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 日本文化の担い手 波島陽子の魅力

波扇会
2011年10月9日日曜日午前11時
波扇会(はせんかい)の幕は上がった。舞台に立ったのは、その殆んどが若い生徒さんたちばかり。波島のホームページを見た人はどんな生徒さんが多いのかは一目瞭然ですが、実に若い生徒さんが多いのが特徴。

若い人が多いというのに、経験が浅いという生徒さんが多いというのに、それぞれの踊り子の舞台は到底初めてとは思えない熱演者ばかり。それも各作品がそれぞれの踊り子に合っているから不思議だった。
波扇会と言っても、勿論発表会だが、それも「ゆかたざらい」と言っていい舞台。
当事者はまさか自分がこの時期に舞台に立つ経験ができるなど思ってもいなかった人たちが殆んどだった。
緊張はしているもののその殆んどが客席からため息まじりの拍手の嵐。これには驚いたが当人たちはそれ以上に興奮し感激したようだ。これは師匠のホームページに掲載された生徒さんそれぞれの寄せられた感想文でもよく分かる。
なぜこんなにも好評だったのだろうか?
観衆の声がそれを物語っていた。皆さんもいろんな発表会を観に行かれてお気づきでしょうが、舞踊の会で気づくのが先生(師匠)が上手いのは分かるが生徒さんの踊りには目を覆いたくなる場面も多々見受けられる。
波島も、日頃から「上手く踊ろうとしなくても楽しんで踊れたらそれで良いのです」と言い続けている一人だ。
それにしても、どうして多くの出演者がこんなにも楽しんで見てもらえたのだろうか?
今回はその辺の話しをいろんな角度からひも解いて知ってもらいたいと思い「波島陽子の魅力」と題して綴ることにしました。

波島の芸歴
もう一度波島陽子のホームページのプロフィールを見てからこのページに戻って頂けるとありがたい。
最大の特徴は波島陽子が舞台女優だということだろう。それもその殆んどが時代劇の作品。更に、大衆演劇の第一人者である浅香光代師にその教えを乞うたことだ。知っての通り女剣劇がその舞台。
小学生時代に見たNHKの大河ドラマ(時代劇)にはまり、夢は舞台女優へと駆け巡る。
上京し、愛弟子となり芸養女とまで登りつめたのは先生の指導に合わせその天性によるものが大きかったはず。

作品の一部をご紹介しよう。

舞台3
舞台中央の娘役が当人です

特に時代劇は、舞台に上がれば上がるほどに日本舞踊の重要性が分かるのです。上京する前に地元秋田で数カ月間徹底して着付の勉強をして来たと語る本人。
舞台に立つようになってから徹底して「日舞の力をつけたい」と浅香流はもとより西川流や花柳流の先生から何年も何年も個人稽古に通い続けたのです。それも浅香先生には内緒で自分の時間を殆んどその時間に充てたとか!
「身のこなし」という表現がありますが、本番の舞台と秘密練習で培った芸の力は大きかったはずです。

舞台2
子役に教えられることは大きかったとか(左が本人)

こうして浅香劇団で全国の大舞台を多く経験し、海外公演をこなすまでになりました。お芝居では浅香先生の男役に対しその相手役の殆んどを務めることになったのです。

舞台1
油がのってくると舞台は一段と映えたようですね

現在、全国各地から「振付ビデオ」の制作を依頼され、特に「新舞踊」に振付を施していますが、これが大好評で大変な忙しさ。依頼主は一般の愛好家ではなくその殆んどが各流派の師匠のみなさんからです。
「波島作品はどうしてそんなに素晴らしいんでしょう・・・・!」、リピーターが多いのはこれで少しは理解できたんではないでしょうか?
つまり、20年もの舞台経験と真似の出来ないほどの研究熱心さが素晴らしい作品へと繋がっているんですね。
一様に、「先生の作品は本当にストーリー性に富み、まるでお芝居を観ているようです」と言われるのはそこに理由があるようです。
生徒さんの中には、「早乙女太一が大好きで大衆演劇を観ているうちに私もあんな美しい日舞を踊ってみたい」と入会の動機を語る生徒さんが多い。
ところが、波島の作品は大衆演劇に見る舞とは一線を置いているのが特徴。新舞踊でも、日本舞踊のような美の追求を怠らない振付師(波島)がそこにいるからです。
だから、完成した作品は本当に味のある訴える力があるというのか実に美しい仕上がりを見せています。

