2ntブログ

 おもてなしの心 10

東京までの新幹線の中は無礼講です。
電車の中でまで堅苦しい要望は避けました。気心の合った社員同士が行く訳ですから殆ど旅行気分です。
私はそれでいいと思いました。

そして、車内であることに出会いました。
それは車内販売の女性が私たちの注文品が無いことに気づき、ロッカーにその商品を取りに行ったときのことです。販売員は商品を乗せたワゴンをその場に置いたまま立ち去ったのです。
何分くらいだったでしょうか!?少し長いように感じました。すると通路の反対側の座席に座っていた外国人の乗客がうちの女性に声をかけて来たのです。
「商品をそのままに盗まれないんですか?」とたどたどしい日本語で聞いて来たのです。すると当社の女性社員はこう答えました。「日本は安全な国だから心配ないんですよ!・・・」と少し自慢気。  これには外国人も驚きととともに納得していました。外国人は「私たちアメリカではもしこのように担当者がいなくなれば商品も無くなってしまいます。つまりみんな盗まれてしまうんです。日本はすばらしい国ですね!」・・・・と。
東京へ着く前にこんなハプニングに遭遇したのです。
このことがその後私たちの店で活かされたのは言うまでもありません。
ああ!お客様はどこでどんなふうに見ているか分からないんだ・・・ということでした。

名古屋にも松坂屋本店という百貨店、名鉄、阪急、その他いくつかの百貨店はありましたが、東京というブランドは見る意識(構え)も変えてくれるのでその効果を狙ったわけです。

何回かに分けての商店見学。レポートを書くことで更に意識改革には十分でした。それは、そこまでしてくれる会社(店)は今まで聞いたことが無かったからでもあります。
東京まで行かせてもらったという責任みたいなものが自然と芽生えたのは言うまでもありません。

テーマは「どうしたらお客様に喜んで戴けるか」それ一点でした。
品質に対する責任、適正価格という理解と追求、接客を通じていかに満足して頂けるかということ。それは商品陳列からプライスカードの作成に至るあらゆる課題が湧いて出てきたのです。
前回、お客様からの感謝のハガキと申し上げましたが、そうしたことが働く販売員の張り合いとなり、更に上を目指そうとする向上心へスムースに移行できたのです。
実は経営者の求めるところはそこなんですね。しかし、どこの経営者もその殆どが命令口調でそれを求めます。それではやる気には結びつかないということです。
そのことは同じ会社で立証されてよく分かりました。
名古屋市内だけで10店舗近くある訳ですから店は同じはずです。店長も同じ会社の社員です。それなのに日増しに名駅店のカラーは良い方へ良い方へと進んで行きますから同じ会社でもその差は歴然としていました。

大和屋1

いくら一生懸命でもやはりお客様のいないときは世間話がたまに顔を覗かせます。
昨日のテレビドラマがどうだったとか、あそこの洋服が可愛かった等々話しが弾めば弾むほど一瞬夢中になるものです。その姿は完全に店員同士向き合い、顔を見ながらとなります。
そこで私は朝礼時にこんな提案をしたのです。「話をするなとは言わない。しかし、話が弾めば弾んだ分お互いの顔を見ながらということになる。自分では気がつかなくともその時間は一瞬にしてお客様を逃がすか応対のタイミングを逃してしまう。お客様だと気づいてはっとした状態でいらっしゃいませというのはとても失礼だと思う。だから仮に世間話をしたいときはお客様の方を向いて話して欲しい。そうすると、話している最中でもお客様が近づいてくれば瞬時に対応できますね。つまり、お客様だと思えた瞬間に世間話を中止し、いらっしゃいませの態勢が自然と取れるでしょう」と。
これは実に効果がありました。
店に向かって進んで来られるお客様を瞬時に全て掴むことが出来るようになり、お客様から「あの~・・・」と言われることが皆無になったのです。

(つづく)

 おもてなしの心 9

相手が喜ぶこと。
一番は本当に美味しい商品を提供することでしょう!
私はここで専務の心がとても良く理解出来るようになっていました。実はなんで漬物がこんなに高いんだろうと思っていたことが正直な気持ちだったからです。
守口漬(奈良漬)だけではなく、漬物店ですから梅干し・らっきょう・福神漬等々何でも漬物に関するアイテムは様々です。さすがに白菜や沢庵等は百貨店に出店している直営でないと品揃えしていませんが、その他の漬けものが正直とても高いプライスでした。
極端な言い方をすれば富裕層を相手のとさえ思えるほどでしたから。
ところが違うんですね! 食品は本当に美味しければ多少高くても売れるということです。

私は女性軍(はんばいいん)にそのことを併せて訴え続けました。
こんなにも素晴らしい商品を扱っているんだから、我々があとやることは「心を持ち帰ってもらう」以外にないでしょう・・・と。
相手(お客様)が喜ぶ販売(おうたい)こそ販売の命で、相手の嫌がる応対は絶対にしてはいけないという結論です。
普段、名札を着けなさいとか、三角巾をきちんとしようとか言っても難しいのが実際でした。
しかし、何故名札が必要なのか、なぜきちんと三角巾なのか、なぜ綺麗で清潔な制服なのか!?それは先の朝礼等で求めたことが理解できれば簡単だったのです。

ここで大切なことは、こうした事柄が会社(経営者)に言われてやっていたのではないというところです。
良い商品をお土産にと言いました。そこに私たち(販売員)の心もお土産に持ち帰って頂こうという仕掛けです。
となると、ではどうすればそれが出来るだろう・・・・につながるのです。
この方法は販売員の士気の向上に十分すぎるほど役立ちました。つまり、言われてするのでではなく、自らがお客様にどうしたら喜んで頂けるか。そう考えただけで職場は本当にガラって変わりました。
何よりも女性(はんばいいん)の目の色が変わりました。

