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  波島陽子日本舞踊教室

お稽古2

卒業・入学・入社  日本の春は本当に素晴らしいと世界に自慢できますね。

波島陽子日本舞踊教室も例に漏れず毎年この季節になると「日本舞踊を習いたいので・・・・」と入会のための体験に訪れる若者が絶えません。
言葉には言い表せない喜びがありますね。 是非頑張って、楽しみながら日本の心を磨いてくださいと拍手を贈ります。

考えてみれば波島陽子が日本舞踊を指導するようになってもう23~4年になるんですね。 当初の頃は知りませんが、波島先生が独立してからはご縁を頂いて今日まで応援し続けて参りました。
それは、日本舞踊を指導するに値する力量・人間性が備わっていたからです。

時々、テレビや新聞等を賑わす「指導」と称するトラブルが報じられますがその原因はハッキリしていて明白です。
簡単に言えば、人間の本性はなかなか隠せるものではないと言うことでしょう。
これは家庭のお母さん方(父親もそうですが)、学校の先生、職場の上司・先輩等々みな該当します。
つまり、何故怒るか!!?  至って簡単です。 指導力が無い・・・・それに着きますね。

指導力があれば怒る必要も怒鳴る必要も全くない訳ですからね。
つまり、自分の思うようにいかないときに怒りが顔を覗かせます。

スーパーなどで欲しい商品を買って欲しいと駄々をこねるお子さんをひっぱたいたり怒ったりする母親の光景を見たことありませんか!?  世間体とかそういったこととは別問題なんですね。

新学期や新入社員として夢を膨らませ飛び込んで来る若者をみて、この時期とくにそのことを思い返します。
それは、例に漏れずこの波島陽子日本舞踊教室の門をくぐろうとやって来る若者も多いからです。

夢いっぱいの顔は輝き希望に満ちています。
そんな瞬間に立ち会える私はつくづく幸せだなっていつも思います。

波島が自らの専用お稽古場を設けて10年が過ぎました。

実力もさることながら指導者の人間性がいかに大切で大事かずっとずっとそばに居てまさに納得しています。
それ以来、私の目標は変わりました。  まさに「夢の実現」そのものです。

基本的に波島教室は一対一、つまり個人稽古ですから上達は見違えるようです。
先日、ある舞台で他の流派のチームとの競演という機会を頂きました。 正直、波島よりはるかに伝統や歴史のあるチームで波島は胸を借りるつもりで勉強させて頂きますと出かけました。

チームカラーがしっかり示された舞台に惜しみない拍手を頂き波島は遠慮気味に「ありがとうございます」と挨拶していたのが印象的でした。




            お稽古1

浅草という場所柄だけではないと思いますが、それでも浅草は芸能の街といわれるだけに環境にはとても恵まれています。
まして一生懸命お稽古に取り組む生徒さんお一人お一人の姿は表現のしようが無いほど素晴らしいものです。

カルチャーセンターでも、或いはどの日本舞踊教室でも、そのお稽古というのは基本「お師匠さんの都合」に合わせてお稽古は行われます。 もっと言えば出来るだけ多くを一緒にというお稽古場は少なくありません。
中には、お稽古というのは他の生徒さんと一緒と思っているのが普通でしょう。 しかし、波島は一人一人の生徒さんの都合(じかん)に合わせてスケジュールを決めています。なかなか出来ることではありません。
本気で日本の伝統芸に出来るだけ多くの人に触れて欲しいと願う波島陽子ならではの考え方です。
これはそばで見ていてとても出来ることではないな・・・といつも感動ものです。

12年近くそばで見ていて思うのは、基本結婚・出産・遠方への転勤等でもないとお稽古を辞めることはありませんが、その他で辞める原因は「感謝の心の欠如」「謙虚さの無さ」厳しく言えば「自分勝手な性格」の人は務まらない。
これはきっと日本舞踊のお稽古に限ったことではないと思います。

先生の施す優しさの一方好意に甘え、楽な方へ楽な方へと考える人は必ず挫折しています。
先生が優しいが故にそのわがままな態度が豹変することさえあります。 それでも当の波島は動揺することはありませんが、「本人の為にならないんだけどな・・・・!!??」と。
まあ、分かっている者ならこういう問題は無関係ですが、それでもスマホ等にみるようにここまで世の中が便利になり、自己中心的な若者が多くなると世間どこでも経営者はやりづらいんだろうな‥‥と思いますね。

