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 雪国はメルヘンの世界

魚沼一帯

手前の山こそ我が故郷「坂戸山」である。 その上が「金城山」、すなわち南魚沼一帯となる。
ご存知のように、2009年だから丁度今から10年前になりますが、NHK大河ドラマ「天地人」の主人公「直江兼続」が生まれ育ったところです。
坂戸山の向こうに見える金城山の麓こそドラマの舞台となった「雲洞庵」があるところですね。

今の雪景色ですが、昔は田んぼの線は全く見えない豪雪地帯でした。  この田んぼで育つのがあの有名な「魚沼のコシヒカリ」なんです。
今でこそ道路はどこもかしこも車が通りますが、私が子供の頃は冬になると全く車は通れません。まさに豪雪そのものでした。
右側一帯が塩沢町、写真には写っていませんが、この写真の右側(下)一帯が六日町。 今では合併し「南魚沼市」になっています。

実は、今年の東京が格別に寒く、故郷を回顧しているうちに雪国について少し語ってみたくなりました。

今年は本当に雪が少ないですよね!!  近年ずっとそうだそうです。
私が子供の頃は道路を歩くのに2階より上に張られている道路の上の電線をまたいで歩いたことを覚えています。
従って、町の風景は家が雪で埋まっていてこのような光景(写真)を見ることは出来なかったですね。
当時は周りの山は全てスキー場で、冬は多くの観光客で賑わっていたものです。

見てお分かりのように、それだけに「空気」は美味しく、「水」は最高!! 勿論お米は「コシヒカリ」。川魚(鮎等)は新鮮で、周りの山は山菜の宝庫。  贅沢な少年時代でした。


凍み渡り A

子供の頃は、今でもそうかも知れませんが雪が降れば楽しいだけでした。

あの雪下ろしをしないで済んだんですからね。  それが、中学に上がるともう一人前に屋根に上がったものです。

積もった雪を降ろさないと家が潰れてしまうからです。
都会の人は想像も出来ないでしょうが、雪を降ろさないと潰れる前に家の中の戸が開かなくなってしまいます。
襖と襖の間を1本の柱(棒)で養生した光景はとても部屋とは思えないものでした。 その光景は今でもハッキリ覚えています。

でも、雪の無い地域では味わうことの出来ない「メルヘンの世界」は春先にやって来ます。
写真は田んぼや畑の上です。 ここでも昔は3mほどは積雪がありましたね!!
2~3mあるこうした雪原の上は勿論歩けません。  しかし、2月の後半くらい・・・つまり春の兆しを感じるころに起きる現象がこの写真のように少し凍ってくるんですね!  すると、この雪原の上はまるで道路のように抜からないんです。
どう表現したら良いでしょうか!? つまり「真っ白なじゅうたん」を敷き詰めたようにこの上を歩いたり飛んだり跳ねたりできるんです。
この現象を「凍みわたり」と言いました。  凍った雪の上を飛んだり跳ねたり・・・・!
それは広大な雪の公園のようなものです。  とにかく埋まらないんです。
しかし、この現象は朝方11時くらいまででしたね確か。 日中に春の陽ざしが射し込むと雪は柔らかくなるからです。

雪国の人間でないとなかなか経験できないメルヘンの世界です。

高校生の頃は町の中(道路)を歩かず、学校まで一直線で行けるというまるで忍者の世界でした。
これが休日だったり、春休みだったりするとそれはもうチビッ子天国でしたね。

これが一つの現象なら、もう一つ神秘な現象が雪国にはありました。
それが「ホワイトアウト」・・・・という現象です。

雪が舞い上がるような凍てつく頃、一寸先が全く見えなくなると言う現象です。
最近の交通事故にこの現象を知らず道路で玉突き事故に遭うあの気象状況です。 つまり、本当に一寸先が見えなくなってしまうんです。  それを、「大丈夫だろう・・・・」と車を走らせるんだからまさに自殺行為です。
演歌に「雪が舞う・・・・」とありますが、まさにそれはホワイトアウトなんですね。

