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 うさぎについての雑学

来年は兎年
このうさぎに関する話やことわざはとても有名なものが多いですね。来年の干支「兎」を前に少し可愛いうさぎに触れて、新しい年を迎えて頂きましょうか?!

私はこども時代に「うさぎと亀」の話を嫌というほど聞かされました。そしてこの例えをもっていろいろ教わりました。サンタクロースじゃないけれど、月にうさぎがいることを信じてもいました。その他淋しいとうさぎは死んじゃうとかね!
一番追求したのは本当に月にうさぎがいるかどうかです(子供の頃ですよ!)これが実際にどうしてそうしたことが広まったのかを知ることにもなったのです。好奇心のお陰ですね!
インドのジャータカ神話にこうあります。 昔「うさぎ」と「さる」と「きつね」の三匹が仲良く暮らしていたそうです。三匹は前世の行いが悪いから今は動物になっているので、世の中や人々のためになるような良いことをしようといつも話し合っていたんだそうです。
帝釈天はこの話を聞いていて、何か良いことをさせてあげようと、老人の姿になって三匹の前に現れました。
三匹は老人のためにいろいろ世話をしてあげました。さるは木に登って果物や木の実を採ってきてあげました。きつねは川の魚を採ってきてあげました。なのにうさぎはこれといった特技もなかったので老人にたき火をしてもらい「自分には何の特技もありませんので、せめて私の身を焼いてその肉を召し上がってください」と言うや、火の中に飛び込んで黒こげになってしまいました。
これを見た老人は帝釈天の姿に戻り「お前たち三匹はとても感心な者たちだ。きっとこの次に生まれ変わったときには人間として生れてくるようにしてあげよう。とくにうさぎの心がけは立派なものだ。この黒こげになった姿は永遠に月の中に置いてあげることにしよう」と言ったのだそうです。
こうして月にはうさぎの姿が見えるとのことでした。 でもどうして月でうさぎがお餅をついているのかだけは分かりません。他にも因幡の白うさぎのお話とか!
それでは最後にことわざです。「二兎追うものは一兎をも得ず」(にとおうものはいっとをもえず)。同時に二つのことをしようとすると、結局どちらも成功せず駄目になってしまうと言う意味ですが、せっかくの兎年がやってきます。このことわざを教訓に2011年はどうぞみなさんにとって素晴らしい1年になりますように!
良い年をお迎えください!

 人名、会社名等(著名人は除く)は仮名ですが内容は全てノンフィクションです。
 【俊介の部屋】は平成21年6月4日にスタートしました。(毎日掲載しています)

 嬉しい訪問者

私の家には毎日有名人がやってきます。
インターフォンがピンポ~ンと鳴る!決まって夕方6時すぎだ。「はい!」って出ると「壇れいです!」、「黒木瞳です!」、少し前は「チェジューです!」。時々男の人もやって来る。「小泉純一郎です!」、「小沢一郎です!」と政治家もやって来る。そうそうスポーツ選手もやって来ますよ。「イチローです!」とね。
最近は「ソンヨンです!(イサン)」。我が家って凄いでしょう・・・・?!結構私は顔が広いからね(笑)
これらの訪問は両手にいっぱいの買い物袋を下げた家内のいたずらだ!
出した名前は結構使われる登場人物。これがもう7年も続いているから凄い。ドアの向こうで「黒木瞳です!」って言っているんだから隣りのみなさんは大笑いしてるだろうなって思いながらドアを開ける。これが成りきって言っているから尚更滑稽なのだ。
毎日聞いているはずなのに受話器を持つ瞬間までお客様か宅急便かななんて思いながら出るからいつも不意打ち状態でそれが実に楽しい。
ユーモアやジョークって心が和む。それもこれもウエットに富んだ内容でこんな調子だからいつも笑いが絶えなくて楽しい。これは本当に家内のお陰だとつくづく思う。そんなこんなで今年も笑顔と感謝で過ごすことが出来た。そう思えるだけで幸せだ。家庭内で心が和むことほど幸せなことはないだろう!
お陰様で今年も多くの芸能人に逢えた。来客で一番嬉しかったのは吉永小百合さんかな?いや壇れいさんだろうか・・・!?都合の良いことに私の大好きな人しか来ないから凄いでしょう!
政治家やその他の訪問者は日々話題の人が登場するが、それも声色を変えて一生懸命成りきろうとしているから健気だ!
たったひと言「吉永小百合です」で夕食も余計美味しくなるから不思議ですね。
このことだけが原因ではないけれど今年も家内と仲良く1年を過ごせたことに心から感謝したいと思う。
あとほんの少しで新しい年が明ける。来年はどんなお客様が訪問してくれるのか楽しみに待ちたい。病気ひとつせず風邪ひとつひかなかった2010年。来年は異常な花粉から幕を開けそうなニュースが飛んでくるが、しっかりとマスクはしても楽しい会話だけは続けて行こう!
世の中も花粉に負けない笑顔が国中に飛散する年であって欲しいですね。「今晩は!花粉です」とならないように!

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 若者に感謝 2

「今年この浅草のお稽古を始めて先生や多くの生徒さんたちにも出会い、とてもみなさん良い方たちばかりで本当に充実した年になりました。ありがとうございました。とても楽しいのでやっぱり日本舞踊が好きなんだなぁと改めて感じました。覚えが悪く稽古日は振り出しに戻りっぱなしですが、基本を大事に少しずつ頑張ります。来年もよろしくお願いします」。
これは波島陽子日本舞踊教室に通う生徒さんからのメールです。こうしたメールがいっぱい届きます。
勿論内容はそれぞれですがとても素直な表現と新しい発見に喜んでいる内容がぎっしり!40人近くの殆どの生徒さんが若い女性軍ですが本当に心の綺麗な人たちばかり。私に言わせたらその生徒さんの心が綺麗だからそう思えるんだと確信しています。
男性に至っても若者が5名ほどですが優しい心根の持ち主にこちらの方が教えられることばかり。
憧れだけで行動するとどうしても途中で挫折したりもするものですが脱落者がゼロというのは凄い現象としか言いようがありませんね。波島先生に人の良さがありすぎて心配の面もない訳ではありませんがそれが波島陽子そのものなんだから脱帽です。
多くの感謝を頂きますが、実は波島先生の方が生徒さんに負けないほど全ての生徒さんに心から感謝しながら毎日のお稽古に向かっているんです。どんな小さなことにもその心は伝わるものでそうしたことがお稽古場の雰囲気も更に良くしているのでしょう。
日本の文化とか日本の心とか言いますが、まさに波島陽子は日本の心そのものなんですね。これは実際にお稽古場での生徒さんの顔を見るとよく分かります。返って年配者の生徒さんの方が教えられているんじゃないでしょうか?
この1年が充実していましたなんて言われたらこれほど嬉しいことはないでしょうね!高校生、大学生、社会人、役者さんにタレントさん。勿論主婦の方も月日が経つごとにその振る舞いが身につき、来年の発表会が今から楽しみで仕方ありません。
ゆかたを着れないんですけどと入って来て今ではすっかり着こなしている。そっと障子戸を開けるその姿はそのしぐさとともに美しさが醸し出されてこちらまで嬉しくなります。
若いのに、心が豊かなんだから最高!これは決して褒めすぎでなんかありません。詳細に渡ってのメールの内容は公表できませんが、こころから生き生きと幸せ感が滲みでる心に大きな拍手を送りたいと思う。
これこそ日本の文化であり伝統なんだ。そう思える波島陽子日本舞踊教室の平成22年度のお稽古は昨日で無事終了した。また新しい年に弾けるような笑顔で集まってくるのが楽しみです。きっと可愛らしくピョンピョン跳ねてくることでしょう。

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 若者に感謝の一年

今年もいろんな人と出会い、いろんな出来ごとそして学びを得ました。新しい映像ソフトに挑戦し今はなんと立派(?)に使いこなしています。私にとってはとても画期的なことですがまだまだやれば出来るということかな?!
そして11月より少しずつ英会話教室の先生に手ほどきを受けながらプリーズとやっています。さてさて来年どこまで進歩するかはお楽しですが授業料を払うことで真剣度合いも変わります。個人レッスンなので安くて申し訳ないと思うのですがその分一生懸命なのでとひとり言。月に何度か外国人観光客の皆さんを案内していますが立派な度胸ですね(^_-)-☆。つまり無知ほど恐いもの知らずなのかも(笑い)
電話やメールで「それでは来年も良い年を迎えてください・・・」等々が多くなり押し迫ってきたなって感じが一段と強くなってきました。私も今日が仕事納めなので明日はのんびり映画でも観に行こうかなんて漠然と思っています。
お陰様で今年も風邪ひとつひくことなく健康であったことが何よりだと感謝しています。それほど忙しかったのかも知れない。無駄な忙しさだけは避けたいとしっかりとした計画の中で頑張った一年でしたが途中の猛暑には参った。8月生れで暑さには強いはずなんだけど限度がありましたね!
良いことがたくさんあった中でひとつだけ残念だったことは無能な政治家に国民が引きずり回されたということでしょう。これほど政治不信を感じた年も珍しい。まるで天下を獲ったような勢いだった民主党がここまで杜撰な政党だとは思わなかった。なにもこれは民主党だけが悪いのではないこともはっきり見えて来た年でもあった。国の安全と国民の幸せからは遠く離れた行動ばかりの政治家たち!
国民不在という言葉がこれほどはっきりした年も珍しかったと思う。
私は今年、本当にお陰様で多くの若者と出会う機会を得た。その一人ひとりがとても純粋でその目の輝きに触れるだけで癒されてしまう。ここまで素晴らしい若者に出会えたことへの感謝はとても言葉でなんか言い表せない。私は政治家と違ってどうこうすることは出来ないが、せめてその一人ひとりに少しでも励みになることや喜びにつながることを与えることが出来たらと逆に若者たちからエネルギーを貰ってきた。
目標を立てても一年はあっという間に過ぎてしまう。リラックスした中にも一日の過ごし方を間違えなければ目標に近づける。難しく考えず自分を信じて来年も歩いて欲しい。
いろんなの人ブログを見せてもらったりしているがまだクリスマス前の日記が更新していないものも沢山ありました。せめて1年の納めにもうひと頑張りして欲しいと願っていますよ。時間は作るものだからね!