しかし、見てください(写真)。 美しいでしょう!!  まだまだ初心者の1枚です。
着物は日本を代表する素晴らしい文化です。  「踊りを習い始めました・・・・」というと、田舎のおばあちゃんがタンスから自らの若かりし頃のお着物を贈ってくれると何人もの生徒さんから耳にします。

少し踊れるようになり、お正月に帰省しご家族に踊ってあげる生徒さんはとても多いようです。 嬉しいことです。

波島陽子日本舞踊教室には日本全国出身の生徒でいっぱいです。 都内に勤めているみなさんですが、そのほかにも九州・神戸・名古屋・福島、そして台湾・イタリア等からも年に何度か習いに来ています。

今年も都内の教育委員会からの依頼でまもなくお話しがくると思いますが、中学校の生徒17名がデンマークとの親善交流の一環で日本舞踊を学んで先方で紹介するという親善大使たちに指導を始めて確か今年で12年目になります。

中学の頃からキチンと浴衣が着れることだけでも素晴らしいと思いながら毎年恒例行事になりました。
ここでも教えているのが礼儀作法です。 にわかで覚えた踊りをさも踊れるようになったという学生たち。 5時間でなど決して日本舞踊は習得できません。 団体だから(群舞)多少観れるようになった程度でも彼ら彼女らにすればきっと画期てなんでしょうね。
それが分かっていてもこの5時間に命がけという言葉が当てはまるほどの波島陽子の熱意があってなんとか外国人が見るには程度に仕上がっているんですね。
それでも、ゆかたの袖に手を通す学生たちに目をやり感慨無量のようです。


お稽古6

今年もこれで11名の新人さんが教室の門を叩いて来ました。
教室に入るなり、「あっ!ホームページと一緒の先生だ!!!・・・・」 時代が変わりました!!
この若者(ひと)たちを教えるんですから大変です(笑)

それでも、嬉しいことは、やはりお着物が似合うということです。 日本人ですね。

ここに載せた写真は全て「体験」のときに撮影したものです。 波島陽子の指導に定評があるのはまるでこれが証拠品のように見事です。

その秘訣と言ったら来て頂けた人にだけ分る波島の魔法でしょう。

この魔法が笑顔に変え楽しさに変えていくんですから不思議な先生です。

まもなく、平成という時代から新しい元号(じだい)の幕開けを迎えようとしていますが、ずっとずっと変わらず日本の美しさを表現する日本舞踊の形態だけはこだわりをもって一人でも多くの若者に伝え続けていきたいですね。

波島陽子が大好きな桜の花、まもなく浅草も満開の日を迎えます。

波島陽子日本舞踊教室にもすでに満開の桜が咲き誇っています。











 美しいしぐさ 日本舞踊

あいさつ


「このシーンに全てが集約されていますね・・・・」 と能楽堂のリハーサル後本番前に波島が写真撮影の為に舞台に登場したときのことです。  会場には数人の関係者しかいないほんの短い時間での瞬間でした。

私は一番前でカメラマンに位置取りをと思っていた時でしたが、この瞬間を本当によく押さえてくれました.
たまたま会場にいらした波島が尊敬して止まない日本舞踊のある家元さんを見つけご挨拶するそのとき、会場にいた何人かの関係者から漏れたため息と同時にシャッターは押されていました。

あるプロデューサーは「私を見つけて、丁寧なお辞儀をしてくれた姿は美しく、後ろの座席の方たちが驚く気配が感じられたほどです」と後にメールをくれたほどです。
この「驚く気配」というのが私が初めてと言っても良いくらいの「ため息」だったのです。

私も、十数年波島の舞台は全て見ているはずなのに言葉には言い表せない、挨拶をしているだけなのに「なんて美しい~」。
考えてみれば様々な舞台のリハーサル時は関係者以外客席には入れませんからね。
初めて能楽堂での日本舞踊公演ということで私どももカメラマンを配置していて大正解でした。

この光景をお弟子さんたちに生で見せてあげたかった。  出演者はみな楽屋にいるときの出来事でなんと残念なこと。

多くの生徒さんから波島陽子という指導者の感想をときどき耳にすることがあります。
「こんな優しい先生が本当に居るんですね!」、「教室の居心地の良さは先生の温かさなんですね・・・」「先生のようなしぐさや振る舞いを身に着けたい・・・」、そう言って現在多くの生徒さんがお稽古を楽しんでいます。

