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 波島陽子里帰り公演

 
湯沢(秋田県)公演のご案内

ポスター写真

秋の公演のポスターが完成しましたよ。 評判が良くて良かった ♬

今回は波島陽子が生まれ故郷へ里帰りしての舞台。 お弟子さんも大挙して舞台にあがります。地元を愛してやまない波島らしい企画に多くのみなさんから称賛を頂いています。
今回は、湯沢を守る阿部さんの心意気に打たれての舞台。湯乃華芸妓の皆さんとの合同公演に期待は高まるばかり。

舞台にお座敷が再現され、観客の皆さんもお座敷を楽しめるという画期的な舞台になります。
すでに全国から多くの波島フアンが集まってくれるとの情報! このポスターを見てやっと実感が湧いて来たんじゃないでしょうか!

チケットのお申込は勿論波島陽子のホームページからメールで求めることが出来ますのでいつでもご一報ください。

湯乃華の皆さんの踊り。そして波島一門の踊り、それに新舞踊界の歌の女王といわれている「相原ひろ子」さんが友情出演という」豪華版になりました。
錦秋に、そして芸術の秋を彩る花舞台。 私までもがなにかソワソワして来ましたよ。10月なんて本当にあっという間にやって来ます。東京オリンピックが終わったら今度は日本舞踊の祭典ですね。

楽しみにしていてください。



 波島陽子の魅力にふれて


 稀にみる時代劇の最高指導者
花魁指導

波島陽子の名が世の中に飛び出したのは平成19年。 それまでは淺香光代師に師事し「森陽子」として時代劇の舞台を踏んでいました。「森陽子」と聞くと懐かしいそうですが今やすっかり「波島陽子」の名が定着しましたね。

小学校の頃から時代劇が大好きで、この思いは変わることなく20才前半になると上京し淺香事務所へ。
先見の目があったようですね。 今でこそ大衆演劇も多くのみなさんにその華やかさを支持されその影響を受けて日本舞踊を習いたい・・・と波島の門をたたく若者も少なくありません。

しかし、淺香先生の魅力は本当に日本一と言って良いほど色気があり華もありました。おそらく淺香光代を知らないものは居ないと言っても過言ではなかったでしょうね。
そこで波島は舞台のイロハを全て学びました。
先生の作品は長谷川伸先生の作品が多く日本中を驚かせ楽しませたものです。私も「瞼の母」や「一本刀土俵入り」を観た一人ですからね。

先生のその指導は今では考えられないほどの厳しいものであったはずです。波島にはそれが良かったんでしょうね。衣装の名称・衣装の管理・小道具他時代劇の基本。こんなに身近でここまで先生に直接教わったお弟子さんはいないのでは・・・と思えるほど。
自らが飛び込んだ道。諦めることなく日舞にも汗をかき、師範となりとうとう家元まで創流してしまいました。

昨今の時代劇を観てもどこか薄っぺらに感じるのは、全て「基本」がなっていないということでしょう。
中には、例えば「新橋演舞場で花魁をやるのでそのしぐさを教えてください」・・・とやってくる若者等々も毎年少なくありません。聞くとまったく日本舞踊の心得も無い・・・・!!!そうした若者が多いのです。
付け焼刃という言葉がありますがそうして日本の文化や伝統は失われていくのですね。

テレビのCM・時代劇等の指導にときどき呼ばれて指導に行きます。 いつも間近で見ていてそれが当たり前になっていますが、実際に女優たちの指導を施している姿を見ると身震いさえします。「美しい・・・・」と思う瞬間です。
大袈裟ではなく、日本の宝ですね。
こうしたことを文化庁等々は知っているのだろうか・・・ときどきそうも思います。

リハーサル

昨日は本物の時代劇を創りたいという仲間の応援でまもなく始まる時代劇の指導(通し稽古)に波島は出かけました。

指導をして思う事。 それぞれがみな役者志望だけに「やる気」はあるんですね。しかし、その作品の為だけに振付指導を受けてもなかなか仕上がるものではありません。
波島教室へ真剣に日本舞踊を習いに来ている役者さんも少なくありません。でも、彼ら彼女等はラッキーだと思いますね。習いに来た限りは基礎から徹底して指導しますからね。

確かに本物の時代劇は美しい。本物って表現は少し問題がある・・・という人も居るかもしれない。それは問答無用ですね。
波島は、日本の心を表現できる第一人者と言いました。 そうなんです。踊りは心で表現するものです。伝統的な着物での仕草。これは外国人では無理に等しい。それが日本の心です。
思いやりであったり、謙虚さだったり、また優しさであったり思慮深かったり等々、口では表せないほどの日本人の「血」とでも言うのでしょうか!?