神秘的ではありますが、どちらかと言えば怖いですね。
ホワイトアウトの現象に遭う頃は雪が深々と降り続けるころですから雪国は恐ろしいほど静かです。

それが、今では消雪パイプの普及や除雪機能の充実で幹線道路は雪が基本ありません。
各家家も消雪設備を施すことで冬の室内も明るくなりました。



越後上布A

私の故郷自慢のひとつに「越後上布」があります。

この写真も冒頭に見た写真の田んぼの上です。 まるで凍みわたりの光景ですが、写真を良く見ると人々の靴は5cmほど埋まっていますのでこれは踏みしめた雪の道路の上ということになります。
「凍みわたり」の時はまったく埋まりません。

お着物に興味のある方ならご存知と思いますが、これが「越後上布」を作る工程のひとつです。

先人の知恵こそ伝統ですね。 雪から生まれた極上の麻布。
「雪国に糸となし、雪中に織り、雪にさらす・・・」
我が町自慢の伝統芸術品でしょう。  越後上布は「雪さらし」という行程で織り上がった布を春先に雪の上に並べて天日にさらすことで、雪の解けた水蒸気と眩しいほどの紫外線で生じたオゾンの作用で漂白殺菌されるというからまるでメルヘンの世界そのものですね。
そうすることで、同時に色味に深みが出るというんです。

先日、京都の西陣織の職人さんにお会いしましたが、京都でも、西陣を織る職人さんが居なくなる・・・と悲壮感を漂わせておりました。


昔ほどの雪も降らなくなりました。  しかし、素晴らしい先人の知恵も「便利」が絶やしてほしくないですね。

確かに、今でも雪国の皆さんの声は「雪は嫌だ・・・・!」と嘆きます。

むかし、新潟3区(魚沼)は田中角栄の地盤でした。
街頭演説で、「あの山(群馬との県境)を削って雪を関東へ追いやろう・・・・!!」と辻説法したんだそうです。
まさに削れない神の山。  それで思いついたのが「関越トンネルの開通」だったそうです。  

私も経験ありますが、湯沢から苗場(三国峠)を超えて群馬県に行くのに2時間ほど山道をくねくねと通りました。

山を削れないと思ったら今度は「では穴を開けよう」・・・・!!  日本列島改造論の一端にこのトンネルがあった訳です。
関東からトンネルを越えた姿(地域)が魚沼だったんですね。  つまり、川端康成の「国境の長いトンネルを抜けると雪国であった」・・・が我が故郷だったんです。

しばらく故郷へはご無沙汰続きですが、我が故郷はまさにおとぎの国、メルヘンの世界でしたね。
豪雪の3ケ月、散々住民を苦しめて春になれば知らん顔。  
でも、このメルヘンの世界に育てられ、良かったことの方が多いような気がします。

壮大な夢を抱いた直江兼続、辛抱や勇気、夢を実現したいとするパワーはこうしたところで育まれたのかも知れません。

辛く苦しい冬の時期を知っているだけに「春の喜び」は大きいのだと思います。

「天地人」の楽曲にわらべ歌を載せました。 「しんばいこんばいななこんばい・・・・」と詠うのはあの子供の頃の「凍み渡り」のことなんです。
もう10年も前の作品ですが、このブログを読んで、「是非聴いてみたい・・・」という人にはこのわらべ歌入りの天地人のCD差し上げますよ。

こうして綴っている内に早く春にならないかな~ ・・・       そう思います。




 心の時代こそ新しい元号

豪雪

もう、ひと昔もふた昔も古い写真だ。

詳しく解説すると、両側の家はみな2階建てである。  屋根は、雪下ろしをした翌日とみられるが町の人はこうして道路を歩いていました。
写真を見ると傘をさしているので昭和40年代だと思う。  これが当時の現実です。
場所によっては電線をまたいで通るという今では考えられない光景が故郷豪雪地帯にはありました。

男はマント、女性はかくまき。 私は大正を知らないがそれでも田舎だったから住んでいた頃は大正の名残もあったんだろうと思う。
勿論、冬に車が動くということはない。 日本通運のソリが荷物を配達していた光景が思い出されますね。

この写真で言えば、翌日はまた屋根の雪下ろしが必要なほど雪が降ったのです。

今年、元号が平成から新しい元号に代わりますが、和暦で調べてみると覚えきれないほどの元号があったんですね。
ご存知のように、日本の元号は「大化」から始まり現在に至っています。

