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 隅田川と私 5


陽ざしAT

今年は本当に根気よく隅田川の散歩(ジョギング)が出来ました。3~4年前にヘルニアで歩行困難になったときはホントにどうしようか・・・と思いました。手術の為全身麻酔なんて経験も初めてでした。
まだくたばるもんかと思いプールに1年ほど通い1時間水の中で歩き続けるという経験。人一倍海が好きでよく泳ぎに行った自分がただタダ歩くだけのリハビリ。なんとか力がついて隅田川周辺を歩けるようになった感動は今でも忘れません。
しかし、今年はあの素晴らしい隅田川の桜並木もまるで独り占め状態。今年の桜は活気のない花見となりました。

それが、今ではまた来年もひょっとしたら観桜会は中止になるのではないか・・・と不安になるほどの感染状況。

それでも人気(ひとけ)の無い隅田川は返って安全地帯となり本当によく歩きました。
今回のコロナ騒動は全世界でその対応がみられ、日本を含め諸外国の国民性を改めて知ることが出来ました。人間なんてちっぽけなもので大国の大統領を見てもその人間性に驚くばかりの連続でしたね。
確かに、みな初めてに近い恐怖との出会いに戸惑ったことは国民の全てが同じだったはずです。誰が何を言おうが「生きて行かなければ・・・」とか「経済を回さなきゃ・・・・」等々で自粛できずに飛び回った御仁が少なくありません。
人の迷惑顧みず、ここまでくると考え方ではなくその人の持っている性格が一番左右したんだと思います。

「動くな・・・・?」、心の中でそう言い続けてそろそろ1年が幕を降ろします。
2020は本当なら賑やかに楽しく大きな感動の中に居たはずです。東京オリンピックでしたからね。

私たちも本当は大きな秋田公演が開催されるはずでした。しかし、来年、それも来秋に移行した判断は残念ではありますが大正解だったと思っています。

令和2年の隅田川の思い出は自然と向き合うことでしっかり頭の中を整理することも出来ました。
昔、妖精の権威ある先生が「あなたは妖精たちとおしゃべりできるのね・・・」と言われたときは感動しました。その意味が分かったからです。
まもなく本格的な寒い冬に突入しますが、散歩していたらこんな光景はいっぱいあるんです。ひまわりのように太陽に向かってお話ししているように見える(写真)のは現場でこの光景に遭ったものにしかこの感動は得られません
「来年こそ・・・」、そう言っているようにも見えます。

ここから得る力は大きく、その日が輝いて過ごせるのも散歩に一歩踏み出したからです。

確かに、温泉に行きたかった。京都に行きたかった・・・。でもGOTOを使ってまで行こうと思いませんでした。80余名もの生徒さんたちを守る立場の人間として自身の行動に責任があるからです。
隅田川を散歩することで沢山のことを心にメモることが出来ました。1年延期になったからこそその分素晴らしい舞台をお見せできる。私の思いも波島の思いも、出演者のみなさんに伝わっていることも日々のお稽古風景でよく分かります。

そうしたことを落ち着いて頭の整理が出来たのも「隅田川散歩」でした。リハビリで始めた散歩やジョギングですっかり足腰も強くなりました。
大変な1年であったことには相違ありませんが新しい年は何事も当たり前ではなくしっかりと心に感謝の気持ちを抱いて更に散歩を続けたいと思います。

今年も1年、本当にありがとうございました。
どうぞ皆様も良い年をお迎えくださいね。

感謝






 波島教室の覚悟

オンライン

ダイヤモンドプリンセスなるニュースから始まって、今年は本当に想像もつかない年になりましたね!!

でも嬉しかったのは生徒さんもお弟子さんも全員健康で元気で居てくれたことです。それが何よりでした。
今幸せって言ったらそれ以上のことは無いでしょう。

波島陽子日本舞踊教室にとってもこの令和2年の秋に大きな舞台が計画され、既にポスターやチラシも完成しただその日を待ってお稽古するのみでした。
師匠の波島陽子の故郷では「湯沢ふるさと応援大使」なる重責を担い、微力ながら応援したいと地元で頑張っている湯沢湯乃華芸妓さんを訪ね今回の公演を決めました。
応援のもうひとつは、全国に届けたいとする応援歌の制作でした。多くのスタッフの力をお借りし、とうとう誕生したのが「湯沢ふるさと音頭」、本当に見事としかない素晴らしい楽曲が誕生したのです。

