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 絆・・・ 曽我兄弟の仇討ち

先に源頼朝の話に触れましたが、丁度この時代の出来ごとにあの有名な曽我兄弟の仇討がありました。今から約800年前、曽我兄弟の父が伊豆の伊東で暗殺されその父の仇討となったものですが、この仇討が日本三大仇討のひとつなんです。
ひとつは有名な赤穂(忠臣蔵)四十七士の吉良上野介を討った話。もうひとつは高田馬場の仇討です。高田の馬場の仇討は四十七士の一人堀部安兵衛が叔父の仇を討ったものですが彼は二大仇討に絡んでいることになりますね。
話しを戻しますが曽我兄弟の仇討は非常に厳しい状況での仇討だったのです。それは父の仇とする相手工藤祐経はが頼朝の寵臣でしたので、その人を討つということは、頼朝を中心とする東国の武家秩序に対する反逆であったのです。従って曽我兄弟は武士道の面目を果たした後は二人とも自害するつもりでした。
兄弟の母は身辺の平穏を願って我が子に仇討の志を捨てさせようとしましたが、兄弟の父への思慕と仇祐経に対する憎しみの強さから二人は力を合わせて初志を貫くつもりだったのです。
仇討ち成就は死を覚悟しての行動であったのですが頼朝は五郎が稀代の勇士であるため助命を考えましたが、祐経の遺児の嘆きを見て、断首による処刑を申し渡しました。
これが曽我十郎・五郎兄弟の有名な仇討です。
余程両親に大切に育てられたんですね。仇打ちに絆を美化しているのではありませんが、いずれも映画や舞台で人気を博し今日までも語り継がれている代表的な出来ごとでした。
江戸時代に入った頃から芝居小屋で演じられ多くの共感を得たのも日本人のもつ心の様を判官びいきに変えて時代のヒーローとして伝わってきたんでしょうね。
日本人の日本人たる日本人的な受け取られ方が「絆」を三大仇討としてここまで有名にしたのではないでしょうか?
こうした話をしようとしても最近の若者の殆どがこれらの出来ごとを全く知りません。忠臣蔵などその一人一人に多くのエピソードがあって舞台や映画では涙無しでは見れないほどみなドラマチックです。
今でこそ山崎豊子作品に見るように長い期間の調査で素晴らしい人間模様を描いた作品(例:大地の子・華麗なる一族等々)が誕生していますが、先の三大仇討などどうやってここまで語り継がれどこまで真実であったのか不思議なくらいです。
どちらにしても様々な歴史上の人物を学ぶにつけ絆の美しさ尊さのようものを改めて知らされるような気がします。

 人名、会社名等(著名人は除く)は仮名ですが内容は全てノンフィクションです。
 【俊介の部屋】は平成21年6月4日にスタートしました。(毎日掲載しています)
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