波島の名言に、「優しい心・思いやる心・・・・、そうした心に羽織るのが着物です」という下りがあります。
それが証拠には、どうでしょう・・・・・、七五三等で可愛い振袖をまとった女の子がほとんどおすまししているのは何故でしょう。これこそが日本人の血なんでしょうね。

だから、自然と素晴らしい挨拶も身に着く!!魔法のようなものです。
しぐさにはその人の心が写されます。 従って嘘はバレるということでしょうか!? 昭和の時代に時代劇の東映の黄金時代がありました。娯楽大作であってもなにかホッとする・・・・。これが日本の心をみた観衆の反応なのでしょう。

昨日、私も舞台の指導に立ち会いました。まるで魔法のような指導。「ああ!この若者たちが日本舞踊を習っていたら、どんなにか素晴らしい舞台になるだろう・・・・」と。
時代が時代なのか、なかなかある一線を超えた厳しさを放つ訳にいかない現場があります。
「だったら、役者を辞めな・・・」といいたくなることもあります。日本を遺して欲しいからね。

波島は究極を求めて35年。 素人が立つ舞台(発表会)なのに感動を与えている!! 魔法です。
こだわりがあって、信念があって、日本の心を大切にするエネルギーこそ波島を支えているんだと思います。

今年は芸能生活35年を迎えました。 みなさんのお力をお借りしてその記念の舞台をふるさと湯沢(秋田県)で幕を開けることになりました。
一緒に出演するお弟子さんたちは本当に恵まれていますね。素人でありながら、プロの仕掛けた舞台に立てる!!
波島は「一生懸命頑張っている人にはチャンスをあげたい・・・」。常日頃そうつぶやいています。

江戸は浅草で頑張っている一人の湯沢出身者。 県民のみなさんは是非自慢してやってください。
そして、是非一度この素晴らしい波島の舞台を観てやってください。

その日が楽しみですと多くのメールが届きます。  嬉しいかぎりですね。




湯沢市ふるさと 応援大使に

 湯沢市ふるさと応援大使を拝命 
 湯沢市川連町出身
波島陽子


T-1 OK

本日、湯沢市役所(秋田県)から一報を頂いたときはびっくりしました。 「昨日(1/9)付けで令和2年の湯沢市ふるさと応援大使に波島先生を任命いたしました」・・・と。

ずっとずっと故郷を思い、ふるさとを愛し続けてきた波島にとって、だからと言って特別なことができる訳でもありませんが、これを機会にまた特別な思い入れでこの1年を過ごすことでしょう。

波島陽子は女剣劇の師「淺香光代」先生に鍛えられ、今日このように活躍しております。
小学校の頃からお芝居が大好きで、将来は舞台女優になりたい・・・・と思い続けて、一度は地元の会社に勤めてはみたもののどうしてもお芝居をしたいと諦めきれず淺香先生の事務所に飛び込んだそうです。今考えると本当になんてラッキーなと思う点がたくさんあります。

昭和の匂いがしばらく続いていた平成最初の頃まではバブルで本当に多くの仕事(ぶたい)に立てたことです。あの当時の女剣劇とは言いますが時代劇フアンならご存知「長谷川伸先生」の作品が殆ど。 その人気は全国に轟き淺香先生を知らない人は居ないくらいな看板役者でした。
芸の厳しさは言うに及ばず、ここで学んだ財産は波島の宝になりましたね。 淺香先生を選んだ波島は正解です。現在、波島を慕って頑張っている女優のたまごがいますが、少しでも先生のそばにいたい・・・と岐阜から上京した者。また浅草に越して来てまで教えを乞いたいと頑張っている者。どこか、若い頃の波島に似ているような気がします。この行動もまた大正解です。本物の芸を身をもって学ぶ。今ではこんな機会はなかなか無いでしょうからね。
そんなお弟子さんに、若い頃を思い出し本気で指導している姿、最近なかなか見ない光景です。そのお弟子さんこそ幸せですね。

