サンタクロースって、いるんでしょうか?
クリスマスに、心あたたまる一冊の本をご紹介しましょう
(原文そのまま)
サンタクロースって、いるんでしょうか?
そんな質問(しつもん)にぴたりと答えた人がいます。
今から、100年(ねん)ほど前(まえ)のアメリカのニューヨーク・サンという新聞(しんぶん)に出(で)た社説(しゃせつ)です。
さあ、サンタクロースって、本当(ほんとう)に、いるんでしょうか?
1897年(ねん)9月(がつ)21日(にち) ニューヨーク・サタン新聞(しんぶん)「社説(しゃせつ)」 》
ニューヨーク・サンしんぶんしゃに、このたび、つぎのような手紙(てがみ)が
とどきました。 さっそく、社説(しゃせつ)にとりあげて、おへんじしたいとおもいます。
この手紙(てがみ)のさしだし人(にん)が、こんなにたいせつなしつもんをするほど、わたしたちを信頼(しんらい)してくださったことを、記者(きしゃ)いちどう、たいへんうれしくおもっております。
きしゃさま
あたしは、八(やっ)つです。
あたしの友(とも)だちに「サンタクロースなんていないんだ。」っていってる子(こ)がいます。
パパにきいてみたら、「サンしんぶんに、といあわせてごらん。
しんぶんしゃで、サンタクロースがいるというなら、そりゃもう、たしかにいるんだろうよ。」といいました。
ですから、おねがいです。おしえてください。サンタクロースって、ほんとうに、いるんでしょうか?
バージニア=オハロン
ニューヨーク市西95丁目115番地
バージニア、おこたえします。サンタクロースなんていないんだという、あなたのお友(とも)だちは、まちがっています。
きっと、その子(こ)の心(こころ)には、いまはやりの、なんでもうたがってかかる、うたぐりやこんじょうというものが、しみこんでいるのでしょう。
うたぐりやは、目(め)にみえるものしか信(しん)じません。
うたぐりやは、心(こころ)のせまい人(ひと)たちです。心(こころ)がせまいために、よくわからないことが、たくさんあるのです。
それなのに、じぶんのわからないことは、みんなうそだときめているのです。
けれども、人間(にんげん)が頭(あたま)で考(かんが)えられることなんて、おとなのばあいでも、子(こ)どものばあいでも、もともとたいそうかぎられているものなんですよ。
わたしのすんでいる、このかぎりなくひろい宇宙(うちゅう)では、人間(にんげん)のちえは、ちいさいのです。
そのひろく、またふかい世界(せかい)をおしはかるには、世(よ)の中(なか)のことすべてをりかいし、すべてをしることのできるような、大(おお)きな、ふかいちえがひつようなのです。
そうです、バージニア。 サンタクロースがいるというのは、けっしてうそではありません。この世(よ)の中(なか)に、愛(あい)や、人(ひと)へのおもいやりや、まごころがあるのとおなじように、サンタクロースもたしかにいるのです。
あなたにも、わかっているでしょう。
世界(せかい)にみちあふれている愛(あい)やまごころこそ、あなたのまいにちの生活(せいかつ)を、うつくしく、たのしくしているものなのだということを。
もしもサンタクロースがいなかったら、この世(よ)の中(なか)は、どんなにくらく、さびしいことでしょう!
あなたのようなかわいらしい子(こ)どものいない世界(せかい)が、かんがえられないのとおなじように、サンタクロースのいない世界(せかい)なんて、そうぞうもできません。
サンタクロースがいなければ、人生(じんせい)のくるしみをやわらげてくれる、子(こ)どもらしい信頼(しんらい)も、詩(し)も、ロマンスも、なくなってしまうでしょうし、わたしたち人間(にんげん)のあじわうよろこびは、ただ目(め)にみえるもの、手(て)でさわるもの、かんじるものだけになってしまうでしょう。
また、子(こ)どもじだいに世界(せかい)にみちあふれている光(ひかり)も、きえてしまうことでしょう。
サンタクロースがいない、ですって!
サンタクロースが信(しん)じられないというのは、妖精(ようせい)が信(しん)じられないのと同(おな)じです。
ためしに、クリスマス・イブに、パパにたのんでたんていをやとって、ニューヨークじゅうのえんとつをみはってもらったらどうでしょうか?
ひょっとすると、サンタクロースをつかまえることができるかもしれませんよ。
しかし、たとい、えんとつからおりてくるサンタクロースのすがたがみえないとしても、それがなんのしょうこになるのです?
