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  青春できる喜び 2

直純先生

音楽家山本直純先生と知り合ったのは丁度平成がスタートした頃でした。

意気投合という言葉がありますが、私はとっても恵まれていて半年もしないうちに「友人関係」が築かれ
るまでになり、仕事以外にこうして2人だけでよく温泉旅行に出かけました。
2人を結びつけたのがお互いの子供のような心だったとはっきり覚えています。

当時、地域おこしの一環としてある市町村の町政10周年を記念してその町の「太鼓」を作ったのがそ
の出会いでした。
考えてみたら、「仕事とは心でするものだ」という接点が当時通じあえたんだと思います。
最初は先生の事務所の専務さんがマネージャーとして常に同行していましたが、4回目くらいからは
全て私の運転、私がマネージャー役として私の仕事にはいつもお一人で来てくださいました。

昔からずっと私は子供のようなところがありましたが、直純先生にお会いしてからは少し遠慮気味な
そうした面の蓋を完全に外すことが出来ました。

先生は本当に子どものように明るく子供以上に純粋でした。
これを受け入れるのに時間はまったくかからなかったですね。  当時、童心こそ青春でした。
「芸術家だ!」  身近でそう感じることが出来たのも私の財産です。
それ以来、亡くなるまでの十余年もの間、本当に可愛がっていただきました。

先生は温泉旅行が大好きで、そして宿でのお座敷遊びに興じるのがとても大好きな先生でした。
お座敷遊びなど、それまで私は時代劇映画でしか目にしたことがなかったのでどれもこれも新鮮でし
たね。
勿論、お座敷遊びとは芸者衆と遊ぶのですがそれが実に楽しく面白い。今考えたら贅沢な遊びでした。

先生はオーケストラの指揮もとられるのでサントリーホールにもよく伺いました。
楽屋での他の演奏者との会話、そうした人たちと知り合える機会。 舞台の袖から観たりまた会場で
見せていただいたり!!

私が長野県中野市から「中山晋平生誕100年」の舞台を依頼されたときはすかさず直純先生に一任
し地元の小中高の学生を参加させ大々的に構成演出を受け持ちました。
中山晋平の作品(童謡)が好きだった私には夢のようなお仕事でしたね。
当時を振り返ると、仕事というよりも楽しい夢をまとめあげているような不思議な感覚だったことを覚え
ています。

前述に、子供のようなと言いましたが、本当にそうでした。
感動を与えるような作品づくりの原点を見たような思いだったことを思い出します。
つまり、なんでも子供のように遊びの延長上にやはり「青春」ってあるんだ・・・・の実感だったのです。
もう30年も前のことですからあれから私も30年年をとったということです。

先生とは長野の有名な温泉は殆ど、新潟の温泉・下呂温泉等々2人でよく出かけました。
無邪気でいいんだ・・・ 先生から学んだことです。

ヘルニアで体調を崩し、3ケ月も歩けなかった時期は本当に私にとっては地獄でした。
勿論退院したとは言えリハビリ中なので1ケ月以上しないと走ったりはまだでしょう・・・と昨日診察して
頂き担当医に言われました。
焦ってはいませんが、動けないのは残念です。
焦らず・凝らずリハビリにしっかり向き合いたいと思っているところです。

沢山の皆さんから本当に温かなメッセージを頂きました。 この場を借りて心からお礼申し上げます。
中でも私が尊敬する加藤和郎先生からはこんなにも素敵なメッセージが贈られて来ました。

おめでとうございます。青春復活ですね。
「もし私が神だったら、私は青春を人生の終わりにおいただろう」
                   アナトール・フランス
何もわからないうちに青春を終わらせてしまうのはもったいないですからね。

サミュエル・ウルマンは「青春」の詩で歌っています。
青春とは人生の或る期間を言うのではなく心の様相を言うのだ
優れた創造力、逞しき意志、炎ゆる情熱、怯懦を却ける勇猛心
安易を振り捨てる冒険心、こう言う様相を青春と言うのだ
年を重ねただけで人は老いない。理想を失う時に初めて老いがくる

ただし、精神が若くても、見てくれが老いていてはやはり、ね。
見てくれは「歩く姿」に表れますし、
自分自身のリズムを支配するのは「足取り」だと思います。
その「歩き」を取り戻したのですから、
これからのますますのご活躍を期待しています。