こんな統計があるって知らなかったのですが、昨年秋ある人にこんなお話を聞かせて頂きました。
「波島陽子先生の教室って凄いんですね・・・!? 日本舞踊教室ランキングでダントツのトップなんですもん。」
そう言ってスマホでそのランキングを見せてくれました。 なんと、なんとなんと間違いなく1位でした。

お稽古場(教室)を開設して11年になりますが、多くの老舗流派を抜いて堂々1位に表示されているランキング表を見て私は一緒にやって来た人間としてさもあらん・・・そう思いました。

習う側(生徒)に立ってここまで愛情を注ぎながら指導し続ける人を今までに見たことがない。
誰にでも平等に優しく、それでいて謙虚。 秋田の女性だからだろうか・・・・(笑) そう思うほどです。それでいて根気の良さには脱帽です。
ご存知のように、なんでもそうですがやりたいことと出来ることは別ですね。 何にでも得手不得手があって当然です。
しかし、波島はどんなに不得手で不器用であってもその人が喜べるまでに仕上げてしまいます。

波島陽子が前回浅草公会堂で「芸能生活30周年記念特別公演」を開催したときのことでした。
朝11時開演、夕方7時終演と言う長時間の舞台。 それだけ出演されたお弟子さんが多かったということですが、初めて舞台に上がる生徒さんでも感動すら与えるほどの舞姿。 指導の集大成以外なにものでもありません。

今回、この挨拶という瞬間でしたが、「ため息」に遭遇された皆さんは幸せでしたね。
つまり、「いいものを観た・・・」の一言だったでしょう。

指導力があれば怒鳴ったり怒ったり威張ったりは全く必要ありません。
今年もまた台東区の区立中学の生徒がデンマークに親善大使として夏休みに出かけますが、指導を担当して今年で確か12年連続となります。
最初に教えた生徒さんは早ければもうお嫁に行くような年齢です。
着実に確実に一人一人の若者を育てているんだな・・・・って思うと何故か感無量です。

特に心で舞う技術は教えて教えられるものではありません。
浅草の教室に通う生徒さんだけでなく、全国は北海道から沖縄まで、いえ遠くは台湾やブラジル・カナダ等々に居る波島フアンのみなさんに愛され続ける波島陽子。 本当に幸せな指導者です。

評判やご意見をことある毎にいただきます。 「陽子先生を張り合いにこれからも頑張ります」・・・、そう言ってお便りが届きます。
スタッフである私はきっとこの素晴らしい指導者を一番理解しているはずです。 その私が、初めてドキッとする瞬間をまだ味わえるというなんとも贅沢な舞台でした。




輪ー新


「観ないと損」・・・・という言葉があります。
能楽堂という700年もの伝統ある舞台で初めての日本舞踊。 この伝統に勝るとも劣らない堂々たる日本舞踊を堂々と披露。
そして、お弟子さんたちは「心をひとつ」にそれぞれが舞台に上がって行きました。

先生が芸能生活33年目にして初めての能楽堂の舞台なのにお弟子さんたちも一緒にこの晴れ舞台に立つという嬉しい出来事。 それぞれに一生の思い出になったことでしょうね。

私はみんなが輪になった瞬間を知りません。
本番前に、こうした心がけで舞台に上がった一人一人を褒めてあげたいですね。

ご存知のように、近年のスマホ等に見られる世の中の乱れよう・・・!!
便利さがみんな大切な心を蝕んでいる・・・・と誰よりも懸念している私ですが、この光景にホッと救われました。

今回の登場に、「未来への橋掛かり」・・・・とタイトルをつけてくださった加藤先生。
そのタイトルに恥じないこれからの教室運営に更に心を砕かないとと思いました。

本物を追求したい私にとって、素晴らしい日本の伝統(こころ)をこれからも更に育んでいかないと・・・そんな刺激を様々な感動から勇気として抱くことが出来ました。

芸事には決して妥協しない自らへの厳しさ、波島を知れば知るほど日本舞踊界にとってとてつもない存在なんだなと思い知らされます。



















  震災に思う

水害

この写真は昭和の終わり頃、豪雨で川が決壊し我が家(左の家)にも床上50cmほど水が押し寄せたときの光景です。

あれから40年ほど経ちますが、特に「平成」に入ってからの震災等災害は尋常ではありませんね。
災害はなんであっても決して他人事ではありません。  堤防が決壊し押し寄せる水の勢いはとても表現できるものではありませんでした。

