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 愛の反対は・・・

幸福1

日本の美しい春はそのまま「令和」という素晴らしい響きの幕を開けました。
今回は令和最初の「幸せになれる講義」をお届けしたいと思います。

日本人ならその殆どが弾むようなその元号に一喜一憂したことでしょう。 みんな幸せになりたくて毎日頑張って生きているんですからね。
いよいよジューンブライド。 人生の1ページを新たな船出とするカップルも多い中、先日は川崎市で悲惨な事件(通り魔)がおきました。
しかも、夢に向かって人生これからの子供たちを次々と殺傷するというなんとも居たたまれない惨い事件でした。

明るく楽しく1日を過ごせないんだろうか!? 
このことは平成の中頃からずっと気になっていました。 特にその前(昭和の終盤)のコンビニが出来てから・・・、そして昨今のこのネット社会。
私は便利になったことが悪いなどと思ったことは一度もありません。
しかし、人との交流が無くても過ごせる環境が整ったことは確かです。 それ以上に驚くことはもう家庭の団欒が消えてしまっているという現実ですね。 
私の住むマンションに中学1年生になった少年がいます。 彼は朝6時頃からマンション前の広場でサッカーボールを相手に自分なりの朝練に余念がありません。
彼は私を見つけるなり元気な声で「おはようございます」と声をかけて来ます。 何とも清々しく気持ちの良い1日のスタートになりますね。
彼にはおばあちゃんが居てどうもおばあちゃん子のようです。 つまり、彼には素晴らしい人生の指導者が居るということです。
礼儀をしっかり教える。 その礼儀の基本こそ「挨拶」です。 
世の中が挨拶を忘れたのかと思うほど殺伐としてきたことにずっと心配し続けて来たのは私だけではないはずです。
しかし、哀しいかな「知らない人には挨拶しないように・・・」と家庭や学校で教える時代に入ったんでしょうか!?

写真に見るように「恋の季節」という言葉すらだんだん死語に近くなってきたとしたら、それは政治の在り方にも問題があるように思えてならないのです。 政治家でも、人間としてもっともっと勉強して欲しい心の未熟者があまりにも増えました。
大臣すら地に落ちたと言いたくなるほどの無様(ぶざま)な在り様です。

核家族だと逃げるのではなく、まず家庭の在り方をもう一度考えるべき時期なんでしょうね。
 そして「学校」です。 次に「職場」です。

観桜会を計画しても場所取りや出席等を促せば「パワハラ」だというんだそうですね!!!
しかも、それは「出勤扱いですか・・・」となるようです。 これでは人間形成どころではなくなります。 こうなった原因は親のしつけや上司、政治家が間違った権力をふるうからにほかなりません。
一緒に行動し、褒めてあげ、感謝したら子供も部下も喜んで参加し行動するはずです。
そう思いたいです。 そう信じたいです。
私が知っている経営者には本当にいろんな人がいました。 しかし、残念ながら勘違いしている経営者が多かったことはとても残念でしたね。 「使ってやっている」「俺が雇っている」。そう思う心が傲慢という路線を走らせる。
公私混同し会社の金を自宅の電化製品や改築に使うなど日常茶飯事でした。そして「もっと働け」「もっと業績を上げろ」!!
これでは従業員が頑張ろうとは思いませんね。  一言で共通していることが「威張る」という態度です。
これはパワハラを生む根源なんでしょう! 「自分は偉い」と思う勘違いは政治家でよく分かります。

そして、自分に得になることならやるけど、そうでないことには損得勘定だけで対応している姿は五万と観てきました。
どうしてこんなにもせちがらく自分本位な世の中になったんだろう!!!?

その原因、そのもっとも大切な基本が「挨拶」でしょう。 
挨拶とは、「おはようございます」「お先に失礼します」だけが挨拶ではありませんが、そのおはようございますでさえ出来ないというかしない御仁の多くなったこと。
しかし、好きな人等には出来るんですね。 社会全体には無関心であり挨拶など不必要と思っているんでしょうか!?
親御さんは「そんなこと言ったって挨拶から心を許しどこかに連れて行かれでもしたら・・・・!」これが親の心理のようでもあります。

私は前回白虎隊の「日新館」の教えをお見せしたと思います。

心が迷子になっているから出来ないことだらけ!  迷子にならない秘訣は「挨拶」できる心が大切ということです。
挨拶は相手(ひと)の心を開く鍵と言います。 心を添えた挨拶に出合ったことのない人は不幸とまで言い切れます。
それほど挨拶って大切なんですよ。

誰だっていきなり結婚する訳ではありません。
相手(ひと)の心に触れ、喜びや嬉しさが更に恋心へと変わっていく。 相手の心をそっと抱きしめる優しさのある人は間違いなく人の悲しみも分かる人です。
それにプラスお互いの「感性」が合ったならどんなに素晴らしいでしょう。
ただ単に欲望だけで結婚するから子供の育て方ひとつ出来ないんです。 思いやりいっぱいな若者だっていますよ。