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  これが「だろう運転」の罪

福島県西会津町の国道49号でクリスマスの夜とんでもない事が発生した。この道路は新潟から西会津・会津若松・猪苗代湖を結ぶ一般道だ。20年ほど前にこの間を並行して走る高速道路が出来てとても便利にはなったがこの高速道でも大雪の日は通行止めになる豪雪区間なのだ。
高速は有料だけに除雪は相当頻繁に行われ、冬のシーズンでも安心して通れるようになったのだが・・・。テレビに映し出されるこの道(一般道)は数えきれないほど通った道なので懐かしくもあったが未だに雪道としては難所で高速が出来てもまだまだ交通量はあるんだなと思いながら画面に釘づけになった。
ここを通るドライバーはおそらく雪道がどうなるかは熟知しているはずなのに。緩慢な気持ちが引き起こしたスリップで大型トラックがその道をふさいでしまったという。
たまたま昨日お茶のみ話に私の豪雪地方での生活を話してあげたばかりだった。少しの坂でも雪道は一旦止まるともう蟻地獄のようにあがけばあがくほど深みにはまってしまう。そしてしんしんと降っているときの雪の積もり方は本当に信じられないほどどんどんと積もってしまうのだ。300台がどうして並んでしまったのかはとても良く分かる。
大丈夫だろ・・・!これは油断ではない。過信と緩慢でしかないと思う。それが1日中動けなくなるのだ。本当に私が見たときの話を思い出すままにその凄さを再現してみよう!
まだ私が学生時代だった頃の話だ。12月の中旬頃は忘年会の真っ最中。当時は車で宴会場に駆けつける人は結構居たと思う。会場に夕方6時前後に入る。車は今と違って殆どが路駐。宴はたけなわとなり3時間もして帰ろうとしたら自分の車がない。無いのではなくその3時間ですっかり雪に埋もれてしまったのだ。
そうなると昨日の西会津ではないがもう絶対に身動きが出来ない。そしてそのまま降り続ければ春になるまでもうどうすることもできなくなってしまう。これは実際にその光景を見た者にしか理解できないだろうが自然は恐いとつくづく思ったほどだ。
また今日のニュースでおばあちゃんの家に冬休みになったお孫さんが遊びに行き、歩道で待っていたところに乗用車が突っ込んで9歳のお孫さんが死亡。おばあちゃんや小学生のもう一人のお孫さんも重体という非惨な事故が起きた。乗用車を運転していた男性のスピードが原因だったらしい。
すべて大丈夫だろうとハンドルを握っている人の緩慢な心が引き起こした悲劇だ。もうすぐお正月。どうしてこういう時期にこんな事故が起きてしまうのだろうか?
世の中が便利になればなるほど便利が凶器になってしまう典型ではないだろうか?自然はそう甘くない。迷惑も程度問題でもっと地に足をつけて歩いて欲しい。だろうは絶対ないのだから!

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 自己実現に向かって

今年もまた夢や希望に満ち満ちた若者にたくさん会うことができた。自分の青春時代と重ね合わせ改めて時代がどんなに変わっても大切なことは何んなのかを考えさせられた1年でもあった。
機会があって源義経や静御前の話をし若者を鎌倉に案内する。つい先ごろの忠臣蔵を語れば高輪の泉岳寺を案内する。性格なのか素晴らしいものの話をするとそれが本であれ食品であれ入手してプレゼントする。
ここではっきりしていることは、どんなに私がそう思って行動したとしても若者本人がそこにそれほど興味を示していないと勿論それは暖簾に腕押しのようで寂しくもなる。
興味を示されないとつくづくそこで心の空振りに出会う。勿論恩にきせたりは一切ないのだが、話しているときの聞く姿勢に騙されて(笑)ついつい購入したり連れていったりするのだ。人はそれをお人好しと言うが性格だから止まらない。少しでも雑学を、ちょっとでも博学を、と若者の成長を応援しやいとするのは本当にお人好しだけなんだろうか?
昔、長男(当時5歳くらい)を連れてドライブしたときのことだ。山道に差しかかって斜面に沢山の穴(パイプ)が開いていることの不思議(子供には)に答えたことがあった。「山も生きているんだよ!沢山の水(雨)を飲んだ山だってどこかでおしっこをしないと大変なことになるだろう?だからあの穴(パイプ穴)は山の大切なおちんちんなんだよ」となる。「ふ~ん?」、でも子供にはとっても分かりやすい説明だと我ながら感心したものだ。
子供たちはいろんな環境の中で成長するわけだが、そのどこかで自分の夢を見つけ、そう成りたいと心が動く。
よく、昔は良かったとか言うことを聞くことがあるだろう!それこそ昔の日本人はアメリカのようになりたいと追い越せ追い抜けで本当に一生懸命だったのだ。人に与えられた時間は一緒のはずなのにその人のものの捉え方で人生は凄く変わってしまう。当時は本当に豊かさを求めた時代だったのだと思う。しかし、豊かさは本当は求めるものではなく深めていかなければならないのではと最近は特にそう思う。何度か心の豊かさについて述べて来ましたがやはり求めるものは幸福でなければならない。
幸福とは人生の時間の中に組み込まれている。若いときにどんな夢を抱くかはこれこそ人それぞれだ。その夢や希望を自己実現と置き換えて頑張って欲しい。昔では考えられなかった児童虐待等をひとつとっても生活の難しさから抜け出せずに大きな落とし穴にはまってしまう。つまり、豊かさの中に落とし穴もあることを良く考えて自己実現に向け頑張ってもらいたい。夢をみることは素晴らしいことだから、何ごとにも諦めずに力強く歩いて欲しいな。

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 大雪のクリスマスイヴ

クリスマスイヴ ニュースに大雪の映像が映し出されていた。
会津若松地方の降り方は半端じゃない!この振り方をみていて子供の頃が鮮明に思い出されて来た。ひと晩に1っも積もるなんて毎年ザラだったから私に決して珍しい光景ではない。
それでも現在は新潟や奥会津地方、山形や秋田、どの町も除雪設備が整い真冬でも車が往来してもう何十年にもなるが、私は冬のシーズンにまったく交通が遮断されたころを知っている。今日の映像はそんな降り方だった。どんなに豪雪に苦しめられても住民はみな助け合って生きてきた。
ところが今はどうだ!雪をキチンと片付けないと役所に苦情を言う。隣りの人が降ろした雪が自分の家に転がり込んでくるとそれが原因で喧嘩にまでなるそうだ。
つまり、考えてみると世の中が便利になればなるほど自分さえ良ければの自己中心的な人間が増えるからであろう。1日中くたくたになって雪おろしをして翌朝起きたらまた降ろさなければならないほど雪が積もるのが丁度今頃からだった。
都会の若者は休みをスキー場でなんて時代があった。私の田舎はそうしたスキーヤーを受け入れる民宿が本当に多かったものだ。
いつ頃からだったか、民宿にコンビニから買い込んだ食料や飲物でまったく商売にならなくなった。バブルとともにその傾向に拍車がかかりスキー場のリフトも錆ついた。
クリスマスっていうとこんな風な思い出がたくさん頭を過ぎる。枕元にサンタさんが持って来てくれるプレゼントを楽しみに布団にもぐり込む。その頃はクリスマスっていうと町はひっそりと静まりかえる。家族団らんがあって1年で一番ロマンチックな夜だったかも知れない。
勿論恋人や友だちと食事や飲み歩くのもありかもしれないがやっぱり家族の温かいクリスマスを迎えて欲しいと願うのみだ。
心まで便利にしてしまわないでこの日を迎えられるような過ごし方をもう一度考えたいものだ。
温暖化温暖化と言われ雪が毎年少なくなっていくことを懸念していたが、今日の映像は良き時代の降り方でもあったのだ。「メリークリスマス」この雪ならトナカイだって鈴を鳴らしてやって来れそうな気がするけどどうだろう!?

