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 修行僧 雲水

卒業を目前に、新しく巣立つ若者への想いを語っています。
実際に、細部にまで渡って調べた訳ではないので詳細までは把握できませんが、報道で知る限り社会全体がおかしくなっているのも事実です。政治家になんとか頑張って欲しいと痛切な思いをぶつけている姿も目にします。
しかし、どんな時代であれ立ち向かって行動を起こすのは本来政治家ではありません。個人個人ひとりひとりの強い行動力にかかっているのです。他力本願にするなと言っているのはそこです。
毎年、春が近づくと曹洞宗の大本山「永平寺」の門をたたく若者がいます。
ここで少し曹洞宗の宗祖「道元」について触れてみたいと思う。父は村上源氏の流れをくむ名門「久我(こが)家の久我通親であると言われていますが異説もあるようです。
幼少時に父母を亡くし道元は仏教への志が深く、14歳で当時の仏教の最高学府である、比叡山延暦寺に上がり、仏門に入りました。 道元には「天台の教えでは、人はみな生れながらにして、本来悟っているはずなのに、なぜ厳しい修行をしなければ悟りが得られないのか」という強い疑問がありました。
道元は日本臨済宗の宗祖である建仁寺の栄西に教えを請いたいと思うのですが、栄西は道元が出家した2年後に、すでに世を去ってしまっていたのです。
比叡山を下りた道元は、建保5年(1217年)、建仁寺に入り、栄西の直弟子である明全に師事します。しかし、ここでも道元の疑問に対する答えは得られず、真の仏法を学ぶには中国(宋)で学ぶしかないと考えるようになりました。師の明全も同じ考えであり、二人は師弟ともども貞応2年(1223年)に渡宋したのです。
道元は天童山景徳寺の如浄禅師に入門し、修行を重ねます。如浄の禅風はひたすら坐禅に打ち込む「只管打坐(しかんたざ)を強調したものであり、道元の思想もその影響を受けているのです。
坐禅に見るその姿はまさに仏そのものであると教え続けています。私は浄土真宗ですが、京都の妙心寺で寒い一月坐禅の修行に挑んだことがあります。
修行僧を雲水と言いますが、今ではその修行期間を決めるのも各自自由だそうです。先日のドキュメント放送で、二年間の修行を終えて永平寺を後にする雲水が「しっかりと修行を済ませたので・・・」と語っていましたが、修行に終わりがないことを会得できなかったのかなと現代の若者像を見た気がしました。
いつの時代でも、自分を磨く、自分をみつめることの大切さが求められますね。

 人名、会社名等(著名人は除く)は仮名ですが内容は全てノンフィクションです。
 【俊介の部屋】は平成21年6月4日にスタートしました。(毎日掲載しています)
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