生徒さんには徹底的に基本を教え込み、妥協せずコツコツコツコツと忍耐強く生徒さんに接しています。
ここで、初めの話に戻りますが、各教室の発表会での先生との差についてですが、波島教室の指導は本人の力量をくみ取り事前の準備をしっかりととることでそれぞれの生徒に合わせた指導方法を生みだしている。
生徒数が多いのでこの作業は気の遠くなるような準備なのだ。おそらく生徒さんはその準備をしてから生徒さんとのお稽古に臨んでいることを知らない人の方が多いのではないだろうか?生徒さんの都合で2時間連続でお稽古する場合がありますがこれが一番きついようですね。
つまり、手を抜くことの出来ない指導者だから余計そうなんだと思う。

経験に裏付けされた芸の力

舞台5
豊かな表現力は積み重ねられた深みから湧いてくる

生徒さんの中には女優やタレント、また舞台役者を目指している若者も少なくない。
目指す者にとって共通している点はさすがに良いものを知っているということだ。いろんな教室を覗いてみて尚波島教室に憧れて入ってくる。その者たちはCMに出演し、実際にゴールデン番組でダンザーとして活躍する者、ミュージカルに出演している者。波島は自身の若い頃を思い出すという。
忙しい人ほど貪欲に修行の場に身を置いて活動を続ける。憧れで門をたたく者もいるが芸の世界ほど厳しい世界はないのではと思えるほどこの世界は甘くない。波島はそれを知りつくしているだけに指導には熱が入る。

舞台6
お稽古の合間に入る舞台にも花を添えている

現在はお稽古(教室での指導)回数が多くなかなか全国にまでは出かけられないが、祝賀会や披露宴、またディナーショーで関東地区を中心に舞を披露している。

よしや吹け
散るも色香の他ならぬ
花には風を思いかへさむ


ふきのとうやつくし、菜の花と言ったらまさに希望に満ちた春を思い浮かべることができる。上の和歌は王朝文化を代表する作品だが、当時からこの日本の文化は心に贅沢な「遊び」として「茶」「生け花」と同じように愉しまれたようだ。
見学や体験に行きたいが日本舞踊はどこか敷居が高いようでという意見をよく聞く。

豊かな日本文化のゆりかご
本当は、こうした文化は実際には庶民の中から出てきたものだということを波島はとてもよく理解している。
従って日本舞踊は特に精神的な拠りどころであるとも言えるのだ。
波島はときどき生徒さんに「お稽古場をあなたのもうひとつの居場所にしてね」と言っているのもそこにある。
波島の描く作品の世界は、たゆまぬ努力と多くの学びを源とし、精神的なものを大切に日本人の自然観みたいなもので実に上手くまとめあげている。

自然を愛し人を愛する心。 言葉では簡単そうに聞こえるが「愛する」とは見返りを求めない愛なのだ。
それでいて人一倍「感謝」の心根は強い。
私は、波島教室に通われている生徒さんに声を大にして本当は語りかけたいことがある。それは、先生と過ごす時間の大切さだと思っている。お稽古時間以外、普通はあっても5~10分の時間だろうと思うが、お茶をしているほんの数分の中で先生の温かさを十分吸収してほしい。
お稽古時の指導の中でそれを感じ、すっかりフアンになっている生徒さんが多いのも事実だが嬉しいことだ。
まるで「おかえりなさい」「行ってらっしゃい」の家庭のような温かさが充満している。
おしゃべりが大好きな先生だが誹謗中傷など勿論のこと、人の噂ばなしなどこの教室ではいっさい聞くことができない。まだまだ「ありがとう」をしっかり言えるのは先生で、素直にありがとうと口に出せない人も少なくない。
私がここで言っている「ありがとう」とは言葉で発することではなく、感謝の心を抱いた結果から出てくるその人の気持ちを言いたいのだ。

嬉しいことは、若者が多いのに非常に性格の良い人が多いこと。言いかえれば、自ら「日本文化に触れたい」と門をたたく生徒さんが多い訳だから大正解だと思っている。
「感謝」と「素直さ」、着物を着てそれが身についたら鬼に金棒だと思っている。
波島を通して、彼女の教室はまさに豊かな日本文化のゆりかごと言っても良いだろう!