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 千枚漬け

夢に向かって頑張る若者を応援したい。久し振りにわくわくするような女性と出会い彼女の夢の実現に向けて応援したいと腕まくりを始めた。
本物とは、その殆どが完成して初めて世間に認められ「本物の勲章」をもらうわけだが、嬉しいことに私は今その原石を見つけたような気がしてならない。大掃除の後すこしゆっくり話せる時間があったので、なんとか彼女の心にこれからの参考になればと時間の経つのも忘れ夢中で語り続けた。
「夢中」、夢中って夢の中と書く。新しい年を迎える前に私は彼女に「夢」という言葉を書いて贈りたいと思っていた。いいな!青春時代の真っ只中なんだ!頑張れよ!目標に近づける人というのはしっかりとした夢を持ち続けてこそその願いが叶うもの。私もそうだったかも知れないが、経験の少ない者には不安がいっぱいでの無我夢中なのだ。
私に教えを乞いたいとする若者が年に何人か現れるがその殆どが物事を簡単に考え過ぎている傾向が強い。私に時間の余裕があれば少しくらいは私自身が遠回りしても良いのだが私にも成し遂げたい大切な夢がある。従ってその時間はなかなか取れないでいた。しかし、彼女を応援したいと思うまでには少し時間がかかったが彼女の強い思いはゆるぎないものであった。
頑張って一生懸命にやればかならず夢は実現できると思いたいが、それとて人との縁、出会いによっても大きく左右されてしまうのが一般的なのだ。
彼女が私を応援団長として引きずり出したのは彼女自身の人間性であり心根だった。私の経験を100%以上発揮させ素晴らしい人生の道しるべになれたらと思うようになった。
そう思ってから4ケ月ほどが経ったが最近は本当に良い表情を見せてくれる。これは自分では残念ながら気がつかないから面倒だ。
私が何故応援したかったんだろうと私なりに考えるがなかなか良い表現が生まれない。そんなときだった。そうだ!私は彼女を京都の千枚漬のようにしてあげたいんだとひょんなことから思い浮かんだ。
本格的に名古屋の漬物屋で10年ほど頑張った経験からまさに「千枚漬」とは素晴らしい表現だと思っている。彼女が成功したときにこの千枚漬けの意味はきっと話題になるだろう。私が様々な芸能人を「この人は成功する」と当て続けたように久し振りの逸材のような気がしてならない。今日ここにそのことを記録したいと思った動機は何年か後に今日のこの思いや表現が「あ!やっぱり」と言える証にしたかったのだ。
京都には「千枚漬け」「しば漬け」「すぐき」の三大漬物がある。全国に数えきれない多くの美味しい漬けものがあるが千枚には敵わないだろう。京野菜の聖護院かぶはもっとも日本のもつおくゆかしくも素晴らしい美味なのだ。その表現に気づいたこととその可能性を秘めた彼女に会えたことはまるで年末ジャンボ宝くじに当たった以上のように思えてならない。

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 熱燗で5時間

昨夜は夕方7時から12時まで親友と二人で忘年会!彼は上野の呉服屋でもう卒業当時から勤務している優等生。近いのになかなか会う機会がない。勿論仕事の途中で立ち寄ったりで会うことは年7~8回はあるのだが、夜一杯やりましょうの時間が取れないのだ。
いくらなんでもこのままだと年が明けてしまうにので駆け込みのようなスケジュールで昨日となった。観光での浅草は夜が早いが美味しい食事処はさすがに多い。このシーズンだからと思い、予約を入れようとしたら満杯。さすが忘年会シーズン。い~や、何とかなるだろうと7時の待合わせでやっと乾杯。
冷たいのでグーッとと思いきや彼は熱燗がいいという。私も雪国育ちで熱燗のイメージで育ってきたから雰囲気は最高だ。それに二人とも同郷だからそれが分からないでもない。
しかし考えてみればいつからなのか馴染みのはずの熱燗って本当にここ何年も飲んだことがない。つまり冷(ひや)だ。最近の日本酒は女性も好んで飲めるようにと冷酒では美味しいのが多く出回っている。
新潟は特に酒どころでその銘酒は実に多い。そんな想像は燗をすることでみんな飛んでしまった。最初の1杯は良いが段々と飲む内に冷とは相当の開きを感じてくる。
勿論そんなに若くはないから次から次へと徳利が横になる訳でもないのだが時間とともにおしゃべりよりも廻りだす。
無礼講の二人の話は学生時代の思い出話をツマミにどんどんエスカレートしていく。
気が付いたら10時30分を回っていた。それほど食べてもいなかったからと2軒目はお寿司屋ののれんをくぐった。
カウンターに座るなりここでも躊躇なく熱燗を頼む。????????
これは完全にペースを相棒に持っていかれた。「仕方ない、付き合うか・・・・!」所変わればでここでもまた話は尽きない。気がついたらまもなく12時になろうとしている。おいおい電車の時間は・・・と慌てて店を出る。
地下鉄乗り場で別れて帰り道。どう見ても立派な酔っぱらいだ。よし!頑張って家に帰るぞ。
普通に歩いて3~4分なのにふらりふらりとふらつきながら家路に向かう。「ただいま!」って言った記憶はあるがその後はまったく不明。
当然、朝方になっても地球が回っている。それからと言うもの、ウコンのお世話になり結局夕食まで何も食べず状態。いや食べられないと言った方が正解だった。途中で彼から電話。「いや~昨日はご馳走さん」「大丈夫帰れた?電車は?」「ん~すぐ横になりたかったからサウナに泊った」(>_<)
何と彼は本日公休日だったのだ。私は頭を冷やしながら午後から悪戦苦闘のビデオ撮り。作品がなんと「酔歌」というから皮肉なオチであった。

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 雪降ろしのお陰

やめられない!とまらない♪なんてコマーシャルがありましたね~・・・。
むかし、自宅の芝生を刈るのに2時間も休憩することなく刈り続けた頃を思い出した。庭一面に敷き詰められた芝は約100坪。これを同じ長さに刈っていくのだが到底2時間でなど終わる面積ではない。
朝6時にスタートとして社員が8時半に出勤するまでには終わらせなければならないのだ。こんな場合結論は簡単で2日に分けて作業すればなんの問題もないのだ。
ところがそこが性格で一度始めたことは最後までやらないと気が済まない。逆算して考えると大体スピードアップしてかからないと時間内では当然残ってしまう。
今日、お客様に送るDVDの制作で9人分だったものだから午後から始めて20時を過ぎてもまだ終わらない。気がついたら21時少し前。1分の休憩もなく作業をしてやっと終了。これも普通であれば2日がかりだ。
頼まれたことがあった場合、殆どすぐにやってしまわないとこれも気分が悪い。利点はやり残したりということが殆どないということだろう。
当たり前に行動しているこうしたことはいつごろからなんだろうと改めて考えてみた。
そう言えば小学生高学年になったころからの雪おろしが関係しているのかも知れない。私の故郷は豪雪地帯で当時は4mもの雪はざらだったように思う。もっと言えば町中の人が2階から出入りしなければならないほどの大雪だったのだ。
勿論2階に玄関があるわけではないので1階から階段を作って雪の道までまるで雪の芸術を作るかのごとく素晴らしい階段をつくる。
ということはそれだけの雪をどの家庭も屋根から降ろさないと家がつぶれてしまう。都会の人や雪に関係ない人は想像もつかないだろうが、Ⅰ日かけて屋根が軽くなったと思いきや翌朝はまた夜中に降った雪でいっぱいなのだ。
もうお分かりいただけたでしょう。Ⅰ日で降ろしてしまわないと大変なことになるのです。男手の無い家など死活問題です。でも昔はみんなで助け合って降ろしていましたね。
自分の身長より高い雪をまるで相撲のうっちゃりの連続のように降ろしつづけます。なんでも、すぐにやってしまわないと気の済まない性格(?)はそんなところから起因しているのかも知れません。しかし、何でもすぐにやるので社会に出てからも喜ばれたことの方が多かったですね。きっと雪おろしのお陰で今日のDVD制作も無事終わったのかも知れませんね。

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 嬉しい心

年末になって懐かしい人から何度も電話が鳴りました。
誰もが忙しさの中にも1年を振り返りながらいろんな出来ごとやご無沙汰している人を思いだすんですね。本当はなんとか会いたいなって思う人になかなか会えないもどかしさの中に電話を頂くとついつい長話になってしまいます。
近況を報告したり、ご家族は元気でいますかと確認したり、話したいことは山ほどある人に結局肝心なことが言えずに電話を切っているようです。
遠い親戚より近くの他人という言葉があるけれど、人は本当に周りの多くの人々に助けられながら生活しているんだなってつくづく思います。
バタバタしていたのか慌てていたのか、小銭入れに3,000円だけ入れて散歩に出かけたら気づいたときにその3,000円が無いことに気がついた。ボケたんだろうか?今までそんなことないから本当に自分が分からなくなってしまった。何故なら財布に入れて出かけてからまだ10分も経たないくらいの時間だったので尚更分からなくなってしまう。
10分ほど行動した全てのルートを探したが見つからず。小銭入れは部屋の鍵がついているので勿論持っている。だから余計分からなくなってしまう。諦めるのに2時間かかった。
まるで狐につままれているようだった。硬貨なら落とせば音がするが重ねた3,000円でも音はしない。それから1日経ってマンションの管理人から電話があった。行ってみると隣りの部屋の人が私の部屋のドアの下に3,000円が落ちていたのでもしやと届けてくれたのだそうだ。
財布ごと落としたのならともかく、裸のお札なのにご丁寧に届けてくれたのだそうだ。実際問題いくら隣りの人でもマンション住まいだとなかなか交流がない。まして拾って下さった人は越してきてまだそう日が経っていないので尚更知る由もない。
親切に届けてくださったその気持ちが嬉しくてりんごを5個袋に入れてお隣のドアノブにかけさせて頂いた。管理人さんに聞いたらお勤めが深夜だったり不定期なのでと言われたら渡す機会を失ってしまいそうで。
心触れあう人のありようは様々だけど、年末になるとそれが更に懐かしくなったり嬉しかったり。
今年も相手の心を大切にしながら過ごすことが出来ただろうかと改めて考えてみた。あっという間のの1年だからしっかり相手と向かい会って歩きたいものだ。