サンタクロースをみた人(ひと)は、いません。けれども、それは、サンタクロースがいないというしょうめいにはならないのです。
この世界(せかい)でいちばんたしかなこと、それは、子(こ)どもの目(め)にも、おとなの目(め)にも、みえないものなのですから。
バージニア、あなたは、妖精(ようせい)がしばふでおどっているのを、みたことがありますか?もちろん、ないでしょう。だからといって、妖精(ようせい)なんて、ありもしないでたらめなんてことにはなりません。
この世(よ)の中(なか)にあるみえないもの、みることができないものが、なにからなにまで、人(ひと)があたまのなかでつくりだし、そうぞうしたものだなどということは、けっしてないのです。
あかちゃんのがらがらをぶんかいして、どうして音(おと)がでるのか、なかのしくみをしらべてみることはできます。
けれども、目(め)にみえない世界(せかい)をおおいかくしているまくは、どんな力のつよい人(ひと)にも、いいえ、世界(せかい)じゅうの力もちがよってたかっても、ひきさくことはできません。
ただ、信頼(しんらい)と想像力(そうぞうりょく)と詩(し)と愛(あい)とロマンだけが、そのカーテンをいっときひきのけて、まくのむこうの、たとえようもなくうつくしく、かがやかしいものを、みせてくれるのです。
そのようにうつくしく、かがやかしいもの、それは、人間(にんげん)のつくったでたらめでしょうか?
いいえ、バージニア、それほどたしかな、それほどかわらないものは、この世(よ)には、ほかにないのですよ。
サンタクロースがいない、ですって?
とんでもない!うれしいことに、サンタクロースはちゃんといます。
それどころか、いつまでもしなないでしょう。
1千年(いっせんねん)のちまでも、百万年(ひゃくまんねん)のちまでも、サンタクロースは、子どもたちの心を、いまとかわらず、よろこばせてくれることでしょう。
あとがき
これを書(か)いたのは、フランシス=P=チャーチ=(1839~1906)という同社(どうしゃ)の記者(きしゃ)でした。この人について、当時(とうじ)の編集(へんしゅう)長(ちょう)は、回想録(かいそうろく)に、「人間(にんげん)生活(せいかつ)のあらゆる面(めん)について、ふかい洞察力(どうさつりょく)とするどい感受性(かんじゅせい)をそなえた人物(じんぶつ)だった」と書(か)いています。
まやかしや不正(ふせい)をどこまでも追及(ついきゅう)する記者(きしゃ)魂(だましい)とともに、ゆたかな想像力(そうぞうりょく)と暖(あたた)かい同情(どうじょう)心(しん)をそなえていたようです。
ある日(ひ)編集(へんしゅう)長(ちょう)はチャーチに、幼(おさな)い筆跡(ひっせき)で書(か)かれた一通(いっつう)の手紙(てがみ)をわたして、この子(こ)への返事(へんじ)を社説(しゃせつ)に書(か)いてみないかと言(い)いました。八歳(はっさい)の子(こ)どもへの返事(へんじ)を社説(しゃせつ)に? チャーチは、はじめブツブツ言(い)いましたが、やがて机(つくえ)にむかって書(か)きあげたのが、これだったのです。
バージニアのお父(とう)さんは、警察(けいさつ)関係(かんけい)のコンサルタントもつとめる外科医(げかい)でした。たぶん小(ちい)さな娘(むすめ)の率直(そっちょく)な質問(しつもん)にたじたじとして、「サン新聞(しんぶん)にきいてごらん。」といったのでしょうね。
成長(せいちょう)したバージニアは教職(きょうしょく)につき、引退(いんたい)する前(まえ)の三年間(さんねんかん)は、ブルックリンの公立(こうりつ)学校(がっこう)の副校長(ふくこうちょう)をつとめました。
この学校(がっこう)は、長期(ちょうき)にわたって入院(にゅういん)生活(せいかつ)を送(おく)っている子(こ)どもたちのための学校(がっこう)でした。
バージニアが1971年(ねん)に81歳(さい)で亡(な)くなったとき、「ニューヨーク・タイムズ」は、「サンタの友(とも)だちバージニア」という見出(みだ)しに一文(いちぶん)を捧(ささ)げ、「アメリカのジャーナリズムにおいて、もっとも有名(ゆうめい)な社説(しゃせつ)が書(か)かれるきっかけとなった、かっての少女(しょうじょ)」と記(き)してその死(し)をいたんでいます。
(原文そのまま)
サンタクロースって、いるんでしょうか?
