のみなさんがカメラ片手に集まっていました。
クリスマスイブ17:30分にライトアップされると聞いた、いや知っている人たちがこんなにもいたんですね!
私は今年の元旦にまだ工事中のスカイツリーを撮影するために陣取った撮影スポットでその瞬間を待ちました。
外観はすっかり完成し、こんなにも美しい姿を見せていました。
毎日自宅から見えるスカイツリーですが、写真はやはりこの位置が最高だと思っています。
冬の時期は空気が綺麗だからこんなにも素晴らしい瞬間を収めることができます。

この現場で、実際にスカイツリーを見た人はみな同じく思いをひとつにしたような気がします。
忘れることのできない春の大震災! 日本中を震撼させた出来ごとは未だその苦しみや辛さと闘っている人たちに不安を与え続けています。
合言葉のように、「がんばろう日本」を連呼し、助け合って応援しあって今日までやってきました。
そんな中で、今夜の灯りはまるで希望の光のように頼もしく見えたのはきっと私だけではなかった筈です。
その美しさは勿論のこと、なにか勇気や希望を与えてくれる灯りのようで心から嬉しかったですね!
巨大なタワーが放つその輝きにもう一度励まされながら「よし、来年もがんばろう」だれもがそう思ったに違いありません。日本が一つになる。なにか象徴的な塔に思えてきました。

歩いて数分で行ける私は本当に幸せだとつくづく思いましたね。

若い皆さんにはピンと来ないかもしれませんが、実は右側に見える橋は「言問橋」と言って、東京が大空襲に遭ったときにこの橋の下(隅田川)に何千人もの住民が飛び込んだとされる現場なのです。
ですから、ご年配の人はこの橋のそばには行きたくないという人が多いのだそうです。
その隅田川周辺を優しく見守る位置に仁王立ちしたスカイツリーは不思議な縁なのかも知れません。
言いかえれば幸せを招いてくれるそんな塔に見えてくるのです。
もう一度そう思ってこの写真を見てください。優しく見守ってくれるように思いませんか?
今年のしめくくりに、こんな素晴らしい輝きを放ってくれる東京スカイツリー。

どんな歴史を見届けながら国民を見守ってくれるんでしょうね!
それが証拠には、吐く息の白さに凍えるような手でスカイツリーに合掌している姿を見てイヴの日を更に感慨深いものにしていました。
機会があったら完成後、綺麗にライトアップされるそうですから昼の世界一《高さ)を見るだけでなく、まるで観音菩薩のように見えるスカイツリーにも会いに来てやってくださいね!

 あなたは損をしてますよ! 挨拶で!

私は生活の中で最も大切にしているのが「挨拶」です。何百回と講演会や社員教育で説いてきたのもおそらくこれがトップでしょう! そして何故挨拶がそんなに大切かも説明し続けてきました。
その結果、こんなことがありました。あんなことがありましたとその挨拶の効用を事例として多く聞かせて頂いたのです。
こればかりはどんなに時代が変わろうといつの世も一緒です。
私は現在マンション住まいですが、エレベーターを介して毎日いろんな人に出会います。
同じマンションに住む人の顔は大体覚えました。胸に名札をつけている訳ではないので名前までは分かりませんが、間違いなく同じマンションの住人であろうくらいは分かります。
最初はなかなか挨拶が出来ない人が多く、まるでそういう人との闘いのようなものでした(笑)
「おやようございます」「お疲れさまです」「おやすみなさい」くらいですが、繰り返すことで少しずつ心を開いてくれて、最近は向う様の方から「おはようございます」と投げかけられます。
当たり前のようで実は難しいのです。歴代の管理人さんの無口に苦しめられて(笑)きましたから、昨年新任でやって来た管理人さんにはこれでもかと言葉を投げてみました。最近では向うからいろんな話をしてきます。これこそ挨拶の効果ですね!
実は私は今日こんな光景に出くわしたのです。宅配便を配達中でしたがいつも私のところへ来る宅配会社ではありません。従ってエレベーターから出てきてのすれ違い様でしたが、何も言わずに出て行ってしまいました。
私は当然「ご苦労様です!」と声をかけましたが、なんの一言もありません。これが普通なんですね!
私が言いたいのは、道路を歩いている場合のすれ違いで知らない者同士ならまず声はかけないでしょう!しかし、私が住むマンションの中での出会いがしらです。ここでおはようございますと言葉が返ってきて当然のように思います。
つまり営業になりませんかと言いたいのです。会社ではセールスドライバーと言われているはずです。おそらく素晴らしい挨拶が投げかけられればそれだけで営業になると思うのです。取引のない者はお客様ではないんでしょうね!残念です。
つまり、もったいないと言いたいですね!だって素晴らしい笑顔や挨拶が投げかけられればひょっとしてその宅配便に今後依頼するかもしれないからです。それが証拠には今年の初めにヤクルトのおばさんが毎日毎日会うたびに笑顔で「おはようございます」をくれたので、いつの間にかヤクルトをお願いするようになっていました。
人間てそんなものです。
挨拶は人の心を開く鍵って私は本当だと思いますね。おはようございますやおやすみなさいだけが挨拶ではありません。「ありがとう」や「どうぞ」といった言葉も十分挨拶ですね。
同じマンションに住む者同士が協力しあっていくにしてもこの挨拶があって初めて行き来が出来助け合えるのだとおもいます。
ただ、こんな場合はどうでしょうか!?同じフロアの若い独身男性が部屋の鍵を忘れてしまい、隣の独身女性のドアをたたき、彼女が来るまで・・・と隣の女性の家に雨宿り?をしたのだそうです。
私はこの話を聞いて言葉を失いました。確かに親切心がそうさせたのであって悪気でもなんでもありません。常識を逸脱したその行動に驚いただけです。お互い親切という意味を履き違えているようです。これが家族ぐるみ等の付き合いで長年の接点があった場合は分かりますが、それでも若い女性の家に入った神経だけは理解に苦しみました。
これを、挨拶で心が開きというのであれば非常に私の解釈は鈍りますね。そうしたことが縁で事故が起きた事例はあまりにも沢山あるからです。その後を聞いていないので分かりませんが、駆けつけた彼女はどんな気持ちだったんでしょうね!
人を疑わずにいることが出来たらどんなに素晴らしいかと思いますが、挨拶が事故や事件にまで発展するようなことのないことを願って止みません。
宅配便や新聞配達ですれ違うときの挨拶は爽やかにできるはずです。これができなかっただけに機会損失に至ったことは否めません。

