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 ゴールデンウィークの朝

たんぽぽ

いつものように隅田川沿いを散歩しているとまるで春の歌が聞こえてくるようでした。
ゴールデンウィーク初日はみごとな快晴に恵まれ、それは初夏を思わせる暖かさ?いや暑さでした。

連休初日は水上を我が物顔で突っ走るモーターボートの群れ!気持ちよさそうでしたね~!たまんないんだろうねあのスピードは!!!

十分準備運動を終えた私は、さあ!走ろうとしたら何とも可愛い子猫の登場についつい自分が夢中になって猫に遊ばれていたんです(笑)
整備された花壇には春の花が咲き誇り、いつまでもそこに引きとめられてしまいそうでしたが、ゆっくりゆっくり春を噛みしめるように散歩の再開。墨田区側の川沿いにまわるとこちらは自然の植物でいっぱい。
この写真は携帯のカメラで撮ったものですが一眼レフを持ってくればよかったな~ ・・・・と独り言・・。

柔らかな春の日差しに照らされたこの1枚をしばらく見てあげてください。
たんぽぽがなにかおしゃべりしているの聞こえませんか?

本当に素晴らしいゴールデンウィークの幕開けですね!

さあ!私も近々カメラ担いで春を撮りに出かけようっと (^_-)-☆


 悲しい嘘

夢に向かって突き進んでいるとき、周りから見るとそれは素晴らしい青春なのだ。特に若者が無我夢中で突っ走っている姿はなんとも美しい!そう思います。

小学生のころ、アナウンサーになりたいと思い続けた少女はみごとその夢を実現させました。子供のころに見たオリンピックの活躍に、私も水泳選手になろうとプールに飛び込んだ。その少女も今年のロンドンオリンピックへの出場を果たしました。
最も有名な話に福島県猪苗代湖近くに住む小さな男の子が誤って囲炉裏に落ちて大やけどを負った。当時の医療技術では難しいとされた大やけども献身的な医師の努力(ちりょう)で完治することができた。男の子は、医師に感動し、その感謝を自らの夢に変えていった。それがあの福島が生んだ世界の野口英世博士なのですね。

人はみな平等に夢をみる権利も自由もある。しかしそれは本当にちょっとした出会い(きっかけ)からが多い。
つまり、それを動機と言う。野球選手などそのエピソードは非常に多い。なでしこジャパンが昨年ワールドカップで世界一になった感動や興奮はいまだに冷めずにいるが、日本中の女の子が勇気を与えられサッカー部に入部した子も少なくないという。

あるきっかけでスタートラインに立ち、夢の実現に向け歩きだすのだが、まだ子供のうちはあくまでそれがきっかけですべてではないことが多い。従ってそこに待ち構えているのが挫折だ。
あきらめるのも続けるのも自由だが、子供たちに対しては大人がしっかりと指導してあげないといけない。
私が応援している舞踊家の波島陽子先生は小学4~5年生の頃、NHKの大河ドラマを見て女優になりたいと思ったのだそうだ。
なりたい!つまり好きこそものの上手でその後自然と歴史にはまり、かなり勉強したらしい。先日愛知県の先生から「平清盛」の振り付けを頼まれたときの話だ。なんとどこかにしまい込んでいた平家物語を引っ張り出してきてすべて読み返しているのだ。「嘘は表現できない」、これが信条なのであろう。そして素晴らしい振り付け作品が誕生した。受け取った先生から心のこもったお礼のメールが届いたという。
そして今、ブラジルから依頼されている作品「阿国舞扇」に取り組んでいる。これは有名な阿国と名古屋山三の物語だが先生は実によく知っていた。歴史に強いって本当だった。完成が実にたのしみだ。
芸能生活25年になる今年だがそれは厳しい芸能の世界でもまれもまれて育ったのだ。
若者がそうした人に憧れを持つのは素晴らしいことだが、すぐにでも舞台に立てるほど甘い世界ではない。そうした努力や勉強を軽んじて役者になりたいと思う若者も少なくないが、役者貧乏と言ってパンと牛乳で凌ぎながらでも頑張る気概なくして決してなれるものではない。
そうして夢を実現した人が礼儀正しいのはすべて修行中のプロセスにある。