平成の初めの頃の波島のどん欲さが分かります。「覚悟」をもって歩き続けた者にしか経験できないことを語り尽くせないほど波島陽子はもっています。
加えて、芸を学べば学ぶほど日本舞踊の重要性を知るわけです。 人生の分かれ目と言っていいくらいな出来事がここでやって来ます。学ぶ日舞の美しさへの追求です。暇をみては、花柳流に西川流にと日舞のお稽古を欠かさず自分磨きに没頭したようです。

舞台は日本全国津々浦々と言いますが、主要都市の大舞台は勿論、全国の舞台を延々と回ったわけですね。
舟木一夫だったり小林幸子だったりその他数えきれないほどの共演の経験も、淺香先生だったから出来たわけですからね。
先生がお元気だったので海外公演も凄かったようです。 本人の努力も勿論のこと、先生に代わって振付けまで。現在、全国の舞踊家さん(新舞踊愛好者)たちからとてつもなく多くの振付作品を求められるのは誰にでも真似の出来ない不思議な美しさを表現できることです。先生が女剣劇の主役を張っていただけに男物作品は更に見事です。

今回、秋田公演(湯沢)を観る観衆のみなさんは淺香光代譲りの素晴らしい舞台を観ることが出来るわけですね。
かっこいいだけでなく品がいい・・・と大絶賛受ける舞踊家はそう居るものではありません。

いつかは・・・・、いつかは・・・・と故郷の舞台に上がりたいはまだまだ先と思っていました。
ご縁を頂いて湯沢湯乃華芸妓のみなさんとご一緒出来る舞台。 頑張っていたからこそこのチャンスに巡り合えたんですね。波島はその魅力を遺憾なく発揮してくれることでしょう。

私が昨年初めて湯乃華芸妓の舞いを目にしたときの感動は今も忘れません。 芸妓さんの不思議な魅力に出会い、即来年一緒に舞台をやりましょうと意気投合しました。
帰って波島に話すとそれは大喜び。 私は思いましたね。 地元湯沢を離れずふるさとの為に頑張る主宰者阿部さんの心根。どこか波島に似ていました。当の波島は江戸は浅草で花開かせていた‥‥。まるでドラマのような話です。


T-2 OK

秋の公演のタイトルを「粋と艶との花舞台」としました。

生粋の江戸っ子を・・・と弁天小僧をやらせても、女鬼龍院をやらせても、愛好者から「ほれぼれしますね・・・・」の連呼。

かと言って柳橋や京都の芸妓を踊らせても実にその振りは美しい。 
芸能生活35年が、故郷湯沢の舞台に立てるとは、「待ってました」の声が今から聞こえそうです。
浅草の公会堂等では何度も舞台に立った波島が今度は湯沢市応援大使としての故郷里帰り公演。

多くの全国各地の振付作品愛好者や、80余名もの浅草教室のお弟子さん・生徒さんが今から秋の公演に向け飛行機の予約をしました等々。家族で行きます・・・の予約。すでにふるさと応援大使として動き始めていました。

本人は至って控えめで謙虚な性格ですからもの静かですが、秋の舞台にかける意気込みはまさに35年の集大成です。
30周年の舞台(浅草公会堂)がそうであったように、舞台を目にしたお客様の興奮が目に浮かぶようです。

観ないと損という言葉がありますが、まさに日本一の新舞踊をお見せすることでしょう。
日本舞踊の舞台ですから、勿論古典物や素晴らしい日本舞踊に大いに酔って頂きたい。 私の演出の集大成にもしたいと思っている舞台です。

ふるさと応援大使なるものを拝命し、本人が一番驚いていることでしょうが、江戸で活躍する波島ならではの応援大使だと思っています。

波島を応援する人の数の多さ!!  楽しみにしていてください。

波島陽子を応援してくださることそのものがふるさと応援大使のように思えてなりません。






  波島教室のお稽古始め

  いよいよ2020がスタートしました

新年1

感動的な幕開けでしたね2020は

都鳥もさすがにお正月気分を楽しめたんじゃないでしょうか!? 「言問橋界隈にいるカモメを“都鳥”と昔の人は言ったんですよ・・・」といつか説明したことがありましたね。
私も元旦からカラオケで「隅田川」を歌ってみました。やはり江戸浅草は本当に情緒がありますね。 一緒に戯れることが出来ますもんね。
嬉しいことに今日(6日)までまだこの通りのお天気です。 今年初めての散歩ジョギングに昨日出かけてみましたが、隅田川は嘘のような好天。素晴らしい年の予感を身体中に受けてなんとも幸せな新年です。