さあ!そこからでしたね。普及活動に踏み込むにもこのコロナ騒動は想像以上に厳しく、全ての手足をもぎ取られた感じでした。
その頃からですね、どんどんどんどん普及して行ったのがこのリモートワーク。

生徒さんの中にも、「先生、リモートで教えていただけますか・・・・!?」などとの発言が!!
みなさん同じ作品をお稽古するんなら出来るかもしれない・・・。 しかし、波島教室は全て個人稽古です。
でも、世の中どんどんリモートリモート、オンライン・・・・と今回のコロナで世の中もすっかり変わってしまいました。

ここで、私たちも新たな決心がつきました。人の心があって無いような時代になってしまったのは事実です。
だからこそ、この教室の役割が更に改めてクローズアップされたように思えたのです。「ああ!日舞を教えることを生業としていて良かった」。それは、日本人としての礼儀作法や感謝の気持ち、相手を思いやる心あって日本舞踊だと思ったからです。

実に素晴らしいことに触れながら生活しているんだ・・・と改めて確信しましたね。

写真に見るように、波島教室は若い生徒さんやお弟子さんも多く、リモートなるものも簡単に行えます。

本来は直接湯沢市に出向き湯沢ふるさと音頭の贈呈をしたいところでしたが、止むなく初のリモートで無事湯沢市の市長に楽曲の贈呈を済ませることが出来ました。
波島の、そしてお弟子さんの笑顔もリモートだからこそお届け出来ました。

まだまだ歯がゆい思いでいっぱいですが、コロナの思い出しか浮かばない令和2年。それでもこの間に10数名の新人さんが波島教室の門を叩いてやって来ました。

元気に行動したいとする若者はまだまだいっぱいいます。
考えれば考えるほど責任を感じますが、コロナなんかに負けていられません。多くの教室に通う皆さんの笑顔を守るためにも令和3年は素晴らしい年にしたい・・・・と更に覚悟を決めました。




 政治家の醜態(無能な議員)

コロナだよAT

ここ数日のニュースにはただただ飽きれるばかり・・・!!今日は相当怒っています。

コロナコロナと1年も続き、もう身も心もズタズタだという人も少なくありません。希望を失い、今夜にも命を絶ちたいと思う国民だって少なくないと言われる現状にあまりにも市議会議員や国会議員の体たらくさにほとほと愛想が尽きました。

バッチを着けて「先生・・・」などと呼ばれ、勘違いしている役に立たない議員に限ってアホかと思う程常識から逸脱した行動や発言が後をたちませんね。
「忘年会!?」、それもコンパニオンを招んで・・・・(涙)

お前らは何年人生を歩いているんだ!!国民(ひと)の心が分からない奴がバッチなんかつけているんじゃない。批判されてまず言い訳をする。ところがテレビで全国に放送されるや自己主張ばかり。そして最後は仕方なくお詫び会見。みんなお決まりのコース。
言われて直すんなら子供でも出来る。つまり、今回のように明日生きておれるだろうかと不安を抱く庶民と違ってお前さんたちは収入が途絶えるということが無いからだ。そんな御仁が国民(ひと)の気持ちなど分かるはずがない。だから批判されるようなことが平然と出来るんだよ。
「お詫び会見!!??」、そんなものはいいから即刻議員を辞めなさい。医療従事者が泣き叫ぶように訴えているじゃないか!?その声が聞こえないのかい!?国民を守るということはそんなことじゃないんだよ。

私の知っている芸仲間、イベント仲間はその殆どが仕事を失い明日の希望なんかまったく見えない毎日を暮らしているんだ。その者たちが実際にどれだけ苦しんでいるかを知っているのかい!?
みんな我慢しているんだよ。人を守りたいとする優しさの無い者がこの情勢に逆らってでもイベントを開催するという輩の多い現状。今ここで感染したら病院はもう受け入れられないと叫んでいるではないか!!
私たちだって発表会をやりたい・・・、延期になった秋田県(湯沢市)の公演だってやりたい・・・。でも感染させてはいけないんだよ。そう言っていても私の教室から絶対感染者が出ないという保証なんかひとつも無いんだ。それでも、ありとあらゆる方策を練り、その対策を施すことで大変な緊張感の中で生徒さんたちを守っている。
個人稽古で1対1の稽古でもそこまでやっているんだ。