自分の決意に背かず、常に感謝の心をもって自らを律し励んでほしい。誰かが何とかしてくれるなどとんでもないことだ。夢に向かうのは自分自身だということを忘れず、応援支援して下さる人に心からの感謝をもって応えてほしい。

私は常に信じていることがある。
つまり、物事はすべて思うことから出発がある。簡単に言えば、「あれを食べたい」と思うから食べることが出来る。「あそこに旅行したい」と思うから実現する。よく、見たいと思っているのになかなかその映画(さくひん)を見れないでいる人を見かける。見たいと思っても見れないじゃないかと反論した人がいましたが、それは大きく違います。つまり見たいは惰性で本気ではないということです。
朝の散歩やジョギングはまさにその典型です。「よしやるぞ!」と思ってもできないのは、つい口から出まかせで誰かにそう言ったにすぎません。厳しい言い方をすればいい格好をしたかっただけと言われても仕方ないでしょう。本気とはそんなものではありません。
私は「好き」と言うような言葉(はつげん)でもみな本気で口にします。言葉遊びは無責任だからです。相手に本気(すき)で当たることが出来たとき、それはどんな間柄であっても生涯の思い出にしっかり残るようなエピソードにきっとなると信じています。
夢をもって進むとき、決して中途半端でない毎日であって欲しいと思います。憧れはあくまでも憧れにすぎません。しっかりとした自分を確立できたとき、そこにいつのまにか周りから憧られている自分に気づくことでしょう。
自分では気づかない「調子の良さ」は必ず身を滅ぼします。
常々若者たちには、目標(ゆめ)に向かってあくなき努力を積み重ねて欲しいと心から願っています。

私がいま幸せなのは、そうした若者の夢の実現へのお手伝いをしているからだと思っています。
弾むような笑顔に出会えるのはみな本気だからです。
人を愛することも、夢の実現に向かうことも中途半端が一番罪です。
自分の心に決して嘘をつかないことです。悲しい嘘がみな夢を砕いてしまいます。やるのは自分だってことを決して忘れないように。
素晴らしい出会いに恵まれるのもみな本人の心掛けひとつだということを知ってほしいな! 

 負けるな若者たちよ

震災や不景気等々、若者にとって今年も就職活動は厳しかったようだ。

政治家に期待したいことも多々あるが、現状を見るかぎりにおいては体たらくな政治家のオンパレードばかり。
金バッチを着ければ何でも出来るとでも思っているのだろうか?
言い尽くせない内容で国会は空転続き、小沢一郎議員の無罪判決も更に国会の空転を招きそうで情けないばかりだ。つまり、骨のある人物が不在だということであろう。これには有権者にも大いに責任がある。従ってせめて次回の総選挙では今から良く調査し本物の政治家を選んで欲しいと願わずにはいられない。

あの震災があって1年。のど元過ぎればでは絶対あってはいけない。
私の周りには多くの若者がいるが、みな目標(夢)をもって頑張っている。勿論内容はそれぞれだが、夢に向かうことは素晴らしいことだ。それぞれの夢を叶えるためのお手伝いができればと私に出来ることは頑張っているが、それでも限界がある。だから政治家に頑張ってもらわなければ困るのだ。

中には、自分のことでいっぱいな余裕のない若者も少なくないと思う。そうなるとどうしてもギスギスしてしまう。これもまた大人たちの出番なんだろう。
とにかく、私も含めて大人は経験が豊富なのだ。その経験をかみ砕いて指導してあげたら良いはずだ.
よく言われる「昔自分が若かったころは・・・」ではなく、夢に向かったときのあの勢いや実行力、そうした内容を時世に合わせて説いてあげればよいのだ。
常識のない子などと嘆くのではなく、教えてあげたら良いだけだ。しかし、若者に大切なことはここで聞く耳や感謝の心、すなわち素直に解釈する心根を持ち得なければ先輩や恩師の経験は生かされない。

丁度1年前だったと思う(2011年4月21日)。あのキャンディーズのスーちゃんこと田中好子さんが逝ったのは。大震災でかき消された感はあるが、夢と感謝でつづられたメッセージにもらい泣きしたことがつい昨日のようだ。