日本の心
私はこの日本の心が大好きだ。ご存知のように日本には素晴らしい四季がある。この四季に関わる季語や枕ことばで遊ぶだけでも心が癒されるのだ。波島は雪深い秋田で生まれ育ち、まさに美しい大自然とともに成長したようだ。世界各國が注視している美しい日本。特に和食などが日本の老舗として宿をそのまま諸外国に移し「いらっしゃいませ」と教育を受けているが、どんなに真似をしようとしても素晴らしい日本の心までは真似ることができないのだ。日本人の持つ本来の美しさは日本人の血とでも言おうか体の中に流れているものが私たちを支えているのだから!
思いやりやしぐさは日本人の心があって成り立っている。だから着物を着ている時のしぐさつまり身のこなしにはそれぞれに意味がある。
「実るほど頭を垂れる稲穂かな」と言われるように、指導者となって尚控えめな姿は美しい。その人の長所を惜しみなく褒め、上手く出来れば自分のことのように喜ぶ。
たゆまぬ研究心は芸の世界を生きるものとして更に力をつけてゆく。盆栽を育てる職人のように素晴らしい作品は愛情あってこそと思うが彼女を見ていてまさにその通りだと学ばせられる。


島陽子の時代
年賀状に、こんなコメントが載っていた。「いよいよ波島陽子の時代ですね」・・・と。

波島陽子は決して人を押しのけて前に出ようなどとすることも思うことも一切ない。つまり、控えめな人物の典型であろう。いい関係をつくる愛とでも言おうか「先生といると穏やかで優しい気持ちでいられます」と笑顔を返してくれる生徒さんが多い。
心の底にあるのは、本当は「芸より人間を伸ばせ」と言い続けているようで嬉しい。決して人真似なんかする必要はない。「あなたはあなたであればいい」。これが冒頭に述べた初舞台の結果なのだ。

名選手だったからと決して名監督になれる訳ではないとよく言われるが、これだけ一生懸命打ち込んだ芸の世界に身を置いた者が、「機会があれば子供の頃に夢見た大河ドラマに出てみたい!」ときっと心の奥で思っているに違いない。
独立後、役者として活躍の場を追い求めるか教室を開くかで迷った時期はあったはず。
私はすでに「名監督(立派な指導者)」だと思っている。全国の各お師匠さんが波島の作品にほれ込み、「近かったら直接指導を仰ぎたい」と絶賛だ!そしてこうも付け加えている。
「直接陽子先生から教えてもらっている生徒さんが羨ましい・・・」と。

年賀状にあったように「波島陽子の時代」の足音が本人の性格のように静かにそっと近づいているような気がします。まさに日本文化の担い手として生まれてきたような人ですね!


 ご意見ご感想は E-mail:shiawasekazokuyt@nifty.com











 豪雪地帯 平成24年1月の朝

新潟県南魚沼市
(1月26日撮影 車中からの撮影のためフロントガラスの雪が見えます)

これは市街地の写真です。周囲の山々は4mを超えたようです。積雪はすでに民家の2階の高さまで積もっているのが分かりますね。道路に雪が無いのは終日作動している「消雪パイプ」の威力です。
町中で放水する水は井戸水で、すでにこの地は昭和の終わり頃全国で一番の地盤沈下が測定されました。
それでも井戸水(消雪パイプ)を出さないと道路は全て封鎖さます。除雪車は午前3時頃から出動し除雪に当たっても、次から次へと降り積もる雪は容赦なく住民を苦しめる。毎日そのくり返しです。
こんなに降っても先日の都会の雪の事故からすれば殆んど事故は無いのだから凄いですね。

