2ntブログ

日本の心を奏でる

山本直純

考えてみたら私はなかなか他人(ひと)が経験できない出会いを重ねて来たように思いますね!
平成3年に日本の名作曲家「山本直純先生」との出会いを果たした後、想像もつかないような経験をするようになったのですから!

当時確か先生はまだ50歳代でなかなかお元気だった。私の企画に快く応じて下さり、それがご縁で「友だち」となる。友達!? おこがましいが本当の話です。それは市町村の地域振興事業での作品「太鼓」を制作するのに直純先生に依頼したのがきっかけでした。

最初はオズミュージックの専務が様々な段取りをしてくださいましたが、いつからか私と2人きりの行動が多くなっていきました。
それは、直純先生がとても温泉が好きだったことに起因しています。 全国の名だたる温泉には本当によく行きましたね。勿論2人きりで・・・!!
その殆どは私の運転でです。 車内は子供が2人でといったはしゃぎようだったことを覚えています。 ジョーク・ユーモア・ウエットに富んだ先生はさすが上質な遊びを沢山知っていました。

私がなぜ仲良くなれたのか!? 2人とも決して飾ることもなく冗談(シャレ)のオンパレードで目的地まで行く。 そして夜はホテルで芸者遊び!!
芸者遊びっていうと早や合点する人が殆どですが違うんです。 つまり忠臣蔵の大石内蔵助が花魁と戯れたり等にみる立派な芸です。
三味線に興じ、小唄やお座敷芸等はまるで時代劇のあのシーンでした。
従って、年期の浅い芸者さんでは勤まりません。 当時まだ若造だった私は、先生が居て初めて経験できたことでした。

まさか知らない人は居ないでしょうが、山本直純先生はあの「男はつらいよ」の作曲家です。懐かしい作品ですが「七人の孫」「氷点」「8時だよ全員集合」「一年生になったら」・・・と言えば少しは思い出されるでしょうか!?
勿論、作品の数は日本を代表する多さです。
 
私は子供の頃からとても童謡が大好きで本当に良く歌いよく知っている方だと思います。 長野県中野市出身であった作曲家にあの「中山晋平先生」がいます。
「シャボン玉」「てるてる坊主」「雨降りお月」「証城寺の狸ばやし」「あの町この町」「背くらべ」「砂山」、流行歌では「カチューシャの唄」「船頭小唄」「波浮の港」、勿論紹介しきれません。 そうです。この作品の作者が中山晋平です。

当時、中野市で「中山晋平生誕100年祭」という企画が持ち上がり、その演出構成を私が任された時でした。
迷わず山本直純先生に相談しその舞台の幕を開けました。

中山晋平生家
中山晋平の生家

この企画を組み上げて行きながら音楽の素晴らしさに触れたのも私にとってはとてつもない財産になりましたね。

中山晋平作品は1つくらいはきっと誰でも口ずさんだ経験はあるはずです。
中山作品の素晴らしさは言葉では決して語れないほど大きなものです。つまり、日本人の心そのものなんですね。

私が童謡が好きだったから直純先生ともっと深く付き合えるきっかになった訳です。 優しさに溢れ、人の心を掴んで離さない曲調はまさに日本人をとりこにしました。 誰にでもある故郷の想い全てに当てはまるメロディー!!
高校生くらいになりその歌詞の意味が分かるにつれ、時には涙を誘うことしばしば。
昭和の良き時代を象徴したとも言えます。
 
まもなく夏も過ぎようとしていますが、今から約15年ほど前の初夏(6月)、大好きな山本先生は遠くへと旅発たれました。
15年ほどのお付き合いでしたが、今になって直純先生はずっとずっと青春していたんだな~って思えてなりません。
先生と一緒に出掛けた温泉の数々。 まだスマホもない時代に車中よく先生とおしゃべりをしました。 話す時間は財産ですよ。
先生との打ち合わせはときに東京駅内にあるホテルとか! 東京タワーの麓にある生演奏を聴けるバーとかね。
何より先生と芸者遊びが忘れられません。 粋でしたね! おしゃれでしたね!

先日、ある会合で音楽家の「守時タツミ」さんにお会いできました。
「自然の音」と「曲」が一体になったら・・・・といくつか作られた作品を聴かせて頂きましたが、ここでも感じれたのが心のふるさとでした。
守時さんは、「おとえほん」と称し、日本昔話や世界昔話を世に出しました。
「おとえほん」は、名前の通り、聴く絵本です。
心を表現できて初めて私は芸術家だと思います。 日本には素晴らしい日本の原風景が沢山あります。日本の生活があります。
音楽家はロマンチックだな~と思えるのは私だけではないと思いますが、より身近に接することの出来た私は本当に幸せ者だと思います。
 
現在、日本舞踊に関わる仕事に従事していますが、中でも新舞踊の作品作りを目の前で見ることが出来る。 中山先生が今ご存命なら、直純先生が今私の目の前に居たならば、なんとおっしゃったでしょうね。
また、無邪気に車の中で故郷の話でもできたでしょうに。 心がメロディーになる。なんと素晴らしいことか!  穏やかで、優しくって、ほのぼのと温かい旋律。 波島陽子が作品を創るときの心根に似ていて嬉しいですね。

山本直純先生が亡くなって私は再度独立しました。 いろんな職業を得ても、心の故郷こそ私の居場所です。
改めて直純先生にありがとうと言いたいですね。 温泉が好きな先生でしたから、本当に素っ裸な写真もあるんですよ!!
2人だけの記念です。
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岡部俊雄

管理人 : 岡部俊雄
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