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 波島陽子日本舞踊教室のイベント

波扇会2014ポスター

お待たせしました・・・ですね!

来年2月の波島陽子日本舞踊教室の概要が決定しました。
会場は渋谷駅から徒歩5分というなんとも便利で贅沢な会場で行うこととなりました。
昨日もその本番に向けての顔合わせ件合同稽古を行いましたが、その作品の良さにもう酔ってしまいました。
その人その人に合わせた作品の選定もさることながら内容の素晴らしさが際立っています。
まだお稽古始まったばかりなのに作品によって笑ったり泣いたり感動したり! これが照明の当たる舞台ならどうなってしまうんでしょうね!

ひと言で言えば味があるとでも言うんでしょうか!? とにかく楽しみです。

全国に振付師として名を馳せた波島先生ならではの作品に改めて唸りました。

今回はインドでご一緒した篠笛奏者の長尾大樹さんが舞台を盛りたててくれることになっています。
勿論新舞踊界では知らない人はいないという歌手の相原ひろ子さんが応援にやってきます。
どこで演奏してもらおうか・・・・!? どこで歌ってもらうか・・・!?嬉しい悩みでいっぱいです。
私が演出構成を手掛けますが、なんと言っても楽しく美しい舞台にしたいと思っています。
初々しい新人さんから大ベテランまで! 話題満載にしたいですね!

タイトルは加藤和郎(元NHKプロデューサー)先生に付けて頂いたものです。
波島陽子日本舞踊教室に最もふさわしく2月の舞台はこれしかないでしょう・・・とのこと。
「光春譜」、思いもつきませんでしたね! 波島を知りつくしている加藤先生ならではのネーミング。
タイトルに負けない舞台になるよう腕まくりしなきゃ・・・!

チケット関係の詳細はまもなく波島陽子のHPに掲載されるそうです。
今から楽しみですね !



 処暑(しょしょ)

2013年 8月23日は処暑だという。 白露までの期間。 
立秋から数えて15日目頃、つまり暑さが和らぐという意味だそうです。

萩の花が咲き、穀物が実り始める頃。厳しい暑さの峠を越し、朝夕は涼風が吹き始め、山間部では早朝に白い露が降り始め秋の気配を感じ、この頃は台風のシーズンでもあり、二百十日、二百二十日とともに台風襲来の特異日です。

しかし、今年の夏は未だ暑中お見舞い申し上げますでもおかしくないほどの酷暑続きです。
私は至って健康な方で体調を崩すなど考えられないほど屈強な体力の持ち主なのですが、3日ほど前に水道橋や渋谷に立ち寄り、打ち合わせが終わって銀座線に乗ろうとしたところ、喉がカラカラになりポカリスエットを一気飲みするあり様。 おそらくあそこで水分補給をしないと倒れてしまったかも知れません。

じりじりと照りつける太陽と言いますが本当に暑かった。
甲子園も群馬の前橋育英高校の初出場初優勝というドラマチックな結果で幕を閉じ、本来ならまさに処暑といっていい時期なんでしょうが!
考えれば考えるほど地球がおかしくなってしまったのかも知れない。

今日はヤンキースのイチローが4000本安打にあと一本という日。甲子園は決勝戦ということもあって朝からずっとテレビにかじりついていた。
第一打席で難なくヒットで4000本を達成! 今日も熱い1日の始まりだったのだ。

残暑お見舞い申し上げますもまだまだなら、処暑などとてもとても!
昔から日本には風流を味わえるこうした言葉も今年はまったく効をなさないですね。

日本には素晴らしい四季というのがあって、世界に誇れる季節を味わえるはずなのにみんなおかしくなってしまっています。

こんな状況だからせめて心だけでも静かに穏やかに秋を待ちたい、そう思う今日この頃でした。

 素晴らしい誕生日

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私は誕生日の夜新宿御苑にいた。
「和フエス」のライブ会場だ。 インド公演に行ったアーティストたちが出演するとあってこの日は何故か心が躍る!
メニューはインド料理。ライブ会場はその匂いが全体に漂いもう雰囲気はバッチリ!
夕方6時からのライブ会場は立ち見まで出る盛況ぶり。
ぎりぎりテーブルが確保できまずビールで乾杯! 25歳おめでとう・・・・(笑)
そうなんです!毎年歳を取っているためあと5年で20歳です。(笑)

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インドに行ってもらった山田ケンタさん(和太鼓)や篠笛の長尾大樹くんたちの他にもいくつかのグループの出演があり、演奏や楽しいおしゃべりで誕生日は最高潮!

