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 日本の素晴らしい接客

接客2

日本の素晴らしい文化に「接客」というのがあります。

多くの人が楽しい買物をしたり、旅をしたり。  例えば買物でなくても美容院に行ってもそこには必ず接客という場面に出くわしますね。  駅員に何か尋ねる。 観光案内所で、交番で・・・。  全てこれは「接客」です。


それでは本題の接客についてお話しましょう。

私は、松坂屋上野店に勤務していたことがありましたが、そこで知り合ったある店長の紹介で名古屋に行くことになりました。
その会社は名古屋名産の土産品を扱う昔で言うところの「宮内庁御用達」のお墨付きをもらって名店街に出店していた会社でした。
松坂屋でも販売というポジションにおりましたが、性格が明るかったせいか人と接するのが大好きだったんですね。

実はその前、松坂屋に勤務していたにも関わらず従弟の勧めで岡山県は倉敷市にある水島コンビナートでX線の技師を目指したことがありました!!  人体の撮影ではなく溶接部分をX線で撮影するつまり非破壊検査です。
国家試験に合格すれば高額な収入が得れるの触れ込みでした(笑)

しかし、しかしです。 人一倍機械(メカ)的なものに縁遠い性格は3ケ月持たなかったですね。
ところが、私の人生には神様がいました。 特殊な仕事は結構自分の時間があり、その間技師になるための勉強をするでなく、時間があればトレーニング(ジョギングや縄跳び等々)に励む毎日。 あるとき、バーベルを上げていたらひょんな拍子で左の鎖骨に落とし骨折してしまったんです。  普通なら「残念」ですが、大喜びで治療を理由に東京へ戻ってしまったのです(笑)
もう嫌で嫌で仕方なかったんですね!

それから松坂屋のテナントの店長の紹介で名古屋行き・・・・となるわけです。

仕事を嫌々してはいけない。 これは仕事に限りません。 何事も「好き」で「楽しく」でなければいけないことをここで学びました。名古屋では製造直売でしたのでその製品の製造工場がある訳です。 私は店に出ることを目的に入社しましたが、そこはやはり商品知識が必要の為上司に頼み込んで製造工場への勤務(修行)を頼みこみました。
非破壊とは違って店に出るという夢があるので本当に楽しかったですね。

私は1年以上の修行を覚悟していたのに8月8日の入社から5ケ月目の1月10日付けで一番業績の良い繁盛店(名古屋駅店)に配属されることになりました。
ここから私の人生が始まったと言って良いでしょう。

11人の販売員(全て女性)を統括しながら店を切り盛りするのが私の役割でした。
私もまだ23歳くらいでしたから平均年齢18歳~22歳くらいの販売員はまるで恋人対象のような人ばかり。
ここで覚えたのが女性って難しいな~からでしたね(笑)  しかし、持ち前の明るさはそこからどんどん業績を上げて行くことになります。
指導と言っても私自身がまだまだ修行の身。 それは大変だったことを覚えています。

さあ!どうやって業績を上げるかです。 大抜擢してくれた経営陣に応えたいからですね。
ここで掲げた目標が凄かった!!  
私たちは名古屋一の名産品を扱っているんだ。 名古屋駅店は新幹線等々、そして名鉄・近鉄が入り混じる好立地な店なんだからが、よし「日本一の販売員になろう・・・・」と、それをスローガンにしました。
とにかく日本一です。 日本一を目指すには・・・と考え続けました。  女子販売員にどう指導すれば日本一になれるんだろう!?そればかり考え続ける日々だったことが懐かしく思い出されます。
勿論「自分磨き」が第一でしたね。  その一環として必要なセミナーにはよく参加させて頂きました。
京都の妙心寺での真冬の座禅。 勿論有名な講師のセミナーを兼ねての管理職セミナーです。

東京に「日本話し方センター」というのがありました(勿論現在もあります)。  よく通いましたね。人前で話せるコツみたいなもの、とても勉強になりました。 私は今考えると恵まれていましたね。 話し方センターの創業者である江川ひろし先生に教えを乞う機会を得たのも幸運でした。
何度も何度も東京へ通いました。  よく会社が費用を出してくれたな・・・・と今思えば感謝でいっぱいです。
勿論、だれもが行けた訳ではありません。 当時、それだけ燃えていた証拠です。 報告は当然、常に試験試験レポートレポートの連続でしたが積極果敢に取り組みました。