この季節は1年で一番自然が美しい。 新緑、つつじ、藤の花、菖蒲やあじさい。 あの薔薇の花も見事に咲き誇っています。
ゆっくりとそうしたお花を観に出かけるのも素晴らしい。 どこかで名物を食すのも最高です。
心の休まる空間は探せばいくらでもあります。 
 
私は社会に出てから手紙を書くことが本当に多かったと思います。
青春時代の真っ只中、同じ劇団に通っている女性(高校生)におそらくギネスに載るくらい手紙を書きました。 ラブレターではありません。 きっと余りの多さにおそらく彼女のご両親もその手紙は見たはずです。私が名古屋に発つ前に彼女のご両親から「良い友だちでいてくれてありがとう」と言われたことでその手紙の中身は分ると思います。 今で言えば簡単なメールを送ったようなものです。 劇団での出来事、作品への想い、趣味の話。 まるでドラマのような光景でしたからね。
1週間に1度お茶の水のお稽古場で会っているにも関わらず・・・・です。
一緒にお茶も飲みました。 でも、手もつないだことがありませんでした(笑)。 丁度上の写真のような光景でした。

劇団だけに彼女はとっても美人さんで可愛かったですよ。
仲良しになれたのはやはり挨拶からだったように思います。 挨拶が人の心を開くって本当です。

その後、名古屋に勤めることになる訳ですが、そこでもメキメキ頭角を表していったように思います。


幸福2

名古屋の会社での10年ほどの経験が私の人間形成の場であったことは間違いありません。 経営者には本当に恵まれ大切なことを人の何百倍も学んだのが名古屋だったでしょう。
そこで学んだことが「人を大切にする」ということでした。  従業員、取引先、勿論お客様。 管理職で居たときは全てに「日本一」を目指し従業員と一緒にまるで青春ドラマを演じていたように懐かしくさえ思います。
マイクロバスを自ら運転し奈良観光や岡崎城の夜桜見物にみんなで楽しみました。 一人の欠席者もなかったですよ。
知っての通りこれを今やったらパワハラなんだそうですね!! 私の経験からそれは違うような気がしますね。 私は今でもそうですが、命令したことは一度もありません。 「一緒に頑張ろう」がテーマで責任者自ら本当に何でもやりました。

名古屋を辞めて故郷に帰ってから制作会社を営んでいましたが、30名まで膨れ上がった会社も考え方は一緒です。 利益還元に7年連続で慰安旅行として「グアム旅行」を実施したのも若者が多かったからです。

この会社で約280回前後「結婚式の司会」を経験しました。
勿論ホテルに頼まれてですが、好評だから要請があったのだと思います。 従って多くのカップルを見てきたわけです。

私はこれらのカップルを見る度に思い出していましたね。 そして2人にそっとアドバイスさせて頂きました。
それが「幸せになる秘訣」です・・・・と。
大きなことを言うようですが、それは実に簡単な秘訣なんですね。

13年ちかくこのブログを書き続け、私のブログのタイトルが「幸せ探しの部屋」としてきたのが浸透し本当に多くのご意見を頂いて参りました。  どんなに綴っても結局行きつくところは「心の持ち方」以外ないということに気づくはずです。

多くの若者に波島陽子が日本舞踊を指導し続けていますが、波島先生は私のようにこうしたことを言葉に出すことは殆どありません。 しかし、その生徒さんの殆どが、「波島先生に習えて幸せです」とまで言い切ります。 先日など、「他の先生でなく波島先生の踊りを習いたいんです・・・」と話す生徒さんがいました。
私は、「波島陽子という指導者を日本一の指導者にしたい」・・・とプロデュースを買って出たのは大正解だったと思っています。

波島流という流派は創流してまだ13~4年でしかありません。 老舗の流派を尊重し自らはあくまでも謙虚です。
しかし、素晴らしいお弟子さんが育っています。 どこに出しても(出演)も多くの賛辞を頂き、諸外国の政府から要請を頂き日本の伝統・文化を現地に赴き披露させて頂いてもおります。

その披露って何だろう!?  おもてなしと言いますが「おもてなし」ってなんだろう!?
日本舞踊をその優しい心根で表現できる日本舞踊界の第一人者。 日本舞踊の美しさをこれほど鮮やかに美しく表現できる舞踊家は本当に珍しいですね。
振付作品(DVD)を全国に販売させて頂いている関係でなんと波島作品愛好者は数千人にまで膨れ上がりました。 好きで日舞を楽しむ。 しかも波島先生の作品を踊りたいとご注文が後を引きません。
これこそが幸せ探しなんですね。 誰だって幸せになりたいに決まっています。 そんな中、私の話に一喜一憂し頑張っている若者は少なくありません。 お一人でもいい、お一人でも波島の心で、また私の心で張り合いをもって生きてくれるんなら・・・、そう思って日々頑張っています。


