2ntブログ

 中村久子と相田みつをから学ぶ

ほんの一瞬でも霊界を垣間見た後に私は不思議な出来ごとに出会うことになった。
浜松の駅前のプラザの前で友人と待ち合わせている間、私の目に飛び込んで来たのが「中村久子」という人の遺作品。 それと「相田みつを」の作品だった。 会議用の長机に白いテーブルクロスを張っただけの展示台。
時間をもて余していた私はぶらりと展示室に入り目を疑ったのだ。
両手両足の切断という重い障害を抱えながらも、人生をたくましく生き抜いた1人の女性中村久子さん。
この女性(ひと)が作ったのか??
そこには無手足の身に裁縫・編み物・刺繍・口での糸結び・短冊書きを芸として製作した作品がずらり!
ここで初めて「生れて・生きて・生かされて」の壮絶な人生を知ることになった。
後に高山市の真蓮寺三島多聞氏にお会いし縁あって久子さんの娘さん(富子)に出会うことができた。娘さんと言っても80歳を越えており深いお話を聞くたびに感動感銘を受けた。「すごい人がいるんだな~!」。できれば皆さんも、ヘレンケラーにも天皇陛下にもお会いしている久子さんの「生れて・生きて・生かされて」を一度見て頂きたいと思う。それは願いでもあります。
生きている今の自分をもう一度見つめ直すことが出来るはずだから是非! 同時に開催されていた相田みつをのコーナーはまた中村さんとは別の意味で心を奪われた。
それから3年ほどして有楽町で相田みつを美術館(ギャラリー)がオープン。浜松とは全く装いも新たに心に触れるギャラリーとしては素晴らしい展示館となっての登場だった。
心の持ち方の素晴らしさを学ぶことになるのだが、特に相田みつをの作品は「もっともだ」、「上手い表現だな~」等々キーホルダーを買い、作品の印刷されたハガキやカレンダーの多くを求め友人や社員たちにプレゼントした。
「ひとの世の幸不幸は、人と人とが逢うことからはじまる、よき出逢いを」、以来私の部屋にはこの掛け軸が毎日の自分の心をコントロールしてくれている。
数年後有楽町の会場から山手線反対側の国際フォーラム地下に新たな展示館としてオープンすることになる。
私はどちらかというと有楽町の展示館が好きだった。表現できないほど厳かで落ち着いた会場内はそこにいるだけで心を癒され続けたからだ。
人は出来るだけ本物に触れ一流を観て味わうことで素晴らしい成長に繋がると言われるが本当にそう思う。私が事故に遭遇し、霊界を見てからというもの、中村久子さんや相田みつを作品に出会うとともに長嶋茂雄巨人軍監督(当時)・音楽家の山本直純先生と食事をしたり旅をする仲になるのだから不思議だった。
何も霊界になんか行ってみなくても、これは本当の話なのだから若い人たちがいろんな学びの中から心のあり方を構築していって欲しい。あなたの心で人生は決まる。その通りですよ!
まさに「生れて・生きて・生かされて」です。

 人名、会社名等(著名人は除く)は仮名ですが内容は全てノンフィクションです。
 【俊介の部屋】は平成21年6月4日にスタートしました。(毎日掲載しています)

 6月29日は父の命日

ある日突然交通事故で亡くなってから42年を迎えた。なんと50回忌まであと8年になった。
私は心のどこかで父がまだ死んでしまったとは思っていない。きっと近似死体験をしどこかにいるのではと思うからだ。実際に全世界で毎年250万人くらいの人がこの体験をしているそうだ。
実は私もその一人でこの世に蘇生した一人なのだ。以前大霊界という映画を見たことがあるが、「曽我さ~ん!曽我さ~ん!」と始まるあの作品はまさに「死後の世界」を描いたものでとても強烈な印象をもっている。
三途の川を渡ろうとした私に門番の閻魔様は通行手形をくれなかった。映画と同じく私も交通事故に遭った一人。 何と2回も経験しているのだからもう死なないだろうと思うこともある。
1回目は大きな噴水(コンクリート)が相手の正面衝突。2日間ほど意識不明で生死の境をさまよい歩いた。前歯4本を折り胸を強打。気づいたら枕元に母や兄弟親戚の顔が見えた。この世に戻った瞬間だったのだ。
2回目は真冬の高速道路で群馬ナンバーのスカイラインにいたずらされて少し切ったハンドルなのにそのままスリップをし2回転半の後ガードレールに激突。その間前に後ろにと激突後2回目の正面激突で車は止まった。当然私の車はスクラップ状態。
パトカーや救急車等の関係者は無傷でいる私を見て奇跡だと驚いた。スリップし始めてから止まるまでの数秒間、「ああ!もう死ぬ・・・・、今が死ぬ瞬間なんだ!」と観念にも似た平静な自分がそこにいました。「母さんごめんなさい!悪かったね・・・」、「さようなら!」そう言いそうだがそうは呟かなかった。その瞬間はまるでアドバルーンよりも大きな風船に乗ったような不思議な気分を覚えている。
もう慌ててハンドルを切ることもなく横回転する動きに逆らわずそのときを待った。
カルマの法則というのを聞いたことがありますが、今生きている自分は、まさに誰かの生まれ変わりで、あの世から修行のためにこの世(現世)に生れて来たのじゃないだろうかとさえ思う。
父は52歳でこの世を去った。 今日本願寺で合掌しながら思った。一度は死の宣告を受けた者が、再び生き返るという近似死体験者は、まだこの世でやることが済んでいないと霊界から送り返されのだろうと。
やらなければならなかったことが私よりも多かったはずの父だからきっと霊界から追い返されたに違いない。
そう思えるからどうしても父はどこかにいるんだと思う訳だ。
生誕100年まであと6年となった父。命日くらいもっと真剣に父と向き合えと言い聞かせ南無阿弥陀仏と唱えた。どこかで頑張っている父の元へ報告するその日のためにまだやらなければならないことでいっぱいなんだ。
ほんの一瞬、霊界を垣間見て、自分の役割がはっきりしているのだから6年後には笑って報告できるでしょう! 
生かされているのだと言い聞かせ、心熱く確かな歩きを心がけたい。人々の為に何が出来るかと自問自答出来るのも父のお陰かも知れないと思っているから!

 人名、会社名等(著名人は除く)は仮名ですが内容は全てノンフィクションです。
 【俊介の部屋】は平成21年6月4日にスタートしました。(毎日掲載しています)

 一歩踏み出せ

誰もが憧れの対象は多いと思う。 顕著な例が今回行われているワールドカップでも多くのドラマを見ます。ご存知のように、本大会に進む前までの岡田ジャパンへの評価は低いなどという程度のものではなかった。
岡田バッシングだ! 親善試合を見る限りにおいてはフアン心理としては仕方のない部分もあった。報道各社各局の内容も相当なものであった。それがどうだろう? カメルーンに勝ち、デンマーク戦が終わってからというものは大変なヒーロー扱いだ。
フアンからのコメントも凄い。「岡田監督ごめんなさい!」が殆どで実にゲンキンなものだ!当然経済効果も上がり、サッカー少年も増えることは間違いのないところ。
サッカーを知らない人までもが本田選手と岡崎選手の出会いのエピソードから知ることになるのだから恐ろしい。勝てば官軍とはよく言ったものだ。
前にも何度も説いて来ましたが、誰もがある道のヒーローになれるのです。勿論、世界戦への代表選手になれるような人はやはり幼稚園や小学生の頃からボールを蹴っていたようです。
子供時代にどんな過ごし方をして来たかを考え(分析)てみると将来自分にどんなことが向いているかは意外と容易にその道を見つけ出すことができます。
現在の中国人の若者に見える光景ですが、金を稼ぎたいとする心から多くの地方出身者でも大学に行き資格に挑戦しています。職業を斡旋する会場へは資格を胸に少しでも優遇してくれる事業所を探しにやってくる若者が殺到していました。
ところが、ここで驚いたことに出会ったのです。今まで働いていたA社から、資格によってB社に移った若者がいました。なるほどそうなんだ~・・・
しかし、その若者はB社で働きながら日々C社を探していたのです。つまりもっとその資格を評価してくれて高収入を得られる企業を探しているのです。
どうでしょう!? これを現代っ子と言うのでしょうか?私は違うと思っています。私にはどこが到達点なのか見えません。「そんなことないでしょう!稼ぎたいのだから・・・・」と言われればそれまでです。
考え違いをしないで欲しい。企業は人なりという言葉があります。おそらくそうした心の持ち方は間違いなく日本人は一流です。これも日本人の伝統であり大きくは文化と言っても良いでしょう。
夢や目標がどんなに大切かはずっとずっと説いて来ました。いろんな夢があって良いのです。あなたはあなたの目標(夢)に向かってまず一歩踏み出してください。
日本人の良いところはそれを本気で応援してくれる人が必ずいるということです。

 人名、会社名等(著名人は除く)は仮名ですが内容は全てノンフィクションです。
 【俊介の部屋】は平成21年6月4日にスタートしました。(毎日掲載しています)