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ケンタさんの演奏にはただただ酔うばかり!
いつか大きな舞台で企画してみたいと思いながらひたすら自分もそのリズムで身体が動いていた!
エネルギッシュでそれでいて何かを語りかけてくれる様はアーティストの実力以外なかった。

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来年の舞台も長尾さんに友情出演を願ってあるが何度聴いても素晴らしい!!
まさか、私が誕生日にここにいたとは・・・・・

観客が一体となれる会場がそもそも素晴らしい!
今夜登場(出演)したアーティストはみな若者ばかり! 和の文化をこのように楽しめる舞台にして活動していることにまず拍手!
忘れられない夏の夜(誕生日)となった!

 誕生日に感激の連続

誕生日

いくつになっても「お誕生日おめでとうございます」とお祝いの言葉は嬉しいものです。

8月17日生まれの私はなぜかひまわりが大好きなんです。
「性格は人一倍明るく楽しいことが大好きなチーフに似合います。ピッタリです」とこの大きなひまわりの花束を抱えて「チーフ!おめでとうございます」・・・笑顔を添えてひまわりをプレゼントされました。 
嬉しい嬉しい!嬉しいですね!  ありがとう!飛び上がるほど嬉しい!

今でこそ忙しくてなかなか海には出かけられませんが夏男だけに海も大好きでいろんな海を訪ねて飛び込んだものです。
グアム・ハワイは勿論、沖縄の海へも何度も行きました。シンガポールやイギリスでもやっぱり海の思い出は数えきれませんね。
松坂屋に勤務していたときはグループ30人で三浦海岸の海の家で一泊の思い出もありました。まるでドラマのような楽しく多くの思い出が甦ってきます。8月生まれだけに余計その感激は大きかったんだと思います。
勿論、地元は新潟ですから綺麗な海へは何度も出かけました。特に新潟と富山県の県境の海はまた格別でした。
帰ってお風呂にも入れないほど身体を焼き、真っ赤な顔をした青春時代が懐かしい!

そしたら、「チーフはいつも青春してますよ!」・・・・て!
それって褒め言葉だろうか(笑)

それから、多くのメッセージやプレゼント本当にありがとうございました。
お一人お一人に返しきれませんがこのブログでお許しくださいね。

毎年ひとつひとつ年を取って今では25歳かななんて思ってます(笑)。
言われるように、いつまでもときめくことを忘れずずっとずっと青春しながら歩きたいと思います。
大切な人がたくさん居て、その人たちのためにも大いに役立っていけたらなって思いながら・・・

とにかく今日はありがとうでいっぱいです。
改めて「ひまわり」ってどうしてこんなに素敵なんだろうと思います!
この花束全てひまわりなんだそうですよ!

ああ!確実にまたひとつ若返ったぞ!

  終戦記念日に思う

私も含め戦争を知らない若者に是非この日、つまり1945年8月15日がどんな日であったかを知ってもらいたくて、いろんな資料を見て学び、ここにまとめてみました。
戦争は様々な代償を払って集結しました。 もう2度とあってはならないことですが、今日の日くらいは先人の苦しみをもう一度検証すべきではないだろうか!?
私は仕事で沖縄の地(那覇から本部・石垣島)に通産15回ほど訪れました。仕事の合間にみたそれは今でも忘れることはできません。
タクシーの運転者さんはずっと同じ人をお願いしていましたが、子供の頃砲撃を浴び頭はその傷でいっぱいでした。
最近世界遺産になった「父島」、先日のニュースであの美しい海の底に今でも数え切れない沈没船や重戦車が当時を物語っていました。
くしくも私は8月生まれ!他人事でないといつも思っていました。
それではこれで正しいかどうか分かりませんが、まとめた太平洋戦争終結のドラマをご覧ください!