おめでとうございました。
          加藤和郎


入院していて振り返った私の今までの人生はまさに青春そのもでした。 ・・・そう退院のお知らせに
対し贈ってくださった内容でした。
生き方ってとっても大切でそれでも人生失敗だらけです。
考えたら私などその典型のようなものです。  これが昭和の生き方だとは言いません。
しかし、平成になり、この30年で失われた「日本の素晴らしさ」は計り知れないものが本当に少なくあり
ません。
それに抵抗しようとも思いません。
しかし、頑なに「こだわる」ことの大切さだけは失くしたくないと強く思いながら歩いています。

この入院期間中に、改めて尊敬できる「看護士」のみなさんに会うことが出来たのです。
昨日も、これを聖職と言いましたが、つまり「心の行動」そのものだと言うことです。
看護された側は本当によく分ります。 とても職業としてなど出来るものではありません。

子供のような心を躍動感と言いましたが、加藤先生も直純先生も、そして妖精の国(イギリス)へ案内
してくださった井村君江先生もみなさん間違いなく純粋に青春しています。 青春していました。

改めて、青春からは素晴らしいものが生まれることの証明ですね。

青春(躍動感)、死ぬまで出来るんだから直純先生のようにカメラに向かって「お~い!」と叫びたい
ですね。   自然と集まるのは笑顔ですから。






 青春できる喜び

青春

やっと退院して来ました!!

ヘルニアとタカをくぐれない非常に恐ろしい症状にすっかり疲れました。
誰よりもスポーツが好きで、ずっとずっと動き回っていた私が3ケ月も歩けなかったなんて今も尚
想像できないでいます。

もう2度と味わいたくない激痛で形相が変わってしまったのではと思えるくらいでした!!
泣いて、騒いで治るんならそうもしましたが、痛いだけでなく歩けない。
つくづく健康の有り難味を味わいました。

まだ外を歩こうと思っても暑さが静まらず本格的なトレーニングはもう少し先になりそうです。

この激痛の中、恒例のデンマーク行き指導が重なっていたので5回ほど伺いましたが、今考えた
らよく行ったものだと複雑な心境です。

ある意味、この中学校の生徒たちに救われたのかも知れません。
指導していて思えることは、「心の持ち方」の大切さでしたね!
この子たちはまさに青春の真っ最中です。 吸い込まれるような躍動感! 素晴らしい。
この子たちはこれからです。
こうした事業に参加することで一歩一歩大人になる過程が見えるのもある意味役得かも知れません。

躍動感、青春時代。 誰にでもあった筈です。
私の青春時代は本を出版できるほどの人生であったと確信をもって言えますね。
性格なんでしょうか!? こうした人生の歩き方は一向に収まりがありません。
いまだ夢に向かって突き進んでいるようで「いつまでも若いな~!!」・・・・と感じる毎日。

でも、違うんですね!?  当然私の青春時代はとうの昔に終わりました。
でも、ときどき思います。 現在青春時代の真っ只中にいる若者よりはるかに私の方が青春している
と思えることです。
つまり、とっくに青春時代は終わりましたが、「青春」ならずっと出来るということです。
失われない情熱はどこにあるんだろう!
だから、こうした学校行事(指導)でもきっと生徒や先生が私のことを厳しい・・・というより「変わった
男だな」・・・と思ったに違いありません。
本当に心に情熱がないとそうはならないんだろうな・・・と未だ思っています。

今回帰国した子供たちに「報告会」で聞いてみようと思っています。
「笑顔って大切だったかい!?」「伝えるって大変だったかい!?」そして、「感謝の気持ちが湧いて
来たかい!?・・・・」って。
私が伝えたかったことはそこだからです。

言われたから輪になって「頑張ろう・・・・」と言うのなら言わなくてもいい。
鉄は熱いうちに打てという言葉がありますが、心が柔らかな内に叩き込まないといけない人間として
の宝があります。
この宝物を掴んでくれるように大人が心を砕いて指導しなければいけないんではないだろうか!?