江戸時代でもっとも長かった「寛永」で21年。
その前の安土桃山時代でも「慶長20年」「天正20年」、その他は大体4年とか3年が多かったようですね。
私がハッキリ言える年号は「慶応」でこれが4年。 そして「明治」になって45年。  「大正」が15年。私の生まれた「昭和」は64年。 今生天皇の「平成」が30年と少しとなる訳です。

私が生まれた写真のような時代から今やAIが・・・と言われる時代です。
鉄腕アトムに出て来た昭和の漫画の背景が今現実になっていることに作者の想像力が偲ばれますね。
なにか、思えば叶う・・・・、そんな気がしてなりません。

今の若者に話すと笑われるかも知れませんが、月にウサギがいるのも、サンタクロースがやってくるのもみな本当だと思っていた子供の頃が懐かしいですね。
日本の昔話を母のひざ元で聞いた時代。 大正や明治の頃の子供たちはどんなだったんでしょうね。
考えてみれば、私は昭和でも戦争を知らない時代です。  同じ昭和にあの悲惨な戦争があった訳ですね!!
昭和でも、ガキ大将というのが居ましたが、国盗りをしていた頃(戦国時代)の名残りなんでしょうかね。
雪国には「雪合戦」というのっがあったからそうかもしれません。

時代がそうだったからかも知れませんが、小さいころからいろんな童謡を口ずさんでいました。だから、童謡という童謡は殆ど知っています。  「山のお寺の鐘が鳴る・・・・♬」・・・・と言えば本当にそうした光景があったんです。
焚火もしっています。  カラスの赤ちゃんは可愛いと思っていました。 しかし、今ではカラスは天敵ののように扱われています。

今では月でウサギが・・・どころか宇宙を制覇しようなどとたくらむ国も現れる時代。
それこそが天罰を受け地球を破滅に追い込むようで悲しいですね本当に。

便利をそこまで追求しなくて良い。  私などつくづくそう思います。
古い人間と思われようが、人の心を大切に出来る世の中であって欲しいとしがみつくようにそう思っています。

生まれて、生きて、生かされて・・・・。
飛騨高山に生まれた中村久子女史。 (1897年11月25日 - 1968年3月19日 明治~昭和期の興行芸人、作家。両手・両足の切断というハンデにも拘らず自立した生活を送った女性として知られる)
平成の初めころ、私はこのエピソードを知り高山に出かけたことがありました。 それが縁でテレビ番組「知ってるつもり」や私なりの「中村久子展」を企画したことがありました。  これみな「心」でしたね。

童謡の背景が理解できるって幸せなことですね。 焚火の状況、「カラスが鳴くから帰りましょう・・・・」と帰路に着く。

いつだったか、ずっと以前に私が本を読んだりものを書いたりが好きになった理由が「おふくろ」にあったという話を綴ったことがあったと思います。

どんなに時代が変わっても母の心は偉大です。
温かくて、時には厳しく、でもいくつになってもお母さんと心で呼ぶんだから母の愛は素晴らしいですね。
まもなく平成という時代に幕が降りますが、美智子皇后は素晴らしい日本の母でした。

穏やかで、優しく、思いやりにあふれた生活こそが求められる昨今。 良い時代の幕開けを心待ちにしています。





  観音様のご利益

お正月

毎日プールでのトレーニング(リハビリ)で毎朝6時起床!  7時開門に間に合うように朝食をとり準備万端で出かけますが、実は簡単に起きれている訳ではありません(笑)
勿論、就寝は極力気をつけて早く床に就くようにはしていますが、6時になり・・・ひとり言を言いながら起きることへの闘いが一瞬ですがあるのです。
今日はプールに行かない・・・・という判断は、特にこのところ寒いので少しでも鼻がぐすぐす・・・・としたときは即取り止め。
なんたって水の中に1時間以上いる訳ですからね・・・。

昨秋10月からスタートしたこのリハビリはいつの間にかトレーニングに変わりましたが、我ながらよく続いていると感心しています。
行けば足腰のトレーニングに良いことは分っている訳だからね。

朝7時からやっているプールは仕事をする者にとってはとてもありがたいですね。
プールの上はトレーニングセンターになっていてどんなマシーン(設備)もあっていずれ挑戦しようと思っています。

このところ浅草は好天気が続き、プールの帰り道はすでにこのあり様!!  さすが浅草ですね。

お正月に今年もしっかり初詣に行って来ました。
あまり願い事が多いと受け入れてもらえないかも知れないから、やはり健康にすごせますようにだけしっかりお願いして来ました。昨年は苦しめられたからね!!