秋の美しい京都に行きたかった。美味しいものを仲間たちと食べに行きたかった。しかし、今はもう「我慢」しかないんだよ。それが君たち(議員)は何歳(いくつ)なんだい!?一番危険な年齢じゃないのかい!?
歳費で生活している奴ら(あえて今日はそう呼びます)は生活になんの支障もない。もっと言えば吉良上野介じゃないけどふんぞり返ってお歳暮を気にしていたんじゃないかい!?考えることってそんなことぐらいだろう。それが、市民(こくみん)の代表と言えるのか!?
ずっとずっと、ずっとずっとむかし、私は経営者についても同じようなことを言った覚えがある。つまり、「社長になると勘違いする馬鹿者」が少なくないのだ。そのことでどれだけ社員が苦しんでいるか分からないという話をしたことがある。
しかし、良き参謀の居ないトップは醜態を表すのがオチだ。

「実るほど頭を垂れる稲穂かな」って学んだことが無いのかい!? つまり、謙虚さや人としての優しさが無いからそうなるんだ。
今地球が危ない・・・と言えるほどの窮地なんだ。職を失ったらどうするよ議員たち!家族が亡くなったらどうするよ議員たち。
もっと国民の為にしっかり働けよ!そういう勇気の無い者がどうして歳費など受けとるんだ。言い換えれば給料泥棒と同じなんだと思わないかい!?

国民に向かって「動くな・・・・」と言ってみろ。「その代わりみんなは俺が守る・・・」と難儀の前に立ちはだかるんだよ。それが本当の勇気だ。議員それぞれが歳費を少しずつ集めて困窮者を救おうと思わないのかい!?

野党議員だって同じだ。これだけ国が一大事だっていうのに、揚げ足ばかり取っているんじゃないぞ。君たちは一致団結って言葉を知らないのかい!?一致団結というのはこういう時期(とき)にこそ手を組んで国民を守るんだよ。

私の教室に医療従事者が7名ほど頑張っているけど、みんな本当に一生懸命で見ていて涙がでそうなんだよ。

言い訳ばかりしていないで人として動けよ。イベント開催者も大変だと思うが危険と思ったら引くのも勇気だ。これはみな大切な人を守ることになるんだ。
「大丈夫だろう・・・」は今は通用しないことくらい分からないのかい。国民の生命を守るのが政治家だそうだ。政治家が聞いて呆れるぜ!!

政治家(おまえさん)たちを先頭に、国民が一致団結してコロナを退治しようではないか。良い年を迎えようぜ。





 コロナ禍の大雪と勇気について

2020年12月16日の雪下ろし風景
雪下ろし

本日12/17の東京の感染者数はなんと「822人」と発表された!!

ところが自分より高く降り積もったアーケードの屋根の雪下ろし風景(写真の雪景色)がニュースで流れました。
日本海側と群馬県水上町が大雪になるとの天気予報はそれ以上となって報じられましたね!!

この写真はテレビ画面を撮影したものですが、まさにしんしんと降り続いていました。ここが私の故郷です。
そして今日、とうとう関越高速道路六日町IC付近に自衛隊を要請したようです!!
動けなくなった車両は六日町から群馬県までつながったとか!? 秋田からも電話がありましたが、「雪かきでもうくたくたです・・・」と。
そしたら本日16:42分頃茨城県南部でマグニチュード4.6の地震!!
コロナに大雪に地震ではまるでクリスマスどころか、年末の三重苦ですね!!

私が子供の頃は道路から写真の雪下ろし作業をしているくらいまでの雪で1階などとても見えない状態。
それほど凄い雪国で生活していたんだな~と感慨深いですね。

雪国でない人たちはこの雪景色がロマンチックに見えるんでしょうねきっと。とんでもありません。雪国の生活がどれほど大変か。
でもお陰様で私は町民がみな助けあって生活するスタイル(環境)で育ち、人の気持ちの痛みにも多く触れてきました。
そろそろクリスマスか~・・・と思いながら全国のお世話になったお師匠さん3~4名の皆さんに年末のご挨拶の電話がやっと出来ました。
やはり「発表会の中止」「慰問の中止」、もっとすごいのは「お稽古の中止」もあったとか!!?
本当にみなさん大変でしたね!!この1年、本当にご苦労様でした。