そんな質問(しつもん)にぴたりと答えた人がいます。
今から、100年(ねん)ほど前(まえ)のアメリカのニューヨーク・サンという新聞(しんぶん)に出(で)た社説(しゃせつ)です。
さあ、サンタクロースって、本当(ほんとう)に、いるんでしょうか?
1897年(ねん)9月(がつ)21日(にち) ニューヨーク・サタン新聞(しんぶん)「社説(しゃせつ)」 》
ニューヨーク・サンしんぶんしゃに、このたび、つぎのような手紙(てがみ)が
とどきました。 さっそく、社説(しゃせつ)にとりあげて、おへんじしたいとおもいます。
この手紙(てがみ)のさしだし人(にん)が、こんなにたいせつなしつもんをするほど、わたしたちを信頼(しんらい)してくださったことを、記者(きしゃ)いちどう、たいへんうれしくおもっております。
きしゃさま
あたしは、八(やっ)つです。
あたしの友(とも)だちに「サンタクロースなんていないんだ。」っていってる子(こ)がいます。
パパにきいてみたら、「サンしんぶんに、といあわせてごらん。
しんぶんしゃで、サンタクロースがいるというなら、そりゃもう、たしかにいるんだろうよ。」といいました。
ですから、おねがいです。おしえてください。サンタクロースって、ほんとうに、いるんでしょうか?
バージニア=オハロン
ニューヨーク市西95丁目115番地
バージニア、おこたえします。サンタクロースなんていないんだという、あなたのお友(とも)だちは、まちがっています。
きっと、その子(こ)の心(こころ)には、いまはやりの、なんでもうたがってかかる、うたぐりやこんじょうというものが、しみこんでいるのでしょう。
うたぐりやは、目(め)にみえるものしか信(しん)じません。
うたぐりやは、心(こころ)のせまい人(ひと)たちです。心(こころ)がせまいために、よくわからないことが、たくさんあるのです。
それなのに、じぶんのわからないことは、みんなうそだときめているのです。
けれども、人間(にんげん)が頭(あたま)で考(かんが)えられることなんて、おとなのばあいでも、子(こ)どものばあいでも、もともとたいそうかぎられているものなんですよ。
わたしのすんでいる、このかぎりなくひろい宇宙(うちゅう)では、人間(にんげん)のちえは、ちいさいのです。
そのひろく、またふかい世界(せかい)をおしはかるには、世(よ)の中(なか)のことすべてをりかいし、すべてをしることのできるような、大(おお)きな、ふかいちえがひつようなのです。
そうです、バージニア。 サンタクロースがいるというのは、けっしてうそではありません。この世(よ)の中(なか)に、愛(あい)や、人(ひと)へのおもいやりや、まごころがあるのとおなじように、サンタクロースもたしかにいるのです。
あなたにも、わかっているでしょう。
世界(せかい)にみちあふれている愛(あい)やまごころこそ、あなたのまいにちの生活(せいかつ)を、うつくしく、たのしくしているものなのだということを。
もしもサンタクロースがいなかったら、この世(よ)の中(なか)は、どんなにくらく、さびしいことでしょう!
あなたのようなかわいらしい子(こ)どものいない世界(せかい)が、かんがえられないのとおなじように、サンタクロースのいない世界(せかい)なんて、そうぞうもできません。
サンタクロースがいなければ、人生(じんせい)のくるしみをやわらげてくれる、子(こ)どもらしい信頼(しんらい)も、詩(し)も、ロマンスも、なくなってしまうでしょうし、わたしたち人間(にんげん)のあじわうよろこびは、ただ目(め)にみえるもの、手(て)でさわるもの、かんじるものだけになってしまうでしょう。
また、子(こ)どもじだいに世界(せかい)にみちあふれている光(ひかり)も、きえてしまうことでしょう。
サンタクロースがいない、ですって!
サンタクロースが信(しん)じられないというのは、妖精(ようせい)が信(しん)じられないのと同(おな)じです。
ためしに、クリスマス・イブに、パパにたのんでたんていをやとって、ニューヨークじゅうのえんとつをみはってもらったらどうでしょうか?
ひょっとすると、サンタクロースをつかまえることができるかもしれませんよ。
しかし、たとい、えんとつからおりてくるサンタクロースのすがたがみえないとしても、それがなんのしょうこになるのです?
