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 坂上二郎さん 天国へ

ビートルズが来日し若大将(加山雄三)が全盛の頃、コント55号は誕生したのです。
昭和を笑いの渦に巻き込みテレビを通して日本中を楽しませてくれたその人(坂上二郎)が天国へ召された。飛びます飛びますと言って本当に天国へ飛んで行ってしまいました。
若い人にはコント55号の楽しさ面白さはライブで見ていないからその偉大さはまったく分からないのも当然だが、テレビ業界には是非シリーズを組んで当時の番組を再放送して欲しいと思う。
高度成長期に、素早い動きと新感覚のギャグで「クレージーキャッツ」「ザ・ドリフターズ」と並び明るい未来の象徴として国民にエネルギーを与えたものです。
先に運命の話をしましたが人は出会う人によって良くも悪くもその人の人生に大きな影響を与えるものだ。坂上二郎氏はその典型ではないだろうか?
歌手を夢見て上京してからは苦節十年というが、様々な経験の中彼は浅草で萩本欽一に出会うことになる。
奇しくも坂上氏が上京した年(1953年)は日本初のテレビ放送が開始された年だというから因縁のようなものがあったのかも知れませんね!
つい2~3日前に叔父の葬儀に行って来ましたが、人の一生のある意味儚さのようなものも感じます。元気であればあるほど病気というものは残酷に映ります。役者は舞台上で死ねたら本望とする人も少なくありません。役者貧乏と言って好きなことは苦労に感じませんが反面苦しい生活を強いられることは常のようです。
私のところにも歌手志望・役者志望・タレント志望の若者が何人かいますがその道程は決して平たんではないのです。この世界は特に時代が変わっても同じようです。
それだけに夢に向かっている若者にはなんとか成功して欲しいと思いますね。私の息子なんかもきっとお笑いの世界に行ったら絶対に成功するんじゃないかと思う時期がありました。環境が変わらなければそうしたかも知れません!本人も真顔で「さんまの弟子になりたい」と言っていた頃がありましたから。
考えるに、素質・素養というものがあって、努力したからなれるものでもありません。たゆまぬ努力と素晴らしい出会いに巡り合えてこそ成し得るものではないでしょうか!?
偉大な先人に学ぶことで供養としたい。そんな思いです。昭和の灯がまたひとつ消えた。そう感じるのは私だけではないでしょう。心からご冥福をお祈りいたします。合掌

 ありがとう!感謝の心こそ幸せになれる秘訣です。素晴らしい人生を!
 優しさや笑顔に触れて温かい気持ちになれるように、あなたの真心で!
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