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 真剣勝負の凄さ

考えてみるとあと2週間少しで「新春箱根駅伝」なんですね!1月2日3日と選ばれた精鋭たちが競うこの競技には毎年すっかり虜になって興奮しています。
私も学生時代は走ることが大好きでこの競技が始まるとまだ自分が走れるかの錯覚に陥ります。高校に入学した当時あまりにも体が小さく、少し強くなりたいという一心で柔道部入部を希望しました。
道場に行く途中に器械体操をやっている講堂(体育館)を通らないと柔道部には行けません。途中で練習している体操部のそれはまるでサーカスのようで少し立ち止まって見ていたのが運のつき。
「体操部に入らないか?」近所の先輩の強引な誘いに騙されて3日間ほど試してみることにしました。まさに運のつきです。身長も無かったので体操にはもってこいの体型でしたがいかんせん前回り(前転)をするだけで目が廻る素人。騙され騙され苦労しましたね。なんと言っても同級生は中学のときから体操部。
それでも先輩はこう励ましてくれたのです。中学と違って高校での体操は器械体操が多い。従って耐久に強くなれば心配ないとこう言われたのです。信じましたね。うさぎ飛び、腹筋、縄跳び、その場飛び、クライミングロープ等々どれもこれも地獄でした。握力や脚力が付いたと感じたのは2年生になってからです。
2年生での握力は両方とも75を超えていました。肺活量は同級生の体育部所属の者より1000も多くなっていました。従って鉄棒・平行棒・吊り輪と技もどんどん吸収していったのです。
2年生の春の校内マラソンでは700名ほど走った中で17位でゴール。長距離ばかりでなくいつの間にか短距離まで力をつけていました。
あれから40年という言葉がありますが人一倍健康で元気でいられる基礎はその辺で出か上がったようです。
社会人になって昔取った杵柄を使えないのが体操競技でしょう。それでも40歳半ばまではバック転や宙返りをしましたがそれはそのひとつの技だけならです。つまりバレーやテニスのようには楽しめないのが体操なんですね。
ま、それでも他人(ひと)の経験できない様々な体験や出会いは体操をやっていたからこそというのもありましたね。どんなスポーツでも基本は走ることが一番大事。足腰がしっかりしている野球でのピッチャーは凄い結果を出します。走ることくらい簡単に出来そうでなかなか続かないんだな~。
体操の練習も勿論ハードです。試合ではたった1分11秒くらいの競技なのに1日5時間も練習しているときよりその1分は疲れるのです。この全神経を集中できる凄さはやった者にしか分かりませんが、それが駅伝ではその真剣勝負に10kmとかに全精力を使うんだから凄い。
私が釘づけになる気持ちお分かりですか?!青春の凄さ素晴らしさはそこにあるんだね!

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 風邪との戦い

不思議な男で、寝るときは必ずアイスノンを枕に敷かないと眠れないのが私です。
熱があるとか猛暑で眠れないとかではなく、真冬でも愛用?しているのです。勿論この時期ですと寒いのでその分タオルを多く重ねて冷たさを調整はしますがもう癖(習慣)になってまったく手放せません。
適度にひんやりすると気持ち良く眠れるからたまらないんだな~(一度お試しあれ!)
今の季節にそんなことしたら風邪ひいちゃうでしょう?そう思う人の方が多いようですが、実は私は雪国育ちなので冬に強いと思われがちなのにまったく冬は苦手です。その半面こたつで寝たなんてことは殆どありませんね。子供の頃はしんしんと降る雪の夜におふくろはこたつに足を入れられるように布団を敷いてくれたことも覚えています。
入り立ては暖かくて最高ですがやはり体温で布団が温まる程度が適温ですね。また部屋に暖房がかかっていても眠れません。暖房を消すと今までの暖房の余熱で部屋は段々冷え込んで来ますがそれが最高なんです。逆に暖房を点けておいた方が体調にはあまり良くないようですよ。
最近は特に健康面に注意をしていますが例えばお風呂上がりなどはやはり裸状態でいるとなんとも気持ちが良くてしばらく布団にごろりとなる。これがいけないんだね。もう真冬だよ!知っていてもあのひんやり感は特別。今朝なども部屋の掃除をした後はやはり少しの間部屋の窓を開けっ放しが気持ち良くついついそのまま片付けごとを続けてしまう。
夜のお風呂上がりにしろ朝の掃除の後にしろこの瞬間が一番危ないようですね。朝の散歩(兼ジョギング)の後のシャワー後もまったく同じ状態。健康に良いことの後に危険な行為をしているのだから気をつけないと。
健康でも風邪をひく時ってそんなものでしょう。
先日富山の薬売りの営業の人が話していました。「よくうがい薬を使いますが、あまりうがい薬を使いすぎると結構体に悪いんですよ・・・!」と。帰宅後は手洗いとお水のうがいで十分と言っていましたが本当だろうか?
何故私が疑がったかというと、「薬箱に何を入れましょうね!」って言うから、いろんな薬を頼んだ後に「そうそううがい薬も入れておいてください」と言う私にこの説明になったのです。
この薬屋ではうがい薬は扱ってないとか!!?そういうことか?こう思って正解のような気がした。ありがとうございましたと挨拶されて帰り際にゴホンゴホンと咳込んでいるんだから・・・
どちらにしてもまず規則正しい生活が第一。そしてなにより明るい気持ちでいることも妙薬のようです。来年は更にピョンピョン跳ねたいから風邪なんかひいていられないよね!

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 年賀状の意味

年賀状の受付を待って昨日投函して来ました。
年々増えていく枚数にも驚かされますがその枚数の増加はいかにこの1年間の行動力にあるかが分かりますね。勿論お会いした皆さんに全て差し上げる訳ではありませんが、差し上げられるような、また頂けるようなお付き合いができることを望みたいと思っています。
戴くお歳暮でも本当に心のこもったものが多く勉強させられます。
私も以前お店での販売の経験があるのでとてもよく分かるのですが、お客様が選んでいる様子に心打たれることが度々でした。
中には2,000円で何か良いものありませんかねってお店側に聞いてくる人もいます。お店としては買って頂きたい気持ちが強いですから結果的には一方的な形がそこに生れてしまうことがあります。これは結婚でのお祝の品を選ぶときもまったく同じですね。
昨日ある方から「海の幸詰め合わせ」がクール便で届きました。詰め合わせですからいろんな種類を楽しめます。しかし、そこには本当に美味しさが凝縮されているような品が顔を覗かせていたのです。
お礼の電話でそれが分かりました。つまり、製造元に直接出向いて特別に調理されたものがあったのです。やっぱり!その心が嬉しくてたまりません。「おもてなし」とはそういうことなんだ。物事(感謝)は金銭では決してなく心なんだ。CMでよく「心をこめた贈り物」と唱っていますが贈り手側の心が添えられるって本当に素晴らしいことだと今更に思います。
これは年賀状もそのひとつだと思っています。先日もこの件に少し触れましたが、やはり出来ることなら手書きにこしたことはありません。
毎年、迷って迷って年賀状づくりに挑戦しています。ご存知のように今は簡単にパソコンでプリント出来る時代ですが、それでも思いをどうその1枚に込められるか考えてしまいます。
同じプリントでも、決して他にはない絵柄を採り入れたりと無い智恵を絞って年賀状づくりに挑戦しました。1枚1枚コメントを変えてみたり等工夫の数が今回は17cmほどになりました。
来年が素晴らしい年でありますようにと願った年賀状。その思いの数だけ良いことがあるでしょうか?
ある人がこんなことを言っていました。「年賀状を出さなくなれば、なにかその人との縁も切れてしまっているんだど感じるよね・・・!」と。
個人的なお付き合いも、仕事上のお付き合いも、本当におもてなしの心を失わずにいたらきっと絶たれることは無いと思うのだが、そこに損得で接している人がいる限り来年の1枚は無くなってしまうかも知れませんね。

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 忠義に触れながら

さっそくお便り(メール)を頂きました。やっぱり興味のある方は沢山いるんですね!
教えて頂いてありがとう!実はテレビ朝日系で今月の25日(土)午後9時から「ドラマスペシャル・忠臣蔵・その男大石内蔵助」が放送されるそうです。それだけではありません。それより1週間早く18日より映画でも上映されるそうです。題名は「最後の忠臣蔵」
泉岳寺でも映画やテレビの放送(上映)告知が多かったですね!
もう何十年になるんでしょうか!この時期になると決まって赤穂義士に関する作品が舞台でスクリーンで観れます。それに昨日も話したようにこの忠臣蔵ほど描きようのあるものは他に類をみないでしょう。
大石内蔵助を誰が演ずるか!憎っくき吉良上野介を誰が演ずるか!このキャスティングだけでもその見応えと楽しみ方は大きく違います。もちろん、この二人に限らず義士ひとりひとりにスポットを当てただけでも50作品以上になるからすごいものです。
今回のテレビで描かれるかどうか分かりませんが立花右近とのかけあいなど時代劇フアンならずともその醍醐味はそれぞれの人間模様に感動しながら満喫できます。

泉岳寺
義士祭には夕方にもかかわらず多くの人が

泉岳寺2
冬の寒空と幻想的な光景が義士の魂とともに

昨晩、久し振りに泉岳寺の墓前に参りましたが心をひとつに本懐を遂げた義士たちが肩を並べて眠っていることに改めて忠義なるものを考えさせられました。
日本にはこうした仇討を三大仇討として歌舞伎や映画等々で何度も何度も上演して来ました。
「赤穂浪士の討ち入り」「荒木又右衛門の仇討ち」「曽我兄弟の仇討」、一度この機会に学んでみるのも良いかも知れませんよ。
話は戻りますが、実際に墓前に立って思うことはそのドラマを知れば知るほど奥が深くもっと知りたいと思わされます。知っているようで知らないことはまだまだありましたから!

