花かんざし ① 前篇
人形つくりは家(うち)が立ち並ぶ古い町の路地裏に一人で住んでいます。もう20年も雛人形を作りつづけてきました。
ある年の3月3日、ひなの祭り。人形つくりはもう何十年も昔、人形つくりのおばあさんがお嫁にくるとき持ってきた大切な雛人形を手にしています。
「どれ、今年はどこか直して欲しいところがあるかね」、人形つくりは古い雛人形に話しかけました。
「かんざしを・・・」まるで花びらが触れあうようなかすかな声を聞いたと人形つくりは思いました。「いいとも!お前に桃の花の形のかんざしを作ってあげよう」、人形つくりはそう言うと銀の板を取り出して仕事を始めました。
そうして作り上げたのは、本当の花びらよりも薄くて軽い銀の花かんざしでした。
人形つくりは、自分の吹きかける息にも揺れてチリチリと歌う小さなかんざしを古い雛人形の髪にそっと挿(さ)してやったのです。
人形つくりが銀の花かんざしを作った年から何年か後に戦争が始まりました。
その年の3月3日、戦争の火は町全部をなめつくし、家を焼き払ってしまったのです。
人々に交じって、人形つくりも何ひとつ持たずに仕事場を捨てました。絶え間なく降ってくる天からの火を逃れて逃げまどいました。 すぐそばで少女が倒れても助けてやることができませんでした。
水を欲しがる子供に、ひとすくいの冷たく澄んだものを運んでやることも出来ませんでした。
人形作りのそばで、何人もの人が死んでゆき、彼も燃え盛る火の粉を右腕に浴びて大けがをしていました。
誰ひとりひな祭りなど出来なかったどこかにその年も桃の花が咲いてうぐいすが鳴き始めたことなど忘れてしまった夜が明けたとき人形つくりは自分の仕事場に戻ってきました。
町は隅から隅まで焼けただれて、もう焼くものを失った火が醜い煙を上げ、ブスブスと音をたてているばかりでした。人形つくりは息を呑みました。
確かにそこだったはずの仕事場は、天井も壁も柱のかけらも残ってはいません。
けれどもそこにはうず高く積み上げられた桐の箱の残骸が残っていました。
何十組もの内裏雛が緋色の袴のボロボロに焼かれた官女たちが箱からはみ出して重なり合っています。
首は折られ、手や足はもがれ、髪の毛は焼けただれて人形たちはまだ煙を上げていました。
人形つくりはそこに立って雛人形たちが燃えつくしてしまうのをまるで人間の世界を呪ってでもいるような声をあげながら崩れ灰になってゆくのをじっと見守ることしか出来ませんでした。(つづく)
「終わらない祭りより・作:立原えりか」
■ ありがとう!感謝の心こそ幸せになれる秘訣です。素晴らしい人生を!
■ 優しさや笑顔に触れて温かい気持ちになれるように、あなたの真心で!
■ ご感想は shiawasekazokuyt@nifty.com
ある年の3月3日、ひなの祭り。人形つくりはもう何十年も昔、人形つくりのおばあさんがお嫁にくるとき持ってきた大切な雛人形を手にしています。
「どれ、今年はどこか直して欲しいところがあるかね」、人形つくりは古い雛人形に話しかけました。
「かんざしを・・・」まるで花びらが触れあうようなかすかな声を聞いたと人形つくりは思いました。「いいとも!お前に桃の花の形のかんざしを作ってあげよう」、人形つくりはそう言うと銀の板を取り出して仕事を始めました。
そうして作り上げたのは、本当の花びらよりも薄くて軽い銀の花かんざしでした。
人形つくりは、自分の吹きかける息にも揺れてチリチリと歌う小さなかんざしを古い雛人形の髪にそっと挿(さ)してやったのです。
人形つくりが銀の花かんざしを作った年から何年か後に戦争が始まりました。
その年の3月3日、戦争の火は町全部をなめつくし、家を焼き払ってしまったのです。
人々に交じって、人形つくりも何ひとつ持たずに仕事場を捨てました。絶え間なく降ってくる天からの火を逃れて逃げまどいました。 すぐそばで少女が倒れても助けてやることができませんでした。
水を欲しがる子供に、ひとすくいの冷たく澄んだものを運んでやることも出来ませんでした。
人形作りのそばで、何人もの人が死んでゆき、彼も燃え盛る火の粉を右腕に浴びて大けがをしていました。
誰ひとりひな祭りなど出来なかったどこかにその年も桃の花が咲いてうぐいすが鳴き始めたことなど忘れてしまった夜が明けたとき人形つくりは自分の仕事場に戻ってきました。
町は隅から隅まで焼けただれて、もう焼くものを失った火が醜い煙を上げ、ブスブスと音をたてているばかりでした。人形つくりは息を呑みました。
確かにそこだったはずの仕事場は、天井も壁も柱のかけらも残ってはいません。
けれどもそこにはうず高く積み上げられた桐の箱の残骸が残っていました。
何十組もの内裏雛が緋色の袴のボロボロに焼かれた官女たちが箱からはみ出して重なり合っています。
首は折られ、手や足はもがれ、髪の毛は焼けただれて人形たちはまだ煙を上げていました。
人形つくりはそこに立って雛人形たちが燃えつくしてしまうのをまるで人間の世界を呪ってでもいるような声をあげながら崩れ灰になってゆくのをじっと見守ることしか出来ませんでした。(つづく)
「終わらない祭りより・作:立原えりか」
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