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 阪神大震災から16年

雪深い新潟の自宅で、その日は何故か朝5時すぎに目が覚めた。何気なくスイッチを入れたテレビに映っていたのはまるで戦争をのシーンを見るような光景だったことを覚えている。阪神地区の地震だ!
ヘリコプターからの実況は物々しかったが一体何なのかはまだ気づかない。時間が経つにつれて状況が見えて来た。「なんだ!これは!」。その規模が半端でないことにも驚いた。
平成7年1月17日の朝の出来ごとだ。その日は次から次へと状況が判明して行く中で恐ろしささえ感じながら見入っていた。私の家の周り一帯は真っ白。1月としては多かったように思う。
今年高校生になる若者が生まれた年になるんだろうか?ビルが高架橋が、駅が・・・時間の経過とともに初めてみる映像ばかり! この日を体験した人でないと分からないかも知れない。これが更に東京で起きたらどうなるんだろう・・・!? その後各自治体でその教訓を生かしながら対策や防災訓練へと市民と一緒に考えるようになるのだがやっぱり直接関係していなかった地区での危機感は薄いようだった。
私が上京することになったのはそれから2年後だ。一番心配していた東京へ出たのだ。助け合う心ってこの大都会でどうやって生まれるんだろう?
それほど都会は田舎と違って一体感を求める難しさがあるように思った。そして5年ほどしてからだろうか?私が住んでいた中越地区にもあの大地震が襲ってきたのだ。
その日のことは東京でもエレベーターがガッタンガッタンと音を立てて揺れ恐さを実際感じていたのだ。たまたま会社の慰安旅行が翌日で安否を心配しながらバスに揺れていた。
何でもそうだがこうしたことの教訓をどう生かすかも課題となった。30万人もの人が避難した阪神大震災。
車の問題、トイレの問題、病院の問題。それよりもなによりも自分が住んでいるマンションが崩れたら一体どうなってしまうんだろう・・・。
それからベランダには雨合羽・長靴・携帯電池等々をいつでも取り出せるように備えている。どんなことになってもこんな物は使いたくない。
台風や洪水、地震や雷等々自然の怒りになんか到底敵いっこないことは分かっている。
避難場所の確認、重要書類の管理等備えは沢山ある。警察や自衛隊、消防暑等の人たちはいざというときの為に一生懸命訓練している。それらの理解とともにもう少し自分も意識を強く持って心の備えもしておきたいと思う。
豪雪地帯でこれでもかと苦しめられた雪との戦いなんてきっと問題にならない脅威だと思う。中越地震のときに家屋の崩壊が少なかったことに全国の人たちは驚いた。その原因は雪に耐えるための家の柱の太さにあった。
私も雪国育ち、雪国の太い柱に負けない強い気持ちで備えたいと思う。
何はともあれ不幸にも災難に遭った人たちに改めてご冥福をお祈りいたします。

 人名、会社名等(著名人は除く)は仮名ですが内容は全てノンフィクションです。
 【俊介の部屋】は平成21年6月4日にスタートしました。(毎日掲載しています)
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岡部俊雄

管理人 : 岡部俊雄
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