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 赤穂浪士の討ち入り

元禄14年春。播州赤穂藩浅野家家老大石内蔵助は、江戸からの思いもよらぬ知らせに言葉を失った。
この季節になると決まって「忠臣蔵」の映画が上映されたものだ。源義経にしろ赤穂の義士にしろ日本人はこうした判官びいきものに酔ってしまう傾向がある。どこかで着色された部分も多いのだろうとは思っても忠臣蔵ほど様々な角度から描ける作品は少ないだろう。
若いみなさんの為に少し「忠臣蔵(ちゅうしんぐら)」について触れてみたいと思う。
先の藩主である浅野内匠頭(たくみのかみ)が殿中松の廊下(江戸城)で高家筆頭・吉良上野介(きらこうずけのすけ)に斬りかかったというのが内蔵助への思いもよらぬ知らせだったのだ。
内匠頭は朝廷からの使者を接待する役目「勅使饗応役(おもてなし役)」を務めることになったが、諸式指南役の上野介からことごとく意地悪い仕打ちを受け、その屈辱に耐えかねての刃傷(にんじょう)だった。
これは、今で言うところの賄賂(わいろ)を届けない内匠頭に意地悪をしたということだ。これが想像を絶する意地悪だったところに問題があった。
さらに、時を経ずして届いた続報に、内蔵助は愕然と息をのむ。なんと幕府は、殿中における刃傷沙汰を不届き千万として即日切腹を命じ、かつ赤穂五万三千石は取り潰しという裁定を下した。対する吉良には、一切のおとがめなし。喧嘩両成敗が慣習である当時、あまりにも不公平すぎる裁定だった。
訪れた赤穂の城の明け渡し。様々な議論のあげく内蔵助のひとことで、抗議のための籠城、殉死をを遂げることと決まった。ところが、約束の日、城に集まったのはわずか56名。300人以上いた家臣の多くは離散し、中には卑怯にも姿をくらます者も。やはり死ぬのは恐かったのだろう!しかし、切腹と言った内蔵助の心には並々ならぬ決意が隠されていたのだ。
切腹を覚悟で集まった家臣に、内蔵助はこう言った。「この内蔵助の望みはただひとつ。怨敵・吉良上野介の首でござる。本懐を遂げるまで、この内蔵助を信じ、おのおの方の命をお預け願いたい」。
こうして主君の切腹からひと月あまりで赤穂城は明け渡され、浅野家は断絶した。
最終的には50余人になった義士たちによって吉良上野介の首をはねるまでに壮絶な準備と生活が始まる。
仇討はきっとあると怯える上野介と最終的な四十七士のそれぞれのドラマはあまりにも判官びいきの日本人にとっては心惹かれずにはいられない史実となったのです。
本懐を果たすべくその日、吉良邸(東京都墨田区界隈)周辺はあの雪景色だった。元禄十五年十二月十四日。待ちに待ったその日(討ち入り)が今日なのだ。私も何度か泉岳寺を訪れたが、生れて初めて高輪泉岳寺にその当日出かけたいと思っている。

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 波島陽子に出会って 2

勿論厳しい洗礼を受けた生徒がいなかった訳では決してないのだ。波島が一番大切にしている「おもてなしの心」、つまり人間性を失ったようなものの考え方に対しては断固許すことはない。
日本の文化は「心」とまで思っている先生だからすぐに出入りを禁止する訳では決してない。根気良く諭しながら純粋に導いて行こうとするが、難儀なことに相手(生徒)もまた生まれた環境や様々に経験も違い、少し常識離れしていてもそこに気づかない人も少なくない。なにもこれは波島教室に限ったことではないが、そこのところをまた波島はとても良く理解しているのだ。
すなわち、そうした負の自分を矯正したいと門をたたく者もいるからだ。「しぐさが女性らしくありたい」とか、「優しさが外見に現われるようになりたい」とか「ガサツな自分を変えたい」などと自分をしっかり分析している生徒も多い。
しかし、習い始めて何日か経つとその変わり様にただただ驚かされる。それは生徒本人たちが一番良く知っているようだ。
あるプロデューサーがこんなことを言っていた。「本来は舞踊教室の世界でも最高の授業料を取っても決しておかしくないのに少し安すぎでは・・・?」と。
ところが波島はこのように返す「一生懸命働いてなんとか工面して通って来る生徒さんに、本当はもっとお手頃の授業料体制でなければ・・・・」と。今年の秋に新しいお稽古場を開設したのもそこに大きな理由があった。「せっかく通って来られる生徒さんたち!どこのお稽古場にも負けない環境の中でもっともっと日本の文化を楽しんでもらいたい」とも。
勿論彼女はそんなことを恩きせがましく言う人ではないので逆に気づかずにいる生徒さんの方が多い。その環境も指導もすでに生徒さんにとっては当たり前になってしまっているのだ。
中にはそこがしっかり理解できて感謝の心とともに楽しんでいる生徒さんもいる。なんでもそうだが、馴れとか当たり前になるってある意味恐いものだ。
人だからこそ相手の心を受け取る術を知っている。人だからこそ相手に愛情を投げかける術を知っているのだ。相手の成功や発展を心から喜べることこそおもてなしの心なのではないだろうか?
現在、中国がノーベル平和賞受賞問題で世界中から顰蹙をかっているが、どんなに大国になったと言ってもまだまだ日本に追いつくにはそれこそ気の遠くなるような年月がかじゃるような気がする。
日本はそれほど素晴らしい国であることに益々誇りを持って頂きたいものだ。その陰には心から尊敬できる波島陽子先生のような人がいるということももっともっと知って欲しいと願っています。

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 波島陽子に出会って 1

最近波島陽子の日本舞踊教室の門をたたく若者が急増している。
なんとか日本の文化に触れながら自分を磨きたいとする若者が多いのだ。
波島陽子の教室は新舞踊を中心にお稽古をしているが実は全国で数ある新舞踊とは少しその内容が違う。それが証拠には教えを乞う生徒の平均年齢が28歳と若いのがその特徴である。各地で行われている発表会の舞台を観た人が口をそろえて評するその内容も実に興味深い。
生徒の年令は5歳から70歳代までと巾広いがしかしその殆どは20代なのだ。日本舞踊に興味ある人たちだけに他の劇場での発表会を見学に行く機会も多く、観れば観るほど波島陽子の振り付けとその指導に改めて感動している人たちばかり。
実は波島にもこだわりがあって、彼女のこだわりは新舞踊(演歌・歌謡曲等)であっても古典ものや純粋に日本舞踊の基礎を徹底して大切にしているところにある。
この踊りを観た若者はすっかりその舞い姿に魅せられ虜になってしまう。芸事ってとっても不思議だと思えることは人間がそれぞれ顔が違うようにお稽古していくうちに段々とその人なりの魅力が突出し顔を覗かせてくる。すなわち曲調や歌手によっても演歌(歌謡曲)も様々であるように、踊り手によってその作品が新しく生まれ変わるという訳だ。
日頃一生懸命働いて、大切な休日をこの日本舞踊の稽古にその時間を充てている。当然お稽古を重ねればそれなりに上達もしていく。
波島の芸仲間がこんなことを言っていたのが印象的だった。波島のお稽古風景を見たあと、「とっても陽ちゃんみたいにこんなに優しく根気よくなんて私教えられないわ・・・」、つまり逆に考えてみたら素人さんが多い中、ここまでみなさんが楽しんで通えるということは優しい先生の心にあるようだ。
かと言って決して妥協したり甘やかせているわけではない。ではなぜ生徒が楽しんで通って来ているのか?それは波島陽子という指導者の心根にあるといって過言ではないだろう。普通に考えれば、芸事って厳しいものだ。また厳しくって当たり前だとも思う。ある生徒の親御さんがこんなことを口にしていたことがある。「先生って怒ったことないでしょう・・・」と。
私はそのときあることを思い出していた。つまり、指導者は怒ったりすることのイメージは普通についていると思うがそれは大間違いであると言うことだ。怒るということ、イライラするということそれすなわち指導力のないことを如実に表しているようなものなのだ。指導力があれば決して怒る必要などないという典型的なお稽古場なのだ。(つづく)