1945年8月15日正午、NHKラジオは天皇の肉声により日本の全国民に日本が戦争に負けたというお知らせを流しました。一般にこれを太平洋戦争の終結として、この日を終戦記念日としています。
ポツダム宣言は7月26日に発表されました。これに対して、日本はいったんこれを「黙殺する」と声明した上で、ソ連に対して和平を斡旋してくれるよう依頼します。ところがこの「黙殺」は海外では「無視」と誤訳されて報道されてしまい、8月6日広島に原爆投下。斡旋を頼んだ相手のソ連は日ソ不可侵条約を破って9日参戦。この日長崎にも原爆投下。
この9日頼みのソ連まで参戦したのではどうにもならないとしてポツダム宣言受け入れを主張する東郷外相らに対して阿南陸相らは抗戦を主張、結論が出ず深夜昭和天皇の判断を仰ぐ。天皇は即座に「外相と同じ意見だ」と言い、このままでは日本という国がなくなってしまう。ここは忍び難きを忍んで降伏するしかない、と補足します。
10日この方針を連合国に通知。するとその返事が12日あり、「降伏のときより天皇および日本国政府の国家統治の権限は連合国最高司令官の制限の下に置かるるものとす」。この条項を巡って再び抗戦派がこれでは国体の維持ができないと反発、再び紛糾。しかし紛糾している内に連合国は14日、日本に通知した内容を明記したビラを飛行機から撒いた。慌てた政府は再び天皇のご意見をお伺いしたいと連絡、10時再度の御前会議。
「私の考えはこの前と同じだ。これ以上の戦争継続は無理である。この降伏によって日本が連合国に蹂躙されたとしても種子の一粒でも残れば再生は可能だ。しかし今のまま戦い続けたら日本は完全に抹消されてしまう。明治天皇が涙を呑んで三国干渉を受け入れた時の気持ちがよく分かるようだ。私がすべきことがあれば何でもする。国民に私が呼びかけるのがよければすすんでマイクの前に立とう。将兵には動揺があるだろうが必要なら自分が説得に当たる。詔を出す必要があるだろうから政府は早速起案して欲しい。」
阿南陸相が泣いていた。天皇は彼に優しく声を掛ける。「大丈夫だよ。きっと何とかなる」
午後、NHKの録音班が5人呼ばれた。「重大な録音があるので」としか言われなかった。最新式の録音機を2セット持って宮中へ。録音は2台の録音機で同時に行った。念のため2回取ったので計4組の玉音盤ができる。録音作業は午後11:25頃から15日1:00頃までかかった。これは皇后官職事務官室の金庫に収められた。
録音を終えたNHKの職員が宮中を出ようとした所、兵隊が彼らを拘束監禁した。終戦に反対する反乱軍であった。午前2時から3時頃にかけて反乱軍が皇居を占拠、玉音盤を探すが見つからない。まさか女官の部屋にあるとは思わなかったためである。更に午前4時頃、反乱軍は放送会館をも占拠する。
午前5時頃、田中東部軍司令官が反乱軍鎮圧に乗り出す。5時半、阿南陸相が自殺。8時頃までに反乱軍は鎮圧或いは自主退出する。8時半、玉音盤が搬出され放送会館へ。この日の各新聞朝刊にポツダム宣言受け入れの報が書かれていたが玉音放送を待つため配達は差し止められていた。
午前11時、憲兵中尉が放送会館に乱入して放送をやめさせようとするが取り押さえられる。正午。時報に続いて「ただ今より重大なる放送があります」と和田信賢アナウンサーの声。この日は通常昼間の送電がストップされていた地方にも電気を流しておく指示が行き届いていた。
君が代のレコードが流れた後、「朕深く世界の大勢と帝国の現状に鑑み非常の措置を以て時局を収拾せむと欲し、故に忠良なる爾臣民に告ぐ。朕は帝国政府をして米英支蘇四国に対し其の共同宣言を受諾する旨通告せしめたり。。。」天皇の肉声が流れた。
涙を流す者あり、自刃する者あり、この日日本は天智天皇の白村江の戦い以来の敗戦というものを味わいました。しかし天智天皇がその敗戦の後で日本の基礎を築いたように、日本国民はこの敗戦をバネにして日本を真の超大国へと成長させていきます。日本の戦死戦病死者数155万人、一般国民の死者数30万人。この数字がどの程度の真実を伝えているのかは分かりませんが・・・・・・