一年の締めくくりがコロナだ大雪だは初めての経験です。出たくてもどこへも出かけられない。それどころかお稽古もままならない・・・とこぼす人の多かったこと。そう考えると波島教室は自粛命令以外は1日も休むことなくお稽古が出来たことは、お弟子さんたちの頑張りに拍手です。
年賀状に取り掛かりながら、そうだ1年のご挨拶を・・・と毎年お電話している諸先生方にと5~6本の電話を入れさせて頂きました。

私の場合は波島陽子あっての人間関係で、事務局であるがゆえにもう10年ちかくお付き合いさせて頂いている人が30余名にもなりました。人との出会いは財産と思いながら歩いて来ましたが諸先輩の皆様方には学ぶことばかり。

そんな中、今年は波島陽子の芸能生活も35年。その記念の年(2020.12.13)に波島の師匠淺香光代先生が旅たたれたのです。
波島の心痛を察すると言葉の掛けようもありませんが、大切な恩師を失った心境はそばにいて痛いほど伝わってきます。
13日14日は全国の淺香先生のお弟子さんや芸仲間(せんぱい)たちからメールや電話が鳴りっぱなしだったようです。

「陽子ちゃんが居たから先生も動きやすかったんだと思うよ・・・」とか、「よくお世話されましたね・・・」等々多くの励ましと感謝の言葉に波島の涙腺は緩みっぱなしでした。

この大雪はその翌日です。しかもその日が12月14日、なんと吉良邸に討ち入った赤穂浪士が泉岳寺に向かった日でした。淺香先生らしいや・・・・と感動すら覚えます。

何をどうして良いか分からないほど大変な年でした。それが、今日になっても都内は822人とか・・・・!!
「勇気の重要性」をつくづく感じさせられた1年ももうすぐ幕が下ります。

しんしんと降る雪のように、コロナも音を立てずにまだその界隈をウロウロしています。
この解決方法は神頼みでは解決しません。各自が本当にコロナを正しく恐れて勇気ある行動を起こすしかないんですね。

旅行に行きたい。美味しいお酒を飲みたい・・・、でも、最前線で頑張っている医療従事者の皆さんの気持ちもくんでみましょう。そうした気持ちひとつで収束は早まりますよ。

やはり、なんと言っても感謝の気持ちが良い方向へ導いてくれます。

一度、「勇気とは・・・・」という課題に向き合ってみませんか!?







 日舞:舞台の魅力

ベテラン

波島陽子が浅草に教室を設けてからもう12年が経過しようとしています。 10年がひと昔としたら本当にあっという間でしたね!!
雷門の専用道場「波島陽子日本舞踊教室」はその立地にとても恵まれ、生徒さんからは通いやすいと評判。

確かに商売は「立地」が命でしょう。でも、日本舞踊教室を「商売」としたらとても出来ることではありません。本来、文部省あたりで支援しながらこの素晴らしい伝統を伝承しなければいけないものなんですよね。
商売ということで金・金・金・・・を追求するあまり、醜い争いごとも起きてしまう。
これは日本舞踊に限ったことではありません。
習う側もそうですね! いつだったか、京都の伝統「西陣織」の後継についてのドキュメントを見たとき強くそれを感じました。
もう若者が西陣を織る・・・ということはなかなか難しいそうです。何故でしょう。
技術を教えるがものになるまでは給料を払えない・・・。
お互いの言い分がある中、それでも西陣織を失くしてはいけない・・・。
教室を運営していて思うことがあります。日本舞踊(新舞踊)を楽しみたい・・・という人は決して少なくありません。
波島陽子日本舞踊教室にはこのコロナ禍でありながら16名ちかくの新人さんが門をくぐってくれました。
「日本人だから・・・」、「美しいしぐさを身につけたい・・・」等々嬉しい毎日です。

何の競技でも、どんな習い事でも、やっぱり目標になる舞台は必要ですね。
90名ちかくに膨れ上がった教室ですが、勿論圧倒的に若者が多い中、昭和の若者もそれぞれみなさん負けずに頑張っています。
同じ演目で舞台に上がっても写真に見るようにやはり人生の先輩方は素晴らしい。味がある・・・と言いますが、まさにこの味ばかりは若者に出せないものです。
だから、芸術なんですね。それぞれが醸し出す空気に多くの観衆は酔いしれます。

勿論若者は若者で華やかで素晴らしい舞台は作れますが、その楽しみはそれぞれですね。
こうした皆さんに発表の場を作ってあげたい・・・と毎年いろんな計画を立てますが、さすがにこのコロナ騒動には参りました。
ここまで人生すら変えてしまいそうな出来事に見舞われるとは・・・!!

