粋な別れ
昨日は出会いに触れたが春はその前に別れがあることもこの時期の光景(とくちょう)だ。
会うが別れのはじめと歌にある通り、本当に身にしみてよく分かる。 一昨日、若者のアパート探しに立ち会ってあげたが、その若者もまた3~4年勤めた会社を離れ新天地を求めて行動していたのだ。
初めての部屋探しらしく今いち要領をえないところもあったがそこがまた初々しい。ただ、ここで大切なことに気付いた。
勿論自分のことで頭がいっぱいだから余裕がないのも分からなくはないが、後でそっとメールを送ってあげた。
会社を辞め、同僚や上司、また仲よしとも別れて都会に飛び込んでくるわけだが、世話をしてくれた不動産会社の担当者に対する心構えみたいなものを説いたものだ。
引っ越すということで出会った不動産会社の担当者。ここからすでに出会いが始まっているということだ。若者は性格も良く決して心配のないことは分かっているが、一時的にでも会う人の大切さを伝えたかった。
部屋が決まれば二度と会わない人なのかもしれない。人間というものは不思議なもので、心から感謝の気持すなわち礼を尽くせば今後に必ず活かされる心の持ち方なのだ。
私はどちらかというとそうしたきっかけで出会った人を大切にする方で後々良い結果を生むことが多かった。
まったく違う例かもしれないが、昭和の歌、つまり歌謡曲や演歌が今なお歌い継がれているのは、そこに人間味が十分あるからだろう。
石原裕次郎の歌った「粋な別れ」という作品がある。この作品は故・浜口庫之助さんの作詞作曲でとても渋いが味がある。
【粋な別れ】
生命(いのち)に終わりがある 生命に終わりがある
恋にも終わりがくる 恋にも終わりがくる
秋には枯葉が 小枝と別れ はかない生命は切なくもえて
夕べには太陽が 空と別れる どこか消えてゆく 煙草の煙
誰にも涙なんか 恋の行方なんか
流しはしない わかりはしない
泣かないで 泣かないで 追わないで 追わないで
粋な別れをしようぜ 粋な別れをしようぜ
誰もがみな経験すること。別れには「出会い」というプロセスなくして決してありえない。
粋な別れも、出会いを大切にしてこそ出来るもの。
自分のことしか考えていないようでは決して粋な別れなど経験しようがないと思って正しい。
私は最近夢のような感性の中で心が癒されている。 感性とは人間としてもっとも大切な感じ方にあることは分かっている。しかし、これが共有できるとなると大変な財産だと思う。
その人に一番合った優しさなどまさにそこからしか生まれて来ない。これは、そうしようとして出来るものでもない。
仮に、出会った恋人たちが、感性が合わずして別れるのは極正しいものだと断定できる。
紹介した歌「粋な別れ」は、もっとも昭和の匂いのする作品のひとつであろう。
この歌はまさにブランディーやウイスキーが似合うのは何も裕次郎のせいおばかりではない。
作者の想いがそのまま伝わってくるようで懐かしい。
会うが別れのはじめと歌にある通り、本当に身にしみてよく分かる。 一昨日、若者のアパート探しに立ち会ってあげたが、その若者もまた3~4年勤めた会社を離れ新天地を求めて行動していたのだ。
初めての部屋探しらしく今いち要領をえないところもあったがそこがまた初々しい。ただ、ここで大切なことに気付いた。
勿論自分のことで頭がいっぱいだから余裕がないのも分からなくはないが、後でそっとメールを送ってあげた。
会社を辞め、同僚や上司、また仲よしとも別れて都会に飛び込んでくるわけだが、世話をしてくれた不動産会社の担当者に対する心構えみたいなものを説いたものだ。
引っ越すということで出会った不動産会社の担当者。ここからすでに出会いが始まっているということだ。若者は性格も良く決して心配のないことは分かっているが、一時的にでも会う人の大切さを伝えたかった。
部屋が決まれば二度と会わない人なのかもしれない。人間というものは不思議なもので、心から感謝の気持すなわち礼を尽くせば今後に必ず活かされる心の持ち方なのだ。
私はどちらかというとそうしたきっかけで出会った人を大切にする方で後々良い結果を生むことが多かった。
まったく違う例かもしれないが、昭和の歌、つまり歌謡曲や演歌が今なお歌い継がれているのは、そこに人間味が十分あるからだろう。
石原裕次郎の歌った「粋な別れ」という作品がある。この作品は故・浜口庫之助さんの作詞作曲でとても渋いが味がある。
【粋な別れ】
生命(いのち)に終わりがある 生命に終わりがある
恋にも終わりがくる 恋にも終わりがくる
秋には枯葉が 小枝と別れ はかない生命は切なくもえて
夕べには太陽が 空と別れる どこか消えてゆく 煙草の煙
誰にも涙なんか 恋の行方なんか
流しはしない わかりはしない
泣かないで 泣かないで 追わないで 追わないで
粋な別れをしようぜ 粋な別れをしようぜ
誰もがみな経験すること。別れには「出会い」というプロセスなくして決してありえない。
粋な別れも、出会いを大切にしてこそ出来るもの。
自分のことしか考えていないようでは決して粋な別れなど経験しようがないと思って正しい。
私は最近夢のような感性の中で心が癒されている。 感性とは人間としてもっとも大切な感じ方にあることは分かっている。しかし、これが共有できるとなると大変な財産だと思う。
その人に一番合った優しさなどまさにそこからしか生まれて来ない。これは、そうしようとして出来るものでもない。
仮に、出会った恋人たちが、感性が合わずして別れるのは極正しいものだと断定できる。
紹介した歌「粋な別れ」は、もっとも昭和の匂いのする作品のひとつであろう。
この歌はまさにブランディーやウイスキーが似合うのは何も裕次郎のせいおばかりではない。
作者の想いがそのまま伝わってくるようで懐かしい。