ご存知のように24年前の今日1月17日、あの阪神淡路大震災があった日です。
朝、その日は何故か6時前に目が覚め、テレビをつけるとあの映像です!!  まるでゴジラかなにかの映画を観ているような驚きと不思議な思いでいたことを思い出します。  決して忘れてはならない日です。

ところが、そんな17日の朝、「口永良部島の噴火で大きな噴石が火口から約1キロ飛散した。」・・・・と昨日の横綱稀勢の里のニュースが吹っ飛ぶような映像が・・・・。

勿論迷信でしょうが、「亥年」というのは凄い災害が起きると言われています。
阪神淡路大震災を契機に「ボランテア」が注目されるようになりましたが、健康でいて、人を助けないまでも自力で避難できるくらいな体力は着けておかないと・・・。
そう思いながら25mプールを何回も何回も往復(歩行)しました。
本当は大好きな水泳を・・・とも思いますが、「リハビリ」で来ているんだと言い聞かせ頑張っています。

いつ、どこで、どんなことが起きるなど全く分からない時代です。 
1日1日を悔いのないようにすることも大切な生き方ですね。

観音様のおひざ元にいるんだからどうぞご利益がありますように・・・ 。







  言葉の難しさ

ことば


生きていて、一番影響あるものが「心の持ち方」と言って良いだろう。
心の通じないことで悲しくなることは今尚続いているのが人誰しも大きな苦しみなんだろうと思う。

言葉はまさに「心そのもの」と言って決して大袈裟ではないのだ。
「そんなつもりじゃなかったんだけど・・・!!」と放った言葉から苦しむ人は本当に沢山見てきました。

今朝、プールへ行こうと1階に降りたら早起きの小学5年生くらいな少年がまだ朝7時なのにサッカーボールでドリブルの練習。
私が声かけるより早く「おはようございます」・・・・と声を投げかけられた。 最近にはなかな見ない光景だ!!
「ぼく、早いね~」と返しプールに向かった。 「今日は良い日だぞ・・・」とひとり言。

「こんにちは」、「ありがとう」、「おはようございます」・・・。 こんなに短い言葉なのに心が躍るから不思議です。

私は20歳代の頃から責任者であったり指導する立場にいた関係で名古屋時代は東京まで「話し方セミナー」に何度も通ったことを思い出します。  「江川ひろし、東京話し方センター」の卒業生です。
店を日本一にするんだ・・・の意気込みは当時相当燃えていたことが懐かしく思いますね。

京都の妙心寺に研修で座禅を組みに3泊4日で行ったときは丁度今頃であの京都の極寒を肌で感じていました。
そこで学んだことも全て「感謝」であり、「ありがとう」の実践でした。
当時、徳川夢声氏の公演を聞けたのもきっと最後でしょう。

奈良の薬師寺の当時高田好胤館長の説法も「母の愛」から言葉の大切さを学びました。

そうした勉強はその後の私の人生にどれだけ良い影響を与えてくれたか分かりません。

ここで学んだことが、「言葉は心だ」・・・ということです。
つまり、思っていることが言葉となって相手に伝えようとする道具になるんですね。

今から確か15年ほど前だったと思います。 私は夏休みを利用して長野の妻籠宿へ車を走らせました。 混雑を避けるため、早朝5時頃の到着で。  少し仮眠してから妻籠宿を歩き始めました。 1軒の民宿の前にそれは立派な朝顔が見事に花を開かせていたのです。 まだ人一人としてその姿を見ない早朝でしたからその美しい朝顔の棚は独り占めできました。
ところが、その宿ののれんをくぐって出て来た一人の少女。   小学3~4年生くらいでしょうか!? 目が合うなり「おはようございます」と声かけられました。  純粋剥くなその子の笑顔はあの朝顔に勝るとも劣らない輝き!!!  早く来て良かったと感動したことを今でも覚えています。
たったひと言の「おはようございます」が今でも年賀状で続いています。   もうきっと23歳くらいになったんでしょうね!
素晴らしいお嬢さんになったに違いないですね。