まもなく元号(じだい)が代わろうとしていますが、「平成」は決して平静ではなかったと恨めしく思っている人が多いはずです。
思い出せるだけで事件や事故、災害の多かった平成。

平成 7年 1月17日  阪神淡路大震災
平成 7年 3月20日  地下鉄サリン事件
平成16年10月23日  中越地震
平成23年 3月11日  東日本大震災
平成28年 4月14日  熊本地震
平成30年 7月      西日本豪雨災害
平成30年 9月 6日  北海道胆振東部地震

まだまだ抜けているかもしれません!!   どれもこれも忘れられない悲惨な出来事でした。

火山の爆発、雪崩、もうどこで何が起きても不思議じゃないほどの災害大国になってしまいました。
まるでトリック映画を観ているようなこの世の光景(もの)とは思えないあの津波!!

今尚悲しみがこみ上げ、苦しんでいる人が決して少なくないんですね。  ニュースでインタビューする人も難しいと思います。
よく、事故の現場で「今の気持ちは!?・・・・」などとマイクを向けますが、悲しみを越えた苦しさにある人に、「今の気持ち・・・」というインタビューに時々腹立たしくなることさえありました。

あの頃の子供たちや中学高校へ通っていた子供たちがしっかり前を向いて家族を助けている姿に日本も捨てたもんじゃないな・・・って。

生きるということの意味、彼ら彼女らから改めて学ぶことが本当に多いと痛感もしています。

災害と言えば平成に入ってもうひとつ増えたのが「おれおれ詐欺」でしょうか!?
こればかりは防げるように思いますが、仕事もしないで楽して稼ごう主義の輩にうんざりしています。

しかも、弱い者から巻き上げるというもっとも卑劣な人間。 
便利が人の心を蝕んでしまう典型です。  

私も、自宅に押し寄せた鉄砲水と闘ってその状況がホントによく分ります。  特にこの時の水害は自宅を新築してまだ1年目くらの時でしたから水が引いたあとは更に大変でした。
その当時は学生アルバイトが数十人来ていたので畳や家具を2階に上げたり等本当に助かったことを覚えています。
いざとなったときの協力は田舎ほど素晴らしいものがありますね。

8年前の今日という日があまりにも強烈だったから、ニュースの扱いも凄いんでしょう。
あっと言う間に肉親を、友を亡くすんですからね。

天災ばかりは誰を恨むことも出来ません。

今尚苦しんでいる人を思い、思いやり助け合う心を持ちながら更に人間らしく歩いて行きたいですね。
困ったときほど子供たちの笑顔は大きな勇気を与えています。

笑顔という特効薬を更に大きな輪と広がるよう、助け合って強く生きていきましょう。

私も8年前の震災の日は、自宅がめちゃくちゃになり足の踏み場もない状態でお稽古場で寝たんだっけな・・・・と思い出しました。
電気が消えることも不安ですが、心の灯が消えたら大変なことになってしまいます。

多くの教訓を生かせないのは震災に遭った人たちに申し訳ないと思わないといけませんね。





  波島陽子の感謝と謙虚さ

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つい先日、神楽坂のレストランにご招待頂いたときの1枚です。

ご招待くださったお二人とはもう10年ものお付き合いだったんですね。
日本の文化や伝統をより多くのみなさんにお伝えしたいと立ち上げた「日本文化体験交流塾」がお二人の意図でありその努力を最初から見ていただけにそのご努力にはただただ頭が下がる思いでいっぱいです。  そして、ずっとずっとご縁を頂いてお手伝いをさせて頂いて参りました。

なんでもそうですが、多くの皆さんはやはり儲けたい・・・が夢で、あらゆる手法を駆使し頑張っておられます。
私どもも当初日本舞踊を教えたいということを主願に会社を立ち上げ、思いがけず外国からの「着物体験」の需要が多かったのでそれこそ着物代金に500万ほど投資しその準備をしていました。

その頃、他の旅行会社と同じようにお仕事を頂いたのがこの体験交流塾様でした。
最初の印象は「真剣に取り組む情熱(ねつい)」です。 一般的には社員(じゅうぎょういん)というのは業務だからやっている、つまり義務としての行動が多いので当方に伝わる情熱のようなものはそれほど大きくはありません。
しかし、このお二人の着眼と行動力には目を見張るものがありましたね。 私たちも経営者のはしくれですからそれはとっても良く分ります。