彼女のドキュメントの中でこんな言葉が流れて印象的だった。

     悲しみを分け合うと苦労は半分になり
              喜びを分け合えば倍になる


どんなときにでも言える名言だと思う。

人を好きになり、心をときめかせて寝て起きることの毎日は本当に素晴らしいことだと思う。
人は心で動いて(生活)いるんだと思えば考え方や行動は自ずと違ってくるはずだ。
若者を応援したい大人もたくさんいる。未来のヒーローは大人なくして誕生はあり得ない。
「もっと生きたかった」「もっとお芝居したかった」・・・と55歳でこの世を去ったスーちゃんの叫び。
生きている我々が、悔いのないよう力強く歩こうではないか!

復興に少しでも役立てるのは、まず自分を確立させることからであろう。
これからは日本にとって素晴らしい季節がやってくる。あなたの感性を更に育てるためにもこのゴールデンウィークを是非活用してほしい。
ここでも、あそこでもきっとあなたの行くところ笑顔が待っているはずだから!


 ふきのとうに笑顔満載

ふきのとう

今年もまた故郷雪国から春が届きました。
「宅急便で~す」 なぜか配送してくれた人の声まで弾んでいるようで、それだから春は好きですね!
私は夏男でひまわりが大好きなんですがやはり春の方が深い思い出ばかり。
それはきっと雪国育ちだからでしょうね。私が子供のころは(高校生くらいまで)今とは比べものにならないほどの豪雪で、12月から4月の中旬までは雪の洞穴に住んでいたようなものです。
キャンディーズの歌に「雪がとけて川になって流れて行きます・・・・♪」云々とありますが、その情景がとってもよく理解できてよく歌ったものです。

子供たちが、2メートルくらい掘った下から土にたどり着く。その穴を何個も作ります。そうすると春に土の広がりが早くなるんです。
ひなたぼっこをしたくなるようなポカポカ陽気になると子供たちはこぞって線路や川原に向かいます。
そこには今か今かと待ち望んでいた草花もたくさんひなたぼっこをしているからです。
そこでよく見るのがこのふきのとう!
だからふきのとうは春の象徴なんです。本で観たりしたのではなく、実体験で過ごしたこの何とも嬉しい春は雪国の人間でないと想像がつかないんじゃないだろうか!!

都会に出るようになってからです。故郷の懐かしい春を語るのに、実家からふきのとうが送られてくるようになったのは!今ではその両親も亡くなってしまいましたが、兄弟から引き続き毎年送られています。
てんぷらにしたり、味噌和えにしたりでしたが、あるとき私が考案した惣菜(?)が大当たりし、大好評を得ました。 あれから何年も何年もこの時期になるとこの和えもの(料理)を作り知人に分けています。
スーパーに卸すほどの量が送られてきますが今日も出来たてを宅急便で12件ほど送り。あとは手渡しです。
結局手元にはいくらも残らないのですが喜んでいただける分春の日差しが増してくるように思うんですね。

おかげで両手はしっかりふきのとうの匂い(笑)です。
大根おろしと一緒に食べたり、お豆腐に乗っけていただくと・・・・んんんんんん~・・・・・考えただけでよだれが出ちゃう(^_-)-☆

さあ!おしゃべりしてないでお風呂上がりに一杯やりながら戴くとしようか!!

 粋な別れ 

昨日は出会いに触れたが春はその前に別れがあることもこの時期の光景(とくちょう)だ。
会うが別れのはじめと歌にある通り、本当に身にしみてよく分かる。 一昨日、若者のアパート探しに立ち会ってあげたが、その若者もまた3~4年勤めた会社を離れ新天地を求めて行動していたのだ。
初めての部屋探しらしく今いち要領をえないところもあったがそこがまた初々しい。ただ、ここで大切なことに気付いた。
勿論自分のことで頭がいっぱいだから余裕がないのも分からなくはないが、後でそっとメールを送ってあげた。
会社を辞め、同僚や上司、また仲よしとも別れて都会に飛び込んでくるわけだが、世話をしてくれた不動産会社の担当者に対する心構えみたいなものを説いたものだ。
引っ越すということで出会った不動産会社の担当者。ここからすでに出会いが始まっているということだ。若者は性格も良く決して心配のないことは分かっているが、一時的にでも会う人の大切さを伝えたかった。
部屋が決まれば二度と会わない人なのかもしれない。人間というものは不思議なもので、心から感謝の気持すなわち礼を尽くせば今後に必ず活かされる心の持ち方なのだ。
私はどちらかというとそうしたきっかけで出会った人を大切にする方で後々良い結果を生むことが多かった。

