湯沢湯乃華芸妓物語 1
どこまで綴れるか分かりませんが、これから何回か「秋田湯沢湯乃華芸妓」について綴ってみましょう!
現在の芸舞妓オールスターです
華やかですね~!! 楽しそうですね~!! 素晴らしい景観ですね~!
最近見世出しした富紀乃さんは後でご紹介(写真)することにして、先ず口に出るのが、お着物姿の素晴らしさ。 そして皆さんは正に日本の華です。
「湯沢湯乃華芸妓」とはよく付けたものですね。 みなさんは知っていましたか!?「湯沢湯乃華芸妓」を。
知らないと損という言葉がありますがまさにその通りです。
私が初めて見せて頂いた舞に即とりこになったんだから間違いありません。
私がずっとずっと若い頃、有名な音楽家の山本直純先生と全国の温泉を旅した話をしたと思います。
私がお座敷遊びに興じるなど30年も早いや・・・と思える若造の頃のお話です。 直純先生と友だちになれたことで本当に得をしました。(正真正銘毎回裸の付き合いですからね)
私は温泉が大好きで全国のいろんな温泉に行ったことがあります。だから「温泉」と言われると即駆けつけます。
当然いつも私が運転手。車内は温泉に着くまで笑いが絶えません!!? 先生のジョークオンパレードだからです。 あの有名な音楽家なのにまるで少年のようでしたね先生は。「それが芸術家なんだ !!」 でも、温泉の目的は「お座敷遊び」だったんです。
ここに写っているみなさんは芸者さんです。 勿論、三味や太鼓・新内も。そして極め付きは日本舞踊でした。
当然場所によっては最初の湯乃華さん(写真)のように正装して(芸妓姿)来るところもあります。
しかし参りましたね!湯乃華芸妓さんには!! 湯沢は本格的なんですよ。
周りの市町村、いや隣の県も、いや日本全国のみなさん、湯沢に行かなきゃ間違いなく損ですよ。これだけお座敷遊びを経験した私が言うのだから間違いありません。
こんな素晴らしいこの芸妓連を発足させたのが「阿部一人」さんです。
つまり主宰者ですね。 私は波島陽子を通じて3年前に初めて東京浅草の舞台(浅草公会堂)でお会いしました。
行動力のある方ですよ。 ですから、湯乃華芸妓はその1年前に立ち上げたことになりますね。
今思えば本当に勉強熱心な男性です。
今年の春まではその程度の面識でした。
ところが、波島陽子が故郷である湯沢をなんとか宣伝したい・・・と都内で食事をする機会があり、そのときインバウンドのお仕事やPFI・PPP協会の理事長である植田社長に訴えたのです。
「湯沢には温泉があります」、「素晴らしい絵灯ろうがあります」、「小野小町の町です」、「秋の美しさは芸術です」、そして「阿部さんという人が頑張っています」・・・と。
市長が聞いたら泣いて喜びそうな郷土愛。
そしたら理事長が「即湯沢に行きましょう」、「阿部さんに会いましょう」・・・・となったのです。波島のひと声が無かったら理事長も私も湯沢や阿部さんに縁が無かったかも知れませんね。
令和元年5月10日 その日がやって来ました。
私と理事長とで令和最初の大仕事です。 熱血漢阿部さんは湯沢駅で私たちを迎えてくれました。
5月の晴れた日。 車窓から見える新緑の素晴らしかった事。 ずっとスマホで録画。日頃浅草で暮らしているせいか秋田(湯沢)は天国でした。
到着してすぐ「百年料亭」で関係者の皆さんと肝心な打合せが始まりました。
そして、夕食に用意されていたのがお座敷だったのです。 前回もお話ししましたが、ここで初めて湯乃華芸舞妓さんに会うわけです。
やはり雰囲気がありますよね百年料亭は。
素晴らしい舞に興じ改めて阿部さんに尋ねました。「阿部さん、どうしてこの仕事をやろうと思ったんですか!?」と。
気さくな阿部さんは豪快に笑い飛ばしながら、「私は実は市役所に勤めていたんですよ・・・」???