 日本文化の名を借りて

私が子供の頃はその殆どが今で言うところの日本文化であった。
遊びひとつとっても「メンコ」や「竹なんごう」、柳の木で刀をつくり神社の境内はさしずめ時代劇映画の撮影現場だ。 雪が積もればどこにでも大きな土俵を作り相撲で遊ぶ。
洋服や着物は殆ど母のお手製なのだ。セーターを編むからと毛糸巻きを手伝う。いつも家庭には人が集まる。ごく自然と座って挨拶することは当たり前だった。お湯を沸かしお茶を入れる。
家の周りは季節の花でいっぱいだから、母の生け花はいつも見ていた。雑巾がけで板の目に逆らってかけると叱られた。みんな正しいやり方があってそれもごく自然に学べた時代だった。
物事が全てといって良いほど便利になって年ごとに生活スタイルや遊びも変わってきた。私が遊び上手だったのはそんな環境で育ったからだろうとも思う。
社会に出て職場に就いても考える力が身についていて、工夫することには事欠かなかった。
便利と引き換えに日本の素晴らしい文化(宝物)は影を潜める。 ところがどうだろ!最近の地域振興事業や観光事業ではその大切な「日本の文化」を食い物にしている人(事業者)も少なくない。
つまり、「和」を表面に出してそれを商売として間違った使い方をしている輩を悲しいほど多く見受ける。
「着物」や「和楽器」、「日本舞踊」等々素晴らしい日本の伝統が沢山ある。どちらかというとそれ等に従事している人たちというのは実に商売が下手なのだ。分かるような気もします。
それが観光客誘致や商売として扱っている人たちを見るとついつい警鐘を鳴らしたくなる。挨拶がきちっとできない中で芸事を企画したり、その価値すら評価できない中で自分たちの利益優先でものごとを推し進めている現状が少なくないからだ。
最近とても多くの若者が「日本舞踊を習いたい」と訪ねてきます。どこかの舞台で、何かのテレビ番組で大衆演劇や日舞に魅せられて心が躍ったのでしょう。
考えてみると分かると思いますが、入り立ての新人さんがいきなり舞台で踊れるということはまずあり得ません。時代劇に出演する役者さんの立ち居振る舞いを見ても分かるように、日舞をやってない人は目を覆いたくなる演技になっています。先生を見て、「先生のように踊りたい」と憧れる。それには相当のお稽古が必要となってきます。つまり何ごともそうでしょうが、「日本の心」を兼ね備え一芸に磨きをかけたそれら伝統文化の名を借りて、いかにも素晴らしい仕事をやっていると思っている人がいますが、それにはまず礼儀作法や相手を思いやる心等を身につけてからそうしたことに取り組んでもらいたいと強く思う。
揺れ動く大相撲がまったくその通り。中に入っている関係者すら日本の伝統文化を履き違えているのですから素晴らしい「日本の財産」の値打ちを下げてしまうのもうなずけますね。
つまり、いかに純粋な心でそうした伝統や文化と取り組んでいくかです。大切にして欲しい本当に奥の深い日本の財産なのですから!

 人名、会社名等(著名人は除く)は仮名ですが内容は全てノンフィクションです。
 【俊介の部屋】は平成21年6月4日にスタートしました。(毎日掲載しています)

 好きになる心が大切

ホタルイカさんありがとう (^_-)-☆
富山県入善町のホタルイカさんから深刻な(笑)メールを頂きました。相手を好きになること、ものを好きになることが大切ですよと説いたことにご意見を頂いたものです。
これは実際に私が経験した話ですが、私が名古屋の老舗で店長をしていたときのことです。当時は勿論まだ私も独身で3店舗の責任を負っていましたが働く店員は全て20才前後の女性が殆どでした。可愛い子もいれば全くもてないタイプ(一般的にブスと言われますが =失礼!)も当然いるわけです。
私の役割は信用を築いていくとともに当然売上(業績)を求められます。真剣に考えれば分かることですが、信用(人気店)とはその店を見れば一目瞭然。全員が一体となって取り組むことがどんなに大切かが問われもします。人間関係がギクシャクしていては店長の訓示や行動計画など上の空となります。それは、人が多ければ必ず一人や二人へそを曲げるものがいるからです。えこひいきなどもっての他!
しかし店長も人間です。店員も全て店長に快く言うことを聞くとは限りません。私が実行したのは、いわゆるもてないタイプの人間(女性)に普通の人の3倍声をかけながら仕事を進めました。
心開くことが少なかった人が笑顔で取り組めるようになるとそれはもう素晴らしい結果が待つのみです。そして「私たちは日本一の販売員を目指そう」と目標に向かうわけですから鬼に金棒。
効果はたし算ではなく掛け算だということが如実に表れるのです。仕事を好きになれば出勤時から顔も心も違います。商品を愛すれば更にその知識を得ようとします。同じ目標を持った人が集まればその効果はとんでもなく大きく膨らむのです。
ホタルイカさんの迷いは「果たして現実にそんなことが出来るでしょうか?」ということでした。
人間だからこそ出来るんですね。俺が俺がと意気がっている内は半人前と言いますが、今回のサッカーワールドカップデンマーク戦でその素晴らしい姿を見ませんでしたか? 大方の想像は3点目のゴールはあそこで本田選手が蹴っていただろうと思ったはずです。しかし、今の本田選手は違います。ゴール前でなんと岡崎選手にパスしたのです。3点目は確かに岡崎選手の功績ですが、心に余裕の持てた本田選手のなんとも心に憎いアシストであったのです。ときには仲間割れもする団体競技。チームワークの原点に本当の仲間意識が芽生えないとそうしたシーンにはならないと思うのです。世界の新聞各紙がそこを報じていたのは嬉しかったですね。
やるやらないは本人次第。人を好きになることはときにエネルギーが要ることもあります。代償を求めるのは論外ですが実践すれば豊かな心になれることは確かです。

 人名、会社名等(著名人は除く)は仮名ですが内容は全てノンフィクションです。
 【俊介の部屋】は平成21年6月4日にスタートしました。(毎日掲載しています)

 好き嫌いの差は大きい

相手を好きになると優しくなれる。 典型的なのが親が子に与える愛情だ。当然自分の子供を嫌いだなんて人間はありえない。ところがその親子でも時間とともに気持ちがすれ違い心が離れてしまうケースがある。
勿論割合からすれば少ないのだが、仕事が忙しい、子供たちは子供たちの世界を作っていく中で「会話」がなくなり意思の疎通が図れなくなってしまう。
子供と離れて生活する中、子供に問題が起き400kmも離れた子供の元に寝ずに走って駆けつける親もいた。元気な顔を見て安心するのだが、好きとの域を超えて宝物なのだ。
そうして育った子供たちも本当の親の心を知らないことが多い。目に入れても痛くないという言葉があるがこれが本当の親の気持ちだろう。
スポーツでも、会社の仕事でも、それが習いごとであってもそれは言える。つまり、好きで対応しているときはおそらく物事は順調のはずだ。これは友や仕事仲間等人間関係に当てはめてみれば分かる。
恋人とか結婚相手ということだけでなく、人間関係が上手くいっている理由は意外とその人の好意によるものが多い。
私も本当に素直な気持ちで「この人のために」と力を注いだことがある。よく参謀という言葉がありますが、特に企業などではいかに経営者に良い参謀がついているかで業績や信用に大きな影響を与えるものだ。
選挙の公約ではないけれど、以前私は勤めている会社で「社長を男にするために力を発揮したい」と言って憚らなかった。そうなると自分がどう行動すべきかの目標や行動指針が明確になってくる。
ここで気づいたのが、こうした行動力というのは本当にその対象となる相手を好きでないと出来ないものだった。考えてみれば基本的には我が子を愛する心の強さと同じものがそこにあってどんな困難なことにも立ち向かう勇気すら湧いてくる。
タレントのマネージャーもそうだ。自分が担当しているからと頑張っているようでは力は発揮できない。担当しているタレントを稼げるタレントにしたいとするマネージャーの心は想像以上だ。
企業の経営者もタレントもそこに感謝の気持ちがあれば大きく一歩前進する。ところが、俺は社長だなどと思っている輩、マネージャーは自分の道具なんだと手足のように使おうとするタレント。どちらも似ている。
感謝、つまり相手を大切に思う心があれば大成することは分かっているのにそれが出来ない。ものごとが上手くいく方法は相手を好きになること、或いは仕事や芸事等その対象物を好きになるか否かの差は大きい。
残念ながら現在大相撲界に激震(野球賭博等)が走っているが、親のような誠の愛情を親方が持っていればここまでにはならなかったはず。愛情を履き違えてはならない。本当に弟子たちを好きであればこうした問題は怒らないのだから!