受講と並行しながら日本一を目指し、時には東京の伊勢丹・三越・京王等々当時優良百貨店への見学で女子販売員をよく連れて行きました。 日本一の接客を学ぶためにです。 話しながら余りの懐かしさに当時が蘇ってきました。

女子販売員はまさか東京へ商店見学に行けるなんて・・・・そう思ったそうです。
正直きっと息抜きになったんだと思います。

そして、ひとつひとつ具体的に自分磨きの手法を紐解いていったのです。

ここで私は女子販売員にアンケートを採りました。 それは、私たちが買物に行ったときの感想でした。これは質問がとてもシンプルでしたね。
先ず、 ①自分が買物や食事に行ったとき、されて嫌だったその時の接客についてのエピソード。
②もう一つは、買物や食事に行ったときの応対で嬉しかったこと。  いくつでも書き出して欲しいと頼みました。
あるんですね、嬉しかったこと、嫌だったことが・・・・!

回答を頂けて私は本当に楽でした。 つまり、そこに全ての答えが出ているからです。
自分が嫌だったと言っているんです。 自分が嬉しかったと言っているんです。
私のまとめは本当に楽でした。
そうか、こんなことが嫌だったんだ!  こんなことでショックを受けたんだね。 もう二度と行かないと思う程嫌な思い出だったんだ!!?
そして、その反対は、良かったね。 そんな素晴らしい店員さんに応対してもらったんだね! 等々

一人が最低30くらいは出してくれた問題点、おかげで私の話すことは何もありませんでした。
つまり、私たちはそうした応対は絶対にやらないようにしよう・・・。
私たちはそうしたことよりもっと素晴らしい応対(接客)ができるんじゃない!? 自分の心で動き応対する。つまりそのことが相手(お客様)に伝わらないと意味がないんだよね。  まるで青春ドラマそのものでした。

その良し悪しの事例を徹底的に話し合いました。
それから店は驚くほど変わり、売り上げ向上にどれだけ貢献したか知れません。

仙台や広島、九州等々、名古屋は観光地でしたので全国からお客様がやって来ます。 つまり有名で美味しい商品を各家庭で広げたとき、「あの店のね・・・」とお土産話に我々販売員の素晴らしさが語られたようです。それはお礼状で分かったのです。



接客3

接客というのは簡単なようで難しく奥の深いものだということを彼女等自身も知りました。
半面、やってみると簡単で楽しいんだということに全員が気づいたということです。
自分たちが決めたことだから、容易に理解できた訳です。
しかし、お釈迦様じゃありません。  やはり若い従業員は時に喧嘩になり口を利かないなんてこともありました。
そんなとき私は(店長)は喧嘩の原因を作った者を即帰宅させました。 寮に居る者は寮に、自宅から通う者は自宅にです。
でも、ただ帰した訳じゃありません。 「**さん、今日はもういいから帰りなさい。 心の底から笑顔で居れるようになったらいつでも出勤しなさい。」・・・・となるのです。  でも帰りません! それはお給料をもらっているという意識があるからです。
そこで私は言います。「**さん、貴女のそんな怒ったような怖い顔(ふんいき)で店に居たらお客さまはお買い物しづらいし、近寄りません。つまり、貴女が店に居ることで会社に迷惑がかかります。 貴女が居なければお店の雰囲気が良く居ない方が貴女は会社に貢献しているんです。 だから、その雰囲気でお見せに居るのであれば欠勤扱いで居てもらいます。居なければお店に貢献できるのだから出勤扱いとしお給料を出しましょう・・・」
おそらく世界中探してもこんな手法を採った店長は後にも先にも私だけだったでしょう。