2人のカップルへのアドバイスと言いましたが、それは「愛の反対は何ですか・・・!?」ということです。
「愛の反対は無関心ですよ」と教えます。

素晴らしい、これ以上ない愛情(関心)で付き合いが始まり結婚まで漕ぎついたんです。 結婚生活がずっとうまく平穏無事)いくに越したことはありません。  しかし、その破滅の殆どは無関心だということです。

何度も何度も大切なことは「挨拶」だと言いました。
義務や仕方なしでするんなら「挨拶」は返って弊害になります。
挨拶は自らの心が行う一方行為なんです。  心を添えた挨拶は相手(ひと)の心を開きます。

どんな親でも、まだ話せない子供を抱っこして「バイバイ」を教えます。 「おじちゃんおはよう」を教えます。 この光景は誰もが何度も見ているはずです。
無意識に抱っこした赤ちゃんの右手を持って「バイバイ・・・」と促していますね。

ご自分の赤ちゃんに「まあ可愛い・・・」と言われて嬉しくない訳がありません。
関心を持ってもらえるってつまり愛情のなにものでもないんです。

先日起きたあの忌まわしい殺人事件。
あまりにも悲惨な事件で決して良いことではありませんが、彼は死を覚悟であの現場に向かったようです!!  
そして最後の言葉が近所の人とのすれ違い際に放ったひと言だったとか!!。「おはようございます」・・・と!!
人間に帰ったほんの瞬間だったようです。 彼も本当は挨拶は知っていたんです!! もっと早く声に出して「おはよう」を連発すればきっと気持ちは一人ではなかったでしょうに・・・・。



具体的に幸せになれる秘訣は次回箇条書きにしてお話しさせていただきます。
次回の投稿予定日は6月7日を予定しています。




 役者になりたい

夢ー1

北海道がほぼ38℃前後という5月には考えられない異常気象が起きていますね!!

これら猛暑の中、相変わらず波島教室は連日猛稽古が続いています。
とんでもない数に膨れ上がったお弟子さんや生徒さんの数は半端ではありません。 お稽古に通う殆どの皆さんは趣味であったり、日本の文化が好きでと着物姿の美しさに挑戦しながら頑張っていますが、その他はプロであったりプロを目指したりの若者たちが日々夢に向かって頑張っています。

役者になりたい。 殺陣をやりたい。 昨今は本当に多いんですよ。 

プロになる秘訣というか一番大切なプロへの条件を今回は少しお話してみましょう。

昨今、諸外国からの観光客が増え、お客様は日本に「忍者」や「芸者」・・・・と言ってやって来ます。
従って、浅草でも例にもれず着物レンタルのお店が本当に増えましたね。
波島陽子日本舞踊教室にも年間2000人もの外国人観光客が訪れ、振袖体験や日本舞踊体験を楽しんでいます。
それら外国からの観光客の皆さんは何が一番の「目的」で来日するんで頌か!? 10年以上の体験に関わったこの目でハッキリ言えるのはその殆どが「日本は美しい」と感じている事実です。

では、何故波島陽子日本舞踊教室はこのような体験も受けるようになったか!?
ここが一番の問題です。 波島は最初教室を運営するなど全く考えていませんでした。 全国の日本舞踊愛好者のみなさんに、上京しなくても新しい作品を覚えられるという「振付作品(ビデオ)」の制作が一番の目的でした。
ところが、1ケ月・2ケ月と経つうちに1人・2人と生徒さんが踊りを習いたいとやって来ました。
そこで波島教室は家元の波島陽子が日本の若者に伝えたいことがあって教室を開校したのです。 つまり、本物の芸を伝えたいがそれでした。
従ってビデオは製作するものの、本質は日本舞踊の指導が主流になったのです。 波島陽子は女剣劇で一世を風靡した「淺香光代師」に長年師事し、舞台女優として全国の大舞台で活動を続けて来たのが財産でした。
運が良かったのは、淺香事務所には直属のお弟子さんは2名だったということです。淺香氏はご存知のように股旅ものが多くその殆どは男役でした。 ですから相手役として恋人役や娘役は全て波島陽子が務めていた訳です。 考えてみたらラッキーでしたね。
おかげで、しごかれてしごかれて腕を磨けたという訳です。

淺香事務所はお芝居の傍ら日本舞踊も教えていた関係で波島は退団後そのチャンスを自分のものに出来た訳です。
お芝居が好きで、歴史が大好きな波島はメキメキと腕をあげ、その意欲が西川流や花柳流にもその教えを乞う機会を得て独立時に波島流を創流できました。