 人名、会社名等(著名人は除く)は仮名ですが内容は全てノンフィクションです。
 【俊介の部屋】は平成21年6月4日にスタートしました。(毎日掲載しています)

 美空ひばりの命日

平成元年6月24日「美空ひばりさん逝く!」と悲しい報せがあってあれからもう21回目の命日です。
各テレビ局共に追悼放送が続く中、改めて女王ひばりの歌唱力に驚かされる。これぞプロだという人も多いが彼女ほど歌う為に生れて来たと言ってふさわしい人はいないだろう。まさしく歌の申し子だった。
今聞いても美空ひばりほど上手い歌手はいない。どんな歌でもひばりが歌えば名曲になる。死の間際に出たみだれ髪などはまさに名曲中の名曲です。ひばりが歌ったからです。
1時間番組でも3時間番組でも延々と流れるひばりの番組はあっという間に終わってしまう。しかもその魅力に取りつかれているのだ。戦後、日本国民が頑張れる勇気を与えてくれた一人であることは周知の通り。
若い人たちはそこまでは知らないだろうが本当のスターであったことには間違いない。中村錦之助、石原裕次郎、長嶋茂雄等その時代を語るときに欠かすことの出来ない心の太陽がいました。
まだ影響を残す長嶋さんは別として人はみな順番に迎えが来るのも仕方のないことですが、もう少し頑張って欲しかった人たちでした。そう考えると政治家なんかよりも社会に与えた影響は格段の差があるように思いますね。
そういう意味で改めて今日は美空ひばりさんのCDを流してみたいと思います。実は私にはこの命日を忘れることが出来ない理由があるのです。それは亡くなる4日前の6月20日に私の息子が誕生したからです。
喜びと悲しみが重なった6月でした。
7月になると石原裕次郎の命日がやってきます。昨年国立競技場で行われた法要に参加しました。裕ちゃ~んと叫んだ10万人の声の中に私も居たのです。それから2年後に誕生した息子に「裕」の字を1文字頂き命名しました。多くの人に愛された国民のヒーローにあやかったのです。
親が名づけた想いは必ず子に伝わり、その名にふさわしい人間に成長してくれるものと信じています。それはどこの親でも一緒だと思う。
今日こうして美空ひばりを思い出し綴っていますが、気持ちが折れそうになってもまたこの日をきっかけに勇気を出して目標に向かうことが出来るんですからやはりヒローは不死鳥です。
歌のジャンルや曲調がどんなに変わってもこうしていつまでも心に残る歌が現実に存在していることこそこれぞ「日本の心」と言っていいのではないでしょうか?
懐かしさに浸っているのではなく作品によってその時代がアルバムのように人それぞれの人生を思い出させてくれるのだから改めて美空ひばりの偉大さに驚かされます。ただただありがとうですね!

 人名、会社名等(著名人は除く)は仮名ですが内容は全てノンフィクションです。
 【俊介の部屋】は平成21年6月4日にスタートしました。(毎日掲載しています)

 大相撲崩壊の危機

本当の体質改善とは

「徹底的に膿(うみ)を出す」と理事長は豪語している。是非そうあって欲しい。
前にも話したように、大相撲の世界が今最も求められているのが相撲界の体質改善だろう。つまり、どっぷりこの世界で生きて来た者が体質改善の船頭になるのは無理に等しいように思えてならない。
大相撲に限らず、何か起きるとその世界に精通していると思われる通称コメンテーターが登場する。最近は様々なコメンテーターにお目にかかれるのも社会現象を物語っている。勿論、中には素晴らしい解説者がいてなるほどと勉強させられるケースもあるが、最近の様々な相撲界の不祥事に得意満面と語っている元幕内力士のコメンテーターの姿が滑稽でならない。
本人はいかにも業界を知っていて話しをしているのだろうが、よく考えてみるとそのゲストも現役時代に問題を犯した張本人なのだ。一生懸命もっともらしい話をしているようで彼も旧態依然と変わっていない。そう考えるとそうした体質からは現役を退いても抜け出せないのだと思えてならない。そう思うほどトークに失笑を誘う場面がある。
夢を育てる。伝統を広く守っていく。それが日本の文化として広く愛されるような相撲界であって欲しいと強く求めたい。こんな不祥事ばかりでは後に続く若者をスカウトするなど問題外としか言いようがない。
ヒーローが出れば子供たちは憧れる。 大学生が選ぶ人気企業ランキングがまさに正直にその影響を表しているのもご存知の通り。 不祥事を起こせば急落の途を辿るのもその反応の速さに驚く。
大学でも生徒を募集するのにヒーロが登場すればその宣伝効果たるや凄いものだ。関取りを夢見る若者だけでなく、多くの相撲フアンが実際には多いことを決して忘れてはいけない。
町興しに一番必要なのが「祭り」と言われるくらい祭りは人々を勇気づけてくれる。伝統を残したいと頑張る市町村は全国に多い。どんなに時代が変わってもそこに一体感が生まれる起爆剤なのだ。
大鵬が頑張った。小さい大横綱千代の富士が頑張った。貴乃花はもっと凄かった。相撲界が社会に与える元気や活気は間違いなくあるのだ。
相撲バカでも社会が認めてくれるヒーロにはなれるのだ。正しいことをやり抜く勇気をもってこそ改善を成し遂げることに繋がる。 親方も協会役員ももう一度顔を洗って出直して相撲フアンに夢を与え続けて欲しいと願うばかりだ。

 人名、会社名等(著名人は除く)は仮名ですが内容は全てノンフィクションです。
 【俊介の部屋】は平成21年6月4日にスタートしました。(毎日掲載しています)

 大相撲名古屋場所中止

野球賭博だけが問題ではない

こんな見出しが新聞紙上を賑わし連日テレビではコメンテーターと称するゲストを招んで報じている。
新弟子が暴行事件で亡くなったとき、多くのフアンから相撲協会や武蔵川理事長に手紙が届いたようだ。その中に私の知人も入っているが「もっとしっかりやってくれ」の想いでいる人も相当数いるはず。
「ごっつぁんです」の体質に相撲界全体が改善を求められていた。元々人間は自分自身には甘い要素を持っている。バクチに限らず身内に甘い体質、隔離された世界は「それでいい」とさえ思わせる恐い環境がはびこっていたことも否めない。
日本の伝統の名の元に、「心・技・体」と唱っていかにも武道にも似た錯覚の中で今日に至ったと言われても仕方ないだろう。改善を求めた知人の手紙に理事長からなんの応答もなかったという。
理事長の部屋からも該当者が出たとあっては何おか言わんやである。よく野球バカとか相撲バカという言われ方があるけれど、小学生の頃から一芸に秀でた者も含めそういった分野で一流になるのに学業や一般常識から離れたところで修行を続けた者の悲愛と言っても良いであろう。
そうした者が集まって協会を運営するところにも大きな問題があるのだと思う。「心・技・体」が泣きますね。
つまり、こうして後を絶たない不祥事はそうした親方だけで運営してきた相撲協会の限界を意味すると言っても過言ではない。
もっと言えば、心より金なのだ。昔の相撲伝記によくこんな言葉を見聞きしたことがある。「金は土俵の中に埋まっている」と。考え違いをしてはいけない。その金というのは本物の「心・技・体」を会得した力士への相撲フアンからのご褒美であることを忘れてはいけない。
私も相撲の大フアンの一人で、奇数月に開始される大相撲は大きな張り合いであり頑張っている力士を心から応援してきたものだ。きっと私のようなフアンは全国に多いはず。
現在報道された特定の力士はある意味被害者でしかない。おそらくこうした生活態度や風潮はまるで伝統のように代々続いていたはずだから。力士たちはみな若い者ばかり。まだ結婚をしていない者だって含まれている。発覚したから人生が狂うのではないのだ。どっぷり浸かったごっつぁんですの世界を改善できなかった親方衆にその責任があることを決して忘れてはいけない。 暴行事件が起きたから暴行について、賭博問題が起きたから賭博について!土俵の輪の中しか見えない愚かな団体と言われても仕方ないだろう。
報道する側を見ても危惧する点がある。レポーターたちがこうした問題が起きるとまるで人の首でも取ったような調子で報道している。これも視聴率を追う中での報道であって欲しくない。
本気で夫々がどう対応したら良いかを考え、相撲フアンも含めみんなで伝統文化を守っていかなければならないのだから!

