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 童謡と日本舞踊

ふるさとB

昭和に生まれ昭和に育った私は今考えてみるととても幸せだったと言えますね。

雪国育ちの私は、お陰様で日本の四季をしっかり味わいながら育ちました。
まもなくやって来る夏。 この夏をひとつ取っても贅沢な宝物(かんきょう)に囲まれて生活して来たんだ
と言えるでしょう。
考えてみればホントに何も無かった時代です。 記憶にあるのはこの美しい光景ばかりでした。
殆ど家の中に居た記憶がないほど自然豊かな環境で育ちました。
自然と遊べるってことってこれ以上の贅沢はないですね!!  「贅沢か・・・!?」

今でも想像を絶するほどのあの豪雪の中で、長靴に入った雪を出し出し、そのうちに靴の中はびしょ
びしょ
その足はストーブかこたつで乾かす。 暖かくなった衣類や足から湯気が出る!
そしてかゆくなりしもやけになる(笑)

中学に上がると男として頼りにされて屋根に上がり雪下ろしの加勢をする。そんなことは当たり前。
大人たちは雪下ろしを手伝ってくれた近所の人と夕方は鍋を囲み、一杯飲みながら手拍子が始まる。
カラオケの無い時代だからそれぞれ大きな声で好きな歌を歌っていました。

笑い声が絶えないお茶の間は今思い出すと不思議な温かさがありました。

待ち焦がれた春は、雪国の人でないと味わえない喜びがありました。
雪がとけたら本当に春になるんですね! ふきのとうやつくしが顔を出し子屋根でのひなたぼっこは
たまらない春の時間でした。
夏には近くの小川を楽しむホタルの群れ、夏は蝶や蝉がいっぱいです。

周りは全て山に囲まれ、近くの山寺の焚火の煙が懐かしかったものです。

想像してみてください。
隣町に向かう汽車も温かく見えました。
汽車は歌になりますが、電車は歌にならない・・・・! 分りますか!?

私の家には、まだ小学校に上がる前からお手伝いさんがいて、日本の昔話はそのお姉ちゃんから
よく聞かされたことも覚えています。
だから、サンタクロースは本当にいると思って育ちました。

「夕焼け小焼け」「証城寺の狸ばやし」「叱られて」よく歌いました。
・・・・というより童謡で育ったと言っても過言ではありません。

山からの帰り道
大きな声で口ずさんだのが「カラスなぜ鳴くのカラスは山に・・・・」
きっと何百回と歌ったのが「てるてる坊主」「シャボン」「あの町この町」「証城寺の狸囃子」でしょうか!?

大人になってその意味が分かったのは「シャボン玉」でしたね。
        シャボン玉飛んだ
        屋根まで飛んだ
        屋根まで飛んで
        こわれて消えた

夭逝した作者の娘さんたちへの鎮魂歌だったんですね。 なんと切ない歌だったんでしょう!!

ただ、「叱られて」のように故郷の風景は歌詞そのものだったから子供ごごろながらにその情景は説明
の要らない風景ばかりでした。

「雨降り」「「雨降りお月さん」「てるてる坊主」「肩たたき」「あの町この町」「まりと殿さま」・・・・、これらが
中山晋平の作品であったこと等は中学に入学した頃だんだんと分かっていきました。

ふるさとD

野口雨情と中山晋平のコンビ作品の多さは長野県中野市にある「中山晋平記念館」で知りました。

この童謡はやさしいわらべ歌のようで実は日本の心そのものだったんですね。
おそらく、この記事はきっと以前にも綴ったような気がしますが、私は今「日本舞踊」という環境に触れ
ながら日本舞踊のその原点が言葉では言い表せない日本の原風景であったように思えてなりません。

東北弁が温かさを感じさせるように、何か血の中に東北が混じってないと表現できないようなそんな
絶妙でなんとも素晴らしい日本の心なんですね。

喜びも悲しみも、切なさや貧乏加減もそれぞれの生活の中に潜んでいるものなんでしょう。

昭和の中頃に台頭した演歌などもまさにその根底には童謡に似た日本の原風景が一世を風靡した
と言って過言でないように思います。
「おもてなし」なる日本の原点は「想う」「見つめる」「与える」日本人特有の優しさにあってそれが世界
に誇れる日本の心(うた)になったんだと思います。