すると効果はやはり随所に表れるものですね。
なんと、お客様からお手紙が届くようになりました。お礼状というより感謝状でした。
「京都・大阪・そして名古屋と旅をして来ました。いよいよ最後の名古屋駅でのお買い物、(中略)こんなに素晴らしく温かな応対に感動しました。」等々でそれも名指しです。
ハガキが多かったのも嬉しかったですね。なぜなら誰でも文面を目にできるからです。

何故、田中***様とあるのか、何故吉田***様とあるのか!?それはキチンと名札を着けているからに他なりません。こうなると私(店長)がいちいち名札を忘れずになどと言わなくていいわけです。
お客様の感謝の気持ちは何よりの教材だったのです。

どうしたらお客様が喜んでくださるだろう。もうそれひとつでしたね。
高い商品でも、付加価値が十分であれば価格設定は易いという典型です。

考えてみると当時から「おもてなしの心」についての追求をしていたということになりますね。
会社は褒めてくれます。 従業員は張り合いを覚えます。自然と笑みがこぼれます。つくった笑顔と違う心(えがお)がまさにお客様を満足させてくれたのです。
22歳が平均のお店は活力を生み売上を上げたのも当然です。

それでも、一流の販売員を求めてあくなき挑戦は続きました。
注目をあびるようになった名駅店の要望はこんなところにも表れたのです。

「私たちよりももっと基本の出来ている店があるからみんなで見学に行こうか!?」
実はそれが東京の三越・伊勢丹・京王百貨店だったのです。
3回に分けて出かけました。究極の商店見学ですね。今考えると経営者はよく許可してくれたと思います。
それぞれの交通費や食事代の凛儀が下りた訳ですから今思っただけでも凄かったですね。
しかし、凄いのはそれを許可してくれた経営陣でしょう!

見学に出かけた後は当然感想文を提出します。当時は会社では有名になりましたが、テストケースとしてその許可が下りたのは名駅店だけでした。

(つづく)

 おもてなしの心 8

入社して半年目に私は名古屋駅店にいました。

当時まだ若かった店長の就任にお店の従業員(全て販売員は女性)は大変な話題だったようです。
ご存知のようにその頃は携帯電話なるものはその影すらありません。 田舎との連絡も電話ではなくその殆どが手紙でした。
女性の多い職場ということで父親は心配したんでしょうね!当時手紙にこんな文面がしたためられていたことを本当に昨日のように覚えています。
「女性というのは非常に難しいものだ。いろんな女性(ひと)が居るだろうが、全てお人形だと思いなさい。心を移すと面倒だからね!」・・・・と。 前後の事例を含めた父親の文面はとてもよく判りました。つまり女性が多い職場で特定な人に心移すと仕事がやり辛くなるということです。
もともと明るい性格の男でしたから、それからはまるで青春映画を見ているような行動ぶりだったと思います。
店の従業員も珍しさ半分期待半分だったかも知れません。
ただ、驚いたことは、当時店長という経験は無く殆ど販売店を運営していくのに正しい知識は無かったと言っていいでしょうね。
会社は当然様々な報告を求めます。その殆どは「数字」でした。
管理ということは当時実践しながら学びました。「数値責任」が何であるか!?、店長として求められることはまず書店でその基本を買い求めよく勉強しましたね。
しかし、社員(ひと)が動くということはどの教材にも出ていません。
勿論、らしきことは学べますが、実践とは全てに環境やその現実が違うので実際に起こる出来ごとから対応していくしかないのが本当でした。

何も知らず出来ませんが、心(情熱)だけは誰にも負けないものを持ち合わせていたので、とにかく夢のような理想を追いかけましたね。
ここで大きな影響があったのは、専務が何も言わなかったことです。
つまり、全面的に私に任せてくれたということでしょうね。それを信用と置き換えればそうかも知れませんが、専務は適正在庫と商品管理(特に食品でしたので)だけはうるさく言っていただけです。それは食品を扱う会社の命とも言えるものですからね!

名古屋駅の地下に在る名駅店。
私は販売員にこう訴えました。「場所柄、お土産を販売している訳だけど、製品は工場が責任を持って老舗にふさわしい商品を送り込んでくれている。我々は工場の皆さんの成果が結果として表れるようとにかく頑張って販売しよう! そして、もうひとつ、私たちにしか出来ないことがある。それはお土産として買って頂くと同時に私たちもお土産として持ち帰って頂こうじゃないか!?」という訴えでした。
そうです。販売員として一番大切な原点の追求でした。
それからというもの、いろんなことを思考錯誤しながら追い求めました。販売員は平均年齢22歳くらいだったと思います。その女性(はんばいいん)にいくつも違わない若造が訴えるんですからそのエネルギー源は情熱だけでしたね。
まず最初にこう切り出しました。
「あなたたちが、何か買い物や食事に行ったとき、どんなことに感動しどんなことが嬉しくて、更にもう一度その店に行ってみたいと思った経験はありませんか?」ということがひとつ。
もうひとつは、その反対に「あんな店に二度と行きたくない・・・という経験はなかったですか?」でした。
朝礼を始め、いろんな機会を利用して徹底的にその質問を掘り下げました。
あるんですね!驚くほど様々な事例が出てきて当時はとっても楽しかったことを覚えています。