今年は波島陽子の芸能生活35周年の節目の年で本当に多くの舞台が待っています。
そんなことを考えながらゆっくりゆっくり歩を進めるといろんな光景に出会います。 考えてみれば一昨年はヘルニアで100日も歩けなかったんですからね・・・・・。あの激痛に耐えていたかと思うとまるで生まれ変わったようです。

リハビリも順調に進んでいる中、秋田の話があり出かけたのが昨年5月。 ここでの出会いは更に回復に拍車をかけました。まだプールへのリハビリを続けていた最中でしたから・・・。
つまり新しい元号誕生とともに湯沢公演が決まったわけです。

令和にゆかりの坂本神社(太宰府)の御朱印を頂きお守りまで手に出来た私には出来すぎた令和の始まりでした。
私の為にとわざわざお弟子さんのお母さんが多くの御朱印を頂いてくださって私の令和がスタートしました。いつも思うのですが、人間は本当に一人でなどなにも出来ないのです。
多くの人の支えがあって今がある。 平成の初めに出会った「相田みつを」の作品。両腕・両足がダッソという病で子供の頃から壮絶な暮らしを余儀なくされた「中村久子」さん。このお二人の作品に出会ったのはまだ殆ど世に知られていなかった時期。
中村久子さんの遺品が保存されている岐阜高山「真連寺」を尋ねたのも平成の初めでした。ここで学んだのが「生まれて・生きて・生かされて」・・・・でした。
まさに人生ってそう言うものです。 謙虚であって感謝できる心、それでいて日本の心を代表する昭和の時代。そのままそうした素晴らしさを持った波島陽子に出会ったのが平成13年でした。
ここで淺香光代師に出会って私の集大成となった訳です。 人生はどこで何があるか分かりませんね!?

ここで私の決心は決まりました。 当時は「森陽子」として全国の舞台で活躍していた舞台女優を日本一の指導者に育てたいとプロデュースを買って出て誕生したのが「波島陽子」でした。
教室のランキングが1位になったのも、今まで体験して来た事。 学んで来た全てが今のプロデュースに全て繋がっているんですね。勿論成長し大成した要因は波島陽子の心の持ち方とその技術でした。 どんなに形が決まっても「天性」には及びません。
その天性も持ち合わせていたということでしょう!!

そんな中、ご存知のように昨年も大変な自然災害で日本各地が大きな打撃を受けました。 ずっと前から近年は恐怖にさえ感じるほどの地球の変化に頭を抱えざるをえません。
のど元過ぎればなどと悠長なことは言っていられませんよ。 それだけに、今できること、今やらなければならないことをしっかり整理して1日1日を過ごさないと・・・・。

私の周りにも年齢と共に体の衰えであったり節々の激痛と闘っている人が少なくありません。 でもね、気持ちで負けたらダメです。どうぞ今年は、明るい気持ちで1年を過ごしてみてください。間違いなく良いこと嬉しいことが待っています。


新年2

波島陽子日本舞踊教室の舞い初めは昨日5日でした。

何人ものお弟子さんが朝から元気な顔を見せてくれて令和2年最初のお稽古となりました。

秋に大きな舞台が控えているとあってみなそのまなざしは新年から輝いていました。
先生の故郷へ行ける喜びも伝わってくるなんとも嬉しいお稽古始めでしたね。

嬉しいと言えば、全国各地から「10月を楽しみにしています」の年賀状 ♬
もっと驚いたのは「もう飛行機の予約を済ませました・・・・」!!!  嬉しい嬉しい!!

悔いの残らないようその舞台を目指して猛特訓猛稽古に励んで欲しいですね。

地元の芸妓連の皆さんと一緒の舞台(きかく)、ある意味本当に画期的な企画です。

心が晴れ晴れするような舞台をお見せするために総力を挙げて準備したいと思います。







 令和2年の決意

波島流家元 波島陽子
芸能生活35年の幕開け


新年-1

新年あけましておめでとうございます
令和2年も皆様にとって素晴らしい年でありますように

いよいよ記念すべき東京オリンピックの年ですね。 令和と聞いてから、とっても日本的な元号であることを感じておりましたが、いつものようにの繰り返しも特に昨年は嬉しいことの多い年でした。