現在、日本舞踊の教室に入るには裏側の道路からと表側の道路の2ケ所の方法があります。私は生徒さんたち全員にビル(稽古場)の横の道路を通る際、行き交う人には挨拶を勧めています。それは隣り近所という意味でです。
しかし、夜になって通る場合は表の道を歩いて欲しいと願っているのです。
人は疑いたくはありません。しかし、管理する者にとっては事故や事件が起きてからでは遅いのです。
いくら挨拶が大切だからとそこには飲み屋もあります。飲み屋が悪いと言いたいのではありません。挨拶があだとなることを恐れているのです。
夜は、人通りの多い表通りが安全と思えばそう願って明るい道を勧めるのです。飲み屋さんに、またそこに出入りする人はどんな人がいるのかなんて一切分かりません。
挨拶を履き違えないよう、夜はなにも飲み屋の前で挨拶せずとも広い道路で「挨拶」がない方が安全です。
小さな町で、隅から隅まで知っているなんて地域なら別問題です。ここでいう裏通りでの挨拶は出来れば避けた方が良いのです。時と場合ですね!
宅急便のような場合と、夜の裏通りの場合のように意味の違う「挨拶で損」のないように!

 母娘の絆

姪っ子と一緒に韓国に行って来た・・・と弾むような口調でメールが届いた。
今年は嫌なことが沢山あった年だが我が家だけはなんとか明るい1年だったことに感謝したいと。娘ももう30歳も半ばをすぎすっかり母親と友だち気分だ。私は三人兄弟だが彼女は真ん中の非常に明るい性格で一番母親に似ているように思う。
どこの家庭にも見る母子関係だが、娘にとっては母親の存在はまた格別なんだろう!母親とて同じで娘が同居してなどいようものならその安心感は計り知れないものがあるようだ。
姪っ子の場合嫁いで横浜に住んでいるが娘に会いに行く母親はいつも嬉しさいっぱいの様子。そこには旦那様の優しさや理解がないと上手くいかない場合が多い。
子供を上手に育て上げた両親にはこんな形で相手の愛情も引き出しているのだろう!
メールには、あと十年はこうして元気ではしゃぎたいと思う・・・とあった。2年か3年に1度はこうして母娘で海外旅行を楽しんでいるようだ。
であれば旦那は?大黒柱として家族を守り、息子を立派に育て娘もこのように嫁がせた。本人は今年定年で無事大役を終えた。私が贈った御苦労さまの手紙に旦那に代わってメールが届いたものだ。
今、新幹線があって新潟と東京など殆んどその距離を感じさせないでいる。

思えば、私がまだ小学校低学年のころだったと思う。両親が初めて子供たちを置いて京都に旅行に行ったことがあった。セピア色にあせた京都駅での両親の2ショット写真!母も父も本当に幸せそうな笑顔だった。今で思えばまるで新婚旅行でのひとコマのように見える。
私たちもとうにその年齢を超え、両親の優しさが分かるようになった。
私は早くに父を亡くしたので一緒に旅行という思い出はないが、母だけはいろんなところに連れて行った。
しかし、今考えると娘と一緒の旅が一番良かったのかも知れない。勿論、私が連れて行った旅も喜んではくれたが実の娘の絆の大きさというのは不思議な強さを感じる。
母の長い闘病生活を振り返ると本当に一生懸命看病し続けた。母も娘がすぐそばにいて安心だっただろうと思う。
そんなことがふと思い出された今朝のメールだった。
人はいつまでも若くはない。母が娘へ、娘が子へ・・・ 良い家庭はそれをそっと包み込む旦那の技量であろう。言いかえれば思いやりと言っても良い。優しさのある子に育てたから子もまたその恩返しができる。
「娘と一緒に今月初めに韓国へ行ってきた」ともらったメールに、つい姪にありがとうが言いたくて綴ってみた。

 赤穂浪士 討ち入り

義士祭
泉岳寺 平成22年12月14日 撮影

クリスマス前の日本の話題と言えばまさに「忠臣蔵」であろう。この史実ほど映画やテレビ、そして舞台に取り上げられた作品はないのではないかと思う。
なかなか現在の若者に赤穂浪士と言ってもピンと来ない人が多い。残念だが仕方がないのだろうか?
でも、いくら若者でも最近歴女と言って歴史に興味を示す若者も出てきたことは事実だ。
私は、舞踊教室でお稽古する生徒さんに機会があれば史跡を訪ねたりして興味と知識を植え付けている。
昨年は源義経等の内容で鎌倉に連れて行った。浅草は吉原が近いのでこの辺りは何度も散策したものだ。上の写真はやはり忠臣蔵の内容を教えたくて昨年生徒さんを連れて行ったときに撮影したものだ。

見ると聞くとは大違い!確かにそうだ!面白半分に修学旅行に出かける学生たちも、今ではすっかり様変わりしたようでちょっと寂しい感はある。
写真のように義士祭などは史実をしらないとまったく面白くない。この幻想感は歴史を知っていてしかもこの時間に訪ねるから意味がある。
惜しみなく伝えようとするが若者は果たしてどれだけ興味を持ち参考になっただろうかと思うことしばしばだ!
日本舞踊の作品に仮に出てきたとして、この史実を知っているいないでは大きく違うのだ!
帰りのラーメンや食事が美味しかったことだけが記憶に残るようでは寂しい限りだ。