まったく違う例かもしれないが、昭和の歌、つまり歌謡曲や演歌が今なお歌い継がれているのは、そこに人間味が十分あるからだろう。

石原裕次郎の歌った「粋な別れ」という作品がある。この作品は故・浜口庫之助さんの作詞作曲でとても渋いが味がある。

  【粋な別れ】
     生命(いのち)に終わりがある        生命に終わりがある
     恋にも終わりがくる             恋にも終わりがくる
     秋には枯葉が 小枝と別れ          はかない生命は切なくもえて
     夕べには太陽が 空と別れる         どこか消えてゆく 煙草の煙
     誰にも涙なんか               恋の行方なんか
     流しはしない                わかりはしない
     泣かないで 泣かないで           追わないで 追わないで
     粋な別れをしようぜ              粋な別れをしようぜ


誰もがみな経験すること。別れには「出会い」というプロセスなくして決してありえない。
粋な別れも、出会いを大切にしてこそ出来るもの。
自分のことしか考えていないようでは決して粋な別れなど経験しようがないと思って正しい。

私は最近夢のような感性の中で心が癒されている。 感性とは人間としてもっとも大切な感じ方にあることは分かっている。しかし、これが共有できるとなると大変な財産だと思う。
その人に一番合った優しさなどまさにそこからしか生まれて来ない。これは、そうしようとして出来るものでもない。
仮に、出会った恋人たちが、感性が合わずして別れるのは極正しいものだと断定できる。

紹介した歌「粋な別れ」は、もっとも昭和の匂いのする作品のひとつであろう。
この歌はまさにブランディーやウイスキーが似合うのは何も裕次郎のせいおばかりではない。
作者の想いがそのまま伝わってくるようで懐かしい。




 日本の美しい出会いの季節

つい先日ピッカピカの1年生の記念写真を見せていただいた。
ただただ輝いて、数え切れない笑顔が弾けるようだった。見ている私まで心が躍るから不思議だった。
桜前線も北上し、昨日は東北から生中継で生き延びた桜が映し出されてそれは素晴らしい情景だった。
春、それも桜は日本人が最も身近に人生の節目を経験するとき季節の花として見守ってくれていた花なんだと思う。
初めての入学式は父さんも母さんもみな若かった。初めての息子や娘の入学式であれば尚更に両親にも大切な思い出として心に残っているはず。
しかし、昨年の東北に桜はとんでもない記憶を残してくれたものだ。一年生に上がる息子や娘の命を奪われたご両親。そうかと思うとご両親を奪った津波によってこれらの桜は今後子供たちにどんな印象(おもいで)として小さな心に刻みこまれていくのだろうかと思うと実に切ない。

そうした人たちは、桜を観るたびに言いようのない悲しみやつらさが押し寄せてくるのかもしれない。
しかし、1年も経つと、決して忘れたわけではないが宝塚の合格発表や全国の初々しい光景が送り込まれてくる。
そんなとき、ふと東北の今が頭を過ぎる。
その桜前線もあと少しで北海道に到達しそうだ。桜の花は暖かさとともに見事に咲いてパッと散ってしまう。
来年を楽しみに見送った人も少なくないだろう。満開の下をゆっくりゆっくり歩くだけで、なんて幸せなんだろうと思わせてくれるのも桜ならではだ。

今年は穏やかな天候の下で思い切り心に焼き付けることができた。まもなくゴールデンウイークに突入するが、こちらもまた五月の若葉が一番美しい時期が待っている。
今年桜を見損なった人は「若葉」を追いかけるのも素敵だと思う。目に優しい若葉の奥に降り注ぐ木漏れ日はまた格別だから、是非カメラ担いで出かけてほしい。
それがどんなに素敵か、そこに足を運んだ人にしか味わえない。日本の四季の素晴らしさは青葉だけでも味わえます。