経験と備え、そして自然の猛威をよく理解し長年豪雪と闘ってきた雪国の人の知恵なんでしょう。
東京の人が転んで救急車に運ばれたなんて話は殆んどに近いほどありません。
この写真の場所は市街地ですが、すぐ近くの山を越え、十日町から長野への道は想像を絶します。その地がテレビで話題になっている長野県栄村です。
消雪パイプもなく、除雪だけに頼る地域の雪景色はこんなものではありません。
私が子供の頃はみなそうだったのでとても良く分かります。

耐えて耐えて迎える春。この喜びを夢見てみなさん頑張っているんですよ!
雪の下には、そろそろふきのとうの新芽が今か今かと春を待っている。この感動があって雪国の人は強いのかも知れませんね。





  日本舞踊教室 体験《波島陽子)

体験1

週に1度くらいの割合で見学者や体験者で賑わっている「波島陽子日本舞踊教室」

この日は7名の体験者でしたが、勿論皆さんそれぞれ夢や目的をもって訪れます。いつも目にする光景はさすが日本女性だなって思うことですね。
先ほどまでそれこそ様々な洋服姿だった体験者の皆さん!更衣室で着替えて出て来た途端、ああ!日本女性だって思わされます。
これって凄いことだと思うんですよ!知っての通り洋服でも着物でも大切なのが「着こなし」です。
説明しなくてもすぐに分かるのが職場の制服がそうですね!中でもプロはとくにユニフォームが似合うと言いますがまったくその通り。
プロ野球選手にしても、柔道家にしても、体操や陸上選手。一流選手の着こなしは本当に素晴らしいものがありますね。
そんな中でも「着物」というのはまさに日本の文化の最たるもので、特にゆかたなどは皆さん素晴らしい着こなしを見せてくれます。生活の中に馴染んでいると言っても良いかも知れません。
ところが、なかなか着る機会の少なくなった着物ですが、こうして日本舞踊なるものを趣味にしたらそれは素敵な時間を過ごすことが出来るんですね!

大鏡に映る姿は、お扇子を持って少し構えただけでもう別人のようです。これだからたまりませんね!
今回はご婦人のみなさんが比較的多かったんですが、旦那様に見せてあげなきゃ!(笑)

体験2


体験の締めくくりはこのように波島先生の舞を観ることができます。
その美しさに酔いしれて、やってみたいと決意する人が殆んどです。「まあ!まるで舞台のよう・・・・!」こう感想を述べて体験されています。

いつか近いうちに波島陽子の魅力について語ってみたい(当ブログで)と思っていますが、お稽古しているだけで何故か「豊かな心」になれるんだから不思議です。

そんな波島陽子先生を語ってみたいと思っていますので楽しみにしていてくださいな。


 ご意見ご感想は shiawasekazokuyt@nifty.com まで





 自分に勝て!

昨日の「小沢一郎」氏についての内容に、こんなに多くの反響があるとは思いませんでした。
まずは注目して頂いてありがとう。

私が言いたいのは、人間というのは誰もが嘘と隣り合わせに生きていると言って過言でないことを言いたかった。
誰だって嘘が無い方が良いに決まっている。まあ!「ホラを吹く」程度なら可愛いのだが、どうしても自分を美化したり、目立たせようとする範囲を超えるとその内容は大きくなり小さな嘘が顏を覗かせてしまうのだ。
人間は器用だから、その小さな嘘をそっとオブラートに包み込むように次の小さな嘘で包み込む。周りはこの程度なら気づかないことの方が多い。バレそうになった嘘はそうしてどんどん新しい嘘で包んでいってしまう。気づいたころには自分でも抑えようのない大きな嘘になっていることが多い。

つまり、見栄をはったりするときもこの部類が出てくるのだ。
4億もの現金をタンスの中に入れておくなどとても庶民の出来る感覚ではない。その庶民感覚の乏しい人物がどうして国を収めるころなど出来るものだろうか?そこにこそ問題があるのだ。

