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 社会に飛び出す若者たちへ 4

達筆な彼は会社の顔だったと言っても過言ではなかったでしょう。何が得意でも良いのです。三越が彼を必要とするような素晴らしい会社であったからこういうエピソードも納得でした。字が綺麗、上手ということはとても大切なことです。汚い字で損をしている人がどれほどいることか?
今でこそパソコン等で企画書等書類関係は殆ど処理しているので誤字脱字に気をつけておれば綺麗な書類にはなりますね。しかしどうでしょう!そこに文章力が備わっていたとしたら・・・。また、逆に文章能力が無かったら「書類」は作れませんね。
それでもどうしてもペンや筆を待たなければならない状況というのはあるのです。「字なんか汚くたっていいや!」と若者の中には気にもしない人がいるかも知れません。
私の従弟で大学の教授になった男性がいますが、彼は勉強が決して得意ではなく、ただひたすら野球に打ち込んだ学生生活を送っていました。県内でも強豪校として何回も甲子園に出場したその学生生活でのことです。
部員はさすがに群を抜く兵の中で、彼はずっと補欠でした。右打ち右投げでしたが、当時の監督は彼に左打ちを命じたのです。
そのお陰もあって、彼が3年の夏の甲子園県予選のときでした。準決勝で大事な場面でランナー二塁。彼のヒットで逆転勝利。当然ヒーローインタビューのお立ち台。初々しい彼の姿や受け応えが今でも忘れられません。そして決勝戦。またしても大事な場面でピンチヒッター。なんとなんとまたもやヒットです。残念ながら彼のチームは惜敗してしまいましたが、それから彼の人生が花開いたのです。
準決勝、決勝と大活躍の彼の姿は日体大のコーチの目にしっかり焼き付いていました。そして推薦でその学校へ。「え~っ!健一が大学生?」。 親戚、友だち、彼を知る誰もがびっくり仰天。ただ救われたのは性格が親兄弟に似て素晴らしかったのです。当然大学でもレギュラーは無理でした。しかし、猛練習に耐えて耐えてのその姿は勿論監督の目に心に留まっていました。3年の春、コーチにと監督に言われ、「嫌です」と大反対したのですが、結局監督業を学ぶことに落ち着きました。
4年生の秋、姉妹校の先生が体育の先生を探しに来たときのことです。監督は彼にその先生の案内役を命じました。学内や寮内、そして学部の案内をしている中で、彼はすっかり気に入られて結局スカウトのターゲットになってしまいました。
大学を卒業と同時に九州の大学に行った彼は最も体育系にふさわしい先生になりました。(つづく)

 人名、会社名等(著名人は除く)は仮名ですが内容は全てノンフィクションです。
 【俊介の部屋】は平成21年6月4日にスタートしました。(毎日掲載しています)
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岡部俊雄

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