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 波島陽子芸能生活35年の歩み

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芝居が大好きで小学校に通う頃からNHKの大河ドラマの大フアンだった一人の少女が満を持して上京したのが昭和61年だったと言います。
飛び込んだ先が女剣劇を代表する当時この世界では大御所の淺香光代事務所でした。
当時はただただお芝居がしたい・・・のそれだけ。面倒見の良い先生は厳しさの中にも大きな愛情をもって舞台のイロハを教えてくださったとか。
事務所は先生の他に所属の役者さんを抱えなかった関係で入門当初から舞台に担ぎ出されたのは運が良かったのかも知れませんね。

当時の淺香光代師はご存知のように1枚看板でしたから全国の大劇場は殆ど制覇されていましたね。それは私でも知っています。
映画や歌舞伎でもお馴染みの「瞼の母」などは淺香光代の右に出るものは居ないほどカッコ良かったことを覚えています。
こうした舞台に出演できたことが今の波島陽子の財産になったのは周知の通りです。

舞台の合間の日本舞踊のお稽古は花柳の先生に。時間があれば西川流の道場に通い芸を極めたいと猛稽古が続きました。

自らの将来を考えたとき、日本舞踊(新舞踊)を全国から習いたいと上京する姿をみて一念発起。わざわざ上京しなくても作品の「振付ビデオ」で指導できないか・・・と3年ほどの準備期間を得て会社を設立することになります。


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歴史の第一歩ですね。
森陽子の芸名から「波島陽子」とその芸名を改名しポラリスはいよいよスタートしたのです。

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波島の考え方は大正解でした。
会社設立と同時に開設したホームページが好評で北海道から沖縄までその情報は知れ渡り驚くほどの注文が届きました!!

そうこうしている内に、一人・・・二人・・・と舞踊を習いたいとする若者からの問い合わせ !!
綴っていたら何かとっても懐かしくなりましたね。 当初お稽古場を持っていませんから、貸しスタジオを探し空いている会場、空いている会場とまるでゲルマン民族の大移動だ・・・などと言いながら大きな衣装ケースを引きずりながらよく通いました。
大移動を続けながらのお稽古は3年半ほど続きました。今思うと当時の大変さはただただ懐かしく良い経験でした。

とても空いている会場を渡り歩いてのお稽古も限界となり平成22年9月に波島陽子日本舞踊教室の専用稽古場が誕生ということになりました。

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探し当てた場所が雷門通り沿いにある(1つ筋を入る)この秘密基地のような静かな場所。 銀座線田原町駅から徒歩2分、浅草駅から徒歩5~6分。これ以上ない立地。運が良かったですね!! 今この物件を探そうとしたら倍近い家賃になっている筈です。
もっとついていたのが工事を請け負ってくれたのがなんと波島の叔父さん(工務店)。これでもかというくらいな素晴らしい工事で遂に波島陽子日本舞踊教室が完成しました。

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お祝いにいくつかご披露し、いよいよお稽古のスタートとなった訳です。

翌年の9月に第1回の発表会開催となったわけですから、ゲルマンの頃には相当数の生徒さんが在籍していたことがよく分かると思います。
第1回の平成23年と言えばそうです、あの東日本大震災が起きた年です。初めて迎える発表会をどうしよう・・・と本当に悩んだことを覚えています。当時東北出身者も4名ほど在籍していましたが、お陰様でみなさんの実家は被害に遭われなかったそうです。
それでも悩み続けました。元気な者が良い影響を与えなきゃ・・・と前向きに開催したことも今思えば良き思い出です。お陰様で超満員の中で初めてのイベントを開催できたのです。

それから間もなく、世界から国内からと様々な舞台や指導等のご依頼を頂き、それは目まぐるしい生活の始まりとなりました。

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インド(写真)から世界の伝統芸能を集めた舞台に招かれ2000余名の観衆の前での日本舞踊を披露。 ロシア・中国・イギリス等々その伝統芸能はとても見栄えのするものでしたが、日本の評価や注目度の高さは素晴らしかったですね。

会社を興してまもなくインバウンドの一環で着物体験を初めて浅草で始めたのも波島教室でした。

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毎年夏になると決まって中学の生徒たちに日本舞踊を指導・・・とこれもまた10年も続いています。
様々なご依頼が届く理由を訊ねると「波島先生の踊りが美しい・・・」と返ってきます。これほど嬉しいことはありませんね。

日本の心って本当に素晴らしい。 これは外国人観光客の皆さんの感想から自信を得たものです。
この心を添えたら美しい舞踊になることを現在お弟子さんたちにしっかり伝えています。

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この美しさは実績となり様々な舞台に招かれるようになりました。
どんなに規模が大きくなっても変わらない波島の心根こそが日本舞踊指導者としてここまで来たのだと一番近くに居て「教室を立ち上げて良かった」・・・との確信に変わっています。

私もこの仕事を通じ、全国の本当に多くの日本舞踊を愛するみなさんとお知合いになれました。みなさんお一人お一人のお人柄に触れる度に「ああ!財産がまたひとつ増えた・・・」と感謝しています。

長い間日本舞踊をやっていたから指導者・・・ではなく、日本舞踊の指導者に成るべくしてこの道が待っていたと言って良い指導者になりましたね波島陽子は。

多くの生徒さんが居たら、きっと嫌なことだって無いわけじゃないようにも思います。それでも心ひとつ乱さず指導者にふさわしい日々が送れていることにいつも脱帽です。生徒さんが増える訳がわかります。

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発表会も約60名前後が出演しますが、まだ舞台に上がれない人も入れたら驚くほどマンモス教室になってしまいました。

波島陽子の口から、「私は教室を開きたかったのではなく、全国の愛好者の皆さんに振付作品(DVD)を提供し続けたいんです・・・」の気持ちは常に心の底にあって日々頑張っています。
いつだったか、どちらが生徒か先生か分からないほど謙虚で優しいと表現したことがありますが、波島から手ほどきを受けるみなさんは本当に幸せだと思います。ここまで来ても尚謙虚で居られるのはまさに日本舞踊を教えるにふさわしい人物だと思っています。

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笑顔が絶えないお稽古場。 伝統芸能を今の若者に継承するという難しさはますます激しくなる一方です。
しかし、日本人として自慢できることがあるとすればまさに日本の心以外に無いことが分かります。

先日、ある人が素晴らしいことを言っていました。「人間は何故生まれて来たのか・・・!?」に対し、それは、みな平等に「幸せになるために生まれて来たんですよ・・・」と。
どこまで出来るかはわかりません。一人の女性が夢に憧れ上京し芸ひと筋に頑張っています。今回のコロナ騒動にも決してブレることなく一番元気なのは波島陽子なんじゃないだろうかと思うほどです。


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私が平成14年頃からお邪魔している異業種交流会に「i-Media」というのがあります。 ここの主宰者は加藤和郎先生と言って元NHKのプロデューサーでもあり、先生から受けた学びは数えきれないほど多くあります。
加藤先生に評価されるようになりたい・・・と思っていたほどです。 その先生が能楽堂の舞台を観に来てくださったことがあります。

この写真につけてくださったコメントに「平成から新しい時代に入ってゆくにふさわしい陽子さんですよ」とおっしゃてくださいました。





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