一人でも多くの若者の心に届くことを願って止みません。
平和ボケしていたら大きな間違いなんですね。
生きる意味、生きる尊さ、誰もが幸せになれる権利をもってこの世に誕生したはずです。
自分さえ良ければ・・・・と他人の幸せまで踏みにじって生きている経営者諸君も同じです!それも自己中心的でまさに自分勝手な我がままで社員(部下)を苦しめてまで我が身を守っている者(経営者)を見ると、それも醜い戦争のような気がしてなりません。
中国や韓国、ロシア等との領土問題しかり、欲(損得の)のかたまりがそうさせているんだということに早く気づくべきなんです。
あってはならない戦争!しかし、諸外国とだけでなく、その欲望がゆえに火種がくすぶっていることをもう一度考え直すべきでしょう。
心優しければ争いなどに遭遇するはずは無いのだから・・・・ !

 お盆とは

お盆とは、仏教の孟蘭盆会(うらぼんえ)を略したもので、語源は梵語(ぼんご)の「ウランバナ」(ullanbana)、直訳すると「逆さつり」という意味を持つんだそうです。
「仏教事典」には「死者が死後に逆さに吊るされているような非常な苦しみを受けているのを救うために、祭儀を設けて三宝に供養すること」とあります。
お釈迦様の弟子の目蓮尊者(もくれんそんじゃ)が、亡くなった母親が餓鬼道に落ち、逆さ吊りされているような非常な苦しみを受けているのを知り、何とか救おうとその母に食物を与えるのですが救えず、お釈迦様にお願いし、そのお導きでの多くの衆僧を招いてご供養の大布施を捧げたのが7月15日。 甲斐あって母親が餓鬼の苦しみから逃げることができ、極楽往生ができたそうです。
今で言う「お盆お施餓鬼」の始まりです。

日本に最初の孟蘭盆会(お盆)が催されたとされるのが、推古14年、もともと旧暦の7月15日前後でしたが、新暦に変わった7月15日前後だと農作業の繁忙期と重なってしまうため1ケ月後れの8月15日前後にお盆を行うところが多くなったそうです。

東京は俗に言う「東京盆」と言われるように、7月盆を採用することが多いのですが、これは東京に住む地方出身者の方がお盆を利用しての「家族で田舎へ」という計画にも都合が良かったため、7月盆が定着したとも考えられています。
このように「お盆は新仏様やご先祖様の精霊を我が家に迎え、供養して家族と亡き人が共に過ごす期間」と現在では考えられているようです。

私もお寺の息子として生まれ高校生の頃までは葬儀や法事、また様々な仏教行事を身近で見て育ちました。
今でも忘れないことがいくつかあります。
4月8日のお釈迦様の祭りに大きな張りぼての真っ白い象の後をお稚児さんの衣装をまとってすまし顔で歩いた記憶があります。
家の周りはその殆どがお墓でしたからその環境が当たり前の毎日でした。
お盆が近づくと多くの檀家のみなさんがお墓の草むしり(掃除)にやって来て、夏休みも佳境に入ります。
お盆当日は本当に懐かしい人に会えたことを今でも覚えています。
多くの墓に灯された灯りは不思議な神秘さに包まれていたことも今では映画のシーンのように鮮明に覚えています。
従って、家族と亡き人が集まるという意味は子供の頃から実感していました。