 人名、会社名等(著名人は除く)は仮名ですが内容は全てノンフィクションです。
 【俊介の部屋】は平成21年6月4日にスタートしました。(毎日掲載しています)

 宇宙探査機 はやぶさに学ぶ

もうすぐ七夕がやってくる。 今年は晴れるだろうか! 世界中の誰にも見えるあの星空! 月や星にまつわるいろんな伝説とともにそれぞれにはいろんな想いがあったに違いない。
かぐや姫の話や天の川の話にしても夢がいっぱいだった。年月を重ねるごとにとうとう人間が宇宙に行くことも夢ではなくなってしまった。考えてみれば宇宙に行ってると言っても地球から4~500kmしか離れていない。それでも凄いのについ先日帰環した「宇宙探査機はやぶさ」はなんと3億kmも離れた小惑星に着陸したのだから人間の可能性の大きさにただただ驚くばかりだ。
2003年に打ち上げられ、途中でトラブル発生に見舞われたはやぶさは行方不明になってしまう。プロジェクトチームが一丸となって探したがとうとう応答が途絶えてしまったのだ。
しかし、チームリーダーの川口淳一郎氏はまったく諦めなかった。「やるだけやってみよう!」この執念がはやぶさを再び呼び寄せることになったのです。 私はドキュメント放送を見て感動のあまり胸が熱くなりました。
3億km彼方の物質を採取し、それが地球誕生の糸口を探り当てるというのだからかぐや姫に浸っていた者にとってはまた夢の夢物語。 宇宙研究開発という分野は科学の最たるもので堅いだけのイメージのような気がしていたけれどこんなにも温かく感じるんだから不思議です。
いん石が地球に落下し、その大きさと位置によっては壊滅的な被害を被ることになるのに、それすら神の仕業とか言わなくなってしまう。なぜなら、落下するいん石をロケットで追撃し地球を守るというのだ。
今回のはやぶさが帰環したことでそれもまた可能という夢の第一歩になるのだから・・・。
失敗し失敗し非難されても諦めずに挑んだ科学者たち。私も含め人間というのは時として諦めたり挫折することも珍しくありません。
今回のはやぶさは決して諦めてはいけないことをしっかり教えてくれました。もともと人間は強い生きものと言って正しいのです。それもこのはやぶさに関わったスタッフによって教えられました。
つまり、夢を追いかけるのであれば描いた夢(目標)に強い気持ちで挑むということがまず大切な第一条件となるんですね。想像も出来ない、予想もしない障害をも克服してはやぶさは帰環したことを思えば良く理解できます。
考えてみれば、出来ない人間に限って言い訳をすると言いますが本当ですね。挫折した姿を見せないための言い訳こそ夢を遠ざけていることを知るべきです。宇宙にも心が大切だって証明したことになりますね。
やっぱりかぐや姫はいるのかも知れませんよ。

 人名、会社名等(著名人は除く)は仮名ですが内容は全てノンフィクションです。
 【俊介の部屋】は平成21年6月4日にスタートしました。(毎日掲載しています)

 心の詩 童謡の結びに

まだまだあるけれど・・・

5月7日から童謡作品を綴って来ました。 思い出してみるとまだまだありそうです。 忘れている作品も多いようです。 一度、古今東西でもやってみましょうか?きっともっともっと出てくるでしょうね。
私なりの思い出の中で紹介させて頂いた童謡ですが、考えてみるとこれだけ知っていることに何か幸せを感じます。
それと同時に素晴らしい時代に育ったことを感謝したい気持ちでいっぱいです。童謡から歌謡曲へ!自分の中での変化ですが、私はまだ母の背中でおんぶされていた頃は母の口ずさむ歌も沢山覚えたようです。
記憶になくても、昭和の古い歌も流れてくればなんとなく私の中でゆっくりとリズムがとれるのです。

本当は、もっともっと童謡に触れていたいのですが、とりあえずこの辺で童謡の第一章を結びとしたいと思います。
良い空気を吸って、良い人に出会って、見守ってくれる素晴らしい環境が素晴らしい人間を育ててくれることを私には童謡に触れることで改めて分かりました。
中国の驚異的な発展を見ながらも改めて日本人の素晴らしさを感じます。つまり、人を心から思いやれる優しさや感謝の心。 なによりも謙虚さをもった日本人はまだまだどんな諸外国にも負けていないと思えるのです。
危惧するとすれば、インターネット社会に慣れ親しんだ若者の心です。
一歩外に出たら24時間営業のコンビニがどこにでも点在しています。中には便利で嫁なんか要らないなんて輩も現れる始末。
現在放送中の朝の連続テレビ小説「ゲゲゲの女房」(NHK)がその辺をよく表していますね。貧乏して貧乏して風邪をひいても病院にもいけない家族。しかし、そこには私も味わったことのある温かい人と人の温もりがあるのです。
幸せな人生を送ってもらいたい一心で綴っていますが、本当に人間の幸不幸は心の持ち方ひとつです。
決して感謝の押し売りをしてはいけませんが、心からありがとうの言える人間関係を築き上げて欲しいと思っています。 昔の余韻に浸っているのではありません。心の温かい時代に生きた一人の人間として、信念をもって良いものを伝え続けて参りたいと思うのです。 暫くは童謡から離れて、次は何のお話をしましょうか!

 人名、会社名等(著名人は除く)は仮名ですが内容は全てノンフィクションです。
 【俊介の部屋】は平成21年6月4日にスタートしました。(毎日掲載しています)

 心の詩 (童謡) 31-2

毬と殿様   ・・・歌詞が全て判りました・・・

てんてん手鞠 てん手鞠 てんてん手鞠の 手がそれて
どこから どこまでとんでった 垣根をこえて 屋根こえて
おもての通りへ とんでった とんでった

おもての行列 なんじゃいな 紀州の殿さま お国入り
金紋 先箱 供ぞろい お駕籠のそばには ひげやっこ
毛槍をふりふり やっこらさのやっこらさ

てんてん手鞠は てんころり はずんでおかごの 屋根のうえ
「もしもし 紀州のお殿さま あなたのお国の みかん山
わたしに 見させて下さいな 下さいな」

お駕籠はゆきます 東海道 東海道は 松並木
とまり とまりで 日がくれて 一年たっても 戻りゃせぬ
三年たっても 戻りゃせぬ 戻りゃせぬ

てんてん手鞠は 殿さまに だかれて はるばる 旅をして
紀州はよい国 日のひかり 山のみかんに なったげな
赤いみかんに なったげな なったげな


ここでは紀州自慢のみかんが登場しますが、昔叔母の家に遊びに行くと小屋根に出ては赤い豆りんごを撮って食べたものです。 今なら自転車で隣町の叔母の家まで15分もかからなかったのに、子供の頃はバスに乗ってそれも遠く感じました。一番身近に感じた親戚はやっぱり優しい笑顔の叔母がいたからでしょう。
小屋根に出る窓にてるてる坊主を下げたのも懐かしく思い出します。「良い子にしているときっと晴れるからね・・・」と言われながら! 何と素直な子供たち!
その時々に、今思えば情景に合った童謡がいっぱいでした。 
人一倍遊び上手な私は従兄弟たちの中心になって遊んでいたようです。 こんなに童謡を愛することが出来たのもそれぞれにこうした良い環境があったからかな?
てるてる坊主で本当に祈ったんですからね! 叔母さんのお駕籠は天国に向けて出発しました。楽しいことが大好きだった叔母さんだから賑やかに行きましょうね。 素晴らしい思い出をいっぱいありがとう !

 人名、会社名等(著名人は除く)は仮名ですが内容は全てノンフィクションです。
 【俊介の部屋】は平成21年6月4日にスタートしました。(毎日掲載しています)

 心の詩 (童謡) 31

毬と殿様          作詞 西條ハ十 作曲 中山晋平

てんてん手鞠 てん手鞠 てんてん手鞠の 手がそれて
どこから どこまでとんでった 垣根をこえて 屋根こえて
おもての通りへ とんでった とんでった

おもての行列 なんじゃいな 紀州の殿さま お国入り
金紋 先箱 供ぞろい お駕籠のそばには ひげやっこ
毛槍をふりふり やっこらさのやっこらさ


昨日私の大好きな叔母が亡くなったと知らせがありました。 しばらくは悲しみを超えて呆然としていましたが数分後溢れる涙を押さえることができませんでした。
しばらく前から思い出とともに童謡についてブログに載せていましたが、こんな大切な作品を忘れていました。
母の実家に嫁いできたのが叔母でした。まだ何も分からない小さい時分に叔母の結婚式の「おちょう」役を果たしたかすかな記憶があります。それ以来叔母には本当に可愛がられたのを覚えています。
楽しいこと、賑やかなことが大好きな叔母がいつも歌ってくれたのがこの「毬と殿様」でした。 確かこの歌はもう少し長いはずです。全部分かったらもう一度掲載しますが、ここに出てくる紀州の殿様が確か徳川吉宗なんですよね。
外で遊ぶ子供の頃はよく神社の境内などで縄跳びや探偵ごっこをしたものですが、女の子たちが声を揃えてあのゴムまりで遊ぶとき、てんてんてまりと誰もが唄っていたのがこの歌です。
ゴムまりには当時の時代を思わせる絵柄があって今でも何となく覚えています。 心の優しい叔母は私が成人になってからも何かと相談に乗ってくれ励ましてくれました。
叔母の手毬唄が思い出せるほどそう言えば大切な思い出の一曲だったのです。 
かねてから入院中と聞いていましたが、きっと元気になられることを信じていたのに・・・。
人は間違いなく順番にお迎えが来るようですが、もっともっとお元気にいて欲しい素晴らしい人でした。
息子たちはそれぞれ立派に成人し都会に出て行ったので、おそらくこれで母の実家も無くなってしまうんだろうかと一抹の淋しさを覚えます。
「叔母さん!お駕籠には叔母さんに乗ってもらいましょうか?」 私が感謝の毛槍を大きく振りながら天国までお連れしたい気持ちでいっぱいです。 素晴らしい歌を教えてくれてありがとう!
謹んでご冥福をお祈りいたします。

 人名、会社名等(著名人は除く)は仮名ですが内容は全てノンフィクションです。
 【俊介の部屋】は平成21年6月4日にスタートしました。(毎日掲載しています)

