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  新舞踊界の第一人者

日本人の美しさこそ日本の心です仕草A

コロナの影響で世間に異変が起き始めたのが今年2月初めのころでした!!
横浜に突然緊急寄港した大型豪華客船のニュースに戻って考えてみてください。まさか、こんな騒動になると誰が想像したでしょうか!?
昔から怖いものと言えば「地震・雷・火事・おやじ」・・・などと言っていたことが今はコロナほど怖いものはないとまでその怖い順位は変わってしまいました。人の心までも変えてしまったコロナは怖いを超えて「悪魔」です。

東京は落ち着いたように見えますが、それはきっと慣れたせいじゃないでしょうか!?
浅草にもちっとも感染予防に協力的でない飲食店があります。狭い店内は通常7名くらいでいっぱいな客席が20名以上も集まって飲食を楽しんでいます!!
当時3密3密と言い続けていた最中でさえまったく非協力的に1日も休まず営業していたのです。
生きてゆく為なら何をしても良いのだろうか・・・・!? そう思ったほどでした。

学校も休み、浅草はガラガラ・・・・!!怖いですね。

そんな中、びっくりするほどの現象が起きているのです。5月くらいからの出来事ですが、つまり「振付ビデオ」の注文が殺到しているのです。
メールやお電話を受ける度に「どうしたんだろう・・・・!!?」と思いました。そして現在、そのご購入者様からのご意見の多さです。
ご注文の多いのは、各先生の所へ通えないことがキッカケでみなさんご自宅でネットなど検索等が増えたんですね!!勿論私どもにとってはとても嬉しいことです。
そのご意見の殆どが波島先生の映像を見て「美しい」・・・との評価です。
「波島先生の舞姿の美しさにほれぼれしました」「これこそ日本の踊りですね」「人形が人形使いに恋する映像には涙が止まりませんでした」「新舞踊がどうしてここまで美しいんでしょう・・・!」「もっと早く波島先生の作品に出会いたかった・・」等々
コロナで自宅に籠る時間の長さによる現象でした。
皆さんのこうしたお言葉にただただ感謝の気持ちでこちらの方が感謝でいっぱいでした。

私が波島陽子に出会ったのが平成13年頃だったと思います。
ある会社に勤務中、その会社の創業記念にその記念行事を任されお祝いに当時まだお元気だった淺香光代先生に祝賀舞をと依頼に行ったのがキッカケだったんですね。
縁というものは不思議なもので、淺香先生に「あなたが踊りなさい・・・、私が教えてあげるから・・・」と。
「何言ってるんだこの先生は・・・・」。勿論お断りしましたが、その勧誘は当時大変なものだったことを思い出します。私も芸事は嫌いではないので7回ほどアプローチされた頃観念して月2回くらいならと当時千葉県から通い始めたのです。
しかし、指導は淺香先生ではなく当時の森陽子さんでした!! この女性こそ今日の波島陽子です。

指導を受けて2日程でその人柄が分かりました。指導力は勿論ですが、凄かったのはその人間性です。
陽子氏は淺香事務所を退社し5年間の準備を得て「波島陽子日本舞踊教室」を立ち上げたのです。
私が長年舞台に関わる仕事をしていたこと、演出家としても多くの舞台を手掛けていたのでこの機に波島教室を運営する会社を同時に立ちあげたという訳です。

人形1A

勿論本当の目的は教室を開校するなど考えもしませんでした。当初の考えは、とにかく日本舞踊は費用がかかりすぎるということをどう打破するか・・・が波島の考え方だったからです。従ってやることは「振付ビデオ」の制作1本で考え会社を立ち上げたのです。
この計画は大正解でした。つまり、日本全国の舞踊愛好者の皆さんが東京に宿泊費や交通費・指導料を払わずとも舞踊を楽しめることがコンセプトだったからです。
そうこうしている内に1人2人と生徒さんが増え結局専用のお稽古場を持たざるを得ませんでした。

私も作品(ビデオ)撮影に立ち合いながらその舞姿に正直酔いました。
淺香事務所で舞台女優として時代劇というお芝居の舞台に立った経験は舞踊だけをやっていた人には出せない表現力が身に着いたんでしょうね。当時は厳しい師弟関係の中、師匠には内緒で西川流や花柳流を学びどんどん磨きをかけたんですね。
「まるでお芝居を観ているよう・・・」と評価されるのはそこなんですね。

それが今では生徒さんも驚くほど増え、まさにマンモス教室になりました。
それでも現在の指導の殆どが「個人指導」です。普段の生活もその殆どを波島は教室に捧げるまさにその姿は日本伝統文化の宝です。

人形2A

10年で新舞踊の振付師としてまさに日本の第一人者となったことは周知の通り。ビデオをご購入されるその殆どの皆さんが口を揃えて話されるのが「先生から直接習える波島教室の生徒さんが羨ましい・・・」です。
分かるような気がしますね。

