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 浅草の元気を紹介


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このところ素晴らしい秋日和の連続 ♬ 特に秋の青空は独特な日本を表現してくれます。

雪国で育った私は、18年間大自然の中で本当に伸び伸びと過ごしました。同じ雪国でも今と昔では生活様式の違いや人の心の違いが多きすぎて比べものになりません。
裸足で駆けずり回った少年時代は宝物ですね。そう考えると今の子供たちが可哀そうな気もします。

ここ(写真上)は浅草・浅草寺前の交差点からシャッターを押しましたが、今まさに日本一の観光地になりました。


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少し歩くとそこは隅田川。私がいつも散歩やジョギングに出かける場所です。
特に晴れた日は吾妻橋からこんなにも素晴らしい写真が撮れます。こうした風景を見ながらぐるっと白髭橋を経由して約2時間がその散歩コース。なんとも贅沢な環境です。

こうしてシャッターを押しているとホントにコロナなんか嘘のようです。早い収束を願わずにおられません。


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堤防沿いは桜を中心に地域の関係者が可愛い花壇を整備し最高の環境を創ってくれています。
堤防の壁にはにしき絵ならぬ江戸時代頃の浅草界隈の絵が描かれていたり・・・と結構楽しめます。

写真のように、一部を切り取れば「ああ!秋だな~・・・」と見事な光景に酔うことも出来ます。

近年は様々な災害に襲われ、特に河川を見るとその恐ろしさが伝わってきますが、ここ隅田川の管理は本当にしっかりとしていて流れを見ながら安心さえ覚えますよ。

2月頃から騒ぎだしたコロナ。 もう何年も苦しめられてきたように感じるのは私だけではないと思う。
人の心も大きく変わってしまいましたね!! 変わりざるをえないのも分かるような気がします。

しかし、そんな次期だからこそ私たちは試されているのかも知れませんよ。
波島陽子日本舞踊教室もこのコロナの最中に10人ちかい新人さんが入って来ました。 きっといろいろ考えたんでしょうね!!「何かしなければ・・・」の決意の表れのような気がしています。穏やかにお稽古する姿、こぼれる笑顔。お稽古場だけはコロナは無縁です。

今、仲見世で外国人観光客を目にするのが難しいほどその賑わいの様子に変化が見えます。通常は日本語が聞けないほど外国人の多かった浅草寺境内。それが、現在はその99.9%が日本人です。この違いは改めて凄い現象なんだな~と思います。
何よりもこの穏やかな雰囲気(くうき)、久しぶりに味わったような気がします。同じ着物姿でもさすがに日本人のそれは不思議な優しさを感じたりと・・・そう思ったのはきっと私だけではないでしょう。浅草が今それを証明しくれています。



 波島陽子芸能生活35年の歩み

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芝居が大好きで小学校に通う頃からNHKの大河ドラマの大フアンだった一人の少女が満を持して上京したのが昭和61年だったと言います。
飛び込んだ先が女剣劇を代表する当時この世界では大御所の淺香光代事務所でした。
当時はただただお芝居がしたい・・・のそれだけ。面倒見の良い先生は厳しさの中にも大きな愛情をもって舞台のイロハを教えてくださったとか。
事務所は先生の他に所属の役者さんを抱えなかった関係で入門当初から舞台に担ぎ出されたのは運が良かったのかも知れませんね。

当時の淺香光代師はご存知のように1枚看板でしたから全国の大劇場は殆ど制覇されていましたね。それは私でも知っています。
映画や歌舞伎でもお馴染みの「瞼の母」などは淺香光代の右に出るものは居ないほどカッコ良かったことを覚えています。
こうした舞台に出演できたことが今の波島陽子の財産になったのは周知の通りです。

舞台の合間の日本舞踊のお稽古は花柳の先生に。時間があれば西川流の道場に通い芸を極めたいと猛稽古が続きました。

自らの将来を考えたとき、日本舞踊(新舞踊)を全国から習いたいと上京する姿をみて一念発起。わざわざ上京しなくても作品の「振付ビデオ」で指導できないか・・・と3年ほどの準備期間を得て会社を設立することになります。


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歴史の第一歩ですね。
森陽子の芸名から「波島陽子」とその芸名を改名しポラリスはいよいよスタートしたのです。

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波島の考え方は大正解でした。
会社設立と同時に開設したホームページが好評で北海道から沖縄までその情報は知れ渡り驚くほどの注文が届きました!!

