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 切れる若者 2

季節の花

令和になってまもなく8月を迎えようとしています。

昨夜田舎から「今お祭りです・・・」とメールが届きました。
八坂神社の祭り、つまり祇園さんですから様々な山車は京都のそれととても似ていました。 昔は私もその神社の青年団の一員として盛り立てたものです。
廃れゆく・・・というより当時でもだんだんと祭りに参加する(スタッフとして)若者が少なかったことを覚えています。

毎晩のように祭りを盛り上げるにはと話し合ったものです。
子供の頃の神社の境内はサーカスが来たり、芝居小屋がかかったりとそれは賑やかでした。

知っての通り、町の発展は祭りにあると言って過言じゃなかったですね。
とにかく、町が元気でないと・・・・。
それから5年ほどして私自身会社を辞め、地域振興にと制作会社を立ち上げました。
それから20年も祭りや商店街、デパート・スーパー等の記念行事に奔走していた訳です。

いろんなアイデアがありました。
まだインターネットや携帯電話の無い時代です。
しかし、そこで学んだものは「出来ないことはない・・・」ということです。

いつだったか、来年酉年だという6月頃でした。  「来年は酉年だから、ありとあらゆる鳥を集めましょう!」とデパートの店長に提案。 それは面白いと言われたもののあらゆる鳥ってどこに行けば借りられる・・・・!?
金鶏・銀鶏・尾長鳥、孔雀にチャボにきじ。オウムにフクロウ。キジバトまで。
20畳ほどのスペースに高さ3mほどの仮設小屋を。 全て手づくりです。
というよりこれらの鳥をどうやって集めたかです。  今のようにネットで調べる時代ではありません。

私の思いは、「これらの鳥は実際居るわけだからどこかに飼われている筈」。根拠はただそれだけです。
運良く田舎でしたから農業が盛んです。 これらの農家に当れば誰か飼っているだろう。
農協に行ったり等々、翌年(1月)まで半年。 どれだけ探したことか。
勿論、殆ど空振りの毎日です。 狩猟関係の皆さん、新聞社。 学校の先生、お坊さん。気の遠くなるような話です。
困ったことに、私はデパートの催事担当者にその企画を提出し受理されていたのです。今考えたらぞっとする話でしたね。

正直、全て格好がつくまでにキープできたのは10月初旬です。  前述の種類は全て揃いました。
驚いたのは、実際にこれらを飼っている人がいるということでした。

昔は正月は元旦をデパートは休んでいましたので12月31日閉店後から元旦1日かけてそのイベント会場の設置。
アシスタントはその殆どが高校や大学のアルバイト。
木枠を組み、網を張る。 尾長鳥の為の止まり木。 床一面の藁。  全て完成し中に放したのは2日の午前0時すぎ。

そして酉年新年の開店です。
私は後にも先にもあの賑わいを知りません。 外は2m弱の積雪!!
孔雀が見事に羽根を広げ、一番どりがコケコッコウと鳴く。 まるでドラマのようでしたね。
勿論これは県内最大のニュースになり、テレビ・新聞を賑わしました。

当時この企画料は400万円ほどだったと思います。 店長はよく許可しましたね。
1週間の開催ですから生き物の管理がいかに大変かもここで学びました。
ところがです。 この鳥たちの借り賃です。 1週間で・・・・との目算で企画料を決めたわけですが原価は鳥小屋の材料費と人件費だけ。つまり、不思議なことにそれぞれの鳥の持ち主は「1銭も要らない」というのです。
「こんな鳥(もの)で良かったらいつまででも貸してあげるよ・・・・!!」
かかった費用は御礼にとそれぞれ日本酒。  私の家が建つわけですよね。

絶対できる・・・・と行動する。 諦めない。 手に入らなければ動物園で借りてでもの勢いでした。
イベントは大成功に終わり、その後そのデパートからずっと各シーズンの企画を任されたのは言うまでもありません。
この時手伝ってくれた学生たちが今何しているか分かりませんが、おそらく各々の人生における何かの足しにはなったでしょう。