浄土真宗で我が家は前寺でしたので、父の死後お寺は無くなりました。
しかし、門前の小僧どころか父が僧侶でしたので当然習わずともお教を唱えることは出来ていました。

本寺の御坊の説教を多く聞いていたせいか「日本の心」のようなものは身に就いていたようです。

本当です。せめてお盆くらいはご仏壇の前でご先祖をお迎えして語り合うことは貴重ですね。
それがお盆ということだから・・・ 。

家族を守ってくれているのも全てご先祖様なんだと思える意味分かりますねぇ!

 やるのは本人だということ

お盆休みで久しぶりにのんびりしている人が多いだろう!
友達同士で旅行にでも行っていたらそうでもないが、故郷(つまり家族や幼馴染等)の友等との数時間は普段失われた時間を取り戻しているに違いない。
社会人になって会社を辞めたいと思った人の60%以上が人間関係であることは様々なデーターが記している。

子供の頃の友達。学校での校友関係。社会に出てからの職場関係等々、個人を取り巻く人間関係は本当に様々だ。
どんなに立派といわれる会社に勤めても人間関係で辞めてしまった事例はとてもよく知っているし多い。
例えば、こんなケースがある。
叩かれても蹴飛ばされても、罵声を浴びせられても、意地悪をされても辞めないでいる人がいる。
それは大相撲の世界を例にみるようにスポーツの世界。また芸能関係に首を突っ込むと見えてくるのが音響や照明のスタッフ(会社)がそれだ。
私も大物歌手の舞台設営に何度も立ち会ったことがありますがその厳しさたるや想像を絶します。
見方を変えれば非常に威張った先輩のいる会社。同じ厳しくとも後輩を育てたいとする心根から厳しさが表れる場合等々さまざまです。
どんな職場でも愛情というものがあって何か見えるものもありますが、現実はそうでないことの方が多いかもしれません。
威張った先輩のいる職場というものは基本的に良い仕事はできません。
殴られても、「すいませんでした!」とてきぱき動く職場もあります。これは仕事では厳しいが人間性は豊かで思いやりに溢れている典型です。

言いかえれば、目標をもった人間はぬるま湯では育たないということです。
目的意識がしっかりしているだけにその厳しさにブレがないのです。
こういう職場(世界)に身を置いたことのある人は素晴らしい経験(財産)であると言えるでしょう。

しかし、習う側に憧れだけが大きく自分のやっていることは正しいと思いこんでいる若者もいます。
相手(ひと)が出来るんだから自分に出来ない訳がない!心の持ち方は間違っていません。
しかし、適正といって向き不向きを無視するととんでもないことになってしまう。

仕事柄いろんな若者に接してきました。そういう点からはまるで生き字引だと言っていいでしょう。
販売員を育てる。一般の管理職を育てる。司会者・アナウンサー・芸能人(歌手・役者・タレント)を育てる。
不思議なものでその殆どが目的を達成し現在も頑張っています。
高校受験すらままならない成績の若者が青山学院大学に入った等のエピソードでいっぱいです。
私が育てたのではなく動機付けに成功した良い例でしょう。やるのは自分だからです。
向き不向きの前にその人物を知らないと指導は出来ないものです。
ところが、中にはそうしてくれるなどとまるで他力本願を全てとしてぶつかってくる者もいます。

いろんなところで説いたことの殆どが、「素直」でいること。「感謝の気持ち」を持てることと指導して来ました。なぜなら、人に可愛がられるということも大切な財産だからです。
あの子のために、この子のために・・・・と指導者がまず腰を上げることができなければ何も始まらないのです。
若者も一人一人違って当然です。
しかし、地力がないのに高望みばかりする人がいますが、こういう若者はその裏側に出来ないことを他人のせいにする傾向のある人が後を絶たない。
まるで出来ないのは他人(ひと)のせいであるかのように・・・・!