こうして語っていますが、そうした行動がとれる今の私は本当に幸せ者だと思います。
まさに青春できている証ではないだろうか!?
考えてみれば「生まれて」「生きて」「生かされて」の人生三段論法の中で、まだ懸命に生きている私
は若造でしかありません。
しかし、心とは裏腹に体調を崩したりヘルニアになったりはやっぱり人間なんです。

動けなくなって味わう健康の有難さ。
歩く・・・   この歩くなど、何も考えなかったことです。
つまり、歩くことは当たり前だったということですね。
この「当たり前」ほど大切なものはない・・・ということも改めて悟りました.
そうです。  もう「生かされて」生きていることを忘れてはいけないんですね。

出来るだけ人のために頑張ろうと歩いてきたつもりの人生です。 だから人一倍「青春」し続けて来れ
たんだと自負していますが、再度自重していかないといけません。

病院のベットで眺めた真っ白い天井。
いろんな光景が見えました。  確かに、もう生かされているんだなって自覚も必要のように思います
しね。
私が子供たちに伝えて来た笑顔(躍動感)や伝えることの大切さ。
やはり最後は「感謝」ということでした。

昭和から平成、来年どんな元号(とし)になるのか分かりませんが、失くしてはいけないのが「心」で
しょう。  若者がどう思うか分かりませんが、少なからず昭和には温かい心がありました。
歌を聞いたら分かります。  
平成(べんり)になって本当に人の想いはどこかに隠れてしまいましたね。

私一人ごときがどんなにあがいても世の中が変わるとは思いません。
でも、私が青春できるかぎり正しい心の在り方を伝えていきたいと思います。

青春できる喜びは若者には判りません。 それが青春時代なんでしょうからね。
ヘルニアで動けなくなって得た健康の有り難味。 多くの人に心配をかけ迷惑をかけてしまいました。

当たり前のことをやっている人たちを改めて紹介しましょう。
私は全身麻酔で3時間の手術でした。 お陰様で手術は成功し、きちんとリハビリをすれば元通りに
なります。
しかし、退院までの12日間、本当に献身的な医師や看護士さんのお世話になりました。
嫌な顔ひとつ見せず、苦しんでいる患者の傍らで面倒をみてくれた看護士さんには心から感謝しか
ありません。
世の中に、「職業」というものがあります。 彼女たちは職業では出来ませんね。
つまり「聖職」のジャンルにいる聖母たちと言って過言ではないでしょう。

私が子供たちや教室の生徒さんに出来ることと言ったら、この看護士さんたちに負けない心根で取り
組んでいきたいと思えたことです。
この気持ちはきっと伝わると信じています。

本気になれない子(生徒等)を叱咤することがありますが、多くの難しさや矛盾と闘って来ました。
しかし、それを貫くのは信念です。 この信念こそ青春そのものでしょう。

私もこの輪に加わって、「頑張ろう・・・・」「笑顔で・・・・!」 と叫びたい。

 贅沢なひとり言

平成の猛暑

いよいよ来るときがやって来た!!

豪雨・台風・酷暑
いったいどうなっているんだ!!  顔を合わせるとため息にも似た会話、「暑いね~」

先日の台風12号が襲ってくると言われたときの広島や岡山の被災者の声も私の心に響いた。
ずたずたにされ、まだ何も手つかずにいる被災者のみなさんはテレビ局のインタビューに「またこの
台風12号で豪雨や災害に遭ったら、もう頑張ろうと思える気持ちにはなれない」・・・・と肩を落とした。
一瞬にして全てを失った人の姿にかける言葉もみつかりません。

もう、誰がいつどんな災難を受けるかなど全く分からなくなってしまいましたね。

実は今夏を迎える前のゴールデンウィーク初日から私も突然腰痛に侵され、少しずつ自由を奪われ
ていました。
湿布やマッサージで何とかなるかな・・・!?  そんな程度の受け取り方で無理をせずに居ましたが、
6月に入って途端、いつものように隅田川周辺をジョギングしようと浅草寺に着いたとき、突然の激痛
で全く歩けなくなってしまいました。
この痛みは生涯忘れられないほどの激痛で大腿骨の辺りがギツーンと激痛の電気が走るような状況に。