 心の詩 (童謡) 30-3

浦島太郎 3

梶井教授は「都合の良すぎることへの戒め」と言っていますが、冷静に考えれば確かに度がすぎたもてなしと言われればその通りに思いますね。感謝する側の気持ちも分かります。しかし、考えてみればみるほどこれらのもてなしは過剰ではなかったか?
バブルの時代に、たいした根拠もなく楽しさまかせに踊った私たちが罰を受けたのと同様に、受ける筋合いのものではない豪華な接待を、あたかも当然のこととして受けた人が、最後には不幸になるというのであれば話としてはつじつまが合うとも述べています。そうしてみると、理屈の通らない都合の良すぎる話に対して、自分の能力や業績を過度に評価して自分を納得させ、あまつさえそれにのって自分を見失うようなことを戒めるものだと、浦島太郎を解釈することができそうです。
そう考えると日本の昔ばなしをもう一度読み返してみたいと思いませんか?
悪い奴は必ず退治される等は桃太郎やカチカチ山の物語でもしっかり学びました。グリム童話やイソップ物語もそうですがどんなに時代が変わっても「心の原点」はずっとずっと昔から説かれていたことが分かりますね。
テレビもないラジオもない時代であったはずなのに、どうしてか心の情報はこのようにしっかり伝えられていたんですね。もしかすると今よりも心はずっとずっと豊かだったように思います。
今日のニュースに宇宙探査機はやぶさとサッカーワールドカップカメルーン戦勝利が大きく報じられていました。その陰でこんなニュースもありました。
罪を犯した者が仮出所する。社会復帰の一環としてその者たちを支援する仮出所者の為の住居に反対する市民運動の是非が問われていました。 仮出所しても再犯する原因は住むところもない彼等が結局追い詰められてしまうということでした。
いくら昔の方が豊かな心であったと言っても現在小さなお子さんを持つ親の年令からするとやはりそこには育った環境や学んだ内容等がその時代背景とともにあまりにも大きく違いすぎて、一概には判断しづらい状況にあるのは事実です。
この春、仲見世通りで行進する稚児行列で見た光景もそうでした。自分の子供以外目に入らず何かを共有することの出来ない心の貧しい若い父親を見てそう思いました。彼を見て花咲か爺さんの昔ばなしを思い出しましたね。
幼稚園児の父親だからいろんな昔ばなしをそのお子さんたちが楽しんでいる最中のはずなのに。
それにしても浦島太郎でさえ戒めとして語られていたことは何と奥の深い話でしょう。

 人名、会社名等(著名人は除く)は仮名ですが内容は全てノンフィクションです。
 【俊介の部屋】は平成21年6月4日にスタートしました。(毎日掲載しています)

心の詩 (童謡) 30-2

浦島太郎 2

この作品はきっと日本人であればほとんどの人が一度は聞いたことのある昔ばなしだと思います。
それにしても浦島太郎の物語は不思議なことの連続ですね。

京都大学経済研究所・梶井厚志教授の「コトバの戦略思考」を読むと面白いことに触れているのが分かります。
最初に浦島太郎の大筋をおさらいしてみましょう。
「丹後で漁師を営む浦島太郎は、毎日熱心に漁をして両親を養っていました。ある日、小亀をいじめる子供たちに太郎は出会います。可愛そうに思った太郎は、小銭を出して子供たちから亀を買い取り、海に放してやったのです。数日後、助けた亀が現れ、太郎を絢爛豪華な竜宮へ連れていきました。
そこで太郎は乙姫様に迎えられ、お礼の大宴会で毎日見たこともない楽しい接待を受けました。
さすがに3年が経ったころ、太郎は故郷の両親の夢を見るようになり、宴会も楽しめなくなっていました。その様子を察した乙姫は、綺麗な玉手箱を太郎に渡し、この中には人の世界で生きていくために必要なものが入っていますが、もし竜宮に戻って来たいのならば絶対に明けて葉ならないと念を押してから、太郎を故郷へと送り出したのです。
戻った太郎は、自分が3年間と思っていたのは実は人間界では300年だったと知ります。頼れるものは玉手箱しかなかったので、ついつい玉手箱を開けてしまう。すると太郎はあっというまによぼよぼのお爺さんになってしまう」と、こういう話でしたね。
梶井教授はここから大変面白い角度からこの物語の奇妙さに触れています。
まず、優しい心の持ち主である太郎が何故両親に会えずにお爺さんになってしまったかとその不幸を疑問視しているのです。まだ面白いのが、亀を助けるために小銭を払ったことが問題だとも言っています。
つまり、子供たちは亀をいじめたら小銭が貰えるんだと思うことの危険性を危惧しているのです。太郎の行為は好意ではなくもっと多くの亀の被害が出ることを助長したにすぎないのではと。
しかし亀の側からすれば助けてもらったことは間違いのない事実で太郎は善人なのです。
それでは太郎が受けた仕打ちはどう考えたら良いのでしょうか?(つづく)

 人名、会社名等(著名人は除く)は仮名ですが内容は全てノンフィクションです。
 【俊介の部屋】は平成21年6月4日にスタートしました。(毎日掲載しています)

心の詩 (童謡) 30

浦島太郎     作詞 石原和三郎 作曲 田村虎蔵

むかしむかし 浦島は
助けた亀に連れられて
竜宮城へ来てみれば
絵にもかけない美しさ

乙姫様のご馳走に
鯛やひらめの舞い踊り
ただ珍しく おもしろく
月日のたつのも夢のうち

遊びにあきて気がついて
おいとまごいもそこそこに
帰る途中の楽しみは
みやげに貰った玉手箱

帰ってみれば こは如何に
元いた家も村もなく
道に行きあう人々は
顔も知らない者ばかり

心細さに蓋(ふた)とれば
あけて悔しき玉手箱
中からぱっと白煙
たちまち太郎はお爺さん

ここで暫く「昔ばなし」の中から心を学んでみたいと思います。 七夕様もそうですが、考えてみれば今までご紹介した作品(童謡)と違い、人間にとって大切な心の持ち方を説いています。つまり善悪であったり世の中にはいろんな考え方をする者がいることを教えています。   (つづく)

 人名、会社名等(著名人は除く)は仮名ですが内容は全てノンフィクションです。
 【俊介の部屋】は平成21年6月4日にスタートしました。(毎日掲載しています)

 心の詩 (童謡) 29

七夕さま     権藤はなよ/林柳波作詞 下総皖一作曲

ささの葉さらさら
のきばにゆれる
お星さまきらきら
きんぎん砂子(すなご)

五しきのたんざく
わたしがかいた
お星さまきらきら
空からみてる

ささの葉さらさら・・・という唄い出しで始まる「七夕さま」
最近はなかなか歌われなくなった童謡が多い中で、今も全国に流れ歌われる作品のひとつです。短冊に願い事を書いて笹の葉につるす行事は最近の幼稚園でも行われていますね。着実に次の世代にまで伝えられている嬉しさを感じます。
たしか4~5年前だったと思います。 ある会社の社員旅行の企画の中にこの願い事の行事を採り入れました。
時期が7月の頭であったこともあり、楽しいバス旅行の帰り道、40名弱の社員全員に短冊を配布しました。
1枚は個人的な願いごと、もう1枚は仕事に関する願い事を書いてくださいと2枚を渡したのです。いきなりだったので全員が恥ずかしさや照れもあってみなさん驚いていました。私の狙いは全員に素直な気持ちでいて欲しかったのです。
その短冊は翌日とんでもない大きな竹につるされました。私は願いが叶うと思いましたね。この歌がこれほどまでに単純でありながら美しくロマンチックであるように、いつの時代にも人の心は子供のように素直が一番だと思えたからです。 翌年からこの行事が続いたかどうかは分かりません。
七夕の話には、織姫は天帝の娘で機織りの上手な働き者の娘であったことは知っての通りです。同じく働き者の牛使い(彦星)と仲良しで天帝は二人の結婚を認めました。しかし、夫婦生活が楽しくてしかたがなく、織姫は機を織らなくなり、彦星は牛を追わなくなってしまったため、天帝は怒り、天の川の両岸に二人を引き離したのですね。ところが天帝の情けによって年に1度、7月7日に限り会うことが許されるのです。
多くの逸話が世界中で語り継がれてきましたが、そのほとんどが正しい生き方をしてくださいねと願っての作品ばかりであることが分かります。本当に心の持ち方の良いお手本ばかりです。
殆どの子供たちがこの話を聞きながら、そして七夕さまを歌ったのです。

 人名、会社名等(著名人は除く)は仮名ですが内容は全てノンフィクションです。
 【俊介の部屋】は平成21年6月4日にスタートしました。(毎日掲載しています)