歴史が好きで、お芝居が好きで飛び込んだ世界。つい先日も放送されましたが、今では時々テレビドラマの指導、CMの指導。海外からの観光客の体験、10年も続いている中学校の子供たちの指導等々。
最近では故郷秋田県湯沢市の「ふるさと応援大使」に任命されましたが、なんと今回新総理になった菅さんも同じくふるさと応援大使ですから、現在は総理と同じ役職!!!(笑)

全国から寄せられる感想文が証明するように現在はその振付の美しさに北は北海道から南は沖縄、そして韓国・台湾等々の新舞踊愛好者の注目の的にまで上り詰めました。なのに、波島に聞くと「まだまだ私なんか、もっともっと上手い人がいっぱいいます」とどこまでも謙虚
しかし、波島の舞台を一度観たら虜になるその表現力。これぞ日本伝統文化の申し子と言って良い逸材に成長しました。

その美しさの秘訣です。
これは真似ようとて真似の出来ない部分でしょう。そこが波島陽子の人としての優しさ(人間性)なんですね。

つまり、「しぐさ」とは日本人特有の人間性だと思って頂いたら良いでしょう。

私はよく「威張る人間」を語ることがあります。上に立つと勘違いからどうしても人間が鷹揚になる、と言うか知らない内に威張っているケースはどこにでも顔を出します。
ひょっとすると波島教室ではどっちが生徒か先生か分からないほど波島は思いやりや優しさでいっぱいです。
本気で指導する姿は「だからこんな素晴らしい作品が生まれるんだ・・・・」と納得するほどです。生徒さんが長年お稽古を続ける気持ちがよく分かります。

つまり、波島作品の美しさはそうした「日本人の優しさ」つまり「日本人の心」そのものなんですね。
たまに生徒さんを浅草寺の境内等で撮影してあげることがありますが、日舞のお稽古しているだけあってその立ち姿も歩く姿も仲見世の女将さんたちを唸らせるほどです。しっかり先生の心が伝わっているかと思うと何故か嬉しいですね・・・。

こうして綴っていたら1通のメールが届きました。生徒さんからです。
「今習っている作品のCDが欲しいんですけど・・・・」と。そばに居なくても何か伝わってくるものがあります。「踊り以前に先生の心を受け継いでくださいね・・・!」と伝えたい。先生のそばで楽しんで頂いていると思うと何故かこみあげてくるものがあります。
発表会での皆さんに観衆のみなさんが感動するの分かるような気がします。

美しさが心であることが波島の舞台で証明されています。
YouTube映像で波島陽子を検索すればそれらの作品を観ることが出来ます。先日も「先生の映像に泣けて来ました・・・」とメールが。

きっと美しいしぐさ(日本人の心)に触れたんでしょうね。 嬉しいな

波島が振付けた作品は200曲以上になります。その中でDVD(映像)化した作品が間もなく100作品になろうとしています。100曲を達成したら都内のホテルで記念パーティーをと楽しみにしています。

頑張れ陽子先生
コロナなんか吹き飛ばす勢いでいる波島教室はまさに日本の宝ですね。





 一人旅

一人旅A

今やGo To Travelと言って景気回復に必死な状況ですがご存知のようにままならない・・・!!
コロナというとんでみない出来事に世界中が完全におかしくなっている。

日が経つにつれて「食事に行きたい・・・」、「カラオケに行きたい・・・」、「映画を観たい・・・」
私がカラオケに行ったのは今年元旦の初詣の後でした。その頃、令和2年がこうなるなど誰が予測したでしょう!!あれからもう8ケ月が経ちました。 大きな声が出せないから「声」が失くなってしまうのでは・・・と思えるほど歌っていない。大声で笑い飛ばすことも出来ずにやはりどこかにストレスが溜っているのかも。

波島陽子日本舞踊教室には多くの生徒さんが通っていますが、必ずと言って良いほど年に1人や2人「海外に行ってきま~す」という若者が居ました。
今では、逃げて帰ってきた人もいます。「ぎりぎり帰国に間に合いました・・・」と。

私も旅行は大好きで最高に訪れたのが京都。最初の修学旅行で訪れてすっかりとりこになってからもう30回くらいは大好きな古都の四季を満喫して来ました。
次に多いのが沖縄でした。若かったんですね、海が大好きで沖縄は那覇から辺土名まで全て回りました。
そしてグアムは前述のように・・・。社員旅行は別として一人旅が好きでしたね。
教室に若い女性が一人で海外を旅する驚くほどの行動力のある女性(こ)をみて羨ましかったです。
その彼女はとうとう6~7年ほど前に単身でカナダへ!!  
3年ほど前に永住権を取得し今も元気に福祉の仕事に就いています。私はその彼女をずっと応援していたので今ではすっかり「団長・・・」と呼ばれていますが、「いつか私が波島先生をカナダの舞台に招びます・・・」と嬉しい便り。