それでも、必ず収束すると信じて頑張っているみなさんを見るとやはり舞台に立たせて上げたいですね。
そうして繰り返し繰り返しこの素晴らしい芸を伝承し続けていかないと。

幸せって「心が豊かである」ことが一番だといろんな経験の中から悟りました。
それを提供できる場が「波島陽子日本舞踊教室」でもあるんだと信じています。

最近入って来たみなさんは何故か目の輝きが違う・・・!!何かコロナ騒動での生活の変化に関係あるのでしょうか!?
「波島教室に通えて良かった・・・」と言ってくださるみなさんの期待に応えるためにもコロナになんか負けていられませんね。






 隅田川と私 4

浅草の歴史に触れながら
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言問橋から川沿いを桜橋まで、ここから勇気を奮って白髭橋まで私の新しい挑戦(散歩)が増えたのが今年8月。
つまり、桜橋から次は白髭橋になりますが、ここまで歩くと帰るまでに約2時間近い時間を要します。しかし、ここ桜橋から白髭橋までの川沿いを歩かないとこの壁画に出会えません。

分からないことも多いのですが、映画や芝居の舞台になった昔の浅草界隈をのぞき見できて結構楽しい。

昔の町民の人数はこうしてみても想像をはるかに超えてまるで時代劇の世界に飛び込んだ気持ちになれます。


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これらは歌川広重の作品のようですが、堤(壁)に映されたこうした作品は横が約2mもあるかと思うほど大きな作品で迫力すら感じます。
浅草の隣町になりますがこの「今戸」という地名、まさに時代劇の舞台です。芸者さんが三味線弾いて・・・、なんとも粋ですよね。


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写真の仕切りが悪いのは堤が斜めになっている関係で作品に対し平行に撮れないのでどうしても前後左右が変な切れ方をしてしまいますが、そこは見過ごしてご覧になってください。

東京名所四十八景とされていますが、ここに紹介した作品以外は吾妻橋から東京湾に向けてきっと掲示されているんだと思います。吾妻橋から国技館に行くときに何枚も観ましたからきっとそうでしょう。


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日本で初めて電動式エレベーターが付けられた凌雲閣です。 あまりにも有名ですね。
波島陽子も今から8年ほど前にこの建設記念かなにかの記念式典に招かれて伺ったことがあります。「すしや通り」を言問い通り方面に歩いて突き当りに今は面影すらありませんが、現在パチンコ屋の場所がその凌雲閣だったとか!?

高倉健のやくざ映画にときどき登場していましたね。


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この作品にも凌雲閣が見えます。この位置だとすればこの賑わいがどこかもわかるほど私も浅草の住民になりました。
上空を初期の飛行機が飛んでいるのでまさい時代がハッキリと分かります。


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私は正月元旦は浅草寺が混むので毎年初詣はこの「待乳山聖天」に足を運びます。
昔は聖天様からはこんな景色だったんですね。ビルの無い時代の光景に日本の素晴らしさを感じます。


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船頭さんの漕ぐ舟はこれも待乳山神社へと向かった作品だったんですね。浅草と言えば江戸吉原・・・、また花の𠮷原と言いチョキ舟に乗って吉原を目指した話も有名です。
「隅田川」・・・という歌も当時をしのぶ有名な作品でした。日本舞踊等々では粋な芸者さんのエピソードでいっぱいです。


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まさにこれが隅田川の花火大会です。
コロナで花火に限らず、芸能の町浅草もすっかり灯が消えてしまいそうでしたが、江戸は浅草、来年こそはその賑わいを見せて欲しいものです。

とにかく隅田川堤防は素晴らしく整備されていて、最高の散歩コースです。
ジョギングしている人、釣りに興ずる人、犬の散歩。かと思えばトランペットを持ち込んで練習する人等様々です。私も多くの河川を見ていますが、本当に素晴らしい場所です。

ヘルニアで当初はプールでのリハビリでしたが、今はなんとか時間をつくり、予定のない限り隅田川の畔を歩いています。

「都どりさえ一羽じゃ飛ばぬ・・・・♬」と唄われた隅田川。
少しの歴史、少しのエピソードを知っていたら贅沢なほど楽しい場所です。




プロフィール

岡部俊雄

管理人 : 岡部俊雄
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