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 今年の漢字一文字に思う

昨日たまたま京都の清水寺の舞台を背景にお芝居の台本を書いていたらなんと漢字一文字は清水寺で発表されていた。「暑」だった!本当に今年は今までに経験したことが無いほど「夏」が長かった。猛暑が秋という季節を焼き消してしまったほどの毎日。
特に農家の皆さんにとっては思い出したくもない暑さだっただろうと思う。自然の力にはどんなに科学が進んでもまだまだ逆らうことは出来ない。あの素晴らしい自慢のこしひかりでさえ殆ど2等級になってしまったのだ。
私は夏男だから暑い方が好きなんだが生活を狂わすほどの暑さは要らない。
時期が来て今年の世相を表す漢字一文字はと考えたとき「猛暑」の猛と考えたが外れた。農作物どころかあの美しい紅葉も天候の影響で今年は見ることが出来るんだろうかと少し心配だったが自然の生きものは決して負けていなかった。美しいライトアップはテレビからだが美しく綺麗に楽しませてくれたのだ。
いろんなことの多かった今年もあと数日で幕を閉じる。今年は少し遅めのカレンダー購入に銀座の文房具店に出かけたが年末ジャンボ売り場といい、なんだか忙しそうな街の様子はやっぱり年の瀬を感じさせる。
終わり良ければと言うから最後の最後まで心豊かに楽しく過ごしたいものだ。きっと良いことがあるだろうと思えば楽しい。
猛暑は過ぎたがこれからはますます心熱くいようかとほくそ笑んでいる自分がおかしい。
人それぞれ1年の過ごし方が違うだろうがそう考えると結構今年1年を振り返るのも楽しい。
私の1年は「穏」と執ってみた。特に多くの若者たちと接する機会に恵まれ、その一人一人の素晴らしさに心癒され例年になく忙しかったはずなのに不思議なくらい穏やかな気持ちで生活できたからだ。
人との触れ合いは年令に関係なく素晴らしいことが多い。
新しい手帳の見開きに大きく「夢」と書いたのもそうしたみなさんのお陰だと思っている。
米国の詩人:サミュエル・ウーマンの言葉に
青春とはある時期をいうのではなく
心のありかたを言う
人間は年令を重ねたときに
老いるのではなく
理想をなくしたときに老いるのだ
とある。青春時代はとうに過ぎたがそうした若者のおかげでまだまだ青春させて頂いていることは嬉しいかぎりだ。しかも穏やかに過ごせるのだから幸せ者だ。

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 冬の星座

1年で最も美しい星座が観れる季節がやって来ましたね。
なかなか都会では綺麗な星座を観ることができませんが、それでも今の時期だけは星を見たいと思わせるほどはっきりとその姿を見せてくれます。
そんな中で、強いて私が子供の頃から見続けてきたのが東の空に輝くオリオン座です。ウルトラマンはM78星雲からやって来たとされていますが、オリオン座はトレミーの48星座の1つで、勿論あの3つ星が目印です。ここにはM42星雲があることでも知られていますが私には何故か何年経ってもロマンチックに見えます。
少し知っているだけの知識でオリオンを語ってみましょう。
オリオンはとても腕の立つ巨人の猟師で、狩りの女神アルテミスと一緒に暮らしていたんですが、アルテミスの兄のアポロン神はそれが気に入らなかったのだそうです。ある日、オリオンが頭だけを水の上に出して海を歩いているのを見つけたアポロンは、妹のアルテミスにそれを指で示し、「いくらお前が狩りの女神であってもあの海に浮かんでいる黒いものを射ることはできないだろう」と言ったそうです。
アルテミスは弓の名手でもあったので、それがオリオンだとは知らずにオリオンを射とめてしまったとのこと。やがて、オリオンの死体が海岸に打ち上げられ、悲しんだアルテミスはオリオンを星座に上げたといいます。

冬の星座の美しいこの時期に、それぞれ大好きな星座の物語などに触れてみるのも楽しいかも知れません。
大ヒットした韓国ドラマ「冬のソナタ」に出てくる北斗星(ポラリス)も物語にとてもうまく採り入れて見事でした。冬の夜空は一年中で一番美しいから、それだけで心が優しくなれるんでしょうかね。
北斗七星やふたご座等々この機会に外に出てもう一度改めて観てみませんか?
時代の変化は目まぐるしく変化しているのにいつもどっしりと構えている星を観ていると本当に手を合わせたくなるから不思議です。
戦国時代や300年続いた江戸時代、そしてあの恐ろしい戦場にも、今と変わりなく光り輝いている星座たち。宇宙飛行士たちが宇宙船から地球を観たと同じように、それぞれの星もずっとずっと地球を見守って来たのでしょう!
全てを観察し続けている星たちは今の地球にどんなメッセージを送ろうとしているのでしょうかね?
悲しいときも、嬉しいときもそれぞれの星たちが多くの人々の心にしっかりと潜んでいるのです。星は人間にとって切っても切れない心の支えなのかも知れません。

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 あなたにもサンタクロースが!

いかがでしたか?
心洗われたと思える人にだけ妖精たちに会えるんだってことがこの一冊の本で改めて分かったでしょうか?
恋人と過ごすクリスマス!家族で過ごすクリスマス!素直な心でドキドキしながらデートした頃をもう一度思い出しながらこのクリスマスを迎えてみたらどうでしょうか?
嬉しいことに以前私は、わざわざ妖精の国まで足を運ぶことができました。イギリスにはそのためだけに伺ったのです。贅沢な旅でしたね。だって妖精の研究では第一人者の井村君江先生が直接案内してくださったのですから最高の宝物です。
赤い帽子に緑色のベストを着た妖精たちが楽しそうに私たちを迎えてくれたです。専門家の案内に目からウロコ状態でしたね!文学者と渡英できるなどそれこそ夢のまた夢ですが私にはそれもこれもサンタの贈り物と思えた時期でしたね。
「私一人に何が出来る?」、現実には難しい問題が山積していますが、知り合えた一人でいい、誰か一人に、また一人に伝えることが出来ればと何十冊も購入しました。その本と出会った人が、また一人に伝えてくれたら、そんなんで良いからこうした素晴らしい作品に出会って頂けることで世の中が過ごしやすくなればいいななんてささやかな願いです。
自分自身に優しくなれたらきっと触れあう人一人一人に優しくなれるのだと思います。
離れられないほど好きで愛し合って結婚したはずなのに、いつの間にか味気ない空気が漂うなどと嘆く夫婦をよく見ます。
自身から発信せずに求めている心が相手から返ってくることはあり得ません。心が冷めて離れる夫婦もよく見ますが、そうした人に共通しているのは自分はやっていると勘違いしていることです。
夢のある子どもたちを育てるためにもまだまだ自分自身が心素直に優しくありたいと思うこの頃です。
素晴らしいことに、1年の締めくくりにクリスマスがやってきます。温かさをそこに集め、こころと心を通い合わせる時間に使って頂きたい。
ふしぎなもので、そんなあなたにもう一度サンタクロースはやって来るような気がします。


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 サンタクロースっているんでしょうか? 本編

サンタクロースって、いるんでしょうか?
そんな質問に、ぴったりとこたえた人がいます。いまから百年ほどまえのアメリカのニューヨーク・サンと言う新聞にでた社説です。この本は、その社説を訳したものです。
さあ!サンタクロースって本当に、いるんでしょうか? 中村妙子

(1897年9月21日 ニューヨーク・サン新聞「社説」)
ニューヨーク・サンしんぶんしゃに、このたび、つぎのような手紙がとどきました。さっそく、社説にとりあげて、おへんじしたいとおもいます。
この手紙のさしだし人が、こんなに大切なしつもんをするほど、わたしたちを信頼してくださったことを、記者いちどう、たいへんうれしくおもっております。

きしゃさま
あたしは、8さいです。
あたしの友だちに「サンタクロースなんていないんだ」っていっている子がいます。パパにきいてみたら「サンしんぶんに、といあわせてごらん。しんぶんしゃで、サンタクロースがいるというなら、そりゃもう、たしかにいるんだろうよ。」といいました。
ですから、おねがいです。おしえてください。サンタクロースってほんとうに、いるんでしょうか?
バージニア=オハロン  ニューヨーク市西95丁目115番地

バージニア、おこたえします。サンタクロースなんていないんだという、あなたのおともだちは、まちがっています。きっと、その子の心には、いまはやりの、なんでもうたがってかかる、うたぐりやこんじょうというものが、しみこんでいるのでしょう。
うたぐりやは、目に見えるものしか信じません。うたぐりやは、こころのせまい人たちです。心がせまいために、よくわからないことが、たくさんあるのです。それなのに、自分のわからないことは、みんなうそだときめているのです。
けれども、人間が頭で考えられることなんて、おとなのばあいでも、もともとたいそうかぎられていることなんですよ。わたしたちのすんでいる、このかぎりなくひろい宇宙では、人間のちえは、一ぴきの虫のように、そう、それこそ、ありのように、ちいさいのです。
そのひろく、またふかい世界をおしはかるには、世の中のことをすべてをりかいし、すべてをしることのできるような、大きな、ふかいちえがひつようなのです。
そうです。バージニア。サンタクロースがいるというのは、けっしてうそではありません。この世の中に、愛や、人へのおもいやりや、まごころがあるのとおなじように、サンタクロースもたしかにいるのです。
あなたも、わかっているでしょう。 世界にみちあふれている愛やまごころこそ、あなたのまいにちの生活を、うつくしく、たのしくしているものなのだということを。
もしも、サンタクロースがいなかったら、この世の中は、どんなにくらく、さびしいことでしょう!
あなたのようなかわいらしい子どものいない世界が、考えられないのとおなじように、サンタクロースのいない世界なんて、そうぞうもできません。
サンタクロースがいなければ、人生のくるしみをやわらげてくれる、子どもらしい信頼も、詩も、ロマンスも、なくなってしまうでしょうし、わたしたち人間のあじわうよろこびは、、ただ目にみえるもの、手でさわるもの、かんじるものだけになってしまう。
また、子どもじだいに世界にみちあふれている光も、きえてしまうことでしょう。

