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 ここは日本の浅草です

雷門1A

あまりにも有名な浅草は浅草寺の赤い提灯。
勿論ご存知の方も多いと思いますが、浅草寺にはこの大きな赤い提灯が3つあることをご存知ですか!?

まず有名なのが最初に目にするこの雷門の赤い提灯。
実は雷門は1865年に起きた火災で焼失し、以降、100年近く雷門は姿を消していました。
そんな「門なき雷門」に終止符を打ったのが、松下電器(現・パナソニック)創立者の松下幸之助氏でした。

松下氏は当時、関節痛を患っていましたが、それを聞いた当時の貫首(清水谷恭順大僧正)がご本尊に祈願したところ快復し、浅草寺を参拝したと言われています。

その後、松下氏が上京している際、清水谷恭順大僧正が「雷門を建てて欲しい」との浅草の声を伝えたところ、快復の御礼の意を込めて寄進することを了承されました。
ちなみに、寄進を了承する際、松下氏は「寄進させていただきます。が、なるべく名は出さないでください」と返答されたと言われています。
絶好の広告塔になるであろう「雷門」に対し、寄進したことをなるべく出さないで欲しいと返答されるとは、「商売の神様」とも言われる松下幸之助氏の懐の深さに何と申し上げていいのか、言葉が見つかりませんね。

一般的にはこの提灯のある門を「雷門」と言っていますが、実は正式には「風神雷神門」というのが正式名称なんですよ。

この門をくぐり、仲見世を通って次に登場するのが「宝蔵門」となります(写真下)

小舟2A

雷門と書いた提灯の次に現れるのが「小舟町」と書いた宝蔵門に吊り下げられた赤い提灯です。
このコロナ騒動で参拝者の減った期間になんと境内の敷石やアスファルトが殆ど敷き替えられ、眩しいほどです。

そして一番奥に見える本堂。 この本堂の階段の上に吊り下げられているのが3つ目の「志ん橋」と書かれた赤い提灯です。

宝蔵門の赤い提灯は942年に「平 公雅(たいらのきんまさ)」によって創建されたのだそうです。

私はずっと以前からとても心配していたことがありました。 日本には素晴らしい文化財が本当に沢山ありますね。私が小中高の修学旅行ではまさにこうした素晴らしい日本の歴史をたどりながら浅草・京都・奈良・伊勢等々を巡り回ったものです。
九州、いや沖縄から北海道まで素晴らしい日本の文化(ざいさん)でいっぱいです。

百聞は一見といい、そのまま日本の素晴らしさを学ぶことが出来ました。実際、京都は30回以上訪れていますが、まだまだ行っていない寺や歴史の見どころは沢山あります。
ところが、ご存知のようにこのような素晴らしい観光スポットはその殆どが外国人観光客に占領されていると言って過言ではありません。
京都など、「マナーを守ってください」・・・とその加熱ぶりに対応が大変です。それは相手が基本日本人でないからです。

今回のコロナ騒動で外国人に対する依存度が高ければ高いほど「命とり」にまでなってしまいました。
勿論、商売だけで考えたら「爆買い」に見る様に日本人は蚊帳の外じゃなかったでしょうか!!?

今回のコロナ騒動をきっかけに、もう少し日本人をしっかりとしたターゲットに出来る体制にと方向転換した方が良いのでは・・・と思えてなりません。
勿論金儲け(利益追求)は企業の大鉄則かも知れません。でも違いますね。気づかない内に日本を粗末にしていませんか!?

日本人の心も立派な文化です。
こんなにも素晴らしい財産を持っていながら利益の追求だけに走ったら今回のようになってもある意味仕方ないと言えなくはありません。我々も外国に行くように、受け入れが悪いと言うことではありません。

私がイギリスのシャンクリンが素晴らしいと思ったのは、まさに人の心も妖精のように思えたからです。

浅草だけをとってお話ししても、この参道を日本の修学旅行生でいっぱいにしたいと思うもの。
浴衣を、振袖を、日本人が着てこの境内を楽しんでもらいたいと思います。 仲見世通りにソフトクリームや原宿で似合いそうなお店がチラホラ・・・出現!!?、泣きたくなりませんか!?
看板や案内の半分が中国語や韓国語!!!?? ここは日本人の浅草なんですよ。



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岡部俊雄

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