ご存知のように、昨今の挨拶は惨めなものです。
挨拶は求めてはいけないから余計複雑な気持ちです。

私が、日本一の販売店にしよう…と思ったから本当にどん欲に学び、実践しました。 その頃お店に居た女性軍は良い学びを得て良かったと思っているに違いありません。

その後、いろんな職場を経験し、また自らが事業者となり今日まで頑張って来ました。
私の人生で共通していることがあります。  いろんな経験と、私の性格が織りなす私の人生は、できるだけ多くの人を喜ばせたい・・・に尽きるようです。
子供たち相手のテレビの人気者ショーも若いころは何年も司会を務めました。 同じステージでも私の時間は楽しい。
多くのご家族の笑顔、この笑顔に触れることの出来る仕事は天職じゃなかったでしょうか。

そうした実践から学んだことが「言葉」です。

育てたいから本気でものを言う。 やって欲しいことをやらないと叱咤激励する。 それも本気でです。
目的や夢があって歩いている若者にはその本気が尋常ではありません。
「こんなことを言ったら嫌われる・・・!?」、考えたこともありません。

言葉が心なら、本気でない言葉は相手に失礼ではないだろうか・・・・。 それが私の持論です。
心を育てないで何を育てるつもりなんだろうか!?  たまたま現在は日本舞踊に携わっていますが、日本舞踊こそ日本の文化です。  知っての通り、日本の誇れるものと言ったらやはりなんと言っても「心」でしょう。

生き方に覚悟のない人は自らに甘いと言われる人が多いようです。
夢は「たなぼた」では果たせません。  覚悟も立派な心です。

写真の「あんたの言葉で助かる人もある  あんたの言葉で傷つく人もいる」とありますが実に素晴らしい言葉ですね。
しかし、言葉は人間関係によって同じ言葉でも違って受け取られるから厄介なんですね。

「知らないおじちゃんには挨拶しちゃだめよ・・・・!」 平成が終っても続くんでしょうか!?
しっかりした育て方で今朝のような少年も育つんです。

言葉に責任をもつのは当然ですが、「明るく良いものの考え方」で道は開けるような気がします。
パワハラだセクハラだ・・・だけがクローズアップされるのではなく、心を投げかけようとしている人も居ることを忘れてはいけませんね。  「おはようございます」・・・でこんなに1日が楽しいのだから・・・・。













 本年も宜しくお願いします



謹賀新年

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新年あけましておめでとうございます。


イノシシだから一般的には猪突猛進かな!?
いやいや、しっかり地に足着けて素晴らしい一年にしてください。

いつも年頭に思うことがあるのですが、ご存知のように本年は5月1日より「新しい元号」に変わります。
年末の天皇陛下のお誕生日に語られた陛下の想い、本当に心打たれ目頭が熱くなったことを覚えています。

それは、陛下が皇后陛下に対する感謝を述べられたときでした。
皇族という私の旅を一緒に歩いてくれて・・・。  この「旅」という言葉が何故か心に響いてたまりませんでした。
そこには皇后さまへの溢れんばかりの「感謝」や「深い愛情」が・・・・   本当に、こんな感動は、こんな不思議な感動は、長いこと生きてきて初めてと言って良いほどでした。

皇族始まって以来初の民間からのお妃選びがどれほど大変であったか・・・・、ドキュメントを見れば見るほど胸に突き刺さります。
美智子皇后陛下は本当に国民の母に成りきれた素晴らしい人だと言えるでしょう。

お互いを思いやりながら務められた約60年。
日本国民の象徴として歩んで来られたお二人。  この温かな心根を感じながら新年を迎えさせて頂きました。

来年はいよいよ東京オリンピックです。
今からやることをやって、私も素晴らしい年の始まりにしたいと祈っています。


どうぞ皆様、本年も良い年でありますように。
そして例年に増して本年も何卒よろしくお願い申し上げます。

                        平成31年(2019)  正月  元旦
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岡部俊雄

管理人 : 岡部俊雄
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