そのきっかけはまさに波島が懸念していた元気のない故郷についてでした。 熱っぽく語る姿は私に似ていて少し滑稽でしたが、一番理解できるところでもありました。
社会変化の中で例外なく失われそうな湯沢という地に対する愛着から「地域の元気が失われることに居たたまれなかった」危機感を話してくれました。
地域振興に関わる仕事を30年もやっていた私は直ぐに理解できる話でした。 山本直純先生との出会いも各地での活性化事業がキッカケだったんですからね。
阿部さんは勿論「私に何か出来ないだろうか・・・」となる訳です。 阿部さんはまたも豪快に笑い飛ばしながら「周りの者はバカじゃないかと言います。市役所を辞めてまで・・・・」と。
私が一番伝えたいのは湯沢市長や各議員さんたちにですね。 良いことは思ったら即実行する行動力です。
このことは湯沢市民のみなさんも是非ご理解ください。それが町興しですから。
「院内銀山の花街文化を活用できないか・・・」京都に縁のあった阿部さん。
そして日本舞踊をかじっていた経歴。それが30年勤めた湯沢市役所を早期退職し芸舞妓事業をやるんだの決意に至りましたと語ってくれました。
湯沢市のみなさん、このブログに目を通していますか!? 地元を愛するってこういうことです。
その夜舞を見せてくれたのが佳つ那(現・佳津那)さんと佳乃華さんでした。初めて観た踊りは言葉がでないほど素晴らしかった。 本物です。 これからでしょうが、周り(市民)が育てるべきですね(実感)
最初の写真に載っていませんでしたね、最近見世出しされた「富紀乃」さんです
予断ですが、阿部さんは昔から「イイ女製造機」と呼ばれていたそうです。
お付き合いした女性たちが何故かどんどん垢抜けていったとか(素晴らしい)
今は湯乃華の子たちをイイ女に変身させているそうですよ。 確かに素晴らしい芸舞妓のてんこ盛りでした。
阿部さん! 阿部さんが選んだ道は正しい道です。何よりも地元湯沢の歴史や文化、人の心を知ってもらいたいと立ち上がったんですから。 人の為に尽くす。波島陽子もそっくりです。 秋田県人なんですね。
まず今回は湯沢湯乃華芸妓のさわりを語りましたが第2弾をお待ちください。
現在の芸舞妓オールスターです
華やかですね~!! 楽しそうですね~!! 素晴らしい景観ですね~!
最近見世出しした富紀乃さんは後でご紹介(写真)することにして、先ず口に出るのが、お着物姿の素晴らしさ。 そして皆さんは正に日本の華です。
「湯沢湯乃華芸妓」とはよく付けたものですね。 みなさんは知っていましたか!?「湯沢湯乃華芸妓」を。
知らないと損という言葉がありますがまさにその通りです。
私が初めて見せて頂いた舞に即とりこになったんだから間違いありません。
私がずっとずっと若い頃、有名な音楽家の山本直純先生と全国の温泉を旅した話をしたと思います。
私がお座敷遊びに興じるなど30年も早いや・・・と思える若造の頃のお話です。 直純先生と友だちになれたことで本当に得をしました。(正真正銘毎回裸の付き合いですからね)
私は温泉が大好きで全国のいろんな温泉に行ったことがあります。だから「温泉」と言われると即駆けつけます。
当然いつも私が運転手。車内は温泉に着くまで笑いが絶えません!!? 先生のジョークオンパレードだからです。 あの有名な音楽家なのにまるで少年のようでしたね先生は。「それが芸術家なんだ !!」 でも、温泉の目的は「お座敷遊び」だったんです。
ここに写っているみなさんは芸者さんです。 勿論、三味や太鼓・新内も。そして極め付きは日本舞踊でした。
当然場所によっては最初の湯乃華さん(写真)のように正装して(芸妓姿)来るところもあります。
しかし参りましたね!湯乃華芸妓さんには!! 湯沢は本格的なんですよ。
周りの市町村、いや隣の県も、いや日本全国のみなさん、湯沢に行かなきゃ間違いなく損ですよ。これだけお座敷遊びを経験した私が言うのだから間違いありません。
こんな素晴らしいこの芸妓連を発足させたのが「阿部一人」さんです。