一般の人間で言えば、この見栄という奴は厄介で決して本人のためにならないのだが、自分は努力をしているんだと知って欲しいがためにどうしても小さな嘘がまとわりついてしまう。
「私は昨日も一昨日もここずっと毎晩5時間の勉強をしているんです」??? 「毎日神様にお参りしています。」いろんなありよう(努力)を相手に公表する。 努力は結果で分かるもの。黙っていてもやっている人は話せばすぐに分かるもの。 それをあえて「やっている」と豪語する人ほどやっていない人の方が多いのだ。
まして、考えてみれば自身の努力などいちいち他人(ひと)になど告げる必要のないこと。やっていると言うことで認めてもらいたい心理。あまりにも幼すぎる。
つまり、やったかやらないかは本人が一番よく知っているということだ。

私は学生の頃から本当に人一倍好奇心が旺盛でしかも何事にも興味を示す性格であった。ここまでなら多くの人にも当てはまるとかと思う。 しかし、神様がくれた性格が私を手助けしてくれた。
それは、私の性格が強烈に明るいということだっただろうと思う。
家を失うほどの人生を経験し、どんな境遇にあってもまるで起き上がりこぼしのごとく生え上がった。勿論友人や多くの支えがあってのことだが、そこにはやはり明るさがあったのだと思う。
そして、なによりも自分に厳しく、自身には決して嘘をつかないということだ。「この人間(社長)を男にしよう」と意気盛んに入社し、会社も変わり少なからず影響を与えていた頃に、ズバッと会社を辞めてしまう。この内容は昨年の春ころご紹介したと思うが、どんなに素晴らしい参謀がいても、動くのは本人だということだ、

ある政治家が言った。「私はなんて愚かな人間なんだろう」と。信じて尽くした小沢一郎師に対し嘘で固めたその姿にやりきれなくなったと公言している。そんなものだ。
自分が白状しないかぎり真実は暴けないとでも思っているのなら、どこかで天罰にでも当たらない限り本人は決して分かりはしない。
会社の社長にたて付けないのはそこに原因がある。つまり、社長が悪いと思っていても、その会社で給料をもらっている人間の心の弱さだ。勿論結果的にはそれらの会社はいずれズタズタになってしまうのだが!

政治家と金の問題。麻痺した人間には分かろうはずもない。何度も言うが真実は本人が一番よくしっている。

年の初めに、それぞれが改めて一年の計画を立てたことであろう。この実現は嘘で固めるのではなく、目標に向かう実行力以外ないのだ。 まして、その目標に手を差しのべてくれるような人がいたとしたら、それこそ神に近い存在だと思いなさい。それこそが感謝の心です。

頂いた内容に、「本当のことが分からないくせに」、と言われました。では、あなたは本当のことをどこまで知っているんだろうか?何度も繰り返しますが、真実は本人しか分かりません。
人として尊敬できる人が上に立って欲しいと思いますね。力でひっぱるなど言語道断だから!

それぞれが、立てた計画に向かって明るく楽しく歩いて行きたいですね!


 小沢一郎 嘘の人生?

あえてこのよぷなタイトルを付けたのには大きな理由があります。
私は小沢氏が田中角栄の側近時代からよく知っています。私も旧新潟三区で、全国どこへ行っても「新潟三区」と言っただけで「ああ!田中先生の・・・・」と言われたものです。
大阪が特に凄かった記憶があります。 私は長岡ナンバーで全国を走り回っていましたから誰からもそう言われました。関西では、「長岡」って長岡京?・・・それとも伊豆長岡?と聞かれ新潟の「長岡」とはだれも気づきませんでした。
それでも、田中角栄の知名度から「長岡」は山本五十六に次いでといった具合でした。考えてみると親分肌で頼もしさは抜群でしたね。歴代の総理の中でも二度と出現しないであろう人物(政治家)ではないだろうか?全国の人がそう思ったほどです。
人間だから、全て正しいわけでないかも知れない。しかし、日本列島改造論に見るように彼の出現によって日本が大きく変わったことは事実でしょう。
田中角栄の魅力は、決して誰の真似でもなかったことです。あの時代、新聞紙に大金を包み同胞議員に金を配った話など耳にタコが出来るほど聞いていました。当時は豪傑として采配が揮えていたのでしょう。
しかし、国会の本会議場において、資料を見ずに各質問に対しその数字を的確に言い表した大臣(総理)は評価に値するものだと同郷びいきの中で酔っていました。
結局金権政治が仇となり命を落とすはめになる訳ですが、その後現れた政治家は全く違います。
「姑息」という言葉がピッタリな時代を間違えた手腕が正しいと思っている。
今回の裁判沙汰になっている内容は裁判官でも解決は非常に厳しいでしょう!
それは、小沢氏本人しか知らないからです。嘘か本当かは「小沢一郎」その人しか分からないのです。