自然の植物と出会うのも春の楽しみのひとつだと思うよ!
今年は意識してカメラに収めてご紹介しましょうね。 

 スカイツリーまもなく開業

スタンバイ

東京の桜もほとんどがその姿を消しました。勿論、ほんの少しは残っていますが、それよりいよいよ東京スカイツリー開業の準備も最終章に入りましたね。
今夜隅田川をデートした人たちは最高の光景を目にすることが出来てラッキーでした。
点灯のテストを繰り返し繰り返しやっていましたから今夜はそのほとんどを観たことになりますね!
「雅」と「粋」を同じ日に観れるなんてなんて幸運。
実はひょんなことから自宅のベランンダに出たらそれは素晴らしいイルミネーションでした。
ここではまずい・・・・とさっそくカメラ片手に息を切らしながら走った走った。本当はベランダで観た照明の方が綺麗でしたが、それでも何景か観ることができました。隅田川の河川敷も結構暖かく、すっかり春になっていました。
整備された堤防は素晴らしいデートスポットに変身し多くの人でしたね。綺麗になったこの河川敷はこれから夜の散歩には最高です。

一面曇り空でしたが観ている人の顔はそれぞれ輝いていました。新しい幸運のシンボルになるかもね!

 桜を楽しめた暖かな朝

和洋コラボ

浅草寺内にこんな素晴らしい庭のあることご存知でしたか?
しだれ桜と五重塔、完成した東京スカイツリー!なんと素晴らしいコラボレーションでしょう!
写真で観るのと実際に目にするのとでは大きな違い。心を洗われるような美しさにただうっとりの連続。

歓喜

隅田川だからこその瞬間ですね! スカイツリーだけ写すのであれば冬がきれいなんですが、春だからこそのかすみの中のツリーは銀色に見えて幻想的でもあります。
ポカポカ陽気にぴったりなショットを押さえることができました。
なぜか、幸せな気分になれるからふしぎです。

桜1

ビルのガラスに写ったスカイツリーはとても人気スポットでカメラマンの多いこと。
同じ桜を、同じスカイツリーをいろんな角度で楽しめてまさにこのわくわく感が春なんですね!

声を大にして言いたい(^_-)-☆  浅草においでよ! ・・・・・と (^O^)/

 田中直樹防衛大臣・・・「ああ!もしもし・・」

永久保存版

この予算委員会の模様をどれだけの人が目にしただろうか?
防衛大臣のいつにも増してのグダグダぶりはとうとう来るところまで来たと言う一こまだった。
事件は防衛大臣の答弁で起きた。

答弁席に立つなり「もしもし」・・・・と、何処からどう聞いても電話応対の時と同じ調子で発音したからたまらない!
第一委員会室が爆笑の渦に巻き込まれ三原じゅん子さんなんてバカ受けでひっくり返って笑っていた。それが止まらないのだ。質問者も次の話に移れないほど噴き出している。何度も国会中継を見ているがこれほど与野党揃って平和で仲睦まじい光景(笑)は初めてだ。
つぼにはまった質問者と三原じゅんこさんは涙まで流して笑い転げる始末。勿論あの映像に笑わない者は皆無だろうと思う。
まるで電話に出て話すあの口調で、「ああもしもし・・・」とやられたらどうすることも出来ないだろう。

北朝鮮がミサイルならぬロケット打ち上げに対する質疑の最中、緊張感がないというか集中力に欠けているというかまったくもってお粗末な茶番劇だった。
質疑の内容はともかくとして、この緊張した状況の中で防衛大臣としてはあまりにもお粗末すぎた。

身の程をわきまえないと言うか、それほど大臣の椅子にしがみついていたいのだろうか?国の防衛を預かるなんて爪の先ほどにも感じられない。 自分より優れた者に職務を負かすのも人間としての決断、勇気だ。
こんなことだから何年経っても国は変らないのだ。
自らを犠牲にしてまでもあの大震災に救助に向かった若者の方がよほど国の役に立っていると思うがどうだろう!

今、一番大変で一番大切な時なのだ。もしもし、しっかりしてくださいよ!田中くん!










プロフィール

岡部俊雄

管理人 : 岡部俊雄
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