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 波島陽子 和の心の指導者として 1

私は、このページで様々な「波島陽子」を紹介してきました。

今回はそんな中でも最も大切で重要な部分に触れながら本当の指導者としての資質のようなものを語ってみたいと思います。
先ずお断りしておきたいことがあります。
それは、私がこうしたことに触れて語ったり書き記したりすることを本人が一番嫌うということです。
芸能関係の仕事に携わっているのだから、もっともっと全てを前面に押し出せば良いのにといつも思います。
しかし、直接的に言えばそれは彼女自身が本当に謙虚な人だからなんです。

人より一歩前に出たり、自分が有名になろうなどとする気持ちはさらさらありません。
そんな彼女が芸能界に入ったのも、小学生の頃から時代劇が大好きでNHKの大河ドラマの大フアンだったからのようです。
20代前半にその夢を捨て切れず秋田から上京する訳ですが、迷わず当時一世を風靡していた浅香光代先生の門をたたき、そこから彼女の芸道はスタートしました。

彼女が選んだ「浅香光代事務所」は彼女にとって素晴らしい選択だったと思います。
誰よりも厳しい、また女剣劇の師であったが故に学びは想像以上にありました。
浅香先生は3ケ月も経たない彼女をいきなり大舞台に立たせたのですから凄いスタートでした。
浅香先生はご存知の通り女剣劇役者として大変な人気でした。 勿論、その殆どが時代劇という環境。
事務所の所属タレントは2名ほどでしたから全ての経験をここで出来た訳ですね。
在籍していた当時の波島はそれは日々すごい経験・体験の連続だったでしょう。

当時の波島は「森陽子」という芸名でしたから、現在の「波島陽子」としては全くの無名からのスタートとなります。
浅香流という流派の中で過ごしていながら、「花柳流」「西川流」の指導を何年も仰いでいたことを知っている人は少なかったようです。
それは、各流派では他流に学ぶなどタブーだからです。 今でも同じことが言えるでしょう!

お家騒動と言って、後継者争いや他流への出入り禁止。或いは在籍していた流派を辞めるとその流派の踊りを他で踊ることは絶対に許されないのが悲しいかな現実としてまだまだ多くあるのです。

醜い争いと言って決して過言ではないその傾向はまだまだ幕を閉じておりません。
企業でもそうですが、トップに立つと俺が俺がでその経営者の勘違いした威張り方は半端ではありません。
現在波島教室に習いに来たり、振付ビデオ愛好者の皆さんの中には「流派を辞めたらその作品を使用することは禁ずると言われた・・・」と言うのが大半の理由です。

波島が前事務所で指導していたときに、全国各地からわざわざ東京まで習いに来る様子を見て心に決めたのが振付作品の制作です。
東京まで習いに来ると、交通費・宿泊・謝礼・指導料等々が大変な負担(出費)であったことを間近で見て来ました。
独立して本当に彼女がやりたかったのはそうした全国の日本舞踊愛好者の皆さんがわざわざ上京しなくても習える教材(振付ビデオ)づくりだったのです。

インターネットを通してその人気はうなぎ昇りで現在はその愛好者の皆さんは100名を超えました。
半数以上が指導者の皆さん(師匠)ですから、その先生に約30人の生徒さんがいたとしてそれは大変な人数のみなさんが波島の振付で楽しんでいることになりますね!

彼女の独立前、私はある企業の役員をしておりました。 当時の経営者の心の持ち方について行けず会社を辞めることになりました。  こんな経営者の参謀になどなりたくない・・・が原因です。
そんなとき、「そうだ参謀役に徹するならこの人だ!」 そう思ったのが当時の森陽子だったのです。
「よし!彼女の参謀になろう・・・」。 芸名は私が「波島」と命名し、そこに波島陽子が誕生したのです。

あれから約7年になろうとしています。  (つづく)
プロフィール

岡部俊雄

管理人 : 岡部俊雄
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