あそこまでの大物議員だから何をやっても良いなどあり得ませんが、いそぎんちゃくのように、また神様のように挙げたて祀っている訳の分からない議員が「自分を持てず」力に頼る構図が貼り巡っていることだけは事実です。

私物化をしてはいけないと言いながら、「何故議員になりたいか?」と聞けば絵に描いた答えしか返ってこない。つまり、自分がないからですね!
今回の裁判沙汰で旧小沢派の元議員がこう話していました。「なんであんな嘘つきな人物に仕えていたのかと思うと自分が悲しくなってくるる」と。
つまり、良いことも悪いことも知っていながら崇拝していた時期を反省しているのです。

自らは「天下国家のため」と公言してはばかりません。ごたごたを起こしながら裏で糸を引いている時間の長さ。誰が総理をやっても同じなのではなく、現在民主党の野田総理が頑張っているのであれば何故本気で手を貸そうとしないのか?私は決して自民党を民主党をと偏って応援する者ではありません。
本当に世の中がよくなるということで本気で指揮を採るリーダーはみんなで応援しなければならないと思うのです。

話は全く違いますが、人(相手)の言葉ってどこまで信用できますか?裏腹の無い情熱は大きな行動力となって、決して人に迷わされず突き進む力があるものです。
毎日本を読んでいるとか、毎日トレーニングをしているとか、いつも神様に手を合わせているとか、口でなどどうにでも言えます。やっているかいないかは本人しか分かりません。
私が、よく「興味」を持とうとか、「好奇心」旺盛でいて欲しいと言うことがあります。そうした気持ちは何かを知る、何かを学べる大きなチャンスになるからです。
小沢一郎という人物の名を借りて話をしましたが、やったやらない、本当です、嘘ですは本人しか分からないのです。権力によってその悪事が押さえつけられていたとしたらそれは言語道断です。

自分の人生に嘘の気持ちなく世のために行動して欲しいと願いたい。潔さという言葉がありますが、間違っても、自身の心を嘘でなどまとってほしくない。
日本が疲弊している今にあって個人的な嘘で世の中が葬り去られようものなら国民は希望を持てなくなってしまうから。最後の最後まで「自分は潔白だ」とするのなら洗いざらし出しきったらどうだろう!
言葉を巧みに使いこなして反論する時期ではないのだから。潔白なら潔白で良い。本当のことを知っているのは本人なのだから!

見栄を張って生きよう(歩く)とすれば無理と出逢う! 純粋な心をもって心明るく歩きたいものだ!
世の中には、希望や夢を抱いて歩いている若者もたくさんいることを大人たちは責任もって応援しようではないか。

 東日本大震災 新たな想い

がんばろう 日本!

あの震災から丁度10ケ目を迎えた。 気分を一新して迎えたい新年なのにこれからまだ厳しい寒さの中で闘わなければならない。そう考えるとどう応援していかなければならないのだろうと今更ながらに思う。

人生は長く、人それぞれ数えきれない喜怒哀楽がある。一生懸命歩いていても苦しみや辛さは世の中の動向(景気い)によっても大きく左右され幸運を掴むばかりではない。
「働けど働けど我が暮らし楽にならざり」、と昔からこんな言葉もあった。しかし、決まって新年には自身に勇気を与えるべく「夢の実現」とか「有言実行」とか、「輝く」「逃げない」「東大合格」「商売繁盛」「恋愛成就」等々、元旦の計としたものだ。