四十七士それぞれにドラマがあって判官びいきの日本人にとってはたまらない実話なのだから、書店に行ってすこしなぞったら泉岳寺で手を合わせるなどちょっと素敵かも。

今年の漢字ひと文字が選ばれ、「絆」が話題になったが、この四十七士ほど硬い絆で結ばれた人たちはいなかったのではないか!
震災のあった今年の締めくくりに赤穂浪士に学んで、絆の大切さを知るのも素晴らしいことかも。

 波島陽子の世界に酔って

波島 北州
北州の一場面

公演を観た人! ビデオを見た人! そしてこのたびの波扇会の舞台を観たみなさんから実に多くの感想を頂いている。
あまりにも気さくで身近にいるだけにそう思う人もいるらしい!優しい作品でも、波島が舞うことで本当にお芝居のように惹きこまれてしまうとその魅力に感動して下さる。
生徒さんの中には当然ほかの流派でお稽古を重ねてきた生徒さんも何人か波島道場に入会してくる。
特に波島教室は若いだけに当然そうした人もまだまだ経験は浅い。でもひとつ言えることは今まで習って来た先生と比べることが出来るということだろう!
表現の美しさは間違いなく芸術であって1年や2年で決して会得できるものではない。しかも何年の経験があろうとその者の思いの大きさと実践(経験)の数によっても大きく異なるものだ。
片や波島は商業演劇の世界に身を置いた人物だ。女剣劇の師浅香光代先生に師事していたとは言ってもその探究心と情熱が浅香流以外に本格的に花柳流や西川流のお師匠さんのところへ足を運ぶという情熱の中で芸を磨き続けさせたのであろう。
先日行われた発表会も、まだまだその域に達しない生徒さんを本舞台に上げたいと思ったのはそうした経験からなのかも知れない。舞台のイロハも分からない者を本舞台に上げる苦労は並大抵のことではない。
しかし、そこで経験した生徒さんはそれとなく実感できて、次の稽古への励みになったのは事実だろう。
それこそ、二十三年もその経験を踏んでそこから見出した感性に磨きをかけて今の波島流がある訳だから!
本人は決して驕らず控えめではあるが生徒さんへの愛情はそんな中から十分くみ取れるのだ。
叱ることをしない波島の指導には根気が要る。これこそ波島の真骨頂だろう!
私も仕事柄、よくプロの舞台に目を通す。仕事とは言え波島は比べようもない努力をしている。
生徒さんのために振りつけられた作品の中からいくつかは振付作品としてDVD化され世に出る。私はここで初めて波島の踊りを目にする訳だが、お世辞抜きでその作品に酔ってしまうのだ。プロだな~と思う瞬間だ!

皆さんには経験ないでしょうが、私の見る撮影時の踊りは「振付作業」が終わったばかりでカメラを回すのだ。1週間も2週間もお稽古をしたら一体どんな作品になるんだろうといつも思う。
本人の作品とは言え感情はそのまま伝わってくる。全神経を注いでいる瞬間なので一般には公開できない場面だが、生徒さんもこればかりは見ることが出来ない。
芸人が全神経を集中させてカメラの前に立つ姿は言いようもない美しさを醸し出している。

中には、先生みたいになりたいと殊勝な心を見せてくれる生徒さんもいるが是非頑張ってもらいたい。波島は決して出し惜しみをする指導者ではないのでやる気のある者には本気で指導してくれるはずだ。
いつか、この教室から指導者が出る日が必ずやってくるだろうと思う。
出来るだけ費用のかからない方法で指導し、舞台に上げようとしてくれる指導者が全国に何人くらい存在するのだろうか?極端な言い方をすればまるでボランティアに近い感覚で教えていると言って過言ではないだろう。
この心根の中に潜む優しさこそ波島自身の芸の形になっているように思えてならない。
間違いなく人間性がにじみ出るその表現は多くを魅きつけて離さない訳だ。
次回の発表会は更に腕を上げた生徒さんが登場するのだから実に待ち遠しい!

 今年選ばれた「漢字一文字」は 絆



2011年度に選ばれた今年の漢字だ。
ニュースを見るだけでもまさにその通りと思われる節は随所に見えた。日本中でもあの震災以来家族で食事に出かけたり旅行に行ったりが多かったようだ。
娘や息子が、あるいは父が母が・・・!恋人や同僚が瞬時に命を奪われたのだ。それもみんなが見守る中でだ!
聞いただけでもその悲惨さは凄いのに、当事者はどんな気持ちだったんだろうと・・・
様々なものを失った。家を失うことはどんな気持ちだろうか?職がなくなるってどんなだろうか?自然の猛威はなんでここまで人々を痛めつけなければならないんだ!
何が辛いって、家族を失うことほど辛く苦しいことはなかっただろう!ニュースではその日が結納の日だったという人もいましたね!それが恋人を一瞬のうちに失ったのだ。それだけに「絆」の大切さは日本国中、いや世界にまで伝えられたんだと思う。
私は絆ほど大切なものはないと思っている。それは心ある者の関係だからだ。家族からでいい、そして学校、職場と関係する和がどれほど大切か!言いかえれば人間関係と言っても良い。

5~6年ほど前だっただろうか?私はプロの作曲家のご縁で作詞家にも出逢い、そして私自身のアルバムを制作するという出来ごとに遭遇した。歌が大好きな私にとってそれは夢のまた夢だった。
私の作品を制作してくれるということだからだ。詩が完成し、作詞家の先生を訪ねた。先生は吉永小百合さんの作品も手掛けた先生だった。作曲の先生は小林幸子さんのヒット曲を手掛けた先生。これだけでも夢の夢でしょう!
そして2曲が完成した。私が大好きな郷愁演歌だ!
スタジオでレコーディング。勿論生まれて初めての体験。私の喜びように結局全7作品が収録されアルバムとなった。勿論本職ではないのでそのプライベート盤は知人等に買って頂いただけだが、それでも300枚を超えた(笑)
そのアルバムに名付けたのが「絆」というタイトルだった。
人間は一人でなどなんにも出来ない!応援してくれる人がいて、励ましてくれる人がいて、親身になって相談にのってくれる人がいて、つまり一緒に泣いて笑ってくれる人がいて初めて人は歩いているのだ。
自分だけでものごとが展開され進んでいるように思っている人もいないではないがとんでもないことだ。
おはよう!おつかれさん!と言える人がいて初めて人間は負けずに元気に歩けるのだ!
作曲家に、「絆」最高だね!一緒に乾杯した当時が懐かしい!