タクシーで急きょ帰宅。 即病院で検査。「ヘルニア」でした。
30年も昔、一度ヘルニアは経験していて、当時はブロック注射で完治。  
医師も投薬とブロック注射でしばらく様子をみましょうとその闘いは始まりました。
ところが、5日経ち10日経っても症状は悪化するばかり!!  MR-Iの検査等で原因は明白に。
こうした症状の人は少なくないけれど大体3ケ月以内には収まるんだそうです。

欠かさず通院、投薬・ブロック注射の繰り返し。
6月中旬には全く歩ける状況にはなくなってしまう重症となってしまいました。
激痛以外は食事も摂れるし頭もはっきりしていて問題はないのですがこんな怖いことってあるんだ!!
そのひとり言の繰り返し!

昔、母がパーキンソンで苦しんでいたことをはっきり思い出しました。
「痛い!痛い!」・・・・・   痛みの分からない私は、「頑張ってね」・・・・そう励ますしかなかった事を。
寄り添うことの出来なかった申し訳なさと悲しみは今尚ぬぐえません。
痛い痛い・・・と亡くなって行ったんですからね!!

私の痛みは、7月に入っても収まるどころかその痛さは絞り出す声で分かりました。
「痛いな~」
声を出せば周りが心配するし、母のように私が分からなかったと同じように周りはどうすることも出来
ないんだからね~。 だけど痛い!   痛いな~
なのにその痛みは昨日より今日が激しさを増す。 これ以上これから苦しむ訳!?
7月初旬にこのヘルニアに対しての名医が月1回の診察にやって来ました。
先生も、これだけ痛いのに、「8月3日まで投薬で診てみましょう・・・!」の答え。

7月の長かったこと。 だんだん座薬が効かなくなっていくのが分かりました。
そして、8月3日。   「しぶとかったねこのヘルニアは・・・!!?」 「よし、手術だね・・・・」
医師の決断。 そうして手術が決まりました。

写真を見ながらの説明は、このヘルニアは結構悪化していて相当やっかいな症状らしい!!
「今まで350回ほどこの手術をして来ましたが95%は治っています。」の説明から入った!!??
私は残りの5%なんだろうか!!!!?
ポジティブな考え方の私でもさすがに不安が隠せずにいました。
「治るんなら何をしてもらっても大丈夫です・・・・」 そうお願いし手術は10日と決まった。

輸血について、全身麻酔について・・・等々の説明は全く頭に入らず。
それよりも今痛いのだ。
「あと1週間待つのか!?」  「その間あの激痛と付き合うのか・・・・」

7月は、中国からの団体さん、7月23日からスタートしたデンマークへ行く都内の中学校の生徒たちへの
指導。 座薬を入れタクシーで指導現場へ駆けつける毎日。

椅子に腰かけていると意外と楽なのでついつい出かけてしまう。
自宅で、痛い痛いと思っていたら気が狂いそうだからだ。

ミーンミンミンミー・・・と蝉の鳴く夏場も今年は猛暑続きでまだその声を聞いていない。
じりじりと暑い夏も今まではほどよい暑さの夏が多かった。

今年の夏は昆虫たちも参っているのではないだろうか!?
夏らしい夏はどこかへ行ってしまった。
夏を連想し、自宅の部屋を全て開け、風通しの良い午前中に夏休みの宿題をする光景を思い出す。

暑いね~が合言葉!、それでも救われた夏の光景は夏の甲子園だろう。
汗まみれ、砂まみれになり走り回る球児たちの姿に癒されている。
そして、デンマークへ行く学生諸君が慣れない日本舞踊の稽古に必死で頑張っている。

デンマークB

みんな本気になって頑張っている。


経験のない全身麻酔はその100分前後、少なからず私はどこの世界に居るんだろうか!?
生涯に、この世界を今ここで味わうとは思ってもみなかった。

治らないんなら、そのまま目が覚めないでいて欲しい。
半面、やはり明るい性格は隅田川のジョギングに思いを馳せる。

平成の終わりに、あまりにも大きな思い出づくりになってしまった。

あの被災者の皆さんのことを思えば、なんという贅沢なひとり言だろう!!

そう思って頑張りたい。








プロフィール

岡部俊雄

管理人 : 岡部俊雄
チーフ・プロデューサー
演出家

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