 心の詩 (童謡) 28

さくらさくら     曲/日本古謡  詩/日本古謡

さくら さくら
やよいの空は
見わたすかぎり
かすみか雲か
匂いぞ
出ずる
いざや いざや
見にゆかん

最も日本情緒漂う作品です。 
本年度デンマークに親善大使として訪れる台東区内の全中学校から選ばれた子供たちが日本からのお土産として日本の文化や伝統を日本舞踊として紹介するために選ばれたのがこの「さくらさくら」です。
約20名の生徒さんですが、昨年は花笠音頭を練習して披露してきました。ご存知のように花笠音頭は笠おどりですから華やかでもあり賑やかでした。
最初は「よさこいソーラン」の披露だったそうです。 そして踊りの披露としては今回が3曲目になります。
波島陽子先生の指導のもと、一人でゆかたを着れるようになりたためるようになってご家族のみなさんも相当喜ばれた様子。   今回は扇子を使っての日本舞踊に挑戦だそうです。日本舞踊らしくなりますね!
交流先のデンマークの子供たちや関係者もさぞうっとりされることでしょうね。琴が奏でるさくらさくらは夏休みの5日間で覚えるのだそうですが、素晴らしい日本の歌がこのように日本舞踊と一緒に若い外国人に披露されるということは嬉しい限りです。
たった5日間で覚えられるのだろうか? 花笠音頭のときもそうでしたが、さすが選抜で選ばれただけあって覚えちゃうんだから感服です。

「さくらさくら」、改めて声に出して歌ってみてください。何か日本の心を知ることができるそんな作品です。
デンマークと言えば「人魚姫」で有名ですが、素晴らしいコラボのような気がします。

 人名、会社名等(著名人は除く)は仮名ですが内容は全てノンフィクションです。
 【俊介の部屋】は平成21年6月4日にスタートしました。(毎日掲載しています)


 心の詩 (童謡) 27-3

葉山俊介 様

毎日楽しく拝見させていただいております。生まれたときから長野県須坂市というところに住んでもう55年が過ぎました。今回の古時計については私の家でもエピソードがあるので聞いて頂きたかったのです。
父は子供の頃から頑固おやじでとても恐い存在でした。もう他界して居りませんが父の思い出を今でも捨てずにいるのが古い写真と古い柱時計です。
子供のころに比べたら周りは大型店舗や高速道路が整備され日に日に昔の面影が薄れていく寂しさを感じていました。それというのも昔から物を大切にしていた几帳面な親父の影響が強かったからです。
昭和天皇と皇后陛下の大きな写真が茶の間に飾ってあり、その近くには古い柱時計も活躍していました。
ボーンボーンと鳴る時計の音と静まった夜に振り子の音が子守唄のように聞こえるのが私の家でした。昭和62年に新築するまでは一等席に鎮座していた写真と時計。 しかし、親父が亡くなって2年くらいはネジを巻いていたのですが新しい時計が現れるとともにいつの間にか動きは止まっていたのです。
嘘のような本当の出来ごとなんですが、止まっていた時刻は4時48分。それは親父が亡くなった時刻とほぼ同じであったのです。子供たちが学校に通うようになってからでした。珍しがって「この時計動くの?」と言われたときに気づいたのです。釘に掛けてあるネジ回しで巻けば動くのかも知れない。
しかし、我が家のこの時計もその時刻を動かさずに新築後も仏間の部屋で我が家を見守ってくれています。
子供からパソコンを習わなければ出会うこともなかった葉山さんのブログ。息子の結婚を心配して覗いたのが素晴らしい婚活のススメでした。
私なんか何ひとつ子供たちに何かを教えたなんて記憶はありませんが、何度か読ませて頂いた内容のように、心の持ち方次第で幸せが近づいてくれるような気がしております。
この古い時計は親父の前からあったのだろうか?親父にも父親との思い出の中にこの古時計は何かの影響を与えていたのだろうか?本当にひょんなことから親父のことを思い出させていただきまた。
近くに中野市があり、そこには有名な中山晋平さんの記念館があります。勿論何度も行ってみました。考えてみると郷土だけでなく人々の誇りといっても良いくらいな人物が日本中に大きな感動と素晴らしい心の贈り物をしていたんだと思うと感無量です。仏間の写真と古時計。子供たちが大切にしてくれることを祈っています。

平成22年6月11日  古時計の息子

頂いた中から掲載させて頂きました。 嬉しいお便りありがとうございました。

 人名、会社名等(著名人は除く)は仮名ですが内容は全てノンフィクションです。
 【俊介の部屋】は平成21年6月4日にスタートしました。(毎日掲載しています)

 心の詩 (童謡) 27-2

大きな古時計      作詞 保富康午 作曲 ワーク

おおきなのっぽの古時計
おじいさんの時計
百年 いつも動いていた
ご自慢の時計さ
おじいさんの 生れた朝に
買ってきた時計さ
いまは もう動かない その時計
百年 休まずに
チク タク チク タク
おじいさんと いっしょに
チク タク チク タク
いまは もう動かない その時計

何でも知ってる 古時計
おじいさんの 時計
きれいな花嫁やってきた
その日も動いてた
うれしいことも 悲しいことも
みな知ってる 時計さ
いまは もう動かない その時計
百年 休まずに
チク タク チク タク
おじいさんと いっしょに
チク タク チク タク
いまは もう動かない その時計

真夜中に ベルがなった
おじいさんの 時計
お別れのときがきたのを
みなにおしえたのさ
天国へのぼる おじいさん
時計とも お別れ
いまは もう動かない その時計
百年 休まずに
チク タク チク タク
おじいさんと いっしょに
チク タク チク タク
いまは もう動かない その時計

時の記念日に間にあって良かった! 私たちは日本人が作った作品と思っていた人が多かったんじゃないでしょうか? 私もイギリスでこの話を聞くまでは日本人が作った歌だとばかり思っていました。
イギリスで聞いたこのエピソードが歌手平井堅によって改めてブレークしました。
私の周りの友はこのドラマを私から聞いていましたから特別な想いで心に響いたことでしょうね!
いくつか紹介させて頂いた作品(童謡)はどれもこれも素晴らしい背景の中で生まれました。
本当のエピソードに触れることができたことにあの日の出来ごとが甦ってきます。イギリスで聞けたことも私にとっては生涯の思い出でした。
香田さん!本当にありがとうございました。 間違って「日本の作詞」をたくさん送って頂きましたが、少し私の説明に不備があったのかも知れませんね。みなさんも是非英訳もメモしておいてみてくださいね。

 人名、会社名等(著名人は除く)は仮名ですが内容は全てノンフィクションです。
 【俊介の部屋】は平成21年6月4日にスタートしました。(毎日掲載しています)

 心の詩 (童謡) 27

大きな古時計    作詞曲 ヘンリー・クレイ・ワーク

ありがとうございました。福岡県うきは市の香田さんから英語版と翻訳された歌詞を送って頂きました。
さっそくブログでご紹介させていただきます。


My grandfather’s clock was too large for the shelf
So it stood ninety years on the floor
It was taller by half than the old man himself
Though it weighed not a pennyweight more

おじいさんの時計は棚に置くには大きすぎたので
90年もの間 床に置かれていたんだ
おじいさんの背丈より半分以上も大きかったけど
重さは(おじいさんの体重と)1グラムほども違わなかった

It was bought on the morn of the day that he was born
And was always his treasure and pride
But it stopp’d short, never to go again
When the old man died

その時計はおじいさんが生まれた日の朝に買ってきたものなんだ
いつもおじいさんの宝物であり、誇りだったんだ
でも急に止まって、もう動かなくなってしまった
おじいさんの亡くなったそのときに

In watching its pendulum swing to and fro
Many hours had he spent as boy
And in chiidhood and manhood the clock seemed to know
And to share both his grief and his joy

時計の振り子が前へ後ろへ揺れるのを見ていながら
おじいさんは少年時代の多くの時間を過ごしてきた
その時計は知っていたんだ おじいさんの子供の頃も青年の頃も
そしておじいさんの悲しみや喜びさえも

For it struct twenty-four when he entered at the door
With a blooming and beautiful bride
But it stopp’d short,never to go again
When the old man died

おじいさんが美しい花嫁と一緒に部屋に入ってきたときは
時計は鐘を24回鳴らして祝福したのさ
でも急に止まって、もう動かなくなってしまった
おじいさんの亡くなったそのときに

My grandfather said that of those he could hire
Not a servant so faithful he found
For it wasted no time and had but one desire
At the close of each week to be wound

お爺さんが言ってた 彼が雇った者の中で
時計ほど忠実な召使いはいないと
時計を無駄にせず 望みと言えばただひとつ
秀に一回ネジを巻いてもらうことだけ

And it kept in place,not a frown upon its face
And its hands never hung by its side

But it stopp’d short,never to go again
When the old man died

自分の居場所にとどまって いやな顔ひとつしないんだ
両手をだらしなくぶらさげることもない
でも急に止まって もう動かなくなってしまった
おじいさんの亡くなったそのときに

It rang an alarm in the dead of the night
An alarm that for years had been dumb
And we knew that his spirit was pluming for fight
That his hour of departure has come

時計が突然真夜中にチャイムを鳴らした
何年もの間鳴っていなかったのに
僕たちは分かっていたよ おじいさんの魂が天へ昇っていったことを
おじいさんの旅立ちの時が来たことを

Still the clock kept the time,with a soft and muffled chime
As we silently stood by his side
But it stopp’d short,never to go again
When the old man died

