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  母は一本杉で泣いていた Ⅲ

・ 子供時代に結婚が何かなど知る由もない。 恋人同士の延長線くらいにし
 か思えなかったくらい。 そのころ両親は30代後半くらいじゃなかったろうか!
  今にして思えば昔の人は今よりずっとずっと老けていたのは事実だ。
 私が30代といったらとってもまだ比べものにならない程若いというか子供だっ
 たように思う。
  結婚した二人は何度か私の家に遊びに来るようになった。 すっかり夫婦を
 しているから少しおかしかった。  それから1年半後くらいに長男が誕生。
 結婚生活は順調にいっているかに見えた。 子供が1歳になった頃、ある日若
 奥さんは泣きながら母に何かを訴えていた。 詳しいことは分からないが、要
 はもう耐えられない。 別れたいということだったらしい。
  勿論、責任もあって両親の説得が続いた。 しかし、一度崩れかけた二人の
 仲は他人が入り込めるほど生易しいものではない。 時には泣きながら、時に
 愚痴のオンパレード。
  穏やかな父ではあったが説得は懸命だ。 きっと今流に言えばこうした問題
 は本人同士の問題で、いくら外野がいろんなことを言っても難しいのが相場。
  考えてみれば良き時代だったのかも知れない。 情に厚く、町内や隣同士と
 いったまとまりは当時の日本の良さを物語っていたように思う。
  問題は深刻で半年以上も続いたようだ。 しばらく別居もあったようだけど
 その後更に2人の子供にも恵まれ幸せだという。
  そう考えてみると一本杉で泣いていた母を連れてきた父は素晴らしい。
 何組かの仲人の依頼が来るのは真似のできない功績のようにも思う。
  若くして事故で亡くなった父の葬儀にそうした人たちが自分の父のお世話を
 するように心の悲しみをおさえながら本当に一生懸命やってくださった姿をみ
 て、人と人との心のつながりを感じずにはいられなかった。
 「感謝の心」みたいなものが心を通して理解でき、人の素晴らしさを知った。
  想像もつかないが、顔も知らない人と結婚した人が多かった終戦前の話は、
 きっと全国に数えきれない数だったようだ。 それでも幸せになったカップル
 が多かったのは最高の人間関係が築けた時代だったからだろう。

  現在、結婚活動の錬金術師のように「婚活」をキャッチフレーズにし、時代
 とともにそれを生業としている人も会社も多くなって来たようだが、どうして
 もそこに足りないものが潜んでいるのも現実だ。

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岡部俊雄

管理人 : 岡部俊雄
チーフ・プロデューサー
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