つまり主宰者ですね。 私は波島陽子を通じて3年前に初めて東京浅草の舞台(浅草公会堂)でお会いしました。
行動力のある方ですよ。 ですから、湯乃華芸妓はその1年前に立ち上げたことになりますね。
今思えば本当に勉強熱心な男性です。
今年の春まではその程度の面識でした。
ところが、波島陽子が故郷である湯沢をなんとか宣伝したい・・・と都内で食事をする機会があり、そのときインバウンドのお仕事やPFI・PPP協会の理事長である植田社長に訴えたのです。
「湯沢には温泉があります」、「素晴らしい絵灯ろうがあります」、「小野小町の町です」、「秋の美しさは芸術です」、そして「阿部さんという人が頑張っています」・・・と。
市長が聞いたら泣いて喜びそうな郷土愛。
そしたら理事長が「即湯沢に行きましょう」、「阿部さんに会いましょう」・・・・となったのです。波島のひと声が無かったら理事長も私も湯沢や阿部さんに縁が無かったかも知れませんね。
令和元年5月10日 その日がやって来ました。
私と理事長とで令和最初の大仕事です。 熱血漢阿部さんは湯沢駅で私たちを迎えてくれました。
5月の晴れた日。 車窓から見える新緑の素晴らしかった事。 ずっとスマホで録画。日頃浅草で暮らしているせいか秋田(湯沢)は天国でした。
到着してすぐ「百年料亭」で関係者の皆さんと肝心な打合せが始まりました。
そして、夕食に用意されていたのがお座敷だったのです。 前回もお話ししましたが、ここで初めて湯乃華芸舞妓さんに会うわけです。
やはり雰囲気がありますよね百年料亭は。
素晴らしい舞に興じ改めて阿部さんに尋ねました。「阿部さん、どうしてこの仕事をやろうと思ったんですか!?」と。
気さくな阿部さんは豪快に笑い飛ばしながら、「私は実は市役所に勤めていたんですよ・・・」???
そのきっかけはまさに波島が懸念していた元気のない故郷についてでした。 熱っぽく語る姿は私に似ていて少し滑稽でしたが、一番理解できるところでもありました。
社会変化の中で例外なく失われそうな湯沢という地に対する愛着から「地域の元気が失われることに居たたまれなかった」危機感を話してくれました。
地域振興に関わる仕事を30年もやっていた私は直ぐに理解できる話でした。 山本直純先生との出会いも各地での活性化事業がキッカケだったんですからね。
阿部さんは勿論「私に何か出来ないだろうか・・・」となる訳です。 阿部さんはまたも豪快に笑い飛ばしながら「周りの者はバカじゃないかと言います。市役所を辞めてまで・・・・」と。
私が一番伝えたいのは湯沢市長や各議員さんたちにですね。 良いことは思ったら即実行する行動力です。
このことは湯沢市民のみなさんも是非ご理解ください。それが町興しですから。
「院内銀山の花街文化を活用できないか・・・」京都に縁のあった阿部さん。
そして日本舞踊をかじっていた経歴。それが30年勤めた湯沢市役所を早期退職し芸舞妓事業をやるんだの決意に至りましたと語ってくれました。
湯沢市のみなさん、このブログに目を通していますか!? 地元を愛するってこういうことです。
その夜舞を見せてくれたのが佳つ那(現・佳津那)さんと佳乃華さんでした。初めて観た踊りは言葉がでないほど素晴らしかった。 本物です。 これからでしょうが、周り(市民)が育てるべきですね(実感)
最初の写真に載っていませんでしたね、最近見世出しされた「富紀乃」さんです
予断ですが、阿部さんは昔から「イイ女製造機」と呼ばれていたそうです。
お付き合いした女性たちが何故かどんどん垢抜けていったとか(素晴らしい)
今は湯乃華の子たちをイイ女に変身させているそうですよ。 確かに素晴らしい芸舞妓のてんこ盛りでした。
阿部さん! 阿部さんが選んだ道は正しい道です。何よりも地元湯沢の歴史や文化、人の心を知ってもらいたいと立ち上がったんですから。 人の為に尽くす。波島陽子もそっくりです。 秋田県人なんですね。
まず今回は湯沢湯乃華芸妓のさわりを語りましたが第2弾をお待ちください。