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 40回は夢じゃない!

大鵬に並ぶ
         大横綱白鵬 まずは32回の優勝おめでとう!!!

とてつもない大記録樹立の瞬間を見た !
昭和の大横綱大鵬に並ぶこの優勝回数をなんと日本人ではなく、モンゴルの白鵬が成し遂げたのだ!

64連勝ならず
       双葉山に並ぶ連勝記録をくしくも稀勢里に打ち砕かれた瞬間。

相撲好きな私は勿論この瞬間もテレビ桟敷で見守った。
この写真は客席まで投げられて苦笑いの連勝ストップの瞬間だ!!!!
当時は、きっと行くだろうとその注目度は半端ではなかった。

モンゴル1

モンゴル2

私も10年ほど前に縁があって旭鷲山(モンゴル出身)のお世話でモンゴルへ3回ほど伺ったことがあた。
実際には、写真よりも勿論美しく、その広大な草原を馬にまたがって自由気ままに走り回ったことがあったが、それは美しい国です。
首都ウランバートルは石炭の影響で空が中国のように汚れて見えますが、草原は本当にこの通りです。

少年

この草原からやって来た少年こそ白鵬なのですね! 当時62kgという小さな体(しょうねん)を誰がここまでになると予測できたでしょうね!

モンゴル国旗

15年前に日本の地を踏んだこの一介の少年が、モンゴルの国旗を背負うまでになるのですから素晴らしいことですね!

強い 1強い 3

とにかく強くなりました。
日本人好みのする心の持ち方は、千秋楽のインタビューでよく分かったことでしょう!

どこまでも謙虚でどこまでも稽古を重ね、そして感謝の心を忘れない。
「相撲の神様が、認めてくれたからこの結果がある」と結んだ。

今この大相撲の繁栄があるのは、天皇陛下のお陰です・・・と!!!
日本の伝統・文化を守ってくださったのは天皇陛下ですと感謝の言葉を添えた。

亡き大鵬横綱への約束と恩返しが出来たことにこぼれた涙はあまりにも美しかった。
すがすがしく、こんなにも美しい涙を本当に久しぶりにみた。
インタビューの光景に釘付けにされ沢山の感動をモンゴル人から頂いた。

インタビュー

大横綱白鵬の優勝回数は40回は行くのでは・・・と解説者(北の富士)は豪語する。
それほど凄い横綱であることを、相撲に興味のない人でも知ってもらいたいとブログに載せた。

白鵬の名は、大横綱「大鵬」の「鵬」の字と、当時柏鵬時代で人気を博した横綱柏戸の「柏」の「木」だけを除いてこの両横綱を並べたしこ名が「白鵬」という名前なのだ。
母国語で、お父さんお母さんありがとう・・・と涙ぐみ、未知への記録に挑む白鵬は光輝いていた。

満天の星

私もモンゴルの宿舎ゲルに泊まった夜、この満天の星を見たことがあった。
この美ししさはとても言葉では言い表せないが、みたことのないとてもロマンチックな気分に浸ったことを覚えている。

今の横綱白鵬は、この満天の星にも似た優しくて美しい心でいっぱいに見える。
40回は夢ではない・・・、そんな気がしてならない。

62kgを支えたのは、この美しい心と一度もケガすることなく土俵に上がれたこと、それが証拠に横綱になって一度の休場も無いのは白鵬だけだということを知らなければならない。

32回優勝の瞬間
         千秋楽結びの一番・鶴竜に勝った瞬間(26.11.23)

この瞬間勝利するまで、まばたきできないほどの速攻で記録に到達をした。

大横綱


まだまだ夢を見させてもらいたい!!

40回の優勝も決して夢でない素晴らしい記録をモンゴルのあなたが成し遂げる日が来るのかも!!




誰もたどりつけないところへ歩いているようだ!





 ありがとう 高倉健 !

高倉2

訃報を知ったのが今日写真編集しているときだった!!!
この10日に亡くなっていたんですね (涙)
偶然にも映画の前売り券を買いに銀座に行っていました。 吉永小百合の「ふしぎな岬の物語」です。
高倉健と吉永小百合の作品もありましたね・・・ 。 みんな観ました!