つまり、この質問は実に簡単なんですね!
誰にでもいくつかの事例があって今まで過ごして来たかがよく分かります。
出た事例に対する答えは簡単です。
要約すれば、嬉しかったことや感動を受けたような応対を私たちもやろうよ!嫌だったことは絶対自分たちがやらないようにしようよ・・・。と訴えました。
私が(店長)がどんな訓示を述べるより非常に理解してもらえた簡単な勉強方法でした。
11名もいましたからいろんな事例が出て来ました。それが笑いとなり話題となり、非常に理解してもらいやすかったのを覚えています。

(つづく)

 おもてなしの心 7

「もし仮にうちで働くことになったら、東京店に来いよ!」と交通費まで払ってくれたS店長。

見学の結果!? そうなんです。この見学が私の人生を変えたと言って良かったかも知れませんね。
鈴木専務(当時)の夢と情熱、決してぶらない誠実そのものに映った鈴木専務にほれ込んだと言った方が正しいかも知れません。
専務は、「良かったら名古屋にいらっしゃい!一緒に仕事したいな!」と言ってくださり東京店のことは全く眼中に無くなっている状態で帰りの新幹線に乗りました。
1週間後の8月8日、名古屋独特のあの暑い日に名古屋入りを果たしました。

当然工場勤務が目的ではなく、販売店で勤務して欲しいということで入社した訳ですが、私の希望を通して下さり最低1年は工場で修行をすることになりました。
店に出ても、自社製品を知らなければ何の役にも立たないからです。
ゴムの前掛け、長靴、白衣の正装をしても最初はその異様な臭いに慣れるまでは大変でした。
まさかゴム長を履いて仕事をする自分を想像もしていませんでしたね。

私は自伝を書いているのではありません。
「おもてなしの心」とこの会社がどんな関係があったのか語りたかったのです。

月日が経てば経つほど私は専務に魅かれていったのを鮮明に覚えています。
お人柄といい、研究熱心な姿といい、真面目で誠実であった分社員には少し堅物に映っていたと思います。
この会社こそ、正真正銘な同族会社の典型でしたが現在でも第一線を走る姿はまさに専務の理念にあったように思います。
社長である梶三郎氏(専務の兄)は身体が弱く殆ど第一線には顔を出しませんでしたので専務は事実上の社長みたいなものでした。

名古屋名産はその時期のお中元と年末に来るお歳暮はまさに戦争でした。
この商品がここまで売れるんだ!正直驚きの方が本音でした。
それ以上にお土産品ですから駅周辺では大変な量が動きます。ただ、漬物は重いんですね。粕漬けだけにまるで粕の入った樽を買うようなものですから。
8時から夕方5時までが勤務時間でした(工場は)。
9月にもなると販売店にも出たくなり、工場の仕事が終わると寮で食事してすぐに近く(徒歩5分)の栄店で夜6時から9時まで販売のいろはを学ぶべく毎日通いました。
そんなこんなしているうちに年末商戦が近づき、なんと4ケ月足らずでお歳暮商戦の「全国地方発送」を受け持つ部署で発送の責任者に任命されました。
つまり、名古屋市内にある10店舗ほどの本店・支店のお買上伝票を基に依頼された商品の荷造り(発送)の責任者でした。
確か、当時は約30万件ちかくの発送だったと記憶しています。

いろんなハプニングもありましたが、とにかく無事故で全発送を終えると(お歳暮期間は11月20日~12月20日)1月10日より名古屋駅名店街(通商:名駅店)の店長として職に就くようにとの辞令が交付されたのです。異例中の異例の昇進に会社中が驚いたようです。

おもてなしの心について語るとすれば、このドラマはここから始まるんですね。

(つづく)

 おもてなしの心 6

名古屋に老舗の漬物屋があります。勿論今でも業界トップを走っていますが、私はその会社に23歳のときに裸一貫で飛び込みました。

東京でお菓子の栄太楼という会社に誘われ、その面接を受けていたときのことでした。
知人の紹介だったのでまるでお茶のみ話しのように喫茶店での説明だったのです。 従って栄太楼松坂屋店店長の隣りには専門店街の仲間である漬物屋(本社:名古屋)の店長がそこに同席していたのです。

ひと通りの説明を受け、まったくの余談に入ったときでした。
隣にいた漬物屋の店長がおもむろにこう切り出したことを今でも鮮明に覚えています。
「栄太楼はいいよな!こうして若い人がどんどん入って来るんだから! うちなんか酒粕にまみれて白衣もすぐに汚れてしまうほど、匂いもいろいろで若者なんか寄っても来ないよ・・・」等々
つまり愚痴オンパレードだったのです。
私もそんなもんかな~程度にしかその話に耳を傾けていませんでしたが、家に(居候していた千葉の伯母の家)帰ってなんとその話がとても気になり出し、翌日はわざわざその漬物屋の店長に会いに出かけていました。

S氏(店長)は「うちなんか興味持たなくたっていいよ!栄太楼さんに悪いじゃないか・・・・」と笑いながら更に愚痴を聞かせてくれました。
S店長は名古屋出身で東京へは派遣されて来ていたようです。
私はますます興味を抱く訳ですが、これが私の人生の始まりだったかも知れません。

一生懸命興味を示す私に、「それなら一度名古屋に見学に行って来るといいよ!」ということで2日後くらいだったでしょうか、S店長が新幹線代を払ってくれて名古屋に行くことになったのです。
名古屋での面接は鈴木勝義専務でした。
私の人生は後にこの専務との出会いで大きく変わっていったのです。