私は現在日本舞踊を通して本当に多くの若者に出会っています。
ひとつ思うことは悲しいかな「理屈」が多いということです。 確かに、それぞれが考え行動することはみな自由です。
基本的に感性豊かな人に何か言うことはありません。 令和になって教室の生徒さんにも今一度「挨拶」について説きました。
ひとこで挨拶と言いますが、「心ある挨拶」は必ず何かが生まれます。
長い間、挨拶を説いて指導し続けてきました。 もう何十年もです。 相手を思いやれる挨拶はその殆どが人としての成功者です。

上記の酉年のイベントも私の30歳代初旬の経験談です。 この入口はデパートの担当者や店長への挨拶から始まったものです。
何度も何度も言いますが、ネットやスマホは便利です。
しかし、この便利が多くの若者をダメにしていることに気づいている人が少なくありません。
上手い話しに乗って大金を失い教室を辞めていった若者が何人かいました。 彼らにしたら大変な金額でした。
楽して儲かるなんてことは詐欺以外無いといって過言ではありません。
先日、浅草寺境内にある舞踊用品店が7月で店終いする悲しい案内状が届きました。

着物を、実物を見ずに買う若者が増えたのがきっかけと言って良いでしょう。
浅草の灯が消えるほどの騒ぎなんですよ本当は。 しかし、若者にはなんの未練もないようです。

人が切れる・・・という現象は「栄養不足」というのも起因しているそうです。
私が思うにこの栄養不足を「自分勝手」とも言い換えれるような気がしてなりません。政治が、一番手をつけなければならないひとつと認識するべきでしょう。
残念ですが、見ていると一生懸命説明は要らないんです。 ピッポッパ・・・・とアクセスすれば何でも知ることの出来る、手に入る時代に本物だとするものは不要のようです。
演技ひとつ、深みとか、間・・・・というものを感じません。
だからこそ、私どもの教室では最後までそこをこだわっていこうと思っています。

そのこだわりは、どの舞台に出ても他のチームとは比較にならない味わいのある舞台として評価されています。
教室が認められているのもきっとそこなんだと思います。 しかし、プロになりたい者ほど勘違いしている若者が増えています。
勿論、「間違い」と言い切れるわけではありませんが、日本の文化や伝統をというのなら「日本人の心」をもう一度見直すべき時期に来ているんだとも思います。

私の恩師が言いました、「今の若者は待てないんだよ・・・・」と。

習っていても自分の考えでやろうとする。 勿論大切なことです。しかし、それは基本が出来てからのことです。
若者とご年配の生徒さんとの大きな違いは舞台本番でその結果が出ています。
ご年配者の舞台に味わいがあるのはその違いです。つまり、ご年配のみなさんがどれだけ良い時代を生きて来たかです。

人間は全てではないので勿論若いのに十分その味わいを出せる生徒さんもいます。 きっとお爺ちゃんやお婆ちゃんの影響が大きかったんだろうなと推測されますね。

切れるということは一生の間にそうした時期があるのかもしれません。
しかし、出来るのなら切れるより切れないほうが良いはずです。 ここに性格というやっかいなものが立ちはだかるんでしょうね。

優しくされて嫌な気になるはずがありません。 思いやりに触れて絆されない人は殆どいないはずです。
若者の考えにも尊いものがあって当然です。 しかし、それ以上に経験に勝るものはないのです。

「自分は」、「自分は」・・・の前に経験者の意見(はなし)をまず聞くという姿勢から学んで欲しいと思いますね。

あれだけの鳥を「どうしても集めるんだ」・・・・と行動し続けた私を見ていた若者は、終わってから涙を流して「ご苦労さん」「ありがとう」と肩をたたきあったことをきっと忘れず成長してくれたことと思います。

夢は本当に尊い。 だから私は夢に向かって歩いている若者が大好きです。
しかし、その夢の実現も決して一人では成し得ないということも1日も早く気づいて欲しいと思うのです。

人の心も簡単になれば簡単に別れ、簡単に人を殺す。
分かりやすく言えば、簡単を求めるということは「自分勝手」以外ないのです。

本気であれば、コツコツと4ケ月も「鳥たちを集めるための行動力」につながってくるということです。

切れる労力を是非他に使ってみてはどうだろうか!?





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岡部俊雄

管理人 : 岡部俊雄
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