夢を持つことは尊いことです。
私はいろんな若者を見て来て、器用と不器用の差についても学んできました。
おそらく、不器用の人の方が大成するような気がするんです。特に芸能人にそれが当てはまるようです。
ただ、マラソン等のスタッフのように選手が自分一人で出来るなどと考えたら一巻の終わりでしょう!
いろんなサポート役がいてこそグラウンドに立てるのだから!

 おふくろの味

今年もまたお盆がやってきた。
私が生まれたのもこの猛暑だったんだろうがそれでも越後の山々に囲まれ空気の良い田舎は過ごしやすかったに違いない。
祖父母も両親もすでに全員田舎のお墓に眠っている。 それから一人ずつ親戚の叔母や叔父が逝ってしまい、子供の頃の懐かしさがもう故郷には残っていない。
車で少し走ればあの盆地には大型スーパーがある。考えてみれば、叔母や叔父がいて初めて親戚付き合いがしっかりしていたように思う。
上京して私はときどき包丁を持ったりコンロの火を点けたりするが、それは何を隠そう「おふくろの味」が恋しいからだということが最近つくづく分かった。
家内はとっても良くしてくれ何の不自由もないし料理が不味い訳ではない。むしろ上手な方だろう!
しかし、私の作るお味噌汁や玉子焼きはまさにおふくろの味そのものなのだ。
教えてもらった訳じゃないのにまったくその味が出るから不思議だ。

最近は、デパ地下(食品売り場)に行くと美味しい料理が本当に沢山並んでいる。
煮物やきんぴらごぼう他懐かしい惣菜でいっぱいだが私が子供の頃は全て日常的に家庭の茶ぶ台に並んでいた。
普段の母は着物に白い割烹着がトレードマークだった。
家に帰るとアイロンをかけていたり縫物をしていたり、セーターを編んでいたり、今で言えば学校へ持って行く弁当のおかずは結構豪勢だったんだと思う。
どうしてこう各家庭のお母さんは料理が上手だったんだろうね!そう考えると幸せだったんだ!
よく昭和の時代というが考えるとその美味しさはそうしたおふくろの愛情たっぷりの料理だったからなんだろうと改めてその偉大さに脱帽だ! 今頃感謝しても遅いのかな?
いや、私がときどきお味噌汁を作ることだけでもきっと感謝でいっぱいだからなんだと思う。

いつも家族が集まり、みんなで「いただきます」をしてから食事を頂く。
確かに考えてみれば食事は一人で食べるよりみんなで食べた方が美味しい。
昔と違って今のお母さんも男性に負けず何かしら仕事をしている人が多い。言いかえれば子育ても含めたら女性の方がはるかに重労働かも知れない。

男性だって味噌汁くらいなら作ろうとすれば出来ない訳じゃない。やってみると家内のありがたみが身にしみて分かるはずだ。

おふくろという響きも素晴らしいが、そのおふくろの作ってくれた味は決して忘れられない。
せめてお盆くらいはゆっくりおふくろのことでも思い出してみようか!?
いやいや親父のことを忘れている訳ではない。 しかし男はどうしてもおふくろなんだろうないつまでも。


 猛暑の後遺症(えいきょう) 悪寒

まだまだ2週間もこの猛暑は続くという (>_<)
地球がどうかなっちゃってるんじゃないかい・・・と言えばそれまでだが本当におかしい ?

私はよほどのことが無いと事務所で1日パソコンに向かっているからエアコンが無いと厳しい!
そこにこの暑さだ!
7月の初旬からエアコンの具合が悪く扇風機でいいか!?なんて安易な気持ちが仇となり両腕にアセモノの症状。
かゆくてかゆくて我慢できず、面倒くさがらずエアコンは新品にしようと即行動!
3日後に業者が来て取り付け完了。なんと爽快でまるで南極にでも行ったような気分。

勿論腕のアセモノは完治! 日々の事務作業も非常にスムースで順調!
前のエアコンより性能も良いせいか即友達に(笑)