面接の後、本社の経理課長に案内されて製造工場へと向かいました。そこで見たものはまさにS東京店店長の言う酒粕の臭い(悪い意味ではなく初めて鼻をついた臭い)だったのです。まるで江戸時代から続いていたのではと思わせるほどの大きな土蔵風の工場も何か新鮮でした。
ここがあの大和屋守口漬総本舗だったのです。 肩書に「宮内庁御用達」が当時看板でした。
製造直売なので犬山の近くにある製造工場から出来あがった漬物の樽が運び込まれ、名古屋のど真ん中にある製品に仕上げる工場で最後は箱や化粧樽に入れられて完成させる場所でした。

当時はテレビドラマを一社で提供するほどの会社でしたね。
何か漬物っていうとそれが会社なら余計あるイメージを持つでしょうが当時は私もそう思っていた一人でした。

確かに、工場では白衣に漬物屋の前掛け、そして長靴。どう見ても若者が選ぶ会社には見えません(笑)
ところが、次に何店舗かの直営店に連れて行って頂いたときでした。
東京の百貨店で見た売り場とは異なり、老舗という言葉がピッタリの店づくり。まるでお着物を着たご婦人が暖簾をくぐってお買いものをする呉服屋さんのようなイメージだったのです。
愛知県知事が会長を担うほど名古屋は漬物の有名なところです。
名古屋名産として、「きしめん」「ういろう」と並んで「守口漬(奈良漬の一種)」は有名な人気商品だったのです。
知識の無かった私はその活気に驚かされました。

若者が嫌がる会社!? S店長の愚痴を納得できる見学が果たして出来たのでしょうか!?

(つづく)

 おもてなしの心 5

「実るほど首(こうべ)を垂れる稲穂かな」

いくら若者でもこのくらいな言葉はどこかで聞いたことはあるでしょう!
勿論、経営者として君臨している人なら一度ならず何度か耳にしたことがあると思います。
昔の偉人(ひと)は本当に的を得たようにうまいことを言いますね。これを例えの格言としたらその意味も十分分かりそうなものですが、恋は盲目のように熱くなってしまった人には冷静に理解できないのでしょうね。

つまり、威張る!威張っている経営者や上司、学校で言えばそうした先輩が現実に多いということです。
まして権限を悪用するなど言語道断ですが悲しいかな本人にはその姿が見えないようですね。
この威張るを紐解いてみると「自分勝手」とも「わがまま」とも受け取れます。
まして、自分が雇ってやっている、自分が教えているという間違った気持の持ち主になど会おうものならたまったものではありません。
少し脱線しますが、最近全日本柔道連盟の不祥事が後を絶ちませんね。これひとつとっても皆さんは体質とか言いますがそれは違います。全て「個」の問題でしょう。
友達が泥棒すれば自分もやるかと言っているようなものでそうはいかないでしょう。なぜなら、人にはそれぞれ理性というものがあって決して負の連鎖に流されないものなんです。
仮に、悪いこと(いじめ等も含め)をやった人を棚卸ししてみて分かることがありますね。
それはいきなり悪いことをするには至らないはずなんです。
原因は残念ながら家庭環境であったり友達関係が影響していることも否めません。

思いやりや優しさの中でいぱいの愛情を受けて育った子供たちが悪い方向へ進むといったケースは非常に少ないはずです(無いとは言えない表現)。
ものごとの善悪は教育で学ぶのではなく愛情で育まれるからです。
ただ、いくらそうした素晴らしい環境で育ったからといって全ての人が明るいわけではありません。
血液型や生年月日で出てくる占いのように、それがもって生まれた性格として身に着くものはなかなか難しい。

素晴らしい子供に育てたいとしたら、「生後3歳でその方向性(能力)は決まる」とさえ言われていますね。
これはほとんど正しいです。
3歳までに徹底して何かを叩き込まれた子供とそうでない子供はその違いが顕著です。
だからと言って、自然の中でのびのびと育った子供はまた別です。梨園という言葉がありますが、歌舞伎のような世界を環境に持つ子供はこれもまた別であることは周知の通り。

それと同じように、そうした中で経営者の質は決められてゆくわけです。
従って、中小企業の二代目といわれる御曹司?は面倒な人が多い(勿論良い事例もたくさんありますが)。
私が考えるに、つまりチヤホヤされて育った子の岐路が問題なんですね。
立派なご両親に英才教育を受けて二代目に引き渡された人も実際に多くいますね。
ところが、この真逆だと全く手に負えません。
つまり、「俺は社長の息子だ!」とそう思っただけで違って来るわけです。
子供が可愛くない親などそういるものではありません。ぐうたらな息子ほど可愛いというのもそのものずばり。

さて、問題はこうした様々な人が従業員(ひと)の上に立つという現実。
今まで紹介した事例は決して良い事例とは言えませんね。 それは「自分が、自分が・・・・」で歩いて来た証拠です。
ごまをすって機嫌をとるなどというケースは五万とあります。
自分(経営者)に反発などしようものなら一巻の終わりなんて話も五万とあります。
つまり、経営ではありませんね!