昨年の春はずっと教室に通っていた子が高校卒業と同時にこれも単身イギリスの大学で学びたいと出かけました。

妖精を探しにイギリスへ行き、その地の魅力に絆され私も単身でイギリスを旅しました。モンゴルも3~4回ほど。写真はシンガポールの中国街でのひとコマですが、一人旅は本当に不思議な出会いが待っているから好きです。
地元の子供たちの普段に触れることも楽しいひととき・・・・。

この経験は今でも私の財産となっていますが、初めて会社勤めをした頃、レントゲン技師になろうと倉敷市の近くにある水島コンビナートに2ケ月ほど居たことがありましたがここだけは精神的に辛かった(笑)
そもそも私が機械関係なんてとうてい合わないんです。従弟に「X線技師になればいい金取れる・・・」それだけで動いたんですね。無理無理(笑)
あのまま技師になっていたら私の人生は大きく変わっていましたね!!
確かに水島から見える鷲羽山、また瀬戸の海の向こうの四国。時間とともに仕事が嫌で母を思い出してお月さんに話しかける始末!!母に笑われました(笑)

しかし、たった2ケ月しか居なかったのに今でも忘れられない財産として残っているものがあります。
X線の技師と言っても仕事は11:00~15:00まで。
コンビナートのパイプラインの撮影なので雨天は作業なし。
若い時分でしたから体力を持て余して毎日スポーツ選手のような生活!!
そんなある日バーベルを鎖骨に落とし骨折。もう仕事が嫌だ嫌だと思っていたので逃げるように帰京したのです。そのとき、骨折したところに居たのがポーラ化粧品の営業で来ていた女性でした。私より2歳ほど年上のお姉さん。近くの病院も知らないでしょうからと病院を教えてくださりそのまま別れました。
3~4日して療養に専念の名目で帰郷(叔母の家に)。しばらくして御礼のお手紙を出したのがきっかけで今から20年ほど前まで手紙のやりとりは続きました。
何年かして田舎に帰り事業を立ち上げてから、お中元にとわざわざ岡山から化粧品を何度も何回も買いましたかね。
その後再び上京を機にいつの間にか生きることに懸命な時期が続き自然と音信不通になりました。

考えてみるとこの二度目の上京が人生最初の一人旅だったかもしれません。

一人旅で得る財産はとても大きなものがあります。
家族で行くのも、私が恒例としていた社員旅行での旅も形は様々です。それでも旅は人を育てます。私が物知りなのもこの旅は大きな影響を受けています。

コロナ禍の中で、今はどこにも行けません。交通網はこんなに便利でもまだまだ快く旅の出来ない状況。
九州の知り合いに、愛媛の先生に、菅官房長官が総理大臣になればお祝いに秋田へ・・・と思っても今はその時期でないことにやはり言いようのないストレスが溜ります。

おそらく、来年の春に収束をみるかどうか・・・・といったら結局1年間身動きのとれない年だということですね。
例えば九州の人吉のように、地震だ洪水だコロナだ・・・とまるで三重苦のような地域もある訳です。

今度の一人旅はいつか人吉にでも行ってみたいですね。
負けずに頑張って欲しいと思います。

親を亡くし子供たちを亡くし、悲しい一人旅をすることのないよう災害の無い国を願わずにはいられません。

旅も楽しいから出かけたいのです。

 夢に向かって羽ばたけ

夢1A

心まで沈んで元気ない人は居ませんか!? ホントに困った世の中になりましたね。

コロナに感染した者はまるで罪人扱いにしている地域があることを耳にします。なんと心の狭い人間なんでしょうね。
日本国内でですよ!! どうして人はそうも簡単に人間(ひと)を責めることが出来るんでしょう!?

昨日のドキュメント(テレビ)に恐ろしい映像を観ました!!
中国では弁護士が国家転覆罪で逮捕監禁というこの世でまだこんな事案があるんですよ。前にも述べましたが、これは人間の持つ心の弱さです。権力を誇示し征服することの心情は時代劇に出て来るあの悪代官によく似ています。「お主も悪よのう・・・」と悪人同士がせせら笑うあのシーンです。
つまり、自分さえ良ければの典型です。香港の現状は何度もニュースで流れているのでご存知と思いますが、この「国家転覆罪」を盾にとれば思うがままの独裁ということです。残念ながらここに光は見えません。

平成まもなく、山崎豊子さんの原作「大地の子」が放送されました。ある満州残留孤児の半生を描写した大作。自由が無いことの恐怖とまさに思想の恐怖。その点、ある意味で日本は自由すぎてこれもまた将来に不安の残る事柄です。