毎朝散歩やジョギングにも挑戦するのだがここまで暑いとやはりさぼり気味はいたしかたないなんて勝手な理由。

ところが5日の中学校の指導が終わり、昼食後シャワーを浴びてさあ!編集だ!そう思った途端なんか体調に異変が起きたのか少しフラフラし出した。
部屋は勿論しっかり冷房は効いている。 10分ほどすると何故か体がゾクっとし出す!
「おかしいな~・・・・」と椅子から立ち上がった瞬間だった。
首から上、つまり顔が口が、首が肩が・・・・ すると体全体がとんでもない動きに移った。
どう表現したら良いのか分からないがその場で口に指を入れたら指がちぎれてしまうのではと思うほどガクガクと震え出しその激しさたるや怖かった。
改めて表現するならおそらく地震で揺れる震度9くらいな大きさ。何かがバタバタと音をたてて崩れ倒れるそんな激しさだった。 正直に言えば死ぬのかな・・・・・?それほど強烈な震えだったのだ。
ガックン!ガックン!だったのだ。

以前2度ほどこの震えを感じたことがあるけどここまでひどくはなかった。
「どうしよう・・・・・!」その瞬間、歯を食いしばり周りにある衣服を全て重ね着。とにかく防寒に努めエアコンは即暖房で30度。いきない布団にもぐり込み我慢の連続。

この震えだけでも収まってくれ~! 心の悲痛な叫びだった。

病院には行かなかったが、つまり冷房病の一種だろうか!? 悪寒というのがまさにこれだが、とにかく半端じゃなかった。
急いで映像編集してあげようとしかかったが勿論即中断。
悪寒に効く薬を飲んでなんとか熟睡出来た。
原因は、疲れているところにこの冷房が良くなかったんだ(笑) その日はまるで真冬のような格好で寝た。

本人でないと分からないが本当に凄い震えだった。
自身の判断と処理が早かったせいか、熱もなくひと晩寝たらだいぶ楽になった。

この猛暑の中、これだけの寒さを感じるんだから尋常じゃないのは確か。
世の中便利になってあまり自然に逆らうとこうなるのかも。

これからは少し汗だくで仕事しようか!? 夏なんだから!


 波島陽子の指導力(日本舞踊)

かっぽれ1

波島は都内の教育委員会から依頼を受けてデンマークで親善大使として「日本文化の紹介」をする子供たち(中学生)に毎年7月の終わりから計5回(1回1時間)日本舞踊を指導している。
早いもので今年で5年目に入りましたが、同行していつも感動するのは波島の指導方法です。

踊りを習っている人なら即理解できるとおもいますが、とにかくお稽古の時間が無いのです。
合計5時間と言ってもその中に着物(ゆかた)の着付けやたたみ方の指導まで行うとなると常識では考えられないほど過酷、いや恐怖にさえ思うことがありますね。

依頼を受けてから作品を決め、勿論それから群舞として振り付け構成をします。
習う生徒たちは全く日舞に馴染みのない若者たちばかり!本当に考えただけでもぞっとします!

さて、その指導です。 波島の気の入り方が半端ではありません。
舞台女優なだけに魅せる場面をよく心得ているからでしょうか?ところどころにメリハリをつけながら仕上げて行きます。
生徒たちがなんとかやっと振りを覚えた・・・というところでお稽古の日程は終了します。

同行される先生方と波島の考えはここから違います。
それは、お客様にお見せするという観点から妥協できないところに差し掛かるからです。


かっぽれ4

簡単に言えば日本舞踊(新舞踊も)を踊る人たちは全て表現師です。
しかし、初めての学生たちにそこまでは求められません。
と言ってそれで良いという訳にはいかないのです。作品が言わんとしている意味、それを心で思い目に表す。
つまり目力なるものを伝えその雰囲気を出させようとします。
それが出来るのはその作品を中学生用にアレンジしているからに他なりません。