びくびくしながら本領を発揮できるなんてまずあり得ません。
平均台の上で演技しようとする選手に、「いいか!絶対に落ちたら承知しないぞ!」等では力の発揮のしようがありません。

自己中心的な人物が上に立つと昨今の「日本柔道連盟」のような失態が起きるんです。
立場を利用し何でもやって良いという最も卑劣な人物の集大成がそこにあるだけですね。そこに弱い性格の人間がいたらまさにそれは氷山の一角でしかないも同然です。

如何でしょうか!? それってみんな「心の持ち方」で全て解決できていた出来ごとだと思いませんか?
それでは次回は私自身はどんな職場でどんな行動をしていたのか、その実践編でご説明してみたいと思います。
「おもてなしの心」の一角が見えるのを是非ご期待ください。

(つづく)

 おもてなしの心 4

事例で綴る内容は語りつくせないほど見たり体験してきました。
私が紹介するのは他人の話ではなく、テレビや映画で知った話でもありません。

従って、当然目を覆いたくなるようなマイナスな話しばかりではなく、ほのぼのとした事柄に感銘や感動を受けた事例もたくさん見て来ました。
文字や言葉で、「感謝」とか「真心」「素直」「思いやり」「優しさ」「愛情」等々まさに人としての大切なことはこれもずっとずっとたくさん見たり聞いたりして来たのです。このどれも大切だということは耳にタコが出来るほど理解出来ています。
講演会に招かれて、集まった受講者に何が一番効果があったか!それもやはり実体験に勝るものはなかったですね!

おもてなしの心を語るために、まず紹介したかったのがどうして嫌な事例からかということです。それは残念ですが本当に世の中に多い実態がそこにあるからです。
例えばどうでしょう!?給料が良ければその会社を辞めずにずっと勤められるものでしょうか!? 勿論、中には石にしがみついてでも「我慢」をして勤める従業員だって珍しくはありません。特に日本の場合それを「美徳」とも言われてきたようです。
ところが、職場に対する取り組み方を調べてみると現在話題の中国と日本を比べたらとてもよく分かります。
中国が経済的に発展を続けているというニュースは間違って放送されています。日本の経済が戦後急激に発展を遂げたそのスタイルとは比べものにならないほど大きな違いがあるからです。
中国の若者は良い職に就くために必死で勉強をしています。ここまでは素晴らしいと思えるのですがそこから先はまったく日本のそれとは大きく違います。
つまり、今就業している事業所よりも少しでも条件の良い事業所(企業)があれば簡単に職場を変えてしまうという現実です。
日本の企業が中国に進出し、労働条件を駆使して働きやすい環境を整えます。しかし、極端に言えば10円でも高い職場があればA社員は即その会社に・・・・となるようです。
従ってそこには人情とかいったものは決して重要ではないと言うことです。勿論全てではないでしょう!しかしお国柄かその絶対数がそれらを物語っているようです。

先日当社の若手スタッフとIT関係の話しをしたんですが、最近は日本でもIT産業界の就業の変遷は非常に激しいものがあるそうです。
急激に発展する企業に欠けている何かがあるんでしょうね!分析をすればそんな生易しいものではなさそうです。

こうした背景を踏まえてでも、かたくなにその「おもてなしの心」がなぜ必要なのかを紐解いてみたいのです。

③までは矛盾したケースを紹介して来ました。
残念ながらまだまだたくさんあります。でも不思議なことはその矛盾が殆ど共通しているということです。
実践できない指導者に限って権力で人を動かそうとします。儲けたいが一心で平気で従業員を怒鳴り散らします。
それはその殆どが上手くいかないからです。(これを指導力の欠如と言います)
仕事が上手くいってもそれは当たり前でその従業員を褒めるまでにはなかなかいかないのも事実。たまに褒めたとすればその白々しさから滑稽にしか見えなくなるんですね。

私は、そうした経営者と本当によく戦ってきたと思っています。
だから職場経験は自然と多い訳ですがそれは自身が独立するのに本当に役に立っていました。
そもそも、人(従業員)を使うなどと思っているところから間違っているんですね。
事例の中に勿論良い話しもたくさん出て来ます。究極はそれなら自分はどう実践して来たかをご紹介し、おもてなしの心がどんなに大切かをお話し出来たらと思っています。

 おもてなしの心 3

②での事例は毎週1回そのホテルのイベントに行ったときに見た本当の話です。

こうした間違った教育をする経営者のホテル等は驚くほどたくさんあります。一般には知らないだけです。
湯沢温泉の隣り町にシャトーというスキー場がありますがここも当時はとても景気が良く大きな宿泊施設だけでなく民宿もその賑わいをみせていました。
先ほどはオーナーの指導のまずさでしたが、ここでは大手企業が運営する娯楽施設の一環として営業していたホテルですが、当然同族会社ではなく雇われ支配人(責任者)が音頭をとっていました。
何も知らない人の方が多いので、例えばその施設の運営が悪くなると世間的には景気が云々と言っていたように思われます。
ところが私は幸か不幸かその支配人の悪行を暴いてしまったのです。
私は当時、12月~2月の3ケ月間で2,000万の契約でアフタースキーショー(夜の舞台運営)を受け持っていました。芸能関係(イベント)の契約は契約時に半金終了時点残金といったように取り決めを行います。
半金は当然頂きましたが、残りの1,000万の内200万しか最後は受け取れなかったのです。
何年もの付き合いでしたので「少し待って欲しい」と言われれば、んんんんん・・仕方ないな!とギリギリ待とうとします。ところがいつまで経っても同じ繰り返しに私は東京の本社へ相談に行ったのです。
当然契約書がありますのでその筋を通そうとした訳ですが、結論はその契約の本社許可は1,000万円であったということが判明。ですから本社はその金額を支払おうとはしません。
つまり、私との契約書は偽造され本社には1,000万円であったということです。