これから極端に寒くなる。負けずに健康で新しい年を迎えて欲しい!日本人は本当に素晴らしい人が多いから!
そして辛いとする今かもしれないが「辛」という文字に何かひとつ付け加えるだけで「幸」になることを忘れずいて欲しい!





 記憶の風化

あれから9ケ月!今年3月11日午後2時46分!日本中が震撼させられた。
勿論、今でも被災地の現状は想像を絶する状況下にある。しかし、直接的でなかった人々はもうすっかり忘れ去ってはいないだろうか?そう言われれば「そうだった!凄かったね!」となる。
私は豪雪地帯の生まれで冬の厳しさは身を持って体験しているだけに、これからの寒さはそれは半端ではないことが判る。
そんな中、まだ仕事にありつけない!家族もバラバラだ!という人たちがどれだけいるんだろうか?
今年のクリスマスは経験したことのない寂しさに襲われるんだろう!ましてお正月などどんな気持ちになるのだろうか?私もずっと昔に家族を失い豪雪の中で一人暮らしをした頃があった。その年の1月に起きたのがあの阪神淡路の大震災であった。まもなく春を迎えた途端「サリン事件」が起きた。
安全神話の崩壊とともに私の新しい生活も始まった頃だ。当事者がどんな気持ちで日々闘っているかは容易に判る。
頑張れという言葉は非常に辛いものだ!それでなくとも本人は頑張っているのだから!
私はとにかく後ろを振り向かず一生懸命前を見て歩いた。あれからまもなく17年を迎えようとしているのだ。とにかく生きていかなければ!必死で働いた!
多くの仲間が心配をし励ましてくれるが、気持ちを強く歩いていかなければならないのは私自身だ。誰に頼ることもせず自分の道は自分で切り開こうと頑固な面を上手にコントロールしながら今日まで歩いて来た。
特にここ10年ほどは非常に生活も楽に潤いの中で歩くことが出来ているように思う。
頑張ったなどと言葉に出来るほど甘くない日々ではあったが、負けない気持ちが大切だということは身をもって体験できた。もうひとつ大切なことは、感謝の気持ちだろう!
私が築き上げた会社をぼろぼろにされた17年も前の状況を考えると、恵まれ過ぎていた環境に油断があったのだと思う。社員(ひと)を信じることの難しさも教えられた。当時は悪いことをした社員にその原因を当てはめていたが本当に若かった。その社員を雇ったのは自分であり、信用しすぎて任せたのも自分なのだ。
つまり管理するということの難しさを特別に知ったときだった。
私にすれば大震災が起きたようなものだった。
ここで学んだことは、薄れゆく関心に注意しなければならないこと。そしてどんなことにも言えるのだが、喉元過ぎればがまさに当てはまるのだ。
私は自身が当事者だっただけに、忘れるなんてとんでもないこと。1日1日を感謝し、自分の出来る範囲内で出来るだけ世の中のために何ができるかを考えて行動も出来るようになったと思っている。
私には素晴らしい仲間が多い!私は彼ら彼女等と本当に感謝の中で歩いている実感を味わえているのだから。こんな幸せなことはありませんね!
4~5日前に、「冬の星空は綺麗ですね!」とメールを頂いた。昨日何気なく夜空を見上げたら素晴らしい満月だった。そしてそれは同時に皆既月食に遭遇できた瞬間でもあった。
忘れてはならないことを感謝で生きるということは年齢差を超えて非常に美しいことだと思っている。そうすると不思議なことに癒しの世界に入ることが出来るということだ。
直接的に、東北地方の被災者に何かしてあげることはまだまだ出来ないが、私の仕事を通じて、一人でも多くの若者たちの夢の実現へのお手伝いが出来るとしたら、せめて私も応援団の仲間入りが出来ているのかなって思っている。
どんなときも、感謝が消えることのないように歩きたいものだ!それが本物の愛ではないだろうか!