サンタクロースがいないですって!
サンタクロースが信じられないというのは、妖精が信じられないのとおなじです。
ためしに、クリスマス・イブに、パパにたのんでたんていをやとって、ニューヨークじゅうのえんとつをみはってもらったらどうでしょうか?ひょっとすると、サンタクロースを、つかまえることができるかもしれませんよ。
しかし、たとい、えんとつからおりてくるサンタクロースのすがたがみえないとしても、それがなんのしょうこになるのです?
サンタクロースをみた人は、いません。けれども、それは、サンタクロースがいないというしょうめいにはならないのです。
この世界でいちばんたしかなこと、それは、子どもの目にも、おとなの目にも、みえないものなのですから。
バージニア、あなたは、妖精がしばふでおどっているのを、みたことがありますか?
もちろん、ないでしょう。だからといって、妖精なんて、ありもしないでたらめだなんてことにはなりません。
この世の中にみえないもの、みることができないものが、なにからなにまで、人があたまのなかでつくりだし、そうぞうしたものだなどということは、けっしてないのです。

あかちゃんのがらがらをぶんかいして、どうして音がでるのか、なかのしくみをしらべてみることはできます。けれども、目にみえない世界をおおいかくしているまくは、どんな力のつよい人にも、いいえ、世界じゅうの力もちがよってたかっても、ひきさくことはできません。
ただ、信頼と想像力と詩と愛とロマンスだけが、そのカーテンをいっときひきのけて、まくのむこうの、たとえようもなくうつくしく、かがやかしいものを、みせてくれるのです。
そのようにうつくしく、かがやかしいもの、それは、人間のつくったでたらめでしょうか?
いいえ、バージニア、それほどたしかな、それほどかわらないものは、この世には、ほかにないのですよ。

サンタクロースがいないですって?
とんでもない!うれしいことに、サンタクロースはちゃんといます。それどころか、いつまでもしなないでしょう。
一千年のちまでも、百万年のちまでも、サンタクロースは、子どもたちの心を、いまとかわらず、よろこばせてくれることでしょう。

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 サンタクロースっているんでしょうか?

8歳の少女の質問にこたえ、ある新聞社が、愛情をこめて、味わい深い返事をだしました。
これはアメリカで実際にあった話で、私がこの一冊を手にしたときの感動は今でも忘れません。朝日新聞の「天声人語」にはこんなふうに載っていました。
「この世の中に、愛や人へのおもいやりがあるのと同じようにサンタクロースもたしかにいるのです」この社説は「古典」としていまも語りつがれているという・・・
信頼、想像力、詩、愛、ロマンスだけが、目に見えない輝かしいものを見せてくれるのだと、社説は少女に語りかける。みずみずしい筆致である。と
私は1冊の本を50冊もプレゼントしたことが過去2回ありました。1冊目は立原えりか先生の「花かんざし」、そしてもう1冊がこの「サンタクロースっているんでしょうか」です。
昨年の丁度今頃も3冊ほど若者に贈ってあげました。残念なことに「花かんざし」は廃版になり現在は手に入りません。そんなことも知らず持っている本まで全て差し上げてしまいました。
偶然ラジオで放送してもらった録音テープが残っていたのでその文面を書き起こしましたが、どちらも心洗われる最高傑作です。
サンタの話は100年以上前の話ですが,人間が持つべき一番の宝物がそこに潜んでいることを改めて伝えたいですね。
現在、NHK朝の連続テレビ小説「てっぱん」にも,人と人の間に生まれる温かい心を描写していますが私などすでに何度も何度も感動の涙を流してしまいました。
人間だからこそ通う心の妙味。礼節を失いがちな世の中にあって損得を追求するのではなく感謝そのものの中で生きていける素晴らしさを私も何かの形で一人でも多くの若者に伝えられたらな~と更に思っているところです。
特に今月はお世話になった大切な人への贈り物(歳暮)の時期、そして指折り数えて待っている可愛い子供たちへのサンタさんからの贈り物の季節。どちらも心がこもってこそのものだと思います。
いつだったか、ある社長が取引先に年末の挨拶に行ったときのことでした。用意していたお歳暮を部下からお客様(取引先)に渡させたときのことでした。挨拶後別室に呼ばれた社長が取引先の取締役にこっぴどく叱られました。「なぜ自分で直接渡さないのか」と。その通りでした。
ご挨拶に伺ったのではなくお歳暮を配り歩いていただけと言われても仕方のない場面だったからです。本当は高価な物も何も要りません。そこに心を届けに行ったとしたら笑顔の談笑で終わったでしょうにね。
サンタクロースの全文を明日このページに載せたいと思います。お楽しみに!

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 スカイツリーの完成を待つ

来年は素晴らしいツリーが登場しそうです。
我が家からもよく見えるタワーですが近くに行くとこうなります。周りの工事関係の機材が全て取り外されるとどんな美しさを見せてくれるのか今からとても楽しみです。
それにしても歩いても20分かからないところの景色!ちょっと贅沢ですね!
私はカメラを構えていつも思うのですがこれだけ高い塔は近くから撮るものではないと思います。スカイリーをどの位置で撮ったら良いか今から探していますが、前にも話したように雷門通りからの絵も最高と言いましたが、良いスポットを発見しました。それは千葉県側に渡り江戸川の堤防からカメラを構えたら日本一と世界一のコラボレーションを観ることが出来そうです。
つまり、その位置からはあの富士山がとても美しく見えるのです。従ってツリーの後ろに富士山を入れた絵柄が撮れるということですね。とくに冬の富士山はしっかりと雪をかぶっていて空気も透き通っているのでこれ以上のスポットはないでしょう。
12月か1月中に予行演習したいと思う。どんな写真より素晴らしいショットになりそうで楽しみです。
勿論隅田川周辺辺りからだとライトアップは最高に綺麗でしょうね。これからカメラマンにとってたまらないシーズンになりそう!

東京スカイツリー

来年の今頃は外観だけなら完全に仕上がっているので今からその研究も欠かせませんよ。
実際には墨田区に建設されているのにまるで浅草の観光名所のようで我々にとっては嬉しい限りです。いつも外国人のお客様を着物姿でご案内していますが最初に撮影する1枚が雷門通りで撮るスカイツリーの1枚です。地元なんだから良きスポットをもっともっと探さないといけませんね!
まあ!どちらにしてもさすがに500mを超えた建造物は凄い迫力です。是非カメラ持参で訪ねてみてくださいな!

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 常識ある日本人

世の中が便利になって普段手紙など書いたこともない人からも簡単にメールが届く世の中になった。便利ではあるが文字の変換に間違いの多い文章も少なくない。それでも用件を伝えたりは本当に便利になった。
まもなく年賀状のシーズンだが私はここで一番頭が痛いのが自筆で出す出さないの問題だ。仕事の関係で700枚になろうとしている葉がきの枚数にとても自筆では対応出来なくなってなっているからだ。
頂く年賀状には年5枚ほどが自筆の葉がきが届く。実に嬉しいし感動する。分かっていても全てパソコンで仕上げてしまう自分が情けなく思う。(事実上無理なので許していただいて・・・)
しかし区分けだけはしている。これはブロックに分けているということ。すると必然的に文章を変えることができるのだ。700枚全て同じ年賀状ではなく10ブロックほどに分けることできっと気持ちは伝わってくれるのではないかと勝手に満足している。
今日私がここで便利になったメールについて語りたいのは、連絡事項や普段の何気ない簡単な用件とお世話になったことへのお礼等が全て携帯メールで扱われる現状についてだ。
先ほどの年賀状も本来であれば手書きにこしたことはない。例えばお世話になった会社の先輩や社長に退社や旅行休暇願い、また出産祝いのお返しをメールにして片付ける神経についてだ。
「お世話になりました」と本来であれば直接相手に会って口頭(心)で告げるべきではないか?出産のお返しなども直接出向いてご挨拶をするのが礼儀と言える。
食事をご馳走になって「昨日はありがとうございました」とメールを送信するのとは大きな開きがある。よく日本人はおもてなしの心を持った素晴らしい国民と称されているが心があるかないかの違いなのだから「心」を大切にした対応を望みたい。「暮れの元気なご挨拶」と軽快なBGMでCMがこの時期流れるが風呂敷に包んでご挨拶に訪れるシーンではないのだろうか?
段々簡略化されていったら日本が日本でなくなってしまうようで悲しくなってしまう。礼節をわきまえた行動は心があれば誰にでも出来ること。メールを使う場所をしっかり区別して相手に決して失礼のないように振舞って欲しいものだ。
日本がどれ程素晴らしい国か、いくら中国が経済大国になろうがいくら諸外国が発展しようが、日本人の心の持ち方に追いつくまでにはまだまだ何百年もかかるような気がする。それほど日本は素晴らしい国なんだと自信を持ってほしい。
便利を勘違いして礼節まで失ってしまうことのないように日本人としての誇りを持ちたいものですね。