さあ!これからが本題です。
私も時代劇は大好きで3歳くらいから東映の時代劇や日本舞踊・芸者さん等々の環境が身近だったせいか、時代劇評論家を超越したところに様々な知識が身に着いていました。
それが「着物の美しさ」についてでもありました。  ただ単に着物の美しさと言いますが、東映の時代劇全盛時の映画を観るとその美しさは際立っています。
おそらくエキストラまで日本舞踊を習っていたんじゃないかと思わせるくらいなそれは素晴らしい美しさです。
つまり、着こなしですね。 
これは日本舞踊の心得がある無いでは大きな違いです。 裾さばき、仕草等々その振る舞いはとても言葉で表現できるものではありません。 勿論昭和という時代背景、生活環境や日本独特な生活様式(文化)も見逃せません。

美しいしぐさで表現できない・・・、仕方ないと諦めていないから努力を続けるのですが、昨今は踊りひとつできない若者が着物を着てただかっこいいで剣を持ったところで全く絵にはなりません。
アイドルブームで、ただ人気があるからと人気優先でキャスティングしたらどうなるでしょう!? それはもう耐えられないくらいひどいものです。
本物は嘘をつかない。 まさにそれが日本舞踊です。つまり、着物を着て動くということはとても難しいものです。 時代が時代だけに最近の浴衣はフリルの着いているものさえあります。

外国の人との違いは、血の中に日本人があるからこその美しさです。 それは時に生活環境であったりするのかもしれません。

私は先日秋田県湯沢市というところに行って来ました。
お座敷で芸妓さんをよんで楽しむなど平成の初めころ音楽家の山本直純先生と行って以来でした。 当時は先生と一緒に3年ほど全国の温泉に出かけたものです。 山本先生はご存知「男はつらいよ」のあの寅さんの主題歌を作った先生です。
先生はお座敷遊びが大好きでした。 まったく東映の時代劇に出て来るようなそれです。
その頃納得したのが本物の芸でした。  とても若い芸者さんでは務まらないプロ中のプロでしたね。 芸の力を思い知らされた瞬間でもありました。
世界的に有名な芸術家の根底を観るようで学びの多かったこと。  従ってなかなか若い芸者さんではあの魅力は出せませんでしたね。  
ところが、湯沢市の芸妓さんの素晴らしかったこと。
私はここである核心を今更に持ちました。 それは心の持ち方の素晴らしさとともに「感性」も大切だということです。 感性、センスと置き換えても良いかも知れません。  これが不思議な「魅力」なんですね。
ここに執着している湯沢の芸妓連の主宰者は見事としか言いようがありません。
もっと言い換えれば「奥の深さ」は半端ではないということです。

話しは戻りますが、まず日本人である不思議な感性。 それは礼に始まり礼に終わる。 感謝の心が思いやりに変わる。 謙虚な心が奥ゆかしさに転じる。 日本人の原点と言って良いでしょうね。
そんな心に羽織るのが着物です。 まさに波島はその典型と言って良いでしょう。 お弟子さんが先生を慕う原因がそこに見えます。
最近は簡単にスマホで挨拶できる時代です。 そうではないんですね。 心がけの美しさこそ着物が似合うと言って過言でないのが着物の魅力です。

一生懸命プロになりたいお弟子さんが日本舞踊のお稽古に余念がありません。
しかし、何回お稽古してもやはり問題はその姿勢です。

昔、会津藩校に「日新館」という幕末会津藩の教育の重要な役割を担った教育機関のあったことをご存知ですか!?
ここではあの子供たちに何を教えていたんでしょう。

毎日順番に、什の仲間のいずれかの家に集まり、什長が次のような「お話」を一つひとつみんなに申し聞かせ、すべてのお話が終わると、昨日から今日にかけて「お話」に背いた者がいなかったかどうかの反省会を行ったそうです。

一、年長者(としうえのひと)の言ふことに背いてはなりませぬ
一、年長者にはお辞儀をしなければなりませぬ
一、嘘言(うそ)を言ふことはなりませぬ
一、卑怯な振舞をしてはなりませぬ
一、弱い者をいぢめてはなりませぬ
一、戸外で物を食べてはなりませぬ
一、戸外で婦人(おんな)と言葉を交へてはなりませぬ
ならぬことはならぬものです

・・・・・・、つまり「心の持ち方」そのものです。
しっかりとした心の基礎が出来ていない者が剣を持ってもおかしなものです。



夢ー2

修行に、楽な修行など何ひとつありません。

一生懸命お稽古したから上手になる。であればみんな一生懸命お稽古に励みます。勘違いされると困りますが、勿論一生懸命は大切です。 つまり効果のある「一生懸命」でないといけないということでしょう。

前述に「感性(センス)」と言いました。 
では、どうしたらこの感性を磨くことが出来るか!? まずやりたいことが「好きだ」ということが大前提です。
好きであれば苦労なんかいとわないからです。  好きこそものの上手は間違いなくここからなんでしょうね。