 人生の岐路

スポーツニュースはプロ野球の契約更改やトレード等で毎日紙面を賑わせているが、とうとうダルビッシュ有投手が大リーグ挑戦に向けその意を示した。
大相撲界は例の不祥事で本場所開催を中止。いまひとつ調子の上がらなかったフィギャースケートの浅田真央選手が久しぶりに活躍し、体操競技では内村航平選手が来年のロンドンに向け頼もしい活躍の真っただ中!そしてご存知なでしこジャパンはワールドカップ優勝。
どんな有能な選手でも気力と体力のバランスが崩れた段階で現役を去るという過酷な世界だが、引退後もコーチや監督等々で関われる人はそんなに多くない。
そんな中、期待された柔道金メダリストが最悪の不祥事でその世界から永久追放に近い結果を招いた。
今まで築き上げた信用や評価は一瞬にして失われた訳だが、一流の世界で活躍しても引退後生活が安泰という訳ではない。
私はそこにその人物の人間像にいつも注視している。人付き合いが良かったり、社会の為に心から貢献してきた人物というのは何かやはり周りが放っておかないようだ。勿論当事者の性格(人間性)によるところも大きいと思うが、これがその人の生き方ではないかと思えてならない。
ある人から、「利口なら政治家になんかならないよ」と言われたことがある。それはどういうことだろう!
つまり、世の中を本気で良くするという信念はそう簡単に持てるものではないからだ。公の場に出なくても、自分自身の技量の中でコツコツと社会に役立つ生き方をしている人だって少なくない。
しかし、バッチを着けた段階で何か偉くなった錯覚を持つ政治家が目立って仕方が無い。命がけで行動している政治家も居て嬉しいとは思うがあまりにも少ない。その反対の政治家が多数決とやらで国会をおかしくしているのだからたまらないが、スポーツ選手にしろ、一般社会人にしろ、そして政治家にしろ、きっとどんな人物に出会ったかでその人の生き方まで変わってしまうんだろうなと思う。
スポーツのように、実力の伴わない者は即刻クビという無情な裁きが待っている。ベンチに入れる選手は一握りなわけだから熾烈と言えば熾烈だ!
ただ、そこに自身の甘えというのがあって、その努力の足りなさではじかれてしまうのは当然なのだ。そうした厳しい世界に足を踏み入れたのは自身なんだから!努力したのにと言っても努力だけでベンチに入れるほど甘くない。それは芸能人とて同じこと。昔は「スター」と言った。スター(星)は多くのフアンの星でなければならない。最初は憧れでも良い。しかし、やると決めた覚悟に命をかけるくらいの信念や努力が伴わない者は所詮無理だろう!
誰かがなんとかしてくれるなんてそんな甘いものではない。
誰もが必ず出会う「人生の岐路」というものがある。岐路すなわち出逢いに思えてならない。何も人と出逢うことだけを言っているのではない。勿論一番は師との出逢いであったり、人生の大先輩であったり、自分を導いてくれる人はあなた自身にその魅力があってそうした接点に巡り合うのだと思う。
ここまでは結構その出逢いに遭遇した人は多いであろう!ただその出逢いを大切に出来たかどうかだ!
自分に都合の良いときだけの付き合いで、用が薄れるとまったく付き合いが無くなってしまう。
私が以前勤めていた経営者にもその正体(かげ)ははっきり見えた。副業に手を出す社長がいて、仕事を通し、異業種交流などの参加は自身の副業の商品を売らんかなの姿ばかり。紹介されて飲みに行く。相手は金を持っているだろう!そう思って食いついている訳だ。(その間本業がおろそかになっていることが多い)
悲しいのは相手が購入しないとそこで縁はプッツリ切れる。多いですねそういう人物。それがどんな自身にとっての人生の岐路かなんて分かろうはずもない。
誰を選ぶか!どこを選ぶかはまさに人生の岐路と言って良い。私は自信をもって言いたい。
選ぶのは会社でも商品でも相手(ひと)でもないのだ。素晴らしい人生を決める岐路に出会うのはあなた自身の心の持ち方以外何もない。正しく強い気持ちで判断(き)めて欲しい。
スポーツ選手も明るく強く歩いて欲しい。脚光を浴びる人は本当に稀に近いのだ。だからがんばれ!
世の中って本当によくしたもので、あなたを待っている人は必ずいるものだ!

 甘えるんじゃない!

またしても「殺人事件!」のニュースが連日のように報道されている。年の瀬に来て「セクハラ」などとオリンピック金メダリストが世間を騒がせてもいる。
私は、こうしたニュースを見聞きするたびに「甘えの構造」を問いただす。人の命どころか動物一匹さえ手にかけるなど考えられない。現在放送中のテレビドラマ(南極大陸:実話)で第一次南極観測隊員が昭和基地にカラフト犬を置き去りに帰還することへの苦悩を放送している。
数年後タロー・ジローが生きていて衝撃な出逢いを果たす訳だが、人間だからこそそうした優しさを持ち得るんではないだろうか!?
自然というのは草木も含め無抵抗で弱いものだ。それらは人間が手を加えない限り立派に生きていく術を知っている。
特異な性格の人は別として、基本的に女性も無抵抗で弱いものの部類だろうと思う。強い者が弱い者を労ればそこになんとも美しい愛(はな)が咲く!心ある人間だからだ。
自分の立場を利用して弱い者をいじめるなどもってのほかだ!分かっていない者に、本当に可愛い女性に会ったことありますか?と聞きたい。容姿ならエステに行ったり綺麗なものを着たりとどうにでも作りようがある。しかし、そこに本当の美を見出すことはできない。心の美しさはいくつになっても可愛いものだ!それが女性ならなんとも表現のしようのない美しさとなる。

今回のセクハラ事件にしても90%いや100%に近いほど指導者に問題があると言って過言でないと思うがしかし、女性(未成年)にも問題が無かった訳ではない。
甲子園を目指す高校球児たちに、たまに飲酒や暴力事件等で出場辞退や禁止という措置が施される。これが教育の一環だ。だとすれば、未成年が飲酒をして泥酔するなどそこに本人の生き方の未熟さがある。
むしゃくしゃして誰でもいいから殺ったなどどは言語道断。それを環境のせいにされても困るが、実際起こりうるそうした状況を想定して大人が、親が、指導者が導く必要があるのだろう!悲しいかな最近は心が乱れ切っているとも感じられてならない。

食事をしたり、一杯飲みに行くなど素晴らしい機会である。通い合う心がそこにあってそこに集う意味があるからだ。世の大人たち、世の指導者たちはもっと自信をもって若者に接して欲しい。

ただ、世の中に、自分に甘えすぎる人間(わかもの)には苦言を呈したい。まるで自分が悲劇の主人公でもあるかのように自らの命を絶ったり、他人(ひと)に危害を加えたりするなど甘えも甚だしすぎる。
自分の子供が刺されたらどんな気持ちか!再婚して妻の連れ子に惨い制裁を与える男もいるようだが、人間という面を被った鬼にも似た話だ。
優しい心と心をぶつけ合って笑顔が生まれる。笑顔の中には絶対に争いごとなどあり得ないのだ。
決して多くを求めなくとも、その笑顔に出会えて幸せな人たちばっかりなのだ。
まもなく新しい年を迎える!日本中で「がんばれニッポン」を合言葉にみんな頑張っているのだ。出来ないのなら何もしなくていい!せめて相手を労る心を笑顔に変えて歩いて欲しい。あなたにだって心はあるはずだから!