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 気の持ち方

「気」という意味を改めて考えてみよう。最近の子は覇気がないとか元気がないなどという。勇気を持って気長に構えろ!等々、ここには必ず「気」という文字がついている。
これには大きく3つに別れているような気がする。「生命」「意識」「心」などがそれに当たるだろう。
『陽気・陰気・気慨・奮起・活気・気合・気炎・気運・気心・気骨・気丈・気付・気勢・気絶…』数え上げたらきりがない。
「気がある」「気が合う」「気が多い」「気が重い」。普段何気なく使っている言葉も「気」については実に多い。
「気配り」「気働き」など若いころよく言われたものだ。
勿論全てではないが、この気配りや気働きがないとどうにも厄介な部類に入ってしまう。甘やかされて育った等よく年配者が口にする言葉だが、そうではなく親にその気づきがなかっただけだ。従って心配りや気を働かせるなど到底無縁に育ってしまう。
特にサービス業などに従事する場合、この気配りや気働きの出来ない人は経営者には一番敬遠されるところだ。旅先などで「今回の旅行は実に楽しかった」と言えるのは料理やお風呂そして施設以上にこの気配りや気働きの出来る従業員に出会ったことの方が大きいはずだ。「また来たい」、これがおもてなしの原点でしょう。
少しこのことと関係ないように見えるのが健康管理だ。企業は決して余分な人など雇う余裕などないはずだ。自分が本当にその会社で役立つ人間でありたいと思う人は健康管理も万全でなければならない。これが出来る人が本当に勇気がある人と称えて良いだろう!
本気で気を使っていれば「病欠」になど決してならない。これは芸能人を考えるとよく理解できると思う。公演の決まった舞台を休めばすなわち舞台に穴があく。チームプレーとして決して許されない。よく、役者は親の死に目にも会えないと言われるのはそこだ。
そんなとき、「気が緩んでいるからだ」などと言われないか?何も気とは健康管理にだけ当てはまるものではない。仕事でもスポーツでも「気」があるかないかは大きい。さしずめ先の海老蔵事件を気で例えるなら「気が気でなかった」と親の気持ちを察したい。本人は殴られて気が遠くなったに違いない。
つまり、気は「心」を表すことが多いわけだから無数にある「気」の中から明るく健康で力強い「気」を選んで人生を歩いて頂きたい。
何ごとも出来ないのではなく「やる気」がないだけだと自身にはっぱをかけ気を吐いて欲しいと思う。
このブログに目を通して頂いた皆さんには是非気を良くしながら1年を締めくくって頂けたら幸いかな!!
特に若い皆さんには、前述の「気配り」や「気働き」の出来る心を養ってもらいたい。

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 君子危うきに近寄らず

先日快記録を達成した福島千里が可愛そうでしたと話しました。明るいニュースが暗いニュースに負けた日でしたね。
日を追うごとに一面を飾った市川海老蔵の話題がヒートアップしています。
これは何も今の若者ばかりに言えることではありませんが、ニュースとしてテレビにテロップが流れた瞬間私はある諺を思い出していました。「君子危うきに近寄らず」という諺です。
ご存知のように「人格者は身を慎(つつし)むむ者であるから、危険な所には初めから近寄らない」という意味。新婚である彼が深夜、それも3時4時に飲みやにいること自体それがすでに天罰なんですね。
父である団十郎氏でさえ、当人の態度や言動に問題があるからこういうことを招くんだと手厳しい談話でした。過日、横綱白鵬の心を称賛したばかりですが注目されるような立場であればあるほど自重しなければならないと思う。
人間の心は非常に微妙なところがあって「勘違い」する者が多いのは何も今回に限ったことはない。ときどき政治家についても苦言を呈しているがこれはすべて「人間だから」が原因にすぎない。
政治家になった途端、まるで人間が変わったように勘違いしてしまう。先生先生と言われ囲まれる環境が変わることで本人は特別な人間になった錯覚するのだろう。いい訳ばかりしているのは謙虚さの無さが成せる技で気の毒で仕方ない。
目まぐるしい生活環境の移り変わりで、忘れられていることわざや名言を思い出して欲しい。短い言葉の中には学ばなければならない智恵や教えがたくさん詰まっています。
学びには謙虚さや感謝の気持ちがとなり合わせでないとならないことも分かっていないといけません。
私も知人で立派な人なのに酒が入ると人間が変わってしまい人生を駄目にしたという人を何人か見てきました。自分が勤めていた会社の社長が勘違いして偉ぶり、「自分は大丈夫」と飲酒運転を繰り返していたんです。周りの意見を聞く姿勢のない社長からは良い人材が去っていったのも事実です。
偉いとは周りが決めることであって自分からそう思っている人物ほど滑稽なものはありません。
結婚してまだ8ケ月。本当に奥さんを大切にしていると言えるのでしょうか?傲慢な態度が見え隠れしていたと少しずつ報道されています。
まだ若くて良かった。何とか整形も施して今度こそ素晴らしい表現師として本当の芸に邁進して頂きたい。生死をさまよった父にお詫びをさせているようではまだ半人前としか言いようがないでしょう。高い授業料でしたがさらに新妻との絆を深め家庭もフアンのみなさんをも大切にして頂きたいと思います

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 楽しみな英会話のレッスン

実は私最近英会話の勉強始めました。たまたま日舞の生徒さんが英会話の塾を開いていて月2回個人指導してもらうことになったものです。
浅草寺境内で外国人観光客のみなさんに時々案内を兼ねて写真を撮ってあげているんですが、単語を並べるだけの、度胸だけのカトコト会話には限度があって正直話せたらいいななんて思っていたところです。
今までにもイギリスやアメリカ、シンガポール等々出かけてみてその奮闘記はまるでドラマになるような滑稽なものばかり。昔でいうところの野次喜多道中ですね!
英会話とは不思議なもので、私の場合単語だけの度胸会話でやってきましから基本はまったくなっていません。
例えばイギリスのホテルの浴室でシャワーを浴びていたときのことでした。突然非常ベルが鳴ったのです。ご存知のようにイギリスのホテルでは館内放送はありません。従って裸の私の恐怖は大変なものでした。
浴室には電話があったのですぐに受話器を取ると「what?・・・」んんん・・・ファット?でしたね!それからが大変でした。つまり私からフロントに電話した訳だから話さなければなりません。「オー・・・、マイルームナンバー203?!!!マイルームドアアップベルリンリンリン・・・ワ~イ」?????
すると電話口では「ベルはテストです」(そう言ってた)と返って来ました。聞いてくださいそれからの安堵感!「オーテスト!!ok! センキュウー・・・」
こんな感じでいつも旅してました。勿論仕事で出かけているので通訳の人は帯同しているんだけど一人でしゃべりたいときはこうなります。
こんな風だから特別習おうなんてしなかったんですね。カタコトで通じたらそれでいいや!その程度だったのと学校を卒業してからそれを習うようなチャンスがなかったのも必要性を感じていなかったのも事実だった。
前述のように今は着物ツアーで1時間ばかり仲見世をご案内する機会があるわけです。
塾の先生ということもあって思いきって頼んでみました。その授業が先週から始まったという訳です。
勿論先生ですから発音の素晴らしさにただただ酔うばかり。1時間のレッスンは緊張だけで終わってしまいましたが、30分ほどして先生が外国人になっての立ち稽古!さっき習った会話がまったく出来ず頭の中は真っ白!先入観と言うか今までのカタコト会話の癖がすっかり身についていることに気づき、いくら習ったことをその場で使おうとしても途中で出て来ない!!先生は私のために教材を作って来てくれて分かりやすくなっているのに・・・
どうしたら英会話に馴染めるかのコツを教えてもらったのだから次回のレッスンまでにとにかく何度も何度もテキストとにらめっこだ! 楽しくも不安なスタートに一人笑ってしまう私でした!素敵な先生なんだから迷惑かけないよう教え甲斐のある生徒にならなければ・・・(^_-)-☆Thank You

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 新しい始まり・・・

2010年もいよいよあと1ケ月となった。
来年の今頃は東京スカイツリーも634mに達し素晴らしい雄姿を見せてくれることだろう。
1年の計は元旦にと言うが今年は計画以上の年で締めくくれそうだ。来年も眩しいほどの光を浴びながら過ごせることを願いたい。
人が生きていく上に苦しいほどの困難に出会うことはみな同じ。人それぞれに夢をもってみな頑張っている。苦しいほどの困難とは本人はそう感じていないことの方が多い。それは夢や目標に向かっている者にとって決して苦しいとは感じないのだ。
先日のボクシングで長谷川が勝利したが、2階級の壁は尋常では語れない。誰も知らないところでの努力(トレーニング)は並大抵ではなかった筈。それを周りで苦しいほどの困難と評するのだと思う。
アジア大会では福島千里選手が100m・200mの2冠を制した。ドキュメントでしか知らないがここでも自分との戦いに打ち勝つ福島がいた。白鵬が協会から特別表彰を与えられるそうだがそうした人たちに共通して見えることがある。それが心の持ち方の強さだ。
就職難で苦しんでいる若者たち。確かに不景気や政治の在り方に原因が転嫁されている節がない訳でもないが、基本的にはそうした者たちはしっかりした目標や夢が無かったのではないかと思っている。「大変だね!頑張るんだよ!」同情に酔ってはいないか?非常に厳しい言い方かもしれないが、前述の選手たちのように自分に勝ってこそ初めて道が開けるんだと思う。
就職できないのは社会のせいではない。本当に君たちが必要なら企業もきっと獲得するはずだ。メダルを取った選手に負けないくらい一生懸命明るく頑張っている若者をたくさん知っている。
もっと心を強く持って、特に若い人たちはこれから無限の可能性に向かえる立場にいるはずだ。頑張って、努力する者には必ずといって良いほど応援者は現れるものだ。
眩しいほどの明日に向かって力強く歩いて欲しい。また新しい年がすぐそこまで来ているのだから・・・・

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