ここでひとつ不思議だと思いませんか?本社から残り半額の費用が出なければ一体その支配人はどうするつもりだったんでしょうね。ミスティーでしょう!!??
後で判明したのですが、納入業者からの賄賂や特別室を支配人個人が操作してその利用料金を全て自分のポケットに入れていたという何ともドラマの世界のような話でした。
私が本社へ駆け込んだことで想像を絶する悪行の数々が浮き彫りにされました。
本社としては不祥事ではありましたが、そのことがきっかけで内部が一新できた訳ですから良かったんだとおもいます。  凄い経験してますね~とよく言われました。
そのホテルは当時の私の会社にとっては大切なお客様でしたので疑うどころかそのホテルのためにスタッフ一丸となってお客様に喜んでいただけるイベントを繰り返していました。

私が言いたいのは、前回のコーナーも同様宿泊施設というのはお客様に心から楽しんで頂きたい、家族で、会社でその慰安旅行等を通じてただただ心を癒してあげなければいけないそんな宿(ばしょ)だと思うのです。
旅人は様々なおもてなしに心を癒され感動を受け「また行ってみたい」と思える旅に出会いたいんですね。
綺麗な着物を着て接待しているから良いのではありません。金をかけて豪華にすれば良いものでもありません。
施設が大きくなればなるほど経営者(責任者)の心の持ち方が問われます。
経営者は立派に教育をしているつもりでも従業員にその思いが伝わらないのは、正しくあるべき経営者の心が従業員に伝わらないからにほかなりません。
どこの世界(しょくば)でもそうですが、社員はみな夢を持って職に就きます。

しばらくして経営陣の考えに合わないか従業員同士の人間関係で会社を辞めるケースは五万とあります。

今回の事例は非常に特殊な例に入るでしょう!しかし現実にあった話しです。会社を発展させなければならない支配人がこうした悪事を働いてどうして企業が良くなるんでしょうと思いましたね。

おもてなしは、トップの心でどうにでもなることを当時悟りました。
おもてなしの前に、人は正直でなければならない。誠実さは勿論、心から感謝の気持を抱けたらその80%は合格なんですよね。
こうしたことは、時代がどんなふうに変わっても決して変わるものではありません。

(つづく)

 おもてなしの心 2

「おもてなしの心」、口で言うのは本当に簡単ですが実践するということはとっても難しい事柄です。

①でお話ししたように、各企業はお客様争奪戦で素晴らしいキャッチフレーズを掲げ宣伝したり社員教育をしたりと中身はいつも切実ですね。

あえて私が事例をもって説明するのは、聞いたり見た話しよりも現実性があるからです。勿論会社や実名で紹介することは出来ませんが私のエピソードに着色はひとつもありません。
何回かに分けて紹介しますので「おもてなし」がどんなものでなければならないかのヒントになることを願って綴り続けたいとおもいます。

一般的にですが、特に中小企業のそれも同族的な会社はその善し悪しが極端です。
私が企画制作会社を営んでいるときは語りきれないほど多くのドラマ(事例)に出会ったものです。
勿論、全て「おもてなしの心」というテーマで統一できます。

国境のトンネルを通りすぎると・・・・で始まる湯沢温泉は関東から近く冬はさらにその賑わいを演出し賑やかでした。この地域ではトンネルひとつ手前の水上温泉・伊香保温泉、そして湯沢温泉と老舗の宿を多く抱えた温泉街ですが、当時は(昭和の終わり頃)その競争も実に熾烈でした。
私はいろんなイベントを依頼されそれを仕込み実行する訳ですが、ここでの教育が半端でないんですね。
挨拶の仕方をまるで軍隊調にたたき込み、夜のクラブ(スナック)等での売上げの上げ方など半端ではありません。
得てしてお客様というのはその教育実態を見ることはまずありません。
私は、名古屋時代の約10年間を実際に社員教育に注いで来ましたから経営者の気持は手に取るように分かります。
私との実践の違いは後で述べるとして、まずこの温泉宿の実例を紹介しましょう。
お客様がいらっしゃる30分ほど前に毎日ミーティング(と言っても社長の訓示が殆ど)を行うのですが、このミーティングでまず心の笑顔はすでに消え去ります。
それはその内容がその殆どがノルマを与えるような接客指導で終始しているからです。
飲み物のオーダーを頂くのは当たり前。なんとかオードブルを注文させるような教育。当然そこで働くホステスたちには出来るだけホステス自身が高いお酒を甘ったるい声で、「ねえ!飲んでもいいでしょう・・・」とオーダーするのです。
お客様の中には旅行者ではなく、夜可愛い子を目当てに通う地元の青年もいました。
後で知ったのですが、1ケ月に約20万も使っていたんだそうです(何ケ月もですよ)。高級なウイスキーのキープなど当たり前。

私はその子目当てのその女性に言ったことを今でも思い出します。
「***さん!いつも来ているお客様の***さんね。一般のサラリーマンがこんな金の使い方続くと思う?それに目当ては貴女のようだけど、それほど来たいのなら1日の金額を上手に貴女が教えてあげたら!」と。
勿論経営者には内緒の話でしたが、いくらお客様が若いからと言って、地元のお客様なんだから非常にそのマイナスな営業方法を危惧したんですね。
顔で笑って笑顔で応対はしていますが、極端に言えばお客様からお金を巻きあげんばかりの手法にほとほと嫌気がさしていました。
何故私がそこに居たかって!?私はある時期その店(ホテルのクラブ)の企画を売り込み、2ケ月ほど続いたカラオケ大会の司会を務めていたことがあったからです。
1人のお客様からいくらお金を巻き上げるか!?そう言った手法であったと言っても決して過言ではありません。
まして、旅行に来て高い金を巻き上げられるのです。