 自分に甘いことに気づかない

私は走る(ジョギング)ことが好きでジャージに着替えると人が変わったように表に飛び出す!
雷門の提灯の下をくぐると仲見世通りはまさに開店前のシャッター通り。行き交う人もチラホラ!
ところが浅草寺の前に行くと犬の散歩でそれは大勢の飼い主たちが井戸端会議ならぬ犬端会議の真っ最中!
浅草寺さんでお参りし三社さんでお参りするといつものコースは二天門から隅田川へと進む。
外見がすっかり完成したスカイツリーを見上げる隅田公園は今工事中の箇所が多いがカンフーやラジオ体操の皆さんに出会うのはいつもの通り!
少しずつだが運動を欠かさないせいかここ何年も風邪に縁がなくなっている。
自分ではあまり無理をせずに少しずつの運動だが、この間の日曜日に若者と殺陣の練習で木刀を90分振り回したあとの筋肉痛(>_<) 普段使わないところを鍛えないといけないなって思うのだが若者の体力にはまったく適わず。
あ~自分でも若い時はそうだったのにな~なんて・・・・・
気力と体力の違いは本当にまざまざだ! しかし、人一倍時間を大切にしている私は、自分でもきっと普通の人の3倍は何か結果を残しているだろうと思うほど動きが機敏だ!前にも触れたが3倍動き経験し体験しているとすればもう150歳は超えていることにならないか(笑)なんてときどき思ったりする。
自分がそうだから言うわけではないが、一般に人を見ていると非常に時間に無駄があるように思う。
これだけ動いても1週間に1度はしっかりと心を癒せる時間を設けている。この時間があることによってまた1週間頑張ろうと思えるのだ(^_-)-☆
入浴にしても就寝にしても実にテキパキしていて早い。私の早いとはお風呂から出るのが早いのではない。次に移る行動が早いのだ!
勿論1日の行動はしっかり頭に入れて1日がスタートする。よく考えるとジョギングや散歩ってその間実にいろんなことを考えられる時間で楽しい。
言葉で言えばぐずぐずが出来ないのだ。
以前、20年近く企画制作の仕事に関わっていて、このイベント業というのは本当に昼夜のない仕事だった。
本番の時間というのはしっかり決まっていて、時間がくればお客様が会場に入ってくる。どんなことがあっても時間には幕を開けなければならない!
準備もしかりだ!どんなことがあっても時間までに完了の必要がある。当たり前と言うかも知れないがこれは普段味わうことのできない厳しいものだ!

一例を上げてみよう! 私はデパートの「お化け屋敷」の制作を請け負ったことがあった。前のイベントが引き揚げると長くても2日間で完成させなければならない。ひどいときは1日での施工だ!
何とか夜8時前に明日オープンのお化け屋敷は完成した。消防署の検査が終われば明日を迎えられる。
スタッフも自信をもって検査を受けた。ところがだ!コンパネ(ベニヤ板)に不燃材が施してないから明日のオープンの許可は出来ないということになった。カーテンとかだと分かるのだが・・・・!他では大丈夫だったという甘さがあったのかもしれない。
さあ!そこからだ・・・! 町中の塗料屋を探し回り買いあさった。デパートに着いたのはもう夜10時を回っていた。アルバイトも帰らず待機しており総動員の塗料塗り!終ったのが午前4時!
ところが塗料の臭いが凄いのなんの?????????
消防署もこの努力を買って許可は下りたもののスタッフはみなぐったり!
予期せぬことの多いイベントを20年も経験した私にとって、周りの人の行動の甘さが目立つのは仕方のないことなのだろう!
特に、夢に向かっている人たちはこれが顕著でなければならない。比較的自分に甘い者はその時点で脱落すると言って間違いない。
仕事が来れば出来る!まだ仕事に直面してないんだから・・・!なんて屁理屈も飛び出す!ここが鍛練に対する意識の違いだ!
日頃出来ないことは本番では絶対に出来ないことをあまりにも知らなすぎる若者が多い。


 ブログに反論を頂きました!

嬉しいですね!またしても反論が届きました。昨日載せたブログの内容に、私は「朝起きれない人は・・・・」と綴りました。起きれないのは夢や目標がない・・・と言ったことへの反論です。
私の言っていることはそんな野暮なことではありません(笑) 第一、そうした心の持ち方ってその殆んどがいい訳の人生の中にいるからです。
分かりやすい説明をしましょうか?仮に、付き合い始めた大好きな恋人と明日は渋谷でデートだとしましょう!
まず、明日なのに前日のソワソワぶりは大変なはずです。どんな食事をしようか!手をつなげるかな~?腕を組んでくれるかな~・・・!勇気を出して私から手をつなごう・・・などと妄想に浸ります。どんな洋服ででかけよう!?
それは、明日が待ち遠しいからです。そして知らず知らずに顔は幸せなニヤケ顔。そしていつもより1時間も2時間も早く目が覚めてしまいます。
それは、心の中にあなた自身の楽しみで幸せいっぱいの時間が待っているからです。ここで注意して聞いて頂きたいのは、これはあくまでも前置きをしたと思いますが、「付き合い始めの頃・・・」の話です。
恋人と言いました。恋人と初めてのデート!文句なしに幸せ気分でいっぱいに決まっています。
どうでしょう!寝坊しますか?朝起きれないなんて考えられないでしょう!
しかし、やがて人間というものは良いにつけ悪いにつけ相手に慣れてきませんか?この慣れも2通りあるんですね。相手を思いやりながらも愛情を深めていける慣れと、新鮮味を失いつつある慣れです。
分かりやすい言い方をすれば夫婦関係がそうですね!生涯愛すと決めた、いや誓った人と何故離婚するのですか?勿論離婚が悪いと言っているのではありません。本当にこの二人は別れた方が良いという夫婦も確かにいます。不幸ですね!
そんな状況に夢や希望がありますか?心の在り方って本当に大切なんですよ。張り合いがあれば、目標があれば心までも輝きに満ち満ちています。そういう人に魅かれませんか?
ここで本題に戻りましょう!人間だからぐずぐずしていたい朝(布団の中)だってあって当たり前ですし当然です。そういう時はのんびりすればいい!私なんか前日過ごした幸せ気分なら心からお布団の中でその余韻に浸ります。幸せですよ!
でも、でもです。さてその日が仕事の日だとしましょう。今のように寒さも手伝ってなかなか起きれず、あと5分!いやあと8分などと目ざましをセットしませんか?そうした人の1日のスタートはやはり遅刻ギリギリか本当に遅刻してしまいます。焦って飛び出せば忘れ物もするでしょう!
私の持論です。どうせ起きなければならないのなら余裕をもって、「よ~し今日も一日・・・」と思いながら起きた方が良いといいたいのです。常に新鮮な心で1日を過ごせるよう努めることで良いことの方が多く待っているに決まっているからです。
私が、夢や目標をしっかり持った人が好きなのは、自分自身の弱い部分を補いながら生活(気分)を立て直せるからです。
非常に厳しい意見ですが、反論は問答無用(笑)以外なにものでもありません。いい訳の人生は大嫌いだからです。酒飲みと基本的にあまり出かけたくないと思っていたのは、その仲間たちにいい訳や他人の噂話等が多い傾向があるからです。「憂さを晴らす!」、まあ!これも必要かも知れません。でも楽しい酒飲みの方がいいですね!
一昨日、生徒さんと隅田川の畔で殺陣の稽古をみっちり90分やって来ました。彼は殺陣を習いたいと目を輝かせ今日の日を待っていました。10分前に「今、雷門の提灯の前に着きました。よろしくお願いします」・・・と。