悲しくってしかたがない! 悔しくってしかたがない! 泣きたい気持でいっぱいです(涙)
あの頑強なイメージの高倉健も悪性リンパ腫には勝てなかったようですね。  
享年83歳だったそうです。

昭和の大スター高倉健 !  今考えると放映当時のヤクザ映画は殆ど観ていなかった!
任侠ものを卒業し、山田洋次監督路線に入ってから急激に好きになった。

「幸福の黄色いハンカチ」は今までに何度観たことだろう!
山田監督と言えば例の「寅さん:男はつらいよ」でこの大フアンであった私は庶民的で自然なままの人の心を表現する山田監督は私にとって心の支えであったのかも知れない。

後に、平成に入ってからまるでフアンであるご褒美のように作曲家の山本直純先生に会うことになる。
ただ会うだけなら何も語るほどの内容ではないのだが、実は仕事(作曲)を依頼したのが縁で平成2年頃から山本先生には亡くなるまで個人的にとても可愛がってもらいました。。
ご存知の様に、山本先生があの「男はつらいよ」の主題歌を作曲したのはあまりにも有名。

「あ・うん」「鉄道員ぽっぽや」「八甲田山」「南極物語」「居酒屋兆治」等々その殆どを観た。
「遥かなる山の呼び声」のラストシーンでの列車の中、涙が止まらなかったことを昨日の様に覚えています。

高倉3
(これが例の唐獅子牡丹の入墨で高倉健の本当の背中です)

私は日本舞踊教室の生徒さんの舞台演出や演技指導を手掛けるようになってからですね「任侠路線」作品を観る様になったのは。
この2年ほどは、毎晩のように東映映画を観るようにしています。
中村錦之助・大川橋蔵等々の時代劇、そして観る様になったのが高倉健のヤクザ映画です。
藤純子・鶴田浩二等々、物語もさることながらそのかっこ良さ痛快感は言葉では言い表せません。

油の乗り切ったこの時代の高倉健をずっと見ていたら本当にまだこの若さなんだと錯覚すらしていましたね。
そして、女優陣の着物のさばきにいっぱい教えを乞う毎日です。

映画館で観た最後の作品は「あなたへ」でした。 あれは一昨年だったでしょうかね!
味がありました。 素晴らしい役者になっていました。
順番に言えば、ヤクザ路線があって、山田作品があって、「鉄道員(ぽっぽや)」から「あなたへ」は実に人間味のある素晴らしい役者でした。

山田作品への移行は時代の流れもあったようです。 つまり、高倉健は映画界になくてはならないスターだったんですね。「幸福の黄色いハンカチ」は日本中に大きなメッセージを送ることの出来た素晴らし作品でしたが、この時ほどドラマ(映画・舞台・TV)は脚本とキャスティングで良否が決まるものだと感じたことはありませんでしたね!
任侠映画は東映を去ることでピリオドが打たれましたが、素晴らしい監督が待っていたんですね!

ヤクザ映画は昭和の真っただ中! 山田路線は昭和の終わり頃から平成の真っただ中!
二つの時代を映画で生ききった大スターでした。
不器用です・・・!!  ひとたび「死んでもらいます」と言うとこちらも手に力が入ったものです。

虫の知らせだったのでしょうか!?  昨年あたりから「東映チャンネル」で高倉作品の殆どを録画していたのです。
その作品こそ高倉健全盛の任侠映画です。 こんなスターは2度と現れませんね。

今夜は勿論のこと、当分はもう一度毎晩「高倉作品」に酔ってみたいと思っています。
私にとっての心からの追悼だから・・・  きっと、止まらない涙を覚悟の上で・・・

ありがとうございました。  合掌




 カナダからメープルです!

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これは昨年カナダに渡った生徒さんから届いた写真です。
銀杏のような秋の風物詩にも見えますがまさにこれが「メイプル」です。
あのカナダの国旗に見るあれですね!

平成生まれのお嬢さんですが数年前に日本の文化に触れたいと波島教室にやって来ました。
外国で自分を試してみたいとお稽古中も一人でいろんな国を旅行していましたねそう言えば。
夢を追いかけるその心に惹かれて応援団長を買って出ました(笑) でも本気も本気です!
若者が日本の文化や伝統わ大切にしたいってその心は素晴らしいものです。

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こんなところを一度散歩してみたいものですね!

彼女はカナダに渡ってもう1年半ほどになりますが、永住権を取得しカナダで頑張りたいと一生懸命です。
夢を追いかける若者を身近に見れることは嬉しいことですね。

やっと生活も落ち着いて「日本舞踊」をお稽古出来る環境を見つけ通い始めたようですがなんと素晴らしいことでしょう!

来月先生や団長に会いに帰りま~すと昨日メールが来ました ♬
多くの刺激をもらえそうで嬉しいです!
メープルがお土産なんておしゃれです ♬

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岡部俊雄

管理人 : 岡部俊雄
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