サンタクロースをみた人(ひと)は、いません。けれども、それは、サンタクロースがいないというしょうめいにはならないのです。
この世界(せかい)でいちばんたしかなこと、それは、子(こ)どもの目(め)にも、おとなの目(め)にも、みえないものなのですから。
バージニア、あなたは、妖精(ようせい)がしばふでおどっているのを、みたことがありますか?もちろん、ないでしょう。だからといって、妖精(ようせい)なんて、ありもしないでたらめなんてことにはなりません。
この世(よ)の中(なか)にあるみえないもの、みることができないものが、なにからなにまで、人(ひと)があたまのなかでつくりだし、そうぞうしたものだなどということは、けっしてないのです。
あかちゃんのがらがらをぶんかいして、どうして音(おと)がでるのか、なかのしくみをしらべてみることはできます。
けれども、目(め)にみえない世界(せかい)をおおいかくしているまくは、どんな力のつよい人(ひと)にも、いいえ、世界(せかい)じゅうの力もちがよってたかっても、ひきさくことはできません。
ただ、信頼(しんらい)と想像力(そうぞうりょく)と詩(し)と愛(あい)とロマンだけが、そのカーテンをいっときひきのけて、まくのむこうの、たとえようもなくうつくしく、かがやかしいものを、みせてくれるのです。
そのようにうつくしく、かがやかしいもの、それは、人間(にんげん)のつくったでたらめでしょうか?
いいえ、バージニア、それほどたしかな、それほどかわらないものは、この世(よ)には、ほかにないのですよ。
サンタクロースがいない、ですって?
とんでもない!うれしいことに、サンタクロースはちゃんといます。
それどころか、いつまでもしなないでしょう。
1千年(いっせんねん)のちまでも、百万年(ひゃくまんねん)のちまでも、サンタクロースは、子どもたちの心を、いまとかわらず、よろこばせてくれることでしょう。
あとがき
これを書(か)いたのは、フランシス=P=チャーチ=(1839~1906)という同社(どうしゃ)の記者(きしゃ)でした。この人について、当時(とうじ)の編集(へんしゅう)長(ちょう)は、回想録(かいそうろく)に、「人間(にんげん)生活(せいかつ)のあらゆる面(めん)について、ふかい洞察力(どうさつりょく)とするどい感受性(かんじゅせい)をそなえた人物(じんぶつ)だった」と書(か)いています。
まやかしや不正(ふせい)をどこまでも追及(ついきゅう)する記者(きしゃ)魂(だましい)とともに、ゆたかな想像力(そうぞうりょく)と暖(あたた)かい同情(どうじょう)心(しん)をそなえていたようです。
ある日(ひ)編集(へんしゅう)長(ちょう)はチャーチに、幼(おさな)い筆跡(ひっせき)で書(か)かれた一通(いっつう)の手紙(てがみ)をわたして、この子(こ)への返事(へんじ)を社説(しゃせつ)に書(か)いてみないかと言(い)いました。八歳(はっさい)の子(こ)どもへの返事(へんじ)を社説(しゃせつ)に? チャーチは、はじめブツブツ言(い)いましたが、やがて机(つくえ)にむかって書(か)きあげたのが、これだったのです。
バージニアのお父(とう)さんは、警察(けいさつ)関係(かんけい)のコンサルタントもつとめる外科医(げかい)でした。たぶん小(ちい)さな娘(むすめ)の率直(そっちょく)な質問(しつもん)にたじたじとして、「サン新聞(しんぶん)にきいてごらん。」といったのでしょうね。
成長(せいちょう)したバージニアは教職(きょうしょく)につき、引退(いんたい)する前(まえ)の三年間(さんねんかん)は、ブルックリンの公立(こうりつ)学校(がっこう)の副校長(ふくこうちょう)をつとめました。
この学校(がっこう)は、長期(ちょうき)にわたって入院(にゅういん)生活(せいかつ)を送(おく)っている子(こ)どもたちのための学校(がっこう)でした。
バージニアが1971年(ねん)に81歳(さい)で亡(な)くなったとき、「ニューヨーク・タイムズ」は、「サンタの友(とも)だちバージニア」という見出(みだ)しに一文(いちぶん)を捧(ささ)げ、「アメリカのジャーナリズムにおいて、もっとも有名(ゆうめい)な社説(しゃせつ)が書(か)かれるきっかけとなった、かっての少女(しょうじょ)」と記(き)してその死(し)をいたんでいます。