10年して今や本格的な「日本文化を紹介する」ということと「通訳士を育てる」という分野で業界トップにまでのし上がりました。
昨年12月にその創立記念があり波島がご祝儀舞を踊らせて頂いたという訳です。

その反応の大きさは、波島もまた感動を与えられるまでの力を身に着け万雷の拍手を頂き、その舞台の成功にと今回ご招待を頂きました。
とんでもない話ですね。 地に足着けた立派な組織(かいしゃ)が仕上がり、今や40名ほどの優秀な社員(スタッフ)がその意を継ごうと日々一生懸命です。  見習わなければいけませんね。

東京タワーの目の前にある「機械会館」というところで多くの体験が出来るので是非足を運んでみてください。




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ご招待頂いた会食にこのようなデザートが登場しました。
粋でおしゃれですね!!  お料理もそうですが、これをご注文なさったお二人のお気持ちです。
波島は感動して目を潤ませていましたが、これがおもてなしなんだな・・・と改めて感動させられました。

お二人は勿論別々なところから意を決し目的を一つに、これは私どもと一緒でした。
私は全く別の会社におりましたが、当時の会社の創立記念の行事の一貫に淺香光代先生に踊って欲しいとお願いしたところに今の波島が居たという訳です。

今考えてみるとほぼ同じころ同じ気持ちで双方がスタートしたと言っても良いでしょう。
日本の文化、伝統を大切にはまったく同じでした。

波島の場合は自らが芸事に身をおいていたので多少立場は違いますが、日本の伝統を継承したい・・・は同じではなかったかと思います。
この写真に見るように、心こそがこの写真に伝わっているということですね。

お互いなかなか忙しいのでこのようにゆっくりと席を囲んだのは初めてと言っても良いでしょう。
私たちもこのお二人から学ばせていただくことは本当に驚くほどたくさんありました。




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丁度同じころ、やはり先日の能楽堂おめでとうございます・・・とお花のプレゼントを受けました。

私どもの方が感謝しなければいけないのに幸せなことですね。

そして突然、「波島先生のところが凄いの分かりました!!!!??」と。  「ネットで知ったんですが、波島陽子日本舞踊教室のランキングはなんと1位なんですね」
まるで雲をつかむようなお話にきょとん!!  そして目の前でネットを開いてくれました。 するとなんと老舗の多くの日本舞踊教室を差し置いて、「波島陽子日本舞踊教室」はランキング1位だったんです。
波島に伝えると申すまでもなく、「とんでもない、私よりはるかに上手な先生でいっぱいです。」とどこまでも謙虚でした。
調べてみると、この評価は「教え方」「環境」「価格」「張り合い」、そしてなにより「指導者の人間性」をあらゆる角度から調べ上げた結果のようでした。
お世辞でもありがたいことです。

日本舞踊は心で舞う。 波島が能楽堂出演で新聞社にインタビュウされた時に答えておりましたが、ふるさとの山や川、風景、そしてやさしい故郷ならではの人の心を思いながら作品を創ると言う心根。

そばに居る私が言うなら、秀でて波島は努力家です。  子供の頃から「歴史が好きだった」・・・ということは今があるのはうなずけますね。
正しい裏付けがあってこそ世に出る作品。 あともう少しで100本になります。

異常なほど多くの評価を頂いた今回の舞台(能楽堂)。
何より生徒たちが誇りに思ったそうです。 

着物離れが避けられない平成でした。 外国人がこれだけ日本に興味を示しているのに今の若者はどうしたんだろう!?
それを食い止め継承しようと頑張っている日本文化体験交流塾様や波島陽子。 今後もより良いタッグを組んで日本文化発展の為に頑張りたいですねと握手して別れました。

波島陽子の振付作品100本達成記念は、能楽堂で、一流ホテルで、いや当社(交流塾)でと言われ、今からその日をとても楽しみにしております。

万博やオリンピック等々を金儲けの一過性のものにしてはいけません。
相手に心が伝わるようなそんな事業展開をしていかないと必ず足をすくわれます。

感謝の気持ちと謙虚さが必ず人(あいて)を動かすのだから。





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岡部俊雄

管理人 : 岡部俊雄
チーフ・プロデューサー
演出家

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