時計は柔らかくやさしい音色のチャイムとともに時を刻み続けていたよ
僕たちがおじいさんのそばに立っているときも
でも急に止まって、もう動かなくなってしまった
おじいさんの亡くなったその時に

 人名、会社名等(著名人は除く)は仮名ですが内容は全てノンフィクションです。
 【俊介の部屋】は平成21年6月4日にスタートしました。(毎日掲載しています)

 心の詩 (童謡) 

探しています「大きな古時計」の歌詞

平成3年に私は素晴らしい仲間たちとイギリスへ「妖精」に会うために出発(でか)けました。
地域振興事業の一環として「妖精の里」づくりを提案した私にNHKエンタープライズのスタッフや井村君江先生は快く協力してくださり、最初の訪問地コンウォールのマラザイアンに泊った日のことでした。
ある老人がダーラム州にあるホテルの話を聞かせてくれました。 そのホテルはジョージホテルと言って確かジョキンズ兄弟が所有していたんだそうですが、その兄弟の仲の良いことは有名で町の人たちにも人望があり人づきあいの素晴らしい兄弟であったようです。
このホテルには2mもの古時計がわざわざ目立つロビーに置いてあったそうです。しかもその古時計は動いていないのです。
勿論以前は正確に動いていたんだそうですが、ジョキンズ兄弟の弟さんが病気で倒れそのまま亡くなってから何とその時計は少しずつ遅れはじめたそうです。常連のお客様も仕事で出発するときの頼みの綱でしたがその遅れには相当驚いたそうです。
そして弟の葬儀が済むころになると、修理屋さんが注意して管理していたにも関わらずついには1日15分も遅れるようになってしまいました。
弟の死から1年以上経ったある日、弟の後を追うように今度はジョキンズ兄弟の兄が亡くなりました。彼の死を聞きつけてロビーに集まった友人たちは騒然としたそうです。それは、なんとその古時計は11:05で止まっており、大きな振り子もまったく動かなくなっていたからです。11:05というのは亡くなった兄の同じ時刻でした。
このエピソードが歌になり「大きな古時計」は多くの人々に感動を与えていったのだそうです。
妖精探しの旅の途中だっただけにあの感動は今でも忘れません。お話をしてくれた老人にその夜すてきなマグカップを頂きました。
明日は6月10日「時の記念日」です。どなたかこの「大きな古時計」の翻訳されたそのままの詞をご存知でしたら教えてください。日本で歌われている詞はそれに近いのかも知れませんが、翻訳された内容に出会ってみたいのです。

 人名、会社名等(著名人は除く)は仮名ですが内容は全てノンフィクションです。
 【俊介の部屋】は平成21年6月4日にスタートしました。(毎日掲載しています)

 心の詩 (童謡) ひとやすみ

素晴らしい心のふるさと
夢中で綴っていたら4日(記念日)を忘れていました。
昨年の6月4日にスタートした「婚活のススメ:俊介の部屋」がとうとう1年になったのです。人間として生れて来た者が、みなさん幸せに暮らせたらいいな~。その思いひとつに、これから巣立っていく人やこれから結婚を考えている人、そして親となった多くの人たちが笑顔で暮らせることを願ってこのブログを始めました。どうしたらその良い方法があるのだろうか・・・と考えれば考えるほど「自分を磨く」以外にないことに気づきます。
まるでどこかで聞いてきたような立派な話を何度も耳にしたことがあるでしょう!しかし、どうしてそうした話を聞いても感動が無いのだろうか? そうも思いました。
私自身本当に多くの人に接し影響を受けた人も少なくありません。会社に勤めれば勤めたでまるで教祖様のような説教をする経営者にも出会いました。良い話は最初は「そうだそうだ!」と頷きながら聞き入るものです。しかし、そこには実行力(信念)のない経営者の多いことにも気づきました。権力を持っていることを錯覚している経営者の悲愛を覗くこともできました。
幸せになるために一生懸命歩いている若者にも当然出会いました。
世の中の流れや情勢が変わり、心の時代など到底夢のまた夢になってしまいそうな昨今です。講演会のテーマも私の場合「人間関係」に関する内容が多かったのもそうした願いや祈りがあったからです。
ただ、聞いてきたような話では説得力に欠けてしまいます。全て私が体験したこと、その中で感じたこと等を綴ることで、少しでも若者に良い影響を与えることができたらとただただその願いひとつでした。
出会いの場を提供しているコマーシャルにも触れました。真剣に取り組んでいる事業所。そうかと思えば金儲けだけが優先し無責任というよりも危険な宣伝(事業所?)を繰り返す輩への注意も促して来ました。
しかし、それでも不思議なことが現実には起こり得るということです。つまり、あなたの心が真っすぐで綺麗であればその出会いも最高のものとなるということです。
反対に、世の中には心磨きをしていない人がただただ彼女が欲しい彼氏が欲しいと独特な欲望だけに走る者も実際に多いことを懸念したのです。
有名なパスカルの言葉に「人間は考える葦である」とあります。つまり、幸せになりたいために悩んだり考え込んだりと葛藤しているんです。真剣に考えて、あなたの伴侶が幸せになれるよう今からでも遅くないので意を強くもって「心磨き」をして欲しいと思います。
心の詩(童謡)に入ってから、歌詞を書くために何枚ものCDを手に入れました。今まで紹介させて頂いた作品はほんの僅かだということが分かります。
布団に入って灯りを消したら、流れる童謡は間違いなく懐かしい心の故郷へ連れて行ってくれます。心の時代だったんだな~と改めて感じているところです。
今後どこまで綴れるかは私にも分かりませんが頑張ってみます!

 人名、会社名等(著名人は除く)は仮名ですが内容は全てノンフィクションです。
 【俊介の部屋】は平成21年6月4日にスタートしました。(毎日掲載しています)

 心の詩 (童謡) 26

花嫁人形     作詞 蕗谷虹児 作曲 杉山長谷夫

金らんどんすの 帯しめながら
花嫁御寮は なぜ泣くのだろ

文金島田に 髪結いながら
花嫁御寮は なぜなくのだろ

あねさんごっこの 花嫁人形は
赤いかのこの 振袖着てる

なけばかのこの たもとがきれる
涙でかのこの 赤い紅にじむ

泣くに泣かれぬ 花嫁人形は
赤いかのこの 千代紙衣装

この歌を口ずさむときあることに気づきます。それはお祝いごとの花嫁を題材にしているはずなのに、何故か寂しさを感じてしまう曲調だからです。 金らんどんすの帯しめながら・・・! 作者(虹児)は14歳のときに29歳の若さで亡くなった美しい母の面影と、もうそれ以上絶対に歳をとらない母の思い出がこの作品の基になっているからとか!
現在、日本舞踊の波島陽子教室に通っている5歳の女の子にお稽古してもらおうとレコード店を訪ねました。
普通ならこうした童謡に縁のない子供たちですが、舞踊教室を通して体で覚えてもらえるかと思うと嬉しいですね!

 人名、会社名等(著名人は除く)は仮名ですが内容は全てノンフィクションです。
 【俊介の部屋】は平成21年6月4日にスタートしました。(毎日掲載しています)

 心の詩 (童謡) 25

雀の学校    作詞 清水かつら 作曲 弘田龍太郎

チイチイパッパ チイパッパ
雀の学校の 先生は
むちを振り振り チイパッパ
生徒の雀は 輪になって
お口をそろえて チイパッパ
まだまだいけない チイパッパ
も一度一緒に チイパッパ
チイチイパッパ チイパッパ

すずめ

ここに紹介する作者は、前にも掲載した「叱られて」や「靴が鳴る」を世に送り出した作詞家です。生い立ちに目を通すと涙なしに語れない子供・少年時代が背景にあります。
離婚して去っていった母を想う子供心や多くの弟妹の面倒をみていた時代等、今回のチイチイパッパもチチ・ハハを意味しているんではないかと言われたそうです。
何も知らない子供時分に、いかにも楽しそうに大きな声でチイチイパッパと歌ったのは滑稽なのかも知れません。 しかし、なぜか心に沁み入る歌詞やメロディーは作者の心がそうさせたのかも知れませんね。
散歩すると必ずどこかで出会うすずめたち! 鳩やカラスに交じって一生懸命生きようとしていますが、何か語りかけたくなるのはのどかな時代にお寺の境内や我が家の屋根に遊びに来ていた姿を思いだすからでしょうかね!