勿論、夢に向かって輝いている若者も少なくありません。波島陽子日本舞踊教室に今年だけでも役者になりたいと教室の戸をたたいて来た若者が5~6人居ます。
俳優になりたい人は沢山います。そうして真剣に時代劇を照準に頑張っている若者には拍手を贈りたい。それは伝統的な日本の文化に大きく関係するからです。
確かに、傾向としては日本も大きく様変わりしました。特に平成に入ってからはその変貌ぶりは昭和が青春時代だった者には想像もつかない変化です。

外国人観光客のみなさんに12年ほど直接接してみて確信に変わったことがあります。それは、何故外国人に日本が評価されたり、行ってみたい国No.1なのか!?
何度も言い続けて来ましたが、まさにその答えが「日本の心」だったのです。日本は、人も町も風景もみな美しいそうです。また、食べ物は最高に美味しいそうです。
私もそれをずっと言い続けてきました。教室を開校する目的は当然日本の心の継承でした。和の文化伝統を伝承する。私には大きな目標でしたが、それでも一歩一歩大きな影響を与えられるようになったかな・・・と思っています。
外国人が喜ぶから「忍者ショー」・・・を等々のなんと多いこと。
5~6年ほど前に、その為の勉強に京都・大阪の剣舞シアター等を見学(体験)に行ったことがありました。
これなんだな・・・と思ったのはまさに「残念さ」でした。
私に言わせれば、それは体験ごっこだったからです。外国の皆さんは本物を知りませんから着物姿や殺陣を観れば「ああ日本だ・・・」となるのでしょうね。

やろうとしていることは素晴らしいことですが残念でした。つまり本物の「芸」でないからです。


夢2A

若者の心(め)がどこを観ているのか!?
今回のブログはそれら若者の夢についてです。

医師になりたい。プロ野球選手になりたい、デザイナーになりたい等々勿論人それぞれです。素敵な男性をみつけて結婚したい、学校の先生になりたいと。

私が直接手伝えるとしたら「良きリーダーになりたい」人と、俳優になりたい人の2種類だろうか!?裏づけはそれ等に対する経験が豊富だからです。子供時代から時代劇映画で育った私はやはり時代劇が大好きです。
今ここで日本舞踊に関われていることもきっと神様の導きなんだと確信しているので全くの迷いもありません。
舞台監督や演出経験はもう30年以上になり、今ではテレビCMの演技指導にまで出向いています。

よく、本物本物って言いますが、本物の演技の定義ってどこにあるんだろう・・・!?この点もずっとこだわり追求して来ました。今でも毎日時代劇の映画(ビデオ)を観ない日は無いほどです。特に時代劇映画全盛だった頃の作品は800本ほど持っていますが、それでも何度も見ます。
それは、指導する時に見ておかないと説得力が無いからです。時代背景であったり、当時の生活様式であったり、その中に時代考証は自然と目に焼きついてきます。

勿論、波島教室にも多くの役者志望者が門をたたいてきますが、そうした若者に出会うと嬉しいですね。
夢を叶えてあげたい・・・・。
そして心の闘いが始まります。さすがに近年は素質がある、感性が豊かだ等を見抜く術は身に着きました。問題はその若者が「本気」かどうかです。
訊ねると「頑張ります」「やりたいです・・・」となります。それなのにどれだけの若者(ひと)が挫折していったことか!!
勿論最初は「やりたい・・・」の憧れでいいんです。

皆さんもご存知の水泳の池江里佳子選手。白血病での闘病生活で選手生命は絶たれたと思っていました。
それがです。涙が出るほどの感動を私たちに与えてくれているではありませんか!?これが信念です。この心の持ち方こそプロなんですね。
ご存知のように、なりたいからと全員にそのチャンスがある訳ではありません。ただ、私たちが教える若者が本物の力を身に着けたらどうでしょう。着物の美しさは日本舞踊等の舞台を観に行けば分かります。つけ焼刃で出来るほど甘いものではありません。
日本人の心の美しさから自然とあふれ出る仕草や振る舞い。実生活では殆ど見れないのがそれです。従って最近の時代劇も浅いものが多くなりました。

前述のように、それでも時代劇を好む若者がいます。仮にそれが現代劇であっても、日本人独特の美しさは格別なものがあります。良いものは遺さないと。
都内で教室を持てる環境を存分に活かし、微力ではありますが「日本の伝統」に触れたいとする若者の力になりたい。日本舞踊をキチンと学んだ若者が少しでも増えてくれたと思うと大きな力がみなぎってくるんです。

様々な夢に向かう若者たち、大いに自分のやりたいことに向かい突き進んで欲しいと願います。
美しく、自由な国に生まれ育ったんだから、大いに羽ばたいてください。



プロフィール

岡部俊雄

管理人 : 岡部俊雄
チーフ・プロデューサー
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