わたしが言いたいのは、そんな経営者の下で本当のおもてなしなど出来るはずがないと言うことです。
3時前後になると続々とお客様がチエックインしてきます。女将を先頭に仲居さんが勢揃いし迎える光景はドラマさながらです。
ここでもそのお迎えの仕方を教育されている訳です。
どんなに大きな声でいらっしゃいませを言っても、どんなに精一杯の笑顔をふりまいても「言われたからしている」ではお客様には通じません。
大きくなれば、その施設やお揃いのお着物等に「素晴らしい宿だ」と思わせる錯覚を演出しています。
気づかない経営者はそれが正しいとおもっているんだから始末が悪い。

(つづく)

 おもてなしの心 1

「おもてなしの心」
日本人ってどうしてこうもこういった言葉に弱いんでしょうね。

勿論大切ですし素晴らしいことです。
文字や言葉では「おもてなしの心」すなわち「素直な心」「謙虚な心」「思いやりの心」「尊敬する心」「奉仕の心」「感謝の心」・・・・つまりetc,・・・ですね。

ホテルや旅館などは特にこの「おもてなし」を前面に教育しています。老舗と言われる販売業や接客業は尚更にその意の強さが伺えます。
冒頭に記した「謙虚な心」や「素直な心」等々は心に優しく響く綺麗な言葉ですね。
経営者は、なんとかこの思いやりの心で接客等をして欲しいと経営コンサルタントを雇ってまで指導しようとするんですね。
残念ながらこうした経営者の下ではその殆どが社員や部下にその思いは伝わりません。

今回私はこの「おもてなしの心」について実践編の解説を中心にお話ししたいと思います。

8年ほど前にこんなことに遭遇しました。
当時私が勤めていた会社の前で突然交通事故が起きたのです。社員がハイエースバンの後のドアを開けて作業していたときのことです。ドアの30cmほどが道路に出ていたところへ某引っ越しセンターの車両がガーンと接触し、そのスピードでワゴン車のドアは大破してしまいました。
ところが、その引っ越しセンターの車は猛スピードで逃走したのです。秋の夕暮れでナンバーは確認できません。
通行人の通報で某引っ越しセンターの車両とわかりました。

私はすぐに某引っ越しセンターの番号を調べ電話をしました。大手の引っ越しセンターですから、どの車両が何時頃どの辺を走行している等は明確だからです。
その車両は30分もしないうちにやって来ました。責任者も別の車でやって来ました。
警察が来るまでの間、私はドライバーとその責任者と一緒に会議室で話しの場を設けました。

そのとき出た言葉が「当社のドライバーが嘘をつく訳がない」ということでした。つまりドライバーは当たった記憶が無いと言うのです。
当社(当時)の社員はバンの大破した位置と相手の車両の位置の傷が同じ高さだと言ってきました。メモでそれをもらった私は雑談のように責任者の社員の教育論を耳にしていたのです。
私も20代の頃から店長を務め、職場でのあり方は相当長い年月勉強してきたつもりでいました。

しばらくして警察官が到着し、調べたところ引っ越しセンターに付着した当社のワゴンの塗装が一致したと判明。すると、トラックの運転手は「そう言えばコツンと音がしたような・・・・」と告白。
つまり、出来れば逃げたかったんですね。

結果はそういうことでしたが、残念なことは引っ越しセンターの責任者は疑いをかけられたことにまず憤慨し、詫びる以前に自分の従業員を護ることに終始していたということです。

引っ越しセンターのコマーシャルを見たことある人はおそらくそのイメージを知っていると思います。
「真心が運ぶ・・・」とか、「お客様の気持になって・・・」とか・・・・!
実際に現場で働く従業員にその心が届くって本当は非常に難しいという現実ですね。

私はそんなとき、どうして伝わり実践出来ないのだろうといつも考えさせられてきました。

答えは実に簡単です。
まず、経営者が本当に心からその心を持ち得るかどうかということです。
朝の訓示ひとつとっても、どこかの本に書いてあるようなことを引用するケースが多く実に説得力に乏しいんですね。まして、教育をコンサルタントに頼むこと自体本末転倒でしょう。
(つづく)

 写真撮影の講師 3

シャガ

この花は何の花かご存知ですか!?
そうです。これが「シャガ(著莪)」という五月から初夏に向けて姿を魅せるアヤメ科の花です。この日曜日に鎌倉の東慶寺で見つけました。なんとも可憐で可愛い花ですよ!
多くの新緑に囲まれたその姿にしばらく佇みたい気持分かりますか!?
このお寺の初夏の紅葉がまた木漏れ日を生んでしばらくは別世界へと案内してくれました。
まして鳥の囀りはこれ以上ない効果音で本当に心を豊かにしてくれるんですね! 
ホーホケキョ!・・・ と一緒に

やっと気づきましたか?
シャガはおしゃれ感を漂わせていますが実はとっても恥ずかしがり屋で日陰育ちなんですよ。
私はこの花を見て、シャガって野草ではないのか・・・と思うのですがこの花は花屋さんに行くと種が売っています。

鎌倉を散歩していると借景も手伝って余計それぞれのお花を引き立たせているのを感じます。
前のブログでもお話ししたと思いますが今頃の植物は本当に雨が似合います。
前日の露を含んだ新緑ほど目に優しく鮮やかなものはありません。