 みんなが経営者 3

つまり、若者はもっと強い意志と大きな夢を描いてほしいと思えてなりません。
夢をもることで何故か生きいきとするのは何故だと思います?
少し質問をしてみましょうか? 朝起きることに弱い人って多いと思うんですよね!勿論全てとは言いませんが、しかしその殆んどは心が疲れきっています。もっと言えば目標がないんです。そう言うと反論されるかも知れませんが、反論するくらいなら時間を決めてきちんと起きることです。
生活していて、時間ほど大切なものはありません。家族と、恋人と、友だちと、癒しの持てる時間を過ごすのも人として大切なことです。
私の場合、どちらかと言えば参謀的な役割が得てで「人のため」に何かやろうとする楽しみ方を行動に移しています。いろんな経験値の中で役立つことがあったときほど嬉しいことはありません。
このブログを始めた当初、私が勤めていた経営者について触れたことがありました。入社して目標に置いたのが「社長を男にする」と決めて行動したのが昨日のようです。
自分でいうのもおこがましいのですが、それだけに会社は変わりました。社員の士気も上がりました。一人一人が個々の生産性を問うようにもなりました。社内改革はそう簡単なものではありません。しかし、働き甲斐を見つけた社員の成長ぶりは目を見張るばかりです。本当はまだ私はその会社に居たはずです。
嫌な言葉ですが、「愛想をつかす」という言葉があるように、5年ほど精神誠意尽くしましたが変わらなかったのは社長だけでした。大きな勘違いの中で会社を私物化し自由気ままな態度にどうしても私自身を預ける気持ちにならなかったのです。
社長の家族を見ても悲惨なものです。心がバラバラなんですね!きっとこうした経営者って少なくないかも知れません。そうするとどうなる。社長に媚びる者が必ず登場するということです。
或る年、社長の息子さんが結婚することになりました。私だけでなく知らない社員が何人もいました。数か月して、ああ!彼は結婚したんだ!風の便りのように耳に入ってきました。こんな淋しいことってあるんでしょうか・・・そう思いましたね!
社長だから何をやっても良いなどあろうはずがありません。私は愛想が付き辞めて現在に至っているわけですが、とても多くをその社長から学びました。
一般の青年たちは社長に意見するなど問題外と思われるかも知れません。この会社は立派な技術畑だけにきちんとやれば素晴らしい企業なんですね。
職を求める若者はそこまで知らずに夢を追っています。本当に従業員《ここで言えば若者)のことを考えるのなら大人(経営者)がもっとしっかりしないといけないわけで・・・・!
国会で偉そうな議論をしていても、日本の国民を守るという観点で捉えれば、無様な政治家の多いことに気付きます。クラークの言葉に「青年よたいしを抱け」とありますが、心の持ち方こそ家族を守り、社員を守り、国民を守ることに直結しています。

それでも私は求めます。若者よ!今君に一番大切なことは、勇気と自信、そして夢とやる気ですと・・・!
本当の社会が求める若者像はきっとそうだと思いますよ。

 みんなが経営者2

一人の力なんてそう大したことないと思うかもしれない。 確かに一人の力は限りがあうかもしれない。
「三人寄れば文殊の知恵」と昔から言ったがまさにその通りで、一人でできないことでも二人が力を合わすということは大きな力が生まれる。三人四人と集まればなおのこと。勿論、そこには一人一人の英知が出しきれないといけないのだ。もっ言えば「英知」があっても協調性、つまり団結力のように一つの目標に向かって一緒にやり抜く行動力も求められる。そうしたことが結集されればどんなことでも成し遂げられると信じていい。
どうだろう!宇宙に行くことがもう夢でない時代に入った。でも、最初はどうだっただろうか?私は子供の頃、お月さまに本当にうさぎたちが居て餅をつく話しなど信じた頃があり、月もそう見えた。
それはそれで夢があったのだから美しい話だ。でも、その月に行ってみたいなどの発想はなかった。「あの月に行ってみたい!」と思った人が居て宇宙探検は実現したのは言うまでもない。すると仲間(スペシャリスト)は集まるものなんだ!
つまり、思うことから始めないと何も始まらないということの証だ。「あの女性(ひと)と友だちになりたい!」と思うからチャンスはやってくる。思うことのない人に未来は開けないと言っても決してオーバーではないと思うがいかがだろうか!?
思うことによってそのチャンスはやって来る。私は日本一の販売員を育て集めるんだと思った。それは24~5歳の頃だったと思う。思う気持ちに「行動」という拍車がかかる。これは本当だと確信した。
日本一の販売員だからすでに設定は高いところにある。その時に出会ったひとコマが前回述べた沖縄の女の子の笑顔だった。魅きつけて離さない魅力は当然お店にとっては大きな武器となった。
ここで大切なことも分かった。どんなに優秀な人材が集まっても、その職場には本当にいろんな性格の者が集まっているということだ。決してリーダーの思うようにばかりいかないのが世の中だと言えるのはそこにある。
まとめて言えば、これを人間関係という。職場やチームでこの関係ほど難しく影響力のあるものはない。
リーダーはその統率にかかって来る。
頭の良い人間(若者)ならすでにそのことは理解出来ていることが多い。
そういうことが背景にあって、尚個々人に求められるものがある。つまり、本人にいくら能力があっても心の持ち方が崩れていてはどうにもならないということだ。人の性格などそう変えられるものではないが、せめて定めた目標に同調してくれるようでないと決して夢の実現はないのだ。
他力本願でものごとが成功するほど世の中は甘くない。持っている能力をいかんなく発揮する心構え(環境)を整備し、それに立ち向かう精神力(行動力)こそ大切だと言えよう。
そうしたものを持ち得た人は「経営者」の立場で正しいチームへの参画が出来るのだ。