 人名、会社名等(著名人は除く)は仮名ですが内容は全てノンフィクションです。
 【俊介の部屋】は平成21年6月4日にスタートしました。(毎日掲載しています)

 心の詩 (童謡) 24-3

ふるさと

このブログを続けていてこんなに嬉しかったことはありません。共鳴していただいたり、故郷を思い返せた良い機会でした等多くのメールを頂きました。 ひとりごとの様に綴っていても、誰かに見て欲しいと思う気持ちでいっぱいだったのでとても嬉しいです。
花かんざし以来ですねこれだけの反響は! 紹介させていただいた作品は昭和で育った人ならほとんど知っていたと思います。 これらの作品が素晴らしいのは、それぞれの作品ごとにそれぞれ違った思い出があっただろうということです。
作者が子供だった時分は、みなさん明治か大正の終わりころではなかったかと思います。 高いビルなど当然なく、その多くは緑に覆われていました。 真っ暗になるまで泥んこで遊べた時代。
私が名古屋で働いていた頃、犬山市の明治村に何度も足を運びました。少し足を延ばすと木曽路まで行くことが出来ました。 当時は観光客でいっぱいでしたが現在はどうなんでしょうね!
それぞれの建物がどこか懐かしい物ばかりで、心を掴んで離さない感動を今でも忘れません。 住んでいたところが西春日井郡西春というところでしたが、当時は周りに田んぼがいっぱいだったのです。
名古屋当時は別として、東京はその殆どが地方出身と言っても良いくらい秋田や新潟・山形と地方出身者に出会いました。
居酒屋のちょうちんに、「秋田料理」とか「ふるさと越後の味」とあり、当然ご主人は出稼ぎでそのまま商売に踏み切った等々で頑張っていました。「おふくろ」とか、「ふるさと」という響きに励まされ今日までやって来たんですと聞きます。
昭和に歌われた流行歌(演歌)はまさに童謡が原点であったのですね。 そしてその唄それぞれに全て味がありました。人の心を掴んで離さない郷愁に、「もう一度頑張ろう!」と挫折せずに生きぬいた人も多いようです。流行歌の中に、間奏で「ふるさと」が流れるのは何度も聞きました。
これほど人の心を温かく包み込む作品は他にはないのではないでしょうか!? どこの児童も当時は意味も分からず大きな声で歌っていたふるさと。 一体感が生まれるはずです。

 人名、会社名等(著名人は除く)は仮名ですが内容は全てノンフィクションです。
 【俊介の部屋】は平成21年6月4日にスタートしました。(毎日掲載しています)

 心の詩 (童謡) 24-2

ふるさと

『東京に出てきて3年。故郷は雪深い福島県喜多方です。大学卒業と同時にIT関係の会社に入社してあっという間の月日でした。育った環境は大きく人間関係の少ない仕事と思って飛び込んだ世界ですが都会はどうも自分の居場所ではないような気がし始めていました。
正直一人でいると泣きべそをかいてしまいそうで相談相手はいつもパソコン。今年の3月3日に葉山さんのブログに出会ったのがきっかけでそれ以来一フアンとして毎日楽しんでいます。婚活に興味をもって検索したのですが思っていた内容と全くちがい嬉しい戸惑いを感じています。
3月3日の花かんざしに感動し本屋に行きましたが廃版で取扱いなし。掲載された花かんざしをコピーして何度も読みました。次はどんな内容がと思っていたところに童謡でした。知らない歌ばかりでしたがときどき知ってる知ってると一人喜んだりしながら今日もひとりごと。
特に昨日の「ふるさと」は大好きです。童謡なんだ!唱歌と思っていたのでネットで調べたら童謡でも唱歌でもあるようでした。
そうか!ぼくもこんな素晴らしい童謡を知っているんだ! とても嬉しかった。
作者の心も綺麗と感じていましたが、このようにたくさんの思い出のコメントを読ませていただくと作者に負けないくらい葉山さんの心も綺麗なんだな~と感動。ふるさとを大事にしなければいけないと思うのはぼくだけではないと思うけど、いろんな角度から心を教えてくれるこのブログに何か大切にするんだぞと言われているようで心が奮えます。
まだまだ両親は若いけど親に対する感謝の気持ちは大きくなりました。葉山さんは「思ったらやりなさい!」と励ましてくれています。ぼくもいつか結婚できるのかな~!子供が出来るんだろうか?
今までは不安ばっかりでしたが心の大切さを見習いながらぼくも頑張ろうと思います。
葉山さん!喜多方も温かいところですよ! 塩川駅の近くだけど今度出かけてみてください。蔵の子』

言葉がありません! ご意見を頂けるだけで感謝感謝です。誰にもあるふるさと!大切にしましょうね!
喜多方へは母を連れて雪降る12月30日にラーメン食べに行きました。そのまま雪深い奥会津で正月を迎えたこと昨日のように覚えています。

 人名、会社名等(著名人は除く)は仮名ですが内容は全てノンフィクションです。
 【俊介の部屋】は平成21年6月4日にスタートしました。(毎日掲載しています)

 心の詩 (童謡) 24

ふるさと       作詞 高野辰之 作曲 岡野貞一

兎追いし かの山
小鮒(こぶな)釣りし かの川
夢は今もめぐりて
忘れがたき ふるさと

如何(いか)にいます 父母
つつがなしや 友垣(ともがき)
雨に風につけても
思い出ずる ふるさと

志を果たして
いつの日にか 帰らん
山はあおきふるさと
水は清き ふるさと

きっとこの歌を知らない人はいないはずです。これも童謡・唱歌の中では名作中の名作でしょう!
故郷を後にしていろんな人生を送って来た多くの人々に、ときには勇気づけてくれ慰めてくれました。口ずさむとこれほど郷愁を呼び起こした作品も珍しいでしょうね。
歌詞がなくても映画や何かのBGMで耳にするこのふるさとは不思議なくらい心を癒してくれました。こうして綴っている今でもこのメロディーは優しい母を思い出させるのです。あの頃あの子と遊んだな~!あの山は、あの川は今どうなっているだろうか?
今更ながらにふるさとの素晴らしさを思い出させてくれます。これこそ日本人の旋律なんでしょうね!

 人名、会社名等(著名人は除く)は仮名ですが内容は全てノンフィクションです。
 【俊介の部屋】は平成21年6月4日にスタートしました。(毎日掲載しています)

靴が鳴る    作詞 清水かつら 作曲 弘田龍太郎

お手(てて)つないで 野道を行けば
みんな可愛(かわ)い 小鳥になつて
唄をうたへば 靴が鳴る
晴れたみ空に 靴が鳴る
 
花をつんでは お頭(つむ)にさせば
みんな可愛い うさぎになつて
はねて踊れば 靴が鳴る
晴れたみ空に 靴が鳴る

よく歌った童謡であり唱歌です。この作品を「おててつないで」と勘違いしている人も多いようです。
幼児がみんなで手をつなぎながら道を歩き、靴音をならす情景を、小鳥やウサギになるという楽しい表現がいっぱいの可愛らしい歌です。最近は幼児同士で道をあるくなどとんでもない時代です。
ふるさと越後にはのどかな光景とともに安全や安心でいっぱいでした。子供の本来の仕事は大いに外で遊ぶことではないでしょうか?勿論コンクリートの上を歩くなど考えられない時代に出来た歌ですが、夢があって優しさがあって本当に豊かな心がいっぱいでしたね。どこの子供でも差別なく心配してくれた大人がたくさん居たように思います。
作者の心を垣間見る様な素晴らしい作品です。野道を歩けた頃に生まれたんだから優しさや包容力は惜しみなく発揮して次世代の子供たちに何かを伝えなければいけませんね。
政治家も原点に帰るならこうした作品をもう一度見直して声に出して歌ってみる必要があります。政治の原点がそこにあるように思いますよ。

 人名、会社名等(著名人は除く)は仮名ですが内容は全てノンフィクションです。
 【俊介の部屋】は平成21年6月4日にスタートしました。(毎日掲載しています)

心の詩 (童謡) 22

通りゃんせ    江戸時代童謡 編曲 本居長世

通りゃんせ 通りゃんせ
ここはどこの細道じゃ
天神様の細道じゃ
ちっと通して下しゃんせ
この子の七つのお祝いに
お札を納めにまいります
行きはよいよい 帰りは恐い
恐いながらも
通りゃんせ 通りゃんせ

江戸時代から伝わる子供たちの遊び歌は私たちにもしっかり歌い継がれていました。この歌は「七五三」のお参りに出かけて帰る参道の様子を描いているようですが、音楽的にも最後の部分が急に盛り上がるようで何か緊迫感みたいなものが伝わってくる素晴らしい作品です。
小さな町で周囲は越後の山並み、家は寺で道路の反対側は八坂神社。子供が遊ぶには最高の条件下にいましたから歌うとともに歌のイメージは子供ながらに心にしっかり植え付けられました。
私が以前、新舞踊の先生に依頼されて舞台の構成にこのような童謡を採り入れたのにはこうした背景があったんです。子供を8人ほど集めての舞台は当時の再現にこだわりました。歌謡曲を踊る大人達以上の拍手とともに観客の誰もが懐かしと子供たちの可愛らしさにみなさん陶酔しきっていたのが印象的でした。
仕事柄このように舞台で採用することが出来ましたが、もっとこの素晴らしい作品(童謡)を多くの子供たちに伝える機会はないものでしょうか。
外で遊ぶ姿を見なくなった昨今ですが、歩行者天国よりもこうした童謡で遊び歌えた環境こそが今一番大切なんじゃないかと思います。

 人名、会社名等(著名人は除く)は仮名ですが内容は全てノンフィクションです。
 【俊介の部屋】は平成21年6月4日にスタートしました。(毎日掲載しています)
プロフィール

岡部俊雄

管理人 : 岡部俊雄
チーフ・プロデューサー
演出家

最新記事
月別アーカイブ
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QRコード