この写真を見てホーホケキョって聞えてきませんか!?
カメラ散歩はこのように時期や時間、そして雨上がりと言ったようにそのタイミングが決め手です。

タイミングと言えば最後にこんなエピソードをお聞かせしてこの頁を閉めましょう!
「写真の撮り方を勉強しているときに、ある雑誌(カメラ)にこんな話が載っていました。それはもう30年も前だったと思いますいが、アメリカの経済紙に日本を代表する経営の神様として松下幸之助氏を自由の女神をバックに撮影したいとしたときの話です。超人的なスケジュールで行動している松下氏を拘束できる時間は30分も無かったそうです。そこで、カメラマンは1ケ月も前からその準備に入ったのです。
それは、本番の日が雨なのか、風が強いのか、曇っているのか快晴なのか?それによって写し方が変わるからです。つまり、どんな条件であっても最高の1枚を押さえる大切な作業だったのです。」

テレビカメラのリハーサルに立ち会った人なら経験があると思いますが、例えば歌手がリハーサルで本番衣装は着用しません。しかし、横で本番衣装を持った付き人が居るのです。瞬間カメラマンはその衣装に焦点を合わせ色の調整をしているのですね。
各家庭で常に素晴らしい映像を目に出来ているのはそうした準備がしっかり成されているということです。

一般の人でも、せめて天気予報はしっかり押さえその状況を把握してから出かけるのとそうでないでは大きく違うんですね。
一般的には、プロのカメラマンと違う訳だから専門的(機材等の)な準備は出来ないと思いますが、そうした予備知識が多少でもあるかないかで大きく違うことは確かです。

ちなみに、掲載したシャガの花ことばは「抵抗」「決心」だそうです。
カメラを通じて多少勉強(薄学)にも役立ちませんか!?

専門家ほどの準備は出来ないにしても、気持(こころ)でシャッターを切るんだということだけでも知って頂けたら嬉しいですね。

これから夏本番を迎える今が、植物(新緑)を狙うには最高の季節です。
雨でも、今度の休暇にはカメラ担いで出かけてみませんか? 心が豊かにもなりますよ!

 写真撮影の講師 2

長谷寺1

思いがけない梅雨入りのニュースに慌てたぞ!
もう6月に入ったとは思えないほどの五月晴れと言ってもおかしくない素晴らしい6月の幕開けだ。

外を歩いているとまさに初夏に入ったんだと実感。
今日は大好きな鎌倉散歩とシャレ込んだ。
一直線に向かったのがいつもの長谷寺。 もう境内一帯が紫陽花一色!何度来ても心が癒される場所だ。

本当は雨上がりの新緑が美しいのだがそれでも紫陽花は期待を裏切らない。
日曜日とあってすごい観光客。 ただ、浅草の混み具合とははるかに違う!それは自然が相手だということだろう。 心が癒されるのはそこにあるように思う。

長谷寺2

私の祖父は町でも有名な花咲かじいさんだったことを子供ながらに覚えている。
花に詳しい人は分かるだろうが雪国で花を育てるって非常に難しい。
毎年種を蒔いて育てるんなら問題ないのだが藤の花や牡丹に至っては雪国それも豪雪地帯では非常に難しい。
ところが、当時我が家は花に囲まれた素晴らしい環境であった!勿論祖父のおかげだが・・・・

つまり、晩秋になるとそれぞれの枝をしっかりと木材で囲うのだ(これも雪囲いの一種)。
よく金沢の兼六公園の雪つりという雪囲いを目にしたことがあると思うが、あんな生易しいものではない。
これらの手入れがしっかりできて初めて春に素晴らしい顔を見せてくれるのだ。
子供だったから役にはたたなかったと思うがあのなんとも言えない秋の空気の中でする雪囲い・・・(懐かしいね!)
そして長い期間の雪の中での暮らし・・・・・! そして春が来る

長谷寺の境内での花壇等も雪こそ無いだろうけどそれなりの手入れが行きとどいていないとこうした景観を楽しむことは決して出来ない。
山梨県の富士吉田というところに、やはり素晴らしい自然(花)を観賞できるホテルがある。
「鐘山苑(かねやまえん)」というホテルでクラスとしては高級な部類に入るホテルだが、一泊する価値は十分にある。
私はここのホテルも大好きでおそらく今までに7回くらいは行ったのではないかと思う。
春の桜、秋の紅葉の美しさは日本庭園にふさわしい豪華でどのようにでも心を癒してくれるそんな庭園だ。
裏山そのものを借景にしているから奥行きがあってその深みにさえ酔いしれる。 勿論庭師が常駐しているそうだが常時11名ほど居るっていうからその規模が想像できるでしょう。

私は8月生まれだからじゃないが一番好きな花って言えば向日葵。それでもこうした境内で観る花にも目がないところだ。

植物も、動物も、変わりなく愛情を求めるもの。綺麗に咲いたら、手入れをしている人を想像して正しい。
ベランダの花ひとつとっても水やりを1回忘れただけでそれぞれの植物はふてくされているように見えるからおかしい! でも実際そうなのだ!
まして動物は愛情の無い者には決して近づかない。
そんなことを考えながらこうした植物から「優しさ」みたいなものを教えてもらっているのがよく分かる。

カメラを担いで、その顔(被写体)を写すとき、なぜか独り言を言うようになったのもそのせいだろう!
嬉しいことにそうすることで相手(被写体)はいい顔をしてくれるから不思議だ!
考えてみたら写真を撮るって、愛情そのもののようですよ! ホント!


プロフィール

岡部俊雄

管理人 : 岡部俊雄
チーフ・プロデューサー
演出家

最新記事
月別アーカイブ
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QRコード