心に抱くものの思い方の大切さは、実は非常に大きな行動力を与えてくれることを私も多く経験して来た。
昨年、大震災に遭った人が笑顔で頑張っている。確かにそんな傾向が見えないでもない。しかし、実際はどうなんだろうか?家族、中でも親を子供を失った悲しみは家が流されたなど比べ物にならないほどの辛さの筈。昨日まで笑っていた肉親が恋人が突然いなくなってしまったのだ。そこに家や職場まで失くしてしまう気の遠くなる思いは当事者でなければ決して理解できないのかも知れない。
だからこそ、私たちはこの出来ごとを1日たりとも忘れずに「自分の出来ること」に向かってしっかり歩かなければならないのだ。

昔、こんな映画を観たことがあった。定時制高校に通う若者たちの青春ドラマだ。「定時制だって、一生懸命4年間努力し頑張れば全日制高校に負けない資格が得られる」と働きながら励まし合って生きるドラマ。しかし現実の厳しい社会になぎ倒され苦しみあえぐのだ。
そんなとき、ある定時制生徒の詩が紹介された。

『   春先の花々の芽が  深い根雪の中に生まれるように
    僕たちの喜びは日々の厳しさの中に耐えられる
     僕たちは今日も歌おう
         僕たちの冬  この国の冬を突き破る歌を     』

私は豪雪地帯で育ったせいか、この詩が大好きでずっとずっと書きどどめておいた一節だ。

負けないで欲しいと口にすることは実に簡単なのだ。 それだけに、机上の論理でものごとを進めるのではなく、相手の立場になってこそ「がんばろう日本」なんだと考える。
誰だって手を差しのべたいと思っているんだと思う。 思うことは悲しいかな実に簡単だ。みんながみんな東北の物を買い、応援になど行けない。でも、自分がやらなければならないことを地に足つけてしっかりとやり抜くことなら出来るだろう!
友だちと、仲間と、家族と、みんなして力を合わせ「笑いながら」信じた道を歩こう!
紹介した歌にそんなことがダブって見えませんか?


 雪国の祭り 婿の胴上げに思う

雪国の奇祭

毎年1月6日になると六日町の八坂神社では「婿の胴上げ」が行われる。写真の奥に見えるのがその八坂神社。
ふるさとの友から送られた1枚の写真に驚いた。それは雪が殆んど無いに等しいからだ。
私が子供の頃は平地で3mは裕にあっただろう。半月もかけて集められた材木や大木がやや1mくらいに切り刻まれ、その高さ4mくらいまで積み上げられている。その頃は雪がしんしんと降り続き雪国ならではの光景が見えたものだ。
子供にすればそろそろ2学期の始まりに近い1月の6日。この日は同時に「花婿の胴上げ」が行われる。
私が子供の頃はよその地から前年に婿入りした男性がこの神社の本堂で胴上げされ家内安全家族の健康を祈ったとされている。
町内の大先輩(ご老人)がしっかりと音頭を采り、青年団がその教えを乞い伝統を学ぶといった行事だがその光景は都会では味わえない厳かで神秘的なものだ。
この写真を観ても火柱は4mあるだろうかという程度。以前は4mの上に更に4mもの焚き木で火柱はおよそ20mにも及び町はずれからもその神火は見えたものだ。
朝方になるとすり鉢のようにその部分は雪が解け、火の底はつまり4mほど下に下がっているのだ。
この神社まで私の実家は約1分くらいだったから毎年7日の早朝シャベルを持って何度もその熾(お)きをもらいに行ったものだ。茶の間の掘りごたつはその熾きで温める。2回目のしゃべるは大きな鉢に収めその神火で餅を焼いて食べるのが我が家の風習だった。神社に近い特権でこんなに健康になれたんだと今でも思っている。
遠くにいてもこの日(6日)だけは忘れたことがない。
この町は2年前に放送された天地人の兼続の生誕の地なのだ。いろんな意味で風景もすいっかり変わったが、この写真に観るようにやはり雪国は雪がいっぱいあった方が良いように思う。豪雪地帯と呼ばれるこの地で育った私は本当の意味で豪雪地帯の厳しさを味わってきた。
現在雪国には「消雪パイプ」が張り巡らされいるのは当たり前の光景だが、その消雪システムはこの地でそのアイデアが生まれた。井戸水は夏に手で触れないほど冷たく、逆に冬はなんととっても温かいのだ。そのためスプリンクラーの施された道路はたちまち雪が消え真冬でも道路を車が通るようになった。
そうした変化を実際にこの目で見届けているだけに冬はとくに複雑な気持ちになる。
故郷のみなさんには申し訳ないけれど、冬は雪が多い方が良い。
ここで実際にあったお話をしてみたいと思う。私が高校を卒業後は学校や職場の関係で東京・名古屋で10数年過ごし、その後故郷に戻ってのこと。夕食に隣町の寿司屋さんに飛び込んだ。板前さんに「雪が少なくっていいあんばいですね」と言葉を投げかけたときだ。板さんはいきなり不機嫌になり怒りだしたのだ。「冗談じゃないよ!雪国は雪で潤ってるんだよ。これじゃ商売あがったりなんだ!」と。
冬のレジャーが観光である商売人が多い関係で全てが関係しているのだ。不景気ならスキー場関係者は誰も外食になど出かけないという。雪国育ちだったはずの私は十数年の都会生活ですっかり故郷の実態を忘れてしまっていたのだ。
雪が降らなければこの神社でも「雪神様」に雪乞いをするくらいだ。
この写真を観て、やっぱり雪が少なくて良かったね!とはとても言えないのだ。