私の故郷新潟も昔は3mも4mも積もったものです。 それが昨今驚くほどの積雪で除雪はすると言っても普通に車が走るんですからね!
楽しみと言えば家族団らんの紅白歌合戦から各家庭揃ってのこたつを囲んでのお正月。
コンビニが正月休んだら都合が悪いと叫ぶ主婦がいるとか居ないとか・・・!! 家庭料理で育った私は良い時代の少年時代だったなとそのころの温かさが目に浮かびます。

人の心が見えなくなって平成が終わりました。 それだけに「令和」という時代は何か温かさに期待して止みません。

ご縁を頂いて昨年何度か秋田県湯沢市に足を入れました。 不思議な嬉しさは言葉に出来ないほどでしたね。勿論、便利に越したことはないですが、もう便利はいいでしょう。

観ていてください。その内家の中までのぞき見できる日がやってきます。

宇宙戦争なるものも決して夢でなくなり地球崩壊なんてことになりかねない(涙) 自分が中心の風潮は輪をかけて膨らみそして恐ろしい時代へと突入する。

正月早々縁起でもない話かもしれませんが、それだけに何事も他人(ひと)任せにするのではなく、正しい人としての在り方をもう一度みつめ直し、心の通い合う人情味豊かな日本(地球)にしたいと思いますよね。

湯沢に行って改めてそう思えたのは、まだまだ温かなところがあるということです。
政治家も会社のトップも、悲しいかな結局自分の得になることを最優先に行動するからいつまで経っても問題は解決していかないんです。

私も職業柄、今までに数千人の若者と接してきました。 どんなに時代が変わっても自分の意志を貫き通しやってきました。良い世の中で、張り合いのある青春時代を・・・と。 時には私が煙たかったりうるさかったり等は多かったと思います。しかし、怖がらずここまで来たのは生き方の信念でしかありません。

上司になれば、経営者になれば、政治家になれば「欲」しかなくなる人は残念ながら少なくありません。政治家が問題を起こしても全て隠し通せると思う浅はかさ!!

それに引き換え純粋に芸に向き合う日本の宝がまだまだ頑張っています。
好きだから続くは道理ですが、そこに覚悟の無い者は流行にいつも流され通しです。私の教室に、純粋に夢に向かって頑張っている若者も少なくありません。応援してあげられる人生の先輩を頼りに頑張っているんです。

今年も、一歩一歩、一日一日、着実に積み重ねの成果を与えられるよう応援し続けていきたいと思います。継承や伝承に値する大切な部署にあって当然の決意ですが、若者の笑顔(しょうらい)を見たいですからね。

毎年遭遇する事柄の中に、体の不調と闘っている人も少なくありません。一昨年、私はとんでもない「ヘルニア」という病魔に泣かされました。一歩たりとも歩けない。歩けないだけでも大変なのに死にたいほどの激痛と闘いながら1日を過ごす。
ご年配の生徒さんの中にもやはりそうした激痛と闘っている人もいます。負けないでと言うことは簡単ですが、そんな生易しいものでは解消しません。
そんなとき、せめて人の心が温かかったらどうでしょう。 ほんの少しでも笑顔になれるお稽古場が存在していたらどうでしょう。心が失われた時代とまで言われ昨今だからこそ大切な事柄だと思うのです。

本気になって日本の文化を、素晴らしい日本の心を身をもって伝え継承しようとする波島を助けながら私に出来る1年を着実に歩きたいと思っています。

考えてもしょうがないことは考えない・・・と言ったことがありました。でも、そうなんです。前を向いて自分の夢に向かって、何よりも自分を信じて今年も一歩踏み出してください。

言い訳をしているうちは何も生まれません。
やらない人に限って言い訳をするのは本当です。潔さがないから言い訳ばっかり。 波島陽子日本舞踊教室は更に今年も前進し続けたいと思っています。

波島も、素晴らしいお弟子さんに囲まれて本当に幸せだな・・・・って思います。
それらの生徒さんやお弟子さんの笑顔とともに2020年も素晴らしい1年にしたいと思っています。

特に本年は波島陽子が芸能生活35周年の記念の年周りです。 何か心に響くようなそんな年にするため多くの皆様のお力をお借りして歩いていく覚悟です。

本年も例年にも倍して何とぞよろしくお願い申し上げます。

元旦

お知らせ
令和2年10月24日(土)
会場:湯沢文化会館(秋田県:湯沢市)
波島陽子故郷での公演「粋と艶との花舞台」


乞うご期待
プロフィール

岡部俊雄

管理人 : 岡部俊雄
チーフ・プロデューサー
演出家

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