勿論、経営者にその意図を話し了解を得ていました。
私が在籍中、そうして出勤扱いになったのは2回くらいでしょうか。 当然その手法は従業員全員に話してあります。
日本人って素晴らしくて「儲かった、休めば給料もらえる・・・」などと休む者は一人もいません。
みんな元気に仕事をしたいんです。  日本人は素晴らしいですよ。
そしてまだ手が混んでいました。 それは、店に残った人への心の持ち方です。 中には喧嘩をした相手もいる訳です。
一旦帰宅した者が翌日出て来たとします。 中には半日くらいで帰って来たとします。 その人を迎える店に残っている社員の態度です。「***さんだって仕事したいんだ。こんな結果で今店を離れているけど、出勤して来たら何もなかったように笑顔で迎えるんですよ・・・」と。  これは全て正しい接客とは何かを考えた結果なのです。
この話に目を通しているみなさんは「信じられない・・・」と思うでしょう。 でも、11名は心から正しい接客を追求し日本一を目指していたのです。

この影響は凄かったです。 会社の支店(店舗)は名古屋市内だけで12店舗ほど、この従業員が住む女子寮は一つです。つまりこの情報は即座に女子寮で広まりました。

「制服には必ず名前を着けなさい・・・・」どこの店長も決まり事としてうるさかったようです。 年の近い私は、私が言わなくても「***が応対させて頂きます」と胸にはキチンと名札が輝いているんです。
包装紙にある店名と胸の名前でお礼状が届きましたね。  私の役割はそのお礼状(ハガキ等)を社長や専務に届けるだけです。

だから、昭和の時代には「日本人の心」があったようです。
泣いたり笑ったり、喧嘩をしたり・・・・と正直女性は面倒でした。
あれだけ女性に囲まれ、好きな人ガいなかったのかい? と聞かれそうですが私も男です。 心が揺れなかったと言ったら嘘になりますが、それを救ってくれたのが親父でした。
多くの若い女性に囲まれた、しかも店長という重職。 
親父の手紙は今でも忘れません。「・・・・、女性はみなお人形と思いなさい。 心を移すと周りは動かなくなるからね・・・・」と。

まるでドラマのような明るく輝いたお店は優良店とレッテルが貼られ、しかも商店街のモデル店になったのです。

考えてみれば、お客様のためにどうしたら喜んで頂けるか、そればかりを考えて行動していましたね。
この時期、この時代、そして当時の仲間たち。 良き時代の私の宝です。

どんなに時代が変わっても、人の心は大切なところで繋がっていることを決して忘れてはいけません。

まだ20歳代の頃から和倉温泉の加賀屋,稲取温泉の銀水荘、下呂温泉の水明館等々に通ったのも一流を学ぶ為でした。

一流だから出来るんではありません。
お客様の為にと心を砕いた従業員の心が一流に仕立て上げることを忘れてはいけません。
言葉づかいを丁寧にするのが一流でもありません。  もし、そこに威張った経営者が居たらそれは一流ではないのです。
経営者の皆さん、また素晴らしい接客をしたい・・・・と思われたら「自分の心の持ち方が一流かどうか」問い正してみてください。

気持ちがあれば笑顔になれます。  接客とは、喜んで頂くために行う行為の一方好意だということを忘れてはいけません。
そうした付加価値を与えられれば自ずと儲かることになっているんです。
儲かるという字は「人」「言う」「者」が集まってできています。  つまり「言う」とは心から発せられるものですから、つまり、「心」そのものです。あなたの心は人に囲まれているということです。

日本人の素晴らしさは「心で動ける」ところにあります。 同じありがとうにもきっと100通りくらいはあるのではないだろうか!?
つまり、接客とは人真似では心で接客していることにはならないんですね。

一流と言われたホテルやお店等々はきっと厳しい指導の中で築きあげられたんじゃないかと思います。 だから従業員から不満が出るんでしょう。
本人一人一人が納得し、自らが幸せな気持ちでお客様を大切にしたいと思ったらやりようはいくらでもあるということです。
いろんな経験のお陰で、学校や各企業のセミナー(講演会)に何回も講師として招かれましたが、実話ほど説得力のあることはなかったですね。

私のわがままな要望でのセミナーへの参加、従業員を帰宅させて出勤扱いを許可してくれたこと等々数えきれない要望を引き受けてくれた当時の社長や専務がいてこそでした。

一流の会社の凄さは「経営者の想い」そのものです。
私の生き方に対する基本はその名古屋時代に築かれたと言って過言ではありません。










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岡部俊雄

管理人 : 岡部俊雄
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