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 おもてなしの心 7

「もし仮にうちで働くことになったら、東京店に来いよ!」と交通費まで払ってくれたS店長。

見学の結果!? そうなんです。この見学が私の人生を変えたと言って良かったかも知れませんね。
鈴木専務(当時)の夢と情熱、決してぶらない誠実そのものに映った鈴木専務にほれ込んだと言った方が正しいかも知れません。
専務は、「良かったら名古屋にいらっしゃい!一緒に仕事したいな!」と言ってくださり東京店のことは全く眼中に無くなっている状態で帰りの新幹線に乗りました。
1週間後の8月8日、名古屋独特のあの暑い日に名古屋入りを果たしました。

当然工場勤務が目的ではなく、販売店で勤務して欲しいということで入社した訳ですが、私の希望を通して下さり最低1年は工場で修行をすることになりました。
店に出ても、自社製品を知らなければ何の役にも立たないからです。
ゴムの前掛け、長靴、白衣の正装をしても最初はその異様な臭いに慣れるまでは大変でした。
まさかゴム長を履いて仕事をする自分を想像もしていませんでしたね。

私は自伝を書いているのではありません。
「おもてなしの心」とこの会社がどんな関係があったのか語りたかったのです。

月日が経てば経つほど私は専務に魅かれていったのを鮮明に覚えています。
お人柄といい、研究熱心な姿といい、真面目で誠実であった分社員には少し堅物に映っていたと思います。
この会社こそ、正真正銘な同族会社の典型でしたが現在でも第一線を走る姿はまさに専務の理念にあったように思います。
社長である梶三郎氏(専務の兄)は身体が弱く殆ど第一線には顔を出しませんでしたので専務は事実上の社長みたいなものでした。

名古屋名産はその時期のお中元と年末に来るお歳暮はまさに戦争でした。
この商品がここまで売れるんだ!正直驚きの方が本音でした。
それ以上にお土産品ですから駅周辺では大変な量が動きます。ただ、漬物は重いんですね。粕漬けだけにまるで粕の入った樽を買うようなものですから。
8時から夕方5時までが勤務時間でした(工場は)。
9月にもなると販売店にも出たくなり、工場の仕事が終わると寮で食事してすぐに近く(徒歩5分)の栄店で夜6時から9時まで販売のいろはを学ぶべく毎日通いました。
そんなこんなしているうちに年末商戦が近づき、なんと4ケ月足らずでお歳暮商戦の「全国地方発送」を受け持つ部署で発送の責任者に任命されました。
つまり、名古屋市内にある10店舗ほどの本店・支店のお買上伝票を基に依頼された商品の荷造り(発送)の責任者でした。
確か、当時は約30万件ちかくの発送だったと記憶しています。

いろんなハプニングもありましたが、とにかく無事故で全発送を終えると(お歳暮期間は11月20日~12月20日)1月10日より名古屋駅名店街(通商:名駅店)の店長として職に就くようにとの辞令が交付されたのです。異例中の異例の昇進に会社中が驚いたようです。

おもてなしの心について語るとすれば、このドラマはここから始まるんですね。

(つづく)
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岡部俊雄

管理人 : 岡部俊雄
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