緊張感がほぐれた頃最終日を迎えるという強行スケジュールですが、優しさと厳しさを持ち合わせ根気よく指導するその様はそのまま生徒たちに伝わっていました。

私は波島に依頼を受け、最終的には映像化し各自の教材とします。 実際そこまでしないと完成しません。
そうだったんだと分かるのは生徒たちが現地で披露して初めて知ることになるんだと思います。

毎年報告会に招かれますが、「笑顔の大切さを知りました」「踊りは大成功裏に終わりました」等々の報告を受けます。 大成功の解釈のレベルこそ違っても、波島の心(舞い)はしっかり伝わっているのだと思います。

それぞれが多くの夢と楽しみの中でまもなく出発しますが、生徒たちにはこれが一生の思い出になることだけは確かでしょう!。
改めて着物の素晴らしさに触れ、踊りを通して日本の伝統芸を肌で感じることになります。

急いで、あれもこれもと身につくものではありません。
5日間のお稽古を通じて、なんて日本舞踊って素晴らしいんだろうと感じるのは優しく根気良い指導方法にあるのだなと改めて感じます。
そうしたことが出来るのも、勿論しっかりとした芸の力(技術)があってこそ裏打ちされるのです。
そして何よりも大切だと感じるのは教えるということから脱し一緒に覚えましょうとする波島の優しさが習うもの皆に伝わっているからに他なりません。

私は子供たちに毎年「おもてなしの心」について話してあげていますが、波島に接した子供たちは理屈抜きでそのおもてなしの心に触れているんだと思えるから不思議です。

こうした未来の大器だからこそ情熱を注ぎたくなるんです!
純真無垢な学生たちですが波島もまた負けず劣らずの純真な心の持ち主なんですね。
真心は必ず伝わるという典型です。

 気の数

若者と接していると時々「気」という意味を見直すことがある。
今年もまた教育委員会からの要請でデンマークへ親善大使として出かける中学生17名に波島が日舞を教えている。早いもので今年で連続5年目となった。

私たちは日本文化の紹介ということで日舞をと依頼されているわけだが、最初から私はこの子たちに「心の持ち方」を教えてきた。
それは、社会に出て一番大切な事柄だからだ。
今回も「挨拶」「感謝」「素直な心」について少しだけ話したが、さすが選ばれた逸材だけあって素直であることは伺えるがやはりそこはまだ子供たちだ。

難しいのは引率する先生方かもしれない。
本気でぶつかってくる先生もいれば仕事だからという気配が十分伝わる先生がいる。
先生は聖職であって欲しい私としては毎年先生を意識してまともに生徒にぶつかる。

そんな中、いつも思うことは「気」についてだ。
できることならこの件を時間をかけて話してあげたいといつも思う。
以前、ある高校の先生に頼まれ2回ほど卒業間近な生徒の前で「学生生活と社会生活の違いについて」というテーマで講義に伺ったことがありましたが、一番大切な年齢の若者に語る責任の重さを痛感したことを覚えています。

私の場合、経験から来る話題が殆どで教室はいつも大笑い!
恋愛の話をしたり等々、そこに「気」という意味の理解を求めてきました。

「勇気」「覇気」「元気」「やる気」「負けん気」「気概」「気力」「気鋭」「気骨」等々無数にあることに改めて皆が驚きます。そしてその意味は簡単に分かるから納得も早い。
これは人間である以上年齢に関係なく大切だということも分かります。
同じ年なのに40代でもう60近い雰囲気の人もいます。かと思うと60代なのにまるで40代後半に見えるなんて人も少なくありません。
それこそが気持の持ち方以外にないのですね。

今年の夏はまだまだ暑い日は続きそうです。日本列島は豪雨による各地の災害が半端ではありません。
明日は我が身でいつどんなことが襲って来ないとも限らない。
気は心と言って弱い心が体調を崩すケースも少なくないようです。
夏だからこそ太陽のような輝いた心でしっかり前を向いて歩こうではないか!

んんんんんん!? そうです。いつもこうして私は自分に言い聞かせているのです。
ひまわりのように輝けるから!


プロフィール

岡部俊雄

管理人 : 岡部俊雄
チーフ・プロデューサー
演出家

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