職がない?最近よくこのことを耳にする。就職が出来るように高学歴を得たのだろうか?大学を出たから職に有りつけるなどと思うほど世の中は甘くない。本当に必要な資質を持っていたら、きっと企業は声をかけてくれるはずだ。
安定した職業?と錯覚した公務員が乱れ切っているのがその原因の一つだ。これで世の中がうまくいくほど世の中は甘くない。大阪府知事が職を辞してまで市長選に打って出たのは、そこを改革したいからだったはず。(つづく)

 みんなが経営者  1

大学の就職活動が解禁になったとか・・・! 不景気風がまるで隙間風のように押し寄せては若者の夢を奪っているようだが、実際に経営という立場から考えると昨今の情勢は昔とは大きく異なっているようだ。
勿論全てではないが若者は誰しも「安全な大企業」に鉾先を当てている。勿論この辺は昔とさほど違わないが、現在の大企業も昔のような安定感は決して感じられない。
私も様々な企業に首を突っ込んで会得したことは、就職に困っているのではなく、企業が求める人材がいないと言った方が正しいことを若者はもう少し知るべきであろう!
どこの企業でも優秀な人材が欲しいことには変わりない。であれば、優秀な人材であれば良い訳だ。
歴史や伝統ある会社以外につい最近のし上がって来た企業とて決して侮れない。
先人が、大先輩がそれぞれ築き上げてきた企業に「私も」と履歴書を出す。私も本当に多くの若者に接して来て、あるいは自身でも会社を経営して来て思うことがある。
昭和60年代後半から私が経営する企画会社はトントン拍子に力をつけ、社員を30名ほど雇う時期があった。羽振りの良いときは黙っていても人材は集まるものだ。
そこで経験したのは若者の考え方だった。苦労の少ない若者は自己中心的な者が比較的多く、甘えの構造をしっかり学んだ方が良いと思われるものがとても多かった。
勿論、私が学ぶほどの若者も居たにはいましたが、それは稀に近い。

そして、最近はフリーターなどという肩書?で生活している者も非常に多い。
何が言いたいのかと問われれば、他人のふんどしで相撲をとる輩が多いということだ。つまり、経営的感覚の無いものが権利ばかりを主張しすぎている。
簡単なことだが、利益が生めない者に報酬はないというのが本来のあるべき姿なのだ。時間内に会社にいたから勤めていた働いているは大きな勘違い。
そうかと言えば、折角優秀な人材を抱えながら社内の人間関係で苦しむ者に気付きもしない管理職がいるのも悲劇の根源だ!
優秀な若者の芽を決して摘んではならないのに、それすら分からない輩に愛想をつかし辞めていく職場も少なくない。
私がまだ20代で管理職になった頃は、自分ではそう考えて行動していたわけではないが、どうしたら従業員が楽しく張り合いのなかで生活(働く)できるか一生懸命考えて勤めたものだ。
従って張り合いが効果を生み生産性が上がるという寸法だ。
遊ぶときは遊ぶ!休むときは休む!仕事する時は徹底して仕事をする。経営者の理解があったからこそ出来たことだと思うが非常に職場環境に恵まれた頃があった。そこで出来た下地が今日の自分を支えているように思う。
一生懸命歩こうとする人を応援したいと損得抜きで行動するようになったことに今更幸せ気分に浸っている。
従って、要領の良い人間はすぐに分かるし大嫌いだ!
簡単に言えば給料泥棒と言われるたぐいはみなこの部類だ。

ひと言で優秀な社員と言っても定義がある。学力は無いよりあった方がいいのは当然だが、仲間とコミニュケーションがとれないとか、夢や情熱のないものは殆んど当てにならないのは経験上言える。
私は20代の頃沖縄から中学卒業で洋裁学校に通う女性(女の子かな)に食事処で出会った。彼女は夜10時くらいまで日本料理店で働いており、初めての応対で一発合格を下した。と言っても私が一方的にほれ込んでアタックした訳だが、2回めにはどうしても話を聞きたくて仕事前になんとか時間を頂くことに成功!
求人活動で沖縄全土の高校へ訪問していた私。名古屋の会社(販売店)には絶対欲しい悦材だった。
話してみると洋裁学校へ行くのにアルバイトをしているというのだ。私はすぐさま彼女をくどいた。洋裁という習い事が出来れば良いはずだ。名古屋に「東京モード学院」という学校がありそこに通わせることにした。
そういう段取りをしてまで欲しい若者だった。美人で可愛くてスタイルも申し分なし、今でなら芸能界にスカウト間違いなしだろう!決定的だったのがその人なつっこい素直な笑顔だった。
他の高校生に交じって彼女も春の入社式に臨んだ。期待通り彼女の活躍と会社《同僚)に与えた影響は計り知れないものがあった。(つづく)


プロフィール

岡部俊雄

管理人 : 岡部俊雄
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