そうこうしている内に、一人・・・二人・・・と舞踊を習いたいとする若者からの問い合わせ !!
綴っていたら何かとっても懐かしくなりましたね。 当初お稽古場を持っていませんから、貸しスタジオを探し空いている会場、空いている会場とまるでゲルマン民族の大移動だ・・・などと言いながら大きな衣装ケースを引きずりながらよく通いました。
大移動を続けながらのお稽古は3年半ほど続きました。今思うと当時の大変さはただただ懐かしく良い経験でした。

とても空いている会場を渡り歩いてのお稽古も限界となり平成22年9月に波島陽子日本舞踊教室の専用稽古場が誕生ということになりました。

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探し当てた場所が雷門通り沿いにある(1つ筋を入る)この秘密基地のような静かな場所。 銀座線田原町駅から徒歩2分、浅草駅から徒歩5~6分。これ以上ない立地。運が良かったですね!! 今この物件を探そうとしたら倍近い家賃になっている筈です。
もっとついていたのが工事を請け負ってくれたのがなんと波島の叔父さん(工務店)。これでもかというくらいな素晴らしい工事で遂に波島陽子日本舞踊教室が完成しました。

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お祝いにいくつかご披露し、いよいよお稽古のスタートとなった訳です。

翌年の9月に第1回の発表会開催となったわけですから、ゲルマンの頃には相当数の生徒さんが在籍していたことがよく分かると思います。
第1回の平成23年と言えばそうです、あの東日本大震災が起きた年です。初めて迎える発表会をどうしよう・・・と本当に悩んだことを覚えています。当時東北出身者も4名ほど在籍していましたが、お陰様でみなさんの実家は被害に遭われなかったそうです。
それでも悩み続けました。元気な者が良い影響を与えなきゃ・・・と前向きに開催したことも今思えば良き思い出です。お陰様で超満員の中で初めてのイベントを開催できたのです。

それから間もなく、世界から国内からと様々な舞台や指導等のご依頼を頂き、それは目まぐるしい生活の始まりとなりました。

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インド(写真)から世界の伝統芸能を集めた舞台に招かれ2000余名の観衆の前での日本舞踊を披露。 ロシア・中国・イギリス等々その伝統芸能はとても見栄えのするものでしたが、日本の評価や注目度の高さは素晴らしかったですね。

会社を興してまもなくインバウンドの一環で着物体験を初めて浅草で始めたのも波島教室でした。

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毎年夏になると決まって中学の生徒たちに日本舞踊を指導・・・とこれもまた10年も続いています。
様々なご依頼が届く理由を訊ねると「波島先生の踊りが美しい・・・」と返ってきます。これほど嬉しいことはありませんね。

日本の心って本当に素晴らしい。 これは外国人観光客の皆さんの感想から自信を得たものです。
この心を添えたら美しい舞踊になることを現在お弟子さんたちにしっかり伝えています。

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この美しさは実績となり様々な舞台に招かれるようになりました。
どんなに規模が大きくなっても変わらない波島の心根こそが日本舞踊指導者としてここまで来たのだと一番近くに居て「教室を立ち上げて良かった」・・・との確信に変わっています。

私もこの仕事を通じ、全国の本当に多くの日本舞踊を愛するみなさんとお知合いになれました。みなさんお一人お一人のお人柄に触れる度に「ああ!財産がまたひとつ増えた・・・」と感謝しています。

長い間日本舞踊をやっていたから指導者・・・ではなく、日本舞踊の指導者に成るべくしてこの道が待っていたと言って良い指導者になりましたね波島陽子は。

多くの生徒さんが居たら、きっと嫌なことだって無いわけじゃないようにも思います。それでも心ひとつ乱さず指導者にふさわしい日々が送れていることにいつも脱帽です。生徒さんが増える訳がわかります。

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発表会も約60名前後が出演しますが、まだ舞台に上がれない人も入れたら驚くほどマンモス教室になってしまいました。

波島陽子の口から、「私は教室を開きたかったのではなく、全国の愛好者の皆さんに振付作品(DVD)を提供し続けたいんです・・・」の気持ちは常に心の底にあって日々頑張っています。
いつだったか、どちらが生徒か先生か分からないほど謙虚で優しいと表現したことがありますが、波島から手ほどきを受けるみなさんは本当に幸せだと思います。ここまで来ても尚謙虚で居られるのはまさに日本舞踊を教えるにふさわしい人物だと思っています。

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笑顔が絶えないお稽古場。 伝統芸能を今の若者に継承するという難しさはますます激しくなる一方です。
しかし、日本人として自慢できることがあるとすればまさに日本の心以外に無いことが分かります。

先日、ある人が素晴らしいことを言っていました。「人間は何故生まれて来たのか・・・!?」に対し、それは、みな平等に「幸せになるために生まれて来たんですよ・・・」と。
どこまで出来るかはわかりません。一人の女性が夢に憧れ上京し芸ひと筋に頑張っています。今回のコロナ騒動にも決してブレることなく一番元気なのは波島陽子なんじゃないだろうかと思うほどです。