東北の地は、仮設住宅生活やまだまだやらなければいけない復旧作業に雪は苦しみ以外の何ものでもない。
早く「雪が降ってきたぞ」と心からおおはしゃぎできるようになって欲しいものだ。

ご意見ご感想は E-mail: shiawasekazokuyt@nifty.com

 新年を癒しとともに

おめでとう

これから何度となくこうして素晴らしいライトアップが観れるんでしょうね!
東京タワーがそうだったように、東京スカイツリーもこれから数十年いや数百年と多くの歴史を刻みながら見守ってくれるのかと思うと感無量!

近くにいるからこうして簡単にカメラに収められますがそれだけでも幸運と思えます。
この日は浅草寺への初詣を兼ねた人で隅田川周辺はライトアップを観ようとすごい人でした。

この輝きがいつまでも幸せの輝きであって欲しいと願ったのは私だけではないでしょうね!
それほどこのライトアップは素晴らしいんですよ。

どうぞ今年は良いことがたくさん訪れますように・・・! ここに訪れた殆んどが家族連れか恋人たちでした。
きっと願いはみなさん一緒なんでしょうね。
さあ!今年も前向きにいっぱいいっぱいの愛情を抱えて歩きましょう。





 おめでとうございます

omedetou.jpg

新年あけまして
おめでとうございます


どんなときも、心を鎮め穏やかな気持ちで過ごしたい。そう願っています。
2012年が、みなさまにとりまして躍進の年であることを心よりお祈り申し上げます。

神は平等であるはずなのに、昨年はあまりにも片手落ちな出来ごとを与えました。助かった被災地以外の国民一人一人は決して他人事でなく、「無事であったということは、元気であった人には神が役割を与えたのだ」と言いきかせて苦しんでいる人たちに手を差しのべようではありませんか?
応援の仕方にはいろんな方法があるのだと思います。決して無理をするのではなく、自分が与えられた夢の実現に向けて一歩一歩歩き続けることこそ大切な役割だと思っています。

最近は、宇宙から地球を眺めることが出来るのでよけいそう思いますが、地球はとっても美しい星ですね。
しかし、とっても小さく見えませんか?
どんなに地球が小さく見えようとも、人間には志を大きく持ち続けることができます。
自分たち一人一人がみな違う夢や希望を持っています。それで良いのだと思いますよ。

志さえしっかりしていたら夢はきっと叶います。そういうものです。
心も体も健康で、今年一年も明るく元気に歩いていきましょうね。がんばろうニッポン・・・です!
プロフィール

岡部俊雄

管理人 : 岡部俊雄
チーフ・プロデューサー
演出家

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