私の理念に「結婚するなら感性の合う人と一緒になりなさい」・・・・という哲学のようなものがあります。
その時々の感情だけで一緒になった人の離婚の原因はその殆どが基本的に感性が合わないというデータではっきり判ったそうです。私の言い続けていたことが当たっていましたね。  

感性の磨き方!?
人に優しくあることでしょう。 美しい花、好きな場所に行(旅行)ってみることでしょう。 心から感謝できること、謙虚であること、適当に詩人であること。 いっぱいあります。

まして着物は日本の文化です。
外国人が楽しむ、日本の若者がゆかたで花火大会に出かける。 まったくなんの問題もなく素晴らしいことです。
しかし、美しい着こなしやプロ(時代劇)としてのそれは違います。
困ったことに、映画や舞台監督で日本舞踊を知らない人はもう悲しいかなおそらく殆どと言って良いほど居ないでしょう。

剣を持っても「待てない」、「間が持たない」、「心の表現が乏しい」、これは芸事全てに言えることです。

京都や大阪に勉強のため外国人相手のイベント(体験)施設に行って来ました。
もう問題外ということを超えて悲しくなりました。 それは日本の文化がブームだから等商売が先に立ちまるで学芸会のようなチームが多いという現実。 こんなやり方では一生懸命本気で日本の伝統や文化を大切にしようと頑張っている人はたまったものじゃありません。 
私が考えていることが全てだとは思いません。  では、なぜ波島教室で習うと評価されコンテスト等では素晴らしい結果が出るのでしょうか!?
つまり、妥協しないことがまず大事。 そしてこだわり抜く信念のようなもの。 何よりも人を大切にする心。
日本を再建するんだとさえ思えるこだわりは波島の作風にも大きく関係しています。

夢見ることはとても大切です。
次に自分を信じ抜くことです。  何よりも指導者を信じて欲しい。 しかしその数百倍も自分を信じなさいと私は言い続けています。

波島教室で一生懸命お稽古すれば本当に上手にはなります。 言い過ぎくらい自信に満ちた発言ですが、それは私の意見ではありません。 通っている生徒さんの生の声です。
結婚(しゅっさん)や遠距離転勤等でなく辞める人はいませんが、つまり感性の無い人であったり自分勝手な人はこの教室では務まりません。 感性との因果関係でそれを見事に証明しています。
それは指導者の心根がしっかりしていること、それらが伝わるからです。  そうしたら見事なまでに成長します。 不思議な現象ですが事実です。

しかし、波島がもっともっと伝えたいのは更に「心の持ち方」です。

日本人の素晴らしさは世界のどの国にも負けない素晴らしい心の持ち主だということです。  しかし、哀しいかなその心の持ち方は非常に軽く空しいものへと変わりつつあります。
これは便利さが招いた現象でしょうか!? それも一理はあるかも知れません。 日本人ってもっと素晴らしい国民なんですよ。
そう自信を持つべきじゃないかな!?

形をつくることは大切です。 しかし、その形はこころで表現できなければまだまだ未熟です。
着物を着ての演技の素晴らしさは「心の表現だ」・・・・ということが少しはお分かり頂けただろうか。 時代劇での立ち居振る舞いなど昭和の映画に比べたら余りにも貧相で悲しくなりますね。

浅草の公会堂で波島が「人形の恋」を演じたことがありました。 本番前日のリハーサルでお弟子さんが(客席で)泣いていたのを覚えています。 それが一人や二人ではないのです。
師の舞台を観て「幸せでした」とお弟子さんの声。 本番当日は満員の客席から大変なため息と涙でした。
日舞の基礎があってそこに心を添える。 まさに教科書のような舞台だったことを今尚鮮明に覚えています。

写真のように、一生懸命プロを目指す男性も何人も通っています。
まず身をもってその心を会得するために本当に一生懸命です。
よく、「稽古は嘘をつかない」と言いますが少し違います。  普段の生活、普段の心の持ち方。その心を表現することを覚えたら素晴らしい役者になれると断言します。

こういう大切な部分を知らないでメガホンを持つ監督が多くなった昨今、大きな問題はここら辺りにもありそうですね。
指導者はどこを、何を教えるか!? ここが一番大切なのです。

芸術は、金儲けなどでは決して大成しません。
努力したから大成する補償もありおません。  冒頭で述べた「感性」がそのほとんどです。
その「感性」を磨く事って出来るんですよ。  

いかに自分磨きが「心の持ち方」であるかを知って頂けたらこの上なく嬉しいですね。
感性を磨きながら日本舞踊を学んでください。 日本人だから表現できるその美しさをあなたも表現できるのです。

夢を諦めないで素敵な日本人になってください。  それがプロへの道です。



 秋田の観光(たから)

絵灯篭 1

なんて美しいんだろう!  幻想的で風情があってここに日本の心が宿っていると言って過言でないでしょう!!