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私が平成14年頃からお邪魔している異業種交流会に「i-Media」というのがあります。 ここの主宰者は加藤和郎先生と言って元NHKのプロデューサーでもあり、先生から受けた学びは数えきれないほど多くあります。
加藤先生に評価されるようになりたい・・・と思っていたほどです。 その先生が能楽堂の舞台を観に来てくださったことがあります。

この写真につけてくださったコメントに「平成から新しい時代に入ってゆくにふさわしい陽子さんですよ」とおっしゃてくださいました。





  やんちゃ違い 

強い人間の生産地
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これは戦後の雪国で、おそらく丁度アメリカのトランプ大統領が生まれた頃の写真だと思う。
私の故郷は昭和38年の豪雪(最後の豪雪)まで毎年これ以上の冬を体験し続けて来ました。この写真はまだ雪が少ない方です。
私は寺の息子だったために冬は脅威だったことを覚えています。
ひと晩で1mから1.5mくらいは軽く積もります。 つまり道路という道路は全て埋まってしまい、道をつけないと歩けなくなるのです。この道つけはおそらく誰も想像できない光景です。私が子供の頃は自分より高く積もった雪道に「※かんじき」を履いて道路を作るのです。
寺ですからまたこの参道が長い・・・・!!「早くしないと牛乳配達や新聞屋さんが来れないぞ・・・!」と言われ外に飛び出します。小学校の頃は泣きたくなる思いでしたね・・・。
困るのは道つけを初めて1時間ほどした時です。最初踏みしめた雪道はもうありません。しんしんと降る時期は踏んだ後からどんどんまた雪が積もるからです。
小学校高学年くらいになるとこの写真のように屋根の雪下ろしに駆り出されます。雪国でない人は想像も出来ないでしょうが、当時はその殆どが三角屋根(写真のような)で2階建てでしたが、普通に1階の屋根より雪は高いところまで積もります。その上に屋根の雪を降ろすので道路は軽く2階を超えてしまいますね。

私はここで育ちました。
何があってもやらなければならないことに対する実行力は間違いなくこうした中で培われたんだと思います。

昨今のトランプ大統領を見ていると、そうした苦労を知らないやんちゃ坊主にしか見えません。民の心を知るか知らないかは大きな違いでしょう。
以前、田中角栄が総理になったとき、日本は大きく変わりましたね。
それは民(こくみん)の心を知っているからだと思います。今回菅新総理の誕生に同じ雪国育ちとしてとても興奮しました。勿論それは理屈抜きでやってくれると思うからです。

子供たちの指導方法もすっかり変わってしまい「便利」という魔物に心を奪われ、若者がどんどん成長してゆく昨今に大きな警鐘を鳴らしたい気持ちでいっぱいです。
私たちが小学校に通っていた頃と現在の大きな違いは「人間育成」の根本の違いです。先にトランプを「やんちゃ」と発言しましたが、苦労を知らない、人の心の苦しみを知らない者が上に立つほど怖いものはありません。

もう死語になったかも知れません「げんこつ」ひとつとってもそうです。
学校で先生にごつんとやられると家に帰って両親には言えなかったものです。なぜなら答えは決まって「お前が悪い」・・・と言われるからです。
今考えたら想像も出来ないことで現在ならトップニュースですね。
息子が小学校へ上がったときは、「言うこと聞かなかったらどうぞ遠慮なくげんこつを・・・」と言ったことを覚えています(笑)
そこに「愛情」があればそれは決して暴力とは思わないからです。
勿論、出来ることならげんこつなど無いにこしたことはありません。子供同士で華々しく喧嘩することも決して悪いことではありません。人の心の痛みが分かっての行動は成長が待っているからです。

これは商売にも言えることですね。
自分さえ良ければ・・・が多すぎます。だからギスギスした現場が多くなるのです。商売の鉄則は「人の為になる」ことが原点に無いととんでもないことになります。
中には、他人のふんどしで相撲を取ると言った手法がとても目立っています。とくに職人さんや芸術家はそこを狙われやすい。
例えば「芸術」のなんたるかを知らない人間がいかにも繁栄発展の手法を知っているかの行動です。
特に芸事や伝統的なものは素人が入れる範疇ではありません。つまり、営利目的で自分が良ければ良い訳だからたまったものではありません。

科学を無視していると大問題になっているトランプ大統領。家長も先生も社長も政治家も、まず人の心に寄り添ったらきっと素晴らしい解決方法や運営方法に気づくはずです。

まだまだ収まりの見えないコロナ禍にあって、新しい未来に必要な「人の心」を再度見直して欲しいですね。



※ 「かんじき」 
降り積もった雪の上を歩く為に竹で作った輪になったもの。これを履くと新雪でもある程度で埋もれずに歩けるもの。
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岡部俊雄

管理人 : 岡部俊雄
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