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 仏様のお話

浄土真宗の本山にお参りをしてきました。仕事柄よく浅草の浅草寺や三社様をご紹介しますが、そのときにいつも不思議な光景を目にします。外国人ならいざ知らず日本人が浅草寺で柏手を打ってお参りしている姿に遭遇するからです。
つまり寺院でのお参りの仕方と神社でのそれを知らない人が結構いることへの驚きです。
お盆なので今日は仏様のお話をしましょう。
ある文献に「何故仏様に拝むのか」が載っています。
自分が仏様に拝む事によって、功徳を積むので、仏様がパワーを下さって、願い事をかなえて下さるからとあります。 少しそのお話を続けましょう。
「人間は、仏様によって与えられて両親によって生まれて来ます。我々が生きているという事は、生かされて居るという事です。又、死ぬという事も生かされて居るという事です。
我々は、生と死は、いつも備わって生きて居るのです。二つ生と死があって、人間があるのです。そして、肉体と魂を持って生きているのです。肉体は自然界よりなり、魂は霊界よりなって居ります。人間が、もし肉体だけなら、墓も、納骨堂も必要ありません。なぜかというと、肉体は、自然界に帰るのです。それは火葬されて、肉体と心と分離されます。
そして、肉体は、灰になり、自然に帰るのです。だが分離された心は、灰では焼かれないのです。それは、霊界よりなって居りますので、そのまま残ります。今度は、肉体がない魂(心)だけの自分が残って居るのです。肉体と魂(心)がある自分なら、その人達が住む家に居られるが、魂だけの自分になったら、霊界に帰るのです。しかし、年に一度お盆に、この世に帰って来なければならないのです。だから、魂(心)の場所(霊場)に、自分の家が必要となるのです。それが、お墓なのです。納骨堂も同じ事なのです。そして、魂(心)だけの自分になったので、この世では俗名(両親が名前を付ける)ですが、霊界では法名(仏様が名前を付ける)になり、墓石に俗名と、法名と書くのです。そして、残った家族や友人達が、お墓参りをし仏様に功徳を積む機会を与えられ、供養を上げる事によって死んだ者は成仏出来、生きている家族も、それによって仏様に見守られて生きて行くのです。この繰り返しが、人間界なのですから、お墓や納骨堂は必要なのです。今は死んだら海に骨をまく家族の人達が増えて居りますが、絶対に良くありません。海は、納骨堂ではないのです。海には、色々な霊魂がたくさん居りますので、成仏がなかなか出来ないのです。骨があるという事は、その人の魂もそこに居るという事ですので、納骨堂やお墓に入れずに、海にまくと、その海にその人の霊は、居ります。供養する時も大変難しくなるので、霊にお経が届きにくくなるのです。だから良くありません。又霊が迷って家族の為にも良くありません。だから必ず、お墓や納骨堂に入れる事です。」
墓参りの意味が少しは理解できたでしょうか?

 人名、会社名等(著名人は除く)は仮名ですが内容は全てノンフィクションです。
 【俊介の部屋】は平成21年6月4日にスタートしました。(毎日掲載しています)
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