これは、雪国秋田県湯沢市にある伝統的な祭り、夏の風物詩としてこれ以上の夏の夜(まつり)はないのではないだろうか!?
実は、浅草で活躍する日本舞踊の家元波島陽子の故郷がまさにこの地秋田県湯沢市なんです。
この写真で何かにお気づきですか!?
そうなんです。 殆ど高い建物(ビル)の無いまさに日本の原風景にも似た素晴らしい町の夜は真っ暗。
私はこの時期にお邪魔したことないので分かりませんが、湯沢市が誇る七夕まつりの別名「絵灯篭まつり」は圧巻ですね。

今回のお話はそこなんです。
全国の地域振興事業に関わるある理事長、そして波島と私で食事をしたことがキッカケでした。
「私の故郷はね・・・・」と熱く語り出した中にこの絵灯篭の話が出たのです。
灯篭に絵が描かれている程度で聞いていたのですが、スマホでみると確かに「ふーん」と多少の感動(失礼)
ところが波島の話は終わりません。 まるで湯沢市の観光大使以上の熱弁でした!

それを聞いた理事長は2日後に即決。
「とにかく行ってみましょう!!!」 こんなことってあるんですね。
たまたま波島に知人が居たのでアポを取って出向いたという訳です。


絵灯篭 2


展示会場で見た絵灯篭の美しさはそれは見事でした。
こんな素晴らしい行事(まつり)がどうしてこのネット社会に浸透していないんだろう・・・・とさえ思いましたね。
これこそが日本の文化です。 私のよく言う日本の心でしょう。

今年は8月の5日・6日・7日がこの素晴らしい「絵灯篭まつり」だそうです。


地域活性化について伺ったので市役所の関係者・町の観光に関係する有志のみなさんともお話をさせて頂きました。
まるで私が湯沢市の回し者のようでしたがそうではなく、波島陽子の代わりに何かお役に立てれば・・・・と。

今回を段どってくださった湯沢の「湯の華芸妓」の代表阿部一人さんの情熱はまさに波島と同じ。
こういう人が居ないと町の活性化はなかなか難しいんですね。 私も地域振興の仕事を30年もやってきた経験上、この難しさは本当によく分ります。
決して私は阿部さんと特別な関係ではありません。 しかし、波島同様こういう人がいないとこの事業は本当に難しいんですね。
阿部さんはこう話されていました。「市役所に勤めていながら退職してまで・・・・」と周りの目、周りの口はかなり厳しかったようですがとてもよく分ります。
こうした人こそ町の発展を心から願って具体的に頑張っているんではないでしょうか!? 彼は自分が商売になれば良いなどと決してケチな了見などではありません。
町にはあの「稲庭うどん」がある。そしてあの素晴らしい「漆器」がある。全国の酒飲みが「秋田の酒は美味い」と言いますが、その酒は湯沢が醸造元です。  ご存知ない人がいるかも知れませんが「小野小町」は湯沢の出身です。
素晴らしい温泉がありその自然の美しさはとても口でなど表現できるものではありません。

私もこの地の温泉に入ったことがありますがこの温泉大好き人間が宣伝したいくらいですから確かです。
お米や山菜、この自然に育まれた人情豊かな秋田県民。 
どこのお店でも宿舎でも温かい人情に触れることが出来ます。


芸妓

伺った夜、なんと百年料亭のお座敷での夕食でした。
その席に来てくれたのが売れっ子芸妓佳乃華さんと佳つ那さんです(写真は多少違うかも)。 
お二人は本当に味のある素敵な舞いを見せてくれました。

私は日本舞踊教室を主宰していますが、この私が「素晴らしい」・・・・というんだから凄いの一言です。
4年少々でよくここまで創り上げたものだと感服しましたね。
ここに阿部さんの心意気があるんでしょうね。 湯沢市の宝です。いえ、秋田の宝です。

浅草にも当然芸妓さんはいますが湯沢の湯の華芸妓とは何かが違いましたね。 お酒を頂きながら三味や太鼓、笛の音に合わせてその美しい舞いを見ながらとても不思議な気持ちで居たことを今でも覚えています。
そうなんです。言葉で表現できない優しい人情がそこにあって謙虚でいてそれで楽しさを満喫させてくれる。
「阿部さんの想いはここまで来ているのか・・・・」を実感。  秋田美人どころかここを知らない人は損をする。そう言い切れるお座敷でした。
様々な秋田の観光を終え、ここでこのお座敷を満喫し温泉に浸ってみない手はないでしょう。
私も企画制作の仕事を30年ちかくやって来てお座敷や宴会場の楽しみ方は十分知っているつもりです。
ある温泉地に行ったら全てフイリピンの女性でした。 ご存知のように芸も無いのにお酒のお相手と称して全国には多くのコンパニオンがいます。コンパニオンが悪いと言っているのではありません。 お座敷はやはり芸舞妓でしょう。
風情を、日本を、故郷を楽しむって違いますね。 ここが阿部さんの理念の素晴らしさです。
これを湯沢市は放っておくなどもっての他です。 宝の持ち腐れとはこのことです。

地域振興は自分が自分がでは成り立ちません。

波島陽子が浅草で頑張っているのも全く同じことなんですね。
お一人でも多くの若者に日本の伝統や文化を着物、つまり日本舞踊を通してそうした若者に継承したいとする信念が多くの若者に支持され今日に至っているんです。

そう思うと、阿部さんにしろ、波島にしろ「湯沢の人間は凄い」と言わざるをえません。

令和に入って最初に訪れた湯沢の旅は本当に素晴らしいものでした。
令和は日本舞踊が似合うと綴ったことがありました。阿部さんの想いが大きく花開くようお一人でもそのご理解をもって応援し続けてください。

阿部一人さん主宰の湯の華芸妓連が来年5周年を迎えるそうです。湯沢出身の波島陽子が35年ぶりに故郷湯沢の舞台に阿部芸妓連と一緒に立てたらこんな素晴らしいことはありませんね。


皆さんも是非ゆっくり秋田(湯沢市)を訪れてみてください。
まず温かな人情に心癒されます。  湯沢はそういうところでした。






 日本舞踊と着付け

着付師2

私が日本舞踊に関わってなんと14年目に入りましたが、実に奥の深い世界です。

子供の頃から母親が芸者さんのスケジュール管理をしていた頃を思い出しますが、元来母は洋裁和裁等手芸関係には非常に長けた人でその腕は今思えば一流だったようです。
町の芸者衆から着物を仕立てて欲しい等の依頼でそれが判りましたね。 ご存知の方も多いでしょうが、芸者さんが仕立てを頼むって相当うるさく厳しいお客なのです。
そんな関係で母は三味線や琴を習ったり日本舞踊に触れたり等の環境で育った私に影響が無いわけありませんね。
いつだったかか父親が親戚に頼まれて東映映画封切館の支配人をしていたお話をしたかと思います。そうした関係もあって東映時代劇は全て観たといって良いでしょう。 出演者全員が日本舞踊を踊れるというほどの銀幕でした。
なんなんでしょうねこの環境は(笑)

極めつけは親戚が塩沢お召しの機屋と来たら完璧でしょう!!

従って私が現在日本舞踊に関わっているということは何の不思議もない訳です。
従って、達人のすぐそばで育ったようなものですから目は肥え知識は豊富になりました。

今日お話ししたかったのは身近にいる達人(着付師)についてです。
お世辞抜きで日本最高峰と言って過言ではない人のお話です。

波島はご存知のように秋田から上京したのはお芝居がやりたかったからです。 飛び込んだのが淺香光代師の事務所でした。
一世を風靡した女剣劇の第一人者ですね。 今と違ってその修行は想像を絶する厳しいものだったでしょう。
自分(なみしま)が飛び込んだ道、そこに居たから出来た全国の大劇場への出演。 それも淺香事務所の芸養女(当時)だったお陰で公演パンフレットには師匠の次に写真が掲載されるという幸運さ。当然先生が男役でしたから波島はその相手役だった訳です。
お芝居の無いときは事務所で日本舞踊の稽古。 淺香流のお弟子さんは全国にたくさんいましたね。
今だから話せますがと「花柳流」「西川流」の先生にも日本舞踊を習い、ついには淺香流のお弟子さんに代稽古ができるまでになった訳です。

先生は役者さんでしたから、衣装の数は半端じゃなかったようです。 小道具しかり。 それらの扱い管理等全て自分がやらなければならない環境は今思えばなんと贅沢な弟子であったことか。
舞台関係について全て学ばないといけない環境がそこにあったんですね。

今、花柳・西川と言いましたが常に最高の美しさを求める波島にとって必要不可欠だったんですね。
そんな時代に出合ったのが現在お世話になっている着付けの先生です。



着付師1

淺香事務所に入った当時から可愛がってくれた着付師がその人です。

波島が今日あるのはその先生(着付師)のお陰と言って過言ではありません。
その着付けの先生が「田島貴代子」先生です(写真)

とにかくその着付けの腕舞は舌を巻くと言ったら分かりやすいでしょうか!?
現在も映画・テレビ・舞台は勿論CM等々で引っ張りだこです。

前述のように、私もこの世界についてはどちらかと言えばうるさい方です。その私がみて素晴らしいと断言している訳です。
仕事の関係で若い着付けスタッフも多く知っています。  現代風とか言う人もいますが、その仕上がりは別物です。
まだまだ若者は足元にも及びませんね。

時々公演に出かけると他のチームや主催者がお着物を着るからとこちらにも着せて欲しいと言われることがあります。
着付け代がどのくらいか知っているんだろうか・・・と思います!!

田島氏のどこかに、「陽子ちゃんを育てたい」・・・・という思いがずっとずっとあったんでしょうね。
波島陽子にとってこれほど幸せなことはありません。

掲載の写真は日本舞踊振付作品の収録当日のひとコマですが、それはそれはどの作品にもドラマ性が十分採り入れられた着付けでまずもって見事です。

私は昔、名匠というくくりである企画を興したことがありました。
日本の素晴らしい文化・伝統はそうした名匠に追いつけ追い越せで成り立っていた筈ですが、哀しいかな本当にそうした人物は少なくなりました。
京都の西陣織の職人(後継者)が居なくなっているとドキュメント映像を観たことがあります。

波島陽子が本物を追及できる環境もそうした諸先輩諸先生が居たからなんですね。

波島社中がちょっとした舞台でも全て田島さんが同行して下さいます。
お弟子さんたちにとってはそれが当たり前のようになっていますが、とんでもないことです。
素晴らしい着付師の先生がいるんだから本気で学んで欲しいと思いますね。

ちょっとした舞台なのに「最高のものを求めて」演じさせてあげたいと思う師匠の心根を分かってくれたらきっとお弟子さんも更に成長するんでしょう。

  涙の令和に

スタート

いよいよ令和が幕を開けました。

平成が幕を閉じる1分前から改めて昭和と平成に多くの罪を詫びました。
人間が人間である以上、心とは裏腹にどれだけ多くの人に迷惑をかけて来たかしれません。
一生懸命生きてきたつもりでも、それはどれだけ多くのご加護を頂いて来たからかがこの年齢になるととてもよく分るのです。

目をつむり、手を合わせ、そうした昭和や平成に感謝しながら新しい令和(じだい)のカウントダウンに入りました。
そして、令和の時代は涙とともに過ごしていこう・・・と決心できました。
改めて涙の素晴らしさを知ったように綴っていますが、つい最近平成の天皇皇后両陛下が伊勢路をお車で通ったときでした。
どこからともなく飛び交う言葉は「陛下、ありがとう」でした。
そして多くの人々の頬に涙が伝わっていたのです。  言葉の要らない涙でしたね!

考えてみたら涙には本当に沢山の涙があります。
「嬉し涙」「感激の涙」「悲しい涙」もありました。 勿論悔し涙もありましたね。 「辛いときの涙」は愛する家族や大切な人を失くしたときの涙でした。
不思議なことに、きっと人を恨んだり、怒ったりしているときには涙はこぼれませんね。

国民のために、国民の幸せを祈り続けてくださった前両陛下のお気持ちはやはりその殆ど(こくみん)に伝わっていたということです。

私たちも、いろんな人に接しお世話になりご迷惑をかけて生きています。
人の優しさに触れ頬を伝う涙は宝です。  一緒に頑張って成果を出せた時の達成感はやった者しか味わえない最高の涙に変わりましたね。
涙はその人の優しい心の表れ。  涙のこぼれない生き方はやはり冷酷で残酷なことばかりです。
平和であるからこそ流れ出る涙。 もう一度「涙」について考え直していたらいつの間にか令和を迎えていました。

前述のように、冷酷さや人を憎んだり恨んでいる状態の中では涙はこぼれないという事実。
渋谷でカウントダウンを迎えた若者たち。 皇居で同じくカウントダウンを迎えた若者たち。
立ち去った後にゴミだらけだったのは残念ながら渋谷でした。  皇居に集まった若者は男性で言えばその殆どがネクタイ姿でした。
日本でさえこんなに違うのに、世界を見渡せば想像もつかない人それぞれの考えなんだろうな・・・と思えてなりません。
しかし、涙の種類はきっと世界共通なんじゃないかと思います。

平和であればあるほどその涙に触れて欲しいと思う。 勿論「嬉し涙」にです。

平成の終わりにお稽古場に行って千羽鶴を折りました。
神聖なるお稽古場に舞い降りた鶴のようで我ながら感動でした。 平成の途中で開校したお稽古場に当時は胸膨らませていましたが、半年もしない内にあの[東日本大震災」がありました。
今考えても想像を絶する大惨事だったことは申すまでもありません。

現地はもとより日本中が、いや世界中の涙が注がれました。 悲しくもみんな優しさの表れだったんだと思います。
ほんとうは、出来ることならそんな涙には遭いたくありませんね。

平和の中にも「涙」が必要だってことを知れば人は優しくなれますね。
嬉し涙に触れながら令和を歩いて行きたい。 これが新時代の私の願いです。

生徒さんの幸せ、生徒さんの達成感の喜びに交ぜてもらいながら過ごせたらどんなに幸せだろう・・・・。
令和は梅を楽しみながら歌われた中から誕生した元号。 楽しくやりなさい・・・と言うことですよきっと。

この令和が、嬉し涙でいっぱいの時代であることを願って新たにスタートしたいですね。



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岡部俊雄

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