サトウハチローの「たのしいひなまつり」などその典型だったように思います。

浅草では今年もまた7月9日・10日の2日間、「ほおずき市」が開催されます。
私は浅草に住んで初めてこのほおずき市を知りましたが、それは見事なまでに風情を感じます。
しかし、前と違うのは最近LE電球なる物が表れて屋台の夜の雰囲気ががらっと変わってしまったこと
です。
つまり、ほのぼのとした温かさがまったく感じられないんです。 ほっこりとした裸電球が昭和だったと
いうことです。
便利さはこんなところにも日本の素晴らしさを少しずつ奪っているように思いました。

妖精の里を創ることで山奥の民家に泊まったときのことです。
そいの家は茅葺き屋根で茶の間の囲炉裏を囲んで語り部の昔話を聞いたことがありました。
その雰囲気はまるで鶴の恩返しを思わせる光景。  感動した私がご主人にこう話しました。
「囲炉裏を囲んで昔話。茅葺きの家は日本の財産ですね、素晴らしい・・・・」と。
するとご主人はすかさずこう返してきました。  「そりゃ便利な都会からたまに来るからそう思うんだよ。
私らだってサッシの家に住みたいんだ!!」
言われてみれば「なるほど・・・」と思いますが、日本の原風景は失くしたくないですね!
だから町に地域振興事業(町興し)の依頼を受けたとき私は妖精の里建設を提案したんです。

昔は日本のどこここにも童謡が生まれる素養があたんですね。
言い換えれば、風景も生活も人間の心そのものだったように思います。

タイトルに「童謡と日本舞踊」と題しましたが、美しい舞を追求する波島を見ながら思えることは、日本
舞踊もまさにこの日本の原風景(にほんのこころ)の追求にあるのではないかと・・・・。
日本古謡を代表する「さくらさくら」、この中に「野山も里も・・・」という歌詞が出て来ます。  教室では
80余名の生徒さんが通いますが、5歳~70歳くらいの生徒さん全員が必ずお稽古する課題曲が
このさくらさくらです。  ご年配の方が見事にこの踊りを舞えるのは昭和の原風景(こころ)が見える
からなんでしょうね。

日本舞踊の三要素、「踊り」「舞い」「振り」があります。 この振りに波島はこだわりをもって日本の心
を表現しようとしているんです。
日本舞踊というと「娘道成寺」や「祇園小唄」等々を想像しがちですが、「かごめかごめ」や「叱られて」
を舞ったらそれは素晴らしい舞いになります。  つまり、日本舞踊は日本の心そのものであり、童謡
の世界そのものと言って良いでしょうね。

訪れる外国人観光客の皆さんに、「日本は何が魅力なんですか!?」と訊ねると必ず日本人の温かい
心と答えます。

素晴らしい日本舞踊を失くさないためにも師匠、波島陽子には是非頑張って欲しいと願っています。

勿論、外国人にも心の素晴らしさは本当に沢山あります。
しかし、どこか違うのは日本の風土や日本人らしい人の心(やさしさ)があって歌にしても踊りにしても
日本人の心に伝わる素晴らしさとなって多くの人々を魅了しているように思えてならないのです。

平成の初めに、私は音楽家の山本直純先生にお願いし、長野県中野市の教育委員会の依頼で「中山
晋平生誕100年祭」の舞台を演出したことがありました。
それはあの「男はつらいよ」の寅さんの世界が大好きだったから、寅さんの主題歌を手掛けた直純先生
にお願いしたのです。

この企画が舞い込んだのも、童謡を愛し、歌い続けた私へのご褒美だったのかも知れませんね。

日本の心を大切にすることで、ほんの少しでも日本の若者たちにその心の素晴らしさを伝えられたらと
これからもこだわりをもって童謡を口ずさんでいきたいですね。

みなさんも是非童謡を口ずさんでみてください。 優しくなれるから不思議です。
日本の原風景に出会って感動や喜びを感じない日本人はいないはずです。 それはまぎれもなく素晴ら
しい日本人だからです。
私は、仕事をするときに必ずと言って良いほどフルートで演奏されている歌詞のない童謡を聞きながら
仕事をしています。 なんと表現したら良いのか分からない心の故郷に身を置き何故か豊かな心根と
ともに仕事は捗ります。

同じ心根で作品を創り続ける波島陽子の日本舞踊(新舞踊)はきっと多くの人の心を捉えて離さない
と確信をもって言えるのはそこですね!!


プロフィール

岡部俊雄

